第伍拾参話 娘たちと妹の会議と動き出す未来人
「……わかった」
「明日菜!?」
腕を組んで、目を瞑っていた明日菜の声を聞いて、私は文字通り跳び上がりました。
「本気ですか!? もし、お父様に何かあったら…………!」
絶対にあってはならないことで、可能性すら一パーセントもあってはならないことです。想像しただけで、頭が真っ白になったり視界が真っ黒になったり、膝がガクガク震えてしまいます。頭の中で一〇〇人の私が咽び泣き、はしたなく喚き散らして刀を振り回している様を思い浮かべて、ガンガンと頭に響きました。
きっと私は、お父様には到底お見せできない顔をしている、と思います。
でも、明日菜はそんな私を意に介さず、無表情を崩さずに、超を見つめました。
いつものような何処か煙に巻くような飄々とした様子ではなく、真摯な姿勢でアスナを見つめ返している超。その額から汗が伝い、無骨なデザインの床に落ちました。
「超、一ついい?」
「……何カナ?」
「貴女の未来でも……ハクは健在なんでしょ?」
「……それくらいなら、答えられるヨ。答えは是ね。多分、此の世界と同じように、影のように榛名サンに付き添っているネ」
超が答えると、明日菜は小さく首肯し、ぐるん、と首を動かして此方を意味ありげに見つめました。
意味が分からず、怪訝な表情でもしていたのでしょう。明日菜は私に近付き、耳元に顔を寄せます。耳を傾けると、明日菜の小声が鼓膜を震わせました。
「……わからない? 超の行為の結果が、榛名に迷惑をかけるなら……
……確かに……。
もし、超が過去に来て何かをしでかして、其れがお父様の御迷惑になるのなら……未来、そして過去のハク様が黙っているはずがありません。あの人なら、過去や未来の自分と繋がっていてもおかしくないですし、何よりもお父様を優先するハク様なら、その時は躊躇わずに超を消すはずです。
「つまり、超の行動は……」
「少なくとも、榛名に迷惑をかけることはない。若しくは、榛名に必要なことかもしれない」
私が震える声で言うと、明日菜は小さく頷き、超に向き直りました。
「……わかった。同席させてほしいなんて、無粋なことも言わない。……榛名と逢ってみるといい」
其れを聞いて、超は顔を輝かせました。
どのみちお父様と逢うなら、ハク様が同席しているか、していなくともお父様との会話は聞いているはずです。
……結果は教えてもらえるでしょうし、教えてくれなければ、目の前にいる未来人から聞き出せばよいだけの話ですし。
「……成程、そういうことですか」
工学部の部屋を後にし、私たちは美術室で遅くまで作業をしていた子日さんの元に行きました。
上下のジャージに首から手拭いを下げていて、油絵の独特の香りが彼女の身体やキャンパスから届いてきました。
汚れた手拭いをバケツに突っ込みながら、子日さんはくるりと此方を振り向きました。
いつも通りの無表情ですが、汗が滴り、心なしか少し興奮しているようにも見受けられます。……私は其方には興味がないのですが、こういう芸術活動も疲れるモノなのでしょうか? 美術の授業で、デッサンくらいならしたことありますが。
「……大丈夫、ですか?」
「お構いなく。部活動後にはよくあることです」
私の声に淡々と言葉を返しながら、子日さんはバッグからタオルを取り出し顔を拭います。そして水筒の中身をコップに移し、一気に飲み干しました。
「私の力は、こういうときも便利です。液体を氷に変え維持することも可能。……何時でも、冷たい飲み物が飲めます」
口元を拭いながら、真顔でそんなことを言う子日さん。
未だに、此の人はよくわからないところがあります。……まぁ、明日菜も同じなのですが。
「……それで、私たちはどう動く?」
此方も無表情を崩さず、淡々と言う明日菜。しかし、その表情は心なしか「あ、TPO間違えたか」と言っているようにも見えます。
……子日さんがシャワーを浴びた後でも、遅くはなかったでしょうけど、此処でそんなことを考えても無意味ですよね。
子日さんは然程気にしていなさそうですし、お父様のこととなると、盲目になるのは子日さんも同じですし。
