第二十七夜:暁光の処刑
あの日から、二年の時が経った。
アリカはMM元老院の手で捕縛・投獄され、二年の猶予の後に処刑される事が決定した為、監獄の中で拘束具を着ている。
「何だ、また食べなかったのか。アンタに死なれちゃ困るんだがな」
MMの正規兵が、アリカの為に用意された食事──一口も手を付けられていないが──を回収しながら、そんな事を零す。
監獄の奥の方で、虚ろな目をして居るアリカは、反応を返さない。
その後もぶつくさと何やら文句を言う正規兵だが、手早く回収して監獄の外に出る。
其処には、MM元老院の一人がフードを被ったままアリカに会いに来ていた。
「こ、これはこれは議員殿。こんな辺境にまでわざわざ……」
「うむ、ご苦労。私は彼女に少々話があるのでね。席をはずして貰えると助かるが」
「し、しかし……」
「上には君が働き者で、良く働いてくれていると報告しておこう。仕事熱心で素晴らしいから、昇進させるように、とね」
口元に小さな笑みを浮かべた議員は、それだけ言って監獄の中へと足を踏み入れた。
「あ、ありがとうございます!」
礼をして、直ぐ様席を外す正規兵。それを見送った後、議員はアリカの前に歩いていく。
「みすぼらしい姿だな、アリカ」
その声に、冷水を浴びせかけられたかの様に素早く反応する。
声の主は議員の後ろに居た人物。短い金髪に筋肉質な体、アリカに似た顔立ち──先王であるアベルが、アリカの前に現れたのだ。
「おっと、其処まで警戒しなくて良い。私は特に何もするつもりは無い。唯、娘がどんな境遇か気になったものでね」
鋭く睨みつける視線を軽く受け流し、アベルは肩をすくめながら答える。
議員は小さくため息をつき、フードを取った。
「お前も大概子煩悩だったからな。親とはそういうモノなのか?」
変装用なのだろう。元の姿に戻ったエヴァは、呆れた表情と共にアベルへとそんな言葉を向ける。
「そう言うものだ。親は子を大切にするものだよ。まぁ、既に親子の縁は切れているがね」
「当たり前だ。もう、あなたとは親子でも何でもない」
気丈に振る舞うアリカを見て、憐れみの視線を向ける二人。
処刑の日は十日後と決まり、そこでアリカは死ぬ。世界の為の礎として、生贄になるのだ。
「……ノアが、今更私に何の用だ」
「ふむ。多少は予測できると思うが?」
アベルは顎に手をやりながら、そう言う。
「お前はもう直ぐ処刑される。だが、お前は別に処刑されても良いと思っているのだろう?」
アリカは、その問いに答えない。
世界の平穏の為に自身の身を捧げる。そんな事、普通は出来ない。アリカは自身よりも世界の平和を優先したのだ。
全てを知っている者が居るのなら、彼女を『聖女』と呼び讃えるものが居ても何らおかしくは無いだろう。
それほどに高尚で、気高い意志を持っている。
しかし、ノア達にそんな事は関係無い。彼らは世界に平穏など必要としない。人々が争う事を嘲笑っているだけだ。
だからこそ。エヴァは口元を笑みに歪め。
「お前を助けだしてやろうか? このまま脱走したと言う事になれば、どれだけ混乱が起こるのか。分からないお前じゃ無いだろう?」
「貴様……外道め……」
ギリッ……と歯を食いしばりながら、エヴァを睨みつけるアリカ。
アリカと言う生贄を持って、ようやく落ち着きを取り戻し始めた世界に対し、もう一度火種を投下すると言うのだ。
難民となったオスティアの民はいわれの無い因縁を付けられるかもしれない。元老院さえも、伯爵の掌の上で踊らされると言う事。
「外道で結構。元々吸血鬼だからな。それに、お前等人間がいくら死のうと、大して興味も無い」
伯爵と会うまでは、エヴァは世界の全てが敵だった。
吸血鬼と言うだけで命を狙われる日々。いっそ死んだ方がマシだと思う様な攻撃を幾度も喰らわされ、長い時を生きて来たのだ。
人間に対して敵意を持つ事はあれど、好意を持つ事などあり得ない。
