「はてさて…どうしたらいいかな…」
九峪は苦悩していた。
今いるのは自分に割り当てられた部屋だ。
そして、そこには…
「ねえ、ねえ、九峪の鞄の中を見せてよ〜」
「意外と狭いんだな」
「こら、兎音。失礼な事言っちゃ駄目!」
九峪を困らせている原因である目の前の少女達…言うまでも無く魔兎族三姉妹の兎華乃、
兎奈美、兎音だ。
その原因である本人達は全く気にした様子もなく、のほほ〜んとしていた。
九峪は頭を抱えたくなった。
そこに、扉をノックする音が響いた。
「九峪様?いらっしゃいますか?」
(こ、この声は亜衣さん!!や、やばい…まだ言い訳を考えてない)
九峪は何かないかと、頭を回転させていた。
「九峪様ならいるよ〜」
兎奈美は頼んでも無いのに亜衣に返事をした。
(あわわ…どうするどうする…明日晴れるかな?……て、逃避行してる場合じゃない…こう
なったら…)
「兎音、膝借りるぞ!!」
「へ?」
兎音が返事を返す前に九峪は行動に移した。
九峪は兎音の膝を枕にして横になった。
三姉妹は虚をつかれて固まった。
そして、丁度のタイミングで亜衣が入ってきた。
「く、く、く、九峪様!!なんですかその格好は!!それに…その人達は誰ですか!!」
凄い剣幕で迫ってくる亜衣。
その後ろには伊雅、清瑞、伊万里、星華など先ほど会議に集まっていた面々がいた。
清瑞、伊万里の二名は亜衣以上に凄いオーラを発していた。
「ああ、こいつ等は…俺が雇った親衛隊だ。こいつ等がいたら五百の兵ぐらいなら、あっと
いう間に倒してくれるぞ」
鼻の下をのばし、下心見え見えの九峪の言葉に耳を貸す者いなかった。
それに三人の女性に五百の兵が相手に出来るわけが無いと誰もが思っている。
皆は『九峪は女好きで親衛隊と言う口実で女と一緒に居たいだけ』と解釈した。
それは兎奈美と兎音の異様な成り立ちを見れば、そう思うのも仕方がないことだ。
九峪が言っている事は、何一つ間違いはないが、信用できるはずがない。
「ところで用事があったんじゃないの?」
「いえ、特にございません!!失礼します!!」
亜衣は怒鳴り声に近い声で答えて踵を返して部屋を立ち去った。
それを倣(なら)って他の者も続いた。
伊雅が清瑞に何か耳打ちをして、伊雅も立ち去り、清瑞は残っていた。
伊万里も残ろうとしたが伊雅に連行されていった。
(気持ちは分からなくもないが…火魅子候補が九峪様と一緒に行動してはまずいのでな…)
意外と冷静な伊雅だった。
九峪の策は完璧だった。九峪が立ち去った後に問題点の改善方法などを検討した結果…九
峪が予め竹簡に記された方法で全て解決したのである。
今回の事も何かの考えがあっての事だと伊雅は思っている。
兎華乃達と清瑞を除く他の者の姿が居なくなって慌てて九峪は身体をを起こした。
「兎音、すまない…他に打開策が思い浮かばなかった」
深々と頭を下げ謝罪する九峪。
兎音は、顔を赤らめて上の空だった。
代わりに兎華乃が答えた。
(やはり演技だったか…)
清瑞は、そんな気はしていた…だが、嫉妬と言うものは抑えれる物ではない。
「顔を上げてください……なぜ、あのようなまねを?」
九峪は話をしていいものか少し迷ったが、すぐ答えは出た。
「実は…」
九峪は事情を話すことにした。
事情を説明していくうちに兎音は現実に戻り、話に加わった。
