海賊討伐のおふれが下されてから、早四ヶ月が過ぎた。
わずかに肌寒さを感じる春はとうに過ぎ去り、夏の蒸した匂いのする七月になっている。
この時期、薩摩と北山の争いはこう着状態にあった。戦闘はもっぱら遭遇戦に留まり、互いに狙って攻めようとする動きはなかった。
少しだが錦紅港に入港する商船の数も戻り、閑散としていた湊も幾ばくかの賑わいを取り戻している。
薩摩の民衆間では、海賊の正体は伏せられたままである。無用の混乱は避けたいという紅玉の意思であったが、すでに海賊は北山の軍隊であるとの噂が実しやかに囁かれるようになっていた。
亜衣が薩摩の錦紅港を訪れたのは、そのような折のときだった。
「これが錦紅港か」
亜衣の言葉には驚きの色があった。
軒を連ねる屋台店のあまりに侘しい品揃え、かつての隆盛は見る影もなく消え去っているのだ。
付き人として同行してきた衣緒も、言葉がないようだ。しきりに辺りを見回しながら、愕然としている。
錦紅港といえば、筑前県の那の津、火前県の坊の津にならぶ九洲の三大湊町の一角である。当然その他に数えられる湊とは規模も収益も繁盛も違いすぎる。
それがどうだ。いま目の前に映る薩摩県が誇る巨大な湊は、地方の小さな漁港といかほどの違いもない。
北山との抗争は、亜衣の予想を大きく上回って深刻なものとなっていた。
二人は市場の隅々まで足を運んだ。品揃えはなんとも貧相なものだ。いつか阿智が着ていた琉球独特の織物は豪族層に人気があったが、それもまったく見かけない。
「これでは利益にならないぞ」
亜衣の表情は苦い。亜衣もまた茶で利益を得る茶葉商人(ちゃばあきんど)である。交易における既得損益は心得ている。
交易自体は豪族や商人の独断で行われるが、その際、売り上げの何割かを国庫に納めることになっているのだ。
関税はもちろんとして、荷揚げや運送の舟銅前(ふなどうまえ)を上方に支払わねばならない。
この銅前こそが筑前、火前、そして薩摩の財政を大いに支える力の源なのだ。とくに薩摩などは、この銅前によって持ちこたえているといっても過言ではないのだ。
もしも今の状況が続けば、遠からず薩摩の財政は破綻するであろう。豪族の多くも薩摩に見切りをつけて、他県に移住するかもしれない。
そうなっては、もう、薩摩に再起の可能性は万に一つもありえなくなる。
——認識が甘かった!
亜衣はそう思わざるを得なかった。それほどの衝撃だった。
「こんなことで、薩摩は大丈夫なのでしょうか?」
衣緒の言葉も心配そうだ。亜衣は直ぐに答える事が出来なかった。
「・・・・・・今は、どうにもできまい。重然にまかせるしかない」
重然の活躍は亜衣の耳にも届いていた。錦紅港の賑わいも以前に比べれば戻っているとも、鹿児島城の香蘭から聞かされていた。
だから亜衣はあまり事態を深刻に考えていなかったのだ。重然ならば大丈夫だろうというある種の慢心があったのだ。
だが——
「早いうちに、手は打つべきだろうな」
薩摩が潰れないうちに——と、心の中で語尾を付け足す。
海賊の正体は北山である。それは間違いない。先立って重然が遣わした“ホタル”からの報告がそれを裏付けている。
ただ、いまだ北山の意図は見えてこない。現場では侵略だとする意見が多いが、国政にかかりきりの亜衣は、しょせん海賊という程度の認識しかもっていなかった。
「いちど、重然さんにお話を聞いたほうがよろしいのでは?」
