第四十五夜:襲撃の夜
アスナが動いたのは、その夜が更けてからだった。
結界があるからか、本山内で寛いでいる面々。刹那や香奈も、この場では結界の恩恵を知っている為に多少は気を緩めている。
やるなら此処がベストだ。本山を強襲するのなら、寝静まった真夜中こそが一番のチャンス。
だから、アスナは結界の基点にある物を仕掛けた。
それは発動と同時に合図にも成り、その合図と同時に多数のAKUMAとマーシーマたちが乗り込んでくる手筈になっている。
千年伯爵が魔術と魔法を使って作りだした、龍脈に異常をきたすような特殊な爆弾。一時的なものであるとはいえ、精密な計算の上で成り立っている結界を強制的に落とすには十分だろう。電子的なものであればエコーが一発で落とせるのだが、関西は未だその手のものには手を出していなかった。
だからこその手段と言えるのだが──此処で予想外の事態が発生する。
「何をしている?」
背後から聞こえる声。振り向いてみれば、そこにはイノセンスである弓矢を構えたアルヴァが立っていた。
四つある起点の内、最後のこの場所で発見された。この結界の中で転移術でも使えば即座にばれるため、移動にはノアの力を使っている。
この二つを考えれば、恐らくアルヴァの中でアスナの立ち位置は「
(さて、どうしようか)
選択肢は幾つかあるが、最善はこの場で誰にも知らせる事無くアルヴァを殺す事。とはいえ、物理的な戦闘能力と言う意味ではアスナはそれほど強くない。
魔法を無効化出来ると言うアドバンテージがあれど、あちらにはイノセンスがある。殺される心配は無いが、誰かに連絡を取られることこそが最も面倒なのだ。
だから、此処でとるべき行動は一つしか無い。
「ボクが何をしていようと、ボクの勝手さ」
肉体ごと、自身の精神世界へと取り込んだ。
●
一方、本山では詠春の部屋にて話し合いが行われていた。
この場に居るのは詠春と木乃香。及び護衛の任についていた雪音と刹那のみで、香奈は現在仮眠を取っている。
「……それで、話ってなんや、お父様」
「ええ、もう木乃香も十五歳ですし、そろそろ話して置くべきだと思いましてね」
もったいぶったような感じでは無く、出来れば余り思い出したく無い部類の思いでであるが故か、その顔には少しばかり影が差していた。
木乃香と雪音は詠春の様子を見て眉を潜め、刹那はいつも通り無表情で端に控えている。
これから話す事は他言無用だと前置きし、詠春は木乃香へと告げた。
「妻の──木乃香の母親の死因は、病死では無いありません。彼女は、殺されたのです」
今でもその当時の事をありありと思い出せる。
自分には力があり、全てを守り切れると信じていた若い頃の話だ。結婚前に魔法世界で見聞を広め、関西呪術協会でその見聞を活かそうと思っていた頃。
イノセンスと言う力を手に入れ、伯爵と言う巨大な敵を前にして、なお諦める事のなかった一人の男を支えた女性。
「彼女を殺した存在は、アクマと呼ばれています。アクマと呼称こそしていますが、魔法使いが代償と引き換えに召喚する存在とはまた別の、殺人の為だけに創りだされた兵器」
それが、六年ほど前に本山と全面戦争を引き起こしかけた。
当時、詠春は偶然訪れていたガトウ、タカミチの助力を得て最悪の展開こそ免れたものの、木乃香の母とその護衛達が殺されてしまった。
関西に協力していた組織の幾つかが同時多発的に潰され、協会の存在自体が危ぶまれた事態にまで発展している。
その事を知らされ、呆然とする木乃香と雪音。
「当時の事件はすでに解決済みですが、伯爵が木乃香を狙っている可能性は高い。狙いが絞り切れていないのが痛い所ですが、十中八九木乃香の魔力狙いである事は間違いない筈です」
むしろ、伯爵にとっての木乃香の価値とはそれぐらいしか無いのだ。
そこから先の考えにこそ至れないが、アクマだけでなくノアまでいる。今回の事は、それない以上に重要な案件として捉えるべきだろう。
