少しオリ要素が入っているかもしれません。
死神と恋愛とストーカーと——裏
—絡繰茶々丸side—
古ぼけた広場で無数の猫が、美味しそうに餌を食べる鳴き声が響いています。
取り合いすることなく、仲良くしています。
青空は吹き抜けるように青く、平和な一時であると言えます。
しかし、そんな折のことでした。
二人の闖入者が現れたのは。
「こんにちは。ネギ先生、神楽坂さん。
油断しました。でもお相手はします」
マスターに言付けられてはいました。
私と離れる際はネギに気をつけるように、と。
しかし私は猫に餌を与えるという行為を無視することができませんでした。
これは油断から発生した過ちなのでしょうか。
立ち上がり、相対する二人を見つめました。
「茶々丸さん…あの、僕を狙うのは止めて頂けませんか」
ネギ先生は敵対しているというのにも関わらず、申し訳なさそうに言ってきました。
神楽坂さんも同様のようで、顔をしかめていました。
「申し訳ありません。ネギ先生。
私にとって、マスターの命令は絶対ですので」
そう答えると、オコジョ妖精と思われる生物が物陰に隠れたまま叫びました。
「アニキー!相手はロボッすよー!
手加減はなしですぜ!」
ネギ先生は逡巡の後、意を決したように行動しました。
瞳からは、並々ならぬ決意が見えました。
「行きます…!
ネギの従者(ミニストラ・ネギィ)神楽坂明日菜」
神楽坂さんの身体が微かに明滅して、それを合図に突撃してきました。
その動きは速く、魔力供給を受けているようです。
直ぐに肉薄し、神楽坂さんの迫りくる右手を左手で払います。
しかし、それはフェイントでした。
そのまま左手の人差し指で額を小突かれました。
速い、素人とは思えない動き……。
私の体勢が崩れたのを神楽坂さんは確認し、素早くその場を離脱しました。
前方。ネギ先生の身体の周りに九つの光弾が発生しているのを確認しました。
そのとき、神楽坂さんの行動全てがフェイントであったのだと理解しました。
ネギ先生の小柄な身体に、魔力が満ちていきます。
回避不能。回避不能。
私の背後には猫がいます。
回避すると、被害はそちらに向かってしまいます。
回避は、できません。
私はガイノイドです。代わりはいます。
「魔法の射手(サギタ・マギカ)!
連弾(セリエス)光の9矢(ルーキス)!」
ですが……一つだけお願いさせて貰えないでしょうか。
「すみませんマスター。もし私が動かなくなったら猫の餌を……」
しかしその願いは、意味のなさないものになりました。
なぜなら私が壊れることはなかったからです。
九つの光弾が、私の身体に降り注ぐ未来は変えられました。
突如、上空から落下してきた紫色のなにかによって。
それはネギ先生の頭頂部目掛けて、風切り音を響かせながら落下してきたのです。
その余りの速度による威力で、ネギ先生はくぐもった声を上げて転がって行きました。
紫色のなにかはまた上空へと舞い上がりました。
光弾はコントロールを失い、空の彼方へと消えました。
「ちょ!ネギー!」
「あ、アニキー!」
神楽坂さんとオコジョ妖精が、慌てて介抱に向かいました。
目を回しているネギ先生を、強く揺らしていました。
空を眺めると、紫色のなにかは上空で静止していました。
それは人間でした。
黒色のローブをなびかせ、大きな鎌を携えています。
身体から紫色の霧を放つその姿は、まるで死神のようでした。
注視して確認しました。
フードに顔が隠れてはいますが、それはマスターの興味のある獲物リストに名を連ねていた小林氷咲様でした。
