第五十六話:襲撃
時は少し巻き戻る。
日本、麻帆良。PM1:00
「……それは、どういう事じゃ?」
『あくまでも可能性、と言う事ですが、「封印の壺」が何者かによって盗まれたのです。これは、封じられている爵位級の悪魔が復活したと考えるのが妥当でしょう』
焦りを抑えながら、出来る限り冷静に話そうとしている事が分かる。それほど、焦燥感にかられているのだろう。
学園長と通話している相手──ドネットは、つい数刻前に危険物の点検と言う事で見周りをしていた。
ものがものだけに、昼間にやれば誰かに見つかる可能性が高い。これはネギの祖父が隠したがっているモノでもあり、同時に興味本位で入る事が禁じられている場所でもある。
だが、中には『誰かが中へと入っていた』という理由で入り込もうとする学生も居ない訳ではない。そう言った者達が居ない時間帯を選び、中を点検している。
ウェールズの魔法学校の地下へと運びこまれた『六年前に石にされた村人達』──簡単に言えば、ネギが住んでいた村の村人たちだ。
そして、同じく地下あって、尚且つ封じられていた壺。それが、いつの間にか紛失した。
『……迂闊でした。いつも通り調べてみれば、何者かの侵入した形跡があり……侵入を感知出来無かったどころか、盗られた事に気付いたのさえ数時間前ですので』
「そればかりは仕方が無いじゃろう。それだけの事が出来るなら、恐らくはあ奴も気付けんかったじゃろうしな」
近右衛門は小さくため息を零しながら、そう言う。
ネギの祖父は近右衛門と同レベルの実力者だが、其処までの相手となると、侵入されては自身も感知できるかどうかは怪しい。
しかも、その唯一気付けそうなネギの祖父は、EUの魔法協会代表達が集まる会合に出席しており、ここ数日席を外しているのだ。
『校長には連絡が取れない為、狙われる可能性があるネギ君、引いては麻帆良学園に警告を促して置くのが最善かと思いまして』
「じゃが、此処へ来るのも可能性の一つじゃろう?」
『ですが、六年前に召喚された際にはネギ君を狙っています。次が無いとは限らないのですよ?』
「しかしな……警備は一応厳重にするが、何か分かり次第また連絡をしとくれ」
何か続けようとした近右衛門だが、口を閉ざす。
来るかもわからないのでは、警備を厳重にしても仕方が無い。とはいえ、相手は爵位級。『可能性がある』というだけで警備のレベルを引き上げるには十分な相手なのだろう。
六年前に戦って殲滅したナギが規格外なだけであって、爵位級の悪魔は十分過ぎるほどに強いのだから。
無論、近右衛門はナギが殲滅したと言う事は知らないのだが。
『わかりました』
ドネットは短く返事をして通話を切り、近右衛門は机の上に置かれたお茶を飲む。
今日は高畑も居ない。気付いたのは数時間前で、見回りは一週間置き。
となれば、封印を解いて此処へ来るのに十分な時間があると言う事になる。
「……まぁ、大丈夫じゃろう」
いざとなれば、自身が出れば良い。近右衛門はそう考え、普段通りの執務を続ける。
●
PM7:00──麻帆良女子寮にて。
「……全く、何が今日は晴れだよ。思いっきり雨降ったじゃねぇか」
「そうだな」
千雨が苛立ちながら呟く。
帰り際から降り始めた雨は、今では雷も伴う激しいモノとなっている。
『
帰る途中で、多少とはいえ濡れた服を着たままでは気持ち悪かったのだろう。千雨は部屋に入るなり下着姿で髪を拭き、夕食を食べて今に至る。
夕食などを作っていた零だが、その瞳にはこの部屋の事など何も映っていなかった。
映っているのは、『
犬は現在一般人の所にいるし、悪魔の方はそちらを追っている様でもある。それに、恐らくは学園が動いているだろう。
八重が学園内部にいるのは、こういった時の為に学園をけしかける為なのだから。
千雨が部屋にある湯船を使って風呂に入っている間に、零は千雨の部屋の奥に用意している銃火器を点検する。使えなければ意味が無いのだから、当然と言えば当然。
弾丸を用意し、何時も着ている服の下に拳銃と弾倉を隠す。