「まぁ、私達がやるまでも無いかもしれないがな」
笑みを崩さず、エヴァはそう言う。
アリカを助けようと、クルトが元老院を嗅ぎ回っている。恋でもしたか、憧れだったのか、それは本人だけが知ることだ。
そして、クルトが動くと言う事は、ほぼ間違いなく紅き翼が動く。
ノア達が手出しをするまでも無く、アリカは未だ戦乱の種として生き残るだろう。もっとも、それが処刑前か後かは分からないのだが。
笑みを浮かべたまま、エヴァとアベルは監獄から出ていく。
「愛しの騎士様に助けて貰うんだな、アリカ。早めに孫の顔を見せてくれよ?」
「阿呆な事言って無いで、さっさと帰るぞ」
最後に呆れの表情を向け、エヴァはアベルを引き摺って監獄を出た。
●
──十日後。
重戦争犯罪人、アリカ・アナルキア・エンテオフォシア──処刑執行日。
手摺りも何も無い、ほんの数メートルの長さに数センチの幅の足場。そこに、アリカは居た。
恐怖は無く、その思考には今もなお民の事を思っていた。
自身が犠牲になることで、少しでも世界の溜飲を下げる事に成るのかと。
「魔獣蠢く『ケルベロス渓谷』。魔法の類が一切使えないこの場所は、まさに死の谷と呼ぶに相応しく。また、この残虐な方法を持ってようやく、魔法世界全土の民はその溜飲を納める事に成るでしょう」
複数人いる元老院議員の内一人が、アリカへと、引いてはこの映像を見ている魔法世界の人々へと演説するかのように告げる。
議員の内一人は、チラリとカメラの方を向いた後に、再度アリカの方を見る。
メガロメセンブリア正規兵が後ろから歩かせる様に指示し、アリカへと槍先を向けた。
「歩け」
「触れるな、下郎。言われずとも歩く」
あくまでも気丈な態度を崩さない。その様子に薄く笑みを浮かべながら、議員達は結末を見届けようとする。
ゆっくり、一歩ずつ歩きながら、昔の事を思い出す。
昔から王位の争いと言うものがあった。例えアリカ自身に兄弟姉妹が居なくても、親族だからと先代やそれより前の兄弟姉妹が王位を奪おうとした事は何度でもあった。
アベルが一度も暗殺の危機に陥らなかったのは、ひとえに伯爵の力があったからなのか。
アリカが王位の争いで死ななかったのも、伯爵が裏で手を回していたからなのか。
疑問は幾らでも──それこそ、掃いて捨てるほどにある。しかし、もうそれを確かめようとさえ思わない。
下らない王位の争いで命を落とす位なら、戦犯として人々の安寧をもたらす方がまだ何倍もマシに思えた。
それでも──一つだけ、心残りがあった。
ナギだ。
監獄に入れられた中でも、ナギの事を忘れた日は無かった。彼の事が、アリカの心の支えに成っていたと言っても過言ではないだろう。
一緒にいたのは一年半程度で、その殆どは戦いの日々だった。
しかし、アリカにとっては、それが救いだった。それだけが、アリカにとって意味のある日々だったのだ。
端にまで辿りつき、一度立ち止まってから──体を前に傾け、ゆっくりと落下を始める。
議員達は渓谷の下を見つめ、アリカの姿が捕えられなくなってから、一人が演説の様に概要を説明し始める。
「この処刑法の長所は復活がほぼ不可能な点にあります。魔法の使えぬこの谷底では、真祖の吸血鬼 と言えども、復活は困難でしょう」
議員達はその説明を聞いてざわめき、カメラは全てを取り終えて録画を停止させる。
「よろし──」
「よぉーっし、こんなモンだろ」
議員の一人が何か言おうとした最中、正規兵の鎧を纏っている一人が饒舌に話し始めた。
「録れたか? 録れたよな? よーしご苦労。ちなみに聞くが、生中継とかねーよな?」
その鎧の下では、笑っているかのような雰囲気がある。
議員はそれを無礼だといい、言及しようとした瞬間。その鎧を纏った男に頭を鷲掴みにされていた。
「今から此処で起こる事は無かった事 になる。わかるな?」
「き、貴様はッ!?」
鎧を筋肉の膨張だけで内部から粉々に壊し、上半身裸で現れた男──ジャック・ラカン。