衣緒の言葉に、亜衣はうなずいた。
「湊口にいくぞ。詳しいことは、そこでわかろう」
「はい」
前線の指揮所である陣幕は、船の発着場に設けられている。
薩摩荘を尋ねたとき、重然は陣幕にいると紅玉から教えられていた。くわしい話が聞きたければ、重然に聞けということなのだろう。
市場を後にした亜衣と衣緒は、細い道を通って湊口へとむかった。
亜衣と衣緒が陣幕を尋ねたのは、ちょうど昼時のことだった。陣幕では重然を含めた五人の武将が、雑炊を食べながら雑談をしているところだった。
雑談といっても、話の内容はやはり北山のこと。床机を囲む五人に笑顔はなかった。
突然の来訪に重然は驚いたが、取り乱すことなく亜衣を上座へと招いた。重然は薩摩の最高司令官となったが、亜衣の身分はその遥か雲上にあるのだ。
「すまない、私にも雑炊をくれないか?」
すっかり昼飯時であった。朝から何も口にしていない亜衣も空腹を覚えていた。
年若い武将が緊張しながら雑炊を器によそって亜衣に差し出した。受け取るとき、亜衣が微笑んで「ありがとう」と応えた瞬間、青年は顔を真っ赤にさせてしまい、衣緒からも同じようにされて、今度は石のように固まってしまった。
だらしなくニヤケる青年を見かねた武将の一人が、ぼそっと声を掛けた。青年は慌てたように手を引っ込めて、そのまま俯いてしまった。
武将たちが、はぁ〜・・・・・・と、額を押さえた。
「宰相さま、すいやせん。せがれがご無礼をしました」
「いや、気にしなくていい」
亜衣は笑って手を振った。その一言に武将も青年もいちようにほっと安堵の息をはいた。
雑炊をすすりながら、亜衣は床机に目を落とした。床机の上には土で模った地図がおかれている。
薩摩半島、大隈半島、黒島、硫黄島、種芽島が、実際の位置と遜色なく配されている。
亜衣の視線を追った重然は、現状を簡単に説明した。大筋は亜衣もあらかじめ聞き及んでいたが、実際に現場の声を聞くと、知りえないこともまた多かった。
とくに、重然たちの認識には、正直に驚きの念を禁じえなかったほどだ。
「宣戦布告?」
「あっしらは、そう思っとります」
「ふむ・・・・・・」
お椀をおいて、亜衣は考えをめぐらした。
どうやら並ならぬ様相を呈しつつあると思っていたが、まさか戦争に発展しかけていたとは露ほども考えていなかった。
亜衣は今回の一件に関して、詳しいことは殆どしらない。相手が北山だということは知っていたが、言い換えればそれぐらいしか知らなかった。
だが思えば、予兆できる材料はいくらでもあったはずなのだ。
香蘭・紅玉親子が重然を頼らねばならなかったこと。
重然がわざわざ火魅子の綸旨を賜らねばならなかったこと。
かつては九峪の、今は伊雅の直轄部隊である“ホタル”を要請したこと。
思い返せば、おかしなことだらけではないか。どれもただの海賊退治のためにしては、いささか特異すぎる対応だ。
しかし、だからこそ亜衣にはわからなかった。
これだけの出来事があったにも関わらず、亜衣の下に詳しい情報はまったく入ってこなかったのだ。島を七つ占領されたという話でさえ、たったいま重然から聞かされて知ったくらいだ。
いくら忙しい日々が続いたとは言え、これはあまりにおかしい。宰相である亜衣に届けられて然るべき情報が、何も入ってきていなかったということになるのだ。
——まさか、意図的に情報を封鎖された?
