織部が初陣——初陣という表現が正しいかはわからないが——を飾ったのは、彼女が六歳のころのことだ。
当時、九洲にはまだ耶麻台国があり、狗根国の侵略を受ける以前まで遡る。織部の初陣云々を語る前に、まず『石川島海人衆』について語っておきたい。
石川島とは、火向県にある海岸の地名である。ここを根城にする海人衆を『石川島海人衆』と呼び、現在の重然を三代目棟梁とする。ただし、この石川島海人衆は、もとを『野嶋海人衆(やしまかいじんしゅう)』と呼ぶ。
直系からも傍系からも火魅子が生まれなくなって久しい時代。
かつて、石川島には八つの海人衆があり、それぞれが縄張り争いを繰り返す、ちょっとした動乱期があった。この八家の一つが野嶋海人衆である。棟梁の名も野嶋といった。
野嶋の時代に、この地で起こっていた小競り合いの模様が激変する。それまで腕比べのようであった部族同士の戦いの中で、野嶋が始めて『合戦らしい合戦』を行ったのだ。ただ勢いのみで戦うのではなく、多少の勝算を立てて戦い、一代で三家を従えさせ、その勢力を大幅に拡大させた。
三つの海人衆を傘下に収めたところで、野嶋がこの世を去る。のち、野嶋海人衆を継いだのが、次男の石川島である。石川島も父である野嶋から学んだ戦い方で、残りの四家を屈服させ、七家を支配下に収める強大な海人衆を作り上げ、この地を制覇することに成功した。
親子二代にわたって片田舎に成し遂げられた覇業である。以降、この海人集団を『石川島海人衆』と呼び、南海の覇者とした。同時に、この地をその偉業を称えた地元民が『石川島』と呼ぶようになった。つい数十年前の話である。
この石川島の愛娘が、織部である。
話を戻す。
織部の初陣は六歳であるが、これは、石川島による海人衆統一戦での最終戦となる。この戦いに勝利すれば、父代よりの念願が叶うとあって、石川島の戦意は昇竜の如きであった。。
石川島は荒々しい性格をしており、幼い娘を血刃の中で育てることにしていた。現代の常識から考えれば異常なことで、この時代でも信じられない話だが、強い子に育ってほしいという石川島なりの愛情の表れであり、いわゆる『獅子は我が子を谷底に突き落とす』というものである。
織部はその幼い眼にいっぱいの涙を浮かべて、『戦場』と『殺人』を脳髄にまで焼き付けた。簡単に目をそむけないだけ、戦士としての素質は十分に備わっていた。
が、所詮は六歳の小娘である。いくら素質があろうとも、生まれたての小鹿も同然である。その織部の守役となったのが、他でもない重然なのだ。織部は、激しく揺れ動く重然の背中に布と紐で括り付けられたまま、戦いの空気を肌で感じた。
重然もこのころはまだまだ若造で、石川島海人衆の中でも若手組の一人でしかなかった。しかし、すでに身の丈は大きく、快活で面倒見の良い性格は仲間内でも評判で、とにかくおおらかな男だった。そのくせいざ戦いになれば、それまでのいい気は影を潜め、あたかも阿蘇山が大噴火したかのような大暴れっぷりを見せつける。若手の中でも際立って有望株の男だったのだ。
で、織部である。男勝りな性格で、考えるよりも先に手が出て、喧嘩が絶えず、八歳頃になると大の海人であっても投げ飛ばすことしばしば。早い話、八歳の小娘という時分から、はねっかえりのじゃじゃ馬だった。
その織部がいくら投げ飛ばそうとしても、重然の巨体はうんともすんともいわない。幼い織部から見たら、大男でおおらかな重然が、不動の大山に見えても不思議はない。はねっかえりでじゃじゃ馬な織部を受け止められる男は、父親を除けば重然以外にはいなかった。
そういった理由からいつしか、重然が織部の面倒を見るようになった。織部も重然を気に入り、二人は師弟とも兄弟とも呼べるような関係になった。だが、娘を見守る石川島はといえば、それはそれで困ることになっていた。
