第五十五話:国際会議
「朝だぞ、起きろ千雨」
零が声をかける。揺すりながらの声かけで起きた様で、千雨は眠そうに眼を擦る。
「ん……あれ、潤也の奴からはまだ電話あって無いけど、もうこんな時間か」
枕元の携帯で時刻を確認し、呟いた。
「潤也なら今頃イギリスだ。いろいろと厄介事になってるみたいだからな」
「……厄介事、ね」
未だ眠気から覚醒して無い頭を働かせつつ、顔を洗って朝食を取る。
準備を終え、部屋を出た所で、千雨は零に聞き忘れていたとばかりに向き直る。
「今日は雨降るのか? 何も言わなかったからついそのまま出てきたが」
「今日は晴れだ。雨が降る事は無いから、傘は要らん」
空を見れば、清々しい位に晴れきった青空が見えた。これなら確かに雨が降る事は無いだろう。
寮から出て、明るい日差しが降り注ぐ道を歩きつつ、千雨は零に愚痴をこぼした。
「全く、潤也の奴もどっか行くなら連絡位入れとけっつーの。寝坊する所だ、本当」
(……相変わらず、アイツからの連絡が無いと情緒不安定だな。苛立ってるだけなのだと思うが)
延々と続く愚痴を聞き流しながら、零はそんな事を思う。この二人が兄妹じゃなかったらどうなってたんだろうな、と若干の興味もあるが、結局出会ってたら大して変わらんだろうな、と判断した。
空いている席がある位の電車に乗り、まだ静かな通学路を通って、現状は静かな教室へと入る。
大抵みんな遅刻ギリギリに来るが、数名の生徒はこの一本早い時間帯にも既に来ている。例えば、四葉や超、葉加瀬は朝から『超包子』の新メニュー考案等をやっていたりするのだし。
時間が経ち、続々と集まり始める。
今日もまた、にぎやかで騒がしい、いつも通りの日常が幕を開けた。
●
AM 2:00
イギリス、ロンドンのとある場所。
其処には、EU諸国の魔法協会の代表が一堂に会し、とある会談に参加していた。
会議自体が始まったのは夕刻なので六、七時間ほど前なのだが、異常なまでに討論が長引き、現在は小休止。休憩時間となっている。
各魔法協会の代表者たちは、それぞれ寝ていたり資料を見ていたり、コーヒーを飲んでいたりとする中、一人だけ違う雰囲気を纏っている人物が居た。
垣根帝督だ。
目的はEU諸国の魔法協会に対し、独立している魔法組織がSMGに敵対した際の対処事項を決定すること。
最悪、科学サイドと魔法サイドで戦争になる事を鑑みれば、そう不思議な事でも無い。
コーヒーを飲みつつ、現在の話し合いの状況を頭の中で繰り返す。
まず、最初に会談を始める要素として垣根に要求されたのは『情報の開示』だ。
EU諸国に存在する独立した魔法組織。それらの中で、現状SMGと敵対関係にある組織について。
これはSMGが敵対している組織のリストアップしたものを用意すれば良かった為、それほど大した事でも無い。戦争を回避するためには必要な情報でもあるのだから、開示する事に異議は無い。
が、敵対と一口言っても程度が存在する。
睨み合いの状態から交戦状態の組織まで幅は広いし、そもそも交戦状態の組織は全てあちら側から仕掛けてきたものだ。徹底的に潰す事に問題は無い筈だった。
だが、魔法関係の事は魔法関係者が処理すべきだと言いだした者が居る。
その理論ではSMGはやられたらやり返すという事は出来ず、『やられたら最寄りの魔法協会にご相談ください』と言う事。
簡単に言えば、SMGの報復活動を止めさせようとする動き。それが各代表たちの間で話し合われていたらしい。無論、魔法協会の中にSMGを良く思っていない者達は多くいるから、ある意味当然の動き。
報復が報復を呼び、最終的に戦争になる。それを避けるには、各協会が組織を見張り抑えきる必要があるのだ。
手を出された後では意味が無い。科学と魔法が交差してしまえば、後は戦火が広がるだけだろう。
魔法協会とSMGは互いに不干渉。魔法関係者は魔法関係者が始末し、SMG関係者はSMG関係者が始末する。それを破れば戦争の可能性が出てきてしまうのだから、この条約は当然と言えよう。
