桜が世界のすべてを彩っている光景が、記憶の片隅にあった。
あれはいつだったろう・・・・・・そう、遠くない記憶のはずだ。
ボクたち3人がまだ一緒だったころ。まだ幼いと呼ばれるような時代だったと思う。
「これで義務教育もしゅーりょー」
ボクのすぐ隣で姫島が両手を突き上げている。明るくて元気な、まるで真夏の太陽を思わせる少女。
「やあっと自由の身になれるな」
彼女の隣を歩いている雅比古も肩をすくめている。やれやれと口でいっているけど、なんだか嬉しそうで、それもまた太陽に似た笑顔をしている。
桜並木を歩くボクたちと同じように、たくさんの人が歩いている。みんな統一された制服をきて。
そう——今日は、ボクたちがついに迎えた中学生最期の日だ。満開の桜が綺麗な小春日和。
この桜並木のした、卒業証書をうけとったボクたちは、自分の足で最期の卒業にのぞんでいる。
「なんつーか、長くもあり短くもあり」
「なにカッコつけてんのさ。アンタ寝てばっかだったじゃない」
「ば、バカ! ちゃんと聞いてたっつーのッ」
「真面目にやっててあの成績だったんなら切ない話よね。こりゃ先生も涙目になるはずだわ」
はぁっと姫島がため息をこぼす。でもそれは呆れたとかでなく、ただからかっているのがわかる。
それでも雅比古が大げさに反応するんだから、いつもボクは間に立って仲裁する。
「でもさ、合格できたんだから雅比古はよくやったよ」
ボクのフォローに雅比古が振りむく。
「だろ? ほらな日魅子、晶はちゃんとオレの勇姿を見てたぞ」
「ちょっと矢野! ここで甘やかすんじゃないわよ。ま〜たコイツ、調子にのるんだから」
「ちょ、おま、誰が調子に乗ってんだよ!」
「アンタよアンタ! それ以外にだれがいるっていうのよ?」
「ほらほら、姫島もさ、もうそこまでにしときなよ。じゃないと雅比古、入学してすぐに登校拒否になるよ?」
「お、オマエな〜・・・・・・オレの味方なのか日魅子の味方なのか、はっきりしろよ」
ジロリと睨んできた顔がくっきりと苦みばしっている。
だけどどっちの味方っていわれたら・・・・・・
「うーんっと・・・・・・姫島?」
ボクは考える素振りでそう答えた。
すると雅比古ががっくり肩を落とした。反対に姫島はにこにこと笑顔になって、なんども頷いている。
恨めしくおどろおどろしい視線がボクを貫く。
「親友を裏切りやがって・・・・・・」
「仕方がないね。アンタバカだもん」
「オレはバカじゃ——ってオマエも否定しろよ!?」
「あ、いや、うん。いくらなんでも言いすぎだよ、姫島」
「じゃあ頭いい?」
「・・・・・・」
ボクはすぐに答えることが出来なかった。
「ほらね」
「あ〜き〜ら〜」
スゴイ睨んでくるけど、しかたないだろ・・・・・・ほんとのことだし。
とは流石にいえない。これでも親友で、ボクだって立ててやりたいのは山々なんだ。
ちょっと躊躇っていると、雅比古の腕がボクにのびてきた。首根っこをしっかりホールドされてしまう。
ビックリしている間にも背中をとられ、チョークスリーパーがきめられる。
「俺たち親友だよなぁ〜!?」
「し、し、しーーーッ!」
声にならない声を上げて抵抗するけど、なかなか拘束はゆるまない。あたかもそこがプロレスのリングに様変わりしたようだけど、あんがい周りの男子たちも似たような事をしていて、これは誰も助けてくれそうにないなとなかば諦める。
じっさいそこまで苦しくもないから、ちょっとした遊びだけど。いまボクに技をきめてる本人だって本気じゃないし、素人の技で気を失うことだってない。
姫島が「なにやってんだか」て表情でこっちを見ているのもわかった。
「わっ」
ふいに拘束がとける。雅比古がなにやら呻いている。
「どうしたの?」
俯く雅比古を姫島が覗き込み、ボクも心配になった。
「く、口んなかに・・・・・・」
「くち?」
姫島が首をかしげたけど、ボクにはすぐにわかった。
「桜の花びらがはいったんだ?」
「そうっぽい・・・・・・うえぇ」
ぺっぺって花びらを吐き出そうとするけど、口の中でぴったり張り付いた小さな花びらは簡単に出てきてくれない。
しばらく小さな敵と格闘するも「あっ」と声を上げて、動きを止めた。
ちょっとだけ困った顔をしている。
「どしたの?」
姫島の質問に、苦いものでも飲んだみたいに
「のみこんじまった」
と小さく答えた。
「なんか、腹にわるそうだ・・・・・・」
「大丈夫だよ。桜の花びらは毒とかないから」
「でも雑草と同じだろ?」
いくらなんでもそれは桜に対して失礼じゃないか?
