何時の時代にも、強引なやり方で物事を進める一派は存在する。
強引とはすなわち実力行使で、対話を用いない『せっかち』な方法をさす。具体的には武力行使、暗殺、権利剥奪などなど——。
現代ではこのように実力行使してきた歴史上の人物たちは、多かれ少なかれ非評の的とされてきた。武力での弾圧や恐喝、口封じなどは野蛮であったし、何よりも考えることをしなかった『無能』な行いにしか思えないからだ。
いい例が、現代で起きている中東問題であろう。
中東問題は根幹が非常に複雑な事件だが、これこそ、対話を行わなず武力での解決のみを是とした結果といえる。『相手を皆殺しにすればすべては丸く収まる』——この考え方に、賛成的な人間はいないはずだ。
だが武力だけの解決は愚かでも、それを行使させるだけの威力があることは確かだ。身近な事例を挙げれば、不良の十八番『かつあげ』がある。
彼ら不良の思考は、
金を出せ。
無い?
ふざけるな、殴られたくなかったらさっさと出せ。
のプロセスを経て暴力に繋がる。これには悪事を速やかに遂行して警察などに通報されたくないことなども理由となろうが、とにかく会話はまどろっこしいから、殴って言うことを聞かせようとする。
暴力に立ち向かうことは大変な勇気だ。大抵は屈してしまう。だからこそ暴力に屈さず、また力ではなく対話で自由を勝ち取ったマハトマ・ガンジーは、後世に『聖人』と奉られ、アメリカのジェロニモなどとともに自由の徒と呼ばれた。
しかし全ての人間が対話での解決を実現できるわけではない。同じ喋らせないならば、対話で論破するよりも物理的に話せない体にしてしまったほうが確かに速い。
そしてその考え方、方法が蔓延してしまうと、もはや手には負えなくなる。ガンジーは『不屈の三原則』を貫いたが、その分、多くの死者が生まれ悲劇が悲劇を呼んだ。
——殺してしまえばいい。
そんな思いを人が持ち続ける限り、幾世紀を重ねても、路上に人の屍が重ならない日は訪れない。
永遠に——。
先日、耶牟原宮殿の城下西の街で起こった警徒使暗殺事件は、世間に公表されないまま秘密裏の事件として調査することになった。
というのも、警徒使が暗殺され、さらに文官二名までもが殺害されたこの事件はセンセーショナルであり、国家の治安を預かる警徒にとって面目を潰されたも同然なのだ。
だがそれだけではない。警徒は政治関係者が暗殺されたことに着目し、これを日ごろ文官と対立関係にある武官の仕業だと仮定、ホタルに要請して襲撃犯の洗い出しを行った。
表を警徒、裏からホタルの捜査は、当初の予測を裏切って難航。
問題は『動機十分なものが多すぎて特定できない』という、なんとも情けない理由からだった。大きな視野で見渡せば、耶牟原城に住まう武官の大半を犯人と断定できても不思議ではないからだ。
現在、耶牟原城で生活している武官は三百八十家、五百人を超えている。コンピュータのない時代に、それだけの調査量をカバーしきれるはずもない。
そうこうしている間に、またもや文官の暗殺事件が発生。道路省で二人、大蔵省で一人、普請請負所で五人人、税収所で三人が、立て続けに殺害された。どれも文官であった。
今のところ高官の殺害は、警徒使の明銀太のみだが、この殺害数はいささか以上である。殺害現場を目撃した一般市民も殺害され、聖地耶牟原はまたたくまに『魔都』と化した。
不穏な空気を感じ取ったのか、夜に出歩く人影は無く、誰も彼もが戦々恐々となった。文官は暗殺を恐れて外出せず、なかには宮殿に姿を見せないものも出始め、政務への悪影響も懸念された。
もはや秘密裏に捜査も出来ず、武官と文官の対立は完全に浮上してしまった。いくら調べ上げても、武官に証拠は現れず、被害は拡大する一方だった。
なぜこうまで調査が進まないのか。証拠が出ないのか。
不審に思った清瑞は、亜衣に上訴して全区域の住民調査を依頼した。
「外部の人間が密入しているのかもしれません」
