第10話−激突
サカズキ中将VSアスラ大尉。
とはいえ、同じ海兵同士。互いに本気でやりあって怪我をした所で喜ぶのは反世界政府組織か海賊達だけだ。
それに加えて、確かにアスラが強いとはいえ、中将と大尉では(少なくともこの世界では)実力に差がありすぎる。サカズキ中将が自然系悪魔の実の能力者に対して、アスラ大尉は超人系悪魔の実の能力者という差もある。
別に超人系が弱いという訳ではない。
ただ、矢張り耐久力という面とか攻撃の無効化という面では矢張り自然系の方が強いだけの話だ。
なので、今回の試合はアスラがサカズキ中将にまともに一撃を与えるまで、という事になっている。
何とも中途半端というか、不完全燃焼っぽいが、覇気やらフルに使って、互いが本気でやったら、島も当人達も、えらい事になるのが分かってるので、さすがに誰も何も言わない。
そうして、互いが距離を置いて……試合は始まった。
如何に本気ではない、というか広範囲へ影響を与えるような攻撃は考慮するとはいえ、この2人の戦闘は近くで見てると冗談抜きで命の危険に晒されるので、海兵らは全員軍艦に戻り、試合開始は軍艦の大砲による空砲だ。
どろり、と。
試合開始直後に、双方の体が一部崩れる、或いは体から液体が噴出す。
ごぼごぼと煮え滾る溶岩が。
銀色に輝く液体金属が。
或いは片腕を灼熱に輝かせ、或いはその光背に巨大な九本の尾を生み出す。
更にアスラは自らの両腕を銀で包まれた大きめの鉤爪のような手で包み込む。
これが命がけの試合ならば、互いの隙を窺い、駆け引きを繰り広げる所だが、これは試合だ。どちらともなく、無造作に踏み込み、互いの拳が激突した。
さて、水銀の沸点は摂氏356.73度である。
一方これに対して、マグマの温度はおおよそ800度から1200度程度。
結果、ぶつかりあえばどういう事が起きるかというと。
ぶしゅううううううううう
双方の一撃がぶつかりあった瞬間、凄まじい白煙が上がった。
瞬時に沸騰した水銀が蒸発しているのだ。
もっとも、アスラとて自らの水銀がサカズキ中将のマグマと激突した時、こうなる事は理解していた。
だからこそ、両腕に事前に多めに水銀を纏わせておいたのだから。
熱した鉄板に水を垂らした時、少量ならば瞬時に蒸発して何も残らないが、蒸発する以上に大量に流し込めば蒸発よりも供給の方が上回るのと同じ理屈だ。
ゴムに斬撃、バラバラに打撃、雷にゴム、砂に液体というように悪魔の実それぞれには固有の弱点とでも言うべきものがある。それが何かはアスラ自身も色々と確認してきた。その結果、水銀が無効化出来ない弱点に相当するのは電気だと分かっている。これだけは金属の性質上、防ぎようがない。
とはいえ、高熱も余り相性はよろしくない。だが、蒸発以上の量をもってすれば、対抗可能だと思っていたのだ。だからこそ。
周囲には当然のように大量の白煙が巻き起こり……。
瞬間気付いて、血の気が引いた。
さて、水銀は猛毒だ。その事は理解出来ている。
だが、全ての水銀が同じように危険かというと少々違う。
例えば、ジメチル水銀は最も強力な神経毒であり、おまけに普通のゴム手袋なぞ貫通する。元の世界では、ラテックス手袋の上に数滴こぼしただけで、死に至ったという例がある程だ。
反面、金属水銀ならば、比較的吸収される事なく、飲んだとしても体の中を通過する事も、ある。無論程度問題であり、嘗て始皇帝は不死の妙薬として水銀を飲んでいた事が死に繋がったといわれる。
さて、何が言いたいかというと、水銀蒸気というのは極めて毒性が強い、という事だ。他の経路に比べ、蒸気は肺から容易に取り込まれ、その強い毒性は脳に障害を与え、最終的には死に至る。実際、奈良の大仏では、金の溶け込んだアマルガムを塗って、加熱により水銀を蒸散させるというメッキ方法だった為に職人に多数の水銀中毒による死者が出たと言われている。
そして、目の前では猛烈な勢いで、水銀が蒸発している。
「さ、サカズキ中将!少し待った!」
それ故に思わず、アスラは叫んでいた。
