決戦の時まで、秒読み段階に突入した。すでに両軍の軍容は整いをみせ、意気は盛んになり、出陣の号令を待つ将士たちは、戦勝祈願のために神社を詣でたり踊ったりして、いよいよ賑やかとなっている。
このころには、諸県の知事たちも己の動向を軍事行動をもって示している。表すと、以下の通りである。
薩摩の香蘭知事・火魅子方 四千三百
火向の志野知事・火魅子方 一万三千五百
火前の切邪絽知事・火魅子方 四千七百
火後の藤那知事・火魅子方 三千三百
筑前の写楽知事・蔚海方 三千八百
筑後の尾戸知事・蔚海方 一万五千七百
豊前の小久慈知事・蔚海方 四千五百
豊後の伊万里知事・蔚海方 五千二百
北四県が蔚海の勢力圏にはいっている。よって今後は、蔚海方を『北軍』、火魅子方を『南軍』とも呼ぶようにしたい。
南軍、北軍ともに四人の知事を得ている。各知事は文官の定めた兵役緩和を破り捨て、軍令につかなかった豪族にも動員をかけている。
とはいえ、各県の代官衆もまた、火魅子方南軍と蔚海方北軍に別れているところがある。それらは馬淵の調略でかき回された者たちで、そういったものたちとの間ではすでに小競り合いが発生している。
しかしどこでも、火魅子方が有利であった。領主級の豪族たちはみな南軍に組し、馬淵に靡いてしまった家臣級は、手勢を連れて筑前へと上った。
天草の反乱軍を加えて、火魅子方の総勢——三万六千。
宗像海人衆を加えて、蔚海方の総勢——三万一千二百。
火魅子方南軍では志野、蔚海方北軍では尾戸が、ゆいいつ両軍にあって兵力一万を超えている。
九洲の動員能力を鑑みるに、これは限界を臨めるほどだ。長宗我部元親の一領具足も真っ青の総力戦である。
戦場は、九洲全土に及ぶであろう。
なかでも本戦は、反乱軍と討伐軍がかつて対峙した、
——祭川
付近になると、亜衣は想定している。本戦へ突入する前に、この際川の地形について説明しておきたい。
ここでいう際川とは、現在の福岡県最北部、響灘から内陸にむかって長く尾を引く『遠賀川』のことをさす。この際川は直方平野を東西に分断するかのごとく流れ、周囲は広大な平野となっている。西には宗像神社があり、南西には耶牟原城がある。そのさらに南にあるのが、天都城である。
際川の河形は現代に存在している遠賀川とはやや異なり、小尾が西に向かって曲がっている。
両軍が兵を進めた場合、かならずこの際川を越えねばならず、ゆえに陣容は際川を挟んでにらみ合う構図となろう。際川は川幅があり、所々は頭異常に深く、古くから舟運に用いられ、河港も設けられている。
際川の周辺には、一度目の対峙のときに築かれた小砦がわずかに存在し、そこが仮の陣所となる。長期戦闘も可能な野戦となるであろう。
亜衣も宗像神社から指揮を執っている。今回の戦いでは火魅子が総大将を務めるが、実際に指揮を執るのは伊雅である。亜衣は参謀長を務める。つまり軍師である。
宗像神社には五百の戦力が揃い、決戦を待っていた。火魅子直属となる巫女部隊含む三百に、亜衣親衛隊二百である。本軍は伊雅隊一万四千、天草水軍と行動を共にする。
巫女までが戦場で戦うというのは、じつは倭国でも九洲のみの慣習である。九洲の巫女はすべからく方術を心得ているためである。本洲や泗国の巫女で方術が使えるものは少なく、術士隊は別個に存在している。
巫女部隊というだけでも珍しいのに、さらに軍容までも異様である。なんと軽装の上に巫女装束を着る。軽装とは、ナメシ革に薄い銅版をうろこ状に縫いつけた、下級戦士の鎧である。それに、篭手、脛あてを装着する。人によっては兜までかぶる。そして、方術を心得る巫女だというのに、みな武装している。剣隊が百人、長刀隊が百人、槍隊が百人。
