盛夏の時期が過ぎようとしている。折からの残暑に肌を汗ばませ、望楼に吹くまだまだ湿気を含ませた風を受け、額に手を添えた。亜衣の頭上を白雲が行く。
泗国に吹き荒れようとする風雲が、ゆるやかに急の近づくを告げようとしていた。
「敵は一万にいたったか」
数日前、佐多岬半島の先頭部に、船団が上陸したという知らせが入った。大出面軍の増援三千人である。増援は、西進して伊方砦を陥とすと半島を完全に抑え、仁清が兵七百人でもって守備していた八幡浜の城砦も翌々日に陥落、敵の包囲を突破した仁清は、わずかな生き残りを大洲城へと導いた。
大洲城から西の八幡浜居士に増援三千と黒坂の一千二百が布陣を整え、依然として東の尾宮崎に一千二百、北の権平原に一千五百、さらに北にもいまだ本陣二千が控えている。それだけではない、後詰も一千。
大洲城の戦力がざっと六千。六千対一万である。
はじめ、伊万里方の戦力が一万三千ほどあり、大出面軍がわずか七千であった。それが亜衣の援軍を加えてさらに戦力差がひらいたのに、海戦に敗れて戦力を割き六千対七千と拮抗した。それでもまだ互角であった。そしていま、敵の増援が到着するにいたって完全に逆転してしまった。
無理攻めをしかけて倒せた戦いから、何かしらの策を講じねばならなくなった。
「やはり、伊万里様のご決断次第だ」
時間をかけすぎては、総攻撃をかけられる可能性がある。敵は焦れている。焦りが正常な判断を鈍らせる。時として付け込む隙を生み出してくれるも、逆に大胆な行動に打って出させるかもしれない。たとえばそれが総攻撃などの形で現れては、互いに大きな傷痕を残すことになるだろう。
——動くなら、今しかないのだ。
焦れていたところに援軍が来た。敵全体に油断が生まれているはずだ。ここで伊万里が謀反を起こしたと敵に知らせる、そうしてさらに油断させる。
一の策に撃ってて出ること、二の策に迎え撃つこと。あとは勢いのある方に天運が味方すれば、自ずと勝敗が決するであろう。
長かった対陣にも、決着のときがつこうとしている。好くも、悪しくも——
「たしかに受け取りましたよ」
鈴虫の鳴くしとやかな月夜に、伊万里の私室で、乱波の真姉胡が手ずから書状を受け取った。渡したのは伊万里である。
清瑞ばりに露出の激しい黒装束が、二十四歳にもなっていまだ起伏の乏しい真姉胡の身体を包み込んでいる。天目の過激な趣味も、どうやら健在であるらしい。
ゆらゆらと炎に照らされる真姉胡が、ほっと胸を撫で下ろした。
「いや〜・・・・・・仁清さんに見つかったときは、本当に冷や汗ものでしたけど・・・・・・。これで私もお勤め完了です」
「相変わらず天目にこき使われているんだ?」
「ええ、まぁ」
はぁっと真姉胡が深いため息を零した。
「半年ほど前ですかね。坦馬のほうで狗根国と戦ったときも、ずいぶん駆け回りましたもの。もう、虎桃様もどんどん天目様に似てくるんですよ〜、人使いの荒さとか」
「へえ・・・・・・そうなんだ」
「いまは敵同士ですけど、やっぱり清瑞さんってすごいですよ。佑真や真那満なんかいまでも、清瑞さんに憧れてるっぽいですし。いつか超えてやるって感じで」
「それは難しそうだな」
「あははっ、そうですよね〜」
自分で敵同士といいながら、どうにも能天気な口ぶりだ。これが、乱波としての演技力なのか、はたまた昔ほど小心でなくなったのか。伊万里を説得できたことが心底うれしかったのか。
いまの真姉胡に後ろめたい気持ちはあまりないらしい。さすがに十年も経つのだ。九峪へ対する気持ちにも区切りがついたのだろう。ただ純粋に天目の配下として、目一杯に働いている。
これもまた、天目と九峪の間で揺れ続けた真姉胡が辿りついた、自分なりの生き方なのだろう。
