第伍拾肆話 カレとカノジョと未来人
今、僕の目の前には、ニコニコと微笑む女の子がいる。
明日菜と刹那が、苦虫を一万匹ほど噛み潰した揚句にサルミアッキ(世界一不味いと言われる飴。北欧では結構ポピュラーらしい)を口に放り込んだような渋面で帰って来たと思ったら(明日菜も無表情が歪んでいた。結構驚いたよ)、紹介されたのがその女の子だ。
久方ぶりに、娘が全く知らない友達を連れてきた。聞くところによると“関係者”だそうだけど、どっちみち、娘が連れて来た客に粗相はできない。
ハクにお茶菓子の用意を頼み、一応きっちりとした
「マスター、用意が終わりました」
いつの間にか後ろにいた我が従者に、僕は指を立てた。
「ありがとう、ハク。でも、関係者なのにハクが結界を発動させないなんて、つまり危険はないという意味?」
「危険はありません。一瞬で消せますので」
サラリと言うハクの口調には、特に棘も感じられない。
つまり、素だ。
「……そっか。でも、ハクにしては警戒が薄いと思うけど……」
「すでに、調べてありますので」
「…………あぁ、そう……」
ある意味予想通りの返答だった。というか、ハクだったら麻帆良の“関係者”は勿論、子供から食料を運び組んでくる業者の顔と名前や情報を、知り尽くしていてもおかしくはない。
唯、其れを僕に言わないのは、言う必要がないとハクが判断しているからだろう。
僕がハクに頼まない限り。
「マスター」
「!」
気が付くと、ハクが僕の顔を覗き込んでいた。零距離で。
「不安ですか? あの蟲が」
「いや……」
「御安心を。マスターは私が御守します。……何があろうとも。何が相手であろうとも」
————何なら、今すぐアレを消してもいいですよ。
そう、ハクの目が言っていた。
僕は苦笑しつつ、客間へと向かった。
後ろについてくるハクに、しっかりと釘を刺しながら。
「お初ニ。私は
「此方こそ初めまして。
日本式の正座をした少女は、そう言って湯呑みの中身をゆっくりと口に含んだ。
……アレ、修学旅行の際に
ちなみに、我が家の客間は和室になっていて、彼女も僕も、座布団に座っている。
そして、二人の間には其々羊羹と湯呑みが置かれていた。
……後ろの我が従者がメイド服じゃあ無ければ、何とも日本的な光景なのだろう。いや、僕はスーツだし、超ちゃんは麻帆良制服だけども。
……でも、もうメイド服もスーツも制服も、ある意味日本の光景の中に溶け込んでいるよね?
日本のサラリーマンは勤勉で有名だし、学生服はもっと有名だ。
おっと、話が逸れた。
僕は慣れないネクタイに悪戦苦闘しつつ(高校の制服は学ランだった)、超ちゃんに話しかけた。
「えっと、超ちゃんで良いかな?」
「勿論ヨ。私も榛名サンで良いカナ?」
「あぁ、御自由に」
超ちゃんが「榛名サン」と言った瞬間、ハクの目が光ったのを見て、僕はそっと手で合図を送った。
「……今回、私は榛名サンにある御願があって来たネ」
「ふぅむ」
相槌を打って促すと、一瞬下を向いた彼女の視線が、僕を真正面から捉えた。
「……実は私、此の時代の人間じゃあないネ」
「うん?」
まさかの一言が出てきて、僕は首を傾げた。
「私はとある目的のために、此の時代に来たヨ……この“航時機”を使てネ」
どうやら、その「コージキ」というのがタイムマシンのようなものらしい。
彼女は懐中時計のようなものを取り出し、そしてまた戻した。
「正式には、“カシオペア”て言うんだけド。まぁ、名前は如何でもイイネ」
「つまり、未来から来たということかな?」
僕が言うと、彼女は眼を見開いた。
「……信じて、くれるのカナ?」
「信じるも何も……僕には“コージキ”のことなんて分からない。仕組みも理論も知らない。
魔法科学だろうと自然科学だろうと未来科学だろうと、僕は専門外だよ。……人文科学なら、少し齧ったけどね。
まぁそれはおいといて、だから君の言葉が真実かどうか、生憎僕には確かめる術がない。初対面の人間の言葉の真偽を測れる程、観察眼もよくはない。
