宗像海人に夫を惨殺されてから、羽江は、心に大きな傷を負ってしまい、心の病に伏してしまった。昼夜を違わず泣きはらし、目の周りはぼってりと晴れ上がり、見るものに沈鬱な思いを抱かせる。そんな羽江は、片時も離さず雨嬉といたがり、涙を流しながら我が子をあやしている。
羽江の夫は太七郎という名をしていたが、この太七郎を切り殺した男の名は、正元(しょうげん)といった。正元は特に地位も何も持たない、低い身分の一介の海人でしかない。
昔から、山の者は諦めが悪く、原の者は辛抱強く、海の者は気性が激しいと言われてきた。なかには、阿智など涼やかな性格の海人もいるが、それは例外である。蔚海のように、激しさの方向が違う者もいるが、ともかく、何かしら燃え上がる激情を表に現しやすいのが、海人の人種的特長といえた。
件の正元とは、まさに典型的な海人で、とにかく喧嘩っ早い男である。一もニもなくすぐに頭が沸騰したかの如く血が上り、自分でも気づかないうちに手を挙げているということもしばしばあった。
そんな激しい気性に、海人衆の天下ともいえる蘇羽哉執政——という名の蔚海政権——が始まれば、もう怖いものなど何もない。
さらに悪いことに、正元はあまりにも身分が低かったため、羽江夫妻の顔を知らなかったのだ。つまり正元は、相手が得宗の羽江夫妻であるとしらず、その旦那を殺し、羽江を攫おうとしたのだ。
正元は警徒に身柄を拘束されたが、蔚海から強い圧力を受けて結局、無罪放免と相成った。
これで、羽江の無念が晴らされるはずがない。また、亜衣や衣緒の無念も、晴らされるはずがない。
初めて亜衣は、蔚海が憎いと思えた。使命感からの抗争に、私心の憎悪が煮え滾った。なんとしても蔚海を殺さねば——否、殺したいと強く願った。
亜衣が個人をここまで憎んだことなど、今まで一度もなかった。生まれて初めての強力なまでの殺意は押えきれず、亜衣は一つの決断をくだした。
——宗像海人衆の討伐。
各地の豪族を檄して、蔚海討伐の兵を挙兵させる。そして蔚海を倒し、宗像海人衆を滅ぼし、政権をこの手に取り戻す。亜衣から完全に理性が失われていたら、きっと亜衣は、蔚海以下海人衆の首を太七郎の墓前に供えるかもしれない。
これは一般には、政府転覆ないしクーデターと呼ばれる行為だ。しかし亜衣は、かつて後漢王朝で起きた、董卓討伐の戦いを知識として知っている。もっぱら紅玉や九峪を講師として得た知識だが、それらの前例もまた、亜衣の蔚海討伐を決意させた要因の一つであった。
勝算はある。重然の反乱軍が、宗像海人衆の支配圏である直方平野を抑えてくれたおかげで、亜衣の敗北は万に一つもなくなった。招集をかけて一万、重然の一万、そして蔚海が集めた軍勢の中からも、多数の離反者が現れることは明白である。
一つ問題があるとすれば、蔚海に感づかれる前に、事を起こせるかどうかだろう。羽江を自身の屋敷に移して直ぐに、亜衣の屋敷は、屈強な海人衆の男たちに『監視』されている。
こういうときこそ清瑞にいてほしい。だが亜衣には、理不尽な多忙に苦しむ清瑞が、いまどこにいるのかすら分からない。
清瑞と連絡を取る手段を、伏龍と化した亜衣が、虎視眈々と伺っている。
琉球から九死一生で逃げ出してきた北山・派遣団の残党が、頻繁に加奈港へ使者を送ってきている。
残党勢力は非戦闘員あわせて一万八千人にものぼる。これだけの大人数を乗せるには、艦船は少なく、また損傷も激しい。食糧も殆ど底を突いており、種芽島に自生している山菜や動物は見る影もなくなってしまった。
とにかくも、まずは加奈港に人員の受け入れをしないことには始まらない。受け入れ船の到着を、音羽たちは今か今かと待ち焦がれていた。
