国家の政を司るようになって、思い知ったことがある。
人のために生まれた政治を、ことさら難しくしているのは人であると。
大衆の幸福を実現するための政治を、困難なものにしているのも人であると。
人間は万時を複雑にしたがる。亜衣から見てひどく簡単な事柄にさえ、人間の数だけ困難なものにしてしまう。
それでも、なぜ、と思ったことは無い。人間とはそういうもので、そういう能力を生まれつき持ってしまった生き物だから。
これを疑問に思うことは、なぜ鳥は空を飛び、魚は水の中で生き、魔人はああまで強いのかということに疑問を投げかけるのと同じくらい、埒ないことだ。
人間とは『そういう生き物だ』ということ。それだけのこと。
簡単ゆえに付け入る隙が無く、これからの長い歴史の中でも、この能力は消えないだろう。物事を複雑にしないということは、考えることの無い生き物ということなのだから。
人を束ねる役割を担うようになって、改めて九峪の力の凄さを思い知った。
女王の役割は鬼道でもって良く衆を惑わすこと。この一点において、女王を超えるものはいない。女王の神秘は天下五指の神秘なのだ。
でも、天下に誇れる占術を駆使しても、人同士のいさかいを起こしてしまう。
九峪は、ただそこにいるだけで、人を束ねていたというのに。導くことも、造作なかったはずなのに。
なぜ私にはできないのだろう。私と九峪様の違いは、どこから来るのだろう。
それを考えない日は無い。私はまだまだ九峪様から学びたかった。いや、私の意思に関係なく、学ぶべきことは多くあった。
鬼道だけで、人は結べない。導けない。
私と九峪様・・・・・・私の力と九峪様の力が合わされば、万民をより良く導けると思っていた。
だけど、私一人の力で、どうやって導けばいいというの・・・・・・。
それを考えない夜は、なかった。
加奈港に留まっている教来石は気が気でなかった。
次々に伝報が届いては、余すところ無く読み進める。意味を吟味する必要も無いほど、戦況は思わしくない。
応胤、兼興、大塔野・・・・・・北山の誇れる重臣、老臣、勇将、軍師。多くの能士が大宜味の地で、若桜のように散り果ててしまった。
悲報は尽く悲報だ。もはや北山に軍師はおらず、北山にあって『一の弓取り』と呼ばれた親方(うぇ〜かた。家老のこと)の兼興の戦死は、とくに大きな痛手だった。
先日、ついに恵源が本国に召集された。恵源は北山王の実弟で『御舎弟殿』と呼ばれ慕われている。また武勇に優れ、一軍の将足りえる器の持ち主だ。
恵源が九洲に派遣されたのは、王の名代という意味もあったが、それだけ兄王から信頼されてのことだった。
その御舎弟殿——恵源様を呼び戻しなられた。
ただひとり、九州の地で留守居役に甘んじる教来石には、身に針を刺される思いだ。もはや北山で、軍略に長じる将は自分ひとりしかいないだけに、一刻も早く駆けつけたい。
しかし、教来石はこの地を離れられない。自分がここに居て、楔となっているから、耶麻台共和国は兵を出せるのだ。
もし、いま兵を残してここを去ろうとも、加奈港はすぐさま奪い返される。反北山の意識が日々高まっていることを、教来石には先刻承知であった。
ジレンマに苛む日々を過ごして、季節はとうとう五月に入った。
梅雨の季節まであと少しという日。教来石は珍しく、加奈港の外縁を歩いていた。
大湊を守る城壁が、大蛇のように延びている。九洲の城壁は琉球の城壁よりも大きく長い。
この加奈港を囲む城壁が視界に入るたび、教来石は不謹慎にも、九洲人が羨ましいと思う。これだけ長大ということは、その必要があるほどの大軍同士が戦うということ。
琉球には大軍というものが存在しない。どんなに多く見ても、一千そこそこの兵力を彼らは『大軍』だと思ってきた。
——九洲は、一万二千人の兵を琉球に送り込んだ。それでさえ、九洲にはまだまだ余力がある。
それゆえ北山は、講和の場でも低姿勢であった。大隈での勝利は、単純に相手の不意をついたから。その不意を突く作戦を考えたのは教来石であった。
教来石の狙いは、少数の船団でしかない北山軍を、より大軍に見せることだった。そのために濃霧の時にのみ出陣し、船と船を縄で縛り、そこから松明をぶら下げた。こうすることで松明の分、船が多くあるような錯覚を感じる。
とはいえ、この作戦は非常に難しいものだった。琉球人もご多分にもれず、霧を恐れる種族だったからだ。それを落ち着けるために、教来石と恵源は退魔の儀式を行った。