最後に兎華乃達は頷いた。九峪の説明に納得したようだ。
「なるほど、そういう意図があったんですか」
「ああ…ところで兎華乃ちゃん達にお願いがあるんだけど…」
九峪は控えめに言った。
兎華乃は小首を傾げた。
「なんですか?」
「さっき言ったように俺の親衛隊に入ってくれないかな?…親衛隊と言っても他にいないん
だけど…」
「えぇ、喜んで」
兎華乃は笑顔で落ち着いた声だった。
「任せて!どんな奴が来ても返り討ちにしてやるから!」
兎奈美は嬉しそうに笑いながら答えた。
兎音は、ただ頷いただけだったが顔は嬉しそうだ。
「ありがとう…助かるよ」
九峪は兎華乃達に礼を言った後、清瑞を見た。
「じゃあ、自己紹介ね。そこにいるのは清瑞だ。乱破で俺の事を知っている数少ない者の一
人で、俺の護衛だ」
紹介をされて清瑞は会釈した。
兎華乃達も会釈で答えた。
「こちらは長女兎華乃ちゃん、次女兎奈美、三女兎音だ」
呼ばれた順に会釈をした。
清瑞は、怪訝な顔をしていた。
九峪には、その理由が分かった。
「気持ちは分かる…が事実だ」
清瑞は、九峪が最初に兎華乃と会った時に思った事と同じ思いなのだろう、と思い言った。
「は、はぁ」
とりあえずは納得したようだった。
兎華乃は九峪の言い様に拗ねたようだ。いい加減小さい身体を、さらに小さくして床に
『の』を書いていた。
兎奈美と兎音は、そんな兎華乃を見て笑っていた。
兎華乃は兎奈美達を物凄い目つきで睨んだ。
兎奈美達はブルブルブルと身震いをさせて、笑ったのを後悔した。
九峪は、それを見て苦笑をしつつ、清瑞に向き直った。
「兎華乃ちゃん達が住んでた村が狗根国軍に襲われたんだそうだ。そこへ伊雅が出した隠れ
里への使いに偶然会って、ここを知ったそうだ」
九峪は兎華乃達が魔人である事を黙っておいた。
耶麻台国の大きな敗北原因は魔人、魔獣の存在だった。
魔人、魔獣を怨む者がいてもおかしくはないのだ。
それが清瑞ではないと保証はない。
(今はまだ誰も知らない方がいい…清瑞にとっても…兎華乃ちゃん達にとっても…)
「そうですか…お悔やみ申し上げます」
清瑞は九峪の説明を信じて、悔やみの言葉を送った。
「これは…どうも…ですが気にしないでください」
本当の事情はそれほど大した事ではないのだが、せっかく九峪が考えて話してくれている
のだから、それに甘える事にした。
「と言うことで、兎華乃ちゃん達で俺の『親衛隊』を結成する。それを伊雅に伝えてくれ」
「はっ!!」
清瑞は軽く頭を下げると伊雅に報告すべく立ち去っていった。
清瑞が行ったのを確認した九峪は兎華乃達とこれからの事を話を始めた。
星華達は飛空挺の製造、調整を行っていた。
羽江の機嫌によって変化する製造に関しては、九峪の励まされてご機嫌は上々の羽江で、
着々と製造されている。
すでに、星華の流星丸、亜衣の一郎丸、羽江の三郎丸の製作を終えていた。
今は最後の衣緒の次郎丸の製作に取り掛かっている。
星華と亜衣は飛空挺の試運転をしていた。
なぜ衣緒の飛空挺を最後にしたかと言うと、元々肉弾戦が得意な衣緒には飛空挺は移動手
段としては使いはするが戦闘では使用しない為である。
羽江とは違い、亜衣は不機嫌だった。
(あのような者を指導者にしていていいのか!!皆が忙しいと言うのに女と遊んで!!言い
訳には親衛隊などと言って!!)