他にも、青山詠春、アルビレオ・イマ、フィリウス・ゼクト、ガトウ・カグラ・ヴァンテンバーグの四人が姿を現す。
「あ、紅き翼 だと……!? 馬鹿なッ! では、谷底の女王は……」
「そう、今頃ナギの野郎が助けてるだろうさ」
ラカンが余裕たっぷりの表情で答える。議員は歯噛みしつつも、ラカンへと問いただす。
「いくら千の呪文の男 と言えど、あの谷底に行って生きて帰る等……」
「それはどうかな? 確かに魔法が使えねぇナギは唯のクソガキだ。だがな、アイツはそれ位じゃ死なねーし、俺達にはこれ があるんだぜ?」
そう言って見せるのは、手首に巻いてあるリングの様な物。その意味が分かったのか、議員は驚きの表情を見せる。
「まさか……イノセンスを……っ!」
「そのとーり。俺もアイツも適合者。だがまぁ、お姫様を助けるのは俺の役割じゃねぇ」
つーわけで、
「どうする? 俺達はナギと姫さん回収して帰らせて貰うつもりだが」
「ぐ……反逆者だ、谷底の二人諸共捕えよ!!」
議員が声を張り上げ、周りの部隊を鼓舞する。
「おおっと、やるのか? 良いのかよ、その程度の戦力で」
「ふん、愚か者め。その程度の戦力だと? このイベントの警備は目に見える分だけでは無く、周囲数十キロを二個艦隊と三千名の精鋭部隊が包囲している。いくら貴様らでも、これを覆す事は……」
「だからよ。その程度 の戦力でいいのかって聞いてんだよ」
「な……何っ!!」
瞬間、爆音が辺りに響いた。
●
「……全く、五月蠅い奴らだ。少しは静かにして欲しいものだがな」
小さく、議員の一人が呟く。
既に周りにいた議員達は逃げている。我先にと慌てながら、滑稽なまでに無様を曝しながら、紅き翼と言う脅威から逃げて行ったのだ。
気持ちは分からない訳ではない。一人一人が英雄と呼ばれる化物の様な実力者。そして、この軍勢を相手にたった数名で挑むと言う自信。威圧感も半端なものではない。
谷底で逃げ回るナギと、その腕に抱かれているアリカを見る。かなり距離があるが、別段問題は無い。
「おっと」
議員の直ぐ傍を、兵の一人が吹き飛ばされて飛んで行った。殴り飛ばしたのはラカンらしく、その視線は議員を向いている。
何か違和感でも感じ取ったのか、明らかに余裕を崩さない事を不審に思ったのか。警戒されている事が分かる。
議員は、フードを目深に被ったまま、視線だけをラカンへと向けた。
「……お前」
「ジャック・ラカン。私の事よりも、周りを見た方が良いのではないか?」
口元に小さく笑みを浮かべた女 は、ラカンの周りに集まってくる兵達をみて、言う。
「ああ? 気にする様な事じゃねぇよ……それよりお前、ノアだろ?」
ピクリ、と議員は眉を動かした。
「当たりだな。見た事ねぇ顔だが、どうにも会った事ある気がするんだよな、お前」
そう、何時だったか。戦争の序盤、マクギル議員に合いに行った時のことだ。その時にラカンが会ったノアは二人。
そのうち一人は既に死んでいる。ならば、残る選択肢は一つだけ。
それだけなら確証は無いに等しいが、残りは殆ど勘だ。外れている可能性も高い。
「エヴァンジェリン、だったっけか。アルの野郎が言ってたが、吸血鬼なんだって? お前」
「……だとしたら、どうだと言うのだ?」
「いや、何だ。俺は昔に『古龍・龍樹』と引き分けた事があってな。それと同レベルの最強種っつー『真祖の吸血鬼』と、一片やりあってみたかったんだよな」
ニヤリと笑みを浮かべるラカンに対し、小さくため息をつくエヴァ。
動物的な勘が優れているのか、と思考するが、どうでもいいことだと切り捨てる。
フードは被ったまま、顔に手を当てて素顔に戻す。どの道ばれても大した問題は無い。
「私は今日は戦いに来た訳ではないのだがな。大戦の英雄と亡国の王女の恋物語。余りに愉快だから見に来てやっただけなんだが」