娘の性格を考えると、もう重然以外に嫁の貰い手は考えられない。しかし、兄弟なんて関係で落ち着かれたら、この二人を『結婚』させることが出来なくなる。
南海の覇者、石川島は密かに『織部と重然の結婚』を画策していた。重然ほどの器量人にならば、石川島海人衆を継がせてもいいとさえ考えていたのだ。
色恋事にとんと疎いながらも、石川島はあれこれと、織部と重然を『男女の関係』にしようと奮闘する。重然の事をそれとなく、
「よお、婿殿」
と、冗談の中に隠して言う事さえあった。とうの重然がその真意に気づかなかった辺り、それは涙ぐましい努力であった。
だが、二人の関係はすでに、そういった『俗』なものを超越した絆で結ばれようとしていた。石川島は焦った。
そんな折、狗根国が北九洲に上陸してきた。織部は十歳である。
最初、この戦争を石川島たちは深く考えなかった。どうせ部族同士の戦いだろう、程度にしか考えなかった。そんなことよりも、娘と婿(予定)をくっつけることのほうが重大事だった。
しかし、どうやら戦っている相手が本洲で勢力を伸ばしている狗根国らしい、という情報が入ってきた。そして、開戦から翌年にして、ついに狗根国軍が東火向国(現・火向県)に侵入するにいたり、初めて石川島たちは危機感を覚えた。そして同時に、
——自分たちも戦わねば。
という、国防意識が芽生えてきた。ここに、義勇軍石川島が立ち上がった。
狗根国による九洲征伐を指揮するのは、四征将軍(狗根国四天王)の一人で、『氷貴将軍』の異名を取る帖左である。彼による九洲制圧は、三年かかった。
帖左は短期決戦を考え(これは天界の扉を早く見つけるため)、上陸して直ぐに王都・耶牟原城を攻め立てた。しかしこの耶牟原城には、勇名を持って知られる伊雅が守っており、立て続けに仕掛けた四度の攻撃でも陥落しなかった。
背後からも攻める必要があると考えた帖左は次に、響灘を経由して天草諸島を制圧し、火後を制圧した後に耶牟原城を挟み撃ちする戦略を立てた。だがしかし、今度は響灘を守る呉高(ごこう。阿智の父親)の宗像海人衆と彼を慕う豪族たちが立ち塞がり、西路計略は断念せざるを得なかった。
ついで南洲経路で進軍するも、今度は石川島海人衆が立ち塞がり、九洲征伐は至難を極めた。帖左の予定では、わずか一年で制圧完了となるはずが、伊雅・呉高・石川島の三人によって、計画が二年ずれ込む結果となった。
織部も重然も、この戦争で果敢に戦った。陸戦での敗北率が七割という劣勢の中、宗像海人衆とあわせて海戦では勝率が七割と、まさに陸海で戦況が逆転している状態となった。
狗根国による侵略戦争にあって、重然にとっても織部にとっても、忘れられない一戦がある。それは、二人の運命を大きく狂わせた戦いでもあるからだ。
侵略から三年目となる年。敗色は濃厚で、すでに火向路を突破されたこの時、それでも石川島海人衆は東火向沿岸で抵抗を続けていた。輜重部隊を頻繁に襲撃され、当時、東火向方面で石川島衆と戦っていた常慶などは幾度となく苦しめられたものだ。
東火向で抵抗する石川島は、はっきりいって邪魔である。火後を攻略するにしても、こうも物資を奪われては堪らない。そこで帖左は、石川島衆を一挙殲滅する作戦に打って出た。当時の石川島衆は、総勢三千二百の大軍であったが、狗根国軍は響灘や壇ノ浦からも動員して八千の水軍を東火向へ向かわせた。
石川島海人衆と狗根国軍の一大海戦——『火向灘の戦い』である。
この戦いは終始を激戦となしたが、形勢は狗根国軍がやや有利だった。やはり物量が違いすぎた。いかな石川島といえども、倍近い戦力差を埋めるのは難しかった。そこで石川島は、一つの逆転策を提示する。
——大将である自らが囮となって誘導するという、あまりにも危険すぎる作戦であった。石川島は勝利と引き換えに死ぬつもりだった。
