死神と恋愛とストーカーと——表
—ヒサキside—
ひび割れたアスファルトから、蒲公英が雄々しくも頭を出していた。
涼しい風が吹き、前髪を優しく揺らした。
町並みが、騒々しかった。
制服姿の生徒が笑いあい、商店街へと向かうはずの主婦が井戸端会議を開いていた。
二車線道路には猛スピードで走っていく一人暴走族。なぜか公道を自転車で走る名物オヤジまでいた。
普段は鋭い視線を向けてしまう仲睦まじい恋人達。
いつ如何なるときも目を逸らすことが必要である、額に剃り込みが入った強面のオジサン。
現在、地球の全ての人たちに声高らかに言いたい。
みんな!幸せになってもいいんだよぉ!
有頂天であった。
ならばなぜ有頂天なのであろうか。
その理由は言ってしまえば簡単である。
エヴァンジェリンさんの監視と思われた謎の違和感が消えたのであった。
それは彼女が監視を止めたということを示しているのだ。
人の目を心がけ、情けなくも友人たちの後ろを金魚の糞のようにくっついていく。
正体を明かさないため、尊敬する学園長たちに嘘をついてまで正体を話さなかった。
それが実ったのだ。
自らの頑張りが、最上級の結果を弾き出した。
それは、自由。
それは、開放感。
優しく可愛らしく、まるで宇宙のように広大な器量を持つエヴァンジェリンさん。
あんなに小馬鹿にしてしまった愚かな俺を、彼女は深い懐で許してくれたのだ。
有り難い、ことです。
心の中のミニヒサキは、まさに涙が大洪水な有様であった。
日々の日課であった散歩が気軽に行える。
一人きりの時間が過ごせる。
それがどれほど幸せな一時であったか。
まさに、俺は実感していた。
歩道橋を一歩一歩、噛み締めるように上っていく。
階下から上がってくる排気ガスでさえ、いまの俺には素敵なガスに思えた。
ふと前方を見遣ると、歩道橋を下っていく集団が不思議なことをしていた。
前を行くのは不思議な耳飾りをつけた中等部の女生徒だ。
それをなぜか、スーツを着た少年と鈴の髪飾りをつけた女子生徒が尾行していた。
あれは間違いない。
スパイごっこだな。
俺もよくやったよ。
一流のスパイを気取ってね。
大人ぶってスーツなんかを着ているが、まだまだ遊びたい盛りなんだろうな。
鈴の髪飾りの少女も割とノリノリだなぁ。
電信柱や看板に隠れる姿は見ていて滑稽である。苦笑を隠すことができない。
違う違う!
それではばれるぞ!
集団を尾行することで一流のスパイの行動を示してあげよう。
半笑いで路地を折れ、人気のない地帯を隠れながら進む。
そんな不毛なことをしていると終着地点に着いたようだ。
耳飾りの少女が古ぼけた広場に入っていく。
少年と髪飾りの少女も、程なくして広場に入って行った。
まさしく俺は一流のスパイのようだ。
一度も気取られることなく、広場を覗き見る。
するとそこには大勢の野良猫が集まっていた。
耳飾りの少女がその場にしゃがみ込み、缶詰らしき餌を与えていた。
なんという優しい少女だ。
素敵、すぎる。
少年と髪飾りの少女はスパイごっこを止めたようで、耳飾りの少女に近づいていく。
一緒に猫に餌でも与えるのだろう。
素晴らしき若者たちである。
これは良いものを見た。
尾行してきて正解であった。
感動しながらこの場を去ろうと振り返ると、俺は情けなくも声を上げた。
「うお!」
いつの間にか右肩に腰掛けていたのである。
漆黒のローブを頭から羽織り、銀色の鎌を携えこちらに愉悦の笑みを向ける天敵。
それは腐れ縁と呼ぶのが相応しい、手乗りサイズの死神であった。
ため息と同時に、頭に鈍痛が響いた。
エヴァンジェリンさんの監視が解けたと、安易にはしゃいでいたのが馬鹿みたいではないか。
そうだよな。
こいつがいたんだよな。
長らく姿を見せなかったため、都合の悪い記憶は消していたようであった。
慣れているためさほど恐怖心はないし、極力肩を見ないようにするという対処法はある。
しかし再度死神にとり憑かれるということは、まるで湯水のように不幸が湧きだしてくるのではないだろうか。
それは余りにも御免被りたかった。
そうなるくらいなら、一生スキンヘッドでも構わないという自負があるほどであった。
うん。
取り合えず話し合いから始めてみよう。
