幕間その壱は、その弐に続きます。
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四の思惑が交錯する中心——幕間その壱
—エヴァンジェリンside—
早朝の風が肌寒い。
鬱蒼と生い茂る木々の間を抜けるように歩く。
空からの日差しが煩わしい。
私は茶々丸を伴って、麻帆良に拡がる森を散歩していた。
昨夜考えさせられる映像を見てしまったためか、早く目が覚めてしまったのだ。
小鳥の囀りを聞きながら、思考に没頭する。
それはこれからの立ち位置のことだった。
いままで私は、小林氷咲と言う生意気な餓鬼に、一種のお遊び感覚で世間を教えてやろうと思っていた。
しかし奴が魔の類と知り、それらの苦悩を私に知って貰いたいのだと理解したとき、ある感情が芽生えた。
それは同族故の、馴れ合いかも知れない。
それは同族故の、傷の舐めあいなのかも知れない。
しかし明確に思えたのだ。
奴を受け止めてやらねばと、そう思えたのだ。
それは、一種の親心のような感情からかも知れない。
自らが魔の類だとわかったとき、苦悩したはずだ。
人間たちに紛れようとすればするほど、それは自らの重荷になっていくだろう。
なに不自由無く暮らす人間を怨んだだろう。
それは性格など容易くねじ曲がるほどの苦悩。
小林氷咲の性格の破綻ぶりが、いまは可愛くさえ思えた。
いっそ私のように誇りと割り切ればいいが、そんな簡単に割り切れるはずがない。
苦悩に苦悩を重ね、苦悩に押し潰されそうになっただろう。
しかし小林氷咲と言う男は、さして赤子と変わらぬ齢で激しい苦悩を跳ね返した。
割り切ったのだ。
それは人間たちと平凡に働くと言う夢が物語っていた。
素直に驚嘆に値する。
そんな儚き夢を、壊すようなことができようか。
いや、結果的に私は壊してしまった。
じじいからの任を請け負ってしまった。
監視と言う、小林氷咲が一番嫌いであろう任を。
罪悪感はある。
私が話さなければじじいに目をつけられることもなかっただろう。
じじいの執拗さは、見事と言ってもいい。
小林氷咲はじじいから監視されつづけるだろう。
それは平凡とは無縁の世界であろう。
結果的に私は、奴の夢を打ち砕いてしまったのだ。
しかし私にとって呪いを解くことが最優先だったのだ。
それにここまで大事になるとも思っていなかった。
初めから小林氷咲が、私に接触を持とうとしなければ良かったと言う考えが過ぎった。
しかしそれは違う。
奴は私の力量を信頼していたのだろう。
私ならば苦悩が理解でき、心のよりどころになってくれるはずだと。
普段の私なら、軟弱者だと一笑に伏しただろう。
しかしここまで信頼され、親心のような情が移ってしまってはもう遅い。
黙ったままだった茶々丸が言った。
「マスターは小林氷咲様と戦うおつもりですか?」
「戦う、気はない」
首を振った。
答えは出ない。
どうすれば、小林氷咲の平穏を取り戻してやれるだろうか。
そんな折のことだった。
一人の少女が現れたのは。
—桜咲刹那side—
早朝。
体力作りのため、森の中を走っていた。
深緑の匂いが心地好い。
ふと脳裏に、小林さんの姿が浮かんだ。
大きい。
なんて器量の大きい人だろうか。
彼に並ぶほどの、器量を持ち得たい。
疑問があった。
小林さんはどうして私などに優しく接してくれたのだろう。
人間と鳥族のハーフである、禁忌に。
知らなかったからだろう。
小林さんの優しさは、人間である私、への優しさなのだろう。
禁忌だと知ったとき、小林さんはなんと言うだろうか。
罵声を浴びせられるように思えた。
怖く、感じた。
それが途方もなく怖く感じたのだ。
反面、小林さんならばそれを知ってなお、普通に接してくれるのではないか。
小林さんほどの強者だ。
私が禁忌だと気づいた上で、優しく接してくれたのではないだろうか。
そんな甘い希望が、微かに浮かび上がった。
慌てて首を振った。
これは、絶対に知られてはならないことだから。
前方の木々の間に、人影が見えた。
エヴァンジェリンさんと絡繰茶々丸さんだった。
素通りしようとしたが、私は話しかけた。
小林さんと戦ったことのあるエヴァンジェリンさんなら、小林さんのことをなにか知っているのではないかと思えたからだ。
「エヴァンジェリンさんに絡繰茶々丸さん、おはようございます」
「ぬ?