もちろん、織部は猛反対する。
「両足を切り落とせば、そんな無茶はできねえだろッ!!」
と言い出す始末でさえあった。
だが重然は、この作戦の有効性を理解していた。理にもかなっていた。ゆえに反対する事を躊躇った。
そんな重然だからこそ、石川島は全てを任せられると思ったのだろう・・・・・・。
「あのはねっかえり、頼んだぞ」
それが石川島の万感の思いをのせた、遺言となった。その一言が、重然にも覚悟を決めさせた。
織部の反対を押し切って、石川島と重然は作戦を決行した。少数で大軍を誘導した石川島は凄絶な最後を飾って憤死し、涙を呑んで戦う事を決めた重然の力強い指揮で、死神と化した石川島艦隊が激戦の末に狗根国艦隊八千を駆逐した。
『火向灘の戦い』こそ、まだ若造だった重然の名声を九洲中に轟かせた。しかしすでに、石川島海人衆に余力はなく、その後は負けも込むようになり、『第五次耶牟原城攻防戦』における伊雅の敗走をもって耶牟原城が陥落すると、東火向で抵抗を続けていた石川島海人衆も次第に沈黙していった。
「なんで・・・・・・クソ親父を見殺しにした、重然ッ!!」
絆をブチ壊す、悲痛で悲壮で憎々しい呪詛が重然に浴びせかけられた。何も言い返せない重然を尻目に、その一言を残して織部は姿を消した。
織部とともに生きようとは思っていない。そう出来れば一番いいのだろうが、重然はその生き方を選ばなかった。
——あのはねっかえり、頼んだぞ。
石川島の残した言葉を、重然は、せめて憎まれてでもいいから忘れ形見を生き延びさせることで、果たす道を選んだ。
織部が消えてから、重然は石川島海人衆の残党を束ね、狗根国の掃討をやりすごし、いつか訪れるだろう打倒狗根国の時を待ち続けた。
その後、時の風化の果てに、わだかまりを過去のものとするまで、二人には十五年の歳月が必要とされた。
火前で勃発した天草水軍の反乱に加担した将士は数多い。豊前県宗像を含む直方平野一帯は除くとしても、他の有力な大豪族三家、その庇護を受ける十家、さらにその下で屯している無数とも呼べそうな小集落の酋長たち。さらに火後・薩摩・火向からも協力者が出ており、総兵力は一万を軽く超えている。
ちなみに、火前で勢力を誇る大豪族三家のうちの一つは、渡邊の平陽である。
平陽は商いで勢力を持った豪族であるが、火前にあってもっとも反宗像海人衆の勢いが強い。勢いだけを見てとれば、合戦も辞さないほどだろう。もちろん、実際に合戦に発展することは今の今までなかったが。
四十余年も生きておれば、合戦の一つ二つは参加することもある。しかし平陽の武運は井戸の中の蛙ほどにもなく、どうにもいくさが下手である。
渡邊一族自身、かつては止む無く耶麻臺国に臣下の礼を取っていたが、藤那を相手に戦った『大和の戦い』では一槍つけただけで、あとは勇猛果敢な駒木衆に虚しく追い散らされる有様だった。
それほどいくさ下手だからこそ、農耕と商いで財力を強めて、そうして周辺の豪族を味方につけるしかなく、気がついたら火前で三枝の大豪族へと成長していたのだ。
そんないくさが下手で仕方がない平陽の下には、もちろん手勢もいまいち頼りにならない弱兵ばかりしかいない。だからいざ合戦となった場合、渡邊城には傭兵が集う。腕自慢一人だけの者もいれば、百人単位で集まる場合もある。
反乱の決起集会が行われた場所が渡邊城なのだが、この時以降も、渡辺城には続々と各地の豪族以外にもこれら傭兵の『戦士団』が集合している。過日、蔚海に難癖をつけられて滅亡の憂き目にあった豪族の旧臣たちも、兵士を募って小規模ながら軍団を作り、渡邊の平陽を頼って落ち延びてきている。
彼らは都の近くを通る事を恐れて、たいがい天草路から火前に入ってくる。火前の湊をいくつか押さえる渡邊城は、そういった戦士たちを容易に受け入れるに適した立地にあり、古来から、