そうして作戦は成功した。教来石にとって嬉しい誤算は、ただ戦力を多く見せる作戦に、相手が過剰に反応したことだった。
自身の策を九洲方が『赤い竜』とよんで恐れたと聞いたときは、おかしさに笑い転げたい気持ちだったほどだ。
ただし、全てが上手く運ばなかったことが悔やまれる。何よりも教来石を恐れさせたのは、会合の場で居合わせた二人の女性だった。
紅玉に、宰相の亜衣。
北山の持ちえる最大の武器は、『寡兵で大敵を破った』実績である。つまり、その気になれば、おまえたちを蹴散らすことは造作ない、と脅しをかけることで協議を容易に進めようとした。
しかし紅玉と亜衣は教来石たちの口車に乗せられず、それどころか敗軍にもかかわらず、とても強気の姿勢で臨んで来た。
恵源が相手をいたずらに刺激しないよう腰を低くしているのも、こうとなっては逆効果。最低目的を果たすことは出来たが、最大目的は、九洲の能士によって阻まれた。
思い出すたびに悔やまれる。そして空恐ろしくもある。紅玉はまさに一騎当千の兵。戦士としての力量はもちろんのこと、知将としての実力も、教来石に劣らない。
だが真に恐ろしいのは紅玉でないと、教来石の眼力は見抜いていた。宰相の亜衣、彼女の智謀は自身の英知を凌駕している。
そして、そのために、教来石には尽きない興味があった。
九州に来て、よく耳にする言葉——『九峪』という存在。
加奈港の城壁に登って、阿蘇山のある方角を眺める。ここからでは見えないが、あと一里でも近づけば、霞掛かった大山が姿を現すことだろう。
「彼の霊山で、神の遣いはこの国の誕生を宣言したという・・・・・・」
教来石の言葉が風の音に吸い込まれる。
教来石にとって、神の遣いという存在は特別なものだ。教来石が恵源に従ってきた理由の一つに、彼が一時期、九洲に住んでいた事があったからだ。
否、正確には九洲ではなく種芽島にだ。当時の種芽島も耶麻台国の領地であった。そこで恵源は見聞を広め、帰国の後に軍師となった。
その、いうなればもう一つの故郷を、滅びから救いあげた大英雄。深謀遠慮の智将。もはやこの世界にいない異界からの使者。神の遣い、九峪。
自身を凌駕する亜衣。その亜衣をして尊敬させる知略縦横の将。
はたして、どんな男なのだろう——。
その興味は後から後から沸き起こる。会ってみたい、会って、とにかく話がしてみたい——!
それが全ての源動力であった。このとき、教来石の瞳には、見えないはずの阿蘇山が見えた気がした。
ふと教来石の記憶に、最近になって聞いた『噂』が思い起こされた。
『宰相の亜衣が、たった一人で阿蘇に登っている。あの霊山には、何か神秘的なものがあるのかもしれない』
という、不思議な噂。
興味は、後から後から沸き起こる。祖国の思わしくない戦況に疲弊した心は、神だろうが何だろうが、人智を超えた力に縋りたかった。
「阿蘇山か・・・・・・」
彼の霊山に登れば、わしにも神秘を授けてくれるだろうか。彼の霊山に登れば、わしは、神の遣いの軌跡に触れることが出来るだろうか。
それが、全てを動かす理由で——新たな流れを生む、小さな本流の始まりであった。
噂は次第に不可解なものへと形を変えていった。
最初は『亜衣が従者を連れずに、一人で阿蘇を登っている』
次に、『亜衣は阿蘇で神から託宣を授かっている』
また、『亜衣が阿蘇に登るのは、神の遣いからの助言を受かるため』
となり、最近では、
『神の遣いは元の世界に戻らず、阿蘇に居て、亜衣は神の遣いと逢瀬を繰り返している』
という根も葉もないくせに、限りなく確信に近い噂となっていった。さらにいえば、亜衣は最近になって阿蘇山に登っておらず、噂は、
『阿蘇山に神の遣いが居る』
というものへと最終的に落ち着いた。このまさかの噂は世上を沸き立たせ、国内を騒然とさせた。
噂の流布は五月の頭ごろから、急速な勢いで九洲中を駆け巡った。口から口へ、人から人への伝染力は余りに高く、火消しが一段落ついて油断していた亜衣の手を、沙が零れるようにすり抜けていった。
『九峪が元の世界に帰還した』という事実の信憑性を疑問視する言葉が飛び出し始めたのも、やはり五月の頭ごろから。真実に即さない事実はもろかった。
なぜいまさら、こんな噂が一人歩きしだしたのか。元々の原因が自分にあるとはいえ、亜衣はまたもや心労の絶えない生活へ逆戻りとなった。
すでに多くの豪族が武官としての職に就いている。いまだ政所は文官の影響力が強いのだが、ただし、外堀は徐々に亜衣の影響力を強く受けた一派で構成されつつある。