この巫女部隊を『火魅子親衛隊』と呼ぶ場合もある。基本的には、戦場でも火魅子の傍を離れることはない。
「こんな大いくさは生まれて初めてね」
そんなことを、火魅子は亜衣にもらしている。たしかに、火魅子にも亜衣にも、どちらにとっても、かつて経験したどの合戦より大規模なものとなる。
不安がないといえば嘘となろう。勝機は十分だとわかっていても、絶対の戦いはない。どんなことが起こるかわからないから、いくさというものは恐ろしい。
事実、現状ですでに亜衣は驚きを禁じえない状況を迎えていた。
北軍の兵力の集まりが、予想以上に良いのだ。ともすれば、九洲中の豪族の九割ぐらいは火魅子方につくと踏んでいただけに、あまりにも予想外であった。
さすがに九割がたは誇張した表現だが、八割がたの豪族たちは火魅子方につこうと考えていたのは事実だ。だが現実を直視すると、四人の知事が蔚海方として参戦するという。
筑後の尾戸(おど)は山人で、里長上りという身の上の知事であり、徴兵遠征のおりに伊万里の配下となった。以降は、『川辺城の戦い』で郎党三十人とともに砦を三つ陥落させる活躍によって百人の家臣を得、『天の洪水作戦』では破壊工作部隊を指揮する指揮官の一人に抜擢された。
筑前の写楽(しゃらく)は、火前出身の豪族である。『大和の戦い』で藤那を追い回す功名をたて、耶麻臺国の将軍階級に抜擢された。共和国に帰順後、筑前県知事に封ぜられた。築城が得意で、耶牟原城改修において九峪に良く助言した女性である。文武騒乱では中立を貫いた。
豊前の小久慈(こくじ)は同国の出身で、耶麻臺国に属していた。天目の九洲撤退にて耶麻台共和国へ帰順し、優れた政治力で知事になった男である。武人であるが、文官的な仕事をよくこなす。いわゆる火魅子派である。
小久慈が蔚海と繋がっているというのは納得できた。小久慈は数少ない親蔚海勢力で、文官とも強い癒着があった。今回の戦いでも、豊前は敵になると、亜衣も想定していた。
が、尾戸と写楽、そして伊万里である。とくに伊万里が蔚海方という事実そのものを、にわかに信じがたい。
もっとも、真相はすぐに判明した。おそらく蔚海も、兵力の集まりが悪くなるだろうと予想を立てていたのだろう。亜衣は知らないことだが、九峪の調略で内部の結束に亀裂が入っていたことも理由であった。
筑前は蔚海の勢力下であり、そのため写楽は従わざるを得ない。問題の伊万里は、なんと自らが育った県居の里にいる義父を、人質として捕えられてしまったのだ。
義父は、上乃の実父である。何年も疎遠であったが、父親には変わりない。種芽島で上乃が苦しんでいる中、もしも義父を殺されれば——。
そう思うと、蔚海に逆らうことが出来ない。伊万里はなくなく、蔚海の卑劣に従わざるを得なかった。
伊万里と同じように、尾戸も家族を人質にとられ、他にも多数の者が人質を取られている。なかには、南軍の武将まで、人質をとられてしまった。
人質をとったことで、兵の集まりがよくなった。逆を言えば、これだけの事をしなければならないほど、蔚海は追い込まれていた。小久慈も人質作戦で、豪族たちを縛り上げた。
このまま開戦となれば、北進してくる志野勢と伊万里勢が、かならず干戈を交えることとなる。山岳戦となればわからないが、そうならないかぎり、軍配は志野にあがる。
人質は耶牟原城にて監禁されているという。耶牟原城を目指すにしても、本軍は際川で蔚海勢を破らねばならず、志野勢も伊万里勢を撃破しなければならない。火後街道を進軍してくるだろう藤那勢・香蘭勢も、途中の天都城を突破せねばならない。
数の上でも、士気の上でも、火魅子方南軍が圧倒的に有利だ。しかし、なんとも戦いづらい状況を、蔚海は作り上げた。
さらに亜衣の心配事は、いま一つある。