という推測を立て、それがもっとも合点のいく理由であったからだ。外部犯の犯行ならば、身元は確かに明らかとならない。
城下全体の調査に三ヶ月かかり、季節は八月の終わりに近づいていた。
事件発生から半年近くが経っても大きな進展は無かった。ただし十八人目が殺害されたとき、ついに流れは変わった。
襲撃者のうち一人の身元が割れたのだ。なんとこの襲撃者、かつて耶牟原城を追放されて薩摩へと逃れた元武官の男であった。
さらに調査を進めると、他にも十数人が密かに城下へ侵入している。彼らはどこかに身を潜めているはずだが、おそらくそれは現職の武官の手招きがあるものと考えられる。
一連の事件は、現職の武官が追放された元武官を雇い、刺客として文官を襲わせている、という事なのだ。入城において必要な鑑札を用いず入りこむには、それなりの地位にある者の手引きが必要不可欠だ。
実態はわかったが、あとはどの家が手招きをしているのか、という部分だ。九月に入ると文官も独自に傭兵を雇い、身辺を警護するようになり、防衛のため情報を独自で入手するようになっていった。
そしてそれによって事件がおきた。
九月十三日の夜だった。その日は雨脚が強く、土砂降りだった。九月の始まり、台風が近いのだ。
耶牟原城の警備隊長を務める土門(どもん)という男は、暗殺事件を扇動する黒幕の一人である。土門は追放された元武官十人を囲い、彼らの文官に対する憎しみを唆して、凶悪な刺客へと変貌させた。
土門も多分にもれず、九峪派の戦士だった。彼は市内の復興ばかりに目を向け、防御の要とも言える城壁に関心を示さない文官の態度に憤っていた。
「魔獣さえ入らなければ問題ない」と言って、耶牟原城を覆う城壁の半分近くが、丸太の骨組みに土を盛っただけの粗末な『城壁もどき』で、有事の際にはまったく役に立たない代物だった。
守備隊長としてこれは見過ごせない。そこで彼はその権限をもって城壁の修繕に人員を割こうとしたが、文官はそれに難癖をつけて、結局いまだ、城壁はお粗末なままとされている。
土門は悔しさのあまり、一時酒に溺れた。そして九峪派の一斉弾圧が始まり、彼も守備隊長の任をとかれたが直後に北山の問題が起こり、文官はそれまで推し進めた富国一辺倒の政治を批判され、彼も見事守備隊長に返り咲いた。
——のだが。
「今だ戦乱の世だ。それすら解せぬ輩に、国家の大事を任せてはおけぬ!」
文官への不信感は根強く残り、さらに文官の入れ知恵で同士の多くが琉球に送られ、命を落としてしまった。
土門の不信感は、強烈なまでの憎悪へと姿形を代え——復讐に走らせた。そしてそれは、土門に限った話でない。
他にも同様に考え、同様に動いている武官は多くいる。土門はあくまでも『そのうちの一人』でしかない。
その土門は、野道での待ち伏せが出来なくなると、わざわざ出向いて焼き討ちしようと画策するまでにいたった。同士十人、部下八人と綿密に計画を練り、その嵐の夜も、密談は続いた。
だが彼らが計画を実行に移すことは無かった。土門の不振な動きを知った文官の一人が、詮議を改めることもせずに、取り巻き三十人あまりで土門の屋敷を襲撃したのだ。
邸内にいきなり松明を投げ入れられ、正門が破られた。どっと傭兵がなだれ込み、家人を次々に、それこそ老若男女問わずなで斬りという暴挙に打って出た。
火災の中、土門も応戦するが不意を突かれて浮き足立ったところ、背中をばっさりと切られ、屋敷の住人しめて三十八人は皆殺しにされた。家屋は全焼、飛び火して周囲五棟を焼く大惨事となった。
武官集団が文官に皆殺しされたこの事件——『土門屋敷事件』を皮切りに、耶牟原城各区域で同様に、疑心暗鬼に駆られた文官による無差別の焼き討ち、それに対抗する武官との武力衝突が勃発。
政治の中心、女王のお膝元、姫御子の聖地は法を失い内乱の渦に飲み込まれた。時に元星六年十月のことである。
『土門屋敷事件』より、時は遡る——
阿蘇山。そこでも、また、世上に知られない大きな出会いが起きていた。いやさ、これはもう事件と呼んでいい。
