第一話
何時からだろうか。自分がだんだんと自分じゃないように感じるようになったのは。
いつものように母さんの作るおやつを食べていると思い出したのだ。思い出してしまったのだ。
自分が前世の記憶を持つ、いわゆる『転生者』であることに。
見たこともない光景、したことのない経験、あの子と歩いた帰り道、二人で進み始めた生活。
——そして、冷たくなっていく体。
俺は倒れた。持っていたフォークを床に落として、大きな音を立ててその体を投げ出したのだ。
聞こえる母の悲鳴。吠える愛犬の鳴き声。父の怒号。そして感じる違和感。
俺は両親に急いで病院へと連れて行かれた。父が、母が、俺を抱えて二人で空を猛スピードで飛んだのだ。
しかし診察の結果は異常無し。ただの立ちくらみということになった。
父さんたちはそれに納得しなかったが、俺が病院に居たくない、家に居たいと言うとそのまま家に帰ることができた。
子どもを演じて騙しているようで少し心が痛んだが仕方のないことだ。
……いや、病院が嫌いというのは本当か。
とにかく、俺はこうしてレイナ・ウィルタニアとして生まれ変わったことを自覚したのであった。
◆
で、どうやら俺が転生したこの世界は魔法があるらしい。
以前俺を病院へと連れて行く時に使ったアレも魔法だったみたいだ。ナチュラルに空飛んでたもんね……。
ただ俺が知っている魔法と比べると、どうにもパチモンクサいというか……どちらかというと超科学なんだよなぁ……。
普通は古ぼけた木の杖を使うところなのに、なんかメカメカしい『デバイス』っていうのを使っているし、
魔法も炎を出したり物を浮かせるというよりも、ビームとかそういうのを中心に使ってたり……。
うん。何処のガンダムですか? それにこういう時ってアニメの世界じゃないのかよ……ネギまだったら知ってるのに。
「レイナさーん。朝ご飯できましたよー?」
「あっ、はーい!」
自室にて一人悶々としていると下から母さんの声が聞こえた。
俺は思考を打ち切ると部屋を出て階段を降りリビングに入る。
「おはようお父さん、お母さん、ベイ」
「ああ、おはよう」
「はい、おはようございます」
「ワン!」
俺はこちらに飛びついて来ようとするゴールデンレトリバーをヒョイッと避けて、自分の席に着いた。
すると我が愛犬ベイは俺の足元で横になる。
「あらあら。最近のベイはレイナさんにベッタリねぇ」
そう言って微笑むのは俺の母さんのカナリア・ウィルタニア。
ウェーブのかかった金色の髪に綺麗な紅色の瞳を持つ女性。肌も白く若々しいからご近所でもかなり評判の自慢の母だ。
ただ少しおっとりとしていて、ちょっと親バカなところがあるのが玉に瑕。
そしてそんな彼女を見事伴侶とした男性——つまり我が父の名はガイ・ウィルタニア。
短くカットされた黒髪にガッシリとした体型のナイスガイ。
性格は……堅実って奴かな? 凄く渋い。でも怒ったら怖いと思う。そんなところ見たことないけど。
でも一睨みでもされたら相手はチビって失神するだろうなぁ……確実に。
何やらこうしてじっくりと考察すると一癖も二癖もある家族だな。
俺だって転生者というオチだし……。でもこの家族は嫌いじゃない。
「ベイ、ご飯だから離れてね」
「……クゥーン」
尻尾をプランと下げてスゴスゴと離れていく愛犬を見て俺は苦笑い。
後でうんと遊んでやろう。でもその前に母さんの朝ご飯が先だ。
「では、手を合わせて——」
『いただきます!』
何気にこの時間が楽しみだったりする。母さんは料理が好きなのか、いつも献立を変えてくれるので飽きない。
……まぁ、ここまで変える理由は何と無く分かるけど。
今日の朝ご飯はイチゴジャムで塗られたパンに、スクランブルエッグ、プチトマトちレタス。
先ずはこの場の主役であるパンを手に持ち思いっきり噛り付く。
