第四十一夜:前哨戦
嵐山の宿。そのロビーにて、ベルと香奈は話し合いを始めていた。
簡易的に認識阻害の結界と人払いが敷かれており、一般の生徒や先生に会話を聞かれない様にしている。
「──要約すれば、あなたと神谷さんは仕事でコンビを組む事が多くて、相部屋と言う事もあって今回の事も知ってる、と」
「そう言う事。私も刹那も、前衛としてはそこそこやれると思うよ」
事実として、AKUMA相手に引けを取らない実力を備えている。メガロの本国正規兵よりも実力が高い事は確かだろう。
だが、AKUMAや伯爵の存在を知らないベルにそういった事を話す事は出来ない。故に、"仕事"という言葉で曖昧に濁しているのだ。
「ベル先生とネギ先生は後衛タイプ? 私としては、前衛を任せて貰ってから後衛を先生達にやってほしいんだけど」
「私もネギも、どっちも出来るわよ。父さんや知り合いから鍛えられてるから、生半可な実力の人には負ける気はしないわね」
基本的に世界最強クラスの実力者ばかりなので、そういった連中から鍛えられた二人の実力も押して測るべしである。
クスリと笑みを浮かべ、ベルは椅子から立ち上がった。
「取りあえず、大体の情報は共有できたわ。後はこっちでも何とかするし、この分なら近衛さんの護衛は安心できそうね」
「先生達も、親書を届ける仕事を頑張ってね。私はどっちの立場でも無いから、いざとなったら応援に行ってあげるから」
「期待しておくわ」
手早く認識阻害と人払いを解除し、ベルはネギと今後の相談をする為に部屋へと戻る。
一方、香奈はと言えば、もう戻ってきているであろう刹那と情報の共有をする必要がある為、こちらも部屋へと歩を向けた。
「あら、ネギ。お風呂に入ってたの?」
部屋へと戻る道中、露天風呂からネギが笑顔で出てきた。
「うん。露天風呂っていいね、凄く気持ちよかったよ」
「アンタ風呂嫌いの癖に、露天風呂は好きなの? 変わってるわね」
「頭を洗わないなら良いんだよ。流石にずっと入らないって言うのも駄目だろうし」
二人で話しながら自室へと歩き始め、香奈と刹那についての情報をネギへと話す。モとネギはそれをしっかりと聞き、木乃香の護衛は大丈夫だと判断した。
●
そこは、麻帆良学園が取っている宿の屋根の上だった。
一人の少女が携帯を片手に誰かと話しており、状況を報告している様にも思える。風が吹く度になびく髪は赤く、その視線が向いているのは相部屋である木乃香だ。
「今、彼女は部屋の中にいるよ。ボクは席をはずしてるから、狙うなら早いうちが良いと思うけど?」
『分かってるよ。だが、予定よりも護衛のカスどもが多い。ブチ殺して回ってんだ。少し待て』
電話越しに聞くだけでも、相手が不機嫌な様子が分かる。それだけイラついているという状況なのだろうが、アスナにどうにかする事は出来ないし、する予定もない。
『第一、攫うならロードの能力使うのが一番手っ取り早いだろうが。何でわざわざ攫いに行かなきゃならねぇんだよ』
「ボクは別にばれても良いんだけど、もう少し情報を集めたいんだってさ、千年公」
『
電話の相手──マーシーマは、不機嫌な様子を隠す事無くアスナへと言った。だが、アスナは嘆息しながら答える。
「そもそも、あの子たちとボクでは立場が違う。ボクは大戦期からナギ達と行動していたから、ある程度は行動を供に出来るし、関係者として施設に入る事も出来る」
だが、あの二人は違う。アスナはそう言った。
マーシーマは興味が無いという事で知らないだろうけど、魔法使いとしてさえ認識されていないのだから、エクソシストがいる施設へ入る事は不可能。イノセンスと適合できる訳でも無いから、この役目はボクにしか出来ないことだ、と。
マーシーマはそれに納得し、アスナは向こう側で誰かが上げた断末魔を聞いた。それを気にせず、マーシーマは言葉を続ける。
『なら、あいつ等に攫わせるのは──いや、そいつは駄目だな。あいつ等も見張りについてるんだったか』
「うん。……千年公が危惧してるのは、彼が作ったシナリオから外れることだよ」
そして、外しかねない存在が、現状では三人いると聞いている。それを見張る為に、千年公はわざわざ彼女達を寄越したのだと。そうでなければ、とうの昔にイノセンスを破壊して回っている。
『イノセンスを持ってる結城香奈って奴はわかる。だが、桜咲雪音と超鈴音ってのはどうなんだよ』
