第四話
一筋の光が遥か上空から真下へと降下していた。空気を裂き、雲を突き抜け、音を発しながら。しかもただ降下するのではない。時折雷のようにジグザグに進んだかと思えば、螺旋状に回転したり、空に不可思議な模様を描いたりと忙しなく動く。
そしてその行く手には一人の少年が目を閉じ、ただ静かにその場に佇んでいた。このままでは光が彼に激突してしまうだろう。空気を震わせる音がすることから実体があることは明確。
「——ストップ」
しかしその心配は無為なことだった。その光は少年の頭の上すれすれで停止し、フワフワと彼の周りを漂う。先ほどまで激しい動きをしていたとは到底思えない。
少年がポケットから一つの空き缶を取り出し、それを宙へと放り投げる。そして右の人差し指と中指を立てて、横に一閃すると共に一言。
「アクセル」
するとその光は空き缶に向かって飛んでいき、重力に従って地面へと落ちていこうとしていた空き缶を再び宙へと躍らせる。しかしそれでは終わらない。光がUターンをし再び空き缶を弾く。そしてそれは次第に勢いも回数も増えていく。
二桁を容易く超え、三桁を超し四桁まで後一回というその時、少年は目を開いて一つのフィンガースナップをする。すると光は今までよりも一際強く煌めいて空き缶を大きく弾き飛ばす。弾かれた空き缶はそのまま弧を描いて……ゴミ箱に見事ホールインワン。
それを見届けた少年——レイナは息を深く吐いて一言。
「最後のアレ、必要?」
《ええ、必要です。私のために》
絶対必要ないだろ、とレイナはまたため息ををついたのであった。
◆
今回の朝練が終わったので結界魔法を解く。するとモノクロだった世界に色が戻り、鳥たちの鳴き声が当たり一帯から聞こえ始める。
ここは海鳴にある高台。この星に引っ越してからいつも魔法練習場として使わせてもらっている。
「今回は何点?」
《80点ですね。コントロールも様になってきましたし、そろそろ次の段階に移ってもよろしいかと》
「うーん……もうちょっと練習してからね」
《承知しました》
ブレイブソウルには魔法の練度を見てもらっている。いつも俺にコスプレをさせようとしたり、私生活を盗撮してあるところに売り込もうとしたりと、色々と問題がある行動をしているデバイスだけど、こと魔法については真面目になる。俺を甘やかしたりしない。でも無理はさせない。かつての俺の師匠が残してくれたデータを元に真剣に協力してくれている。俺一人では、限界があるからね。父さんのように立派な魔導師になるには。
……ただ。
「それと、さっき録画してのを消して。リソースがもったいない」
《えー、そんなー。私は既存のデバイスと違って容量を大きく作られてます。一時間や二時間の動画くらいで支障をきたすような……》
「だったら全体を映せ。首筋とか顔を映さずにさ。ほれ、削除」
《NOooooooo!? 私のお宝映像が!?》
こうやって自分の趣味に走るから困る。しかも実害が入るか入らないかのギリギリのラインで。それがひどくウザったらしい。
ため息を吐いて、ここ最近増えてきたと自覚する。……多分あの件が関係しているからだろう。
つい最近俺となのははは私立聖祥大付属小学校に入学した。幸いなのはとは同じクラスだったからボッチにはならなかった。しかし前世の記憶がある分、小学校の授業に強い違和感を感じる。いつも何処か退屈だと感じてしまい、熱心に生徒たちを纏めようとしている先生に対して申し訳ないと思っている。
それだけならまだ良いんだけど、最近前世の記憶……いや、人格? 詳しいことはよく分からないけど、それらが消えつつある。いや、消えるというか今の自分に吸収されていっている……? 多分そんな感じだ。
それによって今までパチモンくさいと感じていたアニメを面白く感じたり、ちょっとだけ興味があったエッチな本とかそういうのに見向けもしないようになってきていた。枯れてないよな。というかこれじゃあ、大人が子どもに精神で負けていることに……。
しかもそれを怖いと感じるのではなく、ただ冷静にそうなっていくんだ、と他人事のように思っているところがある。俺はそこまで淡白な性格じゃなかった筈なんだけど……? こういう風に考える時点で手遅れ臭いが。
要するに、自分の変化に戸惑っているということだ。
「……はぁ」
本当、どうしたんだろう俺……。