そして広がるのはイチゴの甘酸っぱい味。なんとこのイチゴジャム、母さんの手作りなのだ。おかげで市販のは受け付けなくなってしまった。
この味を一秒でも楽しむためによく噛んで、さらに噛んで、そして噛む。焼かれたパンのカリッとした食感に、時折感じる柔らかい歯ごたえ。それが見事にイチゴジャムとマッチして、もう本当に最高だ。
最後にゴクリと食道を通って胃袋に入る。でも未だに感じる食の存在感。
俺は母さんの飯を食べる前は、飲み込んだらその分は食べ終わったって感じていたんだけど、それは既に見事打ち砕かされた。
だって胃がパンを消化しているのを……食べているのを感じるんだ。飲み込んでも食べているってはっきりと分かったね。知識としては知ってたけど、実際に感じるのとはまた違うわ。
このままパンを食べているのを実感したいけど、目の前にはまだ手につけたいのがある。彼らを放っておくのは、母さんにも彼らにも、俺の糧となったパンにも失礼だ。
スプーンを手に持ちスクランブルエッグを一掬いする。卵独特の香りに加えて砂糖の甘い匂いも感じる。
それを一口食べる。
……俺は昔卵焼きには砂糖を入れない派だったんだよなぁ。甘すぎたり甘さを感じなかったりするから。
でも母さんのは程よい甘さの中に、確かな卵の味があって美味しい。
でも母さんのスクランブルエッグはここからだ。
特性ケチャップをかけてスクランブルエッグをレタスで巻く。その状態でかじると——美味い。
ケチャップと卵の相性の良さはもはや語るまでもない。そこにシャキシャキとしたレタスを合わせることで、濃厚な味にレタスの水っぽさがさらに味を次の段階へと昇華させる。
うん、美味しい。
俺はプチトマトを口に含んで満足気に頷く。これも味が良くて好きだ。
というか、我が家に出てくる食材は全て新鮮というか美味しすぎるというか……まぁ美味いから良いか。
「ガイさん、今日も帰りは遅くなってしまいますの?」
「ああ」
プチトマトをさらに一つ口に入れて、俺は父さんと母さんのやり取りを見る。
これだけを見ると普通の夫婦のそれだ。なんらおかしいことはない。
…………ない、のだが……。
「確か今日の任務は『Sランク犯罪者魔導師軍団“ソレスタルビーング”の支部拠点の殲滅』
『第一級ロストロギアの封印』、『辺境の地にいる黒龍数百体の討伐』でしたよね?」
「………………………………………………ああ」
うん。もう訳分かんねえな。
黒龍とか犯罪者とかもうね、意味の分からない俺もヤバいというのは良く分かるよ。
心なしか父さんの返事も遅かったように感じるし。
父さんの勤務先は時空管理局っていう司法組織。海のように広がる次元世界のために日夜戦い続ける、ありがたい所なんだって。興味湧かんけど。
で、父さんはその中でも地上本部という俺たちが住んでいるミッドチルダの治安維持を図る部署に所属するんだけど……。
「最強の魔導師という肩書きも、ここまで来ると少し辛い物がありますね」
そう。父さんは母さんの言う通り最強なんだ。さっき言った次元世界の中でも。
この前テレビを見てたら父さんに関する特集もされていて吹いたね。なんじゃこりゃ、と。
そこで聞いたのは本当にデタラメだった。
曰く、ありとあらゆる魔法を使いこなし、彼に使えない魔法は無いだとか。
曰く、遠算能力が馬鹿げていて、相手が魔法を一つの使う前に千の魔法を使うだとか。
曰く、犯罪組織を潰した数は管理局創設以来堂々の一位だとか。
曰く、ミッドチルダに落ちてきていた巨大な隕石を消滅させたとか。
曰く、普段封印している魔力を解放すると、世界が滅ぶだとか。10%解放するだけで次元断層が起こるとか。
もう、訳分かんねえな(二度目)。
でもこの間見せてもらったあの動きを見ると嘘だとは思えないんだよなぁ……。
知ってるか? この人残像ができるくらいに速く動けるんだぜ?