どうしてでしょうか。
不思議に思いました。
マスターと小林氷咲様は敵対しています。
それはつまり私とも敵対しているということです。
なのにどうして、ガイノイドである私を助けてくれたのでしょうか。
マスターが言っていた「気まぐれ」と言う感情からでしょうか。
この機会を逃さずに、上空へと離脱しました。
小林氷咲様の下へと向かいました。
即座にマスターの下へと帰るべきでしょうが、お礼をしなければなりません。
先ほどは猫を庇ったために後れを取りましたが、現在の状況ではネギ先生たちに後れを取るつもりはありません。
程なくしてたどり着き、小林氷咲様に尋ねました。
「なぜ助けてくれたのですか?」
小林氷咲様が顔をしかめ、黙り込みました。
その問いには答えて貰えないようです。
しかし必然的、偶然的だろうと、彼が私を助けたことは変えられない事実です。
「気まぐれ」だろうと、それは「優しさ」、からくる行動ではないでしょうか。
観察していると、困惑した表情が見受けられました。
それは人助けをしたことによる「照れ」なのではないかと思えました。
人間には、お礼を言われるのを恥ずかしがる者もいると聞いていましたから。
そのとき、ある感情が浮かび上がりました。
猫に餌を与えるときに現れる感情と同様の、「可愛い」というものでした。
それは小林氷咲様の不器用さから作用した感情、なのだと思われました。
恩人を困惑させたくはないため、話しを変えました。
「その御召し物、お似合いですね」
お世辞ではありません。
そう思いました。
その服装は、マスターに近い雰囲気を孕んでいるからだと思えました。
小林氷咲様は、さも嬉しそうに笑みを浮かべました。
まるで無邪気な子供のようで素敵に思えました。
長らく会話をしていたくはありましたが、ネギ先生たちがまた襲ってくるかも知れません。
そうなると小林氷咲様にご迷惑がかります。
「ありがとうございました。それでは」
深く、一礼しました。
足早にこの場を去ろうとすると、背後から声が届きました。
「名前は?」
私の中に、不思議な感情が生まれました。
どうしてか、「嬉しい」という感情のように思えました。
それは人間ではない私の名前を聞くという行為に、作用していると思われました。
振り返り、言いました。
「絡繰茶々丸です。
それでは小林氷咲さま、失礼いたします」
また、一礼して、帰路につきました。
途中で、マスターが言っていたことを思いだしました。
奴はまだまだ、なにかを隠しているはずだ、と。
それがあの死神のような服装なのでしょうか。
私は無傷のためネギ先生たちにご迷惑はかからないでしょうし、後ほどマスターに報告してみましょう。
大変、喜んでくれるように思えます。
それにしても、小林氷咲様はどうして逆さまで静止していたのでしょうか。
—ネギside—
アスナさんが茶々丸さんの体勢を崩しました。
あとは僕が、魔法の射手を撃ち込めば勝負が決まります。
カモくんは、敵に容赦をするなと言いました。
アスナさんは、僕が行うことに付き合うと言ってくれました。
後押しされて、僕は教え子である茶々丸さんを倒そうとしています。
しかしそれは、本当に正しいことなのでしょうか。
お父さんのような偉大なる魔法使い(マギステルマギ)に恥じない行いなのでしょうか。
わかりません。
わかりませんが、倒さなければ僕が倒される。
九つの光の矢が、身体の周りに点在しています。
それらを放つために、僕は叫びました。
「魔法の射手(サギタ・マギカ)!
