第三夜:歴史の裏で動く者
AKUMAと千年伯爵は繋がっている。
製造者であり、統率している千年伯爵。AKUMAとは千年伯爵の目であり耳である。
世界を歩き回り、方舟の"門 "を開く事の出来る場所を増やしつつ、更にAKUMAを増やして行く。
西へ東へふらふらと。北へ南へゆらゆらと。
「父が死んだ」「母が死んだ」「娘が死んだ」「息子が死んだ」「兄が」「弟が」「姉が」「妹が」「親友が」「恋人が」「婚約者が」
世界には幾らでも悲しみは溢れている。争えば必ずと言っていいほど加害者と被害者が出るし、必ずと言っていいほど負の感情を抱くものだ。
死んだ者を求めるのは禁忌。だが、悲しみで正常な思考力を持つ事の出来ない者達は、彼らを"呼ぶ"。
禁忌と知っていながら。やってはいけない事だと知っていながら。彼らは呼ぶ。
「おかげでAKUMAは大量に作り出せるんだけどね、と」
コトン、と机の上にあるチェスの駒を動かす。
「む。ならばこうだ……人の歴史は争いが作るものだ。欲しい物があれば奪い取り、必要な物があれば盗んででも手に入れる」
同じ様に動かす目の前の男。チェスの駒は王を追いつめるように動き、次の一手を待つ。
「ほら、チェックだ。……欲 の名を持つ君にとっては、彼らのやる事はよく分かるだろう」
「ぬ……まぁ、そうだな。人の欲望とは計り知れないものだ」
次の一手に詰まり、頭を悩ませつつそう答える。
串刺し公、ヴラド・ツェペシュ。15世紀ルーマニアのワラキアの領主にして、ノアの一族である『欲 』のメモリーを持つ。
オスマン帝国との幾重にも渡る戦闘。その度に勝利し、死人を生み出し、千年伯爵がAKUMAを作り出す。その繰り返しだ。
時の権力者に取り入るのはそう難しい事ではないし、争いを起こすなら小さな火種で十分過ぎる。
どちらかのトップ、またはそれに近しい者がノアなら尚更だ。
伯爵は今までに幾度となく戦争を見てきた。
いくつかあげるとすれば、百年戦争や十字軍。日本では元寇などもあったし、人が死ぬのには事欠かない。
この五百年でAKUMAの数は最早数えるのが億劫になるほどまで膨れ上がったし、レベルも4以上が出てきた。意図的に4以上は隠しているのだが。
「今警戒すべきは魔法使い、か」
「AKUMAを破壊できるのはイノセンスだけだと思っていたんだけどね。神秘の力は侮れない」
イノセンス自体は確認できた。だが、未だそれらを扱う適合者とは遭遇していない。
確認したイノセンスは破壊。残しておく意味も無いから当然と言えば当然だが。
「千年公も意外に思っていたのか。だが、Lv1でさえ壊すのに中級魔法を何発も当てる必要があるのだろう?」
「うん。だけど、彼らが常に張っている障壁は相当強固でなければLv1の弾丸で簡単に貫ける。あまり問題では無いさ」
手元にある紅茶を飲みつつ、チェスの駒を動かす。
『赤き焔』や『白き雷』等の中級魔法で漸く傷が入るほどの堅さ。やはりAKUMAの力は伊達では無い。
それでも、最終目標である『暗黒の三日間の再来』は成しえていない。これほどの勢力を誇ろうと、どれだけの戦力を蓄えようと。
「やはり、イノセンス保持者は邪魔だね」
「そうは言っても、イノセンス自体見つける事は困難だ。適合者は既に数名いるようだが、その殆どが多数の魔法使いと共に動いている」
見つけるべきはハート。だが、手掛かりが無い。
なら、まず見つけるのは『隠されたもの(アポクリフォス)』だろう。完全自立型のイノセンス。奴はハートの守護者だ。
奴を見つけられれば、ハートを探し出す事も出来るだろう。
コンコン、とノックが鳴る。
ドアが開けられ、一人の青年が何かを持って入ってきた。
「失礼します。千年伯爵、お手紙が届いておりますが」
「ああ、ありがとう」