「——さっ、真姉胡。あんまり長居するなよ」
「もちろん、そろそろ戻ります。では、また」
そういい残し、真姉胡が夜陰に紛れ、そして消えた。もう伊万里には気配すら感じ取れない。これだけの技をもっている真姉胡を捉えた仁清の乱波的な素質もすさまじい。
蝋燭の明かりが音をたてる。しばらく止んでいた風が、再び出てきたようだ。
手元の酒をよせて唇を濡らした伊万里が、椅子に深く背を預けた。
「・・・・・・これでいいんだよね、亜衣さん」
呟きに誘われた亜衣が、物陰より現れた。部屋の片隅、麻布の下から。
「も、もう少し、ましな隠れ場所があったと思うのですが」
麻や葦の切れ端が髪に突き刺さっている、かつてないほど間抜けな姿をさらす亜衣に、さほど気のない顔を向ける。衣服についた埃を叩き落とす。ずっと無理な体勢で身を屈ませていたせいで、節々がいやな軋みをおこしている。
「相手は真姉胡だからね。それくらいしないと、すぐにばれる」
「だ、だからって・・・・・・」
「文句なら真姉胡にいってよ。あいつがいきなり来るんだから、それが悪いんだ」
「まったくです・・・・・・」
やれやれと亜衣は椅子に腰を下ろした。首周りの動きが鈍い。かしげると傷みがする。
亜衣がなぜ伊万里の私室にいるかというと、敵の司令官に渡す『同心状』の内容を確認するためであった。
気力の回復した伊万里が、それまで亜衣が進言していた敵の油断を誘うため偽の謀反を確約した書状を書くため、ようやく重い腰を上げた。
条文はまさしく叛意をひたすら綴ったもので、亜衣も満足のいく内容だった。「これならば・・・・・・」と思ったのもつかの間、あろうことかまさにその時、間者として潜入してきた真姉胡が、伊万里の部屋を訪ねてきたのだ。
慌てふためいた亜衣が咄嗟に隠れた場所——それは積まれた麻布の下敷きとなる場所だった。
それからおよそ亜衣は四半時も、圧迫してくる麻布の下で息を殺し、二人の会話に耳を欹てていた。
あの様子ならば、ばれたわけでもない——
「思わぬ珍客でしたが・・・・・・痛たっ。とにかくこれで、敵が油断することでしょう」
「するかな。私が言うのもなんだけど。・・・・・・一献いる?」
「いただきます。まぁ、するでしょう。油断しやすい状況でありますから。味方の数が増えて、戦力差は逆転。怯えた伊万里様が慌てて降伏してきたくらいに思いますよ」
「撃つの、迎えるの?」
「さて、そこが難しい。上策は撃って出ることと心得ますけどね。降伏したと見せかけて懐まで誘い込み、一気に殲滅する方法もあります。ただ問題が・・・・・・」
「本陣を誘い出せなくちゃ、意味がない」
「その通り。やはり私がお勧めしますのは、油断した敵中央、権平原の一千五百に総攻撃をかけ、一息に本陣まで攻めることです。右翼、左翼にはまったく目もくれず、敵総大将の首級を挙げます」
「包囲される可能性は? この城を落とされる可能性だって」
「包囲される可能性はあります。しかし大洲城に関しては問題ないでしょう。本陣は軍団の要、ここを破壊してしまえば、すべてを崩すは用意。赤子の手を捻るようなものであり、本陣さえ潰せば決着がついたも同然。ゆえに敵城の攻略よりも、本陣防衛が最優先されます。また東西の布陣は、あくまでも城を睨む位置にあり、咄嗟の行動を取るにはいささか距離があります」
亜衣の説明に一度二度と伊万里が頷いた。
「奇襲には、速さが肝心。もたもたしていたら、両翼のしめて五千余が襲ってきます」
「だけど、立ち止まれないな」
「限りある時間に、どこまで攻め込め、どこまで打撃を与えられるか・・・・・・」
「そして大将首を上げたところで、終り」