赤犬大将は余り好きなキャラではない、というのはあった。だが、今彼は漫画の登場人物などではなく、1人の人間として自らの前にいる。1年余り、自らの師としても悪魔の実の(流動性の物質を操る者同士として)使い方を教わってきた。
……嘗て漫画の中で好きじゃなかった、というだけで『こいつなら死んでもいいや』と思える程、アスラは人間を捨てていなかった。
だが。
返答はサカズキ中将の豪腕だった。
「中将!?」
「…………」
「中将!大事な事なんで「やかましいわ!」!?」
尚も叫ぼうとするアスラだったが、帰ってきたのはサカズキ中将の怒鳴り声だった。
「貴様、今は真剣に戦っている最中であろうが!その戦いの最中に『少し待って』なぞ何を考えておるかっ!」
「し、しかし……っ!?」
それでも、事が命に関わる事故に尚も言葉を続けようとしたアスラの口元に問答無用とばかりに煮え滾った豪腕が叩き込まれる。その一撃で顔の下半分から首の半ば以上が蒸発、吹き飛び、そして再生する。
それは、これ以上ベラベラと話すつもりはない、というサカズキ中将の意志表示でもあった。
おそらく、これ以上語った所で、サカズキ中将は耳を貸してはくれまい。
それどころか、これ以上下手に言えば、試合が終わった後も激怒して、話を聞いてくれない危険すらある。
それなりの付き合いがあるだけに、アスラにはそれが分かった。
だから。
無言で戦闘態勢へと再び戻る。
少しでも早く、試合にケリをつける。
だが、焦ってはならない。
相手は自分より格上の相手。そんな相手に焦れば、待っているのは確実な敗北、いやこの場合は、決着のつかないまま延々と続く現状、という所か。
戦闘は激化していた。
少々怒ったサカズキ中将、迅速に自らの全力でもって試合にケリをつけたいアスラ大尉。
双方の思惑の結果として、試合は覇気こそ使っていないものの、悪魔の実の能力をフル活用した激しいものになっていた。軍艦で見ていた海兵達は目前で先程まで自分達が訓練に使っていた島が地形を変えていくのを呆然とした様子で見詰めていた。
『九尾』の尾の1本がそれまでの狐の尻尾のようなふわり、とした見た目を瞬時に極薄の刃と変じて横に薙ぎ払う。
トン、と飛び上がったサカズキ中将の下を通り過ぎるそれが、森の木々を数十mに渡って切り払ってゆく。
空中に浮いたサカズキ中将へ何時の間にか上空へと伸ばされていた3本の尾からまるで雨のように銀の槍が降り注ぐ。
「火山弾!」
その声と共に肩口がまるで噴火口のように盛り上がり、そこから無数の灼熱の弾丸が吐き出され、槍ではなく、大元の尾を穴だらけにして、槍の勢いを削ぐ。
軽く言っているが、流れ弾となった火山弾の幾つかが或いは山を直撃して山肌を吹き飛ばし、或いは森に火事を引き起こし、しかし、火事は次の瞬間には雪崩のように襲い掛かった水銀に飲み込まれ消火される。かと思えば、その膨大な水銀は次の瞬間には伸びてきた尾へと分散して吸い込まれ、先程ズタズタにされた尾も一瞬で再生されてしまう。
この一連の攻防だけで、半径100m余りの空間はボロボロの、どこの月のクレーターだ、というような惨状を示している。
この光景を軍艦から見ていた海兵らはつくづく思った。
巻き込まれたら死ぬな
しかも、これでまだ、彼らの戦闘は互いに手加減中なのだ。
いや、アスラ大尉はどうか分からないが、少なくともサカズキ中将が本気を出したら、これを越える惨状が展開する事になる。
ちなみにアスラは水銀を切り離しての飛び道具とはしない。無論、理由は水銀の毒性を考えての事だ。現在の彼はまだ切り離した水銀のコントロールが出来ない、という事もある。
それが出来れば、大分戦闘の幅が広がるので、水銀の化合物の生成共々鍛錬中だ。
短時間ではあるが、当然水銀蒸気もふんだんに発生している。
それ故に、アスラは内心の焦りは次第に増幅しつつあった。
水銀の中毒は、その症状の幾つかは摂取さえ止まれば、改善の余地がある。だが、重度の被爆となれば最早手遅れだ。そして、単純な能力の衝突同士では、きりがない、そう思わせる状況にあった。
なら。
「む?」
サカズキ中将は疑念の声を上げた。
