周りには綺麗な草原…だった場所には狗根国兵の死体と血で染められていた。
その中で立っている人影が四つ。
伊万里を助けるべく狗根国の一団に特攻した副官達のものだった。
伊万里達を追撃した狗根国兵…その数は170ほどで、70は副官達よって10分も経たない間に切り捨てられた。
残りの兵士達は逃げていった。
伊万里と仁清が聴いた絶叫は副官達のものではなく、狗根国兵達のものだったのだ。
「ねえ、伊万里さんをあのまま置いてきていいの?」
鎧を着た他の者達より一回り小さな体格の兵士が副官に聞いた。
他の三人より立派な鎧を着た副官が答えた
「仕方ない…仁清君が一緒じゃなかったら助けるつも……どうした?」
少し気落ちしている副官は言い訳をしていると、三人は何やら異変に気づいたようだ。
副官以外の三人は兜を外した。
そこから出てきたのは人間にあるまじき兎の耳だ。
説明するまでも無く兎華乃、兎奈美、兎音の三人だ。
三人の耳はピョコピョコと左右に動き何やら探知をしていた。
「左道士達は兵達とは別行動らしいですね…兵達のいる場所とは別の三ヶ所に魔獣の気配を感じます」
冷静に意見を述べたのは兎音だった。
兎華乃も兎奈美も同じ意見だったらしく頷いて肯定した。
「そうか…なら少しはやりやすくなったな」
副官……の鎧を着ている九峪は、まだ少し沈んだ顔で呟いた。
九峪達が駆けつけた時には既に副官は戦死していた。
鎧は大きな傷がなかったので借りた。
九峪が、ここまでして来たのは伊雅に渡した竹簡には書いていなかった…亜衣達も気づいていない問題があったからだ。
物見に出ていた者達も気づいていないぐらいなので仕方が無い。
それが、左道士と魔獣の問題だ。星華達を助け出した時に左道士が二人も居た事を考えると、左道士は一般的に活用されるぐらいの数が揃っていると考えた。
今度の戦闘にも左道士が多数存在すると思って間違いない。
それを解決すべく九峪は、こっそり狗根国兵士として潜入して片付ける予定だった。
なぜ伊雅達に教えなかったかと言うと、第一にそんな兵力は何処にも無い。二つ目に自分だけが、のんびりと隠れ里なんか居られない。そんな理由だ。
だが、三ヶ所にも分けられているのは思わなかった。
いたとすれば狗根国の一団に一般兵士の中に紛れ込んでいるか、第三軍団の近辺に潜伏していると思っていた。
「三ヶ所って言うのは何処の辺りだ?」
「あっちとあっちとあっち」
兎奈美は第三軍団が潜んでいる方向と伊万里達が逃げていった方向と国府城を指で示した。
「な?!もっと早く言えよ!!兎華乃ちゃんは第三軍に!兎奈美は伊万里を追ってくれ!兎音は国府城へ行ってくれ。三人とも、魔人って事に気づかれるなよ。けど、誰かの命の危険が伴った時は別だからな。後、魔獣の片づけが終わったら国府城で合流だ」
早口で用件を言い終えた九峪は、地面に落ちた狗根国兵の鎧を取った。
その行動を見て不思議に思った。
「もう潜入はやめるんじゃないんですか?」
「ちょっと用事があってね」
兎華乃は納得できなかったが、それ以上追及しなかった。
魔獣達の気配が動き始めたのを感知して時間がないと判断したからである。
「後で詳しい話を聞かせてね〜」
九峪が頷いたのを見て兎華乃達は兜を被り直して指示された通りそれぞれ走っていった。
九峪は副官から借りた鎧を脱ぎ、地面に置き手を合わせた。
「すまない…」
副官を偽った事への謝罪…小さな声だったが悲痛に満ちた声でもあった。
(本当にすまない…だが今は時間がない…急がないと…)
九峪は慌てて狗根国の鎧を着た。
兜も被り、近くに落ちていた鞘に納まった剣を拾い上げ脇にさした。
(それにしても…兎華乃ちゃん達が居てくれてよかった…でも…なぜだ?…なぜ第三軍団の近くに?)