「ほら、マンガとかにもお酒に花びらを浮かべたりしてるよ? 桜餅だって、桜の葉をまいてるんだし」
「そういや、そうだな」
「雑菌とかならあるかもしれないけど」
「オイッ!!」
余計な一言に雅比古がツッコミをいれてくる。すぐに反応を返せる雅比古はお笑い芸人になればいいと思う。
それから取りとめもない会話に花を咲かせながら、ボクたちは桜並木を歩いて行く。登校と下校のときは必ず通る道。
たった3年間をともに歩みんできたボクたち3人は、いったいどれだけここを往復してきたのかな——
数え切れないほど一緒にいたような気がする。ボクたちは友達で、最高の友達で。
楽しく笑いあう2人からすこし離れて、ふと空を見上げた。
風情とか風流とか、そういう古典的な感性はもたないけれど、はかない美しさに漠然と酔いしれる。舞い散る桜の花びら、そのひとひら々々を風と舞い踊っている。
——こういうのを花吹雪っていうのかな。
すこし違う気もするけど、なんだっていい。美しいのなら、その意味に理由なんていて要らないんだ。
「あ——九峪。ちょっとあたま下げて?」
すこし前を行く姫島の細い腕が雅比古の肩を掴んだ。それをグッと引き寄せて、背伸びをする。
「あたまの上、花びらだらけになってるわよ」
「マジ?」
「とってあげるから、ちょっとかがみなさいよ」
といいながらも、すでにその手は雅比古の頭を撫でている。
ひらり
ひらり
うす赤色の花弁が払いのけられる。
まるで幼子をあやすような優しい手つき。その表情も慈愛にみちていて、普段の活発な彼女とは別人のようで。
——なんとなく、ボクはからだの奥底が痛むのを感じていた。
「肩にものっかってるじゃない」
そういって小まめに雅比古の肩を叩く姿も、桜のコントラストによく似合っている。
ボクは、ただ1枚の絵画を思わせるような光景に見とれて、瞳と——心を奪われてしまった。
それから姫島がボクの方を振り向いた。
「矢野のあたまもスゴイことになってるわよ?」
「え、あ・・・・・・」
きっとボクにも同じようにしてくれたんだろうな。
だけどなぜか、そうしてくれる前にボクは自分であたまをはたき、桜の花びらを追い散らした。でも焦っていたから上手く落とせなかった。
くすくすと姫島が笑っている。
すっとボクの前に立って、肩に手を置いて背伸びをして——
「ほら、かがみなさいよ」
ボクは素直に従う。
——姫島の手って、こんなに暖かかったんだ。
しらなかった。考えてみれば、女の子に頭を撫でられるのも初めてだ。
「アンタたちも大きくなったわよね」
よしっと姫島が離れる。すっかり花びらを落とされてしまった。それが少しだけ残念だった。
「入学したときなんか、あんまり差もなかったのにさ。気がついたら10センチも違うんだもん。中学辺りから違ってくるって聞いたことあるけど、ホントなのね」
いわれてみればそうかもしれない。ボクは165センチ、雅比古が172センチ、そして姫島が152センチ。
雅比古と姫島なんか、ちょうど20センチも身長がはなれているんだ。
昔はボクのほうが少しだけ大きかったけど、すっかり追い越されてしまった。
「アンタでかくなりすぎじゃない? なに食ってんのよ?」
姫島の疑問はボクも気になる。
「なにって・・・・・・別になにも?」
「うそ言いなさいよね! アンタだけ大きくなるっておかしいじゃない!」
だよねー。うんうん。
「あたしなんかぜんっぜん伸びないのに!」
火を噴きそうなほど大口で罵る姫島に、どうしたもんかと困る雅比古。
ボクは172センチの姫島を想像して——そこに映る姫島は、なにかの雑誌に載ってそうなグラビアアイドルみたいにスタイル抜群の姿をしていた。
——って何考えてんだ、ボクは!?
