第十話
ジオン公国に変わったことで1番実感できたことはなにかと問われれば軍服の変更だ。
と言っても私自身はまだ軍学校の制服であり、そちらは変更がない。おそらくそこまで資金を回せないのだろう。
スラムからの情報、いや、スラムの情勢からそれがわかる。
スラムの規模は国を写す鏡だ。
そのスラムに墜ちる数が増えている。つまり経済が上手く回っていないのだ。
そもそもジオン公国、サイド3のみで自立できるほどの環境が整っていないはずだ。物理的に地球から遠く、しかも月の裏側に位置する関係で地球から直接荷物をマスドライバーで飛ばせないため元々コストが掛かってしまう。
そして資源の最大供給源である地球連邦と敵対関係となった以上、経済が回らないのは当然といえば当然だろう。
それにそういう情報は入ってきていないが物価の上がり方から察するに月や他のサイドにも圧力を掛けて経済制裁を行っている感じだ。
おそらく繋がりで裏から取引してなんとか保っているのだろうが……このペースでいけば5年、後はそれが伸びるか縮むかはザビ家がどう手を打つかによって決まるか。
軍に志願しておいて正解だったと言わざるを得ない。
まさに最悪を全力疾走している。
軍人というのは戦時では消耗品だと言ったが平時では大事な番犬だ。多少飢えることがあっても餓死することはまず無い。
ニックには今度改めて例を言っておくか。
「志願打ち切り前にスラムの子供達を志願させておくべきか?」
スラムの拡大は同時に中流層の転落を意味する。
中流層が転落するにはステップがあり、通常の流れなら軍に志願すれば仕事がもらえる以上、自然と志願が多くなるだろう。
今はまだ軍への志願制度の知名度が低く、経済的に余裕がある民衆が多いので志願が少ないがこれからは増加の一途を辿るだろう。
そうなれば本当に底辺のスラムを受け入れる容量はなくなる。なにせ教育というのは時間も手間も金も掛かる。
そしてわかりきっていることではあるが中流層はスラムよりも上等な教育を受けている。その分だけコストが掛からない。
まぁ子供に関して言えば平均的に見れば肉体的にも精神的にもスラムの方が強いというメリットはあるが、そんなものは判断基準にならないだろう。
「それに事業も悪化傾向で資金難になっているし」
元々隙間産業だったためにそれほどの稼ぎがなかったが不景気のせいか売上が下がってしまっている。
打開策を考えなければ……と思っていたところ——
「大丈夫です。先生。俺達、年齢が足りたので学校を卒業しようと思います」
「単位もギリギリ足りてる。これでお金、手に入る」
「リンク、レヒト……」
確かに年齢は達したし、本人が言っているのだから単位は足りているのだろう。
しかし、この段階では二等兵という最下層からスタートすることになる。
スラム出身だというハンデを抱えた状態で二等兵というのは先が断たれているに等しい。
そんなことは2人に何度も説明しているのでよくわかっているだろう。
つまり、それだけの覚悟をしているということだ。
「……私も——」
「「先生は駄目です」」
「む」
「先生が上等兵なんて役不足だ!」
「ええ、最低でも伍長は固いです」
「バーカ、先生なら大将だってできるって!」
「伍長は低く見積もりすぎにしても大将はさすがに無理ですよ」
「あー、さすがに将官様は無理かー」
「しかし、上等兵もそれなりの給料が——」
「先生はそれよりも後のことを考えて欲しいんだ。これから兄弟達だって多くなるだろうし」
「僕達の稼ぎだって無限にあるわけじゃないんだしさ」
2人共……立派に成長したな。
確かに2人の稼ぎだけで維持できるようなものではないし、それは歪で不健全だ。
なんとか新しい収入源を考えなければ——
そして運命が訪れた。
「感動した!」
その声は彼らの意識の外から放たれた。
「血も繋がらぬ者同士が己を犠牲にして進むは美しき義」
文字だけを見れば綺麗事か、でなければ子供の戯言か、それとも信者の祈りのそれにしか見えない。
だが——
「美しき血よりも強い絆。軍人としてあるべき姿を魅せてもらった」
有無も言わさぬ強さと純真な心を声に乗せられ、それは同意を求めるものではなく自身がそう有りたいという声明であった。
「どうやら御三方は私より年下のようだが、学生の身であっても先任には違いない。それを感じた。御三方のような先輩がいることに、そして出会えたことに感謝する」
リンクとレヒトは思考の空白から立ち直り、暑苦しい人がいるなぁという苦笑を浮かべたが、自分達が褒められていることには悪い気はしなかった。
そして肝心のカリウスといえば……未だに思考の空白からは立ち直ることができないでいた。
「名前を伺っても?」
「リンクだ」
「レヒトだよ。よろしく」
「……失礼ながら、変わった名前ですな」
「よく言われる」
「僕達は気に入っているんだけどね」
言われ慣れたやり取り(テンプレート)を熟して握手を交わす。
そして件の人物はカリウスと向き合うように立つ。
「貴殿の名も受け取りたいが?」
「……私はカリウス・オットー上等兵候補生だ」
天然物などほとんどが存在しないがその天然物であるプラチナブロンドを後ろでまとめ、190を超える長身。
「私の名前はアナベル・ガトーだ。よろしく頼む」
「ああ、こちらこそよろしく。
美しき戦乙女よ」
「む、女扱いは好まぬ……が戦乙女か、なら特別に許そう」
ナショナリズムとヒロイズムの権化。
それが私のアナベル・ガトーという少女を視た感想だ。
この2つの思想が掛け合わさると何が生まれるかは容易い。
大量殺人を尊い犠牲と宣(のたま)う英雄か、高潔な志で死を生み出すテロリストのどちらかだ。
幸いもうじき戦争が訪れるのは確定しているのだから前者は歓迎されるだろう。後者は敗戦後に生きていた場合はそうなる可能性が高い。
常人なら魅入られる者が多いだろう。
かくいう私も魅入られてしまった。
「……まさか15、6の少女に一目惚れしてしまうとは、な」
美しい。
ただそれだけだ。
容姿も、その内面も。
「女性を称えるのに魔性という言葉を使うが、正しくあれが魔性だろう」
男が女に貢ぐことは多々あるが……彼女に捧げるのは他者の命ということになるだろうな。
なかなか業の深い今生の初恋になりそうだ。