しかし、音羽たち派遣団は、すでに政権が蔚海の手に落ちている事を知らない。琉球で戦う将兵たちの七割以上は、文官と対立的だった武将たちであり、彼らの受け入れを、文官たちが望むわけがない。
それまで国家を進めていた政敵の政を完全否定することは、政権交代における暗黙の鉄則と言える。蔚海もその慣例に違うことなく、三度に及んだ派遣を痛烈に非難して、過去それらの出来事をなかったことにした。
つまり北山だけでなく、八千人とも九千人とも言われている音羽たち九洲勢の帰還さえ、決して認めない方針を示したのだ。
生き残りの中には生死を問う重患者も多く、実際、種芽島のいたるところではハエの集り場が出来上がっていた。そう遠くないうちに、種芽島に疫病が蔓延し、みな死に絶えることだろう。それもまた、蔚海の狙いであった。
動かせるだけの艦船は、すでに加奈港へ向かって出向している。それらの受け入れに追われていたのは香蘭であったが、その香蘭の元へも、残党の受け入れを禁止する趣旨の通達が、宰相の蘇羽哉の名義で下された。
香蘭は多いに迷い悩んだが、いまは上方と衝突するべきではない、同情は十分だがいまは堪えよという、紅玉と家臣たちの言葉を聞き入れ、泣く々々加奈港への入港を全面禁止した。
——それだけならば、まだよかった。香蘭は入港を禁止する代わりに、外加奈の城に備蓄されている食糧を持ち帰らせようと考えていたからだ。亜衣からはそう指示されていたし、もはや、自分にはそれくらいしか出来ないと思っていた。だが、それが蔚海には気に入らないらしく、彼の逆鱗に触れてしまった。
余計な事をすると国家への反逆とみなすという、おおよそこじつけとしか思えない言いがかりをつけられ、逆に加奈港に寄っている残党をいますぐ一人残らず追い出せと命令される事態になった。
逆らえば、香蘭——ないし薩摩そのものが、火魅子の敵とされてしまい、討伐の対象となる。しかし、傷ついてなお生き延びてきた同胞たちを、無体に追い返すこともしたくはなかった。三日三晩、香蘭と紅玉たちは悩みに悩んで、出した結論は使者を追い返すことだった。
せめて見送るだけでもと、香蘭は加奈港の港に立った。水面を紅く照らす夕焼けが、まるで血に染まっているようで、それが転じて遠ざかる船が流血しているような錯覚を香蘭に与えた。
「なんでこんなことをしないといけない・・・・・・」
夕闇に、香蘭は吼えた。この世に生を受けて、紅玉の胎から生れ落ちて、初めて香蘭は何かを『見捨てた』のだ。戦いのときですら感じなかった罪悪感が、情緒溢れる彼女を心底から揺さぶった。
追い返されてきた使者の、やりきれない表情は、音羽たちを絶望させるに十分であった。見捨てられた・・・・・・と、誰もが思った。
幸いなことに、香蘭が持たせられる限りの食料は持ち帰らせてくれた。しかしその量たるや雀の涙ほどしかなく、あっという間に底を尽くだろう。みんなでわけあって、三日が限界の量だ。漁で取れる魚介類にも限りはある。
つい先ほど、種芽島へ物資などを運んでくれていた斯波虎も、加奈港へ引き上げてしまった。もう種芽島へ来ることはないだろう。
「九洲は、完全に文官の世になってしまった・・・・・・」
そう小さく呟いたのは、遠州であった。九峪の側近の一人で、九峪派の最右翼だった遠州には、自分たちの理解者であった亜衣の失脚は、生きる希望を失いかねないほどの衝撃となっていた。
元星三年から始まった文武の騒乱は、元星八年のいま、蔚海によって文官の政治奪取という結末を迎えようとしている。武官は再び力を失い、歯向かうものは容赦なく誅殺される、武道にとって暗黒の時代が幕開けようとしている。