——塩田は火前の口
と呼ばれてきた。交通の要衝でもある。
もう日も落ちかけてきた頃、天草水軍の船から降立った織部の足はひとまずの宿屋へと向けられる。水夫から聞いていた、もっとも大きい宿屋へついたが、すでに定員を大きく超える盛況状態であった。
右を見ても左を見ても、腕に覚えのありそうなものばかりだ。みな、蔚海や宗像衆に恨みを持つ豪族や傭兵戦士であろう。宿屋は反乱軍に参加するために集まった『剛の者』で溢れかえって、充満する酒気が戦士たちの発散する熱気に当てられて熱く沸騰しているようである。
「おお、おお、いるじゃねえか」
壁を背にして床に腰を下ろし、方膝を立てた格好で酒を口付ける。一気には飲み干さない。これだけ酒の臭いが満ち満ちていると、座っているだけで酔える。
景気の良い様子である。戦士が集まって酒を飲むいくさ前の様子は、織部のような武辺者にはたいへん景気がよく見える。事実、いくさは戦士の景気づけそのものだ。
「おいおい、そこのお前」
不意に声をかけられて振り向くと、白髪の男が織部を指差している。まだ四十代と年若い。火後阿蘇の部族の一つに、白髪に染める習慣を持つ一族がいる。
男は頬を酒で赤らめていて、そうとう酔っている様だ。織部に向かって何かを叫んでいるが、どこの誰だか覚えていない。
なおも何かを喚いているが要領を得ず、織部は無視することにした。すると、それが気に入らないのか、男が人ごみを掻き分けて織部に近寄ってきた。
「おい、無視か」
目の前で見下ろす男を、やや迷惑気に見上げる。無視も何も、知らない相手ではしょうがないではないか、と思う。いちいち酔っ払いの相手はしていられない。
「だれだ、お前」
「オレだ、オレ!」
「生憎と、『おれ』なんて名前の知り合いはいねぇんだ」
「こ、こいつ・・・・・・」
にべもない言葉に男が怒り顔で顔をさらに赤くさせる。
小走りにどこぞの食台に近寄ると、細長い小さく切られた昆布を二つ持ってきて、織部の元に戻ってきた。わけがわからない織部の前で、男は昆布を瞼の上、ちょうど眉毛を隠すように指先で貼り付けた。
昆布を眉毛にする四十代の白髪の男。
「・・・・・・」
——何がしたいんだ、こいつ。
と思った。こいつはきっと脳みそが可哀想なんだな、とも思った。
ただ、なんだか、何かを思い出しそうでもあり、やはり知らない男でもあるようだった。
これでもだめか、と男が呟き、今度は鼻の下に昆布を貼り付けて戻ってきた。じーっとその珍妙というか間抜けな面で、織部とにらめっこをする。阿呆にしか見えない。
しかし、しばらくして、その間抜けな顔から一つの記憶を呼び起こした。
「あああッ! おまえ、十河んとこの!」
「おお、そうじゃ! ようやっと思い出したか、こいつ」
男が大声で喜んだ。思い出してもらえたのが嬉しいようだが、とうの織部はというと、まじまじと信じられないように男の顔を見回した。
この男、十河一族に仕える家臣で四百貫の知行を得ている守矢(もりや)という宿将である。家臣という立場だが、十河一門の生まれであり、主家とは縁戚関係にある。
二人にとっては二十年近く昔の話となる。
九洲が完全に狗根国の支配下に置かれる一年前、狗根国の大艦隊を駆逐した重然と反目した織部が石川島を出奔する事件がおきた。出奔後、しばらく狗根国圧政下の九洲各地を経巡り、各地で散発していた抵抗運動に参加しつつ生活していた。出奔から十五年後に志野と出会うまで、いくつかの豪族に客将という形で身を寄せていた。
そのうちの一つが、十河一族である。石川島といえば九洲で名の知れた男であるし、死して名を高めた『火向灘の戦い』もあまりに有名だ。その娘となれば、無碍にするわけにも行かず、当時二十数歳であった守矢の屋敷で寝起きをしていた。