そんな疑念が、胸中にわきあがった。そう思えば合点がいく。
「衣緒。お前はこのことを知っていたか?」
となりで事の成り行きを見守っていた衣緒は、首を横に振った。どうやら衣緒も詳細は知らなかったらしい。
亜衣も衣緒も驚くことばかりだったが、重然たちもまた驚いていた。
「亜衣様、ご存知なかったんで?」
てっきり上方にも話は伝わっているとばかり思っていた。こと北山との戦争となると、重然の一存で行動することが出来ないのだ。
したがって、重然にはある程度の独自行動権はあるものの、火魅子や亜衣の指示を仰がねばならないのだ。
その亜衣が知らないなどと、重然には信じられないことだった。
「私のもとには、七島のことも伝わっていない」
「・・・・・・」
重然はなにも答えなかった。ただ手に持った碗をみつめていた。
「・・・・・・役人だ」
先ほどの青年が、力なく呟いた。亜衣や重然、武将たちも青年のほうを向いた。
青年は憎憎しげな表情をしていた。
「役人が、宰相さまに伝えなかったんだ。そうに決まっとる」
「役人が?」
青年はコクッと頷いた。
「あいつら、国力回復だか何だか言って、兵士を少なくしとる。戦争なんかもう起きないなんて思っとるんだ」
「それと亜衣様に伝えないのと、なんの関係がある?」
「北山のことを、ただの海賊としか思っとらんのだ。だから宰相さまに伝えとらんのだ。そんな必要がないと思っとるんだ」
「なるほど、な。それはあり得るかもしれんの」
恰幅のよい武将が言った。
「若僧の言うとおりだろう。戦争だと騒ぎになって兵士を集められるのを嫌がったのかもしれぬし」
武将たちの言葉には、亜衣も納得できる部分はあった。
兵役緩和は役人の大多数が賛成していたが、戦場を知る少数派は反対していた。
亜衣は基本的に中立を演じていた。兵役の緩和はたしかに問題もあるが、九洲の財政が切迫していたのもまた事実だったのだ。
もともと、共和国の前身である復興軍時代から金欠状態だったのだ。財政不振は戦時中も続き、終戦から五年が経った今でもやはり続いていた。
そのためどちらとも言えず、結果として兵役を免除される者が続出。代わって産業が盛んになってきたのだ。
しかし役人連中は、亜衣が心中で反対していることを知っていた。だから亜衣に情報を伝えなかったのだ。
それが悪意ゆえの行動なのか、それとも純粋に、国政に専念してほしい一心から来る親切心に拠るものなのか、亜衣にはわからない。
わからないが
、知ってしまった以上、宰相としてこの一件を深く考えねばならなくなった。
「役人のことは、今は隅にでも置いておこう。問題は、北山に九洲を征服する意思があるのか、ということに尽きると思うが」
役人のことはひとまずとして、目先の問題は北山のことだ。
もしも北山に九洲と事を構える意思があるのならば、亜衣は宰相として、それなりの姿勢を示さねばならなくなる。
だが亜衣としては、北山との戦争など願い下げである。
現状の九洲は非常に不安定だ。財政の建て直しも中途半端、兵役を緩和したため軍備も中途半端。
九峪を支持していた武将たちも軍部から追放され、実戦経験が豊富な武将も少ない。
いくさが始まれば、はたして勝てるだろうか。そんな気持ちが芽生えるほど、今の共和国は不安定な国家なのだ。
できることならば、ただの海賊であってほしかった。国家同士の争いほど、面倒なことはない。
「北山とのいくさは、出来る限り避けるのがいいだろう」
「ですが、敵はもう手を出してきとります。あっしらにその気がなくとも、向こうは攻めてきますぜ」
「宰相様、旦那の言うとおりです。北山はきますぞ」
「いや、そうと断定するのはまだ早い」
亜衣は床机に置かれた模型の地図を指差した。
「仮に、だ。北山が我が共和国を害する腹積もりならば、なぜ、今をもって攻めない」
「と、いいますと?」
恰幅のよい武将が尋ねた。
「北山が薩摩と大隈の海峡に現れたのは、一月からなのだろう? ということは、それ以前にはすでに、以南の七島は尽く奪われていた、ということになるはずだ」
「左様ですが」
「そして、今は何月だ? 春をとっくに越して、もう真夏の七月だ。この七ヶ月もの間、なぜ敵は積極的に打って出てこない」