そもそも、見つかる事さえ念頭に入れていなかったのだ。変身は完璧だった筈だ。それがばれたのは、ひとえにラカンの勘が異常だった、と言うだけの話。
さて、どうするか、と頭を悩ませる。
「つれねぇ事言うなよ。イノセンスを手に入れた以上、俺もエクソシストだ。エクソシストとノアは戦うモノなんだろ?」
拳を握り、イノセンスとシンクロして発動させる。
「『乾坤一擲 』、発動」
それは両手一対籠手型の装備型イノセンスであり、発動したと同時に肩の辺りまで覆う様に現れ、色は青灰色で甲の部分に黒で十字架が刻まれている。
鈍い光を纏ったそれが、敵意と共にエヴァへと振るわれた。
エヴァはそれを腕で防ぎ、追撃として放たれたもう片方の拳を避けた上で、蹴り飛ばす。
「『古龍・龍樹』など、図体がデカイだけの雑魚だろう。何を自慢げに語っているんだか。やはり唯の筋肉馬鹿か」
自身が最強種であり、同格等と思われたくないとでもいう様にして、告げた。
周りの兵達も、まさか議員がラカンとタメを張るほどの実力者だとは知らずに戸惑っている。
エヴァがナギの方へと目を向ければ、ナギは既にアリカを助けており、杖の上で唇を重ねていた。
「……これは、アイツの言っていたことが本当になるかも知れんな」
アベルが十日前にアリカに言っていた言葉を思い出し、自然と笑みが浮かぶ。
あの二人が結婚するとなれば、エクソシストの親とノアの祖父を持つ子供が出来る訳だ。それはそれで面白い、と口元を緩める。
子供がどちら側の存在に成るか。それはまだ分からない。
「……まぁ、何時か会う事があれば、その時にでも確かめるとしよう」
「こっちの事無視してんじゃねーぞ!!」
エヴァの後ろで拳を振りかぶり、思い切り殴りつける。
それを紙一重でかわしたエヴァ。ラカンが放った一撃は強力なもので、地面に亀裂が入っている。
「力の加減というモノを覚えるんだな。このままだと、兵達がケルベラス渓谷に落ちるかも知れんぞ?」
その言葉を聞き、考えていなかったのか焦り始めるラカン。その様子を見た後、影を使って沈み始める。ここでは方舟を使う訳にはいかない。
「さらばだ、エクソシスト」
笑みを浮かべたまま、エヴァは転移した。
あの日から、二年の時が経った。
アリカはMM元老院の手で捕縛・投獄され、二年の猶予の後に処刑される事が決定した為、監獄の中で拘束具を着ている。
「何だ、また食べなかったのか。アンタに死なれちゃ困るんだがな」
MMの正規兵が、アリカの為に用意された食事──一口も手を付けられていないが──を回収しながら、そんな事を零す。
監獄の奥の方で、虚ろな目をして居るアリカは、反応を返さない。
その後もぶつくさと何やら文句を言う正規兵だが、手早く回収して監獄の外に出る。
其処には、MM元老院の一人がフードを被ったままアリカに会いに来ていた。
「こ、これはこれは議員殿。こんな辺境にまでわざわざ……」
「うむ、ご苦労。私は彼女に少々話があるのでね。席をはずして貰えると助かるが」
「し、しかし……」
「上には君が働き者で、良く働いてくれていると報告しておこう。仕事熱心で素晴らしいから、昇進させるように、とね」
口元に小さな笑みを浮かべた議員は、それだけ言って監獄の中へと足を踏み入れた。
「あ、ありがとうございます!」
礼をして、直ぐ様席を外す正規兵。それを見送った後、議員はアリカの前に歩いていく。
「みすぼらしい姿だな、アリカ」
その声に、冷水を浴びせかけられたかの様に素早く反応する。
声の主は議員の後ろに居た人物。短い金髪に筋肉質な体、アリカに似た顔立ち──先王であるアベルが、アリカの前に現れたのだ。
「おっと、其処まで警戒しなくて良い。私は特に何もするつもりは無い。唯、娘がどんな境遇か気になったものでね」
鋭く睨みつける視線を軽く受け流し、アベルは肩をすくめながら答える。
議員は小さくため息をつき、フードを取った。