少し裾の長いスカートならば太腿に銃を専用ベルトで固定しても怪しまれない為、中々に便利だ。
上着の内側にはナイフを仕込み、こちらにも弾倉を用意。敵が悪魔である以上、対悪魔用の洗礼済みの弾丸を準備しておく。
外で雨が降っていようと関係無い。最近の拳銃は泥水に三十分つけていても発砲は可能だ。雨に濡れた程度では支障はない。
風呂からあがって来た千雨は、その重装備の零を見て一言告げた。
「……おい。何でそんな物騒なモンを私の部屋に置いてるんだ」
「念の為だ。一応特別性の安全装置もあるし、私以外の人間が使おうとしても使えんよ」
ナイフはさておき、銃の安全装置は『
当然だが、零の一存で使える訳ではない。『
そして、既に安全装置は解除済み。
潤也が現状を把握している証でもあるし、これを使う許可が出る位に面倒な相手だと言う事も判断は可能だ。
「少々厄介な事になった。出来れば窓の無いビル内部に行って欲しいんだが……」
残念ながら、移動手段が無い。
潤也が居れば、『
それは、内部にちゃんと転移出来たかを確認する手段が無いと言う事でもあり、正確に転移しなければビルの壁の中に生き埋めにされる可能性さえある。
故に、レベルの低い能力者にやらせる訳にはいかないのだ。
(……いや、それよりも今は戦力の確保が優先か)
携帯を取り出し、直ぐ様龍宮へと連絡を入れる。
数コール後、携帯に出た龍宮は随分とのんびりした口調で返事をするのが聞こえた。
「その調子だと潤也から連絡は行って無いらしいな。龍宮、緊急事態だ。現時点を持ってお前を雇う。金なら後でアイツから請求しろ」
『緊急事態だと? 一体どういう事だ?』
電話の向こうから、龍宮の困惑した声が返ってくる。
零はそれに対し、焦った様子ものんびりした様子も見られず、機械的に会話を進めていく。
「どうもこうも無い。敵襲だよ、敵襲。学園の連中が今現在動いているかどうかは知らないが、少なくともこちらも戦力を整えておく必要がある。桜咲は?」
『刹那は今、部屋にはいない。それと、依頼の件は了承しよう』
「結構。敵は悪魔、恐らくは爵位級とそれよりも上の敵だ。油断すると簡単にやられるぞ」
それはまた厄介な、と舌打ちするのが聞こえた。
悪魔はそのランクによって爵位級等の名前を付けられる。強さで計られるのがほとんどだが、大抵は魔力量も多い為、それらで判断することも可能だ。
現在位置は特定している。既に学園側の魔法先生は既に学園長の指示で集められ、仕事の名目で集められた『グループ』も戦闘状態に入っている。
八重は上手く動いてくれたらしい。少ないながらも、戦力面では期待しようか、と零は思考する。
数だけで見れば圧倒的に魔法先生の数が多い。それだけなら単純な数の問題だが、魔力量や戦闘能力等の根本的な戦力的問題がある。楽観視はできない。
「少なくとも、爵位級が一体。それとスライムが三体、この女子寮にも入り込んでいる。迎撃に向かいたいが、こちらも護衛なのでな」
『なるほどな。移動するにしても、その移動中を狙われかねない、か』
「どの道、この狭い部屋の中では一緒だろうが、私一人では爵位級を相手取るには少しキツイ。手を貸せ」
『了解したよ。直ぐに準備をしてそっちへ向かう。刹那にも連絡を入れておこう』
「そうしてくれ。私は千雨を連れてアスナの所へ行く。一か所にいて貰った方守り易いしな」
横で会話を聞いている千雨は、事態の進み方が早過ぎて何が起こっているのか把握できていない。
それも構わず、ギターケースの様なものに銃火器を大量に入れて所持している零は千雨を連れて部屋を出た。そして、二人はそのままアスナ達の部屋へと足を運ぶ。
無理やり手を引く零に対し、千雨は困惑したまま疑問をぶつける。
「お、おい! 一体どうなってんだよ!?」
「悪いがのんびり説明している暇は無い。アスナの所に着いてから一緒に……」
歩みを止める。
いきなり止まった零に不信感を露わにする千雨だが、視線の先にアスナが居た事で理解した。
アスナはきょとんとした顔で急ぎ移動している二人を不思議そうにみていた、