まずは孤立させること。それが亜衣の戦略である。外部勢力を取り込み、包囲網を築いて、文官の動きを封じる。いわゆる『籠の中の鳥』にしてしまおうというのだ。
この点、ただ政治しかしらない文官と、戦術・戦略・兵法を熟知した亜衣との違いだろう。亜衣は孫氏の『先ず勝つべからずを成して、以って敵の勝つべきを待つ』の教えに遵い、自身の有力者を着々と増やしていった。
だけではなく、亜衣は女王の力を借りて、内部の改革そのものへも着手した。内と外で圧力をかけられた文官たちは、さながら釜炊きされて踊る米のようであった。
改革そのものは順調だった。武官と文官のパワーバランスは均衡値になりつつあったし、後はこの均衡が逆転しないように注意するだけである。逆転しては、結局同じことである。
その折の噂である。投じられた一石に、亜衣は厭な予感がした。順調の中に起こった波紋は、亜衣を震えさせるには十分だったのだ。
——噂が、ただの噂で終わってくれれば。真実に気づかず、事実が偽りであると知られなければ。
亜衣は願わずにいられなかった。
それでも、願いは天に届かなかった。
あろうことか、魔兎族が人々を寄せ付けないことが、逆に『九峪現界説』を有力なものにしてしまったのだ。
以前の噂で、修行僧が阿蘇を登ったさい、美人たちに追い返されることが何度かあった。
魔兎族の美貌は人間を超越している。彼ら修行僧の目には、彼女たちも神秘的な存在に映ったのだろう。修行僧たちは彼女たちが何かを守っており、それこそが亜衣を動かした神秘なのではと考えた。
そして現在、魔兎族と遭遇する地域のどこかに『神の遣い』がいて、ひっそりと下界を見守っている・・・・・・という噂が、実しやかに囁かれているのだ。
——限りなく真実に即した噂だ。それゆえ、この噂は人々の心を掴んだといえる。真実の無い事実よりも、事実になれないはずの真実が、亜衣の心胆を底冷えさせていた。
風呂は心の洗濯と、いつか九峪が言っていた。しかしいくら大きな湯船につかろうと、桃の皮を浮かべて安らごうとも、亜衣の心は休まらない。
風呂には誰も居ない。当然だろう、何しろ宮廷に住まう高官で亜衣と一緒に湯に入れるものは殆どいない。というよりも、宰相の亜衣と湯を共にして、もしも亜衣の身体に何かあったら——という理由で、亜衣はほとんど一人で入っていた。
たまに、衣緒や清瑞らと談笑しながら入るのだが、その衣緒も現在は出張中で、清瑞とはたまたま時間が合わなかった。
少し物寂しい静寂に身をおきながら、それでも亜衣にとって、この静けさは逆に良かった。心はさっぱりしなくとも、独りでいると煩わしく無くていい。
——また、噂に翻弄されるのか。
幾度目になるのだろう、亜衣には陰鬱な一事でしかない。
スキャンダラスに頭を悩ませるのは、政治家として恥辱の限りに他ならない。
政治家とはもっと、私情を捨てて民衆を万事に思い、身を粉にして取り組むべき存在であるべきなのだ。
それがどうだ、なんだこのザマは。情けなさ過ぎて——
「ブクブクブク・・・・・・」
見ろ、顔の下半分まで入浴してしまうじゃないか。入る穴が無いから、湯に顔を隠すしかないじゃないか。
ブクブクブク
ブクブクブクブクブク・・・・・・
すぐ目の前で弾ける泡の様子が、まるで今の自分の姿に重なって仕方がない。
両手を挙げてバンザイ一声、『誰かなんとかしてくれーーーッ!!」と、そう叫びながらパンッ! と弾けとぶ。そんな私が生まれては弾け、生まれては弾け・・・・・・。
私も何時かは弾けとぶんじゃないのか。くだらないけど、自身で一笑にふせないのが、また悔しさを募らせる。
独りでいると気が楽だけど、だめだな、余計なことばかり考えてしまう。
弾ける自分を生み出す作業に見切りをつけて、亜衣の身体が湯船からゆっくりと浮上した。凹凸の少ない身体をぬらしたまま、絹布で前面だけを隠してさっさと脱衣所へ向かう。
脱衣所には侍女が二人、見張りをしている。亜衣が姿を見せたのに気づいた一人が、亜衣の身体を濡らす水分を丁寧に拭っていく。
女性としての身体的魅力に欠けていると思われがちな亜衣だが、決してそんなことは無い。肌はきめ細かく、シミも無く、ハリがあってとにかく柔らい。おまけに肌触りも最高と、肌に関してはちょっとしたものなのだ。
胸とか尻が大きいことが、女性の決定的魅力ではないということを教えてやりたいと、亜衣は常々考えている。