あわてて頭の中の姫島を追い出すけど、目の前でわあわあわめいている姫島を見ると、すぐに帰ってきてしまう。
「——? なに赤くなってんのよ?」
「へッ?」
きょとんと瞳をまるくさせた姫島がボクを見つめている。
「あ、うあ、ううん・・・・・・なん、でもないよ」
「・・・・・・ふーん?」
「ただちょっと・・・・・・」
恥ずかしさと疚しさを誤魔化したくて、美しい空を見上げた。
「キレイだな——・・・・・・て、思ってさ。なんだか少し興奮してるみたい」
——本当はキミを見て興奮してたんだけど。
なんてことは口が裂けようが人類滅亡しようが、絶対にいえないけど。
ただボクは、春のそよ風と無邪気に舞い踊る桜の美しさの中に、姫島がみせてくれた優しいキレイをうまく隠した。
つられるように雅比古と姫島も見上げる。桜は満開だけど、もう散り始めている。
桜のシャワーとか例える人もいるけど、これはぜんぜんシャワーなんかじゃない。あんな、ただ叩きつける無機質なものと組み合わせるのは、桜のもつ優しさに気づいてない人間の気持ちだと思う。
だって、ほら——こんなに柔らかい、包み込むように舞い散るくせに、風が吹くとどこかきままなネコみたく、ひらりはらりと跳ね上がっているんだから。
ただ落ちるだけのシャワーなんかと一緒になんかできない。
「——ねぇ、桜の花言葉ってしってる?」
うっとりと見惚れるような横顔が、しずかに桜をおっている。
両手をそっと重ねると、そこに1枚の気まぐれな花びらが舞い降りた。姫島はそれを見つめている。
「『純潔』とか『淡白』とか、あと『優れた美人』とか」
ふうっと姫島が吐息を吹きかけて、花びらがふたたび空を舞い踊る。
ボクはじっと姫島の横顔を見つめている。
目が、はなせないんだ。
「・・・・・・詳しいんだね。ちょっと意外だよ」
だって彼女はいつも元気で、じっとしてられなくて、やんちゃな上にじゃじゃ馬で。
活動的な雰囲気と花言葉はあんまりにも意外に感じられた。
「あたし桜って好きなんだ。チェリーブロッサムって響きもいいしキレイだし、なんていうのかな・・・・・・私にないいろんなものを、沢山もってそうで」
「『純血』とか『優れた美人』とかか? そりゃ足りてないな」
くっくっと雅比古がいたずらな笑みを浮かべて、花びらを指先ではじいた。でもするりと花びらは指の周りを踊って、また風とともに舞っている。
くるくる くるくる と。
「まぁ人間、ない物ねだりが好きだしなぁ」
「雅比古もねだってばかりだけどね」
「うるせぇ!」
図星を指された雅比古が向うへ顔をそむけた。
たしかに普段の姫島を桜に例えるのは難しいかもしれない。それよりはむしろヒマワリとかのほうが似合う。
だけど、桜だって良いんじゃないかなとボクは思う。さっき、雅比古のあたまに乗った桜を払っていたときの彼女は
——とても、キレイだったから。
思い出したらまた顔が赤くなってきて、ボクは顔を俯けた。落ちた花びらが踏みしめられて無残な姿を晒して。
それが何だか痛々しい。姫島が好きだといっていた桜が。
ただ、ふっと、ボクの足が止まる。膝を曲げて、ボクはそれをつまんだ。
「——あは」
無性に嬉しくなった。なんでだろう、自分でもわかんないけど。
ぐしゃぐしゃになってしまった亡骸のなかで、このひとひらだけが美しいままだった。
「雅比古、姫島」
ゆびさきでつまみあげて小走りにかける。振り向いた2人に向かってそっと差し出す。
「なんだコレ?」
「花びらでしょ」
「いや、それはわかってんだけどよ」
「だからどうしたんだよ?」と雅比古が尋ねてくる。姫島も似たような顔をしていて、さきほどのボクと同じような感動はなにもないらしい。