《あっ、マスター。時間が近づいてますのでそろそろ……》
「ああ、うん。分かった」
……まぁ、なるようになるか。
そもそも俺にあーだこーだと考えるのは合わないな。アイツにもそう言われたし。
人間はいつか変わっていくって言うし、俺にもそれがちょっと歪曲した奴が来たって考えればいっか。
とりあえず訓練がてら家まで走って、難しいことは綺麗さっぱり忘れよう。体に力を入れて一気に解放。すると小学一年生とは思えないほどのスピードで道路の上を走る。景色が次々と後ろへと流れていってちょっと面白い。
《……流石世界最強の男のむすm……息子ですね。普通の子どもはこんなスピード出せませんよ》
ソル(ブレイブ・ソウルの愛称)の呆れた声に俺は苦笑いで返すしかない。自分でも異常だってことは分かっているのだから。
《それなのに負担が想定される物よりも少ないですし……アレですね、バグですよバグ》
「言ってくれるね。そう言うお前だってチートじゃないか」
《私はあれですよ。世界有数の頭脳を持つマッドに造られましたから》
「それ言ったら俺だって……」
というか、この人間臭さもその人のせいだよなぁ……。
《あっ、入りますよ》
「あっ、うん」
ソルのその言葉と共に、俺の視界は霧によって白く塗り潰される。つまり海鳴に着いたってことか……家まであともう少し。
《ちょっ、スピード上げんでください。視界が悪いんですからっ》
ソルの言葉で少しスピードを下げる。それでもまだ速いだとか曲芸みたいに信号機を台にしないでくださいと文句を言ってくるが……。
それにしても、この霧は何時から発生したんだろう。いくらなんでも、数日ずっと出続けるなんておかしいでしょうに。おかげで朝も昼もお日様を見ることができず、入学式も曇天ならぬ霧天でした。それに春だというのに少し肌寒い。でも父さんも特に何も言ってないし、俺と母さんの勘も何かの事件だとは言っていない。
別の何かが起きていてるというのは分かってるんだけどね。
なのはもこの異常気象にちょっと怖がっていた。……本当に何なんだろう。
まぁ、子どもの俺がうだうだ考えても仕方が無いか。
——っと、もう家に着いていたか。家の鍵を取り出して解錠すると、上着を脱ぎつつ風呂場へと向かう。早くしないとなのはが来る時間になってしまうから。
ちなみに今日は父さんも母さんも朝早くにミッドに行っている。何やら重要な任務が入ったらしく、元管理局員である母さんも出向かわないといけないらしい。魔力ないのに、その辺の魔導師よりも強いからね、母さんは。そして帰って来るのは夜遅くになるらしく、今日は学校から家に一度帰ってなのはの家に泊まって行く予定になっている。ベイは昨日のうちに預けてある。この一年でアイツは別荘と言う名の犬小屋を手に入れていたり……。
俺はさっさとシャワーで汗を洗い流すと聖祥の制服に着替える。短パンの違和感が拭いきれない……。
《やはり素晴らしいですね。マスター、一度なのはさんから制服借りて着てみてみませんか?》
「やらなーい」
《ちょっ、紐を、指に、かけ、て、まわ、すの、や、めて、く、ださ》
ふざけたことを抜かしたおバカさんにオシオキをしているとインターホンが鳴る。
どうやらなのはが来たようだ。カバンを持って玄関へと向かう。ちなみに朝食は既に食べ終えている。
「おはようレイくん!」
「おはようなのは。今日はよろしくね」
「ううん、大丈夫だよ」
鍵を閉めると俺たちは近くのバス停へと歩きながら談笑する。やれ、この霧はなんか怖いやら、やれ遠く(ミッド)の友だちと会ってみたいやら、やれ、気になる子いるだとか……。
それにしてもこの娘、よく喋るなぁ。会ってからずっと俺が聞き手に回ったせいだろうか? 最近恭也兄さんがそのことについて苦言を漏らしてたような……。
「それでね、そのバニングスさんと仲良くなりたいんだけど、なかなか上手くいかないんだー。レイくん、どうしたら良いと思う?」
「これからもその調子で頑張れば良いと思うよ。なのはのガトリングトークならどんな相手でも風穴さ」
「本当に? だったら私がんばる!」
バニングス頑張れー、超頑張れー。
ちなみにバニングスさんとは、同じクラスの金髪の女の子のことだ。この年にしては聡明な方で、この前のテストでも100点を取った凄い子だ。