この条約を結ぶ事で、一応ながら落ち着いた。もっとも、例外事項は存在するのだが。
次点で、議題に上がったのは『失踪事件』について。
犯人は魔法使いと断定できた。各国の魔法協会側でも裏が取れているのか、これについての反論は無し。
詳細は資料に纏め、全員に渡してある。
今年に入ってから少しずつ失踪者が増え、末端とはいえSMGの関係者が狙われているのだ。文句が無い筈が無い。
これはSMG、科学サイドに対する『敵対宣言』と取った上で徹底的に潰しきるつもりだったが、連合傘下の連中はそれが気に喰わないらしく、やはり始末は自分達に任せろと言って聞かない。
過度に干渉すれば戦争になる、と脅す様に言ってくる連合傘下の魔法協会代表者の言葉に対し、垣根が返した言葉は簡単な事だった。
「俺は別に構わない。だが、その際に戦場となるのは何処か。それを良く考える事だ」
先程の条約を考えるならば、確かにSMGは手出しが出来ない。しかし、この場合は『報復行為』ではなく『防衛行為』にあたる。
やられたからやり返すのではなく、やられるから反撃した。何もせずにやられるのを黙ってみていると言う事はしないし、それではSMGが衰退するだけの結果となる。
こうなれば、後はどちらが折れるかの根比べだ。
討論は平行線を行き、互いに一歩も引かぬまま時間だけが過ぎて行った。
その中で、口をはさんだ人物が居る。
ウェールズの魔法学校の校長──平たく言えば、ネギの祖父──が、静かに立ち上がって声を出した。
「互いに頭に血が上っている現状では、幾ら話し合ったところで無駄じゃろう。一旦休憩をはさみ、落ち着ける機会を設ける事を進言する」
老練の威圧感と共に告げられたその言葉を全員が了承し、現状に至る、という訳だ。
考察を終え、一息つく。
「……ふぅ。此処まで熱くなるとは思わなかった」
元々潤也はキレやすい一面がある。千雨や、最近ではアスナに何かあった際には余裕で沸点を突破する事もあるのだが、交渉の場に置いて此処まで熱くなるとは予想していなかった。
コーヒーを一口飲み、気持ちを落ち着ける。
(……まぁ、最終的に全世界の協会にも認めさせる必要がある。『魔女狩り』の歴史があるイギリスは、専門の対魔法使い機関もあるにはある。だからこそ、先にEUで地盤を固めた上で、アジアや欧米にも認めさせなければならない訳だが)
科学サイドと魔法サイドの話に関しては、EU諸国だけでなく、アジアや欧米、その他にも認めさせる必要性がある。
地盤を固める意味で、連合以外の組織の力が強いEU諸国を選んだのだ。
連合傘下の組織では、本国の一言であっという間に条約が破棄される可能性がある。それをさせない為に、連合傘下では無い魔法組織──例えば、ルーンやカバラ、錬金術やソロモン等の魔法を扱う組織を味方につけておく必要がある。
構図的に言えば、巨大な連合傘下と蜘蛛の巣の様に張り巡らされた横の繋がり。それにSMGを繋げるだけで良い。
一つ一つは小規模とはいえ、数が集まれば勢力図を少しずつ書き直す必要が出てくるだろう。
西洋魔法使いの一部は、他の魔法よりも優れているという意識だけではなく、他の魔法を貶めている節があるようだ。
その一部の評価が段々と『西洋魔法使い』で固まりつつある中、どれだけイメージダウンを防いだ上で敵対勢力を減らせるか。それが連合傘下の魔法組織にとっての課題だろう。
尤も、潤也はそんな事は知った事ではないし、不干渉さえ貫くようにすれば暗部を派手に動かす事も少なくなり、面倒事も起こらなくなる筈だ。
現状は大体思惑通りに事が進んでいる。後は、どれだけ予定外の事が起こるかだ。その度に修正していく必要がある為、気は抜けない。
(……取りあえず、今は寝るとしよう)
時差ボケで眠気がある為、欠伸を噛み殺しつつコーヒーを飲みほし、立ち上がって休憩室へと向かう。
●
PM 0:30
麻帆良、女子中等部の屋上。そこで昼食の弁当を食べているのはアスナと千雨、零の三人。