それはそうだ。いきなり花びらをみせられても「だから?」で終わらせられる。ボクだってそうしていただろう。
でもこの時、言いようもない嬉しさがボクの中で芽生えていて。
「姫島、これあげるよ」
わけのわからない言葉を、そのときボクは口に出していた。
「え?」
口をぽかんとあけ、瞳はきょとん。
まん丸な瞳がボクを見つめて、ボクの瞳も姫島だけを見ている。
——何かいわないと。
「桜がすきだっていってたから・・・・・・」
自分で言っておいて、雅比古じゃないけど「だからなんだ?」て感じ。
意味がわかんない。
ほら、目の前の姫島もどうしたもんかと困ってる。
なかなか受け取ってもらえなくて、次第にこころが焦れていく。姫島も困ってるだろうけど、正直、こんなことをしてるボクも困った。
すると、雅比古がなにかニヤニヤと笑顔を浮かべながら顔を出してくる。
「受け取ってやれよ」
「え? え?」
「いいから」
困惑している姫島の背中を優しくおして、やっぱりニヤニヤ。
ボクはますます顔が赤くなった。なんでかは——やっぱりわかんないけど。
「あ・・・・・・じゃあ・・・・・・」
おずおずとボクから、ちいさなうす赤色の花びらを受け取る。両手で包み込む仕草がとても優しくて。
「・・・・・・ありがとう」
「——ッ!」
いままで感じたことのない何かが、ボクを少しずつ支配していった。
そんなボクたちを、雅比古は面白そうに眺めている。
それから、またいつもどおりに。
雅比古と姫島は仲良くおしゃべりしてるけど、そこにボクはいなかった。
——なんであんなことしたんだろう。
穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。急に黙り込んだボクを姫島はすごく心配してくれてたけど
「いまはそっとしといてやれよ」
訳知り顔で雅比古がいったから、ほんとうに姫島はボクをそっと——放置した。
——なんだろう、この感じ。
ふわふわして、春日のように暖かい。こころを包み込むこの感触が、まるで空気に浮かんだような心地をしている。
少し前、雅比古はボクに内緒話をするようにして、
「ま、そんなこともあるさ。今は気にしてなくても、そのうち気づくんじゃねえか?」
なんて意味深なことをボクに言ってきた。
雅比古はしってるのかな、この不思議な心地よさを。だとしたら教えてほしいけど。
きっと笑顔で教えてくれない。そんな予感がしている。
でも。
——いつか気づくことなら、もうちょっと待ってみようかな。
この、出会ったことのない感情を。
「ちょっと矢野、おいてくわよ?」
姫島がボクを呼んでいる。きがついたら随分と距離が広がっていた。
「ごめん」
ボクは早足で2人に追いついた。
ボクたちの中学3年間が終わった。いま、桜並木を歩むボクたちは、新たな3年間を生きるんだ。
そこで出会う、かけがえのない気持ちが、きっとキミヘ贈った花びらの意味をボクに教えてくれるはず。
だから。
ボクはそれがいまから待ち遠しかった。
君ヘ贈るチェリーブロッサム Fin
あれはいつだったろう・・・・・・そう、遠くない記憶のはずだ。
ボクたち3人がまだ一緒だったころ。まだ幼いと呼ばれるような時代だったと思う。
「これで義務教育もしゅーりょー」
ボクのすぐ隣で姫島が両手を突き上げている。明るくて元気な、まるで真夏の太陽を思わせる少女。
「やあっと自由の身になれるな」
彼女の隣を歩いている雅比古も肩をすくめている。やれやれと口でいっているけど、なんだか嬉しそうで、それもまた太陽に似た笑顔をしている。
桜並木を歩くボクたちと同じように、たくさんの人が歩いている。みんな統一された制服をきて。
そう——今日は、ボクたちがついに迎えた中学生最期の日だ。満開の桜が綺麗な小春日和。