連弾(セリエス)光の9矢(ルーキス)!」
放たれようとする最中、茶々丸さんの姿を見たときでした。
間違いに気付いたんです。
こんなのは。
こんなのは僕が目指す、偉大なる魔法使い(マギステルマギ)なんかじゃないって。
直ぐに、発動を止めようとしました。
しかし、それは叶いませんでした。
次の瞬間、僕は頭頂部になんらかの衝撃を受けたんです。
それにより情けない声を上げて転がされました。
障壁を張っていたため、さほどダメージはありません。
しかし余りに唐突であったため、意識が混濁してしまいました。
な、なにが起こったの…。
「ちょ!ネギー!」
「あ、アニキー!」
心配そうな声と共に、強く身体を揺すられました。
アスナさんに抱えられ、徐々に意識は覚醒していきました。
そこで、あることを思い出しました。
「ち、茶々丸さんは!?」
慌てて身体を起こし、辺りを探しました。
魔法の射手の発動は止められなかったはずです。
それが茶々丸さんに当たっていたとしたら。
顔面が蒼白になっていきました。
探しても、探しても茶々丸さんはいません。
僕は泣きそうになりながら、アスナさんを見つめました。
「ネギ、大丈夫よ。
茶々丸さんはあそこよ」
アスナさんが指差した方向を見て安心しました。
上空に飛んでいく茶々丸さんを発見できたんです。
本当に良かった。
それと同時に不思議に思いました。
僕はどうして吹き飛ばされたんでしょう。
誰かに攻撃されたのはわかるんですが、茶々丸さんは攻撃できなかったはずです。
アスナさんとカモくんが怯えた表情である一点を見つめていました。
「な、なんなのよあれは!」
「ヒィー……!し、死神だぁー!死神が命をとりにきたんだー!」
死神とは、なんでしょうか。
視線を辿ると、全身の血の気が引いていきました。
上空にいたんです。
蒼い空に不釣り合いな死神が、そこに。
上下逆さまに静止し、漆黒のローブを頭まですっぽりと被り、大きな鎌を携えていました。
身体中から紫色のオーラを放っていました。
カモくんが怯えたのか、僕の懐に入り込みました。
「ぼ、僕が、教え子を倒そうなんて悪いことしたから死神が命をとりにきたんだ……」
怯えながら呟きました。
アスナさんが勢いよく反論しました。
「ば、バカ言ってんじゃないわよ!
それだったら私とカモもそうじゃない!」
ですが、アスナさんも怯えている事は明白と言えました。
顔の筋肉が、ピクピクと引き攣っていたんです。
「に、逃げましょうアスナさん!」
「そ、そうね……」
そんな挙動を察知したのか、死神が逃がさないとばかりに鎌を振るう所作をしました。
口許には愉悦の笑みが張り付き、さながらそれは死の宣告のように思えました。
心の芯に深々と、鋭利な角度で突き刺さりました。
余りの恐怖心故に、身体が固まってしまいました。
アスナさんも同様のようで、固まっていました。
僕の首が鎌で落とされ、鮮血が噴き出すイメージが、脳裏に浮かび上がりました。
もうだめだ……。
僕は悪いことをした……。
死神さんはそれを怒っているんだ……。
諦めかけたとき、それをある人物が救ってくれました。
それは先ほど酷いことをしてしまった茶々丸さんでした。
茶々丸さんは死神に何か語りかけているようでした。
一瞬、僕たちから視線が外れました。
アスナさんが慌てて僕を抱え上げて走り出しました。
「逃げるわよネギ!」
「で、でも茶々丸さんが!」
茶々丸さんが、未だに残っているんです。
「だ、大丈夫よ!
仲良さそうだったし!
