第三話
「にゃはははー! ベイちゃん、そんなに舐めたらくすぐったいよー」
「ワンワン!」
庭で我が愛犬と戯れるなのはを、縁側に腰掛けてお茶を片手に見守る俺。傍から見たらジジ臭いって言われそう。
この地球に引っ越しして来てから数週間経った。つまりなのはと友達になって数週間とも言える。彼女に『また明日』と言った次の日から、俺たちはいつもここで遊んでいる。なのはが自分の家にあるゲームを持って来て一緒にやったり、絵本を読んだり、ベイと戯れたり……etc。もはや俺の日常の一部と化している。
《和みますねマスター》
「うん。そうだね」
《カワイイですね、なのはさんは》
「うん、そうだね」
《……浮気ですか?》
なぜそうなる。あんまりふざけたこと言うと、夜の特訓でお前を使ってやらんぞ。
そう言うとブレイブソウルは一言謝ってそれっきり黙った。相変わらずの性格に俺はため息を一つこぼし、お茶を飲む。うん、美味しい。
暖かな日差しがポカポカして気持ち良い……と思っているとなのはがこちらにやって来て、頬をぷくーっと膨らませる。
「レイくんも一緒にあそぼうよ」
どうやらお姫様はご不満らしい。ちなみに『レイ』とは俺の略称だ。いつの間にかなのはがそう呼ぶようになっていた。
目の前の膨らんだ頬を指で突いてみる。プヒューって空気が抜けた。
「にゃ!? 何するのレイくん!」
「いや、柔らかそうだったから、つい」
にゃーにゃー騒ぐなのはを抑えつけて、俺はタオルを出して彼女の顔を拭う。
「むぎゅっ……」
「ベイのヨダレでベトベトだ。ちょっとジッとしてて」
フワフワのタオルでしっかりと拭き取る。そして漂う臭い。
「……」
「にゃー……変な臭いがするぅ……」
水で洗わずに拭くと変な臭いがするんだった……失敗失敗。顔をしかめて涙目のなのはを見てそう反省する俺。後でベイにも躾をしておかないとな。ちょっと最近テンション高すぎ。というか今気づいたけど、なのはさんドロドロじゃないですか。前から見たら全然分からなかったけど、後ろ側がすごいことになってる。
「あらあら。なのはさん泥だらけじゃないですか」
洗濯物を持った母さんがそう言って微笑む……何時から居たんだろう。
「お風呂を沸かしてありますから、入っちゃいなさい」
どうして沸かしていたんですか、母君よ。
「勘、ですね」
そう言って微笑む我が母。女の勘という奴なのだろうか。俺も勘は鋭い方だと思っているけど、母さんのそれは時々ヒヤリと感じるものがある。というかもう予知レベルではなかろうか。
「レイナさんも一緒に入ったらどうですか?」
……なんで?
そう聞くと母さんはニッコリと笑ってある方へと視線を向ける。そこにはなのは同様泥だらけのベイの姿が……あぁ、洗うついでに一緒に入っちゃえってことか。でもいくら子どもとはいえ、小学生前の子が……いや、別に良いか。そこまで深く考えなくても。ぶっちゃけ娘と入るようなものか。
俺は母さんからの提案を受け取るとなのは、ベイを連れて浴場へと向かう。そして洗濯籠に服をペペっと放り入れるとベイを先に行かせてなのはにも脱ぐように言う。俺はその間にちゃっちゃとベイを綺麗にすることにする。シャワーかけて、ベイ専用シャンプーを泡立てさせて隅々まで洗浄。気持ち良いのかベイは暴れずされるがまま。その後シャワーで泡を全て流すとベイは浴槽の中へダイブ。おかげで俺は頭からお湯をぶっかけられることに……この野郎め……。
「あの……レイくん……」
「ん? どうしたのなのは?」
「えっと、その……家族以外とお風呂に入るのは初めてと言いますか恥ずかしいと言いますか……」
マセガキ乙。このまま放っておくとなのはが風邪を引いてしまうので、立ち上がって彼女の手を引いて椅子に座らせる。そしてシャワーを頭からかける。
「にゃ!?」
「今日は特別に俺がなのはの頭を洗ってあげよう」
程よくなのはの髪が濡れたのを確認すると、母さんが使っているシャンプーを手にかけてそのままなのはの頭をワシャワシャする。液体特有の冷たさになのはは一瞬体をビクンと縮こませたが、俺のフィンガーテクニックでだんだんと力を抜いていく。
「レイくんって、洗うの上手だね」
「父さんや母さんと一緒に入った時に洗ってたら自然とね。気持ち良いでしょ?」
「うん!」