この桜並木のした、卒業証書をうけとったボクたちは、自分の足で最期の卒業にのぞんでいる。
「なんつーか、長くもあり短くもあり」
「なにカッコつけてんのさ。アンタ寝てばっかだったじゃない」
「ば、バカ! ちゃんと聞いてたっつーのッ」
「真面目にやっててあの成績だったんなら切ない話よね。こりゃ先生も涙目になるはずだわ」
はぁっと姫島がため息をこぼす。でもそれは呆れたとかでなく、ただからかっているのがわかる。
それでも雅比古が大げさに反応するんだから、いつもボクは間に立って仲裁する。
「でもさ、合格できたんだから雅比古はよくやったよ」
ボクのフォローに雅比古が振りむく。
「だろ? ほらな日魅子、晶はちゃんとオレの勇姿を見てたぞ」
「ちょっと矢野! ここで甘やかすんじゃないわよ。ま〜たコイツ、調子にのるんだから」
「ちょ、おま、誰が調子に乗ってんだよ!」
「アンタよアンタ! それ以外にだれがいるっていうのよ?」
「ほらほら、姫島もさ、もうそこまでにしときなよ。じゃないと雅比古、入学してすぐに登校拒否になるよ?」
「お、オマエな〜・・・・・・オレの味方なのか日魅子の味方なのか、はっきりしろよ」
ジロリと睨んできた顔がくっきりと苦みばしっている。
だけどどっちの味方っていわれたら・・・・・・
「うーんっと・・・・・・姫島?」
ボクは考える素振りでそう答えた。
すると雅比古ががっくり肩を落とした。反対に姫島はにこにこと笑顔になって、なんども頷いている。
恨めしくおどろおどろしい視線がボクを貫く。
「親友を裏切りやがって・・・・・・」
「仕方がないね。アンタバカだもん」
「オレはバカじゃ——ってオマエも否定しろよ!?」
「あ、いや、うん。いくらなんでも言いすぎだよ、姫島」
「じゃあ頭いい?」
「・・・・・・」
ボクはすぐに答えることが出来なかった。
「ほらね」
「あ〜き〜ら〜」
スゴイ睨んでくるけど、しかたないだろ・・・・・・ほんとのことだし。
とは流石にいえない。これでも親友で、ボクだって立ててやりたいのは山々なんだ。
ちょっと躊躇っていると、雅比古の腕がボクにのびてきた。首根っこをしっかりホールドされてしまう。
ビックリしている間にも背中をとられ、チョークスリーパーがきめられる。
「俺たち親友だよなぁ〜!?」
「し、し、しーーーッ!」
声にならない声を上げて抵抗するけど、なかなか拘束はゆるまない。あたかもそこがプロレスのリングに様変わりしたようだけど、あんがい周りの男子たちも似たような事をしていて、これは誰も助けてくれそうにないなとなかば諦める。
じっさいそこまで苦しくもないから、ちょっとした遊びだけど。いまボクに技をきめてる本人だって本気じゃないし、素人の技で気を失うことだってない。
姫島が「なにやってんだか」て表情でこっちを見ているのもわかった。
「わっ」
ふいに拘束がとける。雅比古がなにやら呻いている。
「どうしたの?」
俯く雅比古を姫島が覗き込み、ボクも心配になった。
「く、口んなかに・・・・・・」
「くち?」
姫島が首をかしげたけど、ボクにはすぐにわかった。
「桜の花びらがはいったんだ?」
「そうっぽい・・・・・・うえぇ」
ぺっぺって花びらを吐き出そうとするけど、口の中でぴったり張り付いた小さな花びらは簡単に出てきてくれない。
しばらく小さな敵と格闘するも「あっ」と声を上げて、動きを止めた。
ちょっとだけ困った顔をしている。
「どしたの?」
姫島の質問に、苦いものでも飲んだみたいに
「のみこんじまった」
と小さく答えた。
「なんか、腹にわるそうだ・・・・・・」
「大丈夫だよ。桜の花びらは毒とかないから」
「でも雑草と同じだろ?」
いくらなんでもそれは桜に対して失礼じゃないか?