イノセンスを持っている気配もないし、そもそもAKUMAの事を知っている様な気配さえ無い。それを、どう警戒しろと言うのか。
「そう言う油断が、死ぬ事に繋がるんだよ。マーシーマ」
実際、ロードとして、アスナとして、家族であるノアが死ぬ所には何度も遭遇している。百年程度生きていれば、必ず出会ってしまう事柄だ。逃げる事など出来ない。
大戦期にはジョイドを失ったし、その後にはボンドムを失った。代わりにエクソシストを殺せたものの、家族を失う悲しみと言うのは慣れる様なものでも無い。
大戦から二十年が経った今、ノアが代替わりしたのはボンドムとジョイド、マーシーマの四人。それ以外の全員が存命だ。もっとも、ボンドムの二人に関して言えば老衰なのだけれど。
ノアでは無い、番外とでも呼ぶべき青年はいる。だが、アスナを含めるノアの大半が
『ハッ、一部の慢心は死に繋がる、だったか。だが実際のところ、イノセンスももたねぇカスどもに負ける気はしねぇよ』
「ボクはその辺はどうでもいいけどね。人間、死ぬ時は必ず死ぬものだよ」
例えどれだけ不死性を備えていようと、死ぬべき時には死ぬ。それがどんな理由かは分からないが、世界とはそういう風に出来ている。
『分かってるよ。全く、ラストルとお前は長年生きてるせいか説教臭い。そう言うのは胸の内にしまっておけよ』
「善処するよ──それより」
『ああ、準備が整ったらしいな』
アスナは視線を部屋の中の木乃香へと向け、その背後に迫った千草を視認する。暗い上に人が多くて分かり辛い。この距離でも千草の事はハッキリと認識出来ていたのは、アスナと何らかのつながりがある事を示していた。
それ即ち、千草が■■■であるという事に他ならない。
陰陽術によって木乃香を昏倒させた千草は、手に持っていた転移符を使って移動する。マーシーマは別の場所にいるようだが、恐らく千草が集めた戦力が集結している場所だろう。其処であれば、最早木乃香を奪還する事は叶わない。
余りにも呆気ない、つまらない幕切れに成りそうだ。とアスナは小さく呟いた。
●
転移符による移動が完了した。
京都にある橋の一か所。其処に、千草は自身の協力者であり、戦力となっている面々を集めていた。マーシーマは別行動だが、そもそも千草の言う事を聞く様な人物でも無い。放っておくのが一番だと、判断を下す。
小太郎──狗族の少年であり、少なくとも唯の人間よりは強いと言えるだけの実力を持つ。
月詠──剣に魅入られた悪鬼であり、殺したがりの殺人狂。実力はこの場にいる四人の中でも高い方だろう。少なくとも、近接戦闘に置いては小太郎を圧倒的に上回る。
フェイト──造物主に作られた少年であり、その実力は正に世界最強クラス。このメンバーで言えば、まごう事無き最強の人物。
そして千草──関西の中でも手練れとして知られ、過激派の中で実行部隊を任せられるだけの知力も持ち合わせている。
マーシーマことシドに関して言えば、この中の三人は殆ど知らなかった。千草が独自に雇った傭兵だと説明したものの、フェイトは既に怪しみ始めている。それを分かっていながらも、千草は作戦を遂行しようと動く。
「小太郎、月詠、フェイトはん、手筈通りにな」
それぞれ適当に頷き返し、歩きだそうとした所で──異変に気付く。
敵意、あるいは悪意。
害意を持って武器を振るう何者かが、背後に現れた。一瞬早く気付いた月詠は攻撃をかわす事が出来たものの、反応が遅れた小太郎は高速の斬撃を浴びてしまう。
刃が月明かりに煌めき、夜の中で特に目立つ白髪の少女。小太郎に斬撃を浴びせた直後に後退し、手に持った刀を構えた。
小太郎は痛みに呻きつつ、やられた部分を凝視する。
「っぐ……あかん、足をやられてしもうた……」
右足のアキレス腱を断裂させられている。あの一瞬で切りこんだ事もそうだが、斬撃の速度が半端ではない。あれだけの速度、月詠でも出せるかどうか──
「貴様ら、お嬢様を狙う賊だな。諦めろ、既に援軍は呼んである」
油断なく構え、千草達に動く隙を与えない。木乃香は千草の腕に抱かれている為に、千草は攻撃出来ない。だが、それ以外の三人なら潰せる。
現に、小太郎は既に戦闘力のほとんどを奪っていると言っても過言ではない。右足のアキレス腱を切ったという事は、右足は使い物にならないという事に他ならないのだから。