武将たちは「ああ」と声を上げた。言われてみれば、たしかに、七ヶ月も目立った動きをしないのはおかしな話だと思った。
北山との戦闘はいたるところで起こっていたが、そのどれもが散発的で、とても何かしら明確な目的の元の行動とは思えなかった。
狙っているものが商船に限られているというのも、またおかしな話だ。そのせいで薩摩は最初、北山を海賊だと思っていたのだ。
「攻め滅ぼす上でもっとも肝要なるは、何よりも『速さ』だ。孫子曰く、『兵神速を持って是を貴ぶ』ともある。征服する意思があるのにも関わらず、七ヶ月もの時をただ浪費するなど、下の下と言わざるを得まい」
「では宰相様は、敵には何か企みごとがあると、そう仰せになられますか」
「それはわからん。その真実を知るためにも、情報がほしい」
亜衣は重然へと視線を転じる。
「重然。ホタルが敵の目的を暴くまで、無闇な行動は慎め」
「はっ。心得ておりやす」
いわれずとも、重然に動くつもりはない。先立ってその方針を諸将にも下したところである。
亜衣は頷くと、また考えをめぐらした。北山の動向には不審な点があることはわかったが、その真意はどこにあるのか。
なぜ島を奪ったのか。侵略する意思はあるのか、ないのか。この七ヶ月もの間、敵は何を考えているのか。
敵がまったく見えてこない。そういう状態が、亜衣は余り好きではなかった。
思い返せば、天目と対峙したとき、彩花紫と対峙したときも、まるで先は読めなかった。
よもや、狗根国とのいくさが終わってなお、このような不安を抱くことになろうとは思わなかった。
北山は容易ならざる相手であろう。北山が動き出す前に何としても、その目的を暴かねばならない。
それまでただ待つしかない。余裕のない薩摩には酷な話だが、ここは我慢してもらわねば。
「事によれば、この一件は薩摩だけの問題では済まされなくなる。女王の言も賜らねばなるまい」
「おお、それはありがたい」
武将たちが喜色よく声を上げた。女王の一声がかかるということは、共和国全体の協力を取り次いだことと動議である。嬉しくないはずがない。
普通は他者の手を煩わせたくないものだが、薩摩はいつ財政破綻をきたしてもおかしくない状態が続いている。北山がどう動くかわからない以上、面子に拘っている暇はないのだ。
そういう実情の上では、亜衣の言葉に期待してしまうのも無理からぬことではある。
火魅子に談判する意向を約束した亜衣は、衣緒とともに陣屋を後にして、さっそく耶牟原城に引き上げることにした。思いがけない薩摩の現状を知ってしまった今、もたもたと時間を潰すわけにはいかない。
馬を走らせて錦紅港を出ると、どこにも寄らずに耶牟原城を目指した。馬の尻を鞭で叩いた甲斐もあり、その日の夕暮れすぎには自分の屋敷に戻ることが出来た。
衣緒も亜衣と同じ屋敷住んでいる。羽江は亜衣や衣緒とは別に屋敷を構え、今は別居中である。
二十二歳になった羽江は、九峪の指示で設立された兵器や道具の研究機関に所属し、その近くに住まうようになっていた。最近は恋人も出来たとかの話も聞き、衣緒は何やら焦りを感じ始めていたりする。
湯を浴びて床に就いた亜衣だが、どうにも眠れる気がしない。頭はずっと働いており、休むことを拒否していた。
頭に浮かぶことは、北山のこと。考えてどうにかなるモノではないのだが、やはり考えてしまうのは、常に機略よって生きる者の宿命かもしれない。
とにかく、明日だ。明日になって女王や大将軍、幕僚たちと話し合いをするべきだ。
何度も念じるように心の中で繰り返しそういい続けると、次第に睡魔が身体を支配していった。
最後にため息を一つついて、今度こそ亜衣は考えることをやめた。寝息は直ぐに聞こえてきた。
日も暮れた薩摩荘の屋敷で一堂に会した十三将は、ホタルの持ち帰った情報を前に困惑するしかなかった。
重然を上座にして、左右にそれぞれ六人ずつが座っている。そこには愛宕など、副官級の武将数人、火向県から馳せ参じた織部も列席していた。
下座には偵察から帰還してきたホタルの乱波が、方膝をついて彫刻のように佇んでいる。
皆が皆、一言も言葉を発することが出来ずにいる。重然も押し黙り、織部などは腕を組んだ姿勢で、眉間に皺を寄せている。
燭台の明かりだけが部屋を照らしている。薄暗い部屋同様に、場の雰囲気もどこか陰りがある。