伏兵である第三軍団の近くに左道士が潜んでいないか来る途中で調べたが、左道士の気配は感じなかった。もちろん魔獣の気配も感じなかった。
兎華乃達も一緒だったのだから気づかないわけがない。
九峪は、それ以上考えるのをやめた。これ以上考えても堂々巡りになるだけだと思ったからだ。
(とりあえず…行くか…)
鎧を着替え終わった九峪は最後に副官の鎧に頭を下げ、走り去っていった。
「伊万里…しばらくここに隠れてて、後で迎えに来るから」
「ああ…今の私じゃ足手まといなだけだからな」
簡単な止血をしたが、まだ出血が止まらない脚を見て苦笑をして言った。
その顔は青く、疲れているようだった。肉体的にも…精神的にも。
「おとなしく、ここで待っててよ?」
「ああ…」
伊万里の返事を聞いた仁清は第三軍団に向かった。
仁清を見送ると伊万里は目を瞑り仮眠をとる事にした。
自分が考えているより、よほど疲れていたのか仮眠ではなく熟睡していまった伊万里だった。
(あらら…寝ちゃってるね…まあ、都合がいいけどね)
兎奈美は伊万里と距離をとってと魔獣が何処にいるかを探った。
何かを感じた兎奈美は慌てて前へ進んだ。
さっきまで兎奈美が居た場所に残影が残るほどの凄い速さで刀が地面に刺さった…いや…刺さったというほど可愛い物ではない…地面を切った。
「誰カト思エバ…兎奈美カ…マダ生キテイタノカ?」
「土羅久琉…なんであんたがこんな所にいるのよ〜魔獣の気配しかしなかったのに〜」
兎奈美は平然とした口調で話しているが、心の中ではかなり焦っていた。
土羅久琉は上級魔人で不死を売りに魔界でも顔を利かせている吸血種族を束ねる王の第一王子である。
(他の奴らならともかく…こいつを相手できるのは姉さんしかいない…)
土羅久琉は吸血種族の中でもトップクラスの強さを誇っている。
他の吸血種族なら再生ができないほど切り刻み、燃やせば終わりなのだが、土羅久琉はそうはいかない。
「答エル義務ハナイ…死ネ!!」
地面を斬ったままの形で置いていた刀を持ち上げた…その瞬間には土羅久琉の姿は無く兎奈美の背後にいた。そして頭上から兎奈美の身体を真っ二つにしようと剣は振り下ろされた。
それを兎奈美は腰についていた剣で受けた。受けた瞬間に折れたが避ける時間稼ぎにはなった。
兎奈美は鎧を着たままだった…兎奈美の武器は鎧の下…しかも背中にある。
(…どうしたらいいかなぁ…鎧を脱ごうにも…ねぇ…しかも相手は斬っても死なないし…)
泣きたい気持ちを必死にこらえた。
「クックックック…重ソウナ鎧ダナ」
(こいつ…分かってていってるなぁ!)
土羅久琉は兎奈美が武器を持てない理由を察して嫌味を吐いた。
「ダガ…手加減ハセン!!」
次から次へと繰り出される斬撃に紙一重で避ける兎奈美、身体には届いていないが鎧は既にボロボロになる。
少し余分な力を入れたら鎧が外れるぐらいまでになっていたが、余分な力を入れる暇などは与えてくれるはずもない。
「クックック…イツマデ避ケラレルカナ?!」
さらに斬撃が速くなり、兎奈美の身体を少しずつ傷つけていった。
(このままじゃ…もしかしてやばい?)