「攻撃軍を打ち破りますれば、戦況は好転します。北九洲では劣勢を挽回しました。ここでも、やってみせましょう」
「うん・・・・・・」
神妙に伊万里が応えた。じわじわと、決戦の空気を感じていた。久しく塞ぎこんで、ふと外を見つめたとき、いつの間にか戦機は熟しつつあったことにいまさら気づいた。
手酌で亜衣が酒を注ぐ。自分の分と、伊万里の分とを。伊万里は無表情で一杯を呑み干した。
息をついた亜衣が、やわらかく微笑んだ。
「お気持ちに、区切りはつきましたか」
伊万里は、亜衣を見つめ返した。
「あの書状に踊る文字がすべて偽りであると、私は信じたい」
「——・・・・・・人それぞれ、だから」
「ええ、そうです。誰もがそれぞれに生き方を持ち、想いを持ち、信念を持っています。私が、臣下として、片腕としてありたいと願い、清瑞がただ一途に想い、陰ながら九峪様をお守りし続けるように」
「受身ですけどね」と、亜衣が苦笑する。しかし決して、自らに卑屈を感じている笑みではない。
「伊万里様も、ご自身なりの想い方を、見つけられましたか」
言われた伊万里の瞳が、一献の水面に揺れている。波打つ心を映し出している。「わからない」と、伊万里は低く言葉を零した。
「私にはまだわからない。亜衣さんの言う、自分なりの愛し方ってやつが・・・・・・」
「・・・・・・では、どのような心境のご変化なのです。伊万里様にはここで私を絡めとり、大出面軍にこの身を売り渡すこともできます」
「そんなことはしないッ」
鋭い語気を発した伊万里が、にわかに腰を浮かせた。亜衣の言葉に侮辱を感じたわけではなかった。ただ一時でもそれと同じ事をしたかもしれなかった自分に、いまはとにかく許せない気持ちが強くあった。
「そんなことをしたくないから、私はあんた達を裏切らないんだ!」
——裏切らない、裏切りたくない。
似て非なる思いが、伊万里の気持ちを決したものだった。
高ぶった気持ちを静めようと、器の口から直接酒を飲み込む。それほど量もなかった器の中身はすぐになくなった。ダンッ! 器が割れかねないほどの勢いで、机の上に置かれた。
「伊万里様・・・・・・。そのような呑み方は、身体に障りますよ」
「いいよ、今は。酔わせてくれないか」
「はぁ・・・・・・。その昔、蜀漢の張飛という猛将は、いくさに出れば万夫不当の働きをみせるも、よく酒のために失敗し、酒のために命を落としたと伝え聞きます」
「ここには亜衣さんがいる」
「総大将はあなたじゃないですか。呑みたい気持ちなのでしょうが、どうかお体を労わってください。呑むなら、まずは敵を退けてからです。そのほうが、酒の味も多少は美味くなりましょう」
亜衣に諭されては伊万里も反論しなかった。どの道、もう呑むほど酒も残っていない。今よりも酔うことは出来ない。
赤く上気した頬を天に向け、だらしなく伊万里が背もたれに寄りかかる。割る酔いしかけの自分が情けない。
「・・・・・・私が謀反を起こせば、上乃と遠州さんは、一体どうなってしまうのだろう。仁清も・・・・・・県居の里から駆けつけてくれた、数少ない同郷のみんなも・・・・・・」
「伊万里様・・・・・・」
「ついて来てくれるんだろうな、きっと。みんな優しい。でも・・・・・・きっと、辛いんだろうな。九洲人と戦うことになるのは」
——それじゃ、狗根国と変わらない。何も、代わらない。
「私は結ばれないかもしれない。この想いが成就することはないかもしれない。でも、そのために上乃と遠州さんの仲を引き裂くことになるなら・・・・・・こんなに最低な人間もいない。上乃が私の幸せを願ってくれるように、上乃にも幸せになってほしい。上乃だけじゃない、仁清や、みんなにも・・・・・・」