着替えを済ませて、侍女に導かれるように自室への道を辿る。
今日はもうやることもない。あとはただ寝るだけ。ただし亜衣には、寝付く前に必ずやっておく日課があった。
文机の前に腰を下ろして、墨壷(すった墨を流しいれる小さな瓶)に筆を差し入れる。
「昨日は、当麻城の攻防戦だったかな」
記憶を掘り起こして、かつての光景を思い浮かべる。
亜衣の日課。それは『小説』の執筆である。小説が世に送り出されるのはもっと先の話なのだが、亜衣の小説に関する知識は、すでに九峪によって植えつけられていた。
九峪は自身の好きな『軍記』を亜衣に語ったことがある。かつて起こった戦いを書物に物語としてしたためたもの。それが自身にとっての『兵法書』だった・・・・・・と。
だから亜衣は、九峪と共に駆けた日々、あの戦いを『軍記』という『物語』にしようと思った。それぞれの活躍、抱いた思い、そして——私が、どのように九峪様と共にあったのか。
追憶の軌跡の物語——それを亜衣は『火魅子伝』と名付けた。
この火魅子伝は、九峪という傑物の英雄譚であり、自分や仲間たちの活躍した伝説であり、火魅子の正統性を説いた系譜でもある。
過去を描くのは楽しい。筆はおもしろいように、かつての自分たちを描き出していく。
いま、物語は当麻城の攻防戦を追っている。策を弄する自分。果敢に戦う伊雅。危機を救った伊万里。笑い転げる藤那。その中で敵を倒し続ける志野。みんなに殴られる忌瀬。
ああ、そういえば、虎桃のやつが白拍子に扮して潜入してきたこともあったな。
思い出して付けたす。また一文、一節の物語が紡がれた。
亜衣は物語の語り手だ。彼女の奔らせる代わり映えない筆は、過ぎ去った黄金と黄昏の日々を永久に語り継ぐ魔法の筆だった。
『火魅子伝』と大仰に銘打っているものの、小説を知らない亜衣にとっては、『軍記小説』はかつての戦いの記録に、様々な記憶を織り込んだ叙事詩くらいにしか考え付かなかった。
筆はいつも眠くなったら置いている。根を詰めず気楽に、そうして疲れた心を過去の栄光の余韻に浸らせながら、すぅっと眠りに落ちるのだ。
ただ、この日、亜衣の筆を置かせたのはいつもゆっくりと襲ってくる睡魔ではなかった。
ぼっと突然、戸の向こうに気配が現れた。本当に突然としか言い様のない出現の仕方で、並ならぬ者の来訪を亜衣に告げた。
「・・・・・・清瑞か」
「はい」
戸の向うから返事をしたのは清瑞であった。亜衣に促されて、清瑞がすっと静かに、部屋へと入ってくる。
「何かあったのか」
亜衣は尋ねた。夜分遅く、清瑞が訪れる理由は大概にして火急の件だ。
表情をやや緊張気味に硬くした清瑞だったが、決して感情に流されず、ただあるがままを亜衣に伝えた。
「一大事です。亜衣さんは、大蔵省の玄以(げんい)という男を、ご存知ですか?」
「玄以?」
聞き覚えのある名前だった。
玄以とは大蔵省に務めている役人で、主に薩摩の弥栄地方の税収管理をしている男だ。正義感が強く、不正を嫌う男だが、反面として非常に融通が利かず、部下の進言に耳を傾けないという欠点があった。
ついでに言えば玄以は只深の部下でもある。
ただ、玄以は所詮、地方担当の役人に過ぎず、それがどう一大事に繋がるのか、亜衣にはようとしてわからなかった。
「実は・・・・・・つい先ほどなのですが、西の町人街の通りで、玄以が殺されているのを発見したのです」
「なに・・・・・・ッ!?」
「玄以だけではありません。そこから二通り先の川から、同じく大蔵省の道雪と、警徒使(警察長官のこと)の明銀太(みょうぎんた)が遺体で発見されています」
「明銀太が!? あいつまで死んだのか!?」
「はい」
突然の告白に、亜衣の動揺は激しく揺れた。
道雪に関しては名前も知らないが、明銀太についてはよく知っている。明銀太は三人いる警徒使の一人で、志野と協力して火向地方の治安を監督している女性だ。
明銀太はもともと地方の豪族出身だが、腕っ節が強く、統制力に優れていたため部隊長、大隊長を歴任して平時に治安を預かる警徒使に抜擢された女丈夫だ。それだけでなく、なんと九峪の世話をしている女中は、この遺体で発見された明銀太の妹なのだ。
亜衣は女中の関係で、明銀太とも顔見知りであった。快活な性格が好印象な女性だったのを、亜衣はよく覚えている。
「明銀太も、玄以と同じで・・・・・・?」
「はい。致命傷が四つ、どれも鋭利な刃で切りつけられた痕で間違いありません。道雪も切り殺されています」
「明銀太が・・・・・・」