エヴァンジェリンは吸血鬼なんだから、死神の知り合いがいてもおかしくないでしょ!」
「ほ、本当ですか?」
仲良さそうには到底思えませんが、エヴァンジェリンさんの知り合いという言葉にはなんとなく納得できました。
茶々丸さんの危機に、仲間である死神が助けにきたと考えれば辻褄はあいます。
「で、でもそれならもっとまずいんじゃ……!」
「な、なにがよ!」
「茶々丸さん襲撃の報復に……吸血鬼のエヴァンジェリンさんと、仲間の死神さんがくると言うことになるんじゃ……!」
アスナさんが固まりました。
カモくんは懐でブルブルと震えています。
最悪な結果に陥りました。
どうしてこんな結末になったんだろう。
アスナさんや、カモくんにまで迷惑をかけてしまいました。
もう……ウェールズに帰りたいよお姉ちゃん、アーニャ……。
心の呟きは風の音に消え、不安ばかりが増して行きました。
目をつむると、逆さまに止まった死神さんの愉悦の笑みが浮かび上がりました。
—桜咲刹那side—
気配を消して、ある人物を監視していた。
麻帆良学園、男子高等部一年生。
名前、小林氷咲。
魔力と気の量も一般的。筋肉の量も一般的。
戦う者の風体には、到底見えない男子生徒。
しかし、彼と接触した麻帆良学園の重鎮たちは、口を揃えて賛美をした。
学園長曰く、極力、手を結びたいほどの実力者。
高畑先生曰く、トップクラスの擬態の天才。
エヴァンジェリンさん曰く、興味を抱くほどの戦略家。
事の発端は先日だった。
朝倉和美の写真にて、知ることになった。
彼女は、教室で学園長に呼ばれたという男子生徒の噂話をしていた。
あることから興味を引くことになった。
エヴァンジェリンさんが、愉しそうに笑いながら一枚くれとその輪に割って入ったのだ。
あのエヴァンジェリンさんが興味を抱くほどの相手。
木乃香お嬢様をお守りするためだけにいまの私は在る。
不安点は早々に解決したい。
そう言った意思から、エヴァンジェリンさんに話しを聞こうとしたが既にその姿はなかった。
そのため、学園長に会いに行くことになった。
学園長室の扉にノックをしようとしたとき、扉の向こうで高畑先生のものらしき殺気を感じた。
敵襲かとも思えたが、あの高畑先生が後れを取るとは思えない。 私は気取られぬよう覗いた。
いざという時には、奇襲できるようという配慮だった。
室内で行われた騒動には、素直に驚愕したと言える。
写真の男子生徒が学園長に馬乗りになり、高畑先生が唖然としていたのだ。
この二人を相手にして、このような行動を起こせる者は知りうる限り存在しない。
やはりあのエヴァンジェリンさんが興味を抱くほどの実力者なのか。
その事実に固まっている間に騒動は終わっていた。
男子生徒が扉に近づいてきたためその場を離れた。
夕方になり、学園長を訪ねて質問をしてみた。
学園長は危険だと口ごもったがなんとか説得して話を聞いた。
名前は小林氷咲。
巧妙な擬態を持つ実力者で、エヴァンジェリンさんとも対等に渡り合ったと言っていた。
学園長の見解では、敵視や正体を明かさなければ無害であるとのことだった。
エヴァンジェリンさんに監視を頼んだので、きみは関わってはいけないと言われた。
執拗なまでに関わるなと言われたが、私は行動した。
エヴァンジェリンさんに任せられない訳ではない。
私自身が、小林氷咲と言う人物を見極めたかったからだ。
木乃香お嬢様へ、その途方もない実力の一端が向かうことのないように。
ここ数日と同じように、小林氷咲の風体は一般生徒のそれだった。
街中を歩く様は、散歩を楽しむ好青年に見えた。
しかし彼は擬態の天才。
油断はできない。
少しして、挙動がおかしいことに気づいた。
私がそうしているように、小林氷咲も気配を消しながら誰かを尾行しているようだった。
注視してみると、不思議なことが起こっていた。