青年は伯爵に手紙を渡し、恭 しく一礼をして部屋から出る。
「それは?」
「ブローカーからだろう。いくつかの場所を経由して届けられるようになっている。魔術も使っているから、ここがバレる事は無いよ」
協力者 。人間でありながらノアに従属し、AKUMAの材料(魂と皮となる人間)を提供する者達のこと。基本的に報酬となる多額の金銭目当ての私欲で伯爵に従っている。
欲で動く人間ほど、扱いやすいものは無い。
「そうか。で、今度はどこに行くんだ?」
「ヨーロッパ。イングランドの辺りだね」
手紙を読みつつ、そう簡単に答える。
この時代、まだイギリス(グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国)は出来ていない。
傍に置いてあるシルクハットをかぶり直し、方舟を呼びだす。
「この勝負は僕の勝ちだ。もっと頑張る事だね」
最後の一手を打ち、チェスはそこで終了。今回も勝者は伯爵となった。
「ぬぅ……戦術・戦略で私が負ける事などそうは無い筈なのだがな……まぁ、頑張ってくれ、千年公。私ももう少し被害が大きくなる様に(・・・・・・・・・・)努力しよう」
「そう、頑張ってね」
それだけ告げ、伯爵はその場を後にする。
●
イングランド、某所。
早朝、霧の立ち込めるその墓場で、また一体のAKUMAが生まれた。
「しばらくは目立たない様に殺しなさイ」
「ワカリマシタ」
青年は虚ろな目でそう答える。その足取りはちゃんとしているが、親しい者は違和感に気付くだろう。
だが、大切な者が死んだと言う状況。失意の状態であれば、これもあり得ると納得してしまう。
人の皮をかぶる事で社会に入り込み、伯爵の目となり耳となったAKUMAは情報を流し続ける。こうして、ゆっくりと世界は浸食されていくのだ。
不意に、物音が聞こえた。
墓地の中。隠れる場所などそうは無い。しらみつぶしに探せば直ぐに見つかるし、大体の方向は分かっている。
しかし、探す必要は無かった。
「貴様……今のは何だ!?」
「おやおや。見られていたようですねェ……まぁ、見られても何の問題もありませんガ」
灰色のローブに銀色の指輪。いくつか隠し持っている剣などを見る限り、恐らくは魔法使いだろう。
「今のは一体何だと聞いている! 答えろ!」
「せっかちですねェ、全く。話すつもりはありませんヨ」
話しても、何かメリットがある訳でも無い。なら、話す必要は無い。
「少なくとも、今何かをして人を殺した事は分かっている。なら、捕えさせてもらうぞ!」
「構いませんヨ。出来るものならネ」
始動キーを唱え、男は詠唱を始める。伯爵はそれを聞いている間にレロを振り上げ、アンテナの様に使う。
「君一人では何も出来ませんヨ」
自分の無力さ。それを味わうしかない。
呼び寄せたのは大量のAKUMA。ほぼすべてLv1のボール型のAKUMAだが、その数は二ケタを優に超える。イノセンスを持たない男では厄介極まりない存在だ。
「『赤き焔』!!」
爆炎がAKUMAを包む。人に当たれば確実に焼け焦げるレベル。焼死体が簡単に出来上がるだろう。
直撃したAKUMAはダメージを受けたが、多少傷がついて動きが鈍っただけだ。数の暴力の前では、一体にダメージを与えようと無駄な行為。
何度撃とうと、何度直撃させようと。一回一回別のAKUMAにあてるが故に、精々傷がつく程度。ダメージがあってもそこまで深刻なものでは無い。
恐らくは男の魔法使いとしての腕が未熟なせいだろう。一流が使えば、『赤き焔』はLv1のAKUMAを破壊可能な威力を秘めている。
「う、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だァァァァ!! 『魔法の射手 連弾・火の十七矢』!!」