「ほら、マンガとかにもお酒に花びらを浮かべたりしてるよ? 桜餅だって、桜の葉をまいてるんだし」
「そういや、そうだな」
「雑菌とかならあるかもしれないけど」
「オイッ!!」
余計な一言に雅比古がツッコミをいれてくる。すぐに反応を返せる雅比古はお笑い芸人になればいいと思う。
それから取りとめもない会話に花を咲かせながら、ボクたちは桜並木を歩いて行く。登校と下校のときは必ず通る道。
たった3年間をともに歩みんできたボクたち3人は、いったいどれだけここを往復してきたのかな——
数え切れないほど一緒にいたような気がする。ボクたちは友達で、最高の友達で。
楽しく笑いあう2人からすこし離れて、ふと空を見上げた。
風情とか風流とか、そういう古典的な感性はもたないけれど、はかない美しさに漠然と酔いしれる。舞い散る桜の花びら、そのひとひら々々を風と舞い踊っている。
——こういうのを花吹雪っていうのかな。
すこし違う気もするけど、なんだっていい。美しいのなら、その意味に理由なんていて要らないんだ。
「あ——九峪。ちょっとあたま下げて?」
すこし前を行く姫島の細い腕が雅比古の肩を掴んだ。それをグッと引き寄せて、背伸びをする。
「あたまの上、花びらだらけになってるわよ」
「マジ?」
「とってあげるから、ちょっとかがみなさいよ」
といいながらも、すでにその手は雅比古の頭を撫でている。
ひらり
ひらり
うす赤色の花弁が払いのけられる。
まるで幼子をあやすような優しい手つき。その表情も慈愛にみちていて、普段の活発な彼女とは別人のようで。
——なんとなく、ボクはからだの奥底が痛むのを感じていた。
「肩にものっかってるじゃない」
そういって小まめに雅比古の肩を叩く姿も、桜のコントラストによく似合っている。
ボクは、ただ1枚の絵画を思わせるような光景に見とれて、瞳と——心を奪われてしまった。
それから姫島がボクの方を振り向いた。
「矢野のあたまもスゴイことになってるわよ?」
「え、あ・・・・・・」
きっとボクにも同じようにしてくれたんだろうな。
だけどなぜか、そうしてくれる前にボクは自分であたまをはたき、桜の花びらを追い散らした。でも焦っていたから上手く落とせなかった。
くすくすと姫島が笑っている。
すっとボクの前に立って、肩に手を置いて背伸びをして——
「ほら、かがみなさいよ」
ボクは素直に従う。
——姫島の手って、こんなに暖かかったんだ。
しらなかった。考えてみれば、女の子に頭を撫でられるのも初めてだ。
「アンタたちも大きくなったわよね」
よしっと姫島が離れる。すっかり花びらを落とされてしまった。それが少しだけ残念だった。
「入学したときなんか、あんまり差もなかったのにさ。気がついたら10センチも違うんだもん。中学辺りから違ってくるって聞いたことあるけど、ホントなのね」
いわれてみればそうかもしれない。ボクは165センチ、雅比古が172センチ、そして姫島が152センチ。
雅比古と姫島なんか、ちょうど20センチも身長がはなれているんだ。
昔はボクのほうが少しだけ大きかったけど、すっかり追い越されてしまった。
「アンタでかくなりすぎじゃない? なに食ってんのよ?」
姫島の疑問はボクも気になる。
「なにって・・・・・・別になにも?」
「うそ言いなさいよね! アンタだけ大きくなるっておかしいじゃない!」
だよねー。うんうん。
「あたしなんかぜんっぜん伸びないのに!」
火を噴きそうなほど大口で罵る姫島に、どうしたもんかと困る雅比古。
ボクは172センチの姫島を想像して——そこに映る姫島は、なにかの雑誌に載ってそうなグラビアアイドルみたいにスタイル抜群の姿をしていた。
——って何考えてんだ、ボクは!?
