全世界を混乱の渦に巻き込んだ第二次世界大戦後、人々は統一政府による統治を望んだ。それは悪名高いファシズムや軍国主義を病的なまでに恐れた結果であったが、人々は統一国家ならばそのような愚かな行為には至らないだろう、と考えを停止したからでもあった。
かくして実行力、発言力をほとんど失っていた国際連盟は解体され、地球連邦政府の樹立への第一歩が踏み出された。そして1950年、日本、ドイツの、サンフランシスコ平和条約並びに地球連邦統一憲章への調印によって世界初の地球統一政府が誕生した。
もちろん、中東やアフリカなどの一部国家など、最後まで統一政府に反抗した国家もあった。だが、大戦時の連合国すべてを敵に回して、表立っての戦争を仕掛けてくる国もあるわけがなく、結果として無血で、地球上の全国家の統一が成されたのだった。
各国から代表者を一人、議員として選出する方式をとり、連邦議会は西暦1952年に第一回が開かれた。本部は太古、共和制により栄えたアテネにおかれた。
連邦政府はまず宗教問題を解決しようとし、その目論見は成功した。各地で燻る反連邦活動は連邦軍の圧倒的なまでの武力により制圧され、地球連邦発足から五年後、1955年、人類の永年の夢であった「世界平和」が実現した。
この時代を地球連邦議会初代議長、リガード・シューマンは、「人類史上最も平和な時代の幕開け」と述べ、西暦からNext Century、略してN.C.と改めた。
有能な指導者に恵まれたこともあり、以降千年に渡って平和は続いた。民は活気に満ち溢れており、様々な分野において新技術が次々と発見されていった。
特にN.C.803にコックス博士が発見した粒子加速法はエネルギー界に急速な発達を促し、人類は遂に、宇宙へ向けて飛び立つ翼を手に入れたのだった。
それにより以後の人類の発達の場は宇宙空間へと移行し、いくつもの宇宙ステーションが造られ、夥しい数の資源衛星が牽引してこられた。
そんな中、地球の正反対、ラグランジュ・3に人口の惑星を造ろう、という計画はN.C.980頃に立案さ
れ、三百年近い歳月と百万人に近い犠牲者を費やし、N.C.1265に完成した。
直径一万km、核融合炉を中心に抱え、セラミックと超硬チタン合金、炭素繊維の千二百層にも及ぶ外殻の内側に一万層にも及ぶ居住区を抱えた白銀の人工惑星。
惑星はその名を《ミネルウァ》とされ、当時、肥大の一途を辿っていた地球の人口の二十五分の一にあたる五億人が移住した。
その大多数は失業者や低所得者などの社会的弱者や、敗戦国の立場を撤回出来なかった日本やドイツ国民ではあったが、新天地を求め移住した人々の多くは期待に胸を膨らませていた。
しかし、住環境や食料などは惑星内のプラントなどで賄えたが、酸素や水は地球に頼るしかなかった。折しも当時、地球連邦政府の財政は悪化していたため、地球連邦政府はその「生存必需品」の値段を極端に高くして輸出した。
ミネルウァ自治政府初代大統領、アーサー・ウォルポールは「同じ人類の生命に対する冒涜である」と発言し、連邦に対し苛烈に抗議したが、背に腹は代えられなかった。まして、その背後に待つのが億単位での窒息死であったならば、なおさら。
以降三百年に渡ってこの一方的かつ悪意に満ちた搾取は続いたが、その体制は意外な形で終わることとなる。
N.C.1578、資源採掘船《ストレンジャー》の船長アダムズは、奇妙な星を見つける。それはミネルウァから二十光年ほど離れた惑星で、その惑星は全体が水で構成されていた。《グリーゼ581‐C》と名づけられたその惑星により、ミネルウァの問題は一気に解決にまで至った。
そして五十年後のN.C.1628、ミネルウァ大統領ジャック・ミケルソンは、圧力や小さな軍事衝突をかける地球連邦に対して「長年の屈辱に対する反撃」と称して宣戦を布告。
——こうして、人類が初めて体験する、惑星間戦争の火蓋が切って落とされたのであった。
そして時は流れ、開戦から七十二年後、N.C.1700。戦闘が慢性的に続けられる中、地球連邦軍とミネルウァ宇宙軍に、それぞれ一人の「エース」が登場することとなる。