と言っても、零は食事の必要が無い為、何か食べている訳ではないのだが。
「……今頃、潤也は何してるんだろ」
空をぼーっと眺めながら、アスナが呟いた。手元の弁当は既に食べきっており、段々と暑くなり始めた時期ということもあってぬるい風が頬を撫でる。
「今はイギリスで会議中だな。今の時期はサマータイムがあって、時差が八時間差あるから真夜中の会議だな」
それに対し、零が律儀に返答する。屋上から辺りを見回し、特に何も無い事を確認してから、とある携帯に連絡を入れる。
数コールも鳴らないうちに、電話がつながった。
「こっちは異常無しだ」
『了解。こっちも特に異常は無いわ……って言うか、麻帆良で何かあったら魔法先生達が対処するでしょうに。社長も大抵心配性よね』
携帯から聞こえるのは一人の女性の声。彼女は暇そうな声で雑談を始める。
潤也の直轄部隊である『グループ』のリーダーだ。潤也本人が麻帆良から出ている間、彼女たちが護衛に回ることになっている。
ほかの業務もないではなかったが、血生臭い仕事よりは余程マシなので本人たちとしては文句もなかった。
「ここの連中を信用していないのだろうさ。右腕のアイツを除いて、基本的に魔法使いは信用していないだろうからな」
『でしょうね。そうでなければ、態々私達「グループ」を配備しようとはしないでしょうし』
「頼られて嬉しいか?」
『別に。私達暗部は基本的に社会の爪弾き者だし、罰せられるべき犯罪者だもの。私達が動くって事は大抵が殺しだし、やろうと思えば社長一人で全部なんとか出来るのよね』
面倒臭がってやらないだけで、と彼女は続け、零は小さく笑みを浮かべた。
「何でも出来る完璧超人。まぁ、そんな奴でも偶には何とも出来ない事があるさ」
『……何か知ってるような口ぶりね』
「いいや、私は何も知らないよ。単純な物理的問題だ。人は一か所にしかいられないからな」
世界の違う場所に、同時に現れるなんて事は誰にも出来ない。複数の場所で同時に何かが起これば、必ずどちらかを優先させる必要が出てくる。
ちらりと千雨とアスナを見て、思考する。
(アイツなら、どちらを先に助けようとするんだろうな)
有事の際、どちらかを助ける必要が出て来た時、どちらかを見捨てる必要が出て来た時、潤也はどちらを選ぶのか。
多少興味はあるが、そんな事は絶対と言って良い程に起こらないだろう、と思考を終える。
「まぁ、こういう時に限って何が起こるか分からない。今日は出張で高畑も居ないしな。何かが起こる可能性なんて十分にある。油断はしない事だ」
『言われなくても分かってるわよ、零』
「それは重畳。しっかり仕事しろよ、
薄く笑みを浮かべたまま、通話を終える。千雨たちは談笑しており、零の会話を聞いていた様子は無い。
「……さてはて、本当に、何が起こるか分からないものだな」
フェンスに背を預けたまま見上げれば、青い空の中に少しずつ、薄暗く黒い雲が集まり始めていた。
●
AM11:00
途中何度か休憩をはさみ、現在は会談の途中だ。
「──であるからして、足取りを追うには協会同士の密接な情報共有が必要なのです!」
発言しているのはドイツの魔法協会代表である男性。彼は魔法協会同士で情報を共有し合い、事件を追うべきだと言っている。
「……情報共有、ね」
確かに情報共有は大事なのだろうが、それだけでどうにか出来るなら、既に此処まで騒ぎになる事は無い。
仮にも世界最高峰の技術力を持つSMGの社員なのだ。多少な科学の情報を持っていると判断して攫っているのだろう。
だが、それだと仮定すると、少しばかり違和感を覚える。
例えば、攫われているのが末端という事。技術は確かに持っているのだろうが、明らかに本社の研究員に比べれば技術の高さは劣る。そんな事は、考えれば誰でも分かる。
だからこそ、解せない。
大して重要な情報を持つでもなく、幾らでも補充が効く下っ端の下っ端。そんな奴等を攫って、何の得がある?