「—— わかった。下がって休んでくれ。・・・・・・ご苦労だった」
「はっ」
乱波は深く頭を下げて、さっと身軽に部屋を後にした。
そんなやり取りの後があって、ようやく場の沈黙は破られた。
「異なことになった」
ほとほと困り果てた事態に、武将の一人が嘆くような一言を漏らした。
亜衣は約定どおりに火魅子の下知を得て薩摩にその旨の書状を送っていた。
緊急時における徴兵、米や武具など物資の供給などの許可を得たことが主な内容として記されている。
この決定は亜衣が宰相としての地位を利用して強行したものだが、それが女王の下知によるものでもあるため、役人たちは渋々これに従う形となった。
そしてその直後に、北山に潜り込ませていた乱波が無事に帰還してきたのだ。待ちに待った詳しい情報である。小躍りしかねないほど沸きあがった。
だが詳細がわかればわかるほど、重然たちの首は横に傾いていってしまった。
乱波の報告を要約すると、
——北山に九洲を侵略する意思はない。北山は耶麻台共和国と『同盟』を結びたいと考えている。
というものであった。
集合した武将全員が首をかしげた。そして混乱した。北山の行動には矛盾があった。ゆえに迷ったのだ。
「結局のところ彼奴らは何がしたいのだ?」
といった言葉が、そこかしこで沸き起こった。
侵略する構えを見せたかと思うと、その気はないという。ではなぜ七島を占拠したのかがわからない。
是非を問いあう武将たちには触れず、重然はずっと押し黙っている。視線はずっと床に定められている。
北山のやっていることは何もかもがおかしい。『同盟』を結ぶものとしても、相手の領土である島を奪い取り、商船を襲い、軍艦を沈めている。
そんなことをして同盟などと言った所で、どれほどの説得力もない。ないのだが——
そう思えばこそ、わかってくる気がするのだ。うすうすと、重然の頭の中で形のなかった敵の意図らしきものが見えてきた。
説得力のない行いが、逆に、明確な確証になっているとすれば、話は違ってくる。
ふと、武将たちの話し声がピタリと止んだ。重然が突然立ち上がったからだ。
十二人の視線に貫かれるのも気にせず、重然は縁側に出た。月は出ていない。松明の明かりが重然を暗闇に赤く映し出している。
星がまばゆい夜空を見上げる。
「旦那?」
後ろから声をかけられても、重然は振り向かない。
「・・・・・・七ヶ月もの間、連中がなにを見ていたのか、わかった気がする」
重然の呟くような一言に、武将たちは顔を見合わせた。
次の言葉を待つ武将たちを振り向いて、妙に確信じみた言葉を口にする。
「『同盟』する意思があるのは、間違いないと思う」
「根拠は?」
元の場所に座った重然に、武将の一人が尋ねた。
重然は武将の瞳を見つめながら、
「理由は敵が攻めてこないことだ。亜衣様も言っていたが、七ヶ月ものあいだ本土に攻め寄せなかった。もしも同盟を望んでのことならば、七ヶ月の間商船や軍船ばかりを狙った説明が付く」
「だが、同盟というのであれば、何ゆえ島を占拠した? それに同盟ともなれば、使者の一人でも立てて談判するものではないのか?」
「それは・・・・・・」
そこが重然の悩みどころであった。
この一点が、まったくもって不可解に尽きるのである。『同盟』とは講和によって成り立つものだ。したがって北山の進攻は講和とは真逆の行いなのだ。
同盟を結ばんとする相手に対して刃を向ける。これでは成功する和睦も失敗に終わるは必定となる。
重然は敵に和睦の意思がると考えている。それは間違いないとも思っている。だからこそ、自分たちがどう動くべきかも、わからなくなってしまうのだ。
議論は進まず、結論が出されることはなかった。とりあえず現状は様子見を続け、一度、紅玉や亜衣に相談することとして、その日の軍議は幕を下ろした。
翌日になっても事態が急変することはなかった。相変わらず小規模な小競り合いで始終し、北山から目立ったアプローチがかけられることはなかった。
ただ『和睦』の二文字が、不安定に目の前に突きつけられているだけ。薩摩の十三将は、この戦いに終わりがあるのか、そんな愚かしい不安さえ抱くようになっていった。
それでも重然は、根気よく耐え忍び続ける選択をした。そろそろ諸将の中から痺れを切らす者があらわれるかもしれない。だが『和睦』の意思を確信している重然だけは、ただ待ち続けた。
