山本 勘助 〜 川中島合戦の胎動 〜
はるかに望む八幡原の勇壮な景観を、山本勘助は海津城の櫓から見渡した。隻眼の瞳がぎょろりと剥かれ、その様相のすべてを眼に焼き付けようとしているようだ。不自由な片足を支えるために、指の欠けた手に太刀の柄尻を握り、身体はやや前傾の姿勢をとっている。
風がびゅうっと吹く。妻女山から川中島へと吹きぬける風を、しかし勘助は気にもとめない。いやこの男は今しがた風が吹いたことにも気づいていないに違いなかった。
海津城の櫓に登る勘助の前方に広がる八幡原と中州の川中島、そのすぐ側を流れ海津城と隔てる千曲川へと、勘助は視線を向けた。
合戦となれば武田軍はあの八幡原を越え、眼前を流れる千曲川をも越えて、いま我が足元の海津城へと入るだろう。
「義清奴が・・・・・・。奴のおかげで信濃経略が行き詰るとは」
歯噛みするほどの悔しさが勘助の胸中に沸き起こった。脳裏に村上義清の憎々しい風貌がぼっと浮かび上がった。
「義清さえおらねば、遠の昔に信濃は御屋形様の手に落ちていたものを」
勘助は吐き捨てるように義清を罵る。
村上義清にもう少し武士としての気概があれば、ことは違っていただろう。あの男は2度にわたり信玄の猛攻を跳ね除け、屈辱的な大敗へと追い込んだほどの猛将であった。板垣信方に甘利虎泰といった世に聞こえた武田の両職を葬ったのも他でもない村上義清ではないか。
——城を枕に討ち死にしておればよかったものを!
とも勘助は思っていた。義清だけでなく他の信濃豪族もこぞって越後へ落ち延びたのだから、いずれは長尾景虎と干戈を交えていたのは確かである。しかし勘助や信玄の予定を大いに狂わしたのは、義清の逃亡であったこともまた確かなことだ。
すでにこの川中島を舞台にして長尾景虎とは3度の対陣を繰り返してきた。
「なんと無駄ないくさよ」
雌雄を決することも出来ず、さりとて退くことも出来ず・・・・・・もう何年が経ったことか。
「いや・・・・・・。いまは上杉謙信であったか」
ふっと勘助は、風評に乗る長尾景虎のことを思い出した。関東管領上杉定実から管領職を賜り上杉姓に改変している。さらに高野山にて出家し、謙信の法号を得ていた。
別にどちらでもよいと勘助は思った。死ねば人も鼠も同じである。信玄の野望を阻むだけ鼠よりも厄介で恨めしい存在だが。
諏訪頼重を亡き者としたのが天文11年(1542年)のことであり、永禄3年(1560年)の今から数えてもおよそ18年も昔の出来事になる。18年である!
18年もの長きを戦いながら、まだ信濃を攻略出来ていない! 信虎の時代からを数に入れたら、気が遠くなりそうだ。
上杉謙信は阿呆であると勘助は常々感じていた。その行動原理がまったく理解できないからだ。なぜあの男は、他人である信濃国人のために出兵を繰り返し、特にも益にもならない戦いに熱中し、決戦を望み、信濃くんだりまでやってきて御屋形様の邪魔をするのか!
謙信には信濃を支配する意思が欠片も感じ取れない。同様に謙信はなんども関東へと出兵しては、北条氏を槍先で突付いている。謙信の関東出兵がなければ、北条もとっくの昔に関東を平定していたかもしれない。
——奴は何がしたいのだ?
そればかりが気になって仕方がなかった。領土的野心を持たず、いまだ足利将軍家を奉ずる謙信が勘助には心底理解できない。そんな古い概念をいつまでも大事にしている武将がこの世にいることも信じられなかった。
勘助の全身を不気味に逆撫する。
気持ち悪い、とさえ勘助は思ってしまう。勘助はかぶりを振った。
「考えまい。破るのみ」
己に言い聞かせるように勘助は言葉を吐き出す。どんな相手でも合戦になれば我が武略をもって打ち破るだけの話でしかない。
広がる狭き平原と千曲川、茶臼山とを勘助は交互に流し見する。ひっそりとしている。ただ風の鳴声が聞こえてくる。
そこで勘助は初めて風が吹いていることに気がついた。剃髪した坊主頭をつるりと撫でる。晴信とともに出家した勘助は号を道鬼斎とした。
風の鳴声が、勘助には、いつしか馬蹄と喚声の轟きに聞こえていた。この川中島はいずれ戦場になるだろう。しかし勘助にはいままさに合戦が始まっているのが見えていた。
顔を茶臼山へと差し向ける。そこには武田の掲げる戦神諏訪仏生、武田家紋の三つ割菱紋、そして強風に靡く風林火山の牙旗が翻っている。
身を返して後ろを見ると、そこには妻女山がある。上杉は善光寺に入るだろう。善光寺は茶臼山の近くに在る。武田本隊と近いが地理上の不利がある。謙信は必ず山に布陣するはずだ。それは妻女山ではないかと勘助は考えている。
馬の嘶きが、千曲川の向こうに響いた。勘助はそちらを向く。上杉の軍勢が、粛然とした様子で八幡原を行進していた。それを勘助は黙って見つめた。
このまま上杉隊は妻女山を目指すのだろう。それよりも先に、御屋形様はこの海津城へと至らねばならない。
——どどっと、再び馬蹄が聞こえる。その音に上杉隊は掻き消されてしまった。
「小山田殿——」
海津城の大手門から城主の小山田虎満が騎馬を引き連れて飛び出す様が目に映った。騎馬はまっすぐ川中島へと向かって駆けて行く。
「外からこの海津を見るつもりかの」
勘助はやれやれと肩をすぼめた。この海津城は今年になって竣工したばかりの新城である。築城普請を差配したのは勘助である。虎満も普請には参加していた。
1年かけて出来上がった城を川中島から見たことは、まだ勘助にもない。勘助はいくさの仕様を考えるために川中島へ足を運んだことはあれど、それだって常に上杉側の武者に殺される危険が付き纏う。とても意気揚々と騎馬を組んで赴く気にはなれない。
だが、はたしてこの城は、あの狭い平原から見たらどのように映るのだろうか。
謙信はこの城をどのように見るのだろうか。
知りたい。出来ることならば謙信に直接尋ねてみたい。理解の範疇にないあの異常な人格者、しかしいくさの天才であるあの男に、この城はどう映る——?