そう言って元気よく頷くなのは。……ふっふっふ。俺のテクで気持ち良さそうにしているところ悪いが、俺がワザワザ善意でしてやっていると思うか? いや、ない(反語)。
両手をサッとなのはの両側へと動かして、そのまま泡だらけの髪の毛を中央へと持っていき上へと流す。するとどうだろう。そこには小さなタワーができるではありませんか。名付けてなのタワー。
やられた本人であるなのはもそれに気づいて猫のような声を上げる。
「レイくん私の髪の毛で遊ばないで!」
「だが断る。ほれ、こうしてああして……はい、猫耳のできあがり。いつもにゃーにゃー言ってるなのはにピッタリだ」
これで尻尾もあれば白猫なのはのできあがり。ちなみに大人専用の猫尻尾なら母さんと父さんの部屋にあることを俺は知らない。知らないったら知らない。
「なのは、そんなににゃーにゃー言ってないもん!」
「今二回言ったよにゃのは」
「にゃ!? にゃのはってなに!? なのはだよ。な・の・は!」
「にゃ・の・は」
「な・の・は!」
「な・の・は」
「にゃ・の・は! ……にゃ!?」
なにこのかわいい生き物。思わずギュッと抱きしめてしまった。するとなのははワタワタと大慌て。む、そういえばお互いに裸だったな。俺は再び洗髪という名の遊びを再開する。父さんや母さん相手じゃあできないからね。
一通り楽しんだ後は、シャワーでなのはの頭の泡を洗い流す。
「よしっ、綺麗になりました、と」
「うー……レイくんに遊ばれたー……」
これでいかがわしいことを考えた人は腹筋五十回した方が良いと思う。
「むー。レイくん、今度は私が洗う!」
「良いぞ」
「……あれぇ?」
仕返しに遊んでやろうという魂胆だろうが、それはそれで面白そう。ゆえに了承。
なのはにシャンプーを渡して俺は向きを180度変える。さぁ、どんと来い。
「私が思い描いてたのと違うの……それにしてもレイくんってなのはよりも髪長いよね?」
シャワーで髪全体が濡れ、一番上からシャンプーがかけられる。この時の冷たさはいつも慣れん。
「うん、母さんたちが伸ばしてくれーって言ってきてさ、一度バッサリと切ったことがあったんだけど……それはもう凄いことに」
「……?」
頭を洗い終わったなのはは、次は背中を隠すほど伸びている髪にシャンプーを染み込ませるように手を枷のようにして滑らす。あまり強くしないでね、首がグギッてなるから。
「肩より上までで切ったら母さんがなんで切ったのー!? って泣きついてきてさ……」
「そ、それは……」
「一番堪えたのは父さんだったな。凄く悲しそうな顔をしてこっちをジッと見るんだよ……」
良心がジクジクと痛んだね、あの目は。常に武人のような父さんが、息子が死んで悲しんでいるけど涙を流さずに泣いている……そんな感じだった。母さんのように泣きついてくれた方が精神的に楽だったんだけど……いや、父さんに限ってそれはしないか。キャラじゃないし。
「それからはずっと髪を伸ばしてる。幸い伸びるのは早かったし」
髪が伸びる人はエロいって聞くけど、それは関係無いと思う。思いたい。
そう切に願いながらシャワーで頭の泡を洗い流す。
「あー! レイくんなにしてるのー!?」
「え……? あー、ごめん。つい何時もの癖で」
洗ったらさっさと流すタイプだからね、俺。
「むー……もっかい!」
「だが断る。何ならこのまま背中も洗ってくれ」
「もー……今度遊ばさせてね」
俺の頭はおもちゃじゃないんですが……遊んだ俺が言うのもなんだけど。
その後はお互いに背中を洗いっこした。父さんの大きな背中を洗っていた俺は、なのはの背中は小さく感じた。ベイよりも洗い易かったと言っておこう。それとなのはも洗ってくれたんだけど『わっ、綺麗……』『お父さんやお兄ちゃんよりも小さい……』って言うのやめてくれませんかね? 子どもだから仕方ないでしょーが……悔しくなんかないもん。綺麗ピカピカになった俺たちはベイのために合わせたヌルい浴槽に入る。もともと綺麗にするためだしね。
「これはこれで気持ち良いなぁ……」
「犬は37度ぐらいが丁度良いんだって」
「へー……」
まぁ、子どもには分からないか。それにしてはなのはは早熟だと思うけど……俺が言える立場じゃないけど。
「……ふふ」
「んー……どうしたなのは? 急に笑って」
「……えっとね。こうやってお友達とお風呂に入るのって初めてで……凄く楽しいなーって」
太陽のような笑顔を浮かべて、なのはは続ける。