……だから、僕の頭の中には、君を信じる証拠がない。でも、だからといって……君の言葉を虚言と断ずる根拠もない」
そう言って、少し渇いた喉にちょうどいい温度のお茶を流し込む。
「何時もだけど、ちょうどいい温度だなぁ」
「至極恐悦です、マスター」
思わず呟くと、ハクがすぐに頭を下げた。ゆっくり動いた白髪従者に微笑み、僕は超ちゃんを見る。
「否定しないところをみると、未来から来た……で良いのかな? 過去じゃあないんだね」
「エ?……ア、ン、そうネ。私は未来から来たよ」
超ちゃんは今まで見た中で一番の笑みを見せ、もう一度湯呑みに口を付けた。
そして、やたらと懐かしむような表情で、ふぅ、と息を吐いた。
「……本当に、変わらないネ……榛名サン。いつもの私の、私たちだけの——————様」
「え?」
「ア、イヤ、独り言ヨ。夢見がちな馬鹿娘のネ」
ハハハ、と自嘲気味に頭を書いた目の前の少女が、先程言った小声は何だったのか。気になったけど、まぁ、気にしないことにする。
「それにしても、未来からね……。ウェルズが聞いたら吃驚するかなぁ」
ハーバード=ジョージ=ウェルズ。ジュール=ヴェルヌと並び、「SFの父」と呼ばれた高名な小説家だ。代表作と言えば、『タイム・マシン』が有名だ。
「……実のところ、私の世界でも、時間移動はそうそう一般的ではないヨ。前例も私の知る限りないネ」
「まぁ、そんなのが頻繁にされたらたまったもんじゃあないしな。絶対観光目的だけにとどまらないだろうし」
「確かにネ」
今度こそ自嘲的に、超は笑った。
「其れで、ワケありなんだろう? 僕に頼みたいことって何だい?」
「いや、特に何かしてほしいというわけでもないんだケド……強いて言うなら、なるべく麻帆良祭中、外出を控えてほしいネ」
つまり、麻帆良祭中に何かするつもりというわけかな。
……でも、何で?
いや、何で行動するのかという意味じゃあなくて、何で僕に其れを話して、しかも「外出を控えてほしい」なんて言うのかという話だ。
ストレートに受け取ると、まるで「貴方を巻き込みたくないから」と言っているようにも聞こえる。でも、僕と初対面の彼女が何故そんなことを言うのか? 勿論、別の意図があるのかもしれないけど。
一瞬、知り合いかと思ったけど、どれ程海馬(かいば)の奥に眠っている記憶の本棚を片っ端からひっくり返しても、彼女の事は全く心当たりがない。顔も名前も、全く見覚えがない。
「意図が見えないなぁ」
「……詳しいコトは言えないのだけれど……コレくらいなら、イイカ。ルールを律儀に守るなら、ソモソモ此処に来てないシ」
「ん?」
僕の呟きに、超ちゃんは天井を見上げ、ボソボソと小声で呟いた。一瞬返答かと思ったけれど、如何やら唯の独り言でしかないらしい。
数瞬悩んだ様子で、超ちゃんは笑顔で此方を向き、何度か頷いた。
「ぶっちゃけてしまうと、私は未来の榛名サンと面識があるネ。だから、貴方を巻き込みたくないし……」
其処まで言って目の前の少女は、僕の後ろで直立不動の姿勢を取っているであろう従者に、視線を向けた。
「貴方に何かあれば、あの従者サンに文字通り消されるネ」
まるで冗談でも言うように、自身の首と胴体が泣き別れになるジェスチャをする超ちゃん。
でも、間違いなくあの目はマジの目だ。全財産をかけてもいい。
……成程、此れ以上ない程の説得力だ。
「そっか。……その辺りの事は、まぁ、聞かないでおこう」
未来の自分が如何なっているのか、正直知るのはちょっと腰が引ける。まぁ、何年先か知らないけど、未来はタイムマシンが実用化できるほど発展しているのは正直うれしい。
どっかのSF小説のように、地球全面核戦争が起こって今の技術の大半がロストテクノロジーなり、一気に中世までランクダウンになるようなことに地球文明が陥るのは、正直勘弁したいところだ。
一応日本生まれだし、日本は幸せな国になっていてもらいたい。
「つまり君は、麻帆良祭中に何か大事を起こすつもりって解釈で良いのかな?