火属性の魔法の射手がAKUMAに直撃する。だが無駄。威力が、火力が足りない。この程度では傷さえ入らない。
男が抱いたのは、得体の知れないモノへの恐怖。
AKUMAの人のそれとは思えない気味の悪い姿。そして、それを統率する伯爵。全てが怖かった。
頼るべき魔法も、自身が一番威力のある魔法で破壊できなかった。これでは抵抗のしようがない。逃げようがない。
傷が入るだけで、破壊できないと思ってしまった。
「やっちゃいなさイ」
声自体が、楽しんでいる様にも聞こえた。
だが、男には聞こえない。錯乱した状態で、何も聞こえてはいない。
何故逃げなかった。何故戦おうと思った。そんな思考が繰り返される。
そして、連続した銃撃音。障壁で守られている筈の魔法使いを、いとも簡単に打ち抜く。
この程度のレベルの魔法使いを下す事など造作も無い事だ。Lv1とはいえ、一般人からすればその存在は唯の恐怖の対象でしか無い。
抵抗さえ出来ない。
体中にペンタクルが浮かび上がり、AKUMAの血に含まれる毒 が人体を侵す。
そして、全身に回り切り、崩れ落ちた。
「魔法使いと言っても、レベルの低い奴は所詮こんなものですカ」
つまらないとでも言いたげに、溜息をついてその場を後にする。
●
「それで、殺してきた訳?」
「そうだね。所で、何やってるの?」
「魚食ってんの。この辺りの川にいる魚は焼けばかなり美味い。食べる?」
「いらないよ」
呑気な会話を続ける。ただし、周りにはおびただしいほどの血、血、血。視界が赤で埋まってしまうんじゃないかと思う程に、真っ赤に染まっている。
二人、青年と伯爵はその中に佇んでいた。
「う……あ……」
もはや人とは呼べない、肉塊とでも称すべき『物』が動く。この状態で未だに死んでいないとは、生命力は称賛すべきものがあるね。と呟く。
「して、何の用すか、千年公」
黒髪に灰色の肌。額の聖痕をさらけ出すかのようにオールバックにまとめた髪を弄りながら、話し出す。
「うん。実は、魔法世界の方に行って欲しくてね」
「魔法世界? どこすか、それ?」
「この世界とは違う、半歩ずれた世界さ。そこにイノセンス保持者がいるか見てきて欲しい。それと、別の仕事もある」
「俺一人で?」
「アクマを何体か部下としてあげるよ」
面倒だ、と盛大に溜息をつきつつ、立ち上がる。血だまりの中にいたと言うのに、彼には返り血など着いていない。
手の甲に止まった蝶々を見ながら、青年は残った魚を食べきる。
「行くぞ、ティーズ」
死体が弾け飛ぶ。
いや、そう見えただけで、実際に弾け飛んだ訳では無い。肉塊はバラバラになって変形し、蝶々として辺り一帯に散らばっていく。
月明かりに照らされたそれは、傍から見ればとても幻想的で美しい。
蝶々は青年の手に集まって行き、一体の大きな蝶々を形作る。
「うん、かなり大きくなった。これならかなりの数になりそうだ」
「先行して『蝕 』と『智 』が行ってる。君がやるのは要人の誘拐だ」
「そりゃまた俺向きの仕事で」
パンパンと服をはたいて着いた埃を落としつつ、伯爵から一枚のカードを受け取る。
「よ〜ろしく〜お願い〜します〜」
セル・ロロンと呼ばれる、カードの中に閉じ込められているゴーレム。先ほどのティーズというゴーレムも含め、伯爵の作ったモノだ。
「詳しい事はそいつに聞いてくれればいい。頼んだよ、『快楽 』」
「それ慣れないから普通に名前で呼んで欲しいんすけどね。違和感は無いっすけど」
ま、いいか。と続け、現れた方舟に乗り込む。
同じ様に方舟に乗り込んだ伯爵に質問をする。
「所で、何で誘拐?」
「内部から見張るためだよ。フィードラの寄生蟲 を使えば、無駄な労力は要らないしね。ワイズリーなら本物かどうか確かめられるし」