本社の研究員はとある孤島に住んでいるが、何も絶対に外に出ない訳ではないし、攫うチャンスはある。
まぁ、そう言った先進技術を持った研究員は、例外無く体内に『
しかし、そんな事を敵が知っている筈が無い。態々危険を冒してSMGの下っ端を攫う理由は何か?
(……いや、待て。もし、もし
攫う事自体が目的で、対象はSMGの誰でも良かったとしたら?
SMGと敵対したうえで、関係者を狙う。何時までも逃げ切れるとは思わないだろう。なら、何故こんな事をするのか。それが分からない。
考え事をしていると、唐突に懐に入れていた携帯が鳴る。正確にはバイブレーションが、だが。
当然ながら、この会談に参加するにあたって、携帯はマナーモードにしておいた。バイブレーションすら鳴る筈は無い。
だが、物事には例外が存在する。例としては緊急事態等がそれに当たるだろう。
近くの椅子に座っている代表者達が顔をしかめるが、そんな事は気にせず、携帯を開いて操作する。
(……おい。おいおいおい、どういう事だこれは)
どうなってやがる、と毒づく。
直ぐ様携帯を操作して画像データを八重へと送信。麻帆良の魔法教師がどれだけの強さかは分からないが、高畑はおらず、恐らく学園長が動く事は無い。
『グループ』にも続けて連絡する。零に関しては既に情報が行っている筈だ。
そう言う風に作ったのだから、気付いていなければおかしい。
携帯を操作しつつ、立ち上がって部屋を出ようとする。この場にはもう一人──統括する立場であるCEOがいる。垣根の傀儡ではあるが、いないよりはマシだろう。最悪、この男一人いればSMG側としては立場は保てる。
「待ちたまえ! 何処へ行く気だ、垣根帝督!」
誰かが潤也の事を呼んだ。それに対し、潤也は首だけ振り返って言葉を返した。
「日本ですよ。残念ながら、相手側の動きが速かったようですからね」
手に持った携帯には、
●
PM6:00
「ネギ先生、何だか疲れた顔してたね」
「風邪かしらね。夏バテにはちょっと早いでしょうし……」
授業でも疲労の色を残していたネギを思い浮かべつつ、二人は歩く。
学園長の所に行ったら地図を渡され、其処へ言ったらドラゴンと再遭遇。紹介状と言われ学園長から渡された一枚の紙を見せると、おとなしく何処かへ飛んで行き、奥の扉を開けた先に、とある人物が居た。
そこにはネギの父親であるナギの戦友、アルビレオ・イマ(出会った際にクウネル・サンダースと呼ぶように強要している)が住んでいるのだが、彼が修行を付ける事になった。
修行自体もハードでありながら、授業もこなす必要がある為に疲労の色が濃いのだ。
まぁ、この二人はそんな事を知らない為、風邪だの遅めの五月病だのと言ってるのだが。
「……あら? 行き倒れよ、夏美」
「行き倒れ!?」
千鶴がふと視線を向けた先には、倒れて怪我をしている黒い犬が居た。
「あ、何だ……犬か……可哀想」
行き倒れ等というものだから村上は驚いていたようだが、それが犬だと知ると落ち着く。
傘を村上に預け、倒れている犬を抱き上げる千鶴。
「わっ、バッチくない? ちづ姉」
「大丈夫よ。それより、怪我してるわ、この子」
雨に濡れながらも、千鶴は犬の心配をする。犬は寝ているのか気絶しているのか、反応が無い。
黒い毛並みの犬で、前足に怪我をしている。千鶴はそれを放っておけないらしく、連れて帰る気満々の様だ。
こうなれば話は聞かないだろう、と付き合いの長い村上は察して、取りあえずこれ以上は濡れない様に傘で覆う。
「取りあえず、寮に連れて帰って治療しましょう」
犬を抱いたまま、二人は寮へと歩き始めた。