そして小学一年生にテストをさせる学校も色んな意味で凄い。そう言えば、なのはは算数の点数が良かったなぁ……国語はドンマイとしか言えんけど。
そんな他愛も無い話をしていると、バス停に着いた。しかも丁度良くバスも来たようでなのはと共に乗り込む。中にはチラホラと見知ったクラスメイトが居り、軽く挨拶をしながら定位置である最後尾に二人一緒に座る。
【それにしても……妙ですね……】
【ん? 何がだ?】
急に念話して来たソルのためにマルチタスクを一つ生成する。表面上はなのはと話してもう一つはソルと話す。ぶっちゃけ凄く便利。
【霧ですよ、霧。昨夜、御館様が調査を行ったようですが、何の変哲の無い普通の霧だったようです。まぁ、任務で多忙な身ですから詳しいく調べることはできていないようですが】
父さんの任務は異常だからね。普通の人なら即ニートになるほどの激務らしいし。
【それと……ここ最近感じる妙な魔力反応も気になります】
ああ……確かにそれは気になるな。俺がこの地球に引っ越して慣れた頃ぐらいだろうか、ここ海鳴市で正体不明の魔力反応がソルによって観測された。しかもそれは一つでは無く、EランクやFランクと言った無に等しい弱いものから、Aランクと言った結構高いものまで……ここは魔法文化の無い、管理外世界の筈なのに。父さんがその時に居ればさっさとその正体を突き止めることができるんだけど、何故か父さんが居る時は絶対に出てこないんだよな……。
幸い俺でも撃退できるから引っ越し直すことはないけど……気になって仕方がない。一度調べに行こうとしたら、ソルと母さんに止められてしまった。いくら力があっても危ないから、て。
【何かの事件の前触れでなければ良いのですが……】
【本当にね……今日は父さんも居ないし……】
窓の外に広がる霧を見て、俺は今日何度目かになるため息を吐いたのであった。
「レイくんって人気者だよねー」
ふと昼食を食べていると、なのはがそんなことを言い出した。場所は屋上。少し肌寒いし霧で周りの風景が全く見えないけど、諸事情によって俺はここでいつも昼食をとっている。なのはは付き添い。俺と一緒に食べたいとか……。魔法使って俺となのはの周りの気温は常温にしているから風邪を引くことはない。
「どうしたんだ、急に?」
「だって、クラスの皆にいっつも頼りにされてるし……なんだかなのはは少し複雑ですっ」
少し頬を膨らませてそう言ったなのはの頬っぺたに指を突き刺す。するとプヒューッと気の抜けた音と共に彼女の口から空気が飛び出す。すごく面白い。
当然なのははにゃーにゃーと俺に喰ってかかる。
「んもうっ! レイくんそれやめてってばっ」
「でも、なのはも楽しんでる」
「そ、そんなことないよっ」
ちょっと顔を紅くさせたところから、図星ですね、分かります。
それにしても……人気者ねぇ……。
「ん、んっ……ああ、確かにクラスの皆が困ってたら助けてたなぁ、俺」
「……! い、いつも皆から何か声を掛けられているよねっ」
担任の先生が元気いっぱいの生徒たちに涙目になってたからなぁ……それを見て同情しちゃって。
子どもはたんじゅ……純粋だから好きそうなアニメとかを引き合いに出したら結構言うこと聞いてくれたよ。○○だったらこうするとか、△△みたいだねとか。
「うん。それに、こういうのも悪くないかなって」
「……エラいねって先生も言ってたね」
それどころか泣いて喜んでいたように見えたぞ、俺は……男なんだからしろと一時間ほど(ry。
「大人になったらこういう仕事に就くのも良いかもね」
「…………ガイさんみたいに?」
「アウト。濁点はダーメ」
「うにゃ!? 聞いてないよーぅ」
聞かなかったなのはが悪いんです。それシーッペ、デコピン、ババチョップ。
あまり痛くないように手加減したけど、なのははうにゃぁ……と弱々しくネコのような声を絞り出す。
「でも人気者っていうのはちょっと違うと思うなー」
「うー……なんで?」
「いや、何人かにあまり良い視線を向けられていないし」
「そうなの? 考えすぎじゃあ……」
——それが、子どもとは思えないものじゃあなかったらね。
「あっ。でもバニングスさんは……どうだろう? 時々レイくんのことを睨んでたから……」
「……あー。多分あれは違うかなー?」
あれはどちらかというと……ライバル視……かな?
