第四十四夜:集結する者たち
アスナは背後に迫る月詠を確認しながらも、特にアクションを起こさない。
木乃香の護衛である東の勢力──関西の者たちは既にやられているのだろう。そうでなければ、度重なる月詠の不意打ちを説明出来ない。
同じく班員で護衛である雪音も同様の意見らしく、更には一般人を巻き込まない事に配慮していない様子が見て取れる。
(……ま、その辺はボクにとってもどうでもいいことだけど)
面倒なのは攻撃を喰らっても平然としていられるアスナの特異性が露見することだ。月詠のような不確定要素は、余計な事をされる前に潰すに限る。
とはいえ、このタイミングで月詠だけにAKUMAをけしかければ、何かしらの疑問をエクソシスト側に与えることになってしまう。
例えば、「何故近くに人間がいるのに月詠だけをピンポイントで狙ったのか」など。月詠が伯爵側にとって不都合な存在であると仮定するのなら、月詠の行動を徹底的に洗い出すだろうし、「この状況でいきなりAKUMAを使った理由」が創りだせない。
木乃香の父親である詠春はエクソシストである為、伯爵との繋がりは容易に否定できる。ならば、次に疑われるのは他の班員か己か。
アスナに関してはナギや詠春が否定するだろうが、何かの拍子にイノセンスをぶつけられては堪ったものではない。一発で正体が露見してしまう。ある程度は誤魔化せるかもしれないが、一度抱いた疑念と言うのは往々にして消えにくい。波風は立てないに限る。
であれば、次に取るべき行動は限られてしまう。
(ボクではない、別の誰かに間接的に始末させる……とはいえ、桜咲雪音じゃ力不足、近衛木乃香も実力は及ばない。それ以外は一般人で、木乃香の護衛は既に死亡)
アスナであれば簡単に始末できるが、それも出来ない。いや、時と場合によっては不可能ではないが、場を整えるのに無駄な時間を使ってしまう。それ位なら、別の手段を構築した方が速く確実だろう。
マーシーマをけしかけるのが一番速くて確実かな、とやけくそ気味に思考を終えた所で、背後から投げられた鉄の杭のような物を避ける。
月詠の奇襲攻撃、のようなものだ。元々正面から切り裂く事に特化している為か、こういった背後からの攻撃は妙に素人くささを感じさせる。
それを油断を誘う為のモノと考えてもいいが、マーシーマの言っていた事も鑑みれば、単にこの手の事が不得手であると判断できた。
舌打ちしながら背後を見て、未だに追ってきている事を確認する。
「どうする? このままだと、周りの人にまで被害が出かねないよ?」
「とは言っても、ゆえ達を巻き込む訳にもいかんしなぁ。面倒なことになっとるわ」
小声で相談するアスナと木乃香。背後からの攻撃は全て雪音が対処しており、前を歩く図書館島探検部三人は気付くそぶりも見せない。
とはいえ、このままだと月詠が一般人ごと巻き込んで戦闘を始めかねない。アスナの本心としては別にそれでも構わないが、立場を考えるとそうもいかない状況に在る。
「どこか開けた場所があれば、ボクが結界を張って相手出来るけど」
「いや、それはリスクが高いで、アスナ。見た感じ、雪ちゃんより強そうや。一対一やとこっちがやられかねへん」
雪音もそれが分かっているのか、自分ひとりで相手をしようとは考えていない。そも、雪音よりも強い刹那が取り逃がしている時点で実力は推して測るべしだろう。
関西において、神鳴流の流派において、近接戦闘ではトップクラスの実力を持つ刹那。才能の塊でありながら神鳴流から破門され、対魔のための刃を殺人のための刃に変えた少女。その凶刃から逃げ切った月詠もまた、流派を破門された殺人鬼だ。
外的要因か内的要因か。変わった理由は違えど、その実力は本物だ。油断など出来る筈が無い。
「……ま、最悪本山に逃げ込めばええしな。面倒事もちこむんはちょっと抵抗あるけど、ウチらより余程強い人達がいるから大丈夫やろ」
刻々とその最悪に近づきつつあるが、現状はどうしようもない。ゆえ、のどか、ハルナの三人さえいなければ、適当な場所に誘導して三対一で叩けるのだが。
そんな事を考えていると、ふとした拍子に既視感を覚えた。
(……? 今、横を通った人──)
振り向こうとした瞬間、辺りに隠蔽のための人払いの結界が張られた。裏道では無いにせよ、国道近辺と言う訳でも無いので人通りはそれほど多くは無い。故に、数分もすればこの辺り一帯から人がいなくなるだろう。
そして、その結界を張った当人──目立たない様に変装していた長門は、肩に担いだ武器を持って跳躍し、月詠へと横薙ぎを繰り出す。
咄嗟にそれを刀で防ぎ、衝撃を受け流す目的もあって月詠は後ろへと跳ぶ。
「近衛嬢の護衛役をする事になった。詳しい事は長から聞いてくれ」