桜咲刹那か、こんな朝からどうした?」
「桜咲刹那さん、おはようございます」
絡繰茶々丸さんが一礼した。
エヴァンジェリンさんが不思議そうに言った。
意を決して言った。
「お聞きしたいことがありまして」
昨日の騒動をこと細かに話した。
話す言葉に力が帯びていった。
エヴァンジェリンさんは黙って聞いていた。
そしてどこか儚げな笑みを浮かべて口を開いた。
「小林氷咲は、優しいな」
「はい。優しいお方です」
「違う。
そう言うことじゃない」
首を傾げた。
「奴はお前が、桜咲刹那、だからこそそう言ったんだ」
独りでに口が開いた。
「ど、どういうことですか…?」
「お前なら大丈夫、か。
だが一応言っておく。これは他言無用だ。
話した場合は…わかるな?」
真剣な目で頷いた。
エヴァンジェリンさんが周囲に目を懲らした。
私の耳に口許を近づけて言った。
「奴はお前が鳥族のハーフだと気づいていた。
だからこそ優しくしたんだ」
辺りの空気が止まったように感じた。
小林さんが知っていた。
それでいて私に。
「な、ならばどうして!」
「声を落とせ」
「すいません…」
黙って言葉を待つ。
心臓が脈打つ音が鼓膜に響いた。
エヴァンジェリンさんが、静かに言った。
「生まれつきなのか、無理矢理されたのかは知らん。
だがなこれだけは言える。
小林氷咲と言う男は…魔の類であると」
自分の耳を疑った。
信じられかった。
しかしエヴァンジェリンさんが意味のなさない嘘をつくとは思えない。
「小林氷咲も人外であることに悩んだだろう。
だが奴は割り切った。
未だにそれに悩むお前が見てられなかったんだろう。
鳥族よりも忌み嫌われ、偽善者どもから執拗に命を狙われるであろう、魔の類の小林氷咲がだ。
それは余りにも…優しすぎるだろ」
エヴァンジェリンさんが感慨深げに呟いた。
なんと言うことだ。
小林さんは知っていたのだ。
私が人間と鳥族のハーフであることを。
それに、想い悩んでいると。
だから小林さんは優しく接してくれたのだ。
魔の類である自らの苦悩を差し置いて、この私を。
違う、はずだ。
私は過去を捨てきれずにいる。
小林さんは捨てさったどころか、他人の心配までしている。
格が違う。
なんて私は愚かなのだろうか。
小さき小娘なのだろうか。
しかし未だに私は過去を捨てられそうにはない。
木乃香お嬢様に全てを打ち明けられる勇気がない。
小林さんのように、強くなれそうもない。
だが、心が暖かくなったように感じた。
私は一人ではない。
禁忌だと知ってなお、心配してくれる人が何人かいるのだ。
小林さんに学園長に高畑先生、他にも数人いる。
しかし、小林さんはどうだろうか。
自らの本質を打ち明けられる者はいるのだろうか。
わからない。
わからないが、強く思う。
小林氷咲と言う男性が、私を信じ優しく接してくれたように。
私、桜咲刹那は、彼が魔の類だと迫害を受けることがあれば、それをこの夕凪にて打ち払うと。
いや私如きが助けになれるとは思わないが、傍にいて信じることくらいはできる。
頭を下げた。
「エヴァンジェリンさんありがとうございます。
それでは失礼します」
エヴァンジェリンさんの楽しげな笑みを最後に、私は走り出した。
「ほう…小林氷咲は、その背中だけで一人の少女の凍てついた心を溶かす…か」
強くならなければならない。
もっと強く。
その恩義に、報いるために。
その優しさに、答えるためにも。
—エヴァンジェリンside—
桜咲刹那と会話し、私は家に戻ると朝食を食べていた。
トーストをかじりながら、呟いた。
「それにしても優しい奴だ」
あの桜咲刹那の心をああまで救ってみせるとは。
小林氷咲という男は自らの苦悩を押し殺してまで、同類の少女の苦悩を優先するか。
やはり私が認めた男、か。
気高いじゃないか。
そう思っていると、いままでの悩みを払拭する光明が浮かび上がった。
私は小林氷咲の平穏を乱してしまったことを悩んでいた。
前の生活に戻してやるにはどうすればいいのか、と。
発想を逆転すればいい。
前の生活には戻れないが、前の生活のように暮らさせてやるのだ。
私の力を背景に。
そう奴を保護すればいいのだ。
そうだ。
それでいい。
じじいだろうが、なんだろうが一切口は出させない。
私が、私の力を持って、小林氷咲を支援してやろう。
気持ち良く笑った。
「茶々丸、私は小林氷咲を保護するぞ。
全ての災厄から守り、奴の夢を叶えさせる。
協力してくれるな」
「はい。
それはつまり家族にする、ということですか?」
茶々丸が紅茶をカップに注ぎながら言った。
「有り体に言えばそうだ」
「それでは…お兄様などと呼んでも良いのですか?」
お兄様…?
なにやら茶々丸の様子がおかしい。
まあ小林氷咲の方が後輩なのだが、茶々丸がそうしたいなら良いだろう。
「構わん」
「ですが私はガイノイドです」
「小林氷咲も種の違いという苦悩を知る者だ。
そんなこと気にも留めんよ」
茶々丸は少し黙ったあと言った。
「では全力を挙げてサポートさせていただきます」
だが小林氷咲に拒まれる可能性がある。
奴はこれまで一人で生き抜いてきたのだからな。
その上性格は不器用であまのじゃくと言えよう。
己の希望とは反対に、拒む可能性は多いにある。
ならば無理矢理だ。
無理矢理にでも、奴を保護する。
私は時間をかけて、果たし状を作成した。
「茶々丸、これを停電の日の朝にでも小林氷咲に渡しておけ」
「はい。了解しました」
私は笑った。
これでいい。
小林氷咲という男の平穏は私が守ってやろう。
それを拒むなら、完全な力で持って屈服させてやる。
「さあ小林氷咲。どうでる?
私はしつこいぞ。
欲しいと思ったものは全て手に入れる。
例外はなしだ」