福島 正則 〜 賤ヶ岳の槍と成りて 〜
——喧騒が耳の奥で残響を刻み付ける。刀はすっかり刀身を刃こぼれさせ、脇に抱えた藍柄の槍だけが、ギラリと獰猛で狂気染みた色合いを魅せつけている。
足元にくたばる骸が、敵か味方かさえ、わからない。それだけ損傷が激しかったし、何よりも血と腸から流れ出した汚物、そして泥濁とで汚れきって、もはや何ものなのかも判然としないほどだった。それは、もはやただの物体でしかなく、かつては自分と同じく言語を話し飯を喰らい戦っていた人間だったろうものを、悪びれた様子もなく踏みつけながら、天正11年(1583)の血に染まりし賤ヶ岳を福島正則が雄叫びを上げながら駆け回っていた。
正則は、正面に見据えた敵の雑兵へ、一言も一息もなく槍を突きつける。ちょうど正則からは背を向ける形であったため、ずぶりと根元深くまで槍の穂先が雑兵の腰元へ突き刺さった。うめき声、崩れ落ちた体から、槍を引き抜く。そして、今度は横殴りにはらった。雑兵のわき腹を打ちつけ、振動とともに肋骨の砕け散る感触が伝わってきた。
なんとも恐ろしい形相で、正則が眼を血走らせる。わあ、わあと、周囲の騒音がうるさい。
「足軽なんぞに用はないわぁ! 誰ぞ名のある武者はおらんのかぁッ!!」
大喝する正則であったが、見渡すかぎり、騎馬の一影すら見当たらない。
陣笠被りを幾ら切ったところで、兜首一つにもなりはしないのだ。取るならば名のある武将の首に限る。
しかし、すでに戦いも終盤へと差し掛かりつつある。すでに柴田勝家の本陣もその懐深くまで突き崩され、一部では壊走が始まっていた。正則が手柄を求めて奔走しているのと同じ頃、片桐且元と糟谷武則、桜井佐吉などが逃げおおせようとする敵部隊を追いかけて追激戦へと移行していた。
陣の遠く背後では、大垣城より取って返してきた総大将たる羽柴秀吉の、
「圧すのじゃ、あともう一息じゃぞ、ほれ、あと一息で勝家が軍が崩れるわいッ。ほりゃ、圧せ、圧せ、圧せ圧せ圧せやぁ! 勝家の首を取りゃあッ!!」
と、全軍の尻を蹴り上げていた。この鼓舞のために、柴田軍は死力を持って抵抗するも勇戦むなしく破れ、ついに全軍総崩れを引き起こしてしまった。佐久間盛重の命令無視、思いもよらなかった丹羽長秀の海津上陸、前田利家の突然の前線撤退、そして神速を超えた秀吉本陣の襲撃、すべてが勝家の予測をはるかに越えた出来事であったに違いない。
——まずい、これでは手柄を立てぬまま、いくさが終わってしまうわ!
焦りが正則の胸中に去来した。一番手柄を先駆衆の石田三成や大谷吉継に譲ったのは仕方がないにしても、このままで終われるわけがなかった。
「殿ッ! 敵が退いて行きますぞ!」
「おう・・・・・・おう、まことじゃぞ。正則様、このいくさ勝ちましたな」
血糊にまみれた郎党たちが、小躍りして喜んでいる。彼らも死線を掻い潜ってここまで戦ってきただけあった、勝利が決定的となったことに喜びを隠せなかった。
死線を周囲へと向ける。正則の鋭い眼光は、まだ戦意を失ってなどいなかった。それどころか、ますます業火を上げて燃え盛っている。
「浮かれとる場合か! 首の一つも取らんで喜ぶもののふが、いつの世におるものか」
叱責された郎党たちが、身体をびくりと振るわせた。
「わしらも行くぞ! 探せば敵将だって見つけられるはず・・・・・・貴様らも血眼になって探し出せッ!!」
「はっ、ははぁ!」
言うや否や、正則はさっそく駆け出していた。敵の逃げるほうへ、ぬかるみ屍の横たわる地面を蹴って奔る。とにかく奔る。
ほどなくして、誰かが乗り捨てたのであろう一匹の馬が、兵と衝突しながら右往左往しているのを見つけた。
「これも天佑だ」
と、正則は馬の側まで近寄った。馬が人の流れに足を止めた瞬間、とっさに正則は左手で手綱を握り締め、それを腕に巻きつけた。びっくりした馬がますます興奮して暴れだすが、正則とて負けはしない。地面を蹴って片足を鐙に引っ掛けると、一気に身を返して鞍に乗ってしまった。
「どうッ! どうどうッ!」
ヒィンッと馬が嘶く。手綱を引く。戦場の馬ならば調練されていて当たり前なのだ。手綱を引かれ、腹を蹴られ、鬣を撫でられ——そうしてようやく、馬は自分の背に『操縦者』が乗っていることに気がついた。