まだ能天気な考え方ができるほど余裕だから大丈夫だろう。
時を同じくして兎華乃は嫌な奴とご対面した。
「……なんで、お前がこんなとこにいるのよ」
薄気味悪い骸骨…と言えばあの人…
「グッグッグ…この蛇渇をお前呼ばわりするのは、そなたと紫香楽ぐらいのものじゃな…」
薄気味悪い笑い声が響く。
兎華乃のいつものような子供っぽい表情は無く、魔人として…魔兎族の女王として相応しい顔つきになっている。
「お前と世間話なんぞしたくない」
「グッグッグ…ワシはそなたと戦いたくない…取引といこうではないか」
「………」
蛇渇の言葉に反応を示さずに次の言葉を待った。
「今回は見逃してくれぬか?それと引き換えは…兎奈美の命と、この戦争は手出ししない…これでどうじゃ?」
「わかったわ…今回は見逃そう…」
決断は早かった。兎奈美が土羅久琉と戦闘をしているのを感知している。
(兎奈美じゃ土羅久琉は倒せない)
その返事を聞き終えると懐から札を出して何やら唱え始めた。
札は鳥になり何処かへ飛び立っていった。
「グッグッグ…これで大丈夫だ…でわ、御機嫌よう」
「その前に質問があるわ」
「グッグッグ…ワシとそなたの間柄じゃ…なんなりと申せ」
「左道士達は何処にいるの?」
「グッグッグ…国府城じゃ…耶麻台国残党なんぞワシ一人で十分じゃからな…城に残してきたのじゃ」
そう言い終えるか終わるまいかには、足元が消え始めて少しずつ消えて蛇渇の姿が完全に消えるまで兎華乃は目を離さなかった。
完全に消え終わると辺りを見回して、ため息をついた。
(全く……嫌な奴に会ったわね…兎奈美は大丈夫かしら?…それと…こんな物、置いていかないでもらいたいわ)
周りには60体近くの魔獣がいた。その中に何体か魔人も混ざっていた。
兎華乃からすれば下級魔人は魔獣と大して変わりがない。
魔獣や下級魔族は知力が低く、欲望に忠実である。
兎華乃を獲物と判断した魔獣達であった。
(身の程を知りなさい…)
次の瞬間、魔獣達は一斉に兎華乃に襲い掛かった。
結果は言うまでも無いだろう。
(いたたたた……体中が痛い……)
兎奈美は鎧を脱いで、いつもの…水着のような戦闘服で地面に座っていた。
土羅久琉は、蛇渇の放った鳥により言伝を聞き、何処かに去っていった。
魔獣もいたが土羅久琉は低脳な奴らは邪魔だ、と言うことで兎奈美と会う前に殺されていた。
今は治療に専念している。上級魔人の再生能力は恐ろしいほど速い。だが、土羅久琉が持っていた刀は特別な物で対魔人用に作られている物で再生能力を著しく下げる。
兎奈美や兎華乃、兎音が持っている武器も対魔人用なのだが、不死である吸血種族には効果が薄い。
(それにしても…なんで土羅久琉がいるんだろ?)
思案していると誰かがこちらに急接近している事に気づいた。
戦闘の構えをしたが…接近している気配は良く知っている者だった。
「姉さ〜ん」
血だらけの兎華乃の姿が見えたので手を振って元気な声で呼んだ。
兎華乃は少し安心した面持ちで歩いて近寄った。
「大丈夫だった?」
「うん…と言いたいけど…結構痛いかな」
兎奈美は苦笑を漏らして、兎華乃を見た。
なぜか不機嫌な顔をしている。
兎奈美はどうしたのかと聞こうとする前に兎華乃は口を開いた。
「蛇渇と会いました」
あまりに意外な言葉に兎奈美は目を見開いた。
兎奈美の顔に一瞬だが憎しみの感情がよぎった。
と同時に土羅久琉がこんなところにいたのも納得した。
「…で、どうしたの?」
「今回は見逃してやったわ」
兎奈美は怪訝な顔をしていたが、それ以上のことを聞こうとは思わなかった。
兎華乃も訊かれても答えるつもりは無かった。
もし自分のせいで逃がした事を知れば、兎奈美が傷つくと思ったからである。
「お姉ちゃん…これからどうするの?」
「九峪さんが言ってた通り国府城に行くわ…とりあえずは休憩をしてからね」
「ありがと、流石にすぐは動けないよ」
兎奈美は兎華乃に感謝をしながら、地面に寝そべった。