念願かなった教来石の瞳は、忙しなく九峪という男を推し量る。まずは碁でも打てればいいのだが、あいにく九峪は碁を知らないという。
だからせめて、とにかく話して、人となりを知ろうと思った。
話しは当たりさわりない事ばかりだ。教来石は自身の正体を明かしていないし、面と向かって「あなたは神の遣いか?」とも聞いていない。
だから核心に迫る話題は無い。
でも、それでよかった。
話せば話すほど、九峪という男は面白い。万事に面白い。まずわからない、つかみ所が無い、そして決定的に『考え方が違う』。
それが堪らない。話すうちに、出会ってまだ一刻、ただそれだけの間で、目の前の男を好きになっていく自分がいる。
教来石は若い。今年で二十三歳と、九峪よりも若い。九峪雅比古という世界の常識を超えた感性は、かつてない刺激を教来石にもたらしてくれた。
ただ、もちろん、意見だってぶつかった。
「俺はそう思わないな」
といわれれば、カチンと頭にも来たが、その後に付け足される理由はやはり、教来石の考え方から逸脱したぶっ飛んでいる理由ばかりだった。
飯を食わせてもらい、高麗茶なんて凄まじいものを飲まされ、さらに酒まで供された。教来石もこの時ばかりは羽目を外して、目の前の賢者と語り明かす気持ちだ。
いろいろなことを湾曲に聞いてみる。故郷のことなどもそうだし、軍事のことをそれとなく聞いてみるとこれまた斬新な答えが帰ってくる。
例えば、教来石が昔経験した戦いの話などを、九峪に聞かせて話す。
「陸は敵の大軍、海は敵の水軍。道はそのどちらかしかない。あなたはどこを通る?」
この戦いで、教来石は陸地を大きく迂回する作戦を取った。そのおかげで勝つことは出来たが、損害も馬鹿には出来なかった。
しかし九峪は、教来石の描いてくれた当時の地図を見て、少し考えた後、
「浜続きに繋がる岸の下は浅瀬になっていることが多い。引き潮になるのをまって、現れた干潟を通る」
という結論に達した。これならば陸の敵、海上の敵にも発見されないというのだ。無いなら出来るだけ待つ、でなければ作る。それが九峪の考えで、この点が教来石には面白かった。
そういった奇策もさることながら、教来石がもっとも気に入ったのは、九峪の戦術構想であった。
九峪の戦い方を端的に言い表せば、
——まず彼我の戦力情報、地形選択の調査
——次に止まること無い進軍速度
——最後にだまし討ち
の三原則から成っている。兵法の常道と言っていい平凡な戦法だが、これら基本がしっかりしているからこそ、九峪の奇策はただの絵空事にならない。ちゃんと成功するまでの道筋が整っているのだ。
指揮官としては致命的に緩いが、軍略家としての力量は間違いなく天下に誇れるものがある。人を見る目には自信のある教来石だ、亜衣が尊敬する理由も頷けるというものだった。
おまけにとんでもなくお人よしだ。信じられないくらいに『無垢』だ。戦では騙すことも厭わぬ男が、いま、教来石を前に疑いのまなざしを向けてこない。
道に迷った旅人——それを信じきっている。
馬鹿と才師は時として同じものとも言われる。九峪はその類なのかと思いながら、教来石は会話の花を咲かせ続ける。
話してさらにわかったことがある。九峪はいま世間を騒がせている話題から、若干遅れた情報の中で生きている。こんな山奥にいるのだから、情報は入らないだろうが、それでも神の遣いならばもっと世情に富んでいてもいいはずだ。
「こんな山奥で、不便ではないのか?」
教来石の尋ねに、九峪は首を横に振って、
「不便じゃないさ。家がある、飯もある、本もある。人だっているから寂しくも無い。まぁ、たまに怖い夜があるけど・・・・・・」
ちらっと九峪が兎華乃へ視線を投げかける。その視線がどういう意味なのか、教来石にはわからない。
苦笑しながら九峪の瞳が教来石を見つめる。
「かねがね満足さ。物がなくたって、満足だと思えば満足な暮らしだ。住めば都ってな」