その間にも、薩摩沿岸の防備は着々と整えられていく。浜には無数の杭や柵、物見櫓を立付けた。要所に小さな砦も築いた。
和睦を信じてはいても、決して油断などしない。いくさにおいて油断こそが大敵であると重然は十二分に心得ていた。
七月も半ばのころ。北山の動きがわずかに変化した。いや、厳密に言えば違うだろうか。
北山との遭遇戦が発生しなくなったのだ。それはつまり、北山が商船を襲撃しなくなったということであり、極端に言えば、出航すらしていないということである。
重然がこの微妙な変化に気づいたとき、薩摩の海は平穏そのものとなっていた。
重然は唖然とした。気がついたら、薩摩の海に北山は現れなくなっていたのだ。重然だけではなく、十二人の武将たちも首をかしげた。
こうなると、逆に不安に駆られるものだ。緊急の軍議の席で、十三将は事態の把握を急いだ。
「敵方に、何かしらの動きがあるのだろう」
虎のような髭を生やした武将が、厳しい声音で言った。
この武将も、ここ最近の変化には疑問を抱いていたのだ。海に出ても、北山の旗は一つとして見られなくなったのだ。
根城としている島の近くまで行けばその限りではないが、それだけ敵は遠出をしていないという事でもあるのだ。
「北山は、何かの準備を始めたのではないのか?」
「それは考えられるのう。もしかしたら、一気に攻め寄せてくるかもしれぬぞ」
ざわっと、武将たちが色めきたった。
なつほど、たしかに北山の制動は、まるで決戦を前にした静けさにも似ている。体力と鋭気を蓄え、来る『時』を待っているようにさえ思えてくる。
—— いよいよか。幾人かの武将たちの胸中に、同じ思いが駆け巡る。
「いや、まて。まだ北山の攻撃が始まるという確証はどこにもないぞ」
一方で慎重な意見を持つ武将もいた。こちらの言い分も尤もなことで、北山が攻撃の準備をしているという証拠は何一つとしてない。
ないのだが、それでも武将たちは、何かピリピリとした『予感』が差し迫ってくるのを、肌と心で感じ取っていた。潮風に乗って、殺気のような不快な緊張が漂ってくるのだ。
「旦那。旦那はどう思っている?」
推測が飛び交う中、武将の一人が重然に意見を求めてきた。それと同時に、幾対もの視線が、腕組をして黙っている重然に向けられた。
じっと床机に落としている視線は、薩摩の海を模した海図に注がれている。
北山が何を考えているのか。それを見極めんとするのだが、やはり重然の知りえるところではなかった。
重然の頭の中にはどうしても『同盟』が引っかかるのだ。この一言が重要な意味合いを持つことは間違いないのだが、逆に、他にある可能性の発見を邪魔する要因にもなっていた。
必死に情報を整理するのだが、何しろ手元にある情報量は少なく、また不可解なものばかり。
手のつけようがなかった。
「・・・・・・何かの準備をしている、というのは、ありえる話だと思うが」
言葉を選ぶように口を動かす。自身の意見を言葉にしているというよりも、情報を整理しながら独り言を呟いているようである。
元来、重然はそこまで思慮深い男ではない。まったくの脳足りんではないのだが、腹の探りあいや謀略戦では絶対に後れを取る男である。
もしもここに亜衣がいれば、これほど悩むことはなかったかもしれない。九峪がいたら、もしかしたら即解決にいたったかもしれない。
だが重然は、与えられた情報を、一つ一つ繋ぎ合わせるしか方法を知らなかった。亜衣のように複数の事柄を結びつけることも出来なければ、九峪のように多角的な視点で情報を結びつけることもできない。
ぶつぶつと、自身の納得を生み出せるように、情報を整理していった。
そして十分ほどが経った。武将たちも皆、固唾を飲んで重然の言葉を待っている。彼らにしても、考えられることは大体話し合った。
ふいに、重然の肩が揺れた。顔を上げた重然の表情は、僅かな緊張を貼り付けていた。
「・・・・・・直ぐに船を出せっ!!」
驚くほど大きな声だった。部屋の外で見張りをしていた兵士たちまでがぎょっとするほどの声量だった。
武将たちはすぐさま反応することが出来なかった。重然はもう一度、
「直ぐに船を出すんだッ!」