遠州や音羽などは、自他共に認める九峪派だから、純粋に『敗北した』という思いが強い。それゆえ悔しさは単純なものだ。しかし上乃などのように、ただ文官から嫌われただけで、あたかも島流しされるみたいに琉球へ送り込まれた武将は、やり場のない複雑な悔しさ切なさに身を焦がした。
帰りたい、という思いは、音羽たち以上に強烈だろう。自然、強行突破であろうとも故郷に戻りたいという声がそこかしこで沸き起こった。発生源がどこかはわからないが、その叫びは、またたくまに種芽島中を飲み込んだ。
「ようやくここまで戻ってこれたのに・・・・・・こんな、外れの島で犬死するなんて、そんなの絶対にイヤよッ!!」
誰よりも悲痛に叫んだのは上乃であった。上乃は額に包帯を巻き、衣服はあまりにみすぼらしい藁縫いの短袖という姿で、体中が泥やら血やらで汚れきっていた。柔らかだった髪も、縄のように固まってしまっている。
すでに帰るところのない北山勢は、それらを遠目に、生気を失った目で眺めている。うち捨てられた廃屋が、北山勢の住居となっている。もはや九洲勢の誰も彼もが、北山を責め立てない。それまでの恨み以上に、いまは故郷に帰りたいからだ。
かつての酋長屋敷が話し合いの場とされた。九洲勢のなかには、上乃を中心として、加奈港を圧し通ろうとする意見が盛況となっている。持ち帰った食料が底を尽いた四日目、上乃の眼球は赤く充血している。
「その蔚海ってのが亜衣さんを蹴落として、私たちを見殺しにしようってんでしょ? だったらそいつを殺して、もう一度亜衣さんが宰相になれば、私たちは帰れるんでしょ?」
「そうだな。しかし、相手はいまや官軍だ。どれだけの規模の兵員を用意してくるか」
「どうせこのままじゃみんな死んじゃうんだよ? だったら死ぬの覚悟で戦うしかないじゃん」
つまり玉砕してでも、加奈港を奪取してしまおうと、上乃はそう言っているのだ。すでにみんなの空腹も限界だ。死者は後を絶たず、このままではたしかに全滅は必死だ。
もともと玉砕覚悟で復興軍に参加した経緯のある音羽はじめ、聡明な遠州までもが、上乃のように強硬論を支持した。例え死ぬとしても、ようは戦って戦場の花と散るか、無様に飢え死にするかの二者択一ならば、武人としての死に方は一つしかない。
そう決まってから、種芽島では、材木を切り倒して船の修理をする雑音が響き渡るようになった。飢餓に苦しみながらも、少ない魚で命を繋ぎとめ、船は少しずつ修復されていった。
九洲人も、北山人も、それまでの因縁を忘れたように、ただ一心不乱に働く様は、どこか異様でさえあった。仮初の協力で結ばれていた彼らは、この期に及んで、理性を超越した生への渇望にのみよって結ばれた。
音羽のように大柄で膂力の高い人材は、貴重な運び手となった。山から切り出した丸太は、本来なら川を流して下流へ運ぶが、種芽島は平坦な島で川瀬も浅く、穏流で、思うように丸太を運べない。しかたなく、音羽たち力自慢のものが、わざわざ海岸まで陸路から運ぶしかないのだ。
対して、上乃や遠州などは船に張り付いている。損傷箇所をつぎはぎで直してゆく。気が利く遠州などは、自然と指示を出す立場に着き、上乃もその言のもとで働いた。
種芽島は南国だが、冬の夜はやはり寒い。とくに廃屋で寝起きする怪我人たちには、空腹と免疫力の低下も手伝って、眠ったまま二度と目を覚まさないものも毎朝現れた。眠ることが恐ろしくなり、徹夜を続け、その結果に死んでしまうものも少なくなかった。
上乃も、眠ることが怖かった。明朝に目を覚ましたときに、新しく出来上がった骸が日一番に目にするのだ。このような死は、戦場での死よりも、ずっとずっと気持ち悪い。その点、音羽は図太い神経をしている。人一倍心配性な音羽は、そのくせして、人一倍思い切りがよく、