亜衣の異様なまでのオーラに誰も近寄れない。
そんな事を考えていても飛空挺の試運転は、きっちりやっているので話しかける必要はな
いのが幸いだった。
「お姉ちゃ〜ん!!使い心地はどうだった〜?!」
亜衣の不機嫌さに気づきもせず羽江は近寄って飛空挺の感想を求めた。
「ああ、まだ少し調整がしなくてはいけないが…特に問題はない」
不機嫌な事には変わりはなかったが、いつもの口調で感想を述べた。
羽江は嬉しそうな顔で踊り始めた。
「わ〜い、これでお兄ちゃんの役に立てるかな〜?」
なぜか羽江は九峪のことを「お兄ちゃん」と言って親しんでいるのは亜衣も知っていた。
星華の後見人としては、身内から神の使いと親しき者が出るのは嬉しい…だが、姉として
は、好ましくなかった。
亜衣の複雑な気持ちなど羽江は知るはずがなかった。
「さあ、どんどんいこ〜♪」
羽江は、所定の位置に戻り次郎丸の仕上げに掛かった。
亜衣はそれ以上この事を考えず、黙々と一郎丸の調整に入った。
伊雅や虎桃は、各地から続々と集まる者達の対応に追われていた。
人手が足りないが、音羽と上乃は兵の訓練、案埜津は国府城に工作に、真姉胡と仁清は物
見に出ていた。
伊万里は暇をしていたが、火魅子候補である以上、まだ表に出られては困るのだ。
「そちらの方はあちらへ!!そっちの方はこっちへ!!」
いつもは気の抜けた話し方をする虎桃も、だいぶ苛立ってきたのか口調がきつく、厳しく
なってきた。
「伊雅様」
そこに現れたのは清瑞だった。
先ほど九峪が言った事を伝えに来たのだ。
「して…あの者達は?」
応対を一時的にやめて、清瑞に向かって言った。
兎華乃達の経緯を話した。
「わかった…とりあえず、お前には国府城に工作に出て欲しい。先に行っている案埜津と合
流してくれ」
「御意」
「伊雅さま〜そっちをお願いします〜」
虎桃の困り果てた声が聞こえ伊雅は歩き出した。
ここにいる必要がなくなった清瑞は早速、国府城に向かって走り出した。
まあ、あれやこれやとやっている内に、あっと言う間に2日が過ぎた。
亜衣はもちろん、他の幹部から九峪には作戦の内容は全く教えられなかった。
作戦を立てた張本人なので別に今更教えられる事もないのだが。
あんな姿を見せたのだから仕方がない。
作戦の決行の日が今日だ。
伊雅の部隊…第一軍団は昨日、100人の少数精鋭で出発している。
第一軍団には、清瑞がついていた。
役割は、遠回りをして兵が減っている国府城を落とす事。
伊万里の部隊…第二軍団は500人を連れ、今から出発するところだった。
第二軍団には、虎桃、仁清、真姉胡がついていた。
役割は、狗根国軍を第三軍団が待つ場所まで連れて行くのが役目である。相手に油断を誘
う為に武装はあまりしていない…と言ったら聞こえがいいが、実際は武具は圧倒的に足らな
いのが現状だ。
星華の部隊…と言うよりは亜衣が指揮するのだが…の第三軍団は900人を連れていた。
武装は、第二軍団よりはマシだが、やはり不足していた。
第三軍団には、副官亜衣、他には衣緒、羽江、音羽、上乃、案埜津がついていた。
第二軍団が誘い出した狗根国軍に奇襲をかけ、殲滅するのが役目だ。
九峪は親衛隊…と言っても三人しかいないが、恐らくどの部隊より強力な部隊なのだが…
は、隠れ里に残る事になっている。
亜衣曰く「神の使いである九峪様は安全なところに居て下さい」との事だ。
伊雅も特に異論を唱えなかったし、九峪自身もそれを望んだからだ。
「九峪様…行って参ります」
伊万里の第二軍団が出撃するところだった。
伊万里は出撃する前に九峪に挨拶した。
「ああ…くれぐれもお気をつけろよ?」
九峪は、いつもの口調で言葉を送った。
九峪の心配事の一つが伊万里だった。
伊万里は責任感が強い、それだけに次々と死んでいく兵達の姿を見ても平常としていられ