さすがに肩に話しかける変人に見られたくはないため、少し離れたところの物陰に隠れた。
意を決して話しかけた。
「あのー。
すいませんがお帰り願えませんかね。はは」
笑みでごまかしながら言ってみるが沈黙。
聞こえていないかのように振る舞う死神。
「すいませーん」
「ケケケケケ」
「うお!」
死神が唐突に笑い、俺は身体をのけ反らせた。
全く持ってこいつには困ったものである。
するとそのとき、あることに気付いた。
死神の笑い声の響きに、意思が感じられたのだ。その上、への字に曲がった口許からもそれは感じとれた。
死神は俺に対し、なんらかのことをやりたいのだと。
それは即座に丁重にお断りすることは断定だが、この状況はなんなのだろうか。
出会ってから現在まで、そんなことは一度もなかったはずだ。 いなくなっている期間に、パワーアップでもしたのだろうか。
謎は尽きないが、取り合えずお断りしよう。
「申し訳ないが、その頼みは聞けない」
「ケケケケケ」
「頼みは聞けないんだ」
「ケケケケケ」
「いや頼」
「ケケケケケ」
長く長い、沈黙が辺りに広がっていく。
うん。
聞き入れては貰えないようである。
それから幾度となく断ろうとも、結果は惨敗であった。
死神はまるでなにかにとり憑かれているかのように、意思を示してくるのだ。
まあとり憑かれているのは俺の方なのだが。
無視をし続けるという選択肢もあるにはあるのだが、どうせこの忌ま忌ましくも傍若無人な死神から逃れることはできないのだ。
大方、こいつの意思を尊重するまで、一昼夜として笑い声が響き続けることは容易に考えついた。
そんな安息とは無縁の、おぞけに満ちた日々には、どんな強者でも終には発狂してしまうであろう。
泣く泣く、投げやりな態度で言った。
「はいはい。
思う存分やってくれよ」
死神は満足げに笑い、なにか物を出せという強制的な命令が受信できた。
深くため息をつき、胸元から黒色の万年筆を取り出した瞬間であった。
突如として、紫紺の煙が全身を覆い込んだのだ。
なす術なく固まっていると、日差しと共に煙が晴れた。
自らの身体を心配し見遣ると、愕然とすることになった。
さながら顎が外れそうなほどの驚きとはこのことだろうか。
服装が突如として、変化していたのである。
さながら変身して悪者と戦うヒーローのように。
唖然としながらも確認すると、制服が漆黒のローブに、万年筆が大きな鎌に変わっていた。
なにやら身体中から紫紺の霧みたいなものまで放っていた。
どういう事なのだろうか。
銀色の刃に怯えながら思考に没頭した。
どう考えても死神の仕業なのは明白である。
それは死神の格好と俺の格好が類似しているからだ。
いや、無駄な考察は終わりにしよう。
死神などという、非科学的な存在に常識を照らし合わせることは愚かである。
吸血鬼は試験官から突風を起こせることができた。
死神は人の服装を変化させることができた。
不思議ではあるが、納得できないこともない。
というか、というかである。
この鎌の刃は長すぎるのではないか。
刃渡りが百センチほどを有に越えているように思えた。
脳裏にある言葉が過ぎった。
銃刀法違反、である。
おいおいおいおい!
逮捕されちゃうよ逮捕!
投げ捨てようとするが、鎌を握る右の掌がピクリとも開かない。
まるでそこだけ金縛りに遭っているようであった。
これも死神の仕業か。
それはこいつの愉悦の笑みが物語っていた。
なんとしても早急にこの状況を脱しなければならない。
物陰に隠れていたことが、唯一の幸運だったと言えよう。
死神に懇願するように言った。
「早く戻してくれ!」
死神はこちらを見つめたまま身動きを取らない。
完全なる無視であった。
狼狽しながらも懇願した。
「も、戻してくれって!
捕まったらサラリーマンになるどころか退学になるよ!
俺は将来、外資系サラリーマンになって世界に飛ぶ」
外資系サラリーマンになって世界に飛ぶんだよ。
と言うことはできなかった。
唐突にも、空中に身体が浮上したのである。
太陽へ目指せと言わないばかりに、速度が急上昇していく。
見る見る内に町並みが遠ざかっていく。
なに!?
なんなの!?
死神さん、なんすかこれ!?
なんとかして下さいよ!