「……動くも何も、肝心要の超の計画については何も知らないのでは、動きようがありませんよ。追って、兄さんから指示がくるのを待てばよいのでは? いえ、超さんが頼みに来る方が先かもしれませんが」
ほぼ予想通りの答えでした。そして、私(とおそらく明日菜)と同じ結論でもあります。
ですが————
「子日さん、確かにそうでしょうが、事前に準備できることはしておくべきではないでしょうか?」
敢えて、ゆっくりとした口調で反論させて頂きます。
子日さんは私を一瞥し、断りを入れた後、カチャカチャと筆やら何やらを片付け始めました。
「“準備”? 超さんが、どんなアクションを起こすかも分からない状況で、ですか? 不測の事態には常時備えていますし、そもそも学園に何か起これば、管轄は学園側でしょう? 私たちが学園の事情に、首を突っ込む必要はありませんし……。
兄さんに何か起きるのなら、そもそも起こる前に従者が解決するでしょうし」
それでも、まだ乗り気ではない子日さん。まぁ、御気持ちはわかりますけども。
「……ところが、そうでもないんです」
「はい?」
私の発言に、子日さんはパレットなどを片付ける手を止め、改めてこちらに向き直りました。
その横では明日菜が頷いています。
私が明日菜に視線を向けると、その意味を感じ取ったらしく、少し億劫そうに人差し指を立て、話し始めました。
「超は言っていた。『とある目的のために麻帆良に来た』と。そして、『麻帆良祭中に事を起こす予定だ』とも。それでいて、
どういうことかわかる? 子日。つまり————」
「ああ、理解しました。……超さんのやろうとしている事は、“麻帆良学園都市全域に何らかの影響を与えかねない”事である可能性が高いということですね?」
直ぐに答えをはじき出してくれた子日さんを見て、私と明日菜は同時に首肯しました。
そう、考えてみれば、その通りなのです。お父様に危害を与えかねないと当の超が懸念している時点で、どれ程の事をしようとしているのかがある程度推測できます。
仮に超のやろうとしていることが学園長の暗殺とか(何故麻帆良祭期間中かは知りませんが)ならば、お父様に危害が与えられる可能性など微塵ありません。学園長は学園内、もっというと学園長室や会議室など、いる場所はごく限られています。
其れに学園長を暗殺しても、その罪がお父様に降りかかるわけでもないでしょう。麻帆良学園、もっというと近衛学園長に敵意を持つ個人や組織など、両手両足の指では数え切れない事は確かですから。
つまり、超のやろうとしていることの対象は、学園都市(或いは“裏”の学園職員や生徒)自体であり、特定の個人ではない、と考えて良いでしょう。
「麻帆良学園都市相手に、喧嘩を売るかもしれない、ということですか? 何とも呆れた根性ですね」
「まぁ、超は私たちに助力を求めるかもしれませんが」
「……受けなきゃ駄目ですか?」
心底面倒そうな子日さんに心中で同意しつつ、私は首を傾げました。
「其れも如何でしょう? 超はかなり聡明です。あの超が、私たちに過大な期待をする程他力本願な手に打って出ることは、考えにくいのですが……………。
何しろお父様に頼まれでもしない限りは、私たちに超の手助けをする理由がありませんからね」
そして勿論、麻帆良学園側にも、超の味方がいる可能性は…………無きにしも非ずですが、低いことは事実でしょう。
ハク様は言わずもがなです。
麻帆良学園都市サイドにも味方はいない。お父様サイドにもいない。何処かの吸血鬼一味も、こういったことには興味ないでしょう。となると、もう…………。
…………………………あ。
いるじゃないですか、身近に。“麻帆良学園サイドでもお父様サイドでもない”人が。勿論、吸血鬼以外で。
明日菜と子日さんも同じことを考えたのか、私の方を微妙な表情で見つめてきます。二人揃って無表情ですけど。
「——————ックション!」
「おや、風邪かナ? 真名サン」
とある学び舎の美術室で、少女三人がロマンチックの欠片もない雰囲気の中で見つめ合っていた頃、件の少女は、然程遠くない場所にいた。但し、麻帆良学園サイドの誰も知らない場所、という前置きも付くが。