独白が、少しずつ、小さな寝息へと代わっていった。いつか、腰掛けたままの姿勢で、伊万里は眠りに落ちていた。
「・・・・・・それが、理由なのですね」
ほんの小さな、伊万里の本音を聞く事が出来た。伊万里は自分のために、上乃や仁清たちが、同胞たちと争うことになる——そんな未来が許せなかったのだろう。とくに上乃と遠州が互いに殺しあうような未来など、認められるはずがなかった。
亜衣には、伊万里の語らなかった言葉が、ひしひしと聞こえてきていた。
——伊万里様。やはりあなたは、優しいお方だ。
自分よりも、誰かの幸せを。自分なりの愛し方を模索する伊万里が、その入り口で拾い上げた、生き方の断片であった。
「だからこそ、私もあなたとは戦いたくないんですよ、伊万里様」
眠りこける伊万里に麻布をかけてやり、亜衣も、静かに部屋を出て行った。
九月十二日。
すべてをこの一日から始めようと、亜衣は軍議で言い放った。
作戦は、こうである。まず、敵軍が偽の情報を手にして、油断したという前提から話が進む。
敵は伊万里がいずれ呼応すると思い込んでいる。そうすることで、敵の陣に緩みが生まれる。隊伍に異変が生じるや、城門を開いて五千の兵が駆け出し押し出し、権平原の一千五百に電撃攻撃をしかける。油断していた一千五百に、押し寄せる五千を抑えきれるはずがない。
すぐに壊走しだすだろう軍勢は、かならず味方を求めて後方の本陣へと向かう。敵が逃げるのをさえ飲み込んだ突撃隊は、本陣へ電光石火なだれ込み、勝敗を決する。
残りの一千は東方向へ四百、西方向へ六百ずつにわけ、両翼の部隊が包囲する動きを見せたら、これの背後を襲いかく乱するため、城内に留まるようにした。これは武将らの献策によるものだ。
本陣を潰された両翼ならびに後詰部隊も、指揮系統の乱れで有機的な行動は取れない。それぞれの指揮官の采配によって、個別に行動せざるを得ない。つまり連携が取れなくなる。各個撃破にはもってこいの状況だ。
「もっとも気をつけたいのが、西の部隊だ。八幡浜と黒坂の陣には四千以上の兵がいる。これを三百で抑えねばならないのだからな」
「戦力差は・・・・・・十倍以上ですか」
「全滅は、免れぬな」
「だれか、これを指揮する者はいるか」
亜衣の問いに、すぐの応えはなかった。さすがに全滅必死となれば、躊躇するものが多かった。
「任せてほしい」
声が上がったのは、上座にいる仁清からだった。一同の視線が向く。伊万里と上乃も、驚きの視線を仁清へと向けた。
「後れを取ったままは、悔しい」
「必死を覚悟しないといけないぞ。壊滅寸前になっても、援軍を要請されても、攻撃部隊は本陣を潰すまで兵を割くことは出来ない」
「承知してます。覚悟は、出来てます」
言葉に震えも怯みも感じられず、静謐なまでの意思だけが、武将たちの胸に響いた。仁清は伊万里配下で上乃と並ぶ、最古参中の最古参だ。それだけの男が、死ぬという。
思わず伊万里が口を開いた。
「じ、仁清・・・・・・」
「この一戦にすべてをかけます。一寸の時を出来るかぎり長く、敵の尻に齧りついて、乱してやります」
「死ぬかもしれないぞ、いや、死ぬぞッ!?」
「でも、誰かがやるべきです」
仁清は一歩として引かなかった。沈着な男の見せる熱い一面に、とうとう伊万里も言葉を失った。これほど頑固な仁清は、長いこと一緒にいて、一度も見たことがなかった。
言葉を捜す伊万里の口が、開き、閉じ、とにかく仁清を静止しなければと思うのを、横から亜衣が手を差し出すことで抑え込んだ。今にも泣き出しそうな瞳と、どこまでも冷徹な瞳が交差する。
それ以上を言うべきではない——。そう亜衣が言っている。総大将としてとるべき態度ではない。誰かがなさねばならない役目に、贔屓目の考えは団結を乱す元になる。