「都・・・・・・?」
「そう、都。誰だって都暮らしに憧れるもんだ。華やか艶やか・・・・・・俺も、昔は東京の暮らしに憧れたなぁ」
懐かしい、まだまだ今よりも青かった頃の気持ちがよみがえって、九峪の瞳に過ぎた故郷の幻が蜃気楼のように揺らめいた。
「でも、どんな所でだって、人間は慣れるもんさ。慣れて、そこで生きつづけて、いつかそこはもっとも暮らしやすい都になる」
「そういうものか」
「俺は、この国の生まれじゃあない」
ふいに、九峪の声が低くなった。
語る喉を酒で湿らせ、とうとうと言葉を続ける。
「俺の故郷は戦争も無くて、食うものも沢山あって、大概の病気だって治せる、ここよりもずっと進歩した社会だった。子供はみんな勉強が出来たし、綺麗なものでいっぱいだった。治安だって、九洲とは比べもんにならなかったんだ」
——それが、神の世界か。
相槌を打ちながら、今代の英知の遠く及ばない世界を夢想する。そこは、なんて素晴らしい世界なのだろう。
「そこで生まれて、育って、人を殺したことも、殺されるところも見たこと無い俺が、突然、暴力のまかり通る倭国にきた。衝撃的だったぜ・・・・・・すげぇ怖かったんだ」
「誰だって覚悟の無い死は恐れるものだ。わしだって死ぬのは怖いが」
「それでも、それ以上の使命感で戦う連中ばかりが、俺の周りにはうじゃうじゃいる。一人だけ場違いで、肩身の狭い思いをした」
「おぬしは、世間知らずだったのだな」
やや驚いた風情で教来石が言った。神の遣いとは思えない、あまりにも弱気な言葉に、内心で心底驚いた。
教来石から見ても、九峪の言い分はたいそう甘ったれたものに感じ取れる。殺し殺されが常習とさえなっている世界で、九峪のように弱い意志では強者の餌食になるのが落ちだ。
よくも生き抜けたものよ。呆れとも感嘆ともとれない思いが沸きあがる。
だがとうの九峪は、神妙な顔つきで、教来石を見つめた。
「世間違い、が正しい表現かもな。俺の故郷じゃ、どんな理由があるにせよ、殺人は厳罰だ。だいたい戦争をしないってことが、法律で制定されてたんだ。『戦争』と『殺人』は、まったく身近に無かった」
「太平の世か。なるほど、つまりおぬしにとって、殺しあう我らの方こそ異常に見ゆるわけだ」
「ああ」
「ならばおぬしは、遣わした神に見捨てられたのかもしれんな」
「え?」
思わず、間の抜けた表情になって問い返す声が漏れた。まじまじと向けられる瞳を受け止め、教来石は言葉を発した。
「殺しを知らず、殺しも出来ない人間に、誰よりも戦う才を与えたもうた。怖かったと嘆く男は、もう怖いと言わない。『戦争』と『殺人』が大罪であったにも拘らず、もはやその大罪はおぬしの血肉となって、一人の人間を成している」
「・・・・・・」
「おぬしはこの戦乱の世の生き方を覚えた。大罪を犯して・・・・・・。もしも神がおぬしを慈しみ、愛し、哀れみ、助けようとするならばこうは成らなんだ」
「俺は・・・・・・」
「だがおぬしは強い。それでも生きているのだ。神から見捨てられても」
教来石は宙を見上げる。言葉を終わらせて、ひゅうっと冷たい風が吹き抜けていった——そんな錯覚がした。
この風は、嫉妬の風だ。天は戦いを罪とする者に才をもたせ、いま祖国を救わんと胸を焦がす異国の軍師には、飛翔の才を与えてはくれなかった。
才を得て、欲しても手に入れない才能を手にして嘆く九峪が、教来石には羨ましくて恨めしくもあった。
「わしも、今は神の慈悲に縋るしかない・・・・・・」
才を与えないのなら、せめて慈悲を、神の御心が救ってくださると信じるほか無い。
目の前の男は神に見捨てられ、大罪を犯し、きっともう純粋な『九峪雅比古』には戻れない。太平の世で生きられたはずなのに、血なまぐさい世界に落とされたことは、九峪にとって確かに不幸なことだったのだろう。
わしが神に見捨てられないなら、きっと、北山を救う手立てが見つかるはずだ。