フィードラの能力である寄生蟲 。体内に仕込む事で毒にもなるし監視する事も出来る。
ワイズリーは脳を覗ける魔眼を持つ。隠し事は出来ない為、本物かどうかを見分けるのに役立つ。
「ああ、なるほど。その後返すんすか」
「ある程度は記憶を改ざんするよ。僕等に対しての余計な不信感は要らない」
そもそも気付いているかも疑問だが、何かが裏で糸を引いている、位の事は予想しているだろう。
というか、それさえ予想できないなら監視する価値も無い。
イノセンスの存在を、あちらが掴んでいるかが問題だ。掴んでいないなら速くすべて回収して破壊しなくてはならない。
掴んでいるなら、回収させ、時期を見計らって破壊に動くべきか。
どちらにせよ、『隠されしもの(アポクリフォス)』やハートを探し出すのに役立つだろう。
「後は、戦力増強かな」
「俺に魔法を覚えろとでもいうんすか? 学無いんですけど」
「別にそこら辺の期待はしてないよ。君は特にね」
『快楽』のノアの能力は『万物の選択』。使い様によっては空気を踏みつけられるし、銃弾の飛び交う戦場を無傷で歩ける。
イノセンスなしでは、触れる事さえ敵わない。
「他のノアは?」
「後は……見つけていないのは四人かな。出来れば速く見つけたいんだけどね」
この場合、見つけると言っても意味合いが違う。
ノアとして覚醒した者を探す。では無く、ノアとしての資質が高い者を探す。という事だ。
基本的にノアにした時のスペックは変わらない。だが、中にはトンデモ無く相性がいい者がいる。
恐らく、『伯爵によって強制的にメモリーが呼び覚まされたノア』では無く、この世界ではありえないが、『本来ノアとしてメモリーが覚醒する予定だった者』だろう、と伯爵は考えている。
伯爵がこの世界に存在してしまった為に、ノアメモリーが覚醒してノアとなる筈だった者達。
流石にそう言った者を見つけるのには苦労するが、メモリーを"完全に"覚醒させる者が殆どの為、能力のスペックに差が出てくるのだ。
スペックと言っても大した差は無いが、出来れば能力が高い者を選びたい。ほんの些細な違いが、何にどう影響を及ぼすのか分からないのだ。
手は抜かない、抜けない。
イノセンスは、自分たちを殺す為なら何でもやる『悪魔』なのだから。
AKUMAと千年伯爵は繋がっている。
製造者であり、統率している千年伯爵。AKUMAとは千年伯爵の目であり耳である。
世界を歩き回り、方舟の"
西へ東へふらふらと。北へ南へゆらゆらと。
「父が死んだ」「母が死んだ」「娘が死んだ」「息子が死んだ」「兄が」「弟が」「姉が」「妹が」「親友が」「恋人が」「婚約者が」
世界には幾らでも悲しみは溢れている。争えば必ずと言っていいほど加害者と被害者が出るし、必ずと言っていいほど負の感情を抱くものだ。
死んだ者を求めるのは禁忌。だが、悲しみで正常な思考力を持つ事の出来ない者達は、彼らを"呼ぶ"。
禁忌と知っていながら。やってはいけない事だと知っていながら。彼らは呼ぶ。
「おかげでAKUMAは大量に作り出せるんだけどね、と」
コトン、と机の上にあるチェスの駒を動かす。
「む。ならばこうだ……人の歴史は争いが作るものだ。欲しい物があれば奪い取り、必要な物があれば盗んででも手に入れる」
同じ様に動かす目の前の男。チェスの駒は王を追いつめるように動き、次の一手を待つ。
「ほら、チェックだ。……
「ぬ……まぁ、そうだな。人の欲望とは計り知れないものだ」
次の一手に詰まり、頭を悩ませつつそう答える。
串刺し公、ヴラド・ツェペシュ。15世紀ルーマニアのワラキアの領主にして、ノアの一族である『
オスマン帝国との幾重にも渡る戦闘。その度に勝利し、死人を生み出し、千年伯爵がAKUMAを作り出す。その繰り返しだ。