それに倣うように兎華乃も横になった。
兎華乃は別に疲れていなかったが、他にする事がなかった。
多李敷率いる第三中隊、第四中隊、親衛隊は耶麻台国残党達の姿をギリギリ見える程度に距離をとりながら追撃していた。
逃げられる恐れがあったが、耶麻台国残党に与えた被害は少ない、あまりにに鮮やか過ぎる撤退。
(それの意味を指すところは…やはり伏兵か…)
伏兵に備えて進行をしていると、やはり速度が遅れてしまい、
そこに副官…じゃなくて九峪達に撃退され、逃げ果せた兵士達が合流した。
そして、合流した兵士達から報告が入った。
「なに?!……わかった…全軍とまれ!!…」
軍の進行を止めて、多李敷は考えた。
4人によって70人の兵士が撃退されるなど…普通ではありえない話である。多李敷が信じられるはずがない。
兵士達は少数の精鋭兵達による奇襲を受けて錯乱状態に陥った…と多李敷は判断した。
(『火』の旗は兵を集める為の囮と言うことか…)
そして、まだ錯乱状態が残る兵士100人をどうするか悩んだ。
(本来なら…後方待機だ…だが、兵数は第三中隊八十、第四中隊九十、親衛隊は無傷…伏兵は五百程度だろう…撤退していった部隊も含めると八百はいるだろう…)
「よし、第三中隊に二十、第四中隊に十、残りは親衛隊に組み込め!」
多李敷は兵士に言い、兵士はそれを聞き頭を下げ伝令に走った。
自分達は倍以上の敵と戦おうとしている。
勝算はあった。真正面で戦いを挑んできたとしても武具の差、修練の差はそう簡単に埋まる物ではない事は多李敷は良く知っていた。
奇襲が間違いないと思っている多李敷からすれば、相手がいくら奇襲を仕掛けてきたとしても真正面から戦うのと変わりがない。
後は、兵数だけである。
錯乱状態である兵士達を部隊に加えるのは賭けではあった。
それでも、被害を少しでも抑える為には仕方なかった。
(それに…味方の圧倒的な戦いを見れば落ち着くだろう)
この選択が大きな敗因になる事を多李敷は知るよしも無かった。
編成は終わり、進行を開始した。
残党の姿は既に見えなくなっていた。
多李敷はこの辺りの地形は詳しかった。
奇襲をかけて来る地点は既に見当がついているので慌てなかった。
そして奇襲を仕掛けてくると思われる地点に差し掛かったところで…
「た、多李敷様!!」
「なんだ!!敵が現れたか!!」
「我々の中に乱破が紛れ込んだようです!!皆は疑心暗鬼になり、敵味方問わず斬りあっております!」
「何?!」
多李敷の耳にも鉄と鉄が同士が衝突して奏でる音が耳に入った。
「ぐわ!」
「やめ…ぎゃ!」
多李敷の周りにいる兵士達も斬り合いを始めた。
「静まれ!!静まれ!!」
多李敷は混乱を収めようとした。
そして凄まじい音が鳴り響いた。
多李敷は不意を突かれて地面に倒れこんだ。
砂塵で視界が悪くなり、何が起こっているのかわからなかった。
続けて凄まじい音が、また鳴り響いた。
そこでやっと多李敷は気づいた。空中で何か飛んでいるのを。
気づいたが、それに対応しようとする前に森の方から土煙が上がっている。
「ぐは!!」
周りにいた兵士が何人か矢の餌食となった。
それに加えて方術まで打ち込まれ、第三中隊は更に混乱した。
「て、敵襲!!」
「言わなくてもわかっている!!…くそ!」
多李敷は『敗北』と言う字が頭に浮かんだ。
頭を左右に振って払いのけて、指令を出すべく起き上がった。
「親衛隊!!前へ出て応戦!!第四中隊は退いて混乱を収めろ!第三中隊も下がれ!!」
親衛隊も混乱はしていたが実際に混乱していたのは、後で追加になった部隊だけであった。
親衛隊は多李敷の信頼持った者だけで構成されていた。実力も他の部隊より格段に上だった。
親衛隊は前線に移動して他の部隊を庇う様に敵を迎え撃った。
第三中隊、第四中隊共に後退していく。
この時点で第三中隊は60人、第四中隊80人、親衛隊は70人程度まで減少していた。
(予想より…数が多い!!)