大きめの袋を背負った肌の黒い男性がアスナ達へと言う。顔は見えないが、背負った袋の中からは微力ながらイノセンスの力を感じる。アリアドネーなどで使われているイノセンスの封印術式だろうか、とアスナはあたりを付け、視線をずらす。
木乃香と雪音は警戒した様子で男性──アルヴァを見ており、木乃香達のとは既知の仲では無いと分かる。
だが、アスナは物怖じする事無く小声で会話を始める。元々このメンバーでAKUMAの事を知るのがアスナしかいない以上、彼らの目的を知るのもアスナの役目だ。
「エクソシスト?」
「ああ。今は別件で来ているのだが、関西の過激派が伯爵と繋がっているようなのでな」
過激派の一人である月詠から情報を引きだそうとした、と言う訳だ。
だが、これは好都合。過激派と繋がっていることがばれようと痛くもかゆくも無い以上、この機会を逃す手は無い。
(AKUMA達。エクソシストがいるから、もう少し待って殺しなさい)
この近辺にいるAKUMAへと命令し、月詠と戦っている長門及びアルヴァを攻撃する様に仕向ける。それだけで、月詠が伯爵と繋がっていると認識するだろう。後は、どさくさに紛れて月詠さえ始末してしまえば問題無い。
懸念事項は月詠の実力だが、この近辺にレベル3以上のAKUMAを配置していない為、殺すにしても時間がかかる可能性が高い。
故に、今はまだ静観。
二人の体力を少しでも減らし、タイミングを見計らって強襲すれば、こちらの被害を少なく出来る。
レベル2程度では皆無に近い勝率を上げるため、小細工をしなければならないと言うのが何とも言えない所ではあるが。まぁ、面倒になったら千年公に
「アスナ、今のうちにいくで」
「え、ああ、うん」
認識阻害の結界の力で背後の闘いを無視して歩き続ける三人を追い、アスナ達もまた歩き出す。
背後から聞こえる戦闘音は段々と小さくなり、ある程度離れると聞こえなくなった。これもまた認識阻害の結界の効果だろう。便利なものだとしみじみ思うアスナ。
最後に一度だけ振りかえり、やっぱり自分で殺したかったな。と後ろ髪を引かれる想いだったと言う事を知る者は、居ない。
●
刹那と香奈は正座をして詠春の前に座っていた。木乃香の護衛と言う任務に紛れて、関西の裏切り者を処罰していた刹那の任務。その報告に来ているのだ。
詠春も眉根に皺をよせ、面倒事が増えたとばかりに深く溜息をつく。
ちなみに言うと、ネギとベルからの東西融和のための親書も受け取り、二人は別室で休んでいる。
「……やはり、伯爵が絡んでいる事は間違いないようですね」
「ノアが居たこととAKUMAが居たこと。どちらかだけでも確定的と言えるでしょう。何を狙っているのかは知りませんが、増援に来たエクソシストと共に殲滅したい所です」
「とはいえ、見分けるのも面倒なんですよね。エクソシストが着てる
「そうですね……ギュスターブがいれば、話は速かったのですが」
かつて詠春達
現在も第一線で戦い続けていると聞いていたが、その能力の特性上、この極東の島国で起きた問題よりも優先すべき任務が多々あると言う事だろう。
今も昔も、AKUMAによる被害が減っている訳ではないのだから。
「まぁ、居ない人の事を言っても仕方ありません。我々も実力者を集めて殲滅に当たる事にしましょう。今は別件で出ていますが、明日には戻ってくる予定ですから」
「では、本格的な戦闘は明日と言う事になる訳ですね」
「そうなります。あちらから仕掛けてこないとも限りませんが、本山にいる内は恐らく大丈夫でしょう」
関西の総本山でもあるこの場所には、麻帆良と同質の結界が張られている。その為、結界を潜った瞬間にAKUMAや異形の存在は動きを止められるのだ。
故に、ノアが攻めてこない限りは問題無い。ノアはあくまでも人間である為、結界が効果を及ぼさないからだ。
「それに、そろそろ木乃香にも伯爵の事を伝えるべきかもしれません。私ももう若くありませんし、木乃香とて何時までも母親の本当の死因を知らないままでは──」
「御話し中失礼します。木乃香お嬢様がご学友と共にこちらへ向かっておられる様ですが、どうしますか?」
侍女の一人が
咄嗟に口をつぐみ、その先を留める詠春。音は外に漏れない様にしておいたので、恐らくは大丈夫だと判断し、結界を解く。
「もてなしてあげなさい。久しぶりに帰ったのですからね」
「分かりました」
失礼します、と言って、侍女はそのまま歩き去った。
再度結界を張り直し、一息つく詠春。誰かに聞かれるのは避けた方が良い話題である為、神経を使うのだろう。
「……木乃香が到着する様ですし、話はここまでにしましょう。詳しい事は明日で良いですね?」
「分かりました」
「私も良いですよ」
そも、関西における決定権は詠春にある。関東にいる間は近右衛門に従うが、関西にいる以上は詠春に従うのが道理というものだろう。
三人は立ち上がって、結界を解除して移動を始めた。
●