「お前も大概子煩悩だったからな。親とはそういうモノなのか?」
変装用なのだろう。元の姿に戻ったエヴァは、呆れた表情と共にアベルへとそんな言葉を向ける。
「そう言うものだ。親は子を大切にするものだよ。まぁ、既に親子の縁は切れているがね」
「当たり前だ。もう、あなたとは親子でも何でもない」
気丈に振る舞うアリカを見て、憐れみの視線を向ける二人。
処刑の日は十日後と決まり、そこでアリカは死ぬ。世界の為の礎として、生贄になるのだ。
「……ノアが、今更私に何の用だ」
「ふむ。多少は予測できると思うが?」
アベルは顎に手をやりながら、そう言う。
「お前はもう直ぐ処刑される。だが、お前は別に処刑されても良いと思っているのだろう?」
アリカは、その問いに答えない。
世界の平穏の為に自身の身を捧げる。そんな事、普通は出来ない。アリカは自身よりも世界の平和を優先したのだ。
全てを知っている者が居るのなら、彼女を『聖女』と呼び讃えるものが居ても何らおかしくは無いだろう。
それほどに高尚で、気高い意志を持っている。
しかし、ノア達にそんな事は関係無い。彼らは世界に平穏など必要としない。人々が争う事を嘲笑っているだけだ。
だからこそ。エヴァは口元を笑みに歪め。
「お前を助けだしてやろうか? このまま脱走したと言う事になれば、どれだけ混乱が起こるのか。分からないお前じゃ無いだろう?」
「貴様……外道め……」
ギリッ……と歯を食いしばりながら、エヴァを睨みつけるアリカ。
アリカと言う生贄を持って、ようやく落ち着きを取り戻し始めた世界に対し、もう一度火種を投下すると言うのだ。
難民となったオスティアの民はいわれの無い因縁を付けられるかもしれない。元老院さえも、伯爵の掌の上で踊らされると言う事。
「外道で結構。元々吸血鬼だからな。それに、お前等人間がいくら死のうと、大して興味も無い」
伯爵と会うまでは、エヴァは世界の全てが敵だった。
吸血鬼と言うだけで命を狙われる日々。いっそ死んだ方がマシだと思う様な攻撃を幾度も喰らわされ、長い時を生きて来たのだ。
人間に対して敵意を持つ事はあれど、好意を持つ事などあり得ない。
「まぁ、私達がやるまでも無いかもしれないがな」
笑みを崩さず、エヴァはそう言う。
アリカを助けようと、クルトが元老院を嗅ぎ回っている。恋でもしたか、憧れだったのか、それは本人だけが知ることだ。
そして、クルトが動くと言う事は、ほぼ間違いなく紅き翼が動く。
ノア達が手出しをするまでも無く、アリカは未だ戦乱の種として生き残るだろう。もっとも、それが処刑前か後かは分からないのだが。
笑みを浮かべたまま、エヴァとアベルは監獄から出ていく。
「愛しの騎士様に助けて貰うんだな、アリカ。早めに孫の顔を見せてくれよ?」
「阿呆な事言って無いで、さっさと帰るぞ」
最後に呆れの表情を向け、エヴァはアベルを引き摺って監獄を出た。
●
──十日後。
重戦争犯罪人、アリカ・アナルキア・エンテオフォシア──処刑執行日。
手摺りも何も無い、ほんの数メートルの長さに数センチの幅の足場。そこに、アリカは居た。
恐怖は無く、その思考には今もなお民の事を思っていた。
自身が犠牲になることで、少しでも世界の溜飲を下げる事に成るのかと。
「魔獣蠢く『ケルベロス渓谷』。魔法の類が一切使えないこの場所は、まさに死の谷と呼ぶに相応しく。また、この残虐な方法を持ってようやく、魔法世界全土の民はその溜飲を納める事に成るでしょう」
複数人いる元老院議員の内一人が、アリカへと、引いてはこの映像を見ている魔法世界の人々へと演説するかのように告げる。
議員の内一人は、チラリとカメラの方を向いた後に、再度アリカの方を見る。
メガロメセンブリア正規兵が後ろから歩かせる様に指示し、アリカへと槍先を向けた。
「歩け」
「触れるな、下郎。言われずとも歩く」
あくまでも気丈な態度を崩さない。その様子に薄く笑みを浮かべながら、議員達は結末を見届けようとする。