中國の天目である。この内乱を、出面の天目はどのように捉えているのだろうか。天目とは同盟で結ばれているが、なかなか油断できない。
——このような場合、九峪様ならばどうなされよう。
亜衣は、密かに思った。その九峪が阿蘇を降って種芽島へ向かったなどと、この時はまだ知らない。
加奈港から南南西へ下ってゆくと、種芽島へ辿り着く。風が良くて、四日の海路である。
さいわい、出航当日の天気は快晴といえなかったが、雨風の心配はなさそうだった。季節は四月の初春。まだ梅雨の足音は遠い。
教来石の北山船団は、大小あわせて二十隻を数える。中でも、
——海星丸
という船が大きく、この船団における旗艦の役割を負っていた。教来石が乗船し、九峪もこの船に身を預けた。大きいといっても、重然の竜神丸より一回りも小さく、ちょうど阿智の船と同じくらいの船体である。
この時代、航海術は大陸でも発達しきっておらず、遠洋航行は至難であった。難破沈没はしょっちゅうで、まさに出かけるだけでも命がけの冒険だった。それはこの世界でも彼方の世界でも共通しているが、一つ、決定的に違うものがある。
彼方の世界、つまり九峪がもといた現代世界では、江戸初期までの航海は、海岸を沿うように船を進ませる飛び石航行で、つねに視界には陸地が見えてなければ、いま自分たちがどこにいるのかもわからなくなった。
対して、この異世界ではどうだろうか。過ぎ去りし太古の遺産、天空人の残したもうた方位術が現在に伝えられている。といっても、大したことではない。いや現代からみれば、という前置きがつくが、さらに、歴史家から見れば大変な驚きという前置きもつく。それは、方位磁針(コンパス)の存在である。
太陽、月、星々、そして磁場を磁針で計り、それらを航海図に照らし合わせることで、遠洋航海を可能にした。航海図、というが、ただ目的地に関する数字を記したもので、海図というよりも数値表という印象が強い。
この技術は、倭国の、とくに海岸に面したところで広く用いられ、琉球にも存在する。琉球にもいわゆる『魔天戦争』の爪跡が残されている。天空人と魔人が相争ったのだ。
上記は余談である。
出航日は天気に恵まれたが、翌日からにわかに小波たち、風が出、時化た。運悪い春風と雨雲であった。船は上下左右に激しく揺らされ、船に慣れていない九峪や馬淵、清瑞らは、
——し、死ぬ。
と絶望し、嘔吐しながらころころと船内を転がった。春風は二日間も吹き荒れ、吹き去った後には曇り空も蒼くなっていたが、このために種芽島到着は遅れ、九峪たちも蒼くなっていた。酔いと疲労で、立ち上がることも出来なかった。
ようやく種芽島を遠めに確認できるようになったのは、出航から七日後。
「あれが種芽島か」
日差しを掌で遮り、横に薄く伸びた地平を眺めた。思えば、種芽島へわたるのは初めてである。平島と聞いていたが、なるほど、横にだけ長い。
あそこに、音羽たちがいる。そう思っただけで、もう九峪は、目じりに涙が溢れそうなほど嬉しくなった。よく生きて戻ってきてくれた、という暖かい気持ちでいっぱいになったのだ。
九峪は知らない。暖かい気持ちである自分とは正反対に、とうの音羽たちが、生死をかけた大反攻を企てているなどと。
弱った足腰に揺れが襲い掛かる。九峪は剣を杖代わりにして船首に立っている。
またも余談だが、この剣は、筑後中松荘の鍛冶屋、五郎左右衛門(ごろうざえもん)という名工に鍛えさせた特注の一振りである。五郎左右衛門は、倭人ではなく漢民族で大陸の出身だが、九洲への大移民で来日してきた(五郎左右衛門は渡来後、改名した)。
この一振りは輝くばかりの白鋼をもって、秘術中の秘法でもって半年間かけて鍛錬・鋳造された渾身の業物である。