敵兵を叩き切りながら感じた。
他の部隊が立ち直るのが早いか、親衛隊が全滅が早いか微妙なところだった。
「兵達よ!!まだ我らには有利なり!!相手はしょせん残党だ!!恐れる事は無い!!」
「「「おぉ〜〜〜〜〜〜〜!!」」」
兵士達は雄たけびを上げて勢いを増した。
(最後の最後まであきらめはせん!!)
「どうやら成功したらしいな…これからは亜衣さん達次第だな」
九峪は多李敷の部隊より少し山に入ったところで眺めていた。
本当はもっと混乱させる予定だったのだが、思ったより飛空挺の爆撃が早かった。
親衛隊が前面に出て対応している。
(負けはしないだろうが……被害が大きくなるな……)
敵の抵抗が思ったより激しいのを見て思った。
(助っ人に行くか…けど、鎧がこれじゃ駄目だろうな)
紫色の鉄鎧を着ている自分の姿を見て思った。
「ハァ!!!」
突然背後から、かけ声が聞こえて何かが風を切る音が耳に入ってきた。
九峪は慌てて振り返って目に飛び込んできたのは…脚だった。
(中々綺麗な脚…じゃなくて!!)
慌てて上半身を後ろ向きに折り曲げ回避したて、その蹴りはあった木を蹴った。
信じられない事に蹴った場所が粉々に消し飛んだ。
(おい…ちょっと待て…それはインチキだろ…)
そんな事を考えつつ蹴りを繰り出した張本人に目を向けた。
(チャ…チャイナ服?!)
チャイナ服…この世界では魏服と言うが…を着た女の子だった。
「あなた…強いあるな…」
自分の蹴りを避けられてかなり警戒している。
(全く…そっちから仕掛けてきておいて…それほど警戒するなよ)
また風を切る音が聞こえた。
しかも、また後ろからである。
「ちっ!」
自分の腹部に向かって来ている脚をみた。それは、先ほどの蹴りより鋭い。
九峪は避けられず、胴に蹴りが入った。
その結果、九峪は吹き飛ばされ木に当たって止まり崩れ落ちる。
「やったあるか?」
「いえ、終わっていません」
九峪を蹴り飛ばしたのも、また女性だった。
こちらの女性も魏服を着ていた。女性は腰に隠していた覇璃扇を取り出した。
「そ、それを使うのか?!」
女の子は驚きの声を上げた。
「えぇ、あの兵士…強い…そろそろ起き上がったらどうです?」
「貴方ぐらいの腕を持った方ならわかるでしょうね」
平然と、何事も無かったように九峪は起きあがってズボンについた土を手で払った。
傷一つない九峪を見て目を丸くする女の子、笑みを漏らす女性。
「母上の蹴りをもらて無傷あるか?!」
「香蘭…まだ修行が足りないわね」
九峪は蹴り飛ばされたのではなく、蹴りが当たった瞬間自分で跳んだのである。
あまりにも鋭い攻撃だったので派手に飛ぶ事になっただけである。
(貴方達親子だったんですか?!姉妹と思ってた…)
九峪は命のやり取りをしている場面では場違いな考えをしていた。
香蘭は攻撃を仕掛けるべく走ろうとしたが女性が手で制した。
「あなたでは勝てないわ」
女性にキッパリと言われ、香蘭は少し落ち込んだようで肩を落としている。
香蘭は分かっていた。女性が覇璃扇を出した時点で自分が敵わない事を、それでも悔しいものは悔しい。
(俺は…戦いたくないんだけど…あの女の人強いし…)
九峪は二人に注意を払いながら、どうやって逃げるか考えていた。
微かだが森の茂みの葉のすれる音が耳に入った。
気に掛かったが女性が動いた事で、そちらに気を配る事ができなくなった。
女性の左手は脇腹にボディーブローをする様に襲い掛かった。
九峪は素早い動きで左手を潜って懐に入って女性の腰の少し上辺りに手の平を当てた。