健康管理には気を遣っているはずなのだが、と疑問を浮かべながら、褐色の肌を持つ長身傭兵女子中学生は、前方を此方を見ることなく歩いている
とある青年と出逢った影響からか、最近は健康以外にも色々と気を遣っている少女は、自身の変わりように軽く自嘲しながら超と同じ速度で歩いていた。
「それにしても」
「大したものだね。麻帆良学園の目と鼻の先……いや、此の場合は“足元”と言うべきか。そんなところに、まんまとこんなモノを用意しているなんて」
「フフフ。最優先にすべき学園警備が人材不足で苦しんでいる時点で、此処の足元を掬うのは簡単だと言っているようなものネ」
「掬う、か……何をどうするつもりなのやら」
相変わらず此方を見ようとしない超の背中を見て、真名はフッと息を吐いて肩をすくめた。
「まぁ、私もちょっと“マジック”を使ってこんな事をしているかラ、あまり学園を無能扱いする気はないケド」
静かながら、ところどころ楽しげな————いや寧ろ、態と楽しげにしているような声が耳を震わし、真名は少し違和感を覚えた。
「……兎も角、真名サンが味方でいてくれるうちは安泰ネ」
「期待してくれて、嬉しいよ」
最近は警備任務も暇が多い。
関西呪術協会が不穏分子を一斉に“粛清(口の悪い者はこう呼んで避難している)”し、関東魔法協会に対する手出しを全て抑えている。
もっとも、その理由は友好のためでも何でもなく、単に東に非難される口実を与えないためと、戦力温存・増強のためなのだが。
そして、現在警備担当が戦っている相手は、アウトローな個人や中小規模組織が殆どだ。まれに外国の敵対組織が襲ってくることもあるが、遠征してきている以上、そして日本政府と繋がっている西がしっかり入出国を監視している以上、あまり大きな戦力では来ない。
規模はさながら、襲撃の数自体もかなり減った。
大量の銃弾を消費する戦闘法を好む真名からすれば、消費は抑えられて報酬は貰えるのだから(敵を撃破するよりかは少ないが)万々歳だが、真名から見れば、最近急速に親密になってきている青年(とその従者)から貰った装備や、剣士娘達との模擬戦で得た成果を実戦で碌に試せず、持て余し気味だった。
戦闘のエキスパートである真名は、自身がスカウトされたということは、つまり自分のそう言う能力を超が求めていると理解していた。
少なくとも、お茶汲みのような平和な仕事ではないだろう。
ある意味、此れは機会だと真名は考えていた。少なくとも超が、勝算のない勝負に挑むほど、投機的な人物には見えなかった。傭兵は人を見る目がなければ、やっていけない稼業なのだ。
勿論リスクはあるだろうが、勝ち目のない戦いに駆り出されるよりは億倍マシというものだ。傭兵が使い捨て戦力に割り当てられることなど、古今東西よくあることなのだから。
「……それで、具体的に何をやらかすつもりなんだい?」
真名の問いに、超の肩が一瞬だけ動いた。
しかし、相変わらずその顔を真名には見せない。
「………………敢えて言うなら…………………………“改革”、カナ?」
「……ふぅむ」
ボソリと呟いた一言に、真名は特に気にする様子もなく、碌に明かりのついていない、一目で人工の其れだと分かる、滑らかな壁や床、天井を見渡した。
————それにしても、もう、何分歩いた?
五分か、十分か、一時間経っているのかもしれない。味気ない、ずっと変わらない景色に内心呆れながら、真名は超の後をついていった。同じ速度で。同じ歩幅で。
「世界を、あるべき真の姿に戻す……と言えば、笑うカナ?」
唐突に空間に響いた、超の声。彼女の声だと瞬時に分かるものの、真名は其れを否定したくなった。
……科白があまりにも、彼女らしくなかったからだ。
「何処ぞの宗教家のようだな。其れも真っ当でない方の」
含み笑いを見える真名は、本人が無自覚のうちに、肌身離さず持っている銀色のカードのある場所に、視線を落としていた。
其れは、超が見せなかった造りかけの人形のような笑みを、無意識に察知したからなのかもしれなかった。