時の権力者に取り入るのはそう難しい事ではないし、争いを起こすなら小さな火種で十分過ぎる。
どちらかのトップ、またはそれに近しい者がノアなら尚更だ。
伯爵は今までに幾度となく戦争を見てきた。
いくつかあげるとすれば、百年戦争や十字軍。日本では元寇などもあったし、人が死ぬのには事欠かない。
この五百年でAKUMAの数は最早数えるのが億劫になるほどまで膨れ上がったし、レベルも4以上が出てきた。意図的に4以上は隠しているのだが。
「今警戒すべきは魔法使い、か」
「AKUMAを破壊できるのはイノセンスだけだと思っていたんだけどね。神秘の力は侮れない」
イノセンス自体は確認できた。だが、未だそれらを扱う適合者とは遭遇していない。
確認したイノセンスは破壊。残しておく意味も無いから当然と言えば当然だが。
「千年公も意外に思っていたのか。だが、Lv1でさえ壊すのに中級魔法を何発も当てる必要があるのだろう?」
「うん。だけど、彼らが常に張っている障壁は相当強固でなければLv1の弾丸で簡単に貫ける。あまり問題では無いさ」
手元にある紅茶を飲みつつ、チェスの駒を動かす。
『赤き焔』や『白き雷』等の中級魔法で漸く傷が入るほどの堅さ。やはりAKUMAの力は伊達では無い。
それでも、最終目標である『暗黒の三日間の再来』は成しえていない。これほどの勢力を誇ろうと、どれだけの戦力を蓄えようと。
「やはり、イノセンス保持者は邪魔だね」
「そうは言っても、イノセンス自体見つける事は困難だ。適合者は既に数名いるようだが、その殆どが多数の魔法使いと共に動いている」
見つけるべきはハート。だが、手掛かりが無い。
なら、まず見つけるのは『隠されたもの(アポクリフォス)』だろう。完全自立型のイノセンス。奴はハートの守護者だ。
奴を見つけられれば、ハートを探し出す事も出来るだろう。
コンコン、とノックが鳴る。
ドアが開けられ、一人の青年が何かを持って入ってきた。
「失礼します。千年伯爵、お手紙が届いておりますが」
「ああ、ありがとう」
青年は伯爵に手紙を渡し、
「それは?」
「ブローカーからだろう。いくつかの場所を経由して届けられるようになっている。魔術も使っているから、ここがバレる事は無いよ」
欲で動く人間ほど、扱いやすいものは無い。
「そうか。で、今度はどこに行くんだ?」
「ヨーロッパ。イングランドの辺りだね」
手紙を読みつつ、そう簡単に答える。
この時代、まだイギリス(グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国)は出来ていない。
傍に置いてあるシルクハットをかぶり直し、方舟を呼びだす。
「この勝負は僕の勝ちだ。もっと頑張る事だね」
最後の一手を打ち、チェスはそこで終了。今回も勝者は伯爵となった。
「ぬぅ……戦術・戦略で私が負ける事などそうは無い筈なのだがな……まぁ、頑張ってくれ、千年公。私ももう少し被害が大きくなる様に(・・・・・・・・・・)努力しよう」
「そう、頑張ってね」
それだけ告げ、伯爵はその場を後にする。
●
イングランド、某所。
早朝、霧の立ち込めるその墓場で、また一体のAKUMAが生まれた。
「しばらくは目立たない様に殺しなさイ」
「ワカリマシタ」
青年は虚ろな目でそう答える。その足取りはちゃんとしているが、親しい者は違和感に気付くだろう。
だが、大切な者が死んだと言う状況。失意の状態であれば、これもあり得ると納得してしまう。
人の皮をかぶる事で社会に入り込み、伯爵の目となり耳となったAKUMAは情報を流し続ける。こうして、ゆっくりと世界は浸食されていくのだ。
不意に、物音が聞こえた。
墓地の中。隠れる場所などそうは無い。しらみつぶしに探せば直ぐに見つかるし、大体の方向は分かっている。