「死ぬときは死ぬものさ」
と、使者が加奈港から追い返された直後からよく嘯くようになった。彼女は彼女で、琉球での地獄絵図と蔚海の仕打ちによって、何かを学び悟ったようだ。そういった意味でも、音羽はもはや尋常ではなかった。
だが夜が怖い上乃は、もう身も心も疲弊しきり、いつ発狂してもおかしくはなかった。その上乃を支えてくれたのは、どういうわけか遠州であった。
いや、正確に言えば、耐え切れなくなった上乃が遠州に甘えだした、というのが正しい了見となるだろうか。遠州は、わずかだが方術の心得をもっている。その方術で、毎夜上乃を暖めているのだ。
「もう少しの辛抱ですよ、上乃。加奈港へ総攻撃をかけるまで、決して諦めてはなりません」
夜、上乃の耳元でそう何度も励ました。やさしい言葉にすがって、寒空のした、上乃はようやく少しだけ眠れるようになった。
北山で戦っている頃から、上乃は遠州によく励まされた。元来くよくよすることのない上乃だからこそ、一度心が挫けたら、あとは崩落の一途を辿るばかりだ。その弱く脆い自分を支えてくれた遠州に、次第に上乃の心は惹かれていった。
そして、遠州も遠州で、上乃の事を憎からず想っている。何としても上乃とともに生き延びるのだと、それもまた遠州を支えていた。
安らかに眠る上乃の隣で、遠州も身体を横たえる。その日、種芽島には風が吹いていた。種芽島にたどり着いて十二日目で、使者は二百人を超えた。生き残ったものたちは、この風に合わせて死体を焼き、疫病を遠くに飛ばした。眠るときは常に死体場から風上である。
上乃も遠州も廃屋で眠るが、風の音がやけにやかましかった。長年放置された家屋は建材が腐って、特有の臭気を放っている。そっと上乃の額に掛かった前髪を直してやり、包帯をゆっくりとさすった。血が茶褐色に変色している。
「ん、んん・・・・・・」
傷が疼くのか、上乃が悶えるような声を上げた。
——もう、限界だ。
そう思うたびに、遠州は諦めてしまいそうになる。明日になれば、また人が死ぬ。明後日にも、人が死ぬ。
いまの種芽島は、蔚海によって兵糧攻めにされている。兵糧攻めになった場合、士気がくじかれると、城兵は逃げ出すが、この島からは逃げようにも逃げられない。逃がそうにも、逃がすことさえ出来ない。
でも、それももう少しだ。あと少しで、船は直るのだ。直れば、たとえ死ぬことになろうとも、戦うことが出来る。戦って勝てば、生きる希望が見出せる。
遠州に勝算はない。本土の情報がなにもない。重然が蘇羽哉政権へ反旗を翻して、直方平野を手中に収めたことすら、知るわけがない。
だから遠州は、勝つつもりでいながら、死ぬ覚悟をつけていた。生きることに執着するつもりはない。ただ、上乃が死ぬのなら自分も死ぬ、ということである。
遠州は自己犠牲の人である。誰かのために死ぬ事を、最大の美徳としている。忠義に殉じる、友情に殉じる、愛に殉じることが、遠州の魂を形作っていた。
上乃が、寝ぼけながら遠州に擦り寄ってきた。この温もり、この愛情のためなら、遠州は喜んで死ねた。
九峪は謀略家である。人によっては、軍略家であると呼ぶ。たしかに、九峪は謀略家としてよりも、軍略家としての一面が濃い。
では、軍略と謀略の違いは何か。軍略とは『用兵』のことであり、合戦の作法をさす。対して謀略とは、ただ相手を欺くことである。この点、謀略家には古今より政治家が多く見受けられる。