ゆっくり、一歩ずつ歩きながら、昔の事を思い出す。
昔から王位の争いと言うものがあった。例えアリカ自身に兄弟姉妹が居なくても、親族だからと先代やそれより前の兄弟姉妹が王位を奪おうとした事は何度でもあった。
アベルが一度も暗殺の危機に陥らなかったのは、ひとえに伯爵の力があったからなのか。
アリカが王位の争いで死ななかったのも、伯爵が裏で手を回していたからなのか。
疑問は幾らでも──それこそ、掃いて捨てるほどにある。しかし、もうそれを確かめようとさえ思わない。
下らない王位の争いで命を落とす位なら、戦犯として人々の安寧をもたらす方がまだ何倍もマシに思えた。
それでも──一つだけ、心残りがあった。
ナギだ。
監獄に入れられた中でも、ナギの事を忘れた日は無かった。彼の事が、アリカの心の支えに成っていたと言っても過言ではないだろう。
一緒にいたのは一年半程度で、その殆どは戦いの日々だった。
しかし、アリカにとっては、それが救いだった。それだけが、アリカにとって意味のある日々だったのだ。
端にまで辿りつき、一度立ち止まってから──体を前に傾け、ゆっくりと落下を始める。
議員達は渓谷の下を見つめ、アリカの姿が捕えられなくなってから、一人が演説の様に概要を説明し始める。
「この処刑法の長所は復活がほぼ不可能な点にあります。魔法の使えぬこの谷底では、
議員達はその説明を聞いてざわめき、カメラは全てを取り終えて録画を停止させる。
「よろし──」
「よぉーっし、こんなモンだろ」
議員の一人が何か言おうとした最中、正規兵の鎧を纏っている一人が饒舌に話し始めた。
「録れたか? 録れたよな? よーしご苦労。ちなみに聞くが、生中継とかねーよな?」
その鎧の下では、笑っているかのような雰囲気がある。
議員はそれを無礼だといい、言及しようとした瞬間。その鎧を纏った男に頭を鷲掴みにされていた。
「今から此処で起こる事は
「き、貴様はッ!?」
鎧を筋肉の膨張だけで内部から粉々に壊し、上半身裸で現れた男──ジャック・ラカン。
他にも、青山詠春、アルビレオ・イマ、フィリウス・ゼクト、ガトウ・カグラ・ヴァンテンバーグの四人が姿を現す。
「あ、
「そう、今頃ナギの野郎が助けてるだろうさ」
ラカンが余裕たっぷりの表情で答える。議員は歯噛みしつつも、ラカンへと問いただす。
「いくら
「それはどうかな? 確かに魔法が使えねぇナギは唯のクソガキだ。だがな、アイツはそれ位じゃ死なねーし、俺達には
そう言って見せるのは、手首に巻いてあるリングの様な物。その意味が分かったのか、議員は驚きの表情を見せる。
「まさか……イノセンスを……っ!」
「そのとーり。俺もアイツも適合者。だがまぁ、お姫様を助けるのは俺の役割じゃねぇ」
つーわけで、
「どうする? 俺達はナギと姫さん回収して帰らせて貰うつもりだが」
「ぐ……反逆者だ、谷底の二人諸共捕えよ!!」
議員が声を張り上げ、周りの部隊を鼓舞する。
「おおっと、やるのか? 良いのかよ、その程度の戦力で」
「ふん、愚か者め。その程度の戦力だと? このイベントの警備は目に見える分だけでは無く、周囲数十キロを二個艦隊と三千名の精鋭部隊が包囲している。いくら貴様らでも、これを覆す事は……」
「だからよ。
「な……何っ!!」
瞬間、爆音が辺りに響いた。
●
「……全く、五月蠅い奴らだ。少しは静かにして欲しいものだがな」
小さく、議員の一人が呟く。
既に周りにいた議員達は逃げている。我先にと慌てながら、滑稽なまでに無様を曝しながら、紅き翼と言う脅威から逃げて行ったのだ。
気持ちは分からない訳ではない。一人一人が英雄と呼ばれる化物の様な実力者。そして、この軍勢を相手にたった数名で挑むと言う自信。威圧感も半端なものではない。
谷底で逃げ回るナギと、その腕に抱かれているアリカを見る。かなり距離があるが、別段問題は無い。