「絵本読んだり、ベイちゃんと一緒に遊んだり、ゲームしたり……私、レイくんと友達となれて良かった」
「……俺もなのはと友達になれて嬉しいよ」
でも、一つだけ気になることがある。
「なのはは俺以外と遊びたいと思わないのか?」
以前公園で遊ぼうと誘ったことがある。しかしなのははそれを拒否。絶対に行きたくないと言った。それは何故か? 考えられるのはイジメか人見知りだと思うが……。
「……私はレイくんが居ればそれで良いよ」
「ダウト。なのは前にピクニックに行った時言ったよね。人がいっぱいいて楽しいって。本当は友達たくさん作りたいんじゃないの?」
俺の問いに対してなのはは幾分か巡回するようすを見せて、そしてコクリと頷く。
友達が欲しいのに対人恐怖症。随分と歪な形で成長している。してしまっている。友達を作りたいなら同じ年の子がいる場所に行けば良い。しかしそれを本人が拒絶する。それと士郎さんやなのはのお兄さんの恭也さんに聞いたことがある。士郎さんが事故で倒れてた時に高町家は翠屋の経営で忙しく、その間なのはの相手をしてやれなかった。しかしなのははそれに対して不満の声を上げることなく公園に行っていたらしい。が、ある日突然公園に行くのをやめて翠屋まで着いて行くようになった。
俺はこの時に何かが起きたのだと考える。家族に心配をかけないように良い子で居ようとするなのはがワガママを言って翠屋に行くほどの。俺の勘もそう言っている。
「なのは、どうして公園に行きたくないんだ?」
「……」
「仲が悪い子が居るのか?」
「……」
「怖い人がいるのか?」
「…………うん」
やはり……。
「それは誰なんだ?」
「分かんない。知らない子」
子……か。少なくとも同年代か近い年齢か。いや、今はそれはどうでも良い。
とにかく原因が分かったんだから対処法は限られてくる。
「なのは、明日一緒に公園に行こう」
「ふぇ……」
「ベイも行く。母さんも連れて行く。不安だったら士郎さんか恭也さんを説得して着いて行ってもらう」
幸い明日は日曜日。士郎さんは翠屋で忙しいかもしれないが、学生の恭也さんなら着いて来れる可能性はある。それにあの人、家族愛が深くて良い人だし。
「皆が居れば大丈夫。俺も居るし、ね」
「……うん、分かった。明日は公園で遊ぶ」
まだ表情が暗いが、なのはは決心してくれたようだ。もしこのまま問題を先延ばしにしていたら彼女の人生に関わるかもしれない。少しはコミュニケーション能力も必要だ。尤も、普通の子どもだったらそんなの気にせず元気に混ざるはずなんだけどね。なのはの早熟さが仇となったか……。
まぁ、それは明日になれば何とかなるか。
とりあえずそろそろ風呂から出ようか。流石にヌルいとはいえ逆上せてきた……。
◆
ある家にて一人の少年が鏡の前で笑みを浮かべていた。その少年の名は白崎吾一。レイナと同じように前世の記憶を持ち、レイナとは違って己の望みでこの世界にやってきた転生者だ。オレンジの頭髪に茶色の瞳の某死神漫画の主人公の容姿の、しかしモデルとなった人間が本来持たない濁りきった欲望の光が彼の瞳の中にあった。
「うーん……よしっ。これなら今度こそ大丈夫だろう。今日はなのはも居るのかもしれない」
そう言って彼はニタリと笑みを深くさせる。
なのははこの少年と会ったことがある。彼女の言う『怖い人』で『知らない子』であり、対人恐怖症の原因となったのが彼だ。彼女に笑みを浮かべながら近づき、他の公園にいた子どもにはガンを飛ばして怯えさせる。子どもとは思えないほど鋭い眼光から放たれるソレは、笑みを向けられていたなのはにとっても恐怖の対象でしかなかった。
その結果彼女は公園に行かないようになる。しかしそのことに彼は気づかない。
「よしっ! 待ってろよなのはあああああ!」
満足げに頷くと、彼は家を飛び出して公園へと走る。しかし体力が無いために、途中ですぐにバテてしまい、辿り着いた時には息がたえたえだった。手を膝についてゼーゼー言っている。
少し飛ばし過ぎたか、と額から汗を流しながら彼は顔を上げて——嬉しそうに表情を歪めさせる。視線の先には砂場で他の子どもたちと一緒に遊ぶなのはの姿が。
「っしゃあ! やっと会えた!」
早速フラグを立てよう! と彼は意気揚々と足を踏み出そうとして——この場に居るはずのない人間を見て足を止めた。
(え……なんでKYOUYAがいんの?)