九峪所用直剣。銘文、表『元星ニ年三月十八日丙正百練 炎七支剣九洲倭西来六天天使奉候永年大吉祥』。裏『先世以来続倭国大乱 倭西九峪雅比古武持鎮国 故為此持百年終戦奉聖剣成就願』。
後世、石上神宮奉納とされる。
湊にはおびただしい数の船が浮かんでいる。傷つき、陰気が垂れ流され、幽霊船のようである。
セミにも似た様子で船壁にへばりつき、破損箇所を修理していた者たちが、近づいてくる船団に気づいた。もはや空腹も限界、死の一歩手前であるためか、肉体は生き残ろうとかつてないほどに全器官を鋭くさせ、異常なまでの集中力を発揮させていた。
船団は、二山月牙の戦旗をいくつも翻している。この時期、島外からやってくる北山の船といえば、思い当たるのは一つしかない。
自然、人が湊に集まってくる。
船が接舷のために侵入してくる。ボロ船との擦れ違い様、その痛々しさに九峪は喉を鳴らした。あたかも今まで、ついさっきまで、悲惨な撤退戦を演じたばかりのようでさえあった。
想像以上に痛めつけられている。九峪だけでなく、清瑞や馬淵たちも、固唾を呑みながら流れてゆく船を見送った。まるで、船が老いてしまったようだ。
「九峪様・・・・・・」
清瑞が傍まで来た。流石の清瑞でさえ怯んでいる。
「これほどとは、思っておりませんでした」
「ああ。酷いな」
むしろ船としてちゃんと浮かんでいること自体が不思議なくらいだ。古代の兵器で、どうやったらここまでのダメージを受けるのか。船体に穴が開くなど、大砲でも持ち出さない限りほぼ不可能だ。炸裂岩ならば可能だが、それをやられるとなると、戦場でありながらほとんど乱戦の様相をていしたのだろう。
だが、酷いのは、なにも船ばかりではない。
臭いもキツイ。はっきり言って、悪臭・異臭などの強烈な刺激臭が、かすかに漂ってくる。
なんの臭いだ、と九峪が鼻をおさえた。嗅いだことのない臭いだ。
「腐臭です」
と、清瑞が疑問に答えた。生き物の腐っている臭いだという。言われてみれば、この臭いは、いわゆるタマゴの腐ったような臭い、または糞尿の臭いに近い。
死体が腐っているのだ。
いかりを降ろし、停船させる。橋を架けて湊におりたった九峪たちを、敗北者たちが遠巻きに眺めている。警戒している。
ギラギラと殺気立っているのは、彼らが尋常ならない状況下に置かれているためだ。人垣、というよりも、飢えた獣の群れに取り囲まれているようで、怯える羊の気持ちがよくわかる。
慄いて腰が引けてしまう九峪の後ろに立った教来石も、この異常なまでに張り詰めた空気には内心おどろきを通り越して恐怖さえ感じるほどであった。
——これが、我が朋輩たちか。
教来石の受けた衝撃は、ひとしおに心苦しかろう。ふっと、彼の脳裏に、北山で過ごした思い出が朝霧に霞んだように浮かんだ。
「廉思(れんし)。いないか、廉思!」
人垣に向かって、北山から生き残ってきた仲間の名を呼ぶ。
「わしだ、教来石だ!」
「おお、教来石!」
わっと一人の男が教来石の前へ飛び出した。上背はさほどでないにしろ、いかにも戦場慣れた体躯をしている。廉思とは、この男のことである。歳はすでに初老に差し掛かる。
廉思は北山の親方衆(九洲で言う知事にあたる)のひとりに仕え、北山残党のまとめ役を受けている。
「酷い有様だな」
「見てのとおりだ。食うものもなけりゃ、飲み水にも困っている。しかもだな、ちくしょう、疫病まで広まって、飢えと疫病と破傷風でまいにち死人が後を絶たぬ」
「なんと」
ぐるりと見回すと、なるほど、ある一画に死体の山が見える。聞くと、油がないために火葬が出来ず、遠くの山へ放置しているらしく、いま教来石が訪ねた山は、その順番待ちであるらしい。
残党の地獄絵図は、琉球脱出からいまだ続いているのだ。
ほどなく、どよめく人垣を掻き分けてきた音羽たち九洲勢の指揮官たちも姿を現した。空腹に扱けた頬を上下に引き伸ばして、信じられない光景に驚愕もあらわだ。
