第三十六夜:忍び寄る影
目を閉じ、呼吸を安定させる。
多少の運動では息切れなど起こす事は無いが、数時間に及ぶ鍛錬をしていては多少の息切れは仕方ないだろう。
極度の集中力を要し、尚且つイメージ通りに肉体を動かすのだ。疲労は大きい。
木々の生い茂る森の一角。その近辺の地面には幾つものナイフ。スローイングナイフと呼ばれる類のナイフが、足の踏み場もなく散乱していた。
辺りの木々にも大量に刺さっており、用意された的には隙間なくナイフが刺さっている。
その中心に、一人の少女が佇んでいた。
白い髪は風になびき、紅い瞳は的となっている木を見据えている。頬を伝う汗を手の甲で拭い、終わった後でシャワーを浴びようと決定する。
そして、
(……これで終わりにするか)
ふっ、と息を吐き、足首を捻って回転しながら、指の間に挟んだ複数のナイフを時間差で投擲する。
それらは的の中心に刺さっているナイフの間を抜け、的に突き刺さった。だが、中には刺さったままのナイフにぶつかって落ちたナイフもあり、個人的に成果は上々とは呼べなかった。
まぁいい。と思い、辺りに散乱しているナイフを回収しようとする。その時だった。
誰かの視線を感じ、暗器術で隠しているナイフを素早く取り出して投擲する。それは見ていた誰かの顔の横に深く刺さり、みていた長瀬は驚きで冷や汗を流していた。
「……楓か。何の用だ」
「いや、誰かが此処で何かをしている様だったから、興味本位で見に来たでござるが……刹那どのはこういった事が得意なのでござるなぁ」
「まぁな。それより、ナイフの回収を手伝え」
用意していたタオルで汗を拭いた後、木に刺さったナイフを抜き、暗器術で仕舞う。その一連の動作を見ながら、長瀬は不思議そうに刹那を見ていた。
その視線に気づいた刹那は、長瀬に目を向けて聞く。
「何だ。何か言いたい事でもあるのか?」
「……刹那どのは、何の為にナイフの技術を? 雪音どのは神鳴流とやらで刀を良く扱うと真名に聞いたでござる。刹那どのも神鳴流を使えると真名が言っていたし、ナイフよりもリーチの長い刀を使った方がいいのではないのでござるか?」
「そんな事か。簡単な話だ。こっちの方が携帯するのに楽だからだよ」
「携帯するのに楽?」
「今は暗器術を使えるから刀も持ってるがな。リーチの長さなんてのは大した問題じゃないし、神鳴流は武器を選ばない」
小さく笑みを浮かべ、ナイフの回収を再開する。そしてそのまま、長瀬へと告げた。
「戦闘は総合的な能力だ。リーチだけで決まるなら銃が最強に決まってるだろう。尤も、神鳴流に飛び道具は効かないが……武器は小回りが効いた方が良い。刀の方が確かに慣れていて強いが、普段は専らナイフを使うな」
それは、刹那の経験に基づいて告げられた言葉だと判断するのに時間は必要無かった。
何の為にそんな事をするのか、何故そういった経験を得ようとするのか。長瀬には若干の興味というものが生まれていた。
長瀬は刹那と同じ様にナイフを回収しながら、再度刹那へと問い返す。刀を扱えて尚、他の武器へと手を出す理由を。
「どうして、そこまでやってまで強くなろうとするんでござるか?」
単純な興味本位の話。糸目を開き、反応を見るが、一度目を向けただけでそれ以外の反応は返さない。
数秒経ち、長瀬にならいいと思ったのか、一言だけ告げた。
怨念のこもった声で、紅い眼は炎が燃えているようにさえ錯覚するほどに、どす黒い感情が渦巻いていた。
「──復讐の為だよ」
●
麻帆良、展望台近くの場所。
そこには、ネギとベル。アスナと木乃香の四人が居た。四人とも今日は私服であり、子供らしい服を着ているネギを見て、木乃香は少し笑みが浮かぶ。
正反対に、ベルは年相応の可愛い服というより、少し大人びたファッションだ。
ネギとベルは麻帆良に来てまだ日が浅く、町の構造やクラブなどもあまり把握していない為、二人が案内してくれる事になったという訳だ。
「と言っても、麻帆良って広過ぎるからボクらでも全部は把握して無いけどね」