私が小林氷咲を尾行し、小林氷咲はネギ先生と神楽坂明日菜さんを尾行していた。
その上ネギ先生と神楽坂明日菜さんも、絡繰茶々丸さんを尾行していた。
これはどういう事態なのだろうか。
疑問は尽きないが、程なくして四者四様による尾行は終わりを告げた。
絡繰茶々丸さんが古ぼけた広場に歩みを進めると、ネギ先生と神楽坂明日菜さんも少しして歩みを進めた。
そこの入口に、小林氷咲が佇み中を覗いていた。
近くの物陰に隠れて、小林氷咲の一挙手一投足を注視した。
すると彼が挙動不審な行動をした。
まるで見えない何者かと話しているようだ。
すると彼はどうしてか足早に物陰に隠れた。
不思議に思っていると、突如としてそこから紫色の物体が浮上した。
視認できるのがやっとの速度で上空へと向かって。
瞬く間に、それは空の彼方へ消え去った。
まさか。
脳裏にある考えが浮かんだ。
私は素早く、小林氷咲が隠れている物陰に向かった。
予測通り、そこには誰もいなかった。
それはつまり、先ほどの紫色の物体は小林氷咲だったのだと理解できた。
上空を眺めながら、思う。
虚空瞬動の使い手だとは聞いているが、空を飛べるとは聞いていなかった。
逃げられたのか。
しかし、気取られてはいなかったはずだ。
いや、そう思っているのは自分だけであるとしたらどうだろうか。
小林氷咲はすべてを見通した上で、私を泳がしていたのではないだろうか。
一瞬の隙にすべてを賭ける。
そんな言葉が浮かんだ。
ならば、小林氷咲の次の行動は隙をついての奇襲だろう。
いつでも夕凪を抜けるように手を当てて、辺りを警戒した。
広場ではどうしてか、絡繰茶々丸さんとネギ先生たちが戦っているのが見えた。
疑問に思ったが、警戒を緩める訳にはいかない。
相手は小林氷咲なのだ。
下手をすれば、命を狩られるだろう。
額に汗が浮かび上がり、片手で拭った。
しかし、その考えは裏切られることとなった。
小林氷咲は唐突に上空から落下してきたのだ。
私ではなく、広場のネギ先生へと目掛けて。
唖然としていると、ネギ先生がその衝撃に不様にも転がって行った。
絡繰茶々丸さんを、助けたのだろうか。
エヴァンジェリンさんと小林氷咲は敵対している立場だと聞いていた。
ならばどうして。
解せないが、尾行は気取られていなかったのだろう。
小林氷咲は助けるために行動したのであって、私への奇襲が目的ではなかったのだ。
上空で小林氷咲と絡繰茶々丸さんが、何事か話し始めたことが物語っていた。
取り越し苦労だったと安堵の息を漏らした。
また物陰に隠れて、監視を再開する。
唖然としていたからか、ここでやっと気づいた。
小林氷咲の服装が変化していたことに。
黒いローブを羽織り、大きな鎌を携え、全身から紫色のオーラが溢れていた。
広大な空に逆さまで浮かぶその姿は、まるで死神のようだった。
この姿が小林氷咲の戦闘時の服装なのだろうか。
一般的だった魔力量が、少しだけ増えているのを感じとった。
大したことはないが、これではっきりした。
小林氷咲は魔力を自在に増減できると言うことが。
あれはまだ序の口だろう。
本気の百分の一にも満たないだろうことは明白だ。
生唾を飲み込んだ。
私とさほど歳も変わらないというのに、麻帆良の重鎮たちに賛美される実力。
一体、どれほどの鍛練をつんできたのだろうか。
たった十六年でその域まで達したのだ。
並大抵の努力では、話しにならないだろう。
一種の畏怖を覚えずにはいられなかった。
絡繰茶々丸さんが遠方の空へと消えて行った。
小林氷咲は身動きせず見守っていた。
その背中から、敵さえも救う優しさのようなものを感じた。
小林氷咲はなぜ強くなろうと思ったのだろうか。
人生をやり直すために平凡を求めているのではないかと、学園長は言っていた。
あの人の過去に、私と同様に強く在らなければならないなにかが起こったのだろう。