「千雨ちゃん、零、そんなに急いでどうしたの?」
「神楽坂、無事だったみたいだな。なんか知らないけどいろいろと不味い事に──」
言い終わる前に、銃声が響く。
アスナが千雨に話しながら近づいてきた時に、スカートの中に仕込んでいた銃を使い、零がアスナへと躊躇無く発砲したのだ。
放たれた弾丸は都合ニ発。曲芸染みた速度で銃を抜き放ちつつ撃った零は、一度も目を離す事無くアスナを見る。
「チィッ!」
液状に変化した体で銃弾を避け、一歩で数メートル離れるアスナを模したナニカ。
追撃する様に銃を撃ち続ける零。動きを予測して撃っているが、敵が体を液状化させるので当たらないのだ。
同時に、辺りを確認しながら柱の陰に隠れる。何か遠距離攻撃の方法を持ってるとも限らない。『
「……何だよ、あれ……」
千雨が呆然とつぶやく。おかしなものを見て、それを現実だと認めたくないとでも言う様に。
「アレはスライムだな。人の姿を映せるのは少々厄介だ。見た目は本物と変わらんし、隠蔽能力も高い様だからな」
零が気付いたのは、単純にアスナが木乃香と共に部屋にいる事を確認しているからだ。
そもそも、スライム達の動きは『
「急いだ方が良さそうだ。あんなのが居たんじゃ何時攫われてもおかしくない」
歩き始めると同時に、携帯が鳴る。相手は龍宮。
直ぐ様携帯に出るが、警戒は解かない。
「何の用だ? 準備は出来たんだろうな?」
『ああ、準備は出来た。それと楓にも連絡をしておいたよ……後は悪い報告だ。どうにも、刹那が捕えられたようだ』
「何? アイツは神鳴流剣士だろう? どうやってやられた?」
『
『どうにも、近衛に化けられたらしい。いきなり困惑した声が聞こえてきたうえ、そのあと携帯が落ちる音がしてから声が聞こえなくなった』
「……それは、また……」
間抜けな、と続けようとして、アスナ達の部屋の前に着く。中の二人はまだ異常に気づいておらず、偽物と入れ替わっているわけでもない。
扉をノックしつつ、零は龍宮との会話を続ける。
『ともかく、私も急いでそっちへ向かう。学園長から今しがた連絡が来たが、断ったよ。君の方が先約だし、彼もいい値を払ってくれるだろうしね』
そもそも、こういう事態になる事を見越して潤也は龍宮と契約を結んでいる。
それを信用するなら、弾代に最先端技術で作られた銃さえも支給されるし、金額も相当な額が支払われる。学園よりもこちらを優先するのはある意味当然だろう。
「はーい、ちょっと待ってなー」
扉の向こうから木乃香の声が聞こえる。映像を見る限り、アスナも木乃香も無事の様だと一安心する零。
千雨の姿を見てチェーンロックを外し、零と千雨が中へ入った一歩目。
その瞬間、またしても零が何の予兆も無く窓ガラス上部へと発砲する。今度は一発、弾丸は寸分狂わず敵を狙い撃った。小さい悲鳴とともに外へと落ちていく小柄なスライム。
ガラスが割れる音と薬莢が落ちる音が聞こえる中、それらを無視して直ぐ様この部屋一帯の映像を自身の瞳に映し出す。
スライムの体は軟体。見た目を変える事など造作も無く、隙間をすり抜ける事も容易だ。
だから、死角をなくし、視覚で捉えるしか無い。背後から音も無く飲み込まれるのは避けたいところだ。
当然だが、それがわからない周囲の三人はいきなりの行動に驚愕を隠せない。
「い、いきなり撃つなっつーの! ビビっただろーがッ!」
「そ、そうよ! いきなり銃向けられて発砲されるってかなり怖いのよ!?」
ビックリした様子で千雨とアスナが零に問い詰める。木乃香は木乃香で驚いており、いろいろと聞きたそうにしているのだが、他人が此処まで取り乱しているのを見ると自身は落ち着くモノなのだろう。
深呼吸して落ち着き、木乃香が問いかけた。
「まず、状況から説明してくれへん? 零ちゃん」
●
「……で、その複数の悪魔がこの女子寮に入り込んでるって事か?」
「簡単に言えばな」
相変わらず警戒を怠らずに、零は銃を持ったまま説明をする。
