第三十七夜:新学期
新学期一日目。
春休みが明け、学年が一つ上がったアスナ達。ネギとベルは教職の準備があるので先に行っているらしく、アスナ達の乗っている電車には見当たらない。
電車から降りて学校へと向かい、いつも通り元気があり余っているクラスメイト達と他愛もない談笑をする。
そうやっているうちにHRの時間となり、それを示すチャイムが鳴り響いた。
雑談しながら席に座り、数分してベルとネギの二人が現れる。出席確認をした後、ベルが教壇に立って話し出した。
「さて、おはようございます、皆さん。改めて私達二人はこの3-Aの担任になりました。これからの一年間、どうぞよろしくお願いします」
ベルのちゃんとした言葉遣いに違和感を覚えるネギだが、流石に教職である以上は言葉遣いもキチンとしていなければならないと思ったのだろう。
続けてネギも挨拶し、しずな先生が教室の入り口に来た。
「ベル先生、ネギ先生。今日は身体測定ですから、3-Aの皆さんを準備させて置いてくださいね」
「あ、はい。分かりました。……えー、今日はこの教室で身体測定なので、僕達が出て行ったあとに着替えて準備してくださいね」
はーい! と元気な返事が返ってきたのに満足し、ネギとベルは教室から出ていく。
その後、特に何がある訳でも無く身体測定が終了し、通常授業の後に帰宅した。
●
数日後、夕刻。
空が茜色に染まる時分。女子寮近辺に香奈は居た。
何だか嫌な予感がして女子寮の周りを見回っていた香奈は、その光景を見て呆れていた。
香奈の中に存在する知識故か、それとも女性特有のいわゆる『女の勘』なのかは分からないが、少なくともそれの存在を察知していた。
「ぎゃあああ!! 何だこれ!? あっぶねぇえええ!!」
体の周りの地面にナイフが突き刺さり、紙一重で当たっていないオコジョ。
女子寮の一歩手前で結界を抜けた生物を発見したのは良いが、どうしようかと悩んだ所で取りあえず拘束しようとした訳だ。
一応ながらこの生物が何なのかは分かっている為、ネギ先生かベル先生に連絡すべきかな、と思っていた矢先。
「あ、結城さん? どうしたんですか?」
先の悲鳴で気付いたのかどうかは定かではないが、ネギが仕事道具を持ったまま歩いて来る。
魔法媒体の指輪が夕陽を反射するが、書類などが入ったカバンは背負っている為、両手は空いている。
「先生、このオコジョ知ってる?」
「え? ……あれ、カモ君?」
オコジョを見て名前が出てきたのを見ると、やはりこのオコジョはネギの関係者かと当たりを付ける。
「先生のペット? うちの寮はペットOKだけど、何か飼いたいなら学園長に許可貰わないと駄目だよ?」
一般人の振りをして、定型文通りの情報を与える。どの道、この世界では仮契約をしておいた方が良いだろう。誰と、と言うのは選んだほうが良さそうだが。
仮契約の魔法陣を描く事が可能な、
魔力の量によっては、仮契約をする事でアーティファクトと呼ばれる強力な武器が手に入る事もある為、ネギや木乃香、場合によっては香奈が仮契約で主となってアーティファクトを手に入れる事もありかもしれない。
戦力の増強は、どんな手を用いても行わなければならない。伯爵側との圧倒的な物量差を覆すには、エクソシスト一人一人の力は余りに小さすぎる。
まして、AKUMAの存在を知っているかどうかこそ分からないが、未だ子供で未熟なネギの身を守る為なら、関係者であれば仮契約は推奨すべきだと判断した。
それがどんな結末を迎える事になるにせよ、今後の戦力としてみるならば、香奈にとってネギは将来性を大いに期待出来る。
それじゃ、と告げて、香奈は長く黒い髪をなびかせて寮へと返って行った。
●