「そうなんですか? そこまで広いんだ、此処……」
展望台から見る景色はイギリスの街並みに近いものだが、ウェールズの山奥で育った上に魔法学校に通っていた所為か、都市部には殆ど出た事が無かった。
その為、ネギにとってもベルにとっても、ヨーロッパのものに近い街並みでも既視感を覚える様な事は無い。
そもそも、元は日本の町なのだ。ヨーロッパの街並みを模倣しているとはいえ、日本特有のものが入っている事に変わりは無い。
「さて、まずは何処行くの?」
「そうやな……」
麻帆良の地図を見ながら、木乃香が迷いつつ答えようとしていた時。木乃香の携帯にメールが来た。
それを見て軽く溜息を吐く。学園長がアスナと木乃香二人に用事があると言うのだ。
何の用事かは知らないが、随分とタイミングの悪い事だと思う木乃香。狙ってやっているのかと疑いそうになるほどだ。
その旨を説明すると、ネギとベルは「大丈夫」と言う。
「僕とお姉ちゃんなら大丈夫ですよ。近くを見て回るだけですから、迷子になる事もないでしょうし」
「うーん……まぁ、二人やしな。大丈夫やろ、アスナ?」
「大丈夫だと思うよ。それに、心配ならあの二人に任せれば?」
アスナが指差した方向からは、背の小さい双子の少女が歩いて来ていた。
ピンクの髪をツインテールに纏めた姉の鳴滝風香と、団子ヘアーに纏めた妹の鳴滝史香の姉妹だ。二人は散歩部の為、近くを歩いていたと言う。
散歩部は放課後に麻帆良内を良く歩いて回っている為、地形等に関しても詳しい。案内人としては適役なのだ。
事情を説明し、頼み込んでみた所、あっさりとその役割を引き受けてくれた。
「ネギ先生とベル先生を案内すればいいですね?」
「うん。ほんなら頼んだで、風香ちゃんに史香ちゃん」
「それじゃ、まずは体育館へ行ってみよー!」
妙に高いテンションのまま、四人は麻帆良の探検へと乗り出した。
●
女子中等部専用体育館。体育会系の部活は多い為、学校一つに対して体育館一つを設けなければ、人数的にかなりキツイのだ。
三月の下旬とはいえ未だに肌寒い季節だが、体育館にはそれに負けない程に生徒たちの熱気が漂っている。
訪れたと同時に、こちらに気付いたらしい祐奈がボールを持ったまま近づいて来る。
「お、ネギ君にベルちゃんじゃん。何してんの?」
「あ、ゆーな! 丁度良いから体育館の説明をしてあげて」
「人を便利アイテム扱いして……まぁいいけど。ここは女子中等部用の体育館。21もの数の体育会系クラブの生徒が青春の汗を流してるのよ! バスケ最高!」
「という割に、明石さんはバイアスロン部にも入ってるわよね」
ベルが3-Aの名簿表片手に冷静に問い詰めて見ると、祐奈は「うっ」と言って一歩退いた。
目を逸らしつつ、頭を掻きながら祐奈はそれに答える。
「……龍宮さんに射撃の腕を買われたから。本命はこっちだけど、あっちでも偶に大会出てるしね」
射撃って練習しないと直ぐ鈍るし、と続け、風香と史香がその跡を引き継ぐ。
「ちなみにバスケは弱いよ。ウチで強いのはバレーとドッジボールだったっけ?」
「後は新体操とか、女っぽいのが強いですね。バスケは弱いです」
「ほっとけ!!」
大事な事は二度言った。とばかりに双子が笑い、祐奈は逃げ出した二人を追いかけはじめる。
「やっぱり、スポーツを頑張っている女子生徒というのはいいですねー。爽やかで青春してる、って感じで」
途中で飽きたのか、練習に戻った祐奈を見送り、ネギが体育館で頑張っている生徒に対して呟く。その顔には笑みが浮かんでおり、父兄の様な存在感を漂わせていた。
「何を親父めいた事言ってんのよ。まぁ、確かに男子だけだとむさ苦しい感じがするし、分からないでも無いけどね」
「オヤジっぽい発言だよねー」
クスクスと笑う史香と風香。
そのまま何処かへと歩き出し、どこかの扉の前まで来てからネギの方へと振り返る。
「それじゃ、ネギ先生ご期待の更衣室探検でも行っとく?」
「何でそうなるんですかーッ!!」
風香の言葉に対し、ネギが顔を赤くして反論する。それを見ながらベルは笑っており、仲良くなれそうだと呟く。