ふと思考を止め、上空を見上げて唖然とした。
小林氷咲の姿が掻き消えていたたのだ。
紫色の魔力の波動だけが、青空に微かに残っていた。
辺りを見回すがいない。
帰ってしまったのだろうか。
しかし、そのときだった。
唐突にも、何者かに背後から夕凪を奪われたのだ。
「なんだ!?」
慌てて振り返ると愕然とした。
独りでに口が開いた。
「い、いつの間に…」
その様を、小林氷咲はニヤリと愉しそうに笑った。
まさか、今までの騒動すべてが小林氷咲の策略だったとでもいうのか。
初めに上空へと姿を消すことにより、奇襲を警戒させる。
しかしそれは、絡繰茶々丸さんを助ける行為であったと誤解させ油断を誘う。
そしてその一瞬の隙をついて、背後に転移し相手の武器を奪い無力化する。
これが小林氷咲の、類い稀なる戦略。
その愉悦の笑みがそう物語っていた。
天才的な擬態と戦略と言わざるを得ない。
高畑先生とエヴァンジェリンさんの言葉が脳裏を過ぎった。
トップクラスの擬態の天才。
巧妙な戦略家。
私は、小林氷咲に騙されていたのだ。
これが歳一つしか変わらない男との差とでもいうのか。
違い、すぎる。
己の無力さ弱さを、激しく痛感した。
己に対する苛立ちから、情けなくも叫んだ。
「きさま……!夕凪を返せ!」
当然ながら、小林氷咲は柳のように受け流した。
それはそうだ。
この男に、私如きの殺気が通じるはずがない。
その様を見て、小林氷咲の表情が一転した。
双眸に哀れみを色が表れたのだ。
不様だ。
それはそう示していた。
そしてこちらに、静かに夕凪を差し出した。
その行為に固まった。
罠か。
罠としか考えられない。
しかし、猛る焦燥心が夕凪を取れと囃す。
夕凪があってもこの男には勝てるとは思えないが、逃げることくらいならできるかも知れない。
恐る恐る夕凪を掴んだ。
そのときだった。
小林氷咲は一転、擬態時の爽やかな笑顔に変化したのだ。
まるで、夜から朝に切り替わるように。
「大丈夫だよ」
「ぐっ…!」
夕凪を奪い返すと、即座に刃を抜いた。
ここまで馬鹿にされては、引き返せるものも引き返せない。
この男には、到底敵わないだろう。
しかし私にだって戦士としての誇りがある。
掠り傷でいい。
誇りを、示す。
そう切りかかろうとした最中だった。
小林氷咲が爽やかな笑顔で言い放ったのだ。
「きみにも、大切な人がいるだろう?
きみが死を選ぶというのなら、その人は悲しみを背負って生きていくことになる」
それは私の身動きを止めるには最適な言葉だった。
最終通告。まだ戦う気ならば躊躇いなく殺す。
これはいい。
望むところだった。
しかし、私が死ぬことで大切な人が悲しみを背負う。
その言葉で身動きがとれなくなったのだ。
脳裏に木乃香お嬢様の悲しそうな顔が浮かんでしまったから。
私は間違っていたことに気づいた。
木乃香お嬢様を守るために、悲しませないために夕凪を振るってきた。
それなのに、戦士としての誇りを優先して、また木乃香お嬢様を悲しませようとしていた。
その事実に、身体中の力が抜けていくのを感じた。
頭上から、優しげな声が降りてきた。
「刀はなんのためにある?」
顔を上げた。
そこには、青年の優しげな顔があった。
「守るためだろう?」
私は力なく頷いた。
「…はい」
刃を鞘に戻した。
木乃香お嬢様を悲しませることはできない。
それは小林氷咲を相手に自殺行為かも知れない。
しかし彼の声色には、私をさとそうとする必死さが見え隠れしているように感じたのだ。
どうしてか信頼できるような気がした。
小林氷咲が、口を開いた。
その声音は、さながら子を想う親のように優しかった。
「守るためだけに、その刀を抜くべきだ。
その相手は自分ではない」
彼は敵ではなかったのだ。
刀を振るうべきその相手は自分ではない。
そう、言ったのだ。
それを聞きながら、ふと思えた。