念のために聞くけど、まさかテロじゃあないよね?」
「……ううん……」
……え? 悩むの?
少将不安になりかけたところで、超ちゃんは苦笑した。
「ア、イヤ、ソノ……テロとは違うネ。というか、大抵のテロリストは、自身がしていることをテロと認識していないと思うヨ。
正直私の行動は、傍から見えればテロに見えるかもしれないネ。
……でも、絶対に、犠牲者は……特に、無関係の一般人の犠牲は……出さないネ。少なくとも、直接的ニハ。絶対に、絶対に、ネ」
「……そっか」
正直、僕は戸惑った。
…………彼女の顔に、あまりにも邪気がなかったからだ。
確信した。彼女は、例え全世界の人間からテロリストと指摘されても、自分がテロリストなんて自覚は絶対に持たない。
————まぁ、彼女が行おうとしていることがテロに入るどうかは……僕には、判断できないけど。
「私を、消すカ?」
「いや、全くそんな気はないよ」
真顔でそう聞いてくる超ちゃんに、僕は即答した。
「……それで、君の要請だけど……。まぁ、受け入れるよ。但し、流石に娘達の出し物くらいは見させてもらえるかな?」
「全然構わないし、寧ろ此方から呼びたいところヨ。私は明日菜サン達のクラスメイトでもあるのだかラ、クラスの出し物には是非来てほしいネ。あと……」
超ちゃんはにっこり微笑んだ後、ポケットから幾つもの紙の束を差しだした。……チケットかな?
「麻帆良学園で私が経営してる飲食店の割引券ネ。味は保証するヨ、是非来てほしいネ」
「ありがとう、機会があれば、是非」
此方も笑顔で受け取ると、超ちゃんは急に儚げな笑顔を浮かべた。
……何故だろう、とても似合う笑顔だと思った。……一切の負の無い、純粋な笑みよりも。
「————榛名サン」
「うん、何かな?」
「————本当に、有難ウ」
そう言って、彼女は微笑んだ。
「……フム。フェーズ2は此れでクリアと言っていいカナ?」
帰り際に、彼女が心の底から信望している青年より貰った羊羹が入った袋を大事そうに両手で抱えながら、超 鈴音はふぅ、と息を吐いた。
「……最初から、貴方を巻き込むつもりなどありませんよ、————様」
空に向かって吐息と共に囁いた後、彼女は心の中で思った。
————あ、素に戻ってしまった。
まぁいいか、と超は思う。どの道、自分がこの時代にいるのもあと僅かだし、麻帆良に来てもう何年……いい加減に、被っている“超 鈴音”の仮面の方が、本当の自分のような気さえしてきた。
それはいけない。
“超 鈴音”はあくまで、天才とは言え普通の女子中学生なのだ。争いも、世の醜さも、人の愚かさも、大切なあの人の素晴らしさも、何も知らない無垢な乙女。
忘れてはならないのだ。何のために此処まで来たのか。
「……兎も角、フェーズ2が成功してよかたヨ……。ハクサンや明日菜さんまで敵に回たら、フェーズ1で用意した全てが無駄になるとこだたネ……」
使い慣れた仮初の口調に戻し、超は独り言を続ける。
機嫌がよい証拠である。
「……私は、やらなくてはいけないネ」
力強く呟いた超の表情は、誰にも見られることはなかった。