と、やや小さくなった声で言った。そこで武将たちも、ようやく腰を上げた。
「い、いったいどうしたんだ、旦那?」
困惑しながら武将が尋ねた。重然は落ち着きを取り戻した表情で、バンッ! と乱暴に床机を叩いた。
「大隈海峡から西側にかけて、艦船を集結させろ! 全ての船を出すんだッ!」
「す、全てをか?」
「全部だ、一隻残らず、全部だッ!」
「わ、わかった」
あまりの剣幕に上擦った声で答えると、武将たちは慌てて軍議の間を飛び出していった。
重然は理由を明らかにしていないが、それでも武将たちが従ったのは、抜き差しならない事態を感じたためであった。
何かが起きるッ! 武将たちも今度は重然の言葉より明確に、迫り来る気配を感じ取っていた。
慎重な姿勢を保ってきた壮齢の武将や、年長である老将なども、何も聞かずに出て行った。軍議の間には重然ひとりが残された。
入り口の向こうから、見張りの兵士が部屋の中の様子を覗き見ている。だがそれを注意するつもりなど、今の重然には欠片ほどもなかった。
少しして、荒々しい足音が近づいてきた。見張りが慌てて姿勢を正した。
「お頭ッ!」
「重然、何があった!?」
織部と愛宕が慌てたように軍議の間に入ってきたのだ。重然の大声が聞こえて、何事かと心配したのだ。
二人に目を向けると、また視線を海図に落とす。いつになく険しい雰囲気に、織部も愛宕も一瞬怯んだ。
「おい、重然、どうした」
傍に近寄るが、重然の表情は変化しない。まるで織部の言葉が耳に入っていないかのようであった。
「オイッ!!」
無視されて腹が立ったのか、今度は耳元で怒鳴ってやる。するとさすがの重然も「うおっ」と呻いて耳を押さえた。
「お、お譲、聞こえてまさ」
「だったら返事しやがれ、このタコッ!」
「姉御ッ。お、落ち着いて」
罵倒する織部を、愛宕が背後から宥める。
なおも織部は罵倒したが、気がすんだのかはぁっと息をはいて、重然を睨みつけた。
「で? いったい何をあんな大声出したんだ?」
「そ、そうでっすよ。どうしたんでっすか?」
はっと、重然の顔が再び引き締まった。すぐまた視線を海図に落とすと、二人に手短に事態を説明した。
話を聞くうちに、二人の表情も険しくなっていった。
「重然、それは本当か?」と織部が尋ねた。重然は「いや」と前置きして、
「あくまであっしの推測なんですが」
と答えた。
「ですが、万が一もありやす。備えるにこしたことはねぇでしょう」
「そりゃそうだ」
答えて、織部は笑みを浮かべた。口元を吊り上らせた、攻撃的な笑みだった。
「あたしとしちゃ、万が一を願うね。いい加減うんざりしていたところさ」
「姉御、嬉しそうでっすね」
「へ、まぁな。ここいらで『いいトコロ』も見せつけねぇとな」
そう言って愛宕を見る織部の瞳は、いやに挑発的な光を放っていた。
愛宕が顔を赤くして、怒ったように目を吊り上げた。握りこぶしがワナワナと震えている。
「ま、負けないでっすよ!」
噛み付かんばかりの勢いで織部に食って掛かる。それを簡単にあしらった織部は、
「準備する」
とだけ言い残して、さっさと軍議の間を出て行った。愛宕も追いかけるように出て行き、また重然だけが、軍議の間に取り残された。
「・・・・・・なんだかなぁ」
ぼそりと呟く。嬉しさ半分、迷惑半分といった様子である。男として嬉しい展開ではあるが、困ることに変わりはない。なんとなく、九峪の苦労も判った気がした。
だが直ぐに、雑念を思考の外に追い出してしまう。今は男冥利に尽きているわけにはいかない。
不思議な感覚だった。『ひらめく』とは、このようなことを言うのかもしれないと思ったほどに、重然の頭の中で北山の動き一つ一つが組み合わさっていったのだ。
なぜ北山がここしばらく動きを見せていないのか。侵略するとしても、なぜ七ヶ月も目立った進攻をしてこないのか。
すべては、同盟の二文字に集約される。同盟のための布石とするならば、或いは・・・・・・。
——杞憂であればいいが。重然は海のある方角の空を睨みつけた。もう空は茜色に輝いていた。
綺麗だ。そう思う傍らで、こうも思った。
まるで炎が空を焼いているようだ。多くの血を、空に塗りたくったようだ、と。
それは戦士としての直感であった。ただただ、赤く広がる夕暮れの空を、時の許すかぎり眺め続けた。