あのまま女子寮の近くで話しては誰かに見られる可能性があった為、女子寮の自室へと返ってきたネギ。その肩には先程のオコジョが乗っていた。
アルベール・カモミール。イギリスでネギに助けて貰って以来、ネギの事を兄貴と慕うオコジョ妖精。
「いやー、さっきは助かりましたよ、兄貴。危うく狩られる所でした」
「流石に狩られたりはしないと思うけど……でも、どうしてここに?」
「それはもちろん、兄貴の力になりたいからっすよ! 聞けば、兄貴とベルの姐さんはここで教師をやってるそうじゃないですか。一人前の魔法使いになりたいなら、やっぱりパートナーが大事ですからね!」
「で、でも、僕にパートナーなんてまだ早いよ!」
顔を赤くしながら、ネギは反論する。この年頃では、大抵好きな人がいるかどうかさえ怪しい。まして、恋愛等はまだ早い。
だが、そんな事は関係無いとばかりにカモは続ける。
「甘いっすよ! パートナー選びは速い方が良い。兄貴だってあのサウザンドマスターの息子なんだから、誰か一人位パートナーが居ないと格好つかないってモンですよ!」
「それは建前として、本音は?」
「追われてるから匿って貰いたいんで……って、え?」
ネギとは違う声色。流されるままに本音を答えてしまったカモは、冷や汗をかきながら背後を見る。
そして、修羅を見た。
「其処に正座しなさい、この食肉類」
「へ、へぇっ!」
反論をさせる様な空気では無く、カモとしても此処で反論してしまえば不味い事になるのは目に見えている。余計な事は言わない方が得策だろう。
ベルは読み終えた手紙を片手に、腕を組んだまま仁王立ちしていた。背後には鬼神が見えている。
「あんた、ウェールズで下着二千枚を盗んだんだって? 前にアレだけやられたのに、懲りないわね」
「い、いえっ! 決してそんな事はっ!」
前に下着を盗んでベルに折檻された事を思い出したのか、正座したままガタガタと震えるカモ。
隣で見ていたネギは、ベルへと疑問の声を上げた。
「……それ、本当?」
「本当よ。ネカネ姉さんからの手紙に書いてあったわ。……と言っても、
ネギの質問に答えた後、後頭部の長い爺さんの顔が浮かぶが、それを直ぐに頭の中から消すベル。溜息を吐きながらカモを見た。
「食肉類。アンタ、ネギにちょっかい出して生徒と一線越えさせるようなら、またあの地獄のフルコースだから。今度は二連続で」
「へぇっ! 心得てます姐さん!!」
余程酷い目にあったのか、敬礼して約束するカモ。渋々認める事にしたようだが、余計な事をすれば不味い事になるのは目に見えている。
当てが外れたカモだが、仮出所扱いされていると言うのは本人にも初耳だったので、このまま余計な事をしなければ大丈夫だと判断した。
「取りあえず、学園長から許可は貰ってあるわ。仮出所である以上、こっちで預かる羽目になる訳だしね。……二つ返事でオッケーして貰えた事を考えると、やっぱり学園長がやったのかしらねぇ」
ま、いいわ。と一人ごちて、テキパキと夕食の準備に取り掛かる。アリカに料理を教えて貰った為、ある程度は作る事が出来るのだ。
キッチンへと向かったベルを見送り、大きく息を吐いて机の上に倒れ込むカモ。
物凄い冷や汗をかいており、ベルを前にしてかなり緊張していた事が窺えるだろう。一体どんな事をされたのか気になるものだ。
「良かったじゃない、カモ君。お姉ちゃんに許して貰って」
「いや、あれは許して貰ったんすかねぇ……まぁ、此処に居させて貰えるのはありがたいですが」
キッチンで料理をしているベルを横目に、布巾で机を拭いて皿を並べるネギ。二人だけの生活と言うのにももう慣れたもので、手際良く作業をこなしている。
(……でも、おれっちはこんな事じゃ諦めねぇぜ!)