音羽たちは、少し離れた場所で船の修理を指示していたが、北山の国旗を風に揺らせる船団が入港してくるのを目撃して、火急のごとく駆けてきた。
内心では食料が積んであるのではという期待に胸を躍らせてたが、これはどういうわけか、人垣からひょっこり顔を出してみると、そこには九峪がいるではないか。
息をすることさえ忘れたように突っ立つ音羽たちに気づいた九峪が、まるで親を見つけた迷子のように表情を明るくさせた。
「音羽、遠州、上乃ッ!」
大手を振りつつ人ごみへ向かって駆け出す。他にも知っている武将の名を呼びながら、前のめりに足を急かした。音羽たちも、駆けだした。
北山人が何事だと囁きあう中、九洲勢が一斉に、九峪を囲むように跪いた。これには北山人たちも目をむいて驚いた。
「く、九峪様、なぜ」
頭をたれた音羽が、動揺したまま支離滅裂に言葉を垂れ流した。垂れ流した、という表現が妥当だろう、この場合は。それほど呆然とも唖然とも愕然ともいえそうな表情で、うわ言を呟くように何度も、
「なぜ、どうして」
と繰り返していた。夫の浮気現場を目撃した妻でさえ、これほどまでは言わないだろう。
九峪が阿蘇に引篭もったのは、元星三年十一月。いまは、元星八年四月。あしかけ五年ぶりの再会である。
五年とあって、九峪も懐かしむような、暖かい気持ちになる。とくに、音羽、上乃とは付き合いも長いし、遠州はかつての親衛隊隊長である。傷ついた様子は痛々しいが、それよりも、無事を確認できて目頭が熱くなった。
「音羽。立って、立ってくれ。顔をみせてくれ。遠州も、上乃も、顔をみせてくれ」
音羽の腕を取って立たせると、眼球が沸騰したように熱を帯び、もう涙が流れるのを我慢できなくなった。ほろほろとしずくが頬を伝う。
「く、九峪様ッ」
うろたえたのは、遠州であった。いや、遠州だけではない。目の前で泣き出された音羽などは、眼も当てられないほどに狼狽している。
九峪は、治まらない涙の流れるままにまかせ、しばらく嗚咽をこぼしていた。意外なことかもしれないが、よく人前で弱音をこぼす九峪も、じつは涙を見せることがほとんどなかった。九峪の涙を見たことがあるのは、亜衣と忌瀬、あとは魔兎族くらいのもので、清瑞でさえそのような出来事に居合わせることはなかった。
もちろん、音羽たちも、初めて九峪の涙を目の当たりにした。
嗚咽に咽ながら、九峪が目じりを拭う。それでも涙は、後から後からあふれ出ようとする。自分がここまで涙もろかったなどと、とうの九峪自身が思っておらず、内心で焦っていた。涙が止まらない。声も詰まって苦しい。
やっとの思いで吐き出した言葉は、
「よかった」
の、一言だけだった。しかしこれが逆に良くなかったのか——もしかしたら、良かったのかもしれないが——上乃が、もらい泣きをしてしまった。包帯を巻かれた顔をくしゃりと歪めて、わんわんと声を上げて泣きじゃくった。
指揮官級でない、兵卒たちからも、鼻をすする音が聞こえる。彼らの頭には、もはや、なぜ九峪がここにいるのかという疑問はない。琉球の凄惨な撤退檄から逃げ延び、ようやく『九洲』へ帰ってこれたという実感が、いま初めて満ちてきた。
が、しっとりとした雰囲気に包まれているのは、九峪を取り巻く九州勢だけで、いまや残党の中でも発言力など何もない北山たちにしてみれば、「お前は誰だ」という気持ちしかわいてこない。
天と地ほどもある温度差を感じながら、廉思が教来石にぼそりと問いかけた。
「教来石。あいつは何者だ」
高い身分だろう、ということはわかるが、それほど関心はわいてこない。
「神の遣いだ」
という応えにも首をかしげるばかりだ。神の遣い、といわれたところで、わかるはずもない。