千雨とアスナは巻き込まれた事に対し、かなり不満そうな表情を浮かべている。どういった理由で巻き込まれたかわからないが、この手のことで巻き込む可能性がある人物といえばかなり絞られるわけで。
ただ、アスナに関しては自分が原因の可能性に思い至って、小さく冷や汗をかいていた。
「せっちゃんが……」
木乃香は桜咲が捕えられたと言う事が驚きなのだろう。呆然として、小さく呟いている。
師匠兼護衛の鴉部隊、佐久間は先日から京都に報告と会議と言う事で戻っている。今から帰ってくるのは難しい。
「学園のいくつかの場所では魔法教師達が悪魔の迎撃に当たっている。腐っても爵位級。一体でも厄介だと言うのに、それなりに数が多い以上、倒しきる事は出来んだろうさ」
確認しただけで五体。内一体は女子寮に入り込んでおり、別の一体は男子寮へ。他の三体は魔法先生と戦闘している。
一体だけ格の違う奴もいるようだが、どの道真正面から戦闘しようとは思っていない。
「奴らの目的が何かも分からん。私達を襲ってきた以上、SMGを敵視していると言う可能性は高いだろう」
単純にいえば、千雨と零が襲われずにアスナと木乃香が襲われれば、可能性としては木乃香だけを狙ったと言う方が高い。
アスナの『価値』は、未だ外部に漏れている筈は無いのだから。
別の線として、ネギの関係者。映像を見る限り、大浴場からいきなり複数人が消えている。スライムも複数体居ると考えて良いだろう。
未だネギの方は襲われていないようだが、違和感は感じ取っている筈だ。魔法先生が軒並み寮におらず、魔力を感じている筈なのだから。
「最高戦力である垣根は現在イギリス。ほかのレベル5は動かないだろうし、どう見積もっても一時間程度はかかるだろうからな。それだけの時間は稼ぐ必要が……」
「待て……ちょっと待て……どう見積もったらイギリスから日本まで一時間で着くんだ?」
通常ならば、イギリスと日本を行き来しようとすれば十時間位かかるだろう。
だが、零の発言に驚かされる事になった。
「SMGには時速七千キロオーバーの超音速ステルス爆撃機──正式名称『HsB-02』があるからな。アイツなら領空侵犯を冒してでもそれに乗ってくるだろうさ」
千雨達三人は絶句した。
基本的に、飛行機とは音速に届かない程度で飛行する。
何故ならば、音速を超えると燃料の消費が著しく悪くなるからだ。それなら亜音速程度で燃費を良くして飛行した方がコスト面では有利となる。
しかし、超音速飛行時に生じる摩擦熱に対応するため、冷却材である液体酸素・液体窒素を機体全体に張り巡らせる事でその問題をクリア。
だが、それらは燃料としても使用するため、飛べば飛ぶほど冷却効果が減少するという不便な一面もある。
ちなみに言うと、音速の数倍を超えた速度で飛行すると言う事はそれだけ強力なGがかかると言う事になるのだが、潤也にそんな事はもちろん無関係である。
「……って言うか、SMGの社長さんが何でうちらを助けてくれるん?」
木乃香が疑問を持ち、零に質問する。
零は悩む素振りすら見せず、木乃香の問いに答えた。
「長谷川潤也と雨中護。この二人の事を気にかけているからな。加えて関西とも関係を構築中である以上、お前がいることも理由の一つだ」
「うちはまぁ、そういう理由ならわかるけど……潤也君と護君?」
何で? とでも言いたげな顔をしている木乃香。千雨とアスナは言って良いのかわからず、唯目線を交わすだけ。
わざわざイギリスから移動するほどの価値を見出している相手というのなら、それなり以上の理由が必要だが……木乃香はそれを深く考えず、「助けてくれるなら」と楽観的に考えている。
今までそういったことに無関係であった以上、木乃香にこの手の配慮を考えろというのも無体な話ではあろう。
「それについては後だ。事態の収束が先だろうからな」
割れた窓ガラスを見ながら、零はそう言う。能力者であると言う事は、潤也にとって出来る限り隠したい事なのだろうと分かっている。
龍宮が未だに来ない事を不審に思いながら、ドアの方へと目線を向ける。
そして──小さく、ノックの音がした。