るか心配だったのだ。
人の犠牲の上を歩くのは非常に辛い者である。
それは九峪自身の身にも言えることであった。
「えぇ、私もまだ死にたくはありませんから」
伊万里は笑顔で言った…が、頬は引きつり緊張をしているのは他人の目から見れば一目瞭
然だった。
少し前まで山人であった伊万里に緊張をするなと言うのは過酷な物である。
九峪は何か言葉を送ろうと考えたが良い言葉が思いつかなかった。
九峪が考えているところに、伊万里の副官…伊雅がつけてくれた耶麻台国縁の者である。
副官は、逃げるには不似合いである重々しい鎧を着ている。それでも平然と走っている所
を見ると、相当の体力自慢であるのだろう。
「伊万里様!準備が出来ました!!」
副官は多少興奮気味に報告した。
「でわ…」
そう言って伊万里は九峪に背を向け、自分の戦場に歩み始めた。
そして、第二軍団は出陣していった。
第二軍団を見送った九峪は自分の部屋に戻った。
隠れ里を発って10時間ほど進行を続けた伊万里の率いる第二軍団が陣を敷いているのは
小高い丘だ。
丘を下りきったところには狗根国軍450人が陣を敷いていた。
時間は7時頃だった為、夜戦をする事は避けて休んでいる両陣営。
「四百五十か…多いな…」
「そうかな〜?こんなもんだとおもうけど〜?」
伊万里の緊張した声とは打って変わって、のんびりした声で答えたのは虎桃だ。
あまり聞いていないように見える虎桃なのだが、意外と地獄耳だったりする。
虎桃は笑顔で伊万里に話しかけた。
伊万里が緊張をしている事を虎桃は分かっていた。
だから少しでも和らげれば、という虎桃の気遣いだった。
「これぐらい出てきてもらわないと〜伊雅さまが大変ですよ〜」
「それもそうだな……虎桃さんは成功するか不安じゃないのですか?」
いつもの調子で対応する虎桃を見ていたら、そんな事を思ってしまった。
虎桃は少し思考して、やはり能天気な声で答えた。
「う〜ん…どうなんだろうね〜?不安じゃない事もないけど…伊雅様が考えた策だからね〜
成功すると思ってるし」
伊万里は緊張のあまり肝心な事を忘れていた事に気づいた。
伊雅が策を提案しただけで実際は九峪が策を立てたことを思い出した。
(そうだ…九峪様が考えた策なのだ……失敗するはずがない!)
失敗しない根拠は何処にもない。
それでも、肩の荷が下りたような気がした。
これまで、ずっと緊張していた伊万里の顔が和らいだようだ。
「伊万里さま〜?もうそろそろ休みませんか〜?」
「ああ…そうするか」
「伊万里さま〜一緒に寝ましょ〜」
「いや、えっと」
虎桃は冗談で言っているのかと思ったら真剣だったらしい。
いつもの気が抜けた虎桃は何処へやら、物凄く真剣な眼差しに負けて伊万里は頷いてしま
った。
「やった〜じゃあ〜行こ〜」
伊万里は虎桃に背を押されて行った。
その後、伊万里の必死の抵抗が続いたが…結局一緒に寝る事になったのだった。
丘の上の耶麻台国残党の陣営を見ている人物がいた。
残党狩りを一任された武将…名は多李敷という。
多李敷は才能は、それなりに恵まれていた…将軍にもなれるぐらいであった。
多少強欲ではあった…が、他の狗根国武将に比べれば小さき事だ。
このような人物がなぜこんな辺境の地にいるかと言うと…狗根国では血筋が優先される。
多李敷は農民出の武将だった事が妨げとなった。
才能があっても農民出というだけで疎まれる存在なのだ。
(だが!!出世は目の前!!………と言いたい所だが…)
人生最大のチャンスを目の前だ…だからと言って歓喜にしているわけではなかった。
(最近地元の噂では火魅子候補、耶麻台国の副王、神の使いがいると言う事だった…それに
しては兵士が少なすぎる…予測では千二百はいるはずだ……伏兵がいるな…噂も本当なのか
疑わしい…)