神の助けが無ければ、もう教来石には打つ手が無い。見捨てられてなお生きている九峪は、神の遣いに恥じぬ強運と実力の持ち主だと、それがわかっただけでも、阿蘇を登った甲斐があった。
——この霊山で、加護は受けられない。
「少々、長居してしまったかな」
目的は達した。「馳走になった」と礼を述べて、教来石はすくっと立ち上がる。
「もう行くのか?」
「日が傾いておる。晩は麓で過ごしたい」
「そうかい。でも一人での下山は無理だろ。道に迷ってここに来たわけだからな」
冗談めかして言うが、教来石は頬を引きつらせてしまった。
たしかにその通り。正直言って下山できる自信が無い。阿蘇の山々、木々草々の鬱蒼たる事、教来石の知識にはないほどのものだった。
黙り込んだ教来石を見るに見かねた九峪は、女中と兎奈美に麓まで案内するよう頼んだ。
二人に導かれ、教来石が山の麓までたどり着いた頃、空の茜は一段と闇に侵食されていた。案内役の女中たちに礼を述べ、幾ばくかの礼金代わりに腰の短剣を差し出して、手近な宿場の戸を叩いた。
藁葺きの寝床で横になり、荷物をまくら代わりにして、今日の出会いを反芻する。九峪のあまりにも自然すぎる態度は、緊張する教来石をとても強く揺さぶった。
「あれは軍人でも、神官でもない。ただ普通の男だ」
それが不思議でならなかった。九峪の雰囲気とも呼べるものは、軍人のような凄みに欠け、神官のような惑わしもなかった。笑い怒る、普通の男となんら変わらない。
違うとすれば、やはり考え方だ。それだけが違い、人間性はただの人間であった。
「神などではない・・・・・・やつは、人間だ」
瞳を閉じて呟く。呟きは確信であった。
たしかに、普通とは違う何かもあろう。それが何かはわからないが、あるいは強運か、それとも異能か。
ただそんなことはどうでもよかった。
人間ならば、同じ人間ならば、渡り合えるはずだ。知略で及ばずとも、同じ人間として生を受けた以上、それ以上の存在には成り得ない。人間をやめない限りは。
同じ人間と、その思いを抱いたとき、教来石の脳裏に一つの策略が思い浮かんだ。
——九峪を調略する。
という、あまりにも大胆な策略だった。この考えに至ったとき、教来石はやおら恐ろしいことだと身を震わせた。
しかし、たしかに恐ろしいことだが、もう教来石には不可能だという考えは無かった。出来る自信も確証も無いが、不可能だとは思えなかったのだ。
それにもしも九峪を調略できたなら、今後、亜衣と協議を進める場でも優位を保てる。理由は知らないが、九峪は追われた身だ。口でなんと言っていようと、宰相の亜衣を恨んでないはずが無いのだ。
そこにつけ込み、自由と地位を約束して連れ出したら、これは強力な戦力となる。
それだけでなく、九峪を北山へ送り込み、自分の代わりに『軍師』となり働いてもらうのもアリだ。九峪の実力はすでに過去の戦いが証明している。
——が、馬鹿らしいと、教来石は自分自身に呆れながら寝返りを打った。九峪を調略した瞬間に『九北同盟』は崩れ去り、九洲の反抗へ理由を与えてしまう。
所詮は絵空事だ。今の九峪には大局に影響を与えるだけの権力が無く、手を出す必要も理由も利益もない。触らぬほうが得策であった。
ゆえに思ってしまう。
「——それだけの男が、二度と表舞台には現れない。惜しいものよ。いま一度戦えば、九峪の名は永久の勲章となろうに」
おなじ知恵者として、一世の英傑がただ野ざらしで消え去ることが、そこはかとなく寂しく思えた。
教来石の元に書簡が届けられた。『薩北文書』とよばれるこの手紙、差出は北山で軍制を指揮する恵源からである。
内容は再度の出兵の勧告。北山は決戦を挑む所存であった。
この戦いで敗れれば、北山は滅亡する。まさにその意気込みであり、純然な悲壮たる決意は文面からひしひしと、教来石の骨身に染みて伝わってきた。
ドクンッ と、鼓動が高鳴る。一際、強く脈打った。ついに来た。
詳細も綴られている。