前足を大きく上げたのを最後に、馬は大人しくなった。土ぼこりが舞い上がる。
まだ挙動が荒いままであるが、走らせることに問題はなさそうだ。手柄に焦っていたとは思えないほど、馬の鬣をなでる正則の手つきはとても優しい。
「落ち着いたか。もう一働きしてもらうぞ」
耳元で囁くように正則が言う。馬は息を吐き出し、ぐるぐると回るだけである。しかしそれだけで十分だった。
「よし、駆けぃ!」
腹を蹴る。馬が駆け出した。徒歩立ちの者どもを瞬時に置いてけぼりにしてしまい、郎党すらもかなたに置き去りとなった。
小高い丘を駆け上がる騎馬の勇壮なる姿を、このとき多くの者たちが目撃した。奇しくも早くから追撃に入っていた桜井佐吉を除く糟谷武則と片桐且元、そして加藤清正、平野長泰、脇坂安治、加藤嘉明も、石川一光も、それぞれ軍馬を駆って賤ヶ岳を疾駆していた。
都合よく、どこぞで馬を調達してきたらしい郎党たちが、正則にようやく追いついてきた。その背後からは全速力で足軽どもが奔って来ている。
正則は首だけをめぐらして、配下たちをにらみ付けた。
「雑魚に目もくれるな、敵将の首一筋と心得ろよッ!」
叫ぶや否や、さらに速度を上げる正則。馬を乗り潰しかねない勢いで、とうとう眼前とおくに、あきらかに羽柴軍とは異なる軍容の一団を視界に捉えた。
幟はたしかに柴田の軍勢であることを物語っている。
正則が、ひげ面に猛々しい笑みを浮かび上がらせた。槍を頭上高く掲げ上げた。あの後姿、陣羽織の家紋には間違いなく見覚えがあった。
「天、我を見捨てたらんッ!」
大口の大音声が、正則の全身に力をみなぎらせた。血と泥が、悪鬼の容貌を容にしている。ここにいる正則はまさしく、賤ヶ岳の鬼であった。
「それに見ゆるは拝郷五左衛門殿とお見受けいたした! 我は福島市松、名は正則である! 況やかく申すは我が大将秀吉の縁者なれば、この首狙う価値ありッ! 胆に勇あらば、我が槍とその槍とを相打ち合うべしッ!」
正則の口上に、織田家中でも音に聞こえた猛将、拝郷五左衛門が馬を翻して、にっと笑みを深くした。
「おうっ、そこもとは猿殿の縁者であるか! 見れば随分とお若い。よしっ、我が槍をつけ黄泉路を歩ませてくれんッ!」
「・・・・・・年寄りがよくぞ言ったわぁ!!」
正則、つばを飛ばして声を荒げる。馬足轟き、一番に槍をつけたのは正則のほうが速かった。
風きりの寒々しい音に続いて、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。弾かれた槍を戻し、次いで襲い来る五左衛門の俊敏な切っ先が、わき腹の胴当をにわかに掠めた。
「ぬおっ」
「はははっ、突きも払いも、まだまだ青いわ」
「この、ぬかしおれッ」
「そら、死ぬ前にわしが稽古をつけてやるわい」
血気盛んに攻め立てる正則の槍も、百戦錬磨の古強者である五左衛門を前にしては、いかんとも力量に差があった。ありすぎた。さすが織田家臣団で鬼柴田に認められし勇者である。
鋭い突きが、左のわきの下をくぐる。寒気がした。必殺の突きにも等しかった。しかし、正則の心に恐怖は小波ほどにも沸き起こらなかった。生来の勇気ならば負けはしない。
振り下ろされる柄を、正則はこれを槍で防ぐ。柄尻で殴ろうとすると、今度は五左衛門が馬をぶつけてくる。
「おお、小僧、やりおるわッ、やりおるわッ」
正則は怯むことなく、むしろ槍を振るえば振るうほど、突けば突くほど、まるで長年にわたって戦場で培わされてきた五左衛門の技を吸収していくかのように、刃は鋭さを増していく。
その勇猛な戦いぶりが、おかしなことに、敵でありながら五左衛門を喜ばせた。正則、必死の形相なれども、五左衛門は笑みを浮かべている。
「天は良き若者をこの地に生じさせ給えたものよ!」
「ほざけッ!」
「死の間際がこんなにも楽しいものになるとはのう! 福島殿、わしも全力でお相手いたすぞッ」
朱色の槍が瞬く間もなく豪槍と化した。それまでとはまた違う、いや明らかに違う烈火のごとき一閃が、正則の首筋目掛けて振るわれた。
とっさ、正則は首を引いた。切っ先は喉下をかするかどうかの場所を通り過ぎた。兜の顎紐がぶつりと切れた。正則の兜が、地に落ちる。
それは、正則がいままで見たことのない、そして経験したことのない、常軌を逸した槍であった。