死神は満足げな表情をするだけであった。
さほど風圧を感じないのが救いであった。
厨ニと言う病名で即座に入院できるであろう服装と、身体から意味不明にも立ち上る紫紺の霧のお陰であろうか。
しかしこれはまずい!
この際死神は無視しよう!
どうしてこうなった!
考えろ!考えろ俺!
このままでは大気圏に突入して瞬く間に消し炭にされてしまうであろう。
なぜこのような状況に陥っているのだろうか。
なにか、事の発端があるはずであった。
焦り狂う思考を整えると、光明が差した。
外資系サラリーマンになって世界に飛ぶんだよ。
そう言おうとしたら浮かび上がったのだ。
飛ぶ。
これがキーワードなのではないか。
正解であった。
また飛ぶというキーワードを念じてみると、如実に上昇する速度が上がったのだ。
全く持って理解などできないが、こんなとち狂った事態に原理などを求めてはいけない。
この死神姿に変化すると、念じるだけで飛べるようになる。
この結果だけ覚えていればそれでいいのだ。
ならば行うことは一つだ。
飛ぶ、それの反対の言葉を念じれば問題は解決するはずである。 落ちろ!
落ちてくれ!
焦燥心を留めながら念じると、ゆっくりと降下し始めた。
しかし、助かったと深い安堵の息を漏らした瞬間であった。
唐突にも、降下速度が急激になったのである。
いかんいかんいかんいかん!
これでは降下ではなく、落下である。
まさしく、紐無しバンジージャンプをする自殺者の如き無謀さであった。
見る見る内に、町並みが大きくなっていく。
優しき若者たちが猫とじゃれあう広場へと落下していく。
このままでは待ちうけるものは確実なる死、である。
背筋に冷たいものが走りながらも念じた。
飛べぇ!
これで事なきを得る、そうなるはずであった。
しかし、浮上するはずの身体は落下し続けていた。
速度が徐々に落ちていることは感じられるが、如何せんこれでは間に合わない。
現状では、今生との別れを告げなければならなくなるのは明白であった。
飛んで飛んで飛んで飛んで!
焦燥心に後押しされて、強く念じ続ける。
そんな俺を嘲笑うかのように、またしてもある問題が発生してしまった。
落下する方向的に、おませなスーツ姿の少年が立っているのである。
このままではあの無防備な頭頂部を踏み付けて、共に黄泉の国へと旅行する仲になってしまうであろう。
飛べ飛べ!飛べ!
あー!少年避けてぇー!
簡単に言うなら、間に合った。
間に合ったには間に合った。
俺だけ、ならばだが。
少年の頭頂部に、無情にも靴の裏が突き刺さった。
まさにプロレスラー顔負けの見事なドロップキックであった。
少年は情けない声を上げて転がっていき、その反動で浮上することができたのだ。
それにしても俺の膝はどういう形状をしているのであろうか。
一般的な膝であれば、間違いなく粉砕骨折は免れない。
この変身が、何らかの力を与えてでもいるのだろうか。
その後、四苦八苦しながらも上空で静止することだけには成功した。
そうなのだ。
止まれと念じれば良かっただけなのである。
逆さまでの静止が少々気に食わないが、またなにかを念じたりするると先ほどの二の舞の可能性が極めて高い。
些細なことなど気にしては入られない状況であった。
広場を見遣って、安堵した。
少年はあの衝撃を受けてなお生きていたのだ。
自らで立ち上がり、軽く頭をさすっているだけである。
なんという頭蓋骨。
チタンかなにかでできているのではないだろうか。
下手をすると殺人犯になっていただろう。
顔が引きつった。
心に住むミニヒサキが狼狽しながら少年に合掌していた。
少年が辺りをキョロキョロと見回してこちらを捉えた。
遠く声は届かないため、苦笑しながら右手で遺憾の意を表した。
鎌を握ったままであったことに気づき、左手に変えようとしたときであった。
それは唐突に。
それは突然に。