三年間を守矢の下で過ごし、その後は豊後の反乱に参加するべく十河城を去っている。それ以降、二人が再会するのは共和国建国後の彩花紫による九洲再征伐期で、豊後での一大合戦である『長湯城の戦い』ではともに刃を並べた。
記憶の中の守矢は、太い眉毛に鼻の下は濃いひげを生やしていた。髪はまっしろだが、眉毛やひげだけが黒かったからよく覚えている。逆に、それらの違いがなくなると、誰だかわからなくなるほど、その相貌にはインパクトがあった。
「眉毛は細いし、ひげはないし、そんなんわかるわけねえだろ」
「お前はオレのどこを見て判断しとるんじゃい」
「やー、わるいわるい。しっかし、ホントによぉ。眉毛もひげもなくなったら、ただのオッサンじゃねえか」
「一言多いんじゃ、お前は。だれがただのオッサンだ。一宿一飯の恩義も忘れたか」
それを言われると織部としても少し痛い。傍若無人な織部だが、恩知らずなわけではない。だがいままでの言葉は偽らざる本心である。無礼といわれても、そう思ったからそう言ったまでに過ぎない。
それに、守矢も本気で気分を害しているわけではない。言わばこれは、彼らなりの社交辞令である。美辞麗句を並べ立てることは、彼らには出来ない。なぜなら礼儀のある言葉を知らないからだ。
会えば大体はこうだ。まずは言葉の小汚い応酬から始まる。それが終われば、あとはただ何気ない会話をつなげればいい。
「お前も、今回の戦いを一枚噛みにきたのか」
今回のとは、天草水軍の反乱のことである。
「ん・・・・・・ああ、そうだ」
酒を飲みつつ織部が頷く。その態度に、守矢は破顔した。
「おお、そりゃあいい。お前の武勇はよくわかっている。川辺様(志野のこと)の一番槍が駆けつけたとありゃあ、これほど景気のいい話はねぇ」
守矢がよいしょする。長湯城の戦いで火向軍の先鋒を務めて勇名を馳せた織部は、火向灘の英雄・石川島の愛娘ということも大きな要因となって、『川辺の一番槍』という異名を得ていた。織部自身、常に志野軍団の先鋒を率先して引き受ける荒武者である。
三代目の元に、二代目の娘が駆けつけた。これだけで、この戦いに吸い寄せられてくる戦士たちには大きな励みとなるだろう。まさに景気付けである。
「——もしかして、川辺城の織部か?」
どこかで、そんな声が上がった。二人の会話が聞こえたのだろう。屈強そうな男たちや、勇壮な形の女たちが、次第に織部のほうへと顔を向け始めた。
ぎょっと目を丸くさせる織部を見て、ますます破顔した守矢が、声を上げて叫んだ。
「石川島の織部が来たとありゃあ、蔚海もこれで終いだな」
その言葉を皮切りに、宿屋が一気に沸きあがった。腕の立つ戦士は「俺のほうが強い」などと喚き散らすが、勇者と呼んで差し支えない織部の登場は、否応なく士気を高めた。
戦う前から、反乱軍と合流する前から、まるで決戦前夜のような騒々しさが、織部の鼓膜を振るわせた。
火前南部で重然が蜂起したという噂を聞いた織部は、それが真実かどうかなど考えずに、すぐに駆けつける気持ちを固めた。反乱軍が渡邊城を進発してから、七日後のことである。
すぐに準備を済ませて、夜を待った。深夜、草木さえ眠り言った時間に、人知れず川辺城を抜けるつもりだ。
——出奔、するつもりだった。当然の判断だ。まさか知事である志野に「反乱に加担する」と前置きをするわけにもいかない。それで送り出す志野ではないだろうし、仮に送り出してくれたとしても、それによって志野に何かしらの損害を被らせないとも限らない。
ならば、やはり出奔という形で、志野の下を去らなければならない。蔚海さえ消えれば、戻ってこれる。それまでは、この川辺城ともしばしの別れだ。