最初こそ何やらいきなり戦闘の中「ちょっと待った」などと言い出したアスラだったが、その後はその戦闘能力をフルに活用し、激闘を繰り広げている。
無論、サカズキからすれば、まだまだ改善の余地はあるが。
九本の尾から繰り出す連続攻撃を突如やめ、正面で構えを取ったからだ。
まだ距離は50mはある。
遠距離攻撃か?いや、それならこれまで同様九尾の応用技で十分な筈。あれこれと手を伸ばすよりは、少数に絞った幾つかの技を磨いた方がいい筈だ。自身の『大噴火』のように巨大な拳を飛ばすよりは『九尾』で十分。
これが本当の命をかけた勝負ならば、ここで追撃をかけるなりすべきだろうが、これは弟子の様子を見る試合だ。何かしよう、というならば黙って、成果を見てやろうではないか。
そう思い、腕組みをして待ち構える。
辺りは水銀の蒸気で濃い霧に包まれたような状況になっている。
『この蒸気の制御が可能になれば、これらで視界を遮り、当人だけ視界を確保するという事も可能かもしれんのう』
そう思った次の瞬間。
「白銀街道」
そう声が聞こえたと思った瞬間。
アスラはサカズキ中将の内懐に飛び込んできていた。
さすがに驚愕したサカズキ中将の目に先程までアスラが立っていた位置から自身へと真っ直ぐ伸びる銀の道が見える。
『そうか……目に見えん程薄く伸ばした水銀を一気に道として、そこを伝って移動したか』
おそらく先に見えていた体は人形。
この蒸気の霧が立ち込めていなければ、不自然さに気付いたであろう造形だったのかもしれないが、本体は自然系の如く薄く伸ばして少しずつ近づけていたのだろう。
自然系の破壊力すら上回る広域破壊能力を持つグラグラの実があるように、超人系にはこうした得意分野では自然系すら上回る部分がある。
そうして、ここまで飛び込まれれば。
「拳砲!」
空気を切り裂く瞬間さえ感じさせずに、アスラの正拳突きが放たれた。
そう、斬られた事さえ空気が感じなかったかのように、放たれ、サカズキに吸い込まれた後になって、空気が動いた。
毎日かかさず一万本。
日課と化した、ひたすらに努力によって積み上げた拳。
こればかりはサカズキとて、敵う気がしない。まともに喰らい、衝撃で吹き飛ぶ。まあ、ダメージは覇気は込められていないから、そう大した事はないが……いや、覇気なしで尚自身に衝撃を届かせる一撃、というのは桁が違う。
「ふむ……見事だ。よかろう、合格としよう」
そうして、この一撃で試合は終わった。
『白銀街道』は自身の切り札として、アスラが開発していた技だったが、まだまだ未完の技だった。
理由は単純で、発動に時間がかかりすぎる。
今回のように、視界が悪く、相手が待っていてくれないと決める事が出来ない。
水銀を相手まで伸ばすにしても、普通に伸ばせば一目瞭然だから、見えないぐらいに薄くしたら、ゆっくり伸ばすしか出来ない。
この辺りが最大の改善事項だ。
戦闘終結後、水銀中毒の危険をサカズキ中将に訴えたが、逆に拳を喰らった。
『そのぐらいで戦闘を中断しようとしたのかあ!』と。
だがまあ、水銀蒸気の中、あれだけ動いたのに、元気そうで良かったと少しほっとしたアスラであった。
………
「ぐ……」
部屋へ戻り、サカズキ中将はずしり、と体を椅子に沈めた。
ぐらり、と視線が揺らぐ。
成る程、これが水銀中毒の症状という奴か、と思い、しばらく休んでいると、次第に収まってくる。
アスラの中断要請を無視して、戦闘を続けた結果がこれだったが、それは自分の判断の結果。それに関して、アスラに文句を言うつもりも、後悔するつもりもない。
この症状がどの程度のものかは分からないが、マリンフォードへ帰還後、早々に検査してもらう必要があるだろう。
「……当面あいつの技を鍛えるのは、遠距離からじゃのう」
帰還前の大訓練(実際、アリスとの訓練で大怪我はしてないものの、あれこれと怪我を負った海兵は多い)だったから、海賊さえ遭遇しなければ、問題はないだろう。いや、大物に出くわさなければ、アスラだけでも十分か。
大分成長したものだ、とどこか息子のようにも思えるアスラの事を思い返し、かすかに笑みを口元に浮かべ、サカズキは取り出した酒を煽った。