誰も手を上げないかぎり、挙手した仁清を退かせる理由がない。
黙してうつむく伊万里に、仁清はさらに語気を強めた。
「命令を」
怯みも澱みも一切ふくまず、いっそ涼やかな声音で下知を求める。清涼な境地がそこにあった。
よく磨きぬかれた鏡のような瞳に射抜かれ、こぶしを握り締めた伊万里が下知を下す。か細い声で「任せた」と言い送る。
仁清が手を合わせて了承する。高ぶる気配もなく、いたって静かだ。
しかし、紛れもない忠義の証が、さしもの亜衣の心を打った。伊万里のために死ぬ、というただそれだけのことに、まったく疑問を抱いていない。
それだけではない。仁清がわずかな刹那に亜衣へ一瞥を向ける。
——伊万里のことを、くれぐれも、よろしくお願いします。
その意思がよく伝わってくる光を宿している。凄絶な忠誠心だ。亜衣を感動させるには十分だった。
胸を震わせたのは、亜衣だけではなかった。末座の女武将が、席を立ち、地に伏せた。
「伊万里様、どうか私めも西への備えにお付けください!」
「えっ!?」
驚いた伊万里が目を丸くする。仁清も意外そうにしていた。
「仁清殿の決死のお覚悟、まさしく忠義者の誉れある姿です! 戦士としての矜持に感服いたしました! この上は私も西の陣で戦いとうございますッ!」
「だめだ」
即座に亜衣が進言を却下した。
「突撃隊からはこれ以上、兵は割かん。お前の部隊ひとつ抜けただけで、勝てる見込みが下がると思え」
「ですが、五千対六百ではあまりにもッ!」
「仁清の六百だ。それ以上は出せない」
頑として亜衣は聞き入れなかった。
「もしも仁清を死なせたくなければ、早急に権平原を抜け本陣を襲撃し、壊走させる以外に道はない。お前は敵本陣目掛けて一矢のごとく、獅子の働きをしてみせろ」
唇を横に引き結んだ女武将が引き下がる。両の眼に激しい炎が燃えていた。彼女のみにあらず、亜衣の冷たいとさえ思える言葉は、居並ぶ武将たちの闘志をも煉獄の大火すら生温いほどに吹き上げさせた。仁清の覚悟が彼らにも飛び火して、
——仁清殿を死なせるものか!
という、一致団結した心情へと駆り立てていた。
思いもしなかった事態の推移を仁清が信じられない気持ちで眺めている。伊万里も似たような顔をしている。諸将がそれぞれの相貌にたぎらせる強烈な戦士の顔が不思議に見えるのだろう。
「伊万里様、みな意気を高めていますね」
亜衣が薄く微笑んだ。これで突撃部隊に所属する武将は、形振りかまわぬ攻勢をしかけること請け合いである。伊万里の臣下たちが忠義に厚く連帯感のつよい集団だと分析した、すこし小狡い人心操作だ。
しばらく亜衣を見つめた伊万里が苦笑する。おかしなもので、これで仁清が生き残る可能性も、わずかばかり上がったというものだ。
「私たちの戦い方次第ですか、亜衣さん」
「先鋒衆は上乃に指揮させるべきと考えます」
ちらりと上乃へ視線を向ければ、鷲のように鋭い眼差しが返ってくる。こちらもやる気は十分であるようだ。
伊万里と亜衣を交互に見つめる仁清が、堪らず腰を浮かせた。
「伊万里様、僕のことは・・・・・・」
かまわないと続けようとする仁清に、「気にするな」と伊万里が応えた。
「味方を見捨てるような真似はしない。すぐに本陣を潰して、援軍に向かう。それまで持ちこたえてほしい」
真剣な伊万里の言葉は反論を許さない気迫を放っていた。とても数日前まで不調だったとは思えない。どうやら伊万里にも、仁清を死なせたくないという一心から、萎れていた気力を膨らませつつあるようだ。
「先鋒は頼むぞ、上乃。これも危険な役目だけど」
「任せて。相手はたったの千五百なんでしょ。いくら雑魚が集まったところで、みんな長刀の餌食にしてやるんだから」