そうちょっとした干渉に浸りながら、待ち遠しい宵闇の訪れを感じながら、あと一刻——というところで、思わぬ来客に目を丸くさせた。
「こんばんわ、姉さん」
「げっ」
誰もが眠りいった時間、志野がとつぜん織部の下を尋ねてきた。横には、例にもれず珠洲が、まるで用心棒のように引っ付いている。
「ざ、座長、じゃねえか。どうしたんだ、よ・・・・・・こ、こんな時間に」
「どもりすぎ」
珠洲の冷たい一言に、織部がぐっと言葉を詰まらせる。
珠洲は二十三歳になった。背丈はすでに志野とそう変わらない。相変わらず控えめな体つきだが、子供らしさは欠片も残っていない。表情の乏しい様子などは、どこか、亜衣に似ているであろう。ただし、亜衣よりも昔の珠洲本人よりも、ずっと柔和な顔でもある。
立たせたままも何であると、二人を奥へ招じ入れる。いくら夜分遅いといっても、いや遅いからこそ、ここで追い返すことはあまりよろしくない。
志野に仕える家臣団の中でも、織部は相当な高禄取りである。合戦では常に先鋒を務める織部は、かかる費用も大きければ被る損害も火向一である。しかし戦えば結果を出し、この高禄者に対する半言一句の不満は聞こえたことがない。しかし織部の屋敷は、高禄に見合わないほど敷地が狭い。屋敷も質素だ。
質素なわりに、織部の屋敷には立派な風呂と囲炉裏がある。九洲で囲炉裏のある屋敷は少ない。どんなに寒くても、火桶で十分だからだ。だが火桶は部屋中の暖を取るにはやや不向きで、さらに倒して火事になる可能性もあり、実際に織部屋敷は火桶を倒して火事になったことがある。そのため織部は囲炉裏を備えた。
囲炉裏の傍に腰を下ろして、三人は暫く沈黙した。一人、織部だけが落ち着きない。
——な、何しに来たんだ。
そわそわと身を震わせて、志野の顔をうかがうと、ちょうど向うもこちらへと視線を向けてきた。ドキッとした。
「姉さん」
「お、おう」
「・・・・・・まずは肩の力を抜きましょうか」
「お、・・・・・・おう」
深呼吸して気分を落ち着ける。緊張しすぎているようだ。
うるさく脈うつ心臓が落ち着くと、ようやく織部にも余裕が出来た。あと一刻でここを出る。それまでに、志野を追い返さないといけない。
合戦する意気込みで、織部は座りなおした。どっしりと腰をすえる。
「ここは茶の一杯も出ないの?」
珠洲がいった。
「飲みたきゃテメェでいれやがれッ!」
「そこまでしては飲みたくない」
「こ、こいつッ・・・・・・」
蹴りだしてやろうか、と織部の額に青筋が浮かぶ。珠洲のこういった毒舌は、二十を過ぎても変わらない。珠洲らしいといえばそうだが、もう子供に見えない分、激情を加減するのも一苦労だ。
「冷やかしに来ただけなら、もう帰ってくれよ。丑三つ時は草木も眠る時間だぜ」
本当に帰ってくれ、頼むから。必死にそう願うが、志野も珠洲も、必死の願いを軽く無視するように涼やかだ。ちなみにまだ丑三つ時ではない。
「そんな寂しいこといわないで。私たちの仲じゃない」
「深夜に尋ねてくるのがあたしらの仲かよ。あたしが起きてなかったら、どうするつもりだったんだよ」
「たたき起こす」
「テメェをたたき出してやろうかッ!」
「珠洲、茶化さないの」
志野に窘められ、素直に珠洲が引き下がる。相手が矛を収めると、織部の咄嗟の怒りも見る見るうちにしぼんでいった。執着しないのが織部である。それに、珠洲相手にムキになるのが馬鹿らしくなった。
こんな馬鹿話をしに来たのではない。それは織部にだってわかっている。志野がわざわざ、こんな夜更けに尋ねてきたことも気になる。
何を言われるのかと、織部は警戒した。
志野がじっと見つめてくる。
「な、なんだよ」
全てを見透かしているような澄んだ瞳に、なにか居心地が悪くなる。
「姉さん、行く気ですよね」
心臓が大きく跳ねた。一瞬で血管がはちきれんばかりに膨らんだ。驚いた。
