四の思惑が交錯する中心——幕間その弐
—ネギside—
僕は麻帆良の森を歩いていました。
ある場所を目指してです。
それはこの果たし状を渡す相手、エヴァンジェリンさんのお家でした。
風邪で病欠したため、伺いに来たんです。
一度は現実に堪えられなくなり、逃げてしまいました。
エヴァンジェリンさんと死神さんの報復が、アスナさんやカモくんに及ばないように。
ですが長瀬さんとの山篭りで気づいたんです。
逃げるだけでは、なんの解決にもならないって。
僕は先生です。
生徒を、アスナさんを守らなければなりません。
だからこそ、この果たし状を持参して正々堂々と戦います。
だけど、内心は怖いです。
どうしようもなく怖い。
死神の愉悦の笑みを思うだけで身体が固まってしまいます。
でもこれは僕の問題だから。
僕だけが頑張れば、それで良いんです。
それにしても、吸血鬼が風邪などかかるのでしょうか。
僕は意を決して呼び鈴を鳴らしました。
程なくして、静かにドアが開きました。
茶々丸さんが顔を出しました。
「こんにちわ、ネギ先生。
何かご用ですか?」
僕は狼狽しました。
生徒である茶々丸さんを、不意打ちという卑怯な方法で襲ってしまっていたから。
「あ、ああ!茶々丸さん!
え、エヴァンジェリンさんにお話が!
こ、この前はすみませんでした!
で、でも僕は魔法の射手を撃つ気はなかったんです!
ほ、本当ですよ!」
茶々丸さんは無言でした。
僕も空気に堪えられなくなり、無言になってしまいました。
信用など、して貰える訳がありません。
僕は生徒である茶々丸さんを、確かに攻撃したんだから。
ですが、茶々丸さんは言いました。
「マスターは中にいます。
病院に風邪薬を貰いに行くので、その間お任せしてもよろしいですか?」
「は、はい!」
反射的に言いました。
目を白黒させていると、茶々丸さんが森へと消えて行きました。
「こ、これどういうことなんだろう…。
もしかして、少しは信用してくれたのかな」
嬉しく思いました。
茶々丸さんは僕を信用して、エヴァンジェリンさんを任してくれたように思えたんです。
生徒の想いには、全力で答えなければなりません。
「よし!頑張るぞ!
すいませーん。失礼しますよー」
風邪で苦しんでいるかも知れません。
静かにドアを開きました。
エヴァンジェリンさんは寝室で眠っていました。
部屋はまるで、絵本の中から飛び出したように可愛らしい内装でした。
四苦八苦しながらタオルで寝汗を拭い、果たし状を置いて帰ろうとしたときでした。
エヴァンジェリンさんが寝言を呟いたんです。
それは確かにお父さんの名前を言っていました。
好奇心が首をもたげました。
いけないことと承知しながらも、心で謝罪しつつ夢を覗きました。
その夢は、吸血鬼の少女と魔法使いの青年の物語りでした。
少女の窮地を青年が救い、それを機に少女は青年を追い求めて行きました。
最後に青年は、少女に呪いをかけます。
闇の世界でしか生きられなかった吸血鬼の少女が、光の世界にて生きられるように。
青年は迎えに来ることを約束して去り、少女はそれを信じて待ち続けます。
今も、なお。
儚くも、健気な夢。
心が、まるでさざ波が立つように揺らぎました。
こんなことがあったなんて、知りませんでした。
エヴァンジェリンさんが、未だにお父さんを待ち続けているだなんて。
眠っていたはずのエヴァンジェリンさんの瞳が、微かに開きました。
「……ん?
なんだ貴様?」
夢を覗き見てしまった手前、固まってしまいました。
エヴァンジェリンさんが、ゆっくりと身体を起こしました。
「そうか。寝首をかきにでも来たんだな。
待ってろ。今すぐ」
「ち、違いますよ!」
慌てて否定しました。
エヴァンジェリンさんがヨロヨロと身体を起こすと、直ぐに倒れてしまいました。
「エヴァンジェリンさん!」
慌てて駆け寄りました。
エヴァンジェリンさんの頬が紅く染まり、苦しそうに咳込みました。
「……ぼうや。貴様…夢を見たな…?」
エヴァンジェリンさんのまどろむ瞳は、僕の持つ杖に向けられていました。
「い、いえそんなことは!