豪語する上乃の頼もしさを背に受けた伊万里が、場を見渡す。
「一番手、二番手、後詰ほかの部署は追々に煮詰めていこう。みんな、ここで私たちが負けると、もう共和国には後がない。大洲の城は絶対死守だ」
「おうッ!」
揃えられた掛け声の勇猛なこと、この団結力こそ伊万里軍団の力の源であるということを、部外者である亜衣はあらためて認識した。
藤那の側で戦った座間の道とは大きく違う。なにしろ藤那には、突破されかけの戦況であった音羽の命でさえ、あくまで駒としか映っていなかった。それもまた強さの源であることに違いはない。しかしこうして、あまりにも異なる空気を感じると、よく二人の気質の違いがあらわれている。
おそらく藤那ならば、仁清を最後まで助けようとはしなかっただろう。仁清を助けようと攻めに急げば、それだけ無理が出る。亜衣はそうして出るだろう無理を、少しでも武器にするために、あえて諸将を刺激するようなことを言ったのだ。
本来なら無理など、しないに越したことはない。
伊万里が示してくれた武臣たちへの信頼と、その信頼に応えようとする忠義の軍団。敵とまわすにはあまりに厄介なことこの上ない。伊万里の復活を亜衣は心底から喜び、戦いの勝利を掴むために最善の配置を思い描いていく。
しかし、またもや運命の神というものは、亜衣たちに過酷な試練を突きつける。
それは大洲城で突撃部隊の準備がほぼ整い、大出面軍の陣営にもろい解れが浮かび上がってきた、まさに今こそ攻め時と亜衣が読んだときにおこった。
一機の飛空挺が、闇の空から西依城へと着陸してきたのが、大事件の報せだった。かなりの速度で飛翔してきたらしく、一日半はかかるところを、何と一日と時間をかけずに、視界の悪い深夜を飛んできたのだ。城へ到着したとき、巫女は方力のすべてを使い果たす寸前で、それ以前に墜落死していてもおかしくはなかった。
巫女は一通の書状を亜衣へ届けるよう言伝すると、糸の切れた人形もかくやと、すぐに気を失ってしまった。伝令がすぐに大洲城へと走った。
この頃になっても、大洲城では外見上、さしていくさの準備が進められているようには見えない。そのために包囲している大出面軍にも『投降の時期が近い』と油断が生まれていた。
真実はさにあらず。たしかに篭城戦に用いられる防衛兵器や罠の類はなにも手をつけず終いでも、すでに軍団の編成は完了し、調練さえもが城壁内で行われていた。外からは何一つわからないだろう、しかし着々と準備は進んでいる。
伊万里も常に鎧を身にまとい、武将たちからは出撃を待ちわびる声さえ上がっていた。
伝令が駆け込み、すぐに亜衣の元へと通される。伊万里ではなくまずは亜衣に、ということであるらしい。
仔細を知らない亜衣であったが、なにか、とても嫌な予感がしていた。巫女としての直感だった。胎の下がむずむずする。
「何があった」
伝令がひざをついて待っている部屋へ入るなり、挨拶するでも労うでもなく、何よりもまっさきに事の次第をたずねた。ざわざわ、ざわざわと、うるさい何かが纏わりついたような気分が、不快に亜衣を苛立たせていた。
一礼した伝令は託された書状を亜衣へ渡すと、昨夜のうちに飛空挺が飛んできたこと、緊急事態であるらしいことのみを伝えた。それ以外のことは何も知らないらしかった。
——緊急事態、だと?
繰り返しつぶやく亜衣。書状を広げる。文面を追い、次第に顔色が青白くなっていった。手が振るえ、呼吸が細くなる。
書状に流れる行文に、
——九峪様が捕らえられ
という一文が異彩を放っていた。
亜衣が、叫んだ。
「なんだ、コレはッ!?」
雷鳴が部屋を揺るがした。恐相をうかべて叫ばれても、しがない伝令に応えられるはずもなかった。