信じられないと言った様子で、亜衣は言葉を失った。一瞬、明銀太の気持ちよい笑顔と、阿蘇にいる女中の背伸びしたすまし顔が、本当に一瞬だけ過ぎ去った。
衝撃から立ち直れないまま、亜衣の思考はそれでも急速に回転し出す。
「その、道雪という男と明銀太は、一緒に発見されたのか?」
「そのようです。二人は火向へとそれぞれ出張しており、揃って帰路についていたようで」
「帰りがけに襲われたということか、二人とも」
「おそらくは。川の上流では護衛についていた者も、尽く殺されておりますが・・・・・・」
と、清瑞は声を潜めて、秘事を晒すように膝を進める。
「一人だけ、警徒以外の死体もあるんです」
「・・・・・・それは」
亜衣が息を呑む。
「襲撃者か?」
「断定は出来ませんけど・・・・・・そう考えるほうが自然だと思います。でなければ、たまたま居合わせて殺されたか、もしくはどちらかの血縁者か」
「身元はわかるのか?」
「現在、部下が調査を進めています。玄以に関しても、詳しいことはまだ」
「襲撃者に関しては、なにか情報はあるのか?」
「それも目下」
「そうか・・・・・・わかった」
ひとまず、わかっているのはここまでということ。清瑞はことの重大性を認識して、まずは亜衣に伝えようとしたのだ。
立て続けに宮仕えの人間が殺されたのだ。非常事態といえる。とくに明銀太は高官なのだ。
文官二人に、警徒使一人が暗殺された。厭な予感を感じていた矢先の出来事は、まるでこの将来に混迷が待ち受けていると告げる予兆のようであった。
とにかく、亜衣には時間が必要だ、考えるためのゆとりが。話は終わって、亜衣は物語を綴る余韻さえも吹き飛んで。
なのに、どういうわけか。清瑞は辞そうとしない。用事が終わるとさっさと帰るのが清瑞名だけに、まだ何かあるのかと、亜衣もまた気を引き締めざるを得ない。
「なんだ、まだ何かあるのか? これ以上、暗殺されたなんて話は聞きたくないぞ」
「あ、いえ、そういうわけではなくて」
ちょっとだけ黒い冗談を投げかけると、清瑞は途端に慌てふためいた。
なにか言いたいことがあるけど、それを躊躇っている——そんな様子だ。
躊躇うほどのことを、急かしては清瑞に悪い。そう思って決断を相手にゆだねると、意を決した清瑞は、亜衣の瞳を強くみつめて、
「あの、私、ある噂を聞いたんですけど」
——嗚呼、清瑞・・・・・・お前もか。
これは宿命なのだろうか。藤那、紅玉、兎華乃。そして香蘭にさえ注意されて、今度は清瑞なのか。そうなのか。
かつてこれほど悲しい気持ちになったことはない。悲しいというよりも切ない。
天よ、姫御子よ、天の火矛よ、そんなに私が嫌いか。一時の感情に流された私は、それほどまでに愚かしかったのか。それを今! こんな形で罰するのか! ——あんまりだ。
しかも、今度は清瑞。・・・・・・この噂を糾弾する相手として、清瑞ほど気まずい相手はいないのだから。
清瑞の九峪を想う気持ちは、はっきり言って想像を絶している。ともすれば清瑞の行動基準は『九峪を中心にして廻っている』といっても、決して言いすぎにはならないだろう。
それだけに九峪がいなくなったときは半狂乱になったし、今でこそ正気に戻ったのは、『九峪の創った共和国のために働く』という一年があったればこそ。もはや清瑞は純粋に『共和国のため』に生きているのではない。
全ては九峪様あってこそ。それを知っているだけに、亜衣には少しだけ苦手というか——後暗い思いがある。
そんな——ある意味で恋敵の——清瑞が、覚悟を決めて私の前にいるのだ。逃げることだけはしたくなかった。
「その・・・・・・」
「——その?」
「く、九峪様が・・・・・・阿蘇山にいるという、噂なのですが」
「・・・・・・ほう? それで?」
「亜衣さんが、九峪様の元へ、えっと・・・・・・通って、そのぉ・・・・・・お、逢瀬を、繰り返しているとか、そんな」
「・・・・・・そんな? だから?」
「あの、その・・・・・・それが本当なのかどうなのかッ! 聞きたくてッ!!」
「わかった。わかったから取り合えず大声を出すな。見張りが驚いて駆けつけてくるぞ」
「ぁぅ・・・・・・すみません」
顔を真っ赤にして黙り込む。興奮と恥ずかしさで、清瑞の頭は破裂しそうだった。
超一流の天才乱波でも、恋愛に関しては初心だな、いい歳になって・・・・・・。
と、そう思いながら、亜衣もなんだかおかしくなった。恋愛に関しては、自分も人のことは笑えないな、と。