「おっと」
議員の直ぐ傍を、兵の一人が吹き飛ばされて飛んで行った。殴り飛ばしたのはラカンらしく、その視線は議員を向いている。
何か違和感でも感じ取ったのか、明らかに余裕を崩さない事を不審に思ったのか。警戒されている事が分かる。
議員は、フードを目深に被ったまま、視線だけをラカンへと向けた。
「……お前」
「ジャック・ラカン。私の事よりも、周りを見た方が良いのではないか?」
口元に小さく笑みを浮かべた
「ああ? 気にする様な事じゃねぇよ……それよりお前、ノアだろ?」
ピクリ、と議員は眉を動かした。
「当たりだな。見た事ねぇ顔だが、どうにも会った事ある気がするんだよな、お前」
そう、何時だったか。戦争の序盤、マクギル議員に合いに行った時のことだ。その時にラカンが会ったノアは二人。
そのうち一人は既に死んでいる。ならば、残る選択肢は一つだけ。
それだけなら確証は無いに等しいが、残りは殆ど勘だ。外れている可能性も高い。
「エヴァンジェリン、だったっけか。アルの野郎が言ってたが、吸血鬼なんだって? お前」
「……だとしたら、どうだと言うのだ?」
「いや、何だ。俺は昔に『古龍・龍樹』と引き分けた事があってな。それと同レベルの最強種っつー『真祖の吸血鬼』と、一片やりあってみたかったんだよな」
ニヤリと笑みを浮かべるラカンに対し、小さくため息をつくエヴァ。
動物的な勘が優れているのか、と思考するが、どうでもいいことだと切り捨てる。
フードは被ったまま、顔に手を当てて素顔に戻す。どの道ばれても大した問題は無い。
「私は今日は戦いに来た訳ではないのだがな。大戦の英雄と亡国の王女の恋物語。余りに愉快だから見に来てやっただけなんだが」
そもそも、見つかる事さえ念頭に入れていなかったのだ。変身は完璧だった筈だ。それがばれたのは、ひとえにラカンの勘が異常だった、と言うだけの話。
さて、どうするか、と頭を悩ませる。
「つれねぇ事言うなよ。イノセンスを手に入れた以上、俺もエクソシストだ。エクソシストとノアは戦うモノなんだろ?」
拳を握り、イノセンスとシンクロして発動させる。
「『
それは両手一対籠手型の装備型イノセンスであり、発動したと同時に肩の辺りまで覆う様に現れ、色は青灰色で甲の部分に黒で十字架が刻まれている。
鈍い光を纏ったそれが、敵意と共にエヴァへと振るわれた。
エヴァはそれを腕で防ぎ、追撃として放たれたもう片方の拳を避けた上で、蹴り飛ばす。
「『古龍・龍樹』など、図体がデカイだけの雑魚だろう。何を自慢げに語っているんだか。やはり唯の筋肉馬鹿か」
自身が最強種であり、同格等と思われたくないとでもいう様にして、告げた。
周りの兵達も、まさか議員がラカンとタメを張るほどの実力者だとは知らずに戸惑っている。
エヴァがナギの方へと目を向ければ、ナギは既にアリカを助けており、杖の上で唇を重ねていた。
「……これは、アイツの言っていたことが本当になるかも知れんな」
アベルが十日前にアリカに言っていた言葉を思い出し、自然と笑みが浮かぶ。
あの二人が結婚するとなれば、エクソシストの親とノアの祖父を持つ子供が出来る訳だ。それはそれで面白い、と口元を緩める。
子供がどちら側の存在に成るか。それはまだ分からない。
「……まぁ、何時か会う事があれば、その時にでも確かめるとしよう」
「こっちの事無視してんじゃねーぞ!!」
エヴァの後ろで拳を振りかぶり、思い切り殴りつける。
それを紙一重でかわしたエヴァ。ラカンが放った一撃は強力なもので、地面に亀裂が入っている。
「力の加減というモノを覚えるんだな。このままだと、兵達がケルベラス渓谷に落ちるかも知れんぞ?」
その言葉を聞き、考えていなかったのか焦り始めるラカン。その様子を見た後、影を使って沈み始める。ここでは方舟を使う訳にはいかない。
「さらばだ、エクソシスト」
笑みを浮かべたまま、エヴァは転移した。