「生憎と、それだけで諦めるほど素直な性格してへんねん」
千草は言葉を発すると同時に符を投げつける。符は飛翔半ばで雷撃の槍と化し、白髪の少女──刹那を殺害せしめんと迫る。
しかし、刹那は顔色一つ変えることなく、それを避けた。
刀を右手に、ナイフを左手に持ったまま横へと跳躍し、左手に持つナイフを投擲する。月詠が前に出て弾き、更に追撃を加えて行く。
刀と小太刀を構える月詠は、武器をナイフに持ち替えた刹那と対峙し、斬りかかる。その顔には満面の笑みが浮かんでおり、刹那は変わらず無表情で斬撃を弾き、かわし続ける。
「ウフフ。先輩、刹那センパイ。ウチ、先輩と斬り合い出来て嬉しいですー。目一杯楽しませて貰いますさかい」
口が三日月に裂け、歪な笑みを生みだす。速度が上がる。剣撃が鋭くなる。
ナイフ二本を構えて太刀と小太刀の連撃を受け続けるも、視線は月詠を見るだけにとどまらない。
背後から援護しようとした小太郎に対し、ナイフを投擲して牽制する。フェイトは誰かの隙を窺うように全員の死角へと動いており、刹那もそれを見逃していた。
一旦大きく距離をとる。月詠がそれを追おうとするも、連続したナイフの投擲によってそれが阻まれた。
「神鳴流に飛び道具は効かない。センパイも同じ流派つこうとるんやから、知ってますでしょ?」
月詠が疑問に思いつつ告げるが、刹那は気にした様子もない。両手に持った十のナイフが一誠に投擲され、小太郎と月詠を狙う。
「舐めんなや!」
犬神! と叫び、黒い犬の様な不定形のモノがうごめき、ナイフを叩き落とす。月詠は先ほどと同様にナイフを叩き落とし、刹那へと迫っていた。
必殺の距離。懐まで潜り込んだ月詠は、刃を喉元へと迫らせながら勝利を確信し、刹那は慌てるそぶりすら見せずにそれを防ぎきった。小太郎は動けず、月詠は自分の傍にいる。視線を動かし、刹那は合図を出した。
瞬間、肉を打つ様な音と同時に、千草が崩れ落ちる。
「悪いね。一応、僕はこちら側なんだ」
フェイトが踏み込み、打ちこんだ一撃で、千草は沈んでいた。木乃香は既にフェイトの手の内にあり、フェイトは無表情で千草を見下ろしている。
浮遊術で一旦浮いて移動し、刹那の隣に並ぶ。既に得物は刀へと切り替えていた。準備は万端、と言う事だろうか。
そもそも、フェイトが千草の側についていたのは情報を手に入れる為だ。過激派の目的も、準備も、メンバーも分かっている状況では、最早過激派に残る理由は無い。
「……刹那、千草は恐らく……」
「……何? 過激派の連中で実行部隊として動いている事は知っていたが、まさか……」
手早く会話をする二人を前に、千草は何事も無かったかのように立ち上がった。
「痛いやないか、フェイトはん。今のは中々効いたで」
服についた埃を払う仕草を何度か繰り返し、眼鏡を付け直してフェイトと刹那を見やる。その眼は酷く濁っていて、人間のそれとは思えない悪辣さを兼ね備えていた。
ダメージがあるようには見えない。これでは、木乃香の奪還自体が仕組まれていたものではないかと疑ってしまう。
「まぁ、身内に裏切り者がいるのは予想出来てたし、フェイトはんが今更裏切った所で大して変わらへんけどな」
予想の範疇。そもそも、千草が伯爵と通じている──否、千草がAKUMAだというのなら、フェイトが敵だという事は分かっているのだ。
潜入捜査など、元から意味を成し得る筈もない。もっとも、それを知らない過激派の事は殆ど知られてしまったようだが、余り大した事では無い。少なくとも、千草にとっては。
「小太郎、月詠、引くで。このままやっても不毛なだけや」
千草は振り返り、背を向けて歩きだす。最早、この場所に意味は無いとでも言いたげに。
しかし、その致命的なまでの隙を、二人が見逃す筈もなかった。
「逃がすとでも──」
「──思っているのかい?」
飛ぶ斬撃が月詠と小太郎を襲い、その一瞬の間にフェイトが石槍によって千草の胸を貫く。相手がAKUMAだというのなら、尋問した所で何もきけはしないし、そもそも尋問自体出来るような相手でも無い。
フェイトは木乃香を抱き抱えている為に近接戦闘は出来ない。故に、遠距離での強力な一撃で壊す事にした。
千草の胸が貫かれ、数瞬の間をおいて爆破する。だが、フェイトの眼から見て今の爆発は不自然な所があった。
(……懐にある符を使って、自分で爆発させた……?)