大宜味での敗戦から、最前線は河螺となっていることはすでに知っている。恵源はその河螺からさらに後方へ本丸を移し、編成を整え、河螺の構える伊湯岳で雌雄を決するつもりであった。
その上で、兵員を少なくとも九千は増派してほしいとのことである。連敗の痛手を物量で押し切る戦術であった。事実、それしか手立ては無かった。
しかし、教来石にはもう兵を送る手立てが無かった。『土門屋敷事件』で耶牟原城は内紛状態に陥り、とても援軍を遅れる見込みが立たない。
この場合、加奈港の北山軍が近隣を襲撃して脅しをかけても、もはや大した意味は無い。そのときは薩摩と火向に攻め滅ぼされるのが関の山である。
まさか内紛が起こるとは——。
こればかりは想定外だった。反感を持った反対勢力との小競り合いはあるだろうと思っていたが、まさか身内同士で戦うとは、さしもの教来石でさえ知りえるはずも無い。
とはいえ、この申し出を無視しては、それこそ祖国は敗れて故国となろう。是が非でも兵を出させるつもりで、十月二十八日、護衛として兵三百人を率い、教来石みずから混沌とした耶牟原城を目指して発進した。
この出来事に、近隣は多いに騒ぎ立てる事が予想できた。無駄な騒動を避けたい教来石は、途中まず、香蘭の元を訪れ、耶牟原城へ向かう由を伝えた。
知事の間を通された教来石は、そこで薩北文書を香蘭に拝見させ、本国の窮状を訴えつつ協力を是非にと嘆願した。
香蘭の本心は、兵を出したくない。この一事に尽きる。しかしこのまま遠い異国で懸命に、それこそ死闘を演じる仲間たちを見捨てるのも、背筋を切り裂かれるほどに苦しかった。
香蘭に代わって紅玉が教来石一行に随伴し、耶牟原城を目指す算段と相成った。紅玉も兵百人を従え、北上——火後入りを果たした。
教来石は鹿児島城を出発するとき、加奈港への侵攻をそれとなくけん制しながら、やはり後方を案じている。もちろん、ここで加奈港を押さえては琉球で戦っている味方を見殺しにするということも打算に入っていたが、こういった所にも抜け目は無かった。
北山駐屯軍の進発の報は、すでに藤那の耳にも入っていた。ただし詳細な情報ではなく、北上してくる軍団に警戒感を露にしながら、自身は兵五百人を持って途中の砦『其水関』へ入砦した。
すぐに軍団は其水関の目前まで姿を現した。少数の群れが土煙を上げて近づく様子を、藤那は城壁に備えられた物見櫓から眺めた。
「都が荒れているというこの時分に・・・・・・」
苦みばしった表情で、あたかも吐き捨てるような言葉だった。
はっきり言ってしまえば、藤那にとって北山とはただの厄介者でしかない。北山さえいなければ、国内はもっと安定して、今のように殺伐とした混乱には見舞われなかったはずなのだ。
九峪様を追いやってまで得た平穏を、むざむざと打ち砕かれてしまった——!
それが藤那には悔しく、北山に対する強烈な敵愾心を生み出していた。
だが、近づく軍団の中で薩摩の紋章が翻っている。
「どういうことだ?」
疑問の声が出る。
まさか薩摩が北山に寝返った・・・・・・とは考えられない。
それによくよく観察すると、あれは紅玉の紋章でもある。
不思議に思いながら、紅玉が同行しているということは何か大事に違いないと判断して、確認の使者として閑谷を遣わした。
この時、閑谷二十三歳。まだ僅かだけ少年らしさの残った顔立ちだが、ずっと大人びて頼りがいのある瞳をするようになった。
法衣の上に薄鱗鎧(うろこ状の薄い鉄板を幾重にも繋げた機動性の高い軽装鎧)を着込み、その上からさらに軽革を被って、駒木馬に打ちまたがって其水関を飛び出した。後ろからは護衛三騎が従い、駒木衆でもっとも腕の立つ孔菜代も同行した。
閑谷たちはすぐに軍団の下まで近づく。閑谷の接近に気づいた教来石は軍の足を止め、こちらも使者を遣わした。
北山から二人、そして顔見知りの紅玉が走る。
両者は川原で落ち合った。馬を下りて、閑谷は礼儀正しく頭を下げた。屈強な成りではないが、涼やかで気持ちの良い好青年ぶりに、久しぶりの再会でもある紅玉は頼もしそうに微笑んだ。