「刹那君たちはエクソシストとして伯爵と戦っています。詳しい事は本人から──」
そこから先の言葉は、告げられなかった。
何故ならば、言葉を告げようとした瞬間に巨大な爆音が鳴り響いたからだ。
轟音に驚きつつも、詠春はすぐさま立ち上がって外の状況を確認する。ぱっと見た感じでは分からなかったが、本山を覆う結界が徐々に消失している。
不味い、と冷や汗を流す詠春。
本山を覆う結界は、麻帆良と同様に対アクマ用の防御壁でもある。それが破壊されたと言う事は、即ち伯爵の勢力がここへ攻め込んでくることを示していた。
「刹那君」
「すぐに」
部屋を飛び出した刹那は香奈と合流する為に自室へ移動し、詠春は懐から取り出した符を使ってテルティウム──今はフェイトと名乗っているが──へと連絡を取る。
すぐに駆け付けると言う言葉を聞き、自身は出来得る限りの間帯刀している武器──イノセンスである『雷刃』を抜いた。
「木乃香、すぐに友達のいる部屋へ避難してください。本山に居る全勢力を使ってその部屋を守ります」
護衛対象を一か所に固め、そこだけを徹底して守る。結界を破られた以上、籠城するなら範囲は狭い方が良い。
本山の数か所から火の手が上がり始めるも、敵勢力が不明である以上はそちらに気を裂く余裕はない。詠春を先頭に、他の面々が集まっている部屋へと急ぐ。
そして当然、伯爵勢力はそれを許さない。
「近衛木乃香。近衛詠春。桜咲雪音。アーウェルンクスは一般人を守りに行ってるみたいね。エクソシスト二人は別の場所、と」
現れたのは一人の女性。腰に帯びた剣からも禍々しい力を感じるが、それ以上にこの女性からは『狂気』を感じる。
長い銀髪が風に揺れ、真っ赤な瞳を細めて詠春を射抜いた。唇は歪んで喜悦の表情を形作っている。
詠春は、彼女を見て冷や汗を流した。
「貴女は──ッ!?」
「お初に、関西呪術協会が長、近衛詠春さん。恨みは無いけど、貴方が強い剣士だって聞いたら居てもたってもいられなくて……つい、こんな所まで攻め込んじゃったのよ」
魔剣を鞘から引き抜き、詠春に対して剣先を向ける。
対し、詠春もまた刀を構えてハイディと対峙する。
明確な殺意。かつて此処までの威圧感を感じたのは伯爵との戦闘くらいのものだ、と詠春は思う。
「\x{301d}剣帝\x{301f}ハイディ・クラールヴィント──推して参る」
「木乃香、雪音君と共に大部屋へ。出来得る限り早く」
その言葉を告げた直後、二つの影が激突した。
●
アスナは上空でかぼちゃ頭の傘──レロに座ったまま、状況の確認を行っていた。
その右手には先程殺したエクソシスト、アルヴァのイノセンスが握られており、頬や服には血がついていた。
「どうするレロ、ろーどたま」
「どうするもなにも、このまま作戦を続けるだけだよ」
少し力を込めてイノセンスを粉々に砕いた後、本山の一角で激しく剣戟の音を響かせている二人を見やる。
詠春がいかな大戦の英雄と言えど、よる年波には勝てない。確かに二十年前よりも技術と言う面では上がったのかもしれないが、肉体面を鑑みれば総合的にはマイナスだ。
魔剣を振るい、強靭な肉体を使う彼女には勝てないだろう。
「と言うか、あの出鱈目な女は何レロ? 動きが全く見えないレロ」
「レロは大抵の戦闘に眼が追いつかないでしょ。……まぁ、彼女は特別だよ」
それこそ、イノセンス無しでノアと対等に斬り結べるほどに強い。怪物的とも言える強さの持ち主だ。それでいて素性は基本的に不明瞭。
レロは疑問に思いつつ、アスナへと質問する。
「あんな女、見た事無いレロ」
「そりゃね。彼女は基本的に箱舟を使わないし、魔法世界に居るし、連絡も千年公がやってるくらいだし、ボクらとは接点が薄いんだよ」
とはいえ、伯爵と常にいるレロならば、実際は連絡している所を見ていてもおかしくは無いのだが。当の本人は興味が無かったのか、覚えていないようである。