サカズキ中将VSアスラ大尉。
とはいえ、同じ海兵同士。互いに本気でやりあって怪我をした所で喜ぶのは反世界政府組織か海賊達だけだ。
それに加えて、確かにアスラが強いとはいえ、中将と大尉では(少なくともこの世界では)実力に差がありすぎる。サカズキ中将が自然系悪魔の実の能力者に対して、アスラ大尉は超人系悪魔の実の能力者という差もある。
別に超人系が弱いという訳ではない。
ただ、矢張り耐久力という面とか攻撃の無効化という面では矢張り自然系の方が強いだけの話だ。
なので、今回の試合はアスラがサカズキ中将にまともに一撃を与えるまで、という事になっている。
何とも中途半端というか、不完全燃焼っぽいが、覇気やらフルに使って、互いが本気でやったら、島も当人達も、えらい事になるのが分かってるので、さすがに誰も何も言わない。
そうして、互いが距離を置いて……試合は始まった。
如何に本気ではない、というか広範囲へ影響を与えるような攻撃は考慮するとはいえ、この2人の戦闘は近くで見てると冗談抜きで命の危険に晒されるので、海兵らは全員軍艦に戻り、試合開始は軍艦の大砲による空砲だ。
どろり、と。
試合開始直後に、双方の体が一部崩れる、或いは体から液体が噴出す。
ごぼごぼと煮え滾る溶岩が。
銀色に輝く液体金属が。
或いは片腕を灼熱に輝かせ、或いはその光背に巨大な九本の尾を生み出す。
更にアスラは自らの両腕を銀で包まれた大きめの鉤爪のような手で包み込む。
これが命がけの試合ならば、互いの隙を窺い、駆け引きを繰り広げる所だが、これは試合だ。どちらともなく、無造作に踏み込み、互いの拳が激突した。
さて、水銀の沸点は摂氏356.73度である。
一方これに対して、マグマの温度はおおよそ800度から1200度程度。
結果、ぶつかりあえばどういう事が起きるかというと。
ぶしゅううううううううう
双方の一撃がぶつかりあった瞬間、凄まじい白煙が上がった。
瞬時に沸騰した水銀が蒸発しているのだ。
もっとも、アスラとて自らの水銀がサカズキ中将のマグマと激突した時、こうなる事は理解していた。
だからこそ、両腕に事前に多めに水銀を纏わせておいたのだから。
熱した鉄板に水を垂らした時、少量ならば瞬時に蒸発して何も残らないが、蒸発する以上に大量に流し込めば蒸発よりも供給の方が上回るのと同じ理屈だ。
ゴムに斬撃、バラバラに打撃、雷にゴム、砂に液体というように悪魔の実それぞれには固有の弱点とでも言うべきものがある。それが何かはアスラ自身も色々と確認してきた。その結果、水銀が無効化出来ない弱点に相当するのは電気だと分かっている。これだけは金属の性質上、防ぎようがない。
とはいえ、高熱も余り相性はよろしくない。だが、蒸発以上の量をもってすれば、対抗可能だと思っていたのだ。だからこそ。
周囲には当然のように大量の白煙が巻き起こり……。
瞬間気付いて、血の気が引いた。
さて、水銀は猛毒だ。その事は理解出来ている。
だが、全ての水銀が同じように危険かというと少々違う。
例えば、ジメチル水銀は最も強力な神経毒であり、おまけに普通のゴム手袋なぞ貫通する。元の世界では、ラテックス手袋の上に数滴こぼしただけで、死に至ったという例がある程だ。
反面、金属水銀ならば、比較的吸収される事なく、飲んだとしても体の中を通過する事も、ある。無論程度問題であり、嘗て始皇帝は不死の妙薬として水銀を飲んでいた事が死に繋がったといわれる。
さて、何が言いたいかというと、水銀蒸気というのは極めて毒性が強い、という事だ。他の経路に比べ、蒸気は肺から容易に取り込まれ、その強い毒性は脳に障害を与え、最終的には死に至る。実際、奈良の大仏では、金の溶け込んだアマルガムを塗って、加熱により水銀を蒸散させるというメッキ方法だった為に職人に多数の水銀中毒による死者が出たと言われている。
そして、目の前では猛烈な勢いで、水銀が蒸発している。
「さ、サカズキ中将!少し待った!」
それ故に思わず、アスラは叫んでいた。