どこに、とは聞かれていないのに、織部にはそれが『重然のところへ』といわれたような気がした。
織部が何事か言い返そうとするや、その機先を制するように、志野がまた語りだす。
「十日前に火前で起きた反乱の噂を聞いてから、姉さん、なにか思いつめていたわ」
「そ、それがどうしたって」
「ううん、思いつめたとは違いますね。何かを決意したように、顔色が変わっていました。これは何かする気なんだと、そう思いました」
図星だった。
「状況を考えると、姉さんは火前の反乱に加わりたいんだと・・・・・・そういう結論にいたりましたけど、いかが?」
いかがも何も、まったくその通りだ。予感したとおり、志野にはお見通しだったようだ。
聡い志野に感づかれていたとあれば、もう、これ以上かくすこともない。何を言ったところで、志野の瞳に全てを看破されることは目に見えていた。
感づかれた時点で、織部の負けである。
はぁっと肩を落として、気が一気に落ち込んだ。
「バレちゃ、どうしようもないな」
自嘲気に言葉を吐き出す織部に対する志野の様子は変わらない。
「姉さん、わかってるの? いくら蔚海の専横がひどいとは言っても、あちらは官軍なんです。それに歯向かうということは、ただごとではありません」
「ああ・・・・・・そうだろうな」
「たしかに、蔚海の執政に不満を抱く豪族は多くいます。我が火向からも、多くの豪族が火前へ旅立ちました。これからも、まだ増えることでしょう」
すでに、火向から三つの豪族が反乱加担に名乗りを上げて、火向を出発している。名乗りを上げて、というが、実際はこっそりと火前へ向かった連中が多い。
それらのように、水面下で準備を進めている豪族は数多だ。個人単位では、玉が坂を転がるように次々といなくなっている。
「ですが、彼らは現段階でこそ賊軍でしかありません。もしも宰相の蘇羽哉から命令が下れば——私は、官軍として兵を動員しなければなりません。そうなれば」
「——あたしらが敵対するって言いたいんだな」
「それを覚悟で、出奔するんですね」
息を呑んだ。改めていわれると、なかなか重い言葉である。
しかし織部は、後悔することなく、しっかりと頷いた。
「覚悟の上だ。もしそうなりゃあ、あたしは、座長とも戦うつもりだ」
本心からそういった。志野と闘うなんて可能性は考えていなかったけど、いざ戦場で志野軍団と相まみえても、引き下がるつもりはない。
戦乱の世といえばそれまでだが、この覚悟はそうとうに凄絶である。『大儀親を滅す』という言葉があるように、こうと決めた思いのためには、親しいものとも戦うという、古代戦国に戦士を形づくる一種の風潮であった。
織部をしてそうさせるだけの、時勢の上にいまの時代がある。
「あたしは、重然に借りがある」
この二十年は、織部にとって何よりも代え難い多くの経験が詰まっている。とくにそのうちの十五年は、織部を大きく成長させた。
信じていた重然に裏切られたという思いから石川島の地を飛び出した織部である。石川島海人衆がほぼ完全に沈黙して以降は、不甲斐ない重然に反発するように、進んで抵抗運動に参加していった。
各地を経巡り、沢山の人々と出会い、数々の経験を積むうちに、織部は成長した。あのとき——日向灘の戦いにおけるあの作戦が、どんな意味を持っていたのか、あの結果をどう受け止めるべきなのか。それを織部は、成長しながら学んでいった。
最初からわかっていた。あの時はそうするしかないと。ただ、まだ幼い織部には、父の壮絶な死を受け止めるほど器が大きくなかった。その点、重然の器は大きすぎた。時分が受け止められなかった激流を、他でもない重然が受け止めていてくれたのだと——そう気がつくまで、十数年を必要とした。