軍略家としての九峪の活躍に否やはない。当人の初陣となった『伊尾木ヶ原の戦い』は、作戦こそ失敗したものの勝利し、続く『当麻城・美禰城の戦い』での逆上陸作戦は九峪の名声を一気に高め、『刈田城の戦い』、『川辺城の戦い』も実質九峪の作戦で勝利した。以降も、彩花紫の出鼻をくじいた『響灘の戦い』で勝利し、『長湯城の戦い』では天目との直接対決で竜虎相打つ智謀合戦を演じた。
九峪は間違いなく、当節天下に轟く英傑であり、その名声ときたら、
——西に九峪、中に天目、東に彩花紫あり。当代三傑入り乱れては、事安らぐ無かれ。天下泰平、朝露の如し。
西国には九峪がおり、中原には天目がおり、東国には彩花紫がいる。この三人が並び立っている限り、天下は安らがない。天下泰平などと、そんな夢は朝露のようにいずれ消え去るだろう、という狂歌が謳われるほどである。
旭日の勢いで天下統一を目前としていた狗根国を、先ず最初に打ち破った九峪である。すでに倭国中にその名は届いている。そして、九峪が阿蘇へ引篭もってからは、天下は天目と彩花紫の二大勢力にのみ注目している。残念ながら、いまの火魅子はいまだ天下の脅威とは見られず、亜衣でさえそうだった。しかし依然、九洲は天下の大国である。
その九峪が、謀略らしい謀略を行ったのは、じつは『長湯城の戦い』しかない。『美禰城の戦い』を含む場合もある。しかしその二つを取ってみても、九峪は確かな成果を残した。九峪は軍略家としてだけでなく、たしかに謀略家としての才能も秘めているのだ。
さて、その九峪だが、ここしばらく閉口しっぱなしの生活を送っている。自室に篭ることも長く、ときどき、不気味な独り言が聞こえてくる。かと思えば、忌瀬が尋ねてくると頻繁に自室に通し、何時間も話し込んでいる。
何をしているのだろう——・・・・・・と、女中は興味が鎌首をもたげるが、なんだか怖くて中々聞けない。というのも、たまに見る九峪の表情が、それまで見たことが無いほどに不気味であったからだ。
冷たい、といってもいいかもしれない。かがやく太陽のようなお方、と思っている女中には、九峪の血の気の失せた冷たい表情は、どこか冷徹にさえ見えた。
それが新たに手に入れた九峪の謀略家としての顔であるなどと、女中はもちろん知る由もない。
最近とみに、九峪は謀略の相談役として、忌瀬と密談することが多くなった。忌瀬にしてみれば、馬淵などから警戒される身だけに、九峪の元へ足を運ぶのも一苦労である。が、九峪への協力は自分の未来への投資でもあるため、可能な限り阿蘇を登った。
「あの手紙、清瑞にわたしときましたよ」
火桶にあたりながら、忌瀬はいった。あの手紙、とは、九峪から清瑞に渡すよう頼まれていた書状である。
内容は知らない。自分が知っていい情報ではないと察していた。
忌瀬の言葉に頷いた九峪が、喜ぶでもなく「そうか」とだけ応えた。この男にしては、随分と大人しい。
「清瑞はどうだ、忙しそうかな?」
「そりゃあもう。疲労困憊なんてもんじゃないですね、アレは」
「いまごろは、どこにいる?」
「さあ、とんとわかりませんよ。本人だって、明日はどこにいるか、わかってないと思いますよ」
蘇羽哉政権が発足してから、清瑞がどれほど理不尽な指令を受けているかは、九峪も聞き及んでいる。だが、忌瀬がいうには意味もなく走らされることも多いらしく、聞いていたよりもずっとひどい環境に落とされているようだ。
過労死、とまでは行かないと願いたいが、状況は長引けば長引くほど、九峪に不利な方向へ進んでゆく。
「あとは、清瑞の手腕次第か」
九峪が重くいった。その言葉の意味を、忌瀬は図りかねた。
「その口ぶりですと、もうほとんどの手は打ったってことですか?」
「まぁな」
忌瀬は様々な相談を持ちかけられ、書状なども持ち帰ったが、どうやら気づかないうちに九峪の策は最終段階を迎えつつあるようだ。