赤犬大将は余り好きなキャラではない、というのはあった。だが、今彼は漫画の登場人物などではなく、1人の人間として自らの前にいる。1年余り、自らの師としても悪魔の実の(流動性の物質を操る者同士として)使い方を教わってきた。
……嘗て漫画の中で好きじゃなかった、というだけで『こいつなら死んでもいいや』と思える程、アスラは人間を捨てていなかった。
だが。
返答はサカズキ中将の豪腕だった。
「中将!?」
「…………」
「中将!大事な事なんで「やかましいわ!」!?」
尚も叫ぼうとするアスラだったが、帰ってきたのはサカズキ中将の怒鳴り声だった。
「貴様、今は真剣に戦っている最中であろうが!その戦いの最中に『少し待って』なぞ何を考えておるかっ!」
「し、しかし……っ!?」
それでも、事が命に関わる事故に尚も言葉を続けようとしたアスラの口元に問答無用とばかりに煮え滾った豪腕が叩き込まれる。その一撃で顔の下半分から首の半ば以上が蒸発、吹き飛び、そして再生する。
それは、これ以上ベラベラと話すつもりはない、というサカズキ中将の意志表示でもあった。
おそらく、これ以上語った所で、サカズキ中将は耳を貸してはくれまい。
それどころか、これ以上下手に言えば、試合が終わった後も激怒して、話を聞いてくれない危険すらある。
それなりの付き合いがあるだけに、アスラにはそれが分かった。
だから。
無言で戦闘態勢へと再び戻る。
少しでも早く、試合にケリをつける。
だが、焦ってはならない。
相手は自分より格上の相手。そんな相手に焦れば、待っているのは確実な敗北、いやこの場合は、決着のつかないまま延々と続く現状、という所か。
戦闘は激化していた。
少々怒ったサカズキ中将、迅速に自らの全力でもって試合にケリをつけたいアスラ大尉。
双方の思惑の結果として、試合は覇気こそ使っていないものの、悪魔の実の能力をフル活用した激しいものになっていた。軍艦で見ていた海兵達は目前で先程まで自分達が訓練に使っていた島が地形を変えていくのを呆然とした様子で見詰めていた。
『九尾』の尾の1本がそれまでの狐の尻尾のようなふわり、とした見た目を瞬時に極薄の刃と変じて横に薙ぎ払う。
トン、と飛び上がったサカズキ中将の下を通り過ぎるそれが、森の木々を数十mに渡って切り払ってゆく。
空中に浮いたサカズキ中将へ何時の間にか上空へと伸ばされていた3本の尾からまるで雨のように銀の槍が降り注ぐ。
「火山弾!」
その声と共に肩口がまるで噴火口のように盛り上がり、そこから無数の灼熱の弾丸が吐き出され、槍ではなく、大元の尾を穴だらけにして、槍の勢いを削ぐ。
軽く言っているが、流れ弾となった火山弾の幾つかが或いは山を直撃して山肌を吹き飛ばし、或いは森に火事を引き起こし、しかし、火事は次の瞬間には雪崩のように襲い掛かった水銀に飲み込まれ消火される。かと思えば、その膨大な水銀は次の瞬間には伸びてきた尾へと分散して吸い込まれ、先程ズタズタにされた尾も一瞬で再生されてしまう。
この一連の攻防だけで、半径100m余りの空間はボロボロの、どこの月のクレーターだ、というような惨状を示している。
この光景を軍艦から見ていた海兵らはつくづく思った。
巻き込まれたら死ぬな
しかも、これでまだ、彼らの戦闘は互いに手加減中なのだ。
いや、アスラ大尉はどうか分からないが、少なくともサカズキ中将が本気を出したら、これを越える惨状が展開する事になる。
ちなみにアスラは水銀を切り離しての飛び道具とはしない。無論、理由は水銀の毒性を考えての事だ。現在の彼はまだ切り離した水銀のコントロールが出来ない、という事もある。
それが出来れば、大分戦闘の幅が広がるので、水銀の化合物の生成共々鍛錬中だ。
短時間ではあるが、当然水銀蒸気もふんだんに発生している。
それ故に、アスラは内心の焦りは次第に増幅しつつあった。
水銀の中毒は、その症状の幾つかは摂取さえ止まれば、改善の余地がある。だが、重度の被爆となれば最早手遅れだ。そして、単純な能力の衝突同士では、きりがない、そう思わせる状況にあった。
なら。
「む?」
サカズキ中将は疑念の声を上げた。