……ごめんなさい!」
終始、罪悪感から頭を下げていると、寝息が聞こえてきました。
エヴァンジェリンさんは眠ってしまったようでした。
姑息ながら安堵の息を漏らしました。
エヴァンジェリンさんに布団をかけて、果たし状を机に置き、逃げるように部屋を出ました。
玄関先で茶々丸さんと会いました。
茶々丸さんが一礼しました。
「ネギ先生、ありがとうございました」
「いえ、構いませんよ。
え、エヴァンジェリンさんは寝室で眠っています」
茶々丸さんが一礼して二階へと上がろうとしました。
僕はいままで不安に思っていたことを、意を決して質問しました。
「あ、あの、死神さんは仲間なんですか?」
茶々丸さんが一瞬首を傾げてから、言いました。
「死神とは氷咲お兄…、小林氷咲様のことですね。
仲間ではありません」
死神さんは小林氷咲さんと言う名前のようです。
それよりも。
「ほ、本当ですか?
でもあの時茶々丸さんを助けていたじゃないですか」
「先日は「気まぐれ」という感情からのようです」
「気まぐれ…?」
「はい。気まぐれです」
唖然としました。
死神さんは気まぐれで茶々丸さんを助けただけで、敵ではなかったようなんです。
怯える必要性は、全くと言ってなかったんです。
深く安堵しました。
今でも怖いことは怖いです。
ですが敵でないという事実は、僕にとっての最大限の救いとなりました。
これでエヴァンジェリンさんと茶々丸さんだけに、精力を注ぎ込むことが出来ます。
アスナさんやカモくんにも教えてあげなければなりません。
二人とも、報復を怖がっていましたから。
「そうですか!
では茶々丸さん!
エヴァンジェリンさんによろしく伝えておいて下さい!」
意気揚々と学園に向かおうとすると、茶々丸さんに言葉で留められました。
「ネギ先生。
マスターが言っていました。
小林氷咲様の正体は明かしてはならないと。
明かせば殺されるだろう、と。
お気をつけて下さい」
「こ、殺さ」
背筋がゾッとしました。
これは何がなんでも明かす訳にはいきません。
コクコクと頷くことしか出来ませんでした。
「失礼いたします」
茶々丸さんが二階に上がっていくのを見ながら、脳裏に最悪の結果が過ぎりました。
アスナさんが、学園で死神さんのことを噂していたとしたら。
カモくんが、ふざけて誰かに呟いていたとしたら。
「あ、アスナさーん!カモくーん!」
猛る焦燥心に背中を押され、学園へと大急ぎで走り出しました。
—ある日のぬらりひょん—
夕暮れ。
窓から茜が差し、わしは低くうなった。
学園長室内の、お決まりの椅子に座り頬杖をついた。
「さてさて、どうなったものかのう…」
発端は先日じゃった。
氷咲くんとの邂逅を終え、木乃香のお見合い相手探しに勤しんでいるときのことじゃ。
真剣な表情で、桜咲刹那くんが来訪してきたのじゃ。
不思議に思うと、それは氷咲くんとの騒動を覗いていたとのことじゃった。
不覚じゃった。
わしと高畑くんがおりながら、まさか刹那くんにそれを覗かれておったとは。
刹那くんは執拗に氷咲くんの素性を知りたがった。
木乃香のため、不安点は解消したいのだと。
じゃがわしに話す気は毛頭なかった。
刹那くんは木乃香の護衛を良くやってくれてはおるが、性根が真面目で一本気なところがある。
話すということは、彼女は確実に氷咲くんへと行動を起こすじゃろう。
それはなんとしても止めたかった。
氷咲くんという、眠れる獅子をこれ以上起こしたくはなかったのじゃ。
定かではないが、氷咲くんは実力を隠し平凡に暮らしたいと暗に言っておったように思う。
そんな氷咲くんに、刹那くんを当てるということは、それは戦いになるじゃろう。
それはまずい。
未だ氷咲くんの実力が未知数な以上、最悪な結果が呼び起こされてしまうかも知れない。
わしは説得した。
関わるな、と。
じゃが刹那くんの意思は頑なじゃった。
それに彼女は先ほどの顛末を見ておるのじゃ。
それはつまり、氷咲くんの顔を知っているということに他ならない。
強く言い聞かせても、行動を起こすことは明白じゃった。
わしは頭を悩ませた。
そして決断した。
それは刹那くんに事情を話すことにより行動を促せ、氷咲くんの心の内部を測ろうという賭けじゃった。
これには多大な危険が伴う。
それについては高畑くんに任せよう。
高畑くんも忙しい身の上じゃが、刹那くんに危害が及ばぬよう監視して貰うのじゃ。
苦肉の策じゃった。
高畑くんがおるため危険はないじゃろうしのう。
そしてあわよくばと、期待をしているわしがおった。