女神と思わしき少女と出会ったのである。
それは先程、猫に餌を与えていた耳飾りの少女であった。
先ほどは後ろ姿のため、顔の造形などは見られなかった。
まさか、こんなにも美しい少女がいるとは。
長い髪の毛がさらさらと風に舞い踊り、聡明さを感じさせる無機質な瞳はまるで硝子細工を彷彿とさせた。
彼女は背中からの噴射で浮上しているようだった。
草食系男子の俺でも、空中に逆さまで静止しているのだ。
なんら不思議ではない。
いやそれさえ、彼女の美しさの糧となりえていた。
心臓が高鳴った。
身体中の血液の脈打ちを、明確に感じた。
この昂揚した気持ちはなんなのだろうか。
程なくして、結論がついた。
これは恋というものであり、一種の一目惚れというものであると容易く考えられた。
上空での出会い。
なんというロマンチックな出会い方であろうか。
まさしく運命。
そうこの出会いは運命によって定められていたのだ。
惚けていると、少女が口を開いた。
その声音は、さながら花の妖精を感じさせた。
「なぜ助けてくれたのですか?」
意味不明な言葉に、頭を悩ませた。
助けたとは、一体。
俺が、彼女をなにかから助けたとでもいうのだろうか。
見当がつかなかった。
彼女の、勘違いではないだろうか。
悩んでいると、少女が言った。
「その御召し物、お似合いですね」
そのとき俺は、初めて死神に感謝した。
厨二病臭い服装だと恥ずかしがっていたが、少女にはお気にめしたようなのだ。
死神も肩に腰掛けたまま小刻みに笑ってくれていた。
心で小躍りしていると、少女が言った。
「ありがとうございました。それでは」
少女が去ろうとしている。
これは、精一杯の勇気を振り絞らなければならない。
「名前は?」
ゆっくりと振り返ると、答えた。
「絡繰茶々丸です。
それでは小林氷咲さま、失礼いたします」
絡繰茶々丸。
なんという愛らしい名前だろうか。
一風してはいるが、古式ゆかしい素敵な名前であった。
それにしてもなぜ俺の名前を知っているのだろうか。
わからない。
わからないが、純粋に嬉しかった。
茶々丸さんが、空の向こうへと去っていく。
そんな姿もお美しい。
長らく目で追った。
その姿が消えてなお、そちらの方向を見つめていた。
しかし、このまま綺麗には終わらないようである。
満足して帰ろうとすると、思いだしたのだ。
空中に逆さまで静止しているというこのふざけた現状を。
これをどう打開すればいいのだろうか。
いい加減、頭に血が上ってきていた。
茶々丸さんと出会えたゆえなのか、直ぐに思い浮かぶことができた。
先ほどは落ちろ、などと念じたから落下したのである。
着地と念じればいい。
凄まじい速さで振り回された挙句ではあるが、無事に着地することに成功した。
人生初の空中旅行から生還した俺は、それにしても素敵であったと惚けていると、前方に少女の姿を捉えた。
建物に隠れるように立ちながら、なにかを探しているのか挙動不審な動きをしていた。
中等部の制服を着て、髪をサイドに上げている。
肩に長めの棒らしきものを掛けていた。袋に包まれているところから木刀かなにかだろう。
視線は辺りをさまよい、やはりなにかを探しているようだ。
見つめる先を辿っていくと、先ほど俺と茶々丸さんが楽しく語らっていた上空であった。
なぜそんなところを見ているのであろうか。
俺に見られるような理由は皆無である。
ならば茶々丸さんを見ていたのであろう。
茶々丸さんも少女も、中等部であることから友人なのかもしれない。
茶々丸さんが空に消えてしまったため、探しているのだろう。
それにしても、不思議な点があった。
なぜこの少女はこんなにも焦っているのだろうか。
これではまるでストーカーのそれではないか。
そこで一つの考えが生まれた。
それは茶々丸さんが言った言葉からであった。
なぜ助けてくれたのですか?