しかし、探す必要は無かった。
「貴様……今のは何だ!?」
「おやおや。見られていたようですねェ……まぁ、見られても何の問題もありませんガ」
灰色のローブに銀色の指輪。いくつか隠し持っている剣などを見る限り、恐らくは魔法使いだろう。
「今のは一体何だと聞いている! 答えろ!」
「せっかちですねェ、全く。話すつもりはありませんヨ」
話しても、何かメリットがある訳でも無い。なら、話す必要は無い。
「少なくとも、今何かをして人を殺した事は分かっている。なら、捕えさせてもらうぞ!」
「構いませんヨ。出来るものならネ」
始動キーを唱え、男は詠唱を始める。伯爵はそれを聞いている間にレロを振り上げ、アンテナの様に使う。
「君一人では何も出来ませんヨ」
自分の無力さ。それを味わうしかない。
呼び寄せたのは大量のAKUMA。ほぼすべてLv1のボール型のAKUMAだが、その数は二ケタを優に超える。イノセンスを持たない男では厄介極まりない存在だ。
「『赤き焔』!!」
爆炎がAKUMAを包む。人に当たれば確実に焼け焦げるレベル。焼死体が簡単に出来上がるだろう。
直撃したAKUMAはダメージを受けたが、多少傷がついて動きが鈍っただけだ。数の暴力の前では、一体にダメージを与えようと無駄な行為。
何度撃とうと、何度直撃させようと。一回一回別のAKUMAにあてるが故に、精々傷がつく程度。ダメージがあってもそこまで深刻なものでは無い。
恐らくは男の魔法使いとしての腕が未熟なせいだろう。一流が使えば、『赤き焔』はLv1のAKUMAを破壊可能な威力を秘めている。
「う、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だァァァァ!! 『魔法の射手 連弾・火の十七矢』!!」
火属性の魔法の射手がAKUMAに直撃する。だが無駄。威力が、火力が足りない。この程度では傷さえ入らない。
男が抱いたのは、得体の知れないモノへの恐怖。
AKUMAの人のそれとは思えない気味の悪い姿。そして、それを統率する伯爵。全てが怖かった。
頼るべき魔法も、自身が一番威力のある魔法で破壊できなかった。これでは抵抗のしようがない。逃げようがない。
傷が入るだけで、破壊できないと思ってしまった。
「やっちゃいなさイ」
声自体が、楽しんでいる様にも聞こえた。
だが、男には聞こえない。錯乱した状態で、何も聞こえてはいない。
何故逃げなかった。何故戦おうと思った。そんな思考が繰り返される。
そして、連続した銃撃音。障壁で守られている筈の魔法使いを、いとも簡単に打ち抜く。
この程度のレベルの魔法使いを下す事など造作も無い事だ。Lv1とはいえ、一般人からすればその存在は唯の恐怖の対象でしか無い。
抵抗さえ出来ない。
体中にペンタクルが浮かび上がり、AKUMAの血に含まれる
そして、全身に回り切り、崩れ落ちた。
「魔法使いと言っても、レベルの低い奴は所詮こんなものですカ」
つまらないとでも言いたげに、溜息をついてその場を後にする。
●
「それで、殺してきた訳?」
「そうだね。所で、何やってるの?」
「魚食ってんの。この辺りの川にいる魚は焼けばかなり美味い。食べる?」
「いらないよ」
呑気な会話を続ける。ただし、周りにはおびただしいほどの血、血、血。視界が赤で埋まってしまうんじゃないかと思う程に、真っ赤に染まっている。
二人、青年と伯爵はその中に佇んでいた。
「う……あ……」
もはや人とは呼べない、肉塊とでも称すべき『物』が動く。この状態で未だに死んでいないとは、生命力は称賛すべきものがあるね。と呟く。
「して、何の用すか、千年公」
黒髪に灰色の肌。額の聖痕をさらけ出すかのようにオールバックにまとめた髪を弄りながら、話し出す。