清瑞の言いたいことは、そうとうまどろっこしかったけど、大体わかった。
つまり、九峪は実は阿蘇山にいて、それを亜衣は知っていて、それどころか九峪とイイ感じの関係だという噂があって。
九峪がまだ九洲にいることを喜びながら、それを隠している亜衣を恨めしく思い、さらに知らない間に関係が進展していることへの嫉妬が沸き起こってきた。
そういうことなのだろう、とどのつまりは。総合して考えると、仕事中の清瑞はしっかりとしているが、プライベートでは生娘以上に混乱している、ということなのだ。
きっと本人も気持ちの整理がついてなくて、とりあえず当事者に話を聞かないとと、やや暴走気味になって突貫してきたんだ。勇気が必要だったのは、先ほどの躊躇いを見ればわかる。
これで逃げるのは——『ふぇあ』じゃないな。
うつむく清瑞の素直さに微笑みながら、亜衣は心を決めた。同じ一人の男性に惚れた者同士なのだ。
「これは、国家の最重要機密だ。他言することは赦されない。いいな、他言しないと天地神明に誓うのなら、話してやろう、真実をな」
だから亜衣は言った。そして見た。希望を見出したように輝いた、清瑞の瞳を——。
これもまた、感情に流されることなのだろうか。ふと疑問に思いながら、秘めた真実を、とうとうと語り始めた。
悪夢の扉を開いた瞬間だった。
——思い付きで、馴れない事をするもんじゃない。
草木を掻き分けながら、大粒の汗を流して、教来石は悪態をついた。
琉球に比べればずっと涼しいけど、それでも阿蘇の山を登ると、身体は必要以上に発熱してくる。
さらに言えば、今の状況は最悪だ。なれない土地を準備も少なく練り歩いたことで——
「ここは、いったいどこなんだ!」
しっかりと道に迷ってしまったのだ。従者も二名いたが彼らともはぐれた。
端的に言えば、遭難だ。教来石は情けないことに、阿蘇山で遭難してしまったのだ。
「焼きがまわったな、わしも」
ヒィッフゥッと息を吐く。
そもそも土地勘も無いくせに、いきなりこんな暴挙に打って出るあたり、策士たる自分らしくない。ああ、らしくない。
それだけ気持ち焦っているということなのか。それほど天神の加護に縋りつきたかったのか。
余所者を救ってくれるものか。いまさらになって冷静な自分がそう叫んでいる。
ああ、そうだろうな。わしはとことんバカなことをしているな。
でも、いまさらどうしようもない。戻ろうにも帰り道がわからない。
こんなところで遭難して、この間にも加奈港は危険に晒され、祖国では決戦の機運が高まっている。わしはなんて馬鹿なことをしているのだろう。
このまま、ここで朽ち果てるのか。朽ちて、獣の餌になるのか。
ゾッとなった。それではただの犬死の無駄死にではないか。それだけは厭だ。
けど、どうしようもない。傾斜にそって下っても、山には起伏があって下山できない。川を下っても、山の中で消えていることなんてざらにある。
つまるところ、教来石にはただ歩くしかないのだ。ほんの衝動に駆られた愚か者には、それしかないのだ。
「何が霊山だ、何が神秘だ、何が神の遣いだ! そんなに大したものならわし一人くらい救ってみせんか!」
叫びが吸い込まれる。響くことすらなく。
ああわかっているさ。これは因果応報、自業自得だといいたいんだろう! ここにくれば神の恩恵を受けれて、もしかしたら九峪にも会えるんじゃないかなんて、阿呆みたいなことを考えたわしへの罰なんだろう!
でもやはり、そんな叫びは森の木々が残らず吸収して、天空に届くことは無い。
いよいよ教来石は疲れ果ててきた。歩き疲れたというよりも、気力がどんどん抜けていく。一瞬でもバカらしいと思うと、何から何までバカらしくなる。
自分自身でさえも。
こんなことをしている場合じゃないんだ。わしは北山の軍師、教来石だぞ。祖国窮乏の危機に馳せ参じて、策を労し、勝利を手にしなければならないのに!
それが叶わないことが悔しい。すべてはいるかどうかもわからない、神の遣いのせいだと、半ば逆恨みのように呪った。
その呪いが効いたのか、それとも天が気の毒に思ったのか、はたまた執念の賜物か。
「・・・・・・お? おお?」
道が開けた。歩いて歩いて歩いて、ふと、人の通った形跡のある道にたどり着いた。
いや、道と呼ぶには無理がある。まず整備されていないのだから、ここはただ『人が通った』だけの場所だ。
それでも教来石には天国への道しるべだ。この道でない道を通れば、人のいる場所に辿り付けるッ!