噂を信じるわけではなかった。だが五百程度の残党に篭城をしたとは多李敷の評価が下が
る事は必至だ。しかも、城主の相馬は強欲で…残党が流したと思われる噂を丸呑みにしてい
るのだ。火魅子候補、副王、神の使いをなんとしても捕らえよという命まで出されている。
戦闘中に特定の人物を捕縛するのは至難の業だ。
多李敷はその命を無視して、捕らえれるだけ優勢なら従うつもりだった。
(耶麻台国残党は雁行の陣か…)
雁行の陣と言うのはVの字に兵を配置する陣形だ。
基本的に弓の攻防を行う場合に敷くものである。
通常の戦闘で…しかも高い位置に軍を配備できた場合、中央に兵を集める錐行の陣で下る
勢いに任せて衝突する…それが一般的だ。
山形(やまなり)に雁行の陣を敷いている所を見ると、あまり自分達で攻める事はしない
ようだ。
(そうなると考えられる事は一つ、この一戦では勝つつもりはなく速やかに撤退して兵を忍
ばせている場所まで我々を連れて行くのだろう)
九峪が伊雅に発案した策のほとんどは見破られていた。
(……まあ、いいだろう…始まればすぐにわかる…)
多李敷は休む事にした。
「て、敵が動き出しました!!」
狗根国軍の様子を見ていた兵士が大声で叫んだ。
少し緊張が抜けた他の兵士達に緊張が再び訪れた。
「よし!!皆!配置につけ!!」
伊万里は大声を上げた。
伊万里は右翼の部隊で100を率いる。
中央の部隊、300を率いているのは虎桃だ。本来ならば伊万里が中央の指揮を執るべき
だったのだが敵が中央突破の姿勢を見せている以上、一番危険な位置となったので急遽配置
換えを行った結果だった。
それに右翼の少し後ろに移動した場所に森がある。
森に慣れている山人なら、まず捕まらないだろう。そういう事もあって右翼には山人ばか
りで編成されている。
そこに伊万里が入っても問題はなかったし、右翼の方が安全だった。
最後の左翼の兵数は残りの100人、指揮を執るのは真姉胡だ。
仁清は伊万里と一緒に右翼を担当している。
伊万里が無茶をしないようにと御目付け役と言うことで一緒にした。
「第一弓隊構え!!」
最前列の兵士達が弓を構えた。
狗根国軍は勢いよく丘を上がってくる。
丘の半ばに差し掛かったのを確認した伊万里は。
「放て!!!」
狗根国軍に襲い掛かるように矢が次々と放たれた。
だが倒れたのは数人だった。元々武器の違いがありすぎる上に弓矢に慣れていない者がほ
とんどだ。
それほど期待はしていなかった。
「旗を揚げよ!!」
伊万里は、出撃する前に用意していた旗を揚げるよう言った。
耶麻台国の紋章が書かれた幟と共に真ん中に『火』と書かれた旗を掲げた。
(まさか…そんな事するなんてね…)
伊万里の緊張した顔を浮かべながら虎桃は思った。
(仁清ちゃんを付けても意味がなかったみたいだね〜)
「多李敷様!!敵、左翼の陣にて『火』の旗を発見!!」
慌てたように報告をした。
それもそのはず、『火』の旗は火魅子がいるという意味を示す。
「なに?!」
(どういう事だ…罠の可能性が高いな……)
「第一中隊と第二中隊は左翼の陣へ向かえ!残りの部隊はこのまま前進!!」
中隊は100人で形成されている。
余っている50人は多李敷の親衛隊だ。
伊万里のいる部隊に向かっているのは200人と言うことになる。
多李敷は200人を向かわせれば罠があったとしても大丈夫だと判断した。
「…想像以上に来てくれたな」
伊万里はこちらに向かってきている200の兵を見ていった。
こちらに向かって来ている兵士が多く、顔を曇らせている兵士達を見て仁清は大声で言っ
た。
「恐れる事はないよ!!こっちには火魅子の資質を持つ伊万里様がいるんだから!!」
「「「おおお〜〜〜〜〜〜〜!!」」」
曇っていた兵士達の顔が、興奮に満ちた顔へと変わった。
伊万里は仁清を睨んだ。