「うん。実は、魔法世界の方に行って欲しくてね」
「魔法世界? どこすか、それ?」
「この世界とは違う、半歩ずれた世界さ。そこにイノセンス保持者がいるか見てきて欲しい。それと、別の仕事もある」
「俺一人で?」
「アクマを何体か部下としてあげるよ」
面倒だ、と盛大に溜息をつきつつ、立ち上がる。血だまりの中にいたと言うのに、彼には返り血など着いていない。
手の甲に止まった蝶々を見ながら、青年は残った魚を食べきる。
「行くぞ、ティーズ」
死体が弾け飛ぶ。
いや、そう見えただけで、実際に弾け飛んだ訳では無い。肉塊はバラバラになって変形し、蝶々として辺り一帯に散らばっていく。
月明かりに照らされたそれは、傍から見ればとても幻想的で美しい。
蝶々は青年の手に集まって行き、一体の大きな蝶々を形作る。
「うん、かなり大きくなった。これならかなりの数になりそうだ」
「先行して『
「そりゃまた俺向きの仕事で」
パンパンと服をはたいて着いた埃を落としつつ、伯爵から一枚のカードを受け取る。
「よ〜ろしく〜お願い〜します〜」
セル・ロロンと呼ばれる、カードの中に閉じ込められているゴーレム。先ほどのティーズというゴーレムも含め、伯爵の作ったモノだ。
「詳しい事はそいつに聞いてくれればいい。頼んだよ、『
「それ慣れないから普通に名前で呼んで欲しいんすけどね。違和感は無いっすけど」
ま、いいか。と続け、現れた方舟に乗り込む。
同じ様に方舟に乗り込んだ伯爵に質問をする。
「所で、何で誘拐?」
「内部から見張るためだよ。フィードラの
フィードラの能力である
ワイズリーは脳を覗ける魔眼を持つ。隠し事は出来ない為、本物かどうかを見分けるのに役立つ。
「ああ、なるほど。その後返すんすか」
「ある程度は記憶を改ざんするよ。僕等に対しての余計な不信感は要らない」
そもそも気付いているかも疑問だが、何かが裏で糸を引いている、位の事は予想しているだろう。
というか、それさえ予想できないなら監視する価値も無い。
イノセンスの存在を、あちらが掴んでいるかが問題だ。掴んでいないなら速くすべて回収して破壊しなくてはならない。
掴んでいるなら、回収させ、時期を見計らって破壊に動くべきか。
どちらにせよ、『隠されしもの(アポクリフォス)』やハートを探し出すのに役立つだろう。
「後は、戦力増強かな」
「俺に魔法を覚えろとでもいうんすか? 学無いんですけど」
「別にそこら辺の期待はしてないよ。君は特にね」
『快楽』のノアの能力は『万物の選択』。使い様によっては空気を踏みつけられるし、銃弾の飛び交う戦場を無傷で歩ける。
イノセンスなしでは、触れる事さえ敵わない。
「他のノアは?」
「後は……見つけていないのは四人かな。出来れば速く見つけたいんだけどね」
この場合、見つけると言っても意味合いが違う。
ノアとして覚醒した者を探す。では無く、ノアとしての資質が高い者を探す。という事だ。
基本的にノアにした時のスペックは変わらない。だが、中にはトンデモ無く相性がいい者がいる。
恐らく、『伯爵によって強制的にメモリーが呼び覚まされたノア』では無く、この世界ではありえないが、『本来ノアとしてメモリーが覚醒する予定だった者』だろう、と伯爵は考えている。
伯爵がこの世界に存在してしまった為に、ノアメモリーが覚醒してノアとなる筈だった者達。
流石にそう言った者を見つけるのには苦労するが、メモリーを"完全に"覚醒させる者が殆どの為、能力のスペックに差が出てくるのだ。
スペックと言っても大した差は無いが、出来れば能力が高い者を選びたい。ほんの些細な違いが、何にどう影響を及ぼすのか分からないのだ。
手は抜かない、抜けない。
イノセンスは、自分たちを殺す為なら何でもやる『悪魔』なのだから。