小林氷咲は、わざと擬態を用いて演じてくれたのではないだろうか、と。
自らが悪役を買ってでることにより、教えてくれたのではないだろうか、と。
戦士としての誇りで死ぬというのはただの逃げ口上だ。
自らが死ねば大切な人が悲しむことになる。
大切な人を守るためだけに刀を振るえ。
強い者と相対したときは構わず逃げろ、関わるな。
決して死ぬなんて考えるな。
そう、教えてくれようとしていたのではないだろうか。
私は頷くと、口を開いた。
「あなたは……それを教えたかったのですね」
返答は、無言だった。
しかし、満足げな笑顔から正解なのだと示されていた。
心に刻むように、呟いた。
「守るために」
小林さんが頷いた。
勝手に疑い、尾行までしてしまった私にどうしてここまでしてくれるんだろうか。
これほどまでに器の大きな人には出会ったことがない。
尊敬の意を持って言った。
「遅れてすみません。私は桜咲刹那と言います」
「構わないよ。
俺は小林氷咲。またなにか悩むことがあったら相談してくれて構わない」
小林さんはまるで天使のように優しい声音で言ってくれた。
その言葉に、純粋に、感動した。
多大な迷惑をかけてしまったのに関わらず、私を心配する言葉をかけてくれた小林さん。
彼に、恥じないよう行動していこう。
「はい。
小林さんのお言葉、しかと心に留めさせていただきます。ありがとうございました」
小林さんが頷いた。
なにかを言いかけたかと思うと、忽然とその姿を消した。
正義を成して、去っていく。
まさに、そんな映画のヒーローのような人だった。
辺りに、気配はなかった。
もう今頃は、また違う人でも救っているのだろうか。
忙しい人だと笑ってから頷いた。
いまから鍛練をしよう。
いつか小林さんの域に達せられるように。
より容易く、木乃香お嬢様をお守りできるように。
青空は澄み渡り、私を応援してくれているようだった。
一つだけ不思議に思った。
どうして小林さんは逆さまで制止していたのだろうか。
—その日の幼女吸血鬼さん—
煩わしいじじいから解放された頃には、もう夜に移り変わっていた。
家の玄関口で、茶々丸が出迎えて静かに言った。
「マスター、お話があります」
私はリビングに向かいながら言った。
「どうした?」
「ネギ先生に襲撃されました」
内心煮えたぎる怒りを隠しながら口許に笑みを浮かべた。
「ほう、やってくれるじゃないか」
戦いに卑怯も糞ない。
ないが、あのぼうやにそんな度胸があるとはな。
これは少々手痛いお仕置きをせねばなるまいな。
そんなことを思っていると、茶々丸が次に言ったことに唖然とすることになった。
「ですが、小林氷咲様に助けて頂いたため損傷はありません」
「なに!」
なんと茶々丸の危機を、小林氷咲が救ったと言うではないか。
なぜそんなことを。
私と奴は敵対している。
不思議に思っていると、茶々丸が言った。
「マスターが言っていた。
気まぐれと言われる感情なのかも知れません」
「気まぐれ、か」
小林氷咲は気まぐれで、私の家族を救ったのだろうか。
いや、奴なりの宣戦布告なのかも知れない。
敵に塩を送る、という奴なのだろうか。
だがこれで奴の隠し持っているなにかがわかるかも知れない。
好奇心から目を輝かせた。
「茶々丸見れるか?」
「はい。
ただ今セッティングいたします」
茶々丸が、自らとテレビをコードで繋いだ。
程なくして映像が流れた。
映像を見終わった。
私は興奮しながらも、沈んでいくという相反する感情を抱えることになった。
茶々丸視点のため全容を知ることはできなかった。
だが小林氷咲が茶々丸を救ったのは紛れも無い事実であった。
小林氷咲に踏み付けられ、ネギが不様に転がっていく姿には溜飲が下がった。
そして一番の収穫。
それは小林氷咲の正体が露になったのだった。
戦闘時の服装だと思われるが、センスが良い。