それを知るには、やはり合戦しかあるまい。川中島で雌雄を決するときこそ。
「我が知略とわしの築いた海津城、そして御屋形様の武威を見せ付けてやればよいのだ」
そうすれば謙信も相応の動きを見せる。そのときこそ答えは知れる。
いつしか川中島は平素を取り戻していた。小山田虎満の後姿も米粒のように小さくなり、なお遠ざかっていく。
勘助は櫓を降りた。やるべきことは沢山ある。城普請が終わった今、長居は無用が勘助の常である。
途中、勘助は春日虎綱とばったり出くわした。
「山本殿」
と、虎綱が呼んだ。勘助が一歩を踏み出すたび、虎綱は二歩も近づいてくる。
異相の勘助はかつて嫌われ者だったが、この春日虎綱だけは、不思議と勘助との会話を楽しんだ数少ない人物だ。当時の虎満は幼かったが、しかし同年代の子供たちでも勘助の風貌に恐れていた。勘助にはあのときの少年が他の子供と違うことを見抜けていたし、信玄同様に目もかけていた。
虎綱は勘助の来た道が櫓へ続いていることをすぐさま察し、感心したように首を縦に頷かせた。
「また川中島をご覧になられていたのですか」
「また、と言うほど、見に行ってはおらぬ。ちと風に当たっていただけ」
風が吹いていたことにもしばらく気づいていなかったくせに、飄々と勘助は言いのたまう。
虎満は「そうでしたか」とにっこり微笑んだ。合戦の折にはどこまでも思慮深く眼光鋭いこの武将も、普段の生活ではきわめて優しげな風貌をしている。異相で醜悪な勘助とは違い、若かりし頃から信玄の寵愛を受けた男だ。
ただし勘助は虎満の顔をみても嫉妬だとかいう感情を抱いたことはない。そんなものに価値はないと考えているからだ。勘助は人の面の優劣で合戦が出来ぬことを知っているし、それよりは虎満の実力のほうをずっと大きく評価してきた。
左肩が上下にゆれる独特の歩き方で、勘助の足は前に進む。挨拶を済ました今、やはりここにいる意味はない。
と、そのとき、海津城詰めの部将がひとり、足早によってきた。勘助と虎満は同時に顔を上げた。
「何事か」
勘助がしわがれた声で言うと、部将は勘助の目の前で立ち止まった。どうやら勘助に用事があるらしい。
「山本殿、ここにおられたか」
「だから何事じゃと聞いておる」
「甲府より使者が参った。御屋形様のご下知じゃ、すぐ戻るようにと」
「なにッ!」
勘助の顔がゆがんだ。恐ろしい形相に部将は一瞬だけぎょっとした。しかしまだ言うことがあるらしく、背後の虎満へも声をかけた。
「虎満、お主にも下向の令が出ておる。すぐ準備をしたほうがよい」
「俺に・・・・・・?」
勘助と虎満は互いに顔を見合わせた。知らず知らず、表情が強張っていくのがわかった。
「相わかった」
どちらともなく言った。こうしてはいられなかった。虎満は早足に来た道を戻り、さっさと勘助を追い越してしまった。勘助も、跳ね上がるように前に進んだ。
思考はすっかり戦いのことばかりになっていた。
——次は大きな戦いとなろう。
下知の内容を勘助は、まだ聞いてもいないのにわかった気でいた。このところ、勘助はまるで信玄の考えを見透かしたような、あるいは信玄と考えを共有しているような、不思議な感覚にとらわれることがある。
諏訪御料人を側室にお迎えするときだって、勘助だけが賛成にまわった。
——次こそは大きな戦いにしてやる。
と、勘助は走り——走っているつもりで、太刀を強く握り締めた。今度の合戦で雌雄を決したいのが勘助の思うところである。大きく出来る予感があった。
それに今度の戦いは違う。尼飾城のすぐ側にこの海津城がある。今までとは違う。必ず大きな戦いになるのだ。
「上杉・・・・・・謙信・・・・・・」
勘助の世界の川中島では、すでに戦いが始まっていた。