闘志をたぎらせつつも、やっぱりベルは怖いと思うカモであった。
●
麻帆良の町を悠々と歩く。
そこにいるのが世界を敵に回した悪役とは思えない程軽やかな足取りで、街並みを見ながら歩き続ける。
横をすれ違う魔法先生達も、彼の異質さには気付く事無く巡回を続ける。尤も、顔だけで判断するのはほぼ不可能と取っても良い為、別に魔法先生達のレベルが低い事を示している訳でも無いのだが。
しかし、やはりこうなると物足りなさを感じる。
この姿の事を知っているのはノアとAKUMA。貴族と会う際には顔を多少変えている為、この姿で会っても分からないだろう。
顔が割れていないと言うのは立派なアドバンテージだ。これを有効活用しない手は無い。
麻帆良の要所を歩き続け、必要なポイントを割り出して侵攻する為の計画を練る。
ここ麻帆良には多数のエクソシストが居る。その確認と、実力の調査。単純に言えば、戦力調査の為にAKUMAを送り込もうと言うのだ。
麻帆良の一角、カフェテラスで麻帆良全土の地図を広げ、マーカーペンで必要な場所に書き込みをする。別にみられた所で問題は無い。
怪しいと思われても、イコールで千年伯爵に結び付ける事はおよそ不可能だからだ。
紅茶とシフォンケーキを味わいつつ、地図を一旦見返す。
カタン、と音がして、正面に顔を向けて見れば、其処にはアスナが座って紅茶を頼んでいた。
「珍しいね、千年公が此処に来るなんて」
「今はネアと呼んで欲しいな。僕とて、この場でエクソシストに囲まれるのは御免だからね」
「そう? いざとなれば、ここら一帯吹き飛ばせばいいじゃん」
店員が持って来た紅茶を口に含みながら、アスナはそう言う。
ハッキリ言えば、アスナにとってこの街はどうでもいい。学校など行かなくても方舟でスカル達に教えて貰えば良いし、大量の本で学ぶ事も出来る。
普通の人間の友達がいると言うのも面白いが、仮に伯爵が麻帆良を滅ぼすと言えば簡単に見捨てるだろう。
アスナにとって、この街は暇潰し程度の価値しか無い。
「まぁね。でも、今はあまり派手に動くべきでは無いよ。不確定要素が多過ぎる」
地図を仕舞いながら、伯爵はそう言う。
余りにも世界が変わり過ぎている。これが彼の知っている世界だと言うなら、まだ手の打ちようはあった。だが、この世界は変わり過ぎていて、伯爵が余りに関わり過ぎれば不味い事になりかねない。
紅茶を口に浮く見ながら、伯爵はゆっくりと話しだした。
「取りあえず、麻帆良のエクソシストの戦力は把握しておく必要がある。停電の日にでも一度仕掛けて見るさ」
「ふぅん。ボクらはまだ傍観かぁ。修学旅行もどうやら京都になるみたいだし、そっちも面白い事になるだろうね」
「そうだったね。あっちの準備も整いつつある。君達が修学旅行に行く際には、もう準備が整っているだろう」
「ふふっ。マーシーマもやる気を出せば、万全なんだろうけど」
「ロシアで暴れて来ているからね。次の仕事は、彼的には不満があるのかもしれない」
と言っても、伯爵が頼めば仕事はキッチリやる主義なので問題は無いのだが。
「協調性無いよねぇ、マーシーマ。ラースラにでも任せた方が良かったんじゃない? もしくはラストルとかさ」
「全員別の仕事が入ってるよ。今は大忙しでAKUMAの数を増やしてる。……そろそろ、ハートについて探りをかけた方が良さそうだしね」
この時代ならば、ハートは既に目覚めている可能性が高い。残るイノセンスの内、ハートは一つだけ。
目覚めているかも知れないし、目覚めていないかもしれない。例えどちらであろうとも、伯爵にとってやる事は変わりないのだ。
壊して、砕いて、破砕して、破壊する。
エクソシストの数がかなりの数になってきている。そろそろ数を調整しておくべきだと、伯爵は考えているのだ。
負ける可能性を作ってはならない。例え一%であろうとも、この世界の『人類』が伯爵に牙をむく可能性はあるのだから。
どんな方法であろうとも。
「イノセンスは、僕等を殺す為なら何でもやる悪魔だ。神は人間に慈悲を与えない。神にとって大事なのは、この聖戦に勝つ事だけだよ」
紅茶を飲み終えた伯爵は、アスナが飲み終えるのを待ってカフェから出た。
──そして、四月十五日。麻帆良大停電の時、伯爵が動いた。