●
そのまま幾つかの場所をめぐり、夕刻となった。
オレンジ色の光で照らされた世界樹を見上げるネギとベル。木の余りの大きさに、首を曲げ過ぎて痛くなりそうなほどだ。
「大きいわね……」
「うん。大きいね……」
燃える様に赤く染まる空に対し、天高くそびえる圧倒的な存在感を放つ樹。青々と生い茂る緑色の葉が夕焼けを遮り、木の幹には葉の間から漏れる夕日が絵画の様に映し出されている。
綺麗だ、と思いながら世界樹の枝に上って行く四人。幹と同様に木の枝さえも相当な太さであり、高々子供が数人乗った程度では揺らぎもしない。
枝の上で、夕陽を見ながらぽつりと呟いた。
「……先生達は知らないかもしれないけど、世界樹にはある伝説があるんだ」
「伝説、ですか?」
「そ。片思いの人に此処で思いを告げると願いが叶う、って言う、割と在り来たりな伝説なんだけどね」
苦笑しながら、風香はネギの方を向く。
笑みを携えた風香の背には夕陽があり、風香の笑みが輝いている様に見えた。
「何時か、私達もそう言う人が出来たらいいな、って思ってるんだ」
「今は家族にベッタリですけど、何時か独り立ちして、好きな人が出来たら、って思うんです」
その言葉を聞いて、子供の様でもやっぱり女の子なんだなぁ、とネギは感想を抱く。
「その為には、やっぱり身長伸ばさないとね……」
「うん……」
身長には割とコンプレックスを持っているらしく、どうにかして伸びないかなぁ、と呟いている。
ベルはそんな二人に対し、大丈夫よ、と告げた。
「まだ中学生なんだし、これから伸びる可能性はゼロじゃないわ。それに、女の子は少しくらい身長が低い方が可愛いものよ」
「そう? じゃあ大丈夫かな」
あっさりと納得し、風香は枝の上に座った。その後にピンと来たのか、ネギの方を向いて一言。
「もしもの時は先生が貰ってよ」
「あ、それいいですね」
「じょ、冗談もほどほどにしてくださいーッ!」
冗談の様に笑いながら告げる風香と史香に対し、最後までからかわれ続けるネギだった。
●
湯気が立つ紅茶の芳ばしい香りを感じながら、雪広あやかは紅茶を一口飲んだ。
気持ちの良い目覚めを迎え、朝食を終えて今日の予定を確認する。
そうしている間に、執事の一人が雪広へと何かを伝えた。それを聞いた雪広は目を丸くして、中へと連れて来るように執事に言う。
直ぐに来るだろうと思うが、その数分の間に髪を整えて身だしなみをきちっとし、令嬢に相応しい姿を取る。
そして、その場所へと一人の少女が現れた。
青い髪をショートボブにした幼い少女。その子の手には花束が握られており、
「千年伯爵様より贈り物です。そして、雪広あやか様へとお手紙を預かっております」
花束と同じ様に、綺麗な封筒に入っている手紙を手渡し、一歩下がって礼をする。
それを受け取り、伯爵の直筆で名前が書かれている事が分かり、相変わらず礼儀に硬い人だと苦笑した。
「まぁ……千年公ったら、そんな堅苦しい事をしなくてもよろしいのに」
生まれてくる筈だった雪広あやかの弟。生まれてくる前に死んでしまった彼の為に用意された花束を見て、雪広はほほ笑んだ。
「この花束は有りがたく頂戴しておきますわ。エコーさん、だったかしら。千年公にお礼を言っておいて貰えるかしら」
「承りました。伯爵様もさぞお喜びになられるでしょう」
「ふふっ、だと良いんですが」
花束を一度見て執事に渡し、穏やかな笑みを浮かべたままエコーへと向き直る雪広。
「わざわざ遠い所を来て下さってありがとうございます。千年公には良くしていただいていますし、今後も懇意にさせてもらえるとありがたいですわ」
「いえ、私もこれが仕事なのでお気になさらず。伯爵様もさぞお喜びになられるでしょう」
相も変らぬ無表情のまま、しかし雪広は気にした様子も無く、ニコニコとした表情でエコーを見ている。
まるで妹を見るかのような目を向けながら、役目を終えたエコーは「それでは失礼します」とだけ残し、玄関へと歩み始めた。