それからはただ必死だった。草を掻き分けただけのその道を、正確に辿っていく。道はわかり辛く、よくよく観察しないと、そこはやはりただの草薮でしかなかった。
猟師の道ではない。彼らは道を切り開く。これではまるで『道を隠している』ようじゃないか。
歩きながら思う。
「これはもしかしたら、神の遣いの道なのでは」
もちろん根拠は無いが、せっかくここまできたのだ、ただの偶然とは思いたくない。これはきっと神の遣いの力が、わしを引き寄せているに違いない。
そうと思えば、疲れ果てた心に涼やかなそよ風が吹き抜けていくような、清々しい爽快感がわいてきた。
まるで何かに憑かれた様に、瞳はきょろきょろと忙しなく動き、痕跡を見落とさないように注意深く。
手で草をかき、足で倒木を踏み越えて。
歩きながら、また思う。
「美女が現れないな」
噂では、この世の者と思えぬ絶世の美女が、人々を寄せ付けないという。彼女たちは『神の遣いの守護者』だというのがもっぱらの話だ。
今のところ、教来石の前にそんな美女は現れていない。でも、もしかしたら、一緒だった二人は例の美女に追い返されて、それで逸れてしまったのかもしれない。
そうだとすると、いや、そうだ、そういうことなんだ。わしは追い返されていない。つまりそれは、神の遣いに呼ばれているもっともな理由じゃないか!
息を切らしながら、足は少しずつ歩調を速めて行く。
九峪! わしを戦慄させた亜衣を超える智謀の人!
その英雄に会える。それだけの、あるかもわからない事実に、教来石は夢中になって、ただ道を開いた。
日がどれだけ傾いたかもわからない。一刻は進んだか、それともニ刻・・・・・・半刻ということはあるまい。時間の経過さえ気にならない。
なぜなら、見よ! 人の気配があるはずのない深森の奥に、ひっそりと佇む家があるではないか!
「・・・・・・ここに、神の遣い・・・・・・九峪が」
家は豪華ではないが、質素でもない。ただ山人や猟師が使う小屋としては、造りがしっかりして見える。薪があり、釜があり、人の生活痕がまざまざと残されている。
しばらくぼうっと突っ立っていた教来石は、それから物色するように屋敷の周りを見回し始めた。
魚が干されている。野菜も干されている。肉の燻製を作る蒸し器もある。
薪もたっぷりと蓄えられ、釜戸は煤けている。
「間違いない・・・・・・人がいるな」
確信した。人がいる。ここには人の営みがあって、いまなお脈々と息づいている。それになにより、この家は真新しく、建築から三年経っているかどうかも疑わしい。
神の遣いが現世帰還を果たした次期から考えると、この建物が建てられたのは、おそらく同時期のものと思われた。
そうなると、期待は俄然たかまる。逸る気持ちを抑えきれず、足早に玄関へと——
「おっと——」
突然、薪の上から何かが落ちてきた。驚いて後ろに身をよける。
薪でも落ちたのかと一瞬思ったが、どうやら違うようで、落ちてきたものがこちらを見上げている。
猫だった。
「なんだ、野良か・・・・・・」
「にゃぁ」
「・・・・・・食うものは持っとらんぞ」
見上げる小さな、だけどどこかふてぶてしい瞳を避けて、教来石は今一度、玄関へと——
向かおうとした瞬間だった。
「貴様、何者だッ!」
またもや突然だった。今度は背後から、甲高い女の声が叫ばれた。
慌てて振り向いて、己の迂闊さを呪う。人がいて当たり前なのに、油断では済まされない。
女はやや小柄で、左手に洗濯籠を抱え、右手には薪割りに使う鉈が、刃をこちらに向けて突きたてている。
見た様子だと、たまたま洗濯をしに出てきて、たまたま教来石を見つけて、たまたまそこにあった鉈を引っつかんだ、という風情だ。
沸き立つ鼓動を抑えて、教来石はじっと女を見つめる。訓練を受けていると直ぐにわかった。ただそれでも、自分のほうが強い。戦えばまず負けない自信があった。
だが殺してはまずい。ここが神の遣いの聖域で間違いとして、そうするとこの女は神の遣いの召使であろう。それを害してしまっては、元も子もなくなる。
ゆっくり、慎重に、教来石は言葉と対応を選んだ。まずは刺激しないことが重要である。
「娘よ、ちょいと落ち着け。わしは怪しい者ではない」
務めて笑顔で。二十代半ばの笑顔は、それでも女の剣幕を振りほどけなかった。
「いやなに、道に迷っただけだ。適当に歩いていると、人の通った後があっての、それを辿ってここに来たわけなんじゃが」
「・・・・・・」
「わしも腹が減って、喉が渇いて・・・・・・足も疲れてクタクタだ。どうか、一休みさせてくれんか。礼はするぞ」
哀れを含んだ瞳で訴えかけるが、内心は哀れどころではない。この女を信用させれば、神の遣いにあえるという打算がひっきりなしに考えをはじき出し続けている。
あたかも遭難した旅人が助けを得た、という『演技』を貫いて、せっかく掴んだ機会を逃すまいとあの手この手で縋りつく。
その様子にとうとう折れたのか、女が小さく、
「・・・・・・仕方がない」
と、そう呟いた。教来石は平然としながら、内心で「やった!」と小躍りしたい気分だった。
女は洗濯籠を置いて、鉈を放り出し、教来石を招き入れた。
緊張する。緊張する! とうとうわしは、神の遣いに会えるのか!