俺には、茶々丸さんを助けた覚えはない。
だがしかし、偶然的にそれを起こしていたとしたならばどうだろうか。
それはつまり、こういうことである。
茶々丸さんはこの少女からストーカーの被害に遭っていた。
先ほどの広場でもストーキングは実行されており、茶々丸さんは逃げるタイミングを計っていたのである。
そこに俺が少年にドロップキックを打ち込むという騒動を起こした。
彼女はその隙をついて、空へと離脱。
それを俺が助けたと勘違いしているのではないか。
それならば話は繋がるし、可能性は極めて高く思えた。
ならば俺ができること、いやしなければならないことはただ一つである。
女性と女性のアブノーマルな関係が悪いとは言わない。
しかし、ストーカー行為は法で罰っせられている。
その上相手は愛しの茶々丸さんである。
これはなんとしても、説得しストーカー行為を止めて貰わなければならない。
木刀らしきものを携えているため、彼女は剣道部員の可能性が高い。
少女とはいえ、俺が剣道部員に勝つことは不可能に近い。
だが、これは説得だ。
喧嘩、などではない。
話し合いなのだ。
しかし、説得の途中にでも木刀で殴られては、俺の命運は尽きてしまうだろう。
まず木刀を手放して貰わなければならない。
深呼吸をした。
怯える身体を叱咤して、少女に気取られないようゆっくりと近づいていく。
そして、素早く木刀を奪い盗った。
「なんだ!?」
少女が唐突に振り返った。
視線がこちらを捉えて、固まった。
「い、いつの間に……」
呆然とする少女に、俺は爽やかな笑顔を返した。
話し合いには笑顔が必須であるからだ。
敵意はないと、示す必要性があった。
「きさま…!夕凪を返せ!」
少女が激昂した。
余りの剣幕に少々怯えてしまったが、エヴァンジェリンさんの剣幕に比べれば児戯に等しい。
それにしても、ゆうなぎとは一体。
この木刀の、名前かなにかだろうか。
それにしてもこの怒り方は尋常ではない。
こんな状況では、説得も糞もないではないか。
説得とは相手を信じることにあると本で読んだことがある。
そうだ。
ストーカーとはいえ、まだ中等部の少女である。
茶々丸さんが美しすぎるゆえ、こんな凶行に走ってしまったのだろう。
それは十分に理解できた。
あれほどの可憐さである。
それも仕方のないこと。悪いのは神様と言えよう。
彼女も可哀相な娘なのだ。
俺はしみじみと夕凪を返そうと差し出した。
信じることにしたのだ。
吸血鬼のエヴァンジェリンさんでさえわかりあえた。
ならば彼女ともわかりあえるであろう。
なぜか少女は夕凪を見つめたまま固まってしまった。
彼女は逡巡ののち、怖ず怖ずと夕凪に触れた。
そのとき俺は応援を笑顔に表現して言った。
「大丈夫だよ」
「ぐっ……!」
少女は夕凪を引ったくるように奪うと、鞘から刃を抜いた。
目を見開かざるを得なかった。
なんとそれは木刀などではなく、刀であったのだ。
平和であるはずの麻帆良学園に不釣り合いな刀。
まるで鬼のような形相でこちらに刀を構える姿は、まさしくヤンデレであった。
こ、ここまで思い詰めていたとは……。
直ぐに理解できた。
少女は茶々丸さんが手に入らないのならば、この刀の錆にし自らも命を断とうしていたのだ。
それは彼女の狂気じみた表情から伺いしれた。
これが悲しくなくてなにが悲しいというのだろうか。
全力で、止めなければならない。
まだきみには、何十年という将来が待っているんだよ。
大丈夫。
人をそこまで愛せるのだ。
方向性を変えてあげれば、必ず幸せな未来を築けるはずだ。
内心、真剣の輝きに恐れ戦いてはいたが、意を決して無理矢理爽やかな笑顔をつくった。
「きみにも、大切な人がいるだろう?
きみが死を選ぶというのなら、その人は悲しみを背負って生きていくことになる」
そうだ。
家族に友人、優しき茶々丸さんも悲しむだろう。
それらの人は、死の十字架を背負うことになる。
少女が顔をしかめた。
程なくして憑きものが取れたようにがっくりと肩を落とした。
優しい笑顔を心がけてさとしていく。
「刀はなんのためにある?」
少女が、暗い顔を上げた。
「守るためだろう?」
そう、武器は守るために扱うものだ。
間違っても自己の私欲で、扱ってはならない。
「……はい」
やはり良い娘のようだ。
反省してくれたのだろう。刃を鞘に、静かに納めていく。
「守るためだけに、その刀を抜くべきだ。
その相手は自分ではない」
そう、少女が、少女自身に振るうべきではないのだ。
少女が、感慨深げに頷いた。
「あなたは…それを教えたかったのですね」
人間同士、話せばわかりあえるのだ。
そこに、種族の壁などはないように思えた。
少女が、噛み締めるように呟いた。
「守るために」
満足げに頷くと、少女が慌てて頭を下げた。
「遅れてすみません。私は桜咲刹那と言います」
「構わないよ。
俺は小林氷咲。またなにか悩むことがあったら相談してくれて構わない」
共に茶々丸さんを愛する者同士、正々堂々と戦おうではないか。
「はい。
小林さんのお言葉、しかと心に留めさせていただきます。ありがとうございました」
素晴らしい。
素晴らしいよ。
愛ってなんて素晴らしいのだろうか。
上機嫌で頷いた。
「共に前を」
共に前を向いて生きて行こう。
そうは、言えなかった。
忘れていたのだ。
まだ変身していたことに。
そのまま俺は、前方へと凄まじい速度で飛んで行った。