アリサは我が強そう……というか強いよね。そしてそれに備わる実力もある分ここの同年代よりもそれが顕著に現れている。だから勉強面でもスポーツ面でも俺に突っかかってくる感じ……かな? 俺は前世と父さんが引き継がれたスペックでズルしてるようなモノだけど……。
——で、その噂のお嬢様が後ろから来ているな。しかもダッシュで。
「はっ!」
そのお嬢様はすれ違いざまに俺のリボンをシュルリと手に取った。今日は緩めに結んでいたためか、簡単に解けてこのような結果に。
予め分かってたから避けることもできたけど……周りの不自然な視線で下手な動きは出来ない。
「え?」
なのはは何が起きたのか分からないようすで、髪がポニーテールからストレートになった俺と目の前で得意気にリボンを持つ少女——アリサを交互に見る。
そして目の前の少女は俺が特に何も驚いていないのに不満を持ったのか、眉を潜めてこちらを睨めつける。
「あー……何か用かなアリサ? 俺たちはこの通り弁当を食べているんだけど」
「見たら分かるわよっ。だから……その……そうっ! だからこそ今を狙ったのよっ。これを見なさいっ!」
そう言って彼女は俺が先ほどまで使っていたリボンを見せつける。
……俺はそれよりももう一つの手に握られた物に興味があるが……もうちょっとだけ黙っていようか。今言ったら余計に話がこじれそうだから。
「それってレイくんの……」
「うん、俺のだな。で、アリサはそれで何するんだ?」
「え? えっと……貰うわ!」
「それは困る」
いくら今考えたことであろうとも、ちょっと許容できないかな。
でもそんな俺の態度に何かを感じ取ったのか、彼女は笑みを浮かべる。全く似合わない悪そうな笑みだ。俺からしたら無理をしている感がありありと伝わるのだけど、隣のなのはは違うのか目を細める。今すぐにでも飛び出して引っ叩きそうだ。
「へぇ……よっぽど大事なのね。高かったのかしら?」
「いーや。それは貰ったんだ」
なのはを後ろにやって俺は立ち上がる。そしてそのままツカツカと歩み寄ってアリサの目を真っ直ぐと見つめる。そんな俺の気迫に戸惑ったのか、『ちょ』『え? ちか』などとよく分からない言葉を発する。
「生まれた時から一緒だった『親友』に貰った世界に一つしかないリボンだ。見せたり触らせたりするのは構わないけど、流石に上げたりするのはイヤなんだ。返してくれ」
「……っ」
そう言ってスッと手を出すが……参ったな。俺がムキになってしまったからか彼女もムキになったようで、リボンを持って一歩さがってしまった。
「えっと、バニングスさん。大切な物をとられるのって、叩かれたり引っかかられたりすることよりずっと痛いんだよ……? だからね、返してあげてくれないかな……?」
「…………」
アリサはリボンを見て、なのはを見て、後ろに隠した物を見て、そして最後に俺を見て……リボンを差し出した。
「……ごめんなさい」
「ううん、分かってくれて嬉しいよ」
彼女は我が強いだけで根は良い子なのだろう。だからこうしてすぐに謝ることができる。
ただ不器用なだけなんだ。現に……。
「仲直りって訳じゃないけど、一緒にご飯食べない? なのはも良い?」
「うん、いいよ! 前から仲良くしたいって思ってたんだー」
「ぁ……し、仕方ないわねっ。わ、私も特に嫌って訳じゃないから……良いわよ。丁度お弁当も持ってたし……」
……本当、不器用なんだから。
俺は再びベンチに座り、その横にアリサを座らせる。こっそりと魔法をかけるのを忘れない。