相変わらず油断ならない、と、忌瀬は舌を巻く思いだった。
だが、しかし、である。感嘆する忌瀬を他所に、九峪の気は張りつめられていた。
さきほど、清瑞の手腕次第といったが、まさしく九峪の策の成否は、清瑞とその配下ホタル衆にかかっているといっても、あながち間違いではない。だからこそ、働きづめで気が漫ろになっていないかと、九峪はそれが心配なのだ。
九峪は策をふたつ遂行していた。一つは宗像海人衆を壊滅させるための策、いま一つは、蔚海の暗殺である。どちらが先に成就してもいいのだが、できるならば、蔚海の暗殺を先に済ませておきたい。
優先順位としては、断然に海人衆の壊滅工作が最重要となる。だがこちらは時間がかかり、悠長にまってはおれない。やはり、蔚海の喪失によって、海人衆壊滅を加速させるほうがよいのだ。
手段は全て清瑞に任せている。その趣旨は伝えている。あとは清瑞次第なのだ。
「前回の作戦はあっさり破綻しましたけど、今回のは大丈夫なんですか?」
「・・・・・・正直言うと、俺にもわからん。なにせいま進めている作戦の一つは、前回の作戦が効力を持っている状態を前提にしていたものなんだ。だから、成功するかどうかは、蓋を開けてみないとわからない」
「ふーん・・・・・・」
忌瀬は少しだけ以外だった。彼女の知る限り、目の前の青年が事に当たるとき、塵一つ分の憂いさえ残さないほどの準備がなされていることが常だった。それは、彼の帷幄に亜衣という智謀の持ち主がいたこともそうだが、九峪自身に明確な勝算があったればこそ、過去の作戦は成功してきたのだ。
だが、今回はどういうわけか、おおよそ九峪らしくない。成功するための準備が整わないうちに動くことなど、それは九峪の戦い方ではない。
九峪の信条は、『相手の不意をつく速攻』『作戦立案は単純に結果から考える』、そして最後に『準備が整うまで動かない』の三つであり、これが九峪諧謔の必勝法でもある。
最初の『相手云々』は奇襲、二つ目の『作戦云々』は奇策へ繋がり、これらが九峪の強さだと思われがちだが、じつは九峪最大の強みは、勝つための道筋が整って安心できるまで、行動に踏み切らないという一事に尽きるのだ。『当麻城・美禰城の戦い』『響灘の戦い』を思い起こせば、それらがよくわかる。
だから、九峪に限って見切り発進はありえない。ありえないながら実行に移すということは、それだけ事態が切迫しているということを、否が応にも如実に証明している。
現状がどれだけ危ないかは、忌瀬にも重々承知である。蔚海の権勢が長持ちしないこともわかっているだけに、九峪の焦りも理解は出来る。しかし、九峪の煮え切らない態度には、一抹の不安を禁じえない。
「あんまり急いてもいいことありませんよ?」
釘をさすつもりで言うと、九峪も苦笑で返した。急いている、という自覚は、九峪にもあるのだ。
だが、いまは急ぐべきだ。蔚海という毒虫を生き長らえさせても百害あって一利なし、これ以上血迷って亜衣を殺されても堪らない。
ならばやはり、まずは宗像海人衆を滅ぼす作戦の手始めに、蔚海を殺すしかない。『この世に存在しない』自分だからこそ、これは出来る業なのだ。存在しない者の動きを事前に察知できるのは、天下広しと言えども火魅子しかいない。
ただし、九峪には、一つの懸念がある。成功すればいいが、可能性として——あくまでも可能性として、もしも蔚海を仕損じてしまうとしよう。その後におこる、蔚海の動きがどうしても九峪の焦燥を掻き立てた。
その蔚海の事後対応によっては、事態はなお面倒になってゆく。
策を労する者は危険要素を徹底的に排除してこそ『策略家』だ。しかし今回はリスク覚悟の作戦である。九峪はまさに賭けに出た。