あわてて頭の中の姫島を追い出すけど、目の前でわあわあわめいている姫島を見ると、すぐに帰ってきてしまう。
「——? なに赤くなってんのよ?」
「へッ?」
きょとんと瞳をまるくさせた姫島がボクを見つめている。
「あ、うあ、ううん・・・・・・なん、でもないよ」
「・・・・・・ふーん?」
「ただちょっと・・・・・・」
恥ずかしさと疚しさを誤魔化したくて、美しい空を見上げた。
「キレイだな——・・・・・・て、思ってさ。なんだか少し興奮してるみたい」
——本当はキミを見て興奮してたんだけど。
なんてことは口が裂けようが人類滅亡しようが、絶対にいえないけど。
ただボクは、春のそよ風と無邪気に舞い踊る桜の美しさの中に、姫島がみせてくれた優しいキレイをうまく隠した。
つられるように雅比古と姫島も見上げる。桜は満開だけど、もう散り始めている。
桜のシャワーとか例える人もいるけど、これはぜんぜんシャワーなんかじゃない。あんな、ただ叩きつける無機質なものと組み合わせるのは、桜のもつ優しさに気づいてない人間の気持ちだと思う。
だって、ほら——こんなに柔らかい、包み込むように舞い散るくせに、風が吹くとどこかきままなネコみたく、ひらりはらりと跳ね上がっているんだから。
ただ落ちるだけのシャワーなんかと一緒になんかできない。
「——ねぇ、桜の花言葉ってしってる?」
うっとりと見惚れるような横顔が、しずかに桜をおっている。
両手をそっと重ねると、そこに1枚の気まぐれな花びらが舞い降りた。姫島はそれを見つめている。
「『純潔』とか『淡白』とか、あと『優れた美人』とか」
ふうっと姫島が吐息を吹きかけて、花びらがふたたび空を舞い踊る。
ボクはじっと姫島の横顔を見つめている。
目が、はなせないんだ。
「・・・・・・詳しいんだね。ちょっと意外だよ」
だって彼女はいつも元気で、じっとしてられなくて、やんちゃな上にじゃじゃ馬で。
活動的な雰囲気と花言葉はあんまりにも意外に感じられた。
「あたし桜って好きなんだ。チェリーブロッサムって響きもいいしキレイだし、なんていうのかな・・・・・・私にないいろんなものを、沢山もってそうで」
「『純血』とか『優れた美人』とかか? そりゃ足りてないな」
くっくっと雅比古がいたずらな笑みを浮かべて、花びらを指先ではじいた。でもするりと花びらは指の周りを踊って、また風とともに舞っている。
くるくる くるくる と。
「まぁ人間、ない物ねだりが好きだしなぁ」
「雅比古もねだってばかりだけどね」
「うるせぇ!」
図星を指された雅比古が向うへ顔をそむけた。
たしかに普段の姫島を桜に例えるのは難しいかもしれない。それよりはむしろヒマワリとかのほうが似合う。
だけど、桜だって良いんじゃないかなとボクは思う。さっき、雅比古のあたまに乗った桜を払っていたときの彼女は
——とても、キレイだったから。
思い出したらまた顔が赤くなってきて、ボクは顔を俯けた。落ちた花びらが踏みしめられて無残な姿を晒して。
それが何だか痛々しい。姫島が好きだといっていた桜が。
ただ、ふっと、ボクの足が止まる。膝を曲げて、ボクはそれをつまんだ。
「——あは」
無性に嬉しくなった。なんでだろう、自分でもわかんないけど。
ぐしゃぐしゃになってしまった亡骸のなかで、このひとひらだけが美しいままだった。
「雅比古、姫島」