まさに、小林氷咲のイメージとピッタリの姿であった。
漆黒のローブを身に纏い、特大の鎌を携えていた。
さながらそれは、死神かなにかを意識しているようだ。
暗殺スタイルである小林氷咲には良く映えていた。
その上、一般的であった魔力の量が少々上がっていることから、小林氷咲は自在に魔力を増減できることがわかった。
まあ私ほどではないだろうが、奴の魔力の量はまだまだ上がるだろう。
そして極めつけは、小林氷咲の全身から放たれている紫色の魔力の波動だ。
これを見たとき、私は愕然とせざるを得なかった。
魔力の質が、人間のそれではなかったのだ。
吸血鬼や悪魔など、僅かな違いはあれど魔族が持つ魔力の質だった。
つまり小林氷咲は、魔族の類であることを示していた。
思い返せば、当然のように符号した。
小林氷咲は、桜通りで宣言していたのだから。
私と同類の悪だ、と。
それを私は、悪の性質の話だと思っていた。
だがそれは違った。
奴は言葉の通り、自らは魔の類だと示していたのだ。
これで小林氷咲が執拗に実力を隠す理由が頷けた。
生まれつきなのか、私と同様に無理矢理されたのかはわからない。
だが魔族の類だと言うことが、明るみに出たとする。
すると昔の魔女裁判よろしく、十中八九、善を語る偽善者どもに狙われることになるだろう。
しみじみと呟いた。
「そうか、奴も苦労してきたんだな」
感慨深くなってしまう。
私も昔から、苦労が絶えることはなかった。
寂しくやりきれなくなる夜もあった。
いまの家族を手に入れるまで孤独だった。
小林氷咲もそうだったに違いない。
孤独とは辛いものだ。
この世界は、魔の類に厳しすぎる。
そうか。
だから奴は平凡を尊び、一般的な人間たちのように働く夢を持っているのだろう。
一つ、不思議に思えた。
小林氷咲はなぜ、命に代えても隠し通さなければならないはずの真実を、私に示そうとしたのだろうか。
小林氷咲の先ほどまでは憎々しかった笑みが浮かんだ。
しかしいまは、自らの本質を隠さなければならない苦悩のような笑みに思えた。
同類である私に気づいてほしかったのかも知れない。
それは茶々丸を助けたことからも伺い知れた。
そうか。
小林氷咲は、自らのすべてを私に知って貰いたかったのだ。
私ならば、その苦悩を誰よりも理解できるはずだと。
今宵の夜の月は、儚げだった。
眺めながら溜め息をつく。
「小林氷咲……私はお前の苦悩が理解できるぞ。
お前が望むのなら……全てを受け止めてやろう」
—その頃の不運な少年—
「いやいや、今日は大変なことばかり起きたけど、結果的には良い日だったよな」
俺は自室にて、有頂天で死神に話しかけていた。
普段は忌ま忌ましい死神も、小刻みに笑っていた。
服装は茶々丸さんに褒められたため、まだ死神の姿そのままであった。
それにしても美しかった。
まるで、幻想の世界から現れたお姫様のようだ。
「ハッハッハッハッ!」
「ケケケケケ」
「ハッハッハッハッハッ!」
「ケケケケケ」
「ハッハッハッハッハッハッ!」
「ケケケケケ」
「ハッハッハッハッハッハッハッ!」
「ケケケケケ」
「ハッハッ!ふおっ!」
大笑いしていると、突如として棚からドライヤーが落ちてきたのだ。
頭に、鈍い痛みが響いた。
決してドライヤー如きと侮ってはいけない。
俺の弱々しい頭には、相当のダメージなのである。
「あいた〜……」
頭を摩りながら、何とか立ち上がった。
だが、そのときだった。
凄まじい悪寒が、さながら電流のように身体を駆け巡ったのである。
倒れ込みテーブルに置いてあった牛乳を倒してしまう
床は、さながら一面銀世界である。
「な、なんだぁ…。
これはそう…勘違いが加速して後戻りできない境地にまで達してしまったような…」
しかし、それはないだろう。
勘違いされる理由がないのだから。
俺は苦笑を浮かべたまま、ゲレンデの掃除にとりかかった。