「なんだ、それは」
「聞いて言葉の如しだ。九洲の神が遣わした使者なのだという。なんでも、九洲国の開祖らしい」
「開祖ッ」
廉思が息を飲んだ。九洲のことを良くは知らないが、噂を信ずると、耶麻台国は北方の狗根という大国に滅ぼされ、それを旧勢力が打倒してお国再興を果たしたはずだ。
そうなると、いま目の前で九洲勢と涙しあっている男が、大国狗根から国を奪い返した張本人ということになる。
とんでもないやつがきた、と廉思は眩暈がする思いだ。故郷を追い出されて、遠国の捨てられた島に身を寄せ、飢えと感染症に耐え抜いた末が、九洲国の開祖様とご対面ときた。
もう何がおきても驚くまいと、そう決心するのも、まぁ無理のないことである。
船団の持ってきた食料で炊き出しをすると、船倉はあっという間に空となった。米、麦、その他雑穀に芋、しめて五万石相当の積載量であった。
種芽島の残党は、総人数をすでに九千人と、一万人を割っている。それだけ疫病や糞尿などの感染症が猛威を振るっているのだ。このようなところだ、とうぜん薬などなく治療のしようもない。
重傷者はおおかた死亡している。まず、体力が落ちた負傷者から死に絶え、順次、気力体力の低いものから、死出へ旅立った。非戦士も多くが犠牲となった。
久方ぶりにまともな食事を摂った。ようやく生きた心地がしたことだろう。これから長くも短くもある生涯の中で、今がいちばん食べられることへの喜びを噛み締めているはずだ。
満腹とは言いがたいが、それまで幽鬼のようだった音羽たちの表情も、食事を摂れば和らぐ。強烈なまでの生存本能は牙をおさめ、頬には赤みがさした。
咽びながら水雑炊をかっこむ様に九峪は安堵したが、いつまでも再会と食事の余韻に浸っている時間的余裕はない。
ひとまず落ち着きを見計らって九洲方と北山方の指揮官たちを海星丸に集め、空になった船倉を仮の会議室とした。
北山方は戸惑いを隠しきれないが、それとは打って変わって、九洲方は生き生きとしている。軍議の席に九峪がいる、というだけなのに、それだけで九洲勢の気持ちが昂った。
意気はまずまず。
船倉には床机などないし、椅子もあるわけがない。九峪たちは車座に、互いの顔を見られるように座っている。
木版に墨で地図を描き、それを戦略図に、九峪は今後の行動を考えた。目の前の戦略図、手前に種芽島、硫黄島、黒島などを、奥に薩摩南部を描き出す。
九峪は、手にしている小さな棒で、
とんとん
とんとん
と、戦略図の上を何度もつついている。九峪が無言でいる中、場はにわかにざわめいている。
——そういえば。
ふと、ざわめきが耳を鳴らしているとき、九峪は、もう十年近くも昔となる日を思い出した。
忘れもしない。あの、廃神社での出会い。
キョウと出会い、伊雅と清瑞に出会い、伊万里、星華たちとも出会った、あの夜のことを。
初めて殺しあう場面に直面し、腰が引ける中、深川の屍兵を燃やし尽くした、あの瞬間から九峪は『神の遣い』となった。
キョウの用意した口上は、
——耶麻台国を復興させるために、天の火矛が遣わした『神の遣い』
というものだった。もちろん、デマカセである。九峪は天の火矛などというものを知らないし、会った事もない。九峪はただの高校生でしかなかった。
それが、『神の遣い』の御名のもと、多くの有志を束ねて戦陣に身を置くこととなった。『神の遣い』という、真実と反する存在をみなに信じ込ませ、崇めさせ、戦った。
思えば。
いまも、九峪は同じ事をしている。世上に憂い再び世に降りた、とは紅玉の用意した文句であるが、種芽島の残党をこの言葉によって動かそうとしている。
あらためて思い知らされる。九峪はすでに、九峪であると同時に——否、九峪である前に『神の遣い』なのだ。九峪を戦乱の異世界で偏在させる要因の大きくを、『神の遣い』が占めているのだ。