「……好きだから、な」
「……ガイさん……!」
さらに父さんは恋愛面でも最強だと思う。だってたった六文字で母さんを赤面させてんだぜ。
それにしても家族が好きだからこんなのも苦じゃ無い……か。
うーん。こうやって面と向かれて言われるとちょっと恥ずかしいな。こんなことを軽々と言える父さんは凄いと思う。
最初は情報量が少なすぎてなに言ってるか訳わかめだったけど、最近はこうして理解できる。
……でも、何だか洗脳された気分。アヌン。
——ピンポーン。
「ああ。ガイさん、レイナさんはそのまま食事を続けてくださいね? 私がデマスカラ」
「う、うん」
「分かった」
箸を静かに置くと母さんは玄関へと向かった……ものすっごい黒い笑みを浮かべて。
——こんにちはガイさん! 今日もいい天気で……ってあんたか。
——出会ってそうそう『あんた』とは何ですか。
——だってガイさんだと思ったらあんたみたいな泥棒猫だったんだから、そりゃあねぇ。
——……喧嘩売ってます?
——やってやろうじゃない。
聞き耳を立てたのを後悔しました、まる。
いつも優しいあの母さんがあそこまで怒るのは、もうなんて言うかね……本当に怖過ぎるよ。
でも目の前の父さんは気づいていないのかモクモクと朝ご飯を食べている。
最強の男なら普通に聞こえる筈だろうけど、まぁ今回は仕方ない。
だって父さんは鈍感なのだから。
母さんの話によると父さんは昔からモテいたらしく、こうして結婚できたのも奇跡に近いと涙ながらに語られた。
よほど嬉しかったのか、軽い感じで『父さんモテてたの?』って聞いた俺がドン引きしたぐらいだ。
というかその後の初夜とか夫婦の営みを詳しく言わんでください。父さん譲りのハイスペックな頭が永久保存してしまうんっすよ。
で、話を戻すが父さんはモテている。そう……モテている、だ。
つまり結婚して妻が出来て尚あらゆる女性から言い寄られているのだ。
もっと詳しく言うと父さんたちと同じ年頃の人に言い寄られて、少し下の人たちには尊敬されて、俺と同い年の子には懐かれる、だな。
俺を公園迎えに来た時は凄かったぞ。お子ちゃまたちが遊んでとせがんで、そのお母様方はキャーキャーとちょっと騒ぐ。
置いてけぼりだったぞ。
さっきの女性も父さん争奪戦に参加していた人で、今でも諦め切れないらしい。
……いつか警察沙汰にはならんよな? あっ、父さんは警察みたいな物だった。
それにしても……こうして見ると言い寄られるのも考えものだな。
昔はハーレムとかちょっと憧れていたけど、なんか短かに具体例があるとそれも変わるって言うか……。
うん。これから俺も気をつけるか。一応ね。
「ごちそうさまでした」
あっ、父さんいつの間にか食い終わってる。
ちょっと考えごとをし過ぎたかな? 行儀悪いことをしてしまった。
俺も食事を開始する。そして父さんは母さんが予め作っておいた弁当を取ると立ち上がる。
本当に忙しそうだな。管理局も大変そうだ。
「レイ」
ふと呼ばれて父さんの方を見ると、急に頭の上に手を乗せられる。
おっ? おっ? なんだ?
何がなんだか分からずにいると、父さんはいつも鋼鉄のように動かない表情を動かせて一言。
「行ってくる」
…………。
「行ってらっしゃい」
父さんはベイにも一撫ですると、そのまま玄関を出て仕事に向かった。
………………。
「父さん笑ってた?」
「ワン!」
見間違いかな?
俺は頭を捻りつつも食事を再開したのであった。
ちなみに母さんが帰って来たのはそれから一時間後である。
母さん、その赤いのってペンキだよね? 母さんが父さんに捕まるところ見たくないんだけど。