正則が目を見開く。目の前にいる男こそ、拝郷五左衛門なのである。その事実の——事実の意味することを、今にして正則の魂が理解した。
これが、織田の、そして柴田の勇者、拝郷五左衛門なのであると。
「さぁ、参られ——ッ」
五左衛門が叫ぼうとした瞬間、正則とはまったく別の方角から、騎馬が突如として現れた。
「市松ぅッ!」
「虎之介!」
加藤清正が、槍を手に駆けて来る。さらに別の方向から、糟谷武則が、片桐且元が、石川一光ら正則の朋輩たちが五左衛門の陣へと乗り入れてきたのだ。
正則を含めた5人の若き烈士たちが、五左衛門の前に集結した。
「お前らッ」
驚く正則に、武則が険しい表情を向ける。
「こいつは拝郷五左衛門だろう」
「とんだ大物が残っていたものだ」
「市松、一人だけ抜け駆けはなしだぜ。拝郷五左衛門と戦えるなんて、今を逃してはもうないからな」
「わしが戦っていたんだぞ、わしが討つッ!」
正則が必死に叫ぶが、それに一光はにやりと笑みを向ける。
「早い者勝ちじゃ」
一光が駆け出す。
「拝郷五左衛門、ここで討たれろぃ!」
「なめるな、小童がぁッ!」
——それだけであった。次の瞬間、一光は左の目から槍を入れられ、頭を穿ち抜かれていた。
すでに、息はない——石川一光は、一瞬のうちに五左衛門の槍の餌食とされてしまったのだ。誰も動けなかった。五左衛門が槍を抜くと、槍先に一光の左目がくっついていた。一光の身体が落馬した。槍を振り下ろして、目玉を地面に叩きつける。
「へ、兵助ぇッ!!」
「おのれぇ!!」
激昂した4人が、一斉に駆け出した。まるで張り詰めた糸の切れたるようにして。
「来よ、来よッ!」
五左衛門もまた駆け出した。槍を突き出す。それを最初に受けようとしたのは、加藤清正である。だがあまりにも強烈な一撃に、清正は馬上から吹き飛ばされてしまった。
背中から地面に叩き落された清正は、立ち上がるや五左衛門の鉄砲頭を瞬時に切り伏せる。その間に、且元が槍を繰り出してはいなされ、武則が槍を繰り出してはこれを跳ねられ、まさしく猛者の貫禄すさまじい戦いぶりに、烈士はことどとく攻めあぐねる有様だった。
だが、さしもの五左衛門であっても、腕に覚えのある者4人を相手にしての大立ち回りは、劣勢そのものであった。次第々々に押されつつある中、
——強い。
と、素直に四人の力量を賞賛した。将としてはまだまだこれからであろうし、武士としても同様である。ただし、その内に秘められたる巨大な可能性を、同じ武士として喜ばずにはいられない。死に行く定めの身としても・・・・・・
「五左衛門!」
正則が、槍を構えている。且元が槍を払う。五左衛門は且元の槍を防ぐ。五左衛門の背中に熱が広がる。武則が槍で切りつけたのだ。武則を振り落とすと、今度は下から伸びてきた清正の槍が太ももに突き刺さる。そしてわずかに出来た隙を——
「誇れぃ、福島正則殿よッ! その友たちよッ! 大身となった暁には、我が首取りしことを誉れとせよぉッ!!」
「覚悟ッ!」
正則の槍が、五左衛門の胸に吸い込まれていく。その一時を、正則は生涯、忘れなかった。
——願わくば、わしを討ちしこの者どもが、天下に隠れなき名将となることを——
ここに福島正則の槍によって、拝郷五左衛門は討たれた。
突き出した槍を引き抜くことすら忘れ、乱れた呼吸もそのまま、正則は微動だにしない。目の前の、先ほどまで勇猛果敢に戦っていた勇者が、前のめりに崩れた。
「・・・・・市松」
清正が、見上げてくる。正則ははっとして、槍を抜いた。五左衛門の身体がぐらりと傾いたかと思えば、頭から落ちた。
不思議と、静寂だった。
「・・・・・・討ち取った」
呟いた正則は自らの槍、その切っ先を見つめた。
全身が震えた。あの拝郷五左衛門を討ったという感動は、正則にとってとても大きな衝撃であった。
清正らが見つめるなかで、正則は下馬し、懐剣を取り出した。そして——五左衛門の首を取った。
「拝郷五左衛門の首——この正則が討ち取ったりッ!!」
雄姿にあふれたその宣言、その様は、あたかも正則のその後の成長振りを暗示しているかのようだ。いや、事実、そうなのであろう。
後の世に、『賤ヶ岳の槍』と称せられし福島正則が、いまこの時の正則であるのだから——