手に汗が滲んでくる。
「しばしここで待て」
「ん・・・・・・わかった」
女が一人で土間を上がっていく。神の遣いに了解を取りにいったのだろう。
一人になって、教来石は改めて周囲を見回した。変哲の無い、ごく一般的な土間だった。
神の遣いにしては、なんと清貧なことよ——。と、そう思いながら、教来石はふと気がかりに気づいた。
そもそも、なぜ神の遣いは人目を避けねばならんのだ?
考えてみるとおかしな話だ。神の遣い、九峪の名は市井の民にも有名で、彼らの心に宿った魂の名と呼んでもいいくらい、九洲人は九峪を尊敬している。
教来石は知らなかった。先立って起こった内紛が原因であると。
ほどなくして、女が戻ってきた。女の横には、なんとも美しい女性が二人、一緒にいる。
——これが、噂に伝え聞く神の遣いの守護者か。たしかに美しいが・・・・・・なるほど、只ならぬお人と見える。
一目見てわかった。この世の美しさを越えた美貌もさることながら、彼女たちは、人間の持ちえぬ超越した何かを持っている。
まさしく守護者に相応しい。それにしても・・・・・・なんと豊満な・・・・・・。
教来石は未だ知らない。というよりも、北山にはいない。ここまで素晴らしい巨乳の持ち主を。これも神の遣いの威光なのかと頓珍漢なことを考えながら、土間を上がった。
通されたのは今であった。火の熾されていない囲炉裏が、静寂さを醸し出している。
腰を下ろして、視線だけで内装を眺める。やはり質素だ。
——神の遣いがいない。
どこか別の部屋にいるかもしれない、と思ったが、どうにも女は、九峪に会わせたくない様だ。だがそれでは困る。こっちは会いに来たのだから。
さて、だがあからさまに「神の遣いに会わせろ」といっても、会わせたくない女は、教来石を殺そうとするかもしれない。
だから教来石は知恵を絞り、遠回りな言い方で神の遣いとの接触を試みた。
「おかしいな」
「何が」
わざとらしくないように、思案気な顔つきで、
「人が足りない」
と言った。要領を得ず、女は不可解な視線で教来石へと視線を向ける。
「娘よ、ここには何人住んでいる」
「なぜそんなことを言わねばならない」
「いや、気になっただけだ」
「・・・・・・私と、そこにいる・・・・・・あー、姉二人の三人暮らしだ」
「ほう? ほうほう」
驚いたような声で応える。もちろん演技だ。
「それではおかしい。土間にはおぬしらのほかに、草鞋がまだあったぞ」
「ッ——それがどうした。貴様には関係ないじゃないか」
女の目が一気に釣りあがった。美女二人もわずかに腰を浮かせている。
女一人ならばまだどうとでもなるが、この美女二人は相手になんか出来ない。教来石はさらに慎重を期して、根気よく探りを入れる。
「せっかく水と飯を頂くのだ。家主に挨拶の一つでもしなければ、わしの気がすまん」
「結構だ。家主はとうの昔に死んだ。あれは両親の履いていた草鞋だ」
「それも変ではないか。あれは、最近になって使っているはずだ。その痕がある」
「くッ・・・・・・それは」
弁明むなしく、教来石は次々に看破していく。
女はいよいよになって窮して、それを見かねた巻き髪が特徴的な美女が、苛立たしげに立ち上がると、すくみ上がる眼光で教来石をにらみ付けた。
「面倒だ、もう殺したほうが早い」
「あ、賛成〜。私もそのほうがいいと思うなぁ」
——しまった!
慎重を期したつもりが、深入りしすぎたようだ。神の遣いの守護者は、どうやらせっかちなようだ。計算外だった。
女へと視線を向けると、どうやらこちらも殺す気満々だ。殺気立った気配に囲まれて、さしもの教来石も事態に窮した。
死んだぞ、これは。
諦めて、教来石も腰の刀へと手を伸ばす。勝てる気はしないが——女を人質の取れば、二人の姉は手が出せまい。
そう考えて、じりじりと女の方へとにじり寄り——
「お待ちなさい」
制止の声で、動きを止めた。驚いて振り向くと、そこには可愛らしい少女が、殺伐とした空間の中で平然とたっている。
そしてその後ろには一人の男が。
「待て待て待てッ! ここで暴れるな! つーかここ以外でも暴れるな!」
大慌てになって仲裁に入る。突然の乱入に、女は驚きつつも刃を下ろして、一歩後ろへと下がる。
姉二人も引き下がり、教来石は危機を脱した。ただし、教来石の心は、危機を脱したことの喜びよりも、目の前の男へと向けられている。
——この男が、神の遣い・・・・・・英雄と賞される九峪。
二人は一触即発の中で、互いに向き合った。
それが、九峪と教来石——のちに生涯の友として運命を共にする、一世英傑の出会いであった。