——自分の存在意義とは何か。
祖国を失ってから、教来石の脳裏には、自身のこの世における意味を問う心の叫びが繰り返し鳴り響いていた。
種芽島から避難してきた艦船の群を呆然と見つめながら、薩摩の人間が炊き出しをするのを横目にしながら、生き残ってきた同胞たちを涙を流しながら抱きしめている間でさえ、教来石という考える事を生来の特性としてきた男は考え続けた。
親方の恵源に仕え、戦であげた戦功は数知れないし、政治にも幾度となく献策を施してきた。始めはただの知識者でしかなかった自分は、北山でも有数の軍師として重く用いられた。
それは、祖国危急を救うために、北山王が新興国の耶麻台共和国と連合するにあたり、その使節団の団長となった恵源から直々に同行する事を主命にされたほどであったのだ。
だが、いざ国家の命運をかけた大戦が起きても、教来石は馳せ参じることすら許されず、この九洲という異国の加奈港という港に『楔』として打付けられ、そして終に国家が滅亡する今際に立ち会うことさえ出来なかった。
君主は都とともに果て、主君がいくさで亡くなり、気がつけば主を失った自分と、その自分の家臣たちと、生き残ってきたわずかな同胞と、九洲人から向けられる憎悪だけが残された。
九洲における使命は、誰彼に誹られるいわれがないほどに全うした。楔としての役割には、自分自身、どれほどの文句もつけようがない。
だが、救いを求めて、加奈港にいる自分に救いを求めてきた同胞たちを、蔚海という権勢を誇る男は一片の情けを見せることなく追い出した。北山人だけを追い出すというのならばわかる。だが蔚海は、同胞であるはずの九洲戦士さえ国外追放するという暴挙に出たのだ。
このときに教来石は確信した。自分の軍師としての役目は終わったのだと。楔としての教来石には、何も意味はないのだと。
北山が滅びたいま、加奈港を事実上占拠している教来石ら一党は、もはや脅威ではない。教来石の家臣はせいぜい百人ばかりしかいないからだ。家中には赤峻という腕の立つ武将もいるが、だからといって、一人で何百人も相手に出来るわけがない。
——いずれ、わしもこの地を追われるだろう。
と、教来石は言葉にせずとも密かに考えている。追われるだけか、殺されるのかはわからない。
北山滅亡と主君の恵源が死んだことは哀しいが、しかし教来石という軍師の男は、いつまでも塞いでいるわけにはいかない。彼には百人の家臣がいる。彼らの今後を考えなければならない。
身の振り方を考えて、数日が過ぎた。まだ蔚海からは何もいってこないが、必ず蔚海は何かしらの要求を突きつけてくるに違いない。
選択肢の一つに、種芽島へ逃亡することも考えられる。あの小さな平島で、第二の北山を作ることも、難しいが不可能ではない。問題は、一万人もの人口を養えるだけの資源がないことだ。
命よりも名を惜しむなら、このまま加奈港を占拠し続けて、退去勧告も無視し、討伐の気運が高まっても我を押し通して、そして一戦の末に滅びるのも、また選択だ。倭国の西方に覇を唱えた大国に果敢に挑んで滅ぼされたとなれば、決して武に恥じるものにはならない。
だが、願わくば。
「生き残る道を見出したい」
それが、教来石の本心なのである。死ぬのが怖いからそう思うのではない。自分自身の意味を見失ってしまったいま、それでもまだ生きていることに意味を見出したいのだ。
どうすれば種芽島の同胞たちを救えるのだろうか——。
「こういうとき、あの神の遣いは、どうするのだろうな・・・・・・」
阿蘇で出会った英雄ならば、この窮地を如何にして乗りきったのだろうか。それが教来石には、どうしようもなく気になった。