それから数十分後。
長門と戦っていた月詠が、AKUMAが現れそちらと戦い始めた長門とアルヴァを置いて木乃香達を追跡し始めたようで、あえなく逃げる羽目に。姿はボロボロだったが、眼光が死んでいないという状態だったため、渋々ながら本山へと向かう事が決定した。
故に、木乃香達はこの場にいる。
どれくらいの大きさなのか、把握するのも面倒だと思うような広さの家に、ゆえ、のどか、ハルナの三人はぽかんと口を開けて呆然としていた。
「うわ、すっご……木乃香ってお嬢様だったんだね。いいんちょ並みの」
「まぁ、時々見せる作法とかから予想は出来たですが」
普段から大和撫子の雰囲気を崩さず、おっとりとした笑みを浮かべている木乃香。時たま見せる目上の人への礼儀や所作が、育ちの良さを感じさせるものだったのだろう。
また、それが雪広にも通じる為、良い所の令嬢と言うのは予想出来ない訳でも無い。
そんな会話を続ける面々の前に、少し顔色の悪い詠春が姿を現す。その後ろには刹那と香奈がついており、刹那は相変わらずの無表情、香奈は笑みを浮かべて手を振っている。
二人がいることに驚くゆえたちを後目に、詠春が話し始めた。
「久しいですね、木乃香。そしてようこそ、クラスメイトの皆さん。特に何があると言う訳でもありませんが、ゆっくりしていってください。今から降りると日が暮れますし、危ないですからね。泊って貰って構いません」
「ええの、お父様?」
「ええ、折角木乃香が級友を連れて来てくれたわけですからね。歓迎しない訳にはいかないでしょう」
それに、現状本山から出る方が危ない。表向きは過激派の所為で、その実AKUMAの所為。どちらにしても命に関わる危機なのだから、出来れば留めておきたいと言うのは詠春の本音だろう。
まぁ、それを見越した上で此処を選んだ木乃香も木乃香だが。
(ま、狙う対象が絞れたんだから、結果的にはラッキーかな?)
エクソシストを分散出来たと言うだけでも、アスナとしては楽が出来る。宿の方にもノアはいるものの、彼女達はまだ姿を晒すべきではないと伯爵に言い含められている。
同時に仕事も与えている為、滅多なことでは行動を起こす事は無いだろうと思い。
「それでは、宴会の準備に入りましょうか」
詠春の笑みを見ながら、誰が一番殺し易いかを考えるアスナだった。
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「すみません、逃げられました~」
月詠が怪我だらけでアジトへと戻ってきた。それを見るなり、千草は符を投げ渡して怪我を癒す様に言う。
「作戦決行は今夜や。都合よく本山に残ってくれとるみたいやしな。手早く落とすで」
「シドはんと小太郎はんは?」
「シドは準備して、小太郎は捕まっとる。本山を引っかき回すついでに牢屋から出すから、アンタがそれをやり」
「分かりました~」
間延びした声で返答する月詠。その表情は、また刹那と斬り合いが出来ると悦んでいるようにも見える。一日目の斬り合いは不満だったらしく、今日一日中つけ回していた理由もそれだ。
結果的にエクソシストが釣れた事を考えれば、月詠は強者を呼び寄せる運でも持っているのかもしれない。
だからだろうか。
アジトの扉が開き、この場の誰もが知らない青年が入ってきた。
咄嗟に符を構え、迎撃準備を構える千草。同様に二刀を構え、敵を見る月詠。既に先程の様な雰囲気は消し去り、これだけ近寄るまで気付けなかった事に驚きと期待を浮かべる。
「あれ、シドの奴いないの? 参ったわね。あの坊主、私が来るんだから準備くらいしておきなさいっての」
まず眼に入ったのは、月光を受けて美麗に輝く銀髪。そして、血を零した様に真っ赤に染まったワインレッドの瞳。
凹凸が付きながらもスレンダーな肢体を強調するぴっちりした服を着ているが、肌を見せている部分は少ない。
軽く頬を掻きながら当然のように部屋へ入ってくるその女性に、
「あらあら、いきなり斬りかかるなんて、とんだ狂犬ね。良い殺気だけど、私を殺すにはちょっと足りなさすぎるかなぁ」
いつの間にか持っていた、腰に差していた一本の剣を抜いて受け止める女性。剣その物から感じる禍々しい魔力もそうだが、冷やかで不気味なほどの笑みを浮かべる彼女自身に、ある種の恐怖さえ感じてしまう。
「……何モンや」
膠着状態に陥った二人の様子を確認しながら、千草が問う。
少なくとも、目の前の女性からはノアとしての力は感じられない。少しでもノアとしての力が感じられるのなら、千草には分かる筈だし、何よりこうして敵対行動がとれる訳が無い。
だから、この女性はノアでは無いと判断できた。
「そうね──『剣帝』といえば、分かるんじゃないかしら?」
その女性が浮かべた笑みは、月詠ととても似ている──血を求める獣のような、獰猛な笑みだった。