彼が捉えた視線の先にはベンチに座って本を読むなのはの兄、高町恭也がいた。足元には犬が横たわってこちらを見ていたが、彼はそのことに気づかずに内心大慌てだった。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ! なんでシスコンがここにいるんだよっ。翠屋か学校に行っているんじゃあ……。いや、それは良い。しかしこのままじゃあ、なのはに接触できない。オレの特典じゃあ、あの戦闘民族には勝てねぇ……!)
彼は肩をガックシと落とすと、スゴスゴと元来た道へと戻って行く。
(こうなったら聖祥でフラグ立てるしかねーか……そこならあのシスコンも邪魔できないだろうし)
成功するとは限らないことに、彼は気づかないのであった。
◆
夕方になり、そろそろ帰らないといけない時間になった。
なのはも今日できた友だちに手を振り、またあした遊ぶ約束をしている。最初はビクビクしていたけど、今では明日が待ち遠しいといった気持ちが表情に出ている。
「恭也さん。今日は本当にありがとうございました」
「いや、このくらいどうってことはないさ……それに、礼を言うのは俺の方だな」
二人でベイに向かって今日遊んだことや次は何して遊ぶのか、笑顔で楽しそうにまくし立てているなのはを見る。
「なのはが一時期ひとりぼっちだったことは知ってるか?」
「はい。本人から聞きました」
泣きながら、ね。
「その時の俺たちは忙しくて……なのはに構ってあげる余裕がなかったんだ。そしてその結果なのはは『良い子』になろうとして……」
「なんでも自分の中にしまっちゃう、と」
「ああ、そうだ……俺のせいだな」
恭也さんは拳を力強く握り締めた。後悔しているのだろう。確か彼の家の剣技は守るためのものって聞いたことがある。それなのに身近にいるなのはを守ってやれなかった……彼女の心を。
「でも、そんななのはが俺を……家族を頼ってくれた——どんなに嬉しかったか」
頭の上にゴツゴツして大きな……しかし優しさに満ち溢れた手が置かれる。それによって彼の顔を見ることはできないけど……どんな表情を浮かべているのか何と無く分かった。勘ではなく、感情で。
「君という友だちができてからだ——ありがとう」
「友だちですから。当然のことですよ」
「……生意気だ」
グシャグシャ、と乱暴に、しかし優しく頭を撫でつけられる。髪が乱れるがたいして気にしなかった。
「……ありがとう、レイナ君。お礼に何か一つだけ何でもしよう」
「……なんでも?」
「ああ。できる範囲なら」
……だったら。
「兄さん……って呼んで良いですか? それと呼び捨てで」
前世を合わせたら、彼は俺よりも年下だ。でも何と無くこう呼びたかった。今まで周りに居た人は、親と子で年が離れていたから。肉体年齢的にも精神年齢的にも。多分、飢えてたんだろうな、兄という存在に。
「お安い御用さ、レイナ」
「ありがとう、兄さん」
俺たちはお互いに顔を見て、笑った。なのはとベイが不思議そうにこちらを見ているが、それを気にせずに。
これからもこの人とは仲良くできそうだ。
ちなみに後日、美由紀さんがお姉ちゃんって呼んでって言ってきたけど丁重にお断りした。
いや、だってはっきり言って頼り甲斐が……。本人に言うと泣くから言わんけど