「紅玉様、お久しぶりです」
「ええ・・・・・・閑谷も、久しく見ない間、ずいぶんと逞しくなりました」
「いえ、僕等はまだ・・・・・・」
変哲ない受け答えをしながら、視線をちらと北山へ向ける。
途端、瞳が理知的に細められた。
「此度は、いったい何事でしょうか。兵を率いるなど、尋常の沙汰とは思えませんが」
紅玉は頷いた。
「さぞ驚いたでしょうね。たしかに、今この時に置いて、尋常とはいえない議であることは間違いなく」
取り急ぎ急を要するわけではなさそうだ。
ゆっくりとした対応の紅玉と異なり、同伴している男たちはどこか挙動に落ち着きが無い。閑谷はこの者たちが北山からの使者であると判断した。
「あなたたちは北山の者ですか?」
閑谷の問いに、細面の男が首肯しつつ近づく。
「いかにも。わが殿(教来石)より伝文を預かってまいった。こちらを火後領主、藤那様にお渡し願いたい」
質の良い紙を差し出され、それを受け取る。
「相わかりました」
「それと、我々は耶牟原城へ向かわねばならぬ。火後を通る許可が欲しい」
「耶牟原城へ・・・・・・?」
閑谷が不可思議な瞳を紅玉へと向ける。紅玉は頷いて「通すように」とはっきり言った。
閑谷はひとまず其水関へ戻り、藤那に伝文と火後通過の許可を仰いだ。
広げられた文面に、視線がつらつらと這わされる。読み終わると息をつき、文書を閑谷へ手渡す。
受け取って、閑谷も文書を読み進める。視線が上下していくうちに、眉根にしわが寄せられていく。
「・・・・・・藤那、これは」
「ああ。ふざけた話だとは思わないか、閑谷。都の騒動を知らないわけでは無かろうに・・・・・・」
「いくらなんでも無理だよ。耶牟原城はそれどころじゃない」
「そうだ、とても飲み込めた話じゃない。事態の収拾に亜衣が奔走しているこの時に、戦力を割けるわけが無い。しかし・・・・・・」
藤那が唇をかんだ。
「それでは北山で戦っている音羽どもを見捨てることになる」
「あれだけの戦力を送って、まだ決着はつかないのか」
かなりの大軍を送ったのに、まだ戦力を要求してくることに、閑谷は心底驚いていた。
閑谷は琉球の情勢に疎いが、それでも戦局を転ばせるだけの兵団だと思っている。これで劣勢になるとは考えられなかった。
どうする? と閑谷の瞳が尋ねてくる。藤那は深く考えねばならなかった。
決定権を藤那は持たない。兵を出すかどうかは、つまるところ、女王をいただく国政の評定衆が決めることだ。藤那がいま決めることは、通すかどうか、である。
しかし北山の兵を迎えさせては、耶牟原城の混乱に拍車が掛かる可能性がある。現在の耶牟原城では血の流れない日、家の燃えない日がないほど、文官と武官の抗争が激化している。
ここで追い返すという手もあるし、やろうと思えば、教来石を亡き者にだって出来る。だがその場合、北山で戦っている音羽たちの身の安全は保障されなくなるだろう。
その事態を予想して、紅玉は『緩衝材』として同行してきた。それくらいなら藤那にだってわかる。
穏便に控えさせるか、それとも思い切って火後を通すか——。
「閑谷、お前ならどう考える?」
答えを出せない藤那は閑谷に尋ねた。いまや閑谷は藤那家臣団で一の参謀、軍師となっていた。
藤那の抱える不安などは閑谷にも同様のものであった。
閑谷は強い瞳で藤那を見つめながら言った。
「火後を通すなら口実が必要になる。口実さえ用意すれば、耶牟原城に到着した後でも十分な言い訳にはなる」
「適当な口実があるのか?」
「僕たちと北山は『九北同盟』で結ばれている。これを口実に使うんだよ。耶牟原城で起きている内乱を鎮圧するのに、同盟関係にある北山の力を借りたって全然おかしくない」
「ふむ・・・・・・同盟という関係を利用するか」
「さらに紅玉様が軍を率いていることにも大きな意味がある。ここに火後の軍団が加わることで、同盟による援助という名文を北山は持てる。そうすれば、耶牟原城へ接近しても大きな問題にはならない」