だから時どき、九峪は、自分が『九峪雅比古』なのか『神の遣い・九峪』なのか、わからなくなるときがある。それはここ最近、蔚海を封じようと画策したときから、より顕著となった。
今の自分は、どっちなんだろうか——。
『神の遣い』なのだろう。諸将に囲まれ、戦略を練っている間、そこには『神の遣い』がいるのだと、九峪は思った。
納得してしまえば、あとは楽なものだ。神の遣いとしての役目を果たすだけだからだ。
音羽たちの話すところによると、加奈港を攻めようとしていたらしい。教来石の合力を期待していたのだろうが、そのために、ずっと船を直していたのだという。
玉砕覚悟の特攻作戦、九峪は聴いた瞬間に、血の気が引いた。あと少し種芽島へわたるのが遅れていれば、またはあと少し実行する瞬間が早く訪れていたならば。
頼みの綱だった残党勢力は、跡形もなく砕け散っていたかもしれない。そう思うと、いまこの場で軍議を開いていることが、奇跡のように感じられる。
あるいは、九峪の強運の賜物か。九峪には不思議な運の巡り合わせがある。『ツキ』というものだろう。
種芽島の戦力は、人員にして三千人ほど、艦船はわずか六十隻弱。
——心許ない。
素直にそう思った。音羽たちは九峪の指揮下にあることで、百人力を信じて疑っていないが、しかし九峪には安心できない。
条件が厳しい。加奈港を出航して、すでに七日が経過している。あまり時間をかけすぎては意味がない。
ちなみに。
九峪が種芽島に到着するちょうど一日前。すなわち元星八年四月十一日。
火魅子と蔚海の大いくさ、火蓋はついに切って落とされた。詳細は後に書き記すとして、まずはここで開戦したことのみを読者に伝えたい。
九峪は知らない。知らないが、動くのは早いほうがいいに決まっている。
九峪が動くためには、まず、情報が必要だ。とくに、いやどうしても欲しい情報とは、宗像海人衆の動きに関してである。
可能ならば、本戦に参加することが望ましい。しかし、緊張が臨界点に到達している現状、遠く離れた種芽島にいる自分では、本戦に間に合わないかもしれない。七日間というタイムロスは、それだけ大きなものだった。
となると、九峪があげられる戦功とは、しぜん限られる。
宗像海人衆を倒すことだ。宗像神社を重然に奪われてから、宗像海人衆は、火向石川島へと逃れてきている。よしんば加奈港を押さえたとしても、宗像海人衆を相手にするには、戦力とする残存部隊の損耗が激しすぎる。
だが——九峪は考えるのだ。加奈港はいま、誰もつめていない。香蘭が押さえてくれればそれに越したことはないのだが、ひとつ、気になることがある。
紅玉についてなのだが、どうにも紅玉は、加奈港(というよりも外加奈の城)を、重要視していないのだ。ともすれば、蔚海にくれてやってもいい、といった具合に、半ば捨てている。
なぜかはわからない。紅玉から直接聞いた話ではなく、ただ九峪が話している内にそう感じただけなのだ。だから確証はないが、気になってしょうがない。
外加奈の城に隠された秘密を知るものは、紅玉のほかには、亜衣しかいない。もしも、亜衣がこの場にいて、そのことについて質問されると、
「ああ、それはですね」
と、軽快に謎解きをしてくれたことだろう。しかしいま、九峪の傍には、もっとも頼れる最高の軍師はいない。
彼女は遥か、筑前で戦っている。
——迷ったならば、直感に従え。
九峪は、香蘭は加奈港をおさえていない、と判断することにした。なんにしろ、斥候を放てばわかることだ。
九峪の脳裏に、まず最初の課題が浮かび上がった。宗像海人衆の動向を探ることが肝要であった。
そして、今頃。
九洲本土でも動きは、大きく、激しく、加速している。