アリサの弁当はなんというか、豪華だった。高級料理店の物を見ている気分になる。なのはも『ほへー』と目をまん丸にして驚いている。
「ふふん、凄いでしょ? 最近入った執事が作ってくれたんだー」
「執事? あぁ、そういえばアリサはお嬢様だったね」
リムジンに乗ってるところを見たことがあるし。
「バニングスさんっていつもこんなすごいお弁当を食べてるの?」
「アリサで良いわよ。私も名前で呼ぶし……確か……レイムとなのはだっけ?」
「レイナって読むんだよ、『霊無』は」
「私はそれで合ってるよ」
「紛らわしいわねぇ……私あんたのこと『レイム』って思ってたわよ」
「あっ、だったらレイムで良いよ。アダ名みたいな感じで」
俺の名前の漢字ってもともと当て字みたいなものだし。ニックネームと思えばそこまで気にしないし……。
というかレイムって思われてたのか……運命を感じるというかなんというか。
「そ、分かったわ。というか、前々から気になってたけど……レイムって皆の名前を下で呼ぶわよね?」
「うん、ここに住む前の名残りでね……もしかして嫌だった?」
馴れ馴れしいって嫌がる人も居るんだった……そういえば。ちょっと精神が肉体に引っ張られてそういうのに無頓着になってしまっていた。
しかしそれは俺の杞憂だっようで、アリサは呆れたようにため息をついた片目を閉じる。
「別にもう気にしていないわよ。単純に癖でしてるみたいだったしね。というかあなたって日本人じゃないの?」
「ハーフなんだよ。育ちはイギリスの方だけどね」
ちなみに本当のことだったりする。父さんは日本生まれのイギリス育ちなんだってさ。ハーフってとこも母さんがミッド出身だから間違ってないし……。
「そういうアリサは?」
「生まれも育ちも日本よ。あんたと似たようなものね」
おお、確かにそう言われると似ているなぁ俺たち。もしかしてアリサの両親も異世界から来てたりして……。
二人そろって笑みを浮かべていると、なのはは何故かワタワタと慌て出し、
「わ、私はお父さんもお母さんも日本人ですっ」
こんなことを言い出した。多分話についていくために言ったんだろうけど……どっかズレてるなぁ……。
「そうだね」
「そうでしょうね」
アリサと一緒にそう言ってやると、なのははえっ、えっ、と目を泳がせて俺が口で笑っていることに気づくとまたもや頬っぺたを膨らませた。どうやらからかったことに気づいたみたいだ。
で、こうなるともうお約束ってことで……なのはの頬を押してやる。
するとプヒューッと空気が抜けた音がして、俺とアリサは笑い、なのははプリプリと怒ったのであった。
◆
「やはり、まだガキだな」
「仕方ないさ。いくら最強の魔導師の息子と言えど、まだ九歳。私たちのような規格外の存在に気がつけっていうのが無理な話さ」
校舎から校門へと向かうレイナ、なのは、アリサを見ながらそう呟く二つの影があった。一つは紫の長髪を持つ聖祥の制服を着ている少女。もう一つは頭から足までスッポリとローブで身を隠している少年だ。彼はこの深い霧の中、屋上から遠く離れた位置に居るレイナたち……というよりもレイナにため息をついた。そのようすに隣の少女がその整った顔を疑問に染めて彼を見る。
「どうした?」
「いや、理解できなくてね。何故『純白の魔王』と『業火の女帝』に手を出すのか……ね」
さらに表情を疑問の色に染める少女だが、三十秒ほど考えて彼がいったことを理解した。おそらく今彼が言った二つの妙な名称が、なのは、アリサのどちらかを指しているのだろう、と。