ノアでもない唯の人間なのだ。ブローカーだと思っていても仕方ない。
素性は不明だが、伯爵とエヴァは彼女の事を詳しく知っており、故にエヴァは彼女の事が嫌いでもある。
ノアからすれば彼女は唯の人間で、見下すべき相手で、それゆえに興味を引かない。使い捨ての戦力程度にしか見ていないのだ。
「その女が、なんで今回の作戦に組み込まれたレロか?」
「知らない。千年公の考えだし、別に悪いって訳でも無いんじゃない? 実際、マーシーマでも詠春とアーウェルンクスを同時に相手するのは難しいだろうしね」
肉体面ではシドに軍配が上がるだろうが、仮にも世界最強クラスの実力者だ。舐めてかかると痛い目を見る。
アスナが戦闘に参加出来ない以上、状況的には不利と言わざるを得なかった。
それゆえのアクマの大量配備でもあるが、あの二人のどちらかにぶつけられるだけの実力者が居るならそれに越した事は無い。
視界の端にフェイトと戦っているシドを映しつつ、木乃香と雪音を目で追う。エクソシストの足止めにはアクマを使えば良いし、木乃香を攫うなら千草にやらせればいいのだ。アスナ自身が出る必要性はどこにもない。
今回の作戦において、未知数なのはスプリングフィールド姉弟と神谷刹那。
親が親だけに油断は出来ない姉弟と、今までイノセンスを使用せずにアクマを葬り続けている刹那。
大丈夫だとは思うが、出来れば保険をかけておきたい所だと考える。
「……とは言っても、皆手が空いてないんだよねぇ」
だからこそハイディを動かしたとも言える訳だが。
ノアの箱舟を動かすには\x{301d}奏者の証\x{301f}が必要だが、ノアでこれを持つのは伯爵と長子たるエヴァのみ。アスナは自前の能力で移動できるが、さてどうしたものかと呟く。
「まぁ、なるようになればいいか」
「適当レロね」
「今回の作戦は気が向かない。大体、リョウメンスクナなんて何の為に蘇らせるのかも分かんないし」
伯爵曰く「近くからイノセンスの力を感じる」らしいのだが、アスナとしてはリョウメンスクナと一緒にずっと封印しておけばいいのに、と思ってしまう。
仮にそれがハートなら、壊せない代わりに聖戦にも使えない無用の長物と化す。
更に言えば、リョウメンスクナとイノセンスが融合している可能性だってある。仮にも鬼神と呼ばれていた存在だ。イノセンスの力を得ると厄介極まりない。
まぁ、だからこそ早めに対処しておくのかもしれないが。
「あるいは……何か、別のものを釣ろうとしてるのかもね」
昨日の昼にアスナとシドが感じ取った、奇妙な気配。イノセンスのような力かもしれないが、昨日は結局探し出せなかった。
それが伯爵の目的だと言うのなら、そちらに意識を裂く必要がある。
現状はこのまま作戦を続けて、行き当たりばったりで決めても問題は無いだろうと考え、一度だけ欠伸をして姿を消した。
●
ドンッ!! と派手な音が響き渡る。
至近距離で拳を交えるシドとフェイトは、一進一退の攻防を繰り広げつつ屋敷の中を移動していた。
シドの繰り出した拳は紙一重でかわされ、その隙に繰り出したフェイトのひざ蹴りは空いている左手で受け止められ、そのまま後方へと投げ飛ばされる。追撃をすべくシドは気を集中させ、神速を以てフェイトを地面へ叩きつけた。
だが、フェイトとて唯ではやられる筈も無く、シドが拳を叩きつけると同時に複数の刃がシドの肌を浅く切りつける。
シドは木乃香を攫うべく、フェイトは部屋へと近づけない為。
イノセンスを持たないとはいえ、フェイトは最強クラスの実力者であり、ノアの中でも武闘派であるシドと渡り合う実力は確かに脅威的だった。
(此処で潰して置いた方がいいかもな)
アーウェルンクスは属性別で能力特化がなされている。
雷のアーウェルンクスであるセクンドゥムは速度に。地のアーウェルンクスであるフェイトは膂力にそれぞれ特化されているのだ。