ゆびさきでつまみあげて小走りにかける。振り向いた2人に向かってそっと差し出す。
「なんだコレ?」
「花びらでしょ」
「いや、それはわかってんだけどよ」
「だからどうしたんだよ?」と雅比古が尋ねてくる。姫島も似たような顔をしていて、さきほどのボクと同じような感動はなにもないらしい。
それはそうだ。いきなり花びらをみせられても「だから?」で終わらせられる。ボクだってそうしていただろう。
でもこの時、言いようもない嬉しさがボクの中で芽生えていて。
「姫島、これあげるよ」
わけのわからない言葉を、そのときボクは口に出していた。
「え?」
口をぽかんとあけ、瞳はきょとん。
まん丸な瞳がボクを見つめて、ボクの瞳も姫島だけを見ている。
——何かいわないと。
「桜がすきだっていってたから・・・・・・」
自分で言っておいて、雅比古じゃないけど「だからなんだ?」て感じ。
意味がわかんない。
ほら、目の前の姫島もどうしたもんかと困ってる。
なかなか受け取ってもらえなくて、次第にこころが焦れていく。姫島も困ってるだろうけど、正直、こんなことをしてるボクも困った。
すると、雅比古がなにかニヤニヤと笑顔を浮かべながら顔を出してくる。
「受け取ってやれよ」
「え? え?」
「いいから」
困惑している姫島の背中を優しくおして、やっぱりニヤニヤ。
ボクはますます顔が赤くなった。なんでかは——やっぱりわかんないけど。
「あ・・・・・・じゃあ・・・・・・」
おずおずとボクから、ちいさなうす赤色の花びらを受け取る。両手で包み込む仕草がとても優しくて。
「・・・・・・ありがとう」
「——ッ!」
いままで感じたことのない何かが、ボクを少しずつ支配していった。
そんなボクたちを、雅比古は面白そうに眺めている。
それから、またいつもどおりに。
雅比古と姫島は仲良くおしゃべりしてるけど、そこにボクはいなかった。
——なんであんなことしたんだろう。
穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。急に黙り込んだボクを姫島はすごく心配してくれてたけど
「いまはそっとしといてやれよ」
訳知り顔で雅比古がいったから、ほんとうに姫島はボクをそっと——放置した。
——なんだろう、この感じ。
ふわふわして、春日のように暖かい。こころを包み込むこの感触が、まるで空気に浮かんだような心地をしている。
少し前、雅比古はボクに内緒話をするようにして、
「ま、そんなこともあるさ。今は気にしてなくても、そのうち気づくんじゃねえか?」
なんて意味深なことをボクに言ってきた。
雅比古はしってるのかな、この不思議な心地よさを。だとしたら教えてほしいけど。
きっと笑顔で教えてくれない。そんな予感がしている。
でも。
——いつか気づくことなら、もうちょっと待ってみようかな。
この、出会ったことのない感情を。
「ちょっと矢野、おいてくわよ?」
姫島がボクを呼んでいる。きがついたら随分と距離が広がっていた。
「ごめん」
ボクは早足で2人に追いついた。
ボクたちの中学3年間が終わった。いま、桜並木を歩むボクたちは、新たな3年間を生きるんだ。
そこで出会う、かけがえのない気持ちが、きっとキミヘ贈った花びらの意味をボクに教えてくれるはず。
だから。
ボクはそれがいまから待ち遠しかった。
君ヘ贈るチェリーブロッサム Fin