「ぐっ!!」
女性は痛みのあまりにうめき声を上げた。
何が起こったのか分かっていない香蘭は九峪に注意を払いつつ女性に走りよった。
「母上!!大丈夫か?!」
「えぇ…大丈夫…」
そうは言っているが、女性は片膝を落としたままなので大丈夫じゃない事は分かる。
女性は九峪の手を当てられた横腹に自分の手を当てている。
「怪我は無いはずだけど…あまり無理しないでくださいね…」
まさか狗根国兵にそんな事を言われるとは思ってなかった香蘭と女性はお互いの顔を見合った。
二人に隙が生まれた。その隙に乗じて逃げる事にした。
香蘭達は九峪を追いかけようとはせず、
九峪は国府城に向かうべく木から木へ飛び移って行く。
二人と少し離れ、木の枝から枝へ飛び移ろうとした時、また何か空を切る音が耳に入ってきた。
それは九峪が聴きなれた音に近い。普通の人間には捉えれないが九峪の目は捉えていた。
正体は…極細の糸だ。この世界では鋼糸という…九峪の使うワイヤーよりは耐久性が落ちるが殺傷性は格段に上だ。
鋼糸は、九峪の脚が枝から離れたところを狙って襲ってきた。
避ける事は出来ない。
「…よっと」
鋼糸の一本を掴み、他の鋼糸に絡ませた。
茂みの気配の正体は鋼糸使いのものだったようだ。
「……え?!」
茂みの方向から小さな驚きの声が聞こえてきた。
九峪は茂みに向かって話しかけた。
「いい腕だね。だけど、攻撃が素直すぎるよ」
返事が返ってくるとは思っていないので忠告をしてすぐに移動を再開していなくなった。
九峪の姿が見えなくなったのを確認すると茂みに隠れていた人が香蘭達に近づいた。
「……紅玉さん…大丈夫?」
茂みに隠れていたとのは子供だった。
鋼糸を使って九峪に攻撃を仕掛けたのは彼女だ。鋼糸の攻撃を見事に見破られてショックだったのか少し落ち込んでいた。
やっと立ち上がった女性…紅玉は少女に笑顔で答えた。
「えぇ、大丈夫です…それより珠洲ちゃんも大丈夫?」
落ち込んだ様子の少女の名は珠洲。
日頃は感情を表に出さない珠洲が誰が見ても分かるぐらい落ち込む事は珍しい。
「『ちゃん』はいらない…」
会ってからずっと言っているのだが紅玉にはなぜか弱い珠洲だった。
普段は冷たく、尖った言い方をするのだが、今回は棘も切れ味も無い。
「おぉ!!珠洲が落ち込んでいる!!母上!!明日は槍が降るあるね!!」
いつもなら紅玉が覇璃扇で香蘭を止めるのだが今の紅玉にはできなかった。
珠洲は今までに無いぐらい感情を捨てた冷たい表情で香蘭をみた。
それでも香蘭には通じた様子も無く、ニコニコと笑っている。
ドガン!!
少々遅れて紅玉の覇璃扇は香蘭の頭部に炸裂した。
「うぅ……い、痛いあるよ…」
「でわ、珠洲ちゃん。座へ帰りましょうか」
「別にいいけど…耶麻台国に助っ人に行かなくていいの?」
「今から参戦したら余計な混乱を起こすかもしれませんし、敵と間違えられて攻撃されるのも嫌なのでやめておきます」
(それに傷も治さないと…まさか発頸が使える者がいたとは…しかも変わった発頸だから用心しないと…)
紅玉ほどの使い手なら普通の発頸を受けても反撃ぐらいはできるし、普通に動ける。
九峪が使った発頸は違った。身体が動けなくなり、苦痛はあるが外傷はほとんどなかった。
外傷はほとんどないと言うのは、紅玉だからである。普通の人が喰らえば二、三日は寝込むぐらいの威力がある。
珠洲はそれ以上何も言わず国府城へと歩き出し、紅玉は香蘭の肩を借りて珠洲についていく。