同じ創造主の使徒とはいえ、先日ロシアで斃した「アダドー」シリーズとは基本性能の時点で比べ物にならない。
ノアも全員が全員戦闘特化と言う訳でもない以上、厄介な存在は消して置くに限る。
「──『石化の邪眼』!」
フェイトの左目より至近距離で放たれる石化のレーザーを巧みにかわし、シドは一旦距離を取った上で詠唱を開始した。
その間にフェイトは幾つかの刃を生みだし、少しでも屋敷から引き離そうとシドを誘導する。
「来たれ雷精、風の精。雷を纏いて吹き荒べ、南洋の嵐──『雷の暴風』」
瞬動でフェイトの上空へと移動し、そのまま地面に叩きつけるように『雷の暴風』をぶつける。
如何に高密度の多層障壁を張っているとはいえ、これほどの攻撃を受けてしまえば破られて当然。莫大なエネルギーが拡散し、フェイトにダメージを与えると同時に屋敷の一角を吹き飛ばす。
フェイトが結界を張っている為か、比較的近くにありながらも吹き飛んでいない場所があった。
「一般人にゃあ興味ねぇんだがな」
既にアスナから木乃香がこの部屋に居ない事を聞いているため、シドは興味を示さない。
だが、屋敷の一角を吹き飛ばしたことで見晴らしがよくなり、遠目にこちらへ向かって来ていた木乃香と雪音を発見する。
「やっと見つけたぞ。手間かけやがって、クソが」
そう呟いて木乃香たちの方へ向かおうとした瞬間、幾つもの石柱が地面から発生し、槍のようにシドへと襲いかかる。
フェイトの得意とする地の魔法だ。
仕留めたとまでは思っていなかったものの、僅か数秒足らずで十数本もの石柱を創りだすその技術は凄まじいと言わざるを得ない。
しかし、それを直前で勘付いて避けるシドもまた怪物的であろう。
「チッ、千草ァ!」
舌打ちしつつ部下である千草を呼びつけ、木乃香たちを攫うように命令し、シドはフェイトと相対する。
暗闇から現れた千草は、大量のアクマを放って木乃香の元へと辿りついた。
雪音の相手は引き連れたレベル1のアクマで十分であり、こちらに向かって来ている刹那と香奈には複数体のレベル2をぶつけて足止めをしておく。
「ちょいと失礼、お嬢様」
千草は抵抗しようとした木乃香の腹部を殴って気絶させ、肩に担いで転移符で屋敷の外へと移動し、そのまま近くにある湖へと移動を開始した。
転移を見届けたシドは、瞬間的に膨大な気を練り上げてフェイトへと痛烈な一撃を繰り出す。
カウンターで放たれた無数の『石化する釘』はそのことごとくをかわされ、魔法の矢によって迎撃される。
「お前等、此処の一般人も守ってんだろ? 追って来るようなら──分かってんだろうな」
屋敷の守りが薄くなっている隙をつき、アクマ達が本山の人間を皆殺しにすると、シドはそう言っているのだ。
「僕らを此処に残したまま、かい? 確かにアクマは脅威だけど、それほどの数がいるようには思えないけど」
あくまでもフェイト主観の話ではあるが、空を覆い尽くす膨大な数のアクマと戦った経験もあるため、屋敷を覆う程度の数なら問題は無いように思えた。
実際、この場所には詠春もいるしエクソシストもいる。迎撃に出る為の戦力なら捻出できない訳ではない。
「それに、一般人を巻き込まない場所でなら僕らも本気が出せるけど?」
「俺だっててめぇとは決着付けておきたい所だが、生憎と千年公の仕事が最優先だ」
「だからここでは尻尾を巻いて逃げるのかい?」
「挑発するのは勝手だが、此処で戦って不利なのはテメェの方だと忘れるなよ」
クロスカウンターを決め、互いの頬に一発ずつ拳を叩きこんだ直後、シドは火属性の魔法の矢を目くらましにして屋敷から去って行った。
「…………」
シドの言う通り、この場で戦えば不利になるのはフェイトの方だ。更に言えば、敵戦力は未だ全貌を晒してはいない。
今は、屋敷に攻め込んでいるアクマを斃すのが最優先だ。
フェイトは無言で魔法を行使し、アクマを破壊し始めた。