最初こそ何やらいきなり戦闘の中「ちょっと待った」などと言い出したアスラだったが、その後はその戦闘能力をフルに活用し、激闘を繰り広げている。
無論、サカズキからすれば、まだまだ改善の余地はあるが。
九本の尾から繰り出す連続攻撃を突如やめ、正面で構えを取ったからだ。
まだ距離は50mはある。
遠距離攻撃か?いや、それならこれまで同様九尾の応用技で十分な筈。あれこれと手を伸ばすよりは、少数に絞った幾つかの技を磨いた方がいい筈だ。自身の『大噴火』のように巨大な拳を飛ばすよりは『九尾』で十分。
これが本当の命をかけた勝負ならば、ここで追撃をかけるなりすべきだろうが、これは弟子の様子を見る試合だ。何かしよう、というならば黙って、成果を見てやろうではないか。
そう思い、腕組みをして待ち構える。
辺りは水銀の蒸気で濃い霧に包まれたような状況になっている。
『この蒸気の制御が可能になれば、これらで視界を遮り、当人だけ視界を確保するという事も可能かもしれんのう』
そう思った次の瞬間。
「白銀街道」
そう声が聞こえたと思った瞬間。
アスラはサカズキ中将の内懐に飛び込んできていた。
さすがに驚愕したサカズキ中将の目に先程までアスラが立っていた位置から自身へと真っ直ぐ伸びる銀の道が見える。
『そうか……目に見えん程薄く伸ばした水銀を一気に道として、そこを伝って移動したか』
おそらく先に見えていた体は人形。
この蒸気の霧が立ち込めていなければ、不自然さに気付いたであろう造形だったのかもしれないが、本体は自然系の如く薄く伸ばして少しずつ近づけていたのだろう。
自然系の破壊力すら上回る広域破壊能力を持つグラグラの実があるように、超人系にはこうした得意分野では自然系すら上回る部分がある。
そうして、ここまで飛び込まれれば。
「拳砲!」
空気を切り裂く瞬間さえ感じさせずに、アスラの正拳突きが放たれた。
そう、斬られた事さえ空気が感じなかったかのように、放たれ、サカズキに吸い込まれた後になって、空気が動いた。
毎日かかさず一万本。
日課と化した、ひたすらに努力によって積み上げた拳。
こればかりはサカズキとて、敵う気がしない。まともに喰らい、衝撃で吹き飛ぶ。まあ、ダメージは覇気は込められていないから、そう大した事はないが……いや、覇気なしで尚自身に衝撃を届かせる一撃、というのは桁が違う。
「ふむ……見事だ。よかろう、合格としよう」
そうして、この一撃で試合は終わった。
『白銀街道』は自身の切り札として、アスラが開発していた技だったが、まだまだ未完の技だった。
理由は単純で、発動に時間がかかりすぎる。
今回のように、視界が悪く、相手が待っていてくれないと決める事が出来ない。
水銀を相手まで伸ばすにしても、普通に伸ばせば一目瞭然だから、見えないぐらいに薄くしたら、ゆっくり伸ばすしか出来ない。
この辺りが最大の改善事項だ。
戦闘終結後、水銀中毒の危険をサカズキ中将に訴えたが、逆に拳を喰らった。
『そのぐらいで戦闘を中断しようとしたのかあ!』と。
だがまあ、水銀蒸気の中、あれだけ動いたのに、元気そうで良かったと少しほっとしたアスラであった。
………
「ぐ……」
部屋へ戻り、サカズキ中将はずしり、と体を椅子に沈めた。
ぐらり、と視線が揺らぐ。
成る程、これが水銀中毒の症状という奴か、と思い、しばらく休んでいると、次第に収まってくる。
アスラの中断要請を無視して、戦闘を続けた結果がこれだったが、それは自分の判断の結果。それに関して、アスラに文句を言うつもりも、後悔するつもりもない。
この症状がどの程度のものかは分からないが、マリンフォードへ帰還後、早々に検査してもらう必要があるだろう。
「……当面あいつの技を鍛えるのは、遠距離からじゃのう」
帰還前の大訓練(実際、アリスとの訓練で大怪我はしてないものの、あれこれと怪我を負った海兵は多い)だったから、海賊さえ遭遇しなければ、問題はないだろう。いや、大物に出くわさなければ、アスラだけでも十分か。
大分成長したものだ、とどこか息子のようにも思えるアスラの事を思い返し、かすかに笑みを口元に浮かべ、サカズキは取り出した酒を煽った。