刹那くんは人外であると言うことに苦悩し、周りの人間から距離をとっておる。
いままで、その苦悩を解消できるものはいなかった。
それを氷咲くんが良い方向に向けてくれたら。
自分でもなぜ、先ほど知ったばかりの氷咲くんを高く買っておるのかはわからん。
じゃが、彼には人を惹きつけるなにかがあるように思えるのじゃ。
エヴァしかりわししかり、高畑くんしかりのう。
刹那くんの、暗闇に浮かぶ一筋の光のようになってくれたら。
意を決して素性を話した。
刹那くんが去ったあと、即座に高畑くんに連絡した。
高畑くんの顔が茜に染められ、普段以上に凛々しく思えた。
高畑くんがことの顛末を話し出した。
初めに不思議なことが起こった。
高畑くんが刹那くんを尾行し、刹那くんが氷咲くんを尾行するまでは理解できた。
じゃが、氷咲くんはネギくんたちを何らかの理由から尾行しており、ネギくんたちは茶々丸くんを尾行していたという。
氷咲くんの類い稀なる戦略に、翻弄されているのではないかと思えましたよ。
そう、高畑くんが苦笑しながら呟いた。
古ぼけた広場で、茶々丸くんとネギくんたちが戦い始めたそうじゃ。
氷咲くんが物陰に隠れたのを意味深に感じ、高畑くんは気取られぬよう遠めから注視した。
そこで氷咲くんの実力の一端を目にすることになったのじゃ。
氷咲くんは唐突に変身した。
黒いローブを羽織り、万年筆を特大の鎌に変化させ、身体中から紫色の魔力の波動を放った。
そして上空へと、視認できるのがやっとの速度で浮上して消えてしまった。
じゃが新な事実が浮かび上がった。
微かに魔力量が増えており、彼は自在に魔力量を増減できることがわかった。
わしは冷たいものが背筋を走ることとなった。
まだ首許にヒンヤリとした万年筆の冷たさが残っておる。
やはりあの万年筆には、殺傷能力があったのじゃな。
危ないところじゃった。
高畑くんは氷咲くんの行動パターンから、尾行が気取られていた場合を想定し、次は奇襲だと判断し戦闘態勢を取った。
じゃが、それは違った。
氷咲くんは窮地の茶々丸くんを助けたのじゃ。
なぜ敵対しているはずの茶々丸くんをと不思議に思ったが、高畑くんは自らの勘違いぶりに苦笑した。
刹那くんも同様に行動しておったようじゃ。
じゃが、それは氷咲くんの類い稀なる戦略だったのだと、高畑くんは言った。
上空で茶々丸くんと話しておった氷咲くんは、唐突に刹那くんの背後に転移し武器を奪い取ったのじゃ。
尾行を知らぬふりをして、勘違いを誘導し、相手の思考を操る。
一瞬の隙をつき相手を無力化するその様は、まるで悪魔の如き所業であった。
対峙する二人に再起動した高畑くんは、危険だと判断し介入しようとした。
じゃが、雰囲気がおかしいことに気づいた。
氷咲くんの背中に、優しさが溢れているよう感じた。
声は聞こえないが、なにか必死にさとそうとしているように感じたのじゃ。
躊躇していると、騒動は終わりを告げた。
なんと刹那くんがすっきりした顔で、氷咲くんに頭を下げたという。
高畑くんは驚きながらも、頃合いだと姿を現そうとした。
どんな言葉をかけたかはわからない。
刹那くんにあの表情をさせてくれた氷咲くんに、お礼を言いたかったのじゃ。
じゃがそれは叶わなかった。
僕は嫌われているのかも知れませんね。
高畑くんが苦笑した。
その瞬間、氷咲くんの姿は掻き消えてしまったのじゃ。
紫色の魔力の波動だけを、その場に残して。
走り去ろうとする刹那くんを止めて、話を聞いた。
その顛末には驚きを覚えたという。
氷咲くんの行動全ては、桜咲刹那という少女の危うい心をさとすためだったのじゃ。
自ら悪役を買って出て、守るということの本当の意味を教えたという。
それが本当ならば、なんという良い子なんじゃ。
わしは感嘆の息を漏らした。
そして高畑くんの口から、それを裏付ける言葉が飛び出した。
「僕はその話を信用できると思いました。
値する情報を目にしていましたから。
なぜなら、氷咲くんの身体中から立ち上る紫色の魔力の波動は…「魔族」のものでしたから」
「な、なに!」
驚愕した。
小林氷咲という心優しき生徒が魔族じゃと。
高畑くんが、真剣な顔で頷いた。
「これで氷咲くんが実力を執拗に隠したがる理由も、刹那くんに身を持ってさとした理由も理解できました。
同じように悩んでいるだろう刹那くんに、昔の自分を重ね合わせたんでしょう」
なんということじゃ…。
氷咲くんは、自らの本質に苦悩したじゃろう。
もしかしたら魔族ゆえ、命を狙われることもあったかも知れない。