なるほどな、と藤那は頷く。理にはかなっていた。
しかし不安はまだ残っている。
「頭に血の上った連中が相手だぞ。そんな理由で通用するのか?」
だが閑谷はすかさず答えた。
「僕たちは内乱の鎮圧に乗り出すんだよ。大義名分はあるんだ、何も問題は無い。それに・・・・・・内乱の鎮圧に乗り出す知事は藤那だけ。これは、かつて『火後の変』で失った藤那の発言力を取り戻す絶好の機会でもある」
はっと、藤那が瞳を大きく見開いた。それからすぐに、にやりと口元をゆがめた。
——『火後の変』。それはいまだ復興戦争のさなかに起こった、藤那の謀反のことである。時を経て、現在ではこう呼ばれている。
九峪のとりなしで知事職を続けられた藤那だが、知事の内での発言力は大半を失ってしまった。終戦後、地道に政治を行い、少しずつ回復させてきたが、まだ大会議においての発言力は下火である。
耶牟原城で年に数回ほど開催される大会議で、藤那は発言を自制している。前面に出ることが藤那のやり方であれば、それを傍らでみつめる閑谷の心象は心苦しいものであった。
高幹部だけの集まりであれば、藤那にも十分な発言は出来る。しかし他の役人や武官がいる場では、まだ藤那に対して懐疑的な視線を投げてくる者がいる。
もちろん、藤那がただ諦めたとは考えていない。今はまだ我慢のときなのだ。ひたすら地味に徹し、寒い冬を越える野菊のように、鮮やかな花弁を花開かせる時を待っている。
そして今こそ、蕾が目覚めるときなのだと、閑谷は冷静に考えていた。
「兵を出すかどうかは、耶牟原城の評定衆が決めること。仮に僕たちがここで追い返すと、それは同盟を反故することになって、ばかりでなく、北山で戦っている皆を見殺しにする事になる。それなら内乱を憂いた義士となって都へ赴き、北山の要求がちゃんと上方に届くようにするべきだ」
「ふん、よくもまぁ考えが回るものだ。随分とずるい性格になりおって」
バッと藤那がおもむろに立ち上がった。薄藤色の髪を結わえる銀櫛が、ギラリと光を放った。
膝をつく閑谷を見下ろして、
「門を開けて、通してやれ。我らも出陣するぞ。目指すは耶牟原城だ」
「はっ」
一礼して、閑谷が跳ぶ様に飛び出していった。すぐさま兵士たちへ伝令する声が響いてきた。閑谷は仕事が速い。
藤那は一人で再び物見櫓に上った。眼下を見下ろすと、もう北山軍が関所の門を潜っていた。
ザッザッザッザッ——
「絶好の機会だが、癪だな。またもや動かすのは北山か・・・・・・」
この行進は、九洲の流れをまたぞろ大きく変えるだろう。それは確信に近い予感であった。
北山の軍が大体とおり終わって、紅玉の軍が門に近づいてきた。馬にまたがった紅玉が、ふと見上げた。
目が合った。
紅玉は小さく微笑んで、軽く頭を下げた。藤那も礼を返し、視線は直ぐに外れた。
——紅玉がいる限り、大事にはいたるまい。
それが救いであろう。紅玉の実力ならば、北山を十分に押さえ込めるはずだ。でなければ困る。
「藤那様、兵の準備が整いました」
兵の一人が跪いて言った。藤那は答えず、さっさと身を翻して物見櫓を降りていった。
藤那の馬は優れた牝馬で、珍しくも真っ黒な黒毛である。それに紫の直垂を下げた様に、人々は『魔馬』と呼んで恐れていた。
そのため藤那は、着衣の色と合わさって暫し『黒紫将軍』と呼ばれた。火後の兵も薄紫の衣服に黒帯を巻き、『藤具兵』と呼ばれた。
其水関から、北山兵三百人、紅玉兵百人、そして藤那率いる駒木騎兵二百騎、藤具兵八百人が出陣していった。元星六年、十月終旬のことであった。
名目は『耶牟原城で起きている内紛の鎮圧および治安維持』とされているが、実際は北山から送られた三度目の出兵要請を請うためのものであった。
軍は途中、県都より南方の火奈久城に入り、兵をさらに六百人増やして、総勢を騎兵合わせ二千とした。自然、藤那が全体の統括を握り、一路北を目指した。
耶牟原城へ到着したのは、これより二日後のことである。