仁清は、まるで伊万里の視線に気づいていないのか黙々と矢を放っていた。
もう狗根国軍との距離がなくなった。
「抜刀!!…かかれー!!!」
伊万里は刀を抜き、空に向いて掲げて先陣を切った。
慌てて他の兵達も抜刀して狗根国兵士に切りかかっていった。
(ちっ!混乱していない時とは違い、これほど強いとはな…)
星華達を助けた時と違って兵士が強くなっているような気がした。
山人は、農民兵達よりは腕が立つ…それでもやはり正規兵には勝てない。しかも武装が違
うと言う点も大きい。
鉄の鎧を刀で斬ろうとしても、そう簡単に斬れる物ではないので間接部か顔を狙うのが一
番有効的だが難しい。
伊万里ぐらいであれば鎧ごと斬れるから問題はない。
7、8人を斬り終えて周りを見ると奮闘している味方がいた。
だが、被害は50人に達そうとしている。
(もうそろそろ引き上げか)
「引き上げるぞ!!」
ここからが、何より難しい。
敵に背を向けて走るのは大変危険である。
近くにいた兵士が撤退を知らせる用の太鼓を激しく叩いた。
太鼓の音が聞こえた兵は撤退を始めた。
斬り合っている兵士達以外は撤退が早いが、斬り合っている兵士達はどうしても逃げ遅れ
る。
(…こういう時は殿がいるな)
伊万里は撤退せずに周りで斬り合っている兵達に駆けつけ、敵を切り倒して退却の手助け
をした。
(しまった!!)
背後には狗根国兵が居た。既に剣は振り上げられて回避は間に合わない。
斬られると思った。だが、振り上げられて手に何かが刺さり狗根国兵は苦痛に悶えた。
仁清の矢が狗根国兵の腕を射抜いたのだ。
150Mほど後方から腕を射抜いた仁清の腕は大したものである。
伊万里は辺りを見渡し味方の兵がいない事を確認して仁清のいる場所に走った。
仁清は伊万里に斬りかかろうとする兵をことごとく射抜き、伊万里を迎えた。
「…すまない…」
「まったく…」
仁清の言わんとする事は伊万里には分かった。
それでも伊万里の顔には反省の色が見られなかった。
(気持ちは分からなくはないけど…伊万里には火魅子になってもらわないと…)
火魅子にはなるつもりがない伊万里だったが、上乃や仁清は燃えに燃えていた。
それはともかく、二人は森に逃げ込むべく走った。
もう少しで森に入る…と言うところで伊万里は膝を落とした。
仁清は何事かと伊万里を見た。
顔が青くなるのが自分でもわかった。伊万里の太腿に矢が刺さっていた。走るには致命的
な傷だった。
仁清は伊万里に肩を貸して駆け足で歩き始めた。
伊万里達が向かっている方向から数人近寄ってくるのが分かった。
仁清は焦った。周囲の地面に乾いた音を発しながら矢が次々と刺さり始めている。
狗根国兵が追いついてきているのだ。
前から来ているのが敵ならば戦うしかない。
(だけど…そんな事してたら後ろの兵に追いつかれる)
「伊万里様!!」
前方から向かってきいる者からの叫び声だった。
すでに撤退していると思われた副官だった。
他にも三名ほど部下を連れているようだった。
二人は走るので精一杯だったので顔をはっきり確認する事はできなかったが重そうな立派
な鎧を着ているのは他に居ないのですぐにわかった。
副官は状況を把握したようだ。
「伊万里様達は早く森へ!!後は私達のお任せを!!」
叫びながら狗根国兵の一団に向かって走っていく。
「馬鹿!やめろ!!」
伊万里は悲痛な叫びを上げた。副官達を止めようとしたが、その叫びは耳に入っていない
かのように走り去っていった。
伊万里は悔しさのあまり下唇を噛んだ。
「伊万里!!早く!!あの人達の行為を無駄にしちゃ駄目だ!!」
仁清の喝が効いたのか伊万里は、遅くもながら歩き始めた。
そして森に入ろうとした所で二人の背後から絶叫が聞えた。
伊万里は一瞬足を止め…そしてまた歩き始めた。
伊万里の頬には涙が伝っていた……