人間たちを、途方もなく怨んだじゃろう。
じゃが彼は希望を捨てなかったのじゃ。
人々を恨むという、不毛なことを止めたのじゃ。
それはどれほどの、労力を注ぎ込んだのじゃろうか。
並大抵の努力では、ないじゃろう。
「それでいて、人々と平凡に働く夢を追い求めるとはのう…」
氷咲くんの愉悦の笑みが浮かび上がった。
じゃがそれは、深い悲しみを孕んでいるように思えた。
高畑くんが、やり切れないという表情で煙草を吹かした。
氷咲くんは自らの苦悩を割り切り、一般的な幸せを求めた。
刹那くんの苦悩を察知し、助言する心優しき生徒。
そんな彼を、わしたちは危険視し監視してしまった。
それは平凡とは無縁の、心休まらない世界じゃ。
長く長い沈黙の後、わしは強く言った。
「高畑くん、わしはこのことを隠蔽しようと思う。
小林氷咲という少年が例え魔族であったとしても、わしの愛すべき生徒には変わりないからのう」
高畑くんが、一度煙りを吐き出してから笑った。
「学園長ならそう言ってくれると思っていました。
僕も同感です。
氷咲くんは、僕の生徒でもありますから」
顔を見合わせて笑った。
こんなに気持ち良く笑ったのは久方ぶりじゃった。
窓の外に、一羽のカラスが羽ばたいていくのが見えた。
その羽は傷つき、それでもなお大空を翔けることを止めない。
「その雄々しさは、さながら氷咲くんのように気高いのう」
「ええ」
高畑くんが、感慨深げに相槌を打った。
—四の思惑が交錯する中心—
今日は良いことがあった。
早朝、茶々丸さんから交換日記と思わしき文を貰ったのだ。
意気揚々と学園のトイレに篭り、その「果たし状」と書かれた包みを開ける。
そこにはたった一文だけ、書かれていた。
「今宵、魔力を辿ってこい」
それにしても茶々丸さんは古式ゆかしいお方だなぁ。
「果たし状」は「交換日記」と言うのが恥ずかしいためだろうと考えられた。
それは、茶々丸さんの俺を見る目が輝いていることから容易に理解できる。
たった一文だけと言うことからも理解できた。
俺は魔力など辿れないし、これは茶々丸さんの一風したネタの掴みかなにかだろう。
ハハッ、面白い人だなぁ。
明日にでもお返しを持って行こう。
その話は置いといて、窓の外には夜の帳が広がっていた。
俺は自室にて、死神スタイルで練習に励んでいた。
茶々丸さんに褒められて有頂天になっていたが、興奮が納まると気づいた。
はっきり言って、こんな非科学的な事態は御免被りたいと言うことである。
しかし、忌ま忌ましくも肩に居座る死神が、いつ勝手に変身をさせるかわからないのだ。
ならば、広場での二の舞にならぬよう練習するのが自明の利であろう。
日頃の練習により、あることがわかった。
鎌はやはり右手から離れないことと、万年筆を天にかざし、「変身」と念じることにより姿を変えると言うことだ。
元に戻りたいときは、「解除」などと念じれば良い。
それに身体能力が少しだけ上昇しているように感じた。
本当に、微かではあるが。
そして俺は馬鹿笑いしていた。
「ハッハッハッハッ!
なんだこれは!」
水を飲もうと蛇口を捻ったときであった。
右手で捻ったため鎌の刃先が水に触れたのだ。
すると、どういうことであろうか。
触れた先から、水が消失していくのだ。
唖然としてから、今度はコンロの火に近づけてみた。
なんと火までも、消失させてしまった。
意味が、わからない。
いや、この鎌はそういう仕様なのだと、泣く泣く納得しよう。
というか、というかである。
この頃、殊更一般人からかけ離れて行ってしまっているような気がするのだ。
草食系男子だと言うのにも関わらずである。
ハハ、もう笑うしかねぇよ。
「ハッハッハッハッ!」
意味もなく火を点けて消すを繰り返した。
死神が満足げに笑った。
「ハッハッハッハッ!」
「ケケケケケ」
「ハッハッハッハッ!」
「ケケケケケ」
「ハッハッ…泣きたい」
「ケケケケケ」
そのときであった。
意味不明な寒気が、身体中を駆け巡ったのである。
身震いして、テーブルに置いてあった牛乳は、落とさない。
三度も、同じことをしてたまるかという意地であった。
しかし棚からドライヤーが落ちてきて頭に鈍痛が響いた。
「おう!」
その拍子で牛乳をこぼす。
床は一面、さながらシュプールである。
「な、なんなんだこの連続的なハプニングは…。
感じる…感じるぞ…!
これから何かが…確実に起こる…!」
すると寮内放送がかかり、唐突にも電気が消えた。
「うおー!怖ぇー!
あっ、蝋燭買い忘れたー!」
次の表裏で第一章終了となります。