その間、重然は狗根国の圧政に耐えながら、石川島を守り抜いた。織部が抵抗運動に参加している間も、志野の一座に加わって相撲取りになっている間も、ただ重然は織部の故郷を守り続けてくれたのだ。
だから、十五年が経って当麻城で再開できたとき、織部はもう重然を許せるようになっていた。織部自身、なんども見捨てなければならない事態に直面してきた。重然の苦しみが、今にしてわかったのだ。許してやらねばならなかった。
帰る場所がある。飛び出した自分の帰る場所が。それが、織部には本当に嬉しかった。十五年前の呪縛から、完全に解き放たれた。
「重然にとってもあたしにとっても、石川島はただの土地じゃねぇ。あそこは、あたしの祖父さんの代から、いくつもの死体を晒して勝ち取った先祖代々の土地だ。重然が、二十年ずっと守ってきた土地だ。そいつを蔚海は奪い取ったんだ。悔しくないはずがねぇ」
「・・・・・・それが、いまの姉さんにとって、全てなんですね」
——私たちと決別させるほどに。という言葉を、志野は飲み込んだ。この一言は、織部を引き止めるに有効な非強の言葉だが、あまりに卑怯であるとも思った。
「織部は、それでいいの?」
珠洲が、織部を見つめていった。毒舌は相変わらずだが、それは、珠洲にとって呼吸をするのと同じように飛び出す。珠洲も成長した、もう昔とは違う。
かつては他人に対して排他的な態度だった珠洲だ。しかし今は、織部を仲間だと思っている。志野至上は変わらずとも、他者を認めることが出来るようになった。
それだけに、仲間である織部と刃をまじえる可能性には、どうしても気が揺らいでしまうのだろう。珠洲は自分で思っている以上に、精神がまだ発展途上にある。織部ほど割り切れない。
だが、織部は珠洲に向かって、またも頷いてみせた。
「惚れた男が戦ってるんだ。行ってやんねえとな」
それもまた、本心であり真理であった。
「あたしは、重然とともに戦う道を選んだ。だからお前も、必死で座長を守るんだよ、珠洲。それがお前の役目だ」
「私の・・・・・・」
「まぁ、そうなんねぇことを祈るが」
志野へと顔を向ける。
「引き止めるつもりなら、飛び出してでも行くぜ。あたしに無茶をさせないでくれ」
織部は本気だ。言葉どおり、腕づくでも出て行こうとするだろう。それは、志野の統治に傷がつく結果となる。それゆえ、織部も無茶をさせるなと言っている。
しばらく織部の顔を見つめていた志野が、苦笑して、
「しかたがありませんね」
と言った。志野が織部の熱意に折れた。
「座長」
「本当は、姉さんを思いとどまらせようと思って、人の寝静まった時間を尋ねてきたんです。でも、そこまで言わせて、暴れられても困ります」
「すまねぇ」
「今日の姉さんのお話、私は、聞かざりしこととします。ただし、出発するなら、今夜の内に済ませてください。・・・・・・今日を持って、織部を火向県から追放処分とします」
織部が驚きに目を見開いた。追放処分、ということは、織部はこの屋敷などもろもろを没収されるということになる。志野の家臣ですらなくなるということでもある。
だが——これで、織部は自由の身と言うことになる。後ろを気にせず、織部は、火前へ行ける事になった。
「決して、死なないでください」
そういい残して、志野と珠洲が川辺の宮殿へ帰っていった。織部追放という決断は、志野にとっても辛い決断だったことだろう。それがわかるだけに、織部はただ頭が下がる思いだった。
——蔚海をぶっ飛ばしたら、その後どうなるかはわからない。ただ、帰ってこれるだろうと、そんな甘い気持ちでいたことが恥ずかしい。それを志野が断ち切ってくれた。
気負いはもうどこにもない。その夜、織部の姿が川辺城から消えた。翌日、火向家臣たちに織部逐電とそれにともなう追放処分が言い渡された。
織部が火前にたどり着くのは、これより六日後のことである。