「私には何故貴様が難色を示すか分からんが……あのなのはという少女の身に宿る魔力はなかなかに素晴らしいものだ。そう見つかんらんぞ」
「まぁ、私や私の仲間に比べたらまだまだだけど、ね」
微妙に話が噛み合っていないことや、理解するのに時間がかかる変な名を使ったり、いちいち自分や仲間を引き合いに出す隣の彼にイラつきながらも、彼女はなんとか踏み止まる。
昔からこういう奴ということは知っていたし、何を言っても無駄だと理解しているからだ。学習しているともいう。
「それにしても……今日は良いことを知った……」
「ん? あぁ、例のことかい? 言っておくけど、私は争いごとが嫌いでね。やるなら迷惑がかからないように頼むよ」
「ふん。言われずとも……」
意味深な会話を続けていると、扉が開く音が大きく響いた。誰かがやって来たらしい。ローブの男は転移魔法陣で何処かへと消えて、少女は変わらずにそこにいた。何せ、最初からやって来る相手が分かっていたからだ。
「——居た! おーい、すずかー!」
屋上にやって来た者、白崎吾一は満面な笑みを浮かべながら、少女——月村すずかの元へと走る。すずかは今まで浮かべていた表情を引っ込めると、気の弱そうな幸薄少女へとキャラを変えた。
「な、なんでしょうか……?」
「一緒に帰ろうぜ!」
必要なこととはいえ、こうも話が通じないとイラっとするすずかであった。先ほどの男然り。
内心顔を引くつかせながら目の前の少年に名を聞いた。すると、『忘れてた……』『ていうかなんで知らないんだ……?』なとと呟きながらもすずかに名乗った。その際に嫌に笑みを浮かべたり、手を握ってきたり、頭を撫でてきたりと好き放題である。
「でさ、なのはやアリサはどこ? あいつらも一緒に帰ろうと思ってたんだけど……なかなか会えないでさー」
この少年は学校に入ってからアリサやなのはでさえ会ったことがない。この学校は進学校だけに生徒の人数が多く、会おうにもクラスは分からないし学校の場所も把握していないしで散々である。それに気づいていないこの少年は大物かバカか……。
そしてそんな彼にすずかのイライラゲージはどんどん上昇していた。馴れ馴れしく体に触れてきたり、妙に視線がアレだったりと先ほどのローブの男と似ているところが多くあってイラつく。それにある理由があって自分はされていなかったが、実際にやられると結構クるものがある。
——ゆえに、さっさと実行に移したのも仕方がないことだった。
「まぁ、伝書鳩としてぐらいなら使えるか」
「え? どうしたのすずか?」
すずかはズイッと吾一へと顔を近づけさせる。突然のことに彼は驚いて——次いで、その血のように紅い瞳を見て、目の輝きを失った。
「『白崎吾一。お前はしばらく私の奴隷となれ』」
「……はい」
トロン、と先ほどまでのイヤらしい目つきは消え、代わりに人形のように無機質なものへと変わった。
そこにいつの間にか現れたローブの少年は感嘆の声を出す。
「いくら神の傀儡とはいえ、こうも容易く操るとは……私のあの力並みに便利だな」
「それ以上は軽い口を閉じろ。いい加減イライラして来た」
そんな彼女のようすに踏み台のウザさで許容量を超えたのかな? と半分正解で半分外れの考えを持ち、今後こそこの場から消える。それに彼女は鼻を鳴らして空を……霧の先の月を見る。
「——今夜が決行の時……せいぜい愉しませろよ……レイナ・ウィルタニア」
笑みを浮かべた彼女の歯は鋭く、まるで吸血鬼のようであった。