その行為の意味が分からない。いきなり胸を貫かれた上に、爆発して木端微塵になった千草を呆然と見る小太郎と月詠。彼らを保護する必要がある、と思った瞬間、月詠が一枚の符を取り出した。
転移符。千草が此処まで来るのに使ったものと同じもの。だが、転移するのはあらかじめ決めてある場所のみ。
それを、まるで示し合わせていたかのように手早く用意し、気を練り込む。
「千草さんはやられてしまいましたけど、ウチはまだ諦めてませんから」
それは、木乃香を攫うことが、ではなく、刹那と戦うことが、だろう。実際、月詠の興味は常に刹那へと向けられていた。
月詠にとって、過激派の目的など二の次。自身は充実した殺し合いが出来ればそれで満足だと言いたげに、剣先を刹那へと向けたまま転移した。
●
同時刻、別の場所。
音速を超えた戦闘の果てに、辺りの地面は抉れていた。攻撃がぶつかり合った衝撃でガラスが砕け、辺りに破片が飛び散っている。
その中に、二つの影があった。
「へぇ、千年公が危険視してるって言うからどんなものかと思えば、中々。今はまだ雑魚だが、磨けば育つ原石ってところか」
ドレッドヘアーの男は、にやついた笑みを浮かべながらサングラスをかけなおす。肌は浅黒く、額には聖痕がある。ノアだと一目で分かる容姿だ。
対峙する様にトンファーを構える香奈は、額から血を流しつつも警戒心を緩めない。
(クソッタレ、なんて強さよ……これで全力出して無いって言うんだから、連中の途方も無い強さが垣間見えるわね)
息切れを起こしてはいないが、目の前に立つ重圧感だけで鳥肌が立つ。精神的な圧力で息を切らしそうになる。
ノアの一族が此処までの実力だとは、予想だにしていなかった。咸卦法こそ使っていないものの、実力はそれなりにある方だと自覚していたのだが。
「……ちょっと、不味いわね」
このままだと、やられる可能性がある。手の内を晒すの晒さないので迷っている場合じゃない。全力を出さない時点で、この戦いは負けが決定する。それほど絶望的な実力差だ。咸卦法を使ったからとて、この状況を逆転できるとも限らないが。
ドレッドヘアーの男──マーシーマが香奈の動きに先んじて動こうとした瞬間、携帯の音が鳴り響いた。
マーシーマは舌打ちしつつも携帯に出て、二、三言会話した後、通話を切る。傍から見ても不機嫌な様子だ。
香奈がその隙に動こうとした所で、マーシーマの姿が影に沈み始める。転移魔法による移動だろう。先程の電話の主が退かせたのだろうが、この男が命令を聞く相手など限られている。
香奈から見てもプライドの塊の様な男が命令を聞く相手……単純に考えれば、千年伯爵だろう。
(……取りあえず、助かったというべきね)
実力を確かめる意味合いで戦闘していたのだが、危うくイノセンスを破壊される所だった。今後はそう言った余裕のある行動は味方が多い時にでもやるべきだろう。
修学旅行二日目を今から思い、嘆息する香奈だった。