九峪が種芽島の土を踏む直前、両軍の緊張は最高潮に達し、張り詰め、そして針を刺された風船のように破裂した。
際川の本戦が始まるのは、四月十一日。この日、際川を挟んでにらみ合う、火魅子方西軍と蔚海方東軍がついに激突する。
しかし、この古代九洲最初の大内乱は、『際川の戦い』から始まるわけではない。
四月六日、まず口火を切ったのは、薩摩の香蘭軍であった。香蘭軍は県内の親蔚海勢力を掃討し終えると、すぐさま其水関を越えて火後領内まで進軍、
藤那軍と合流し火後街道を驀進して、かつて耶麻臺国の牙城であった天都城を目指した。
天都城の守将・尾戸は四千三百の大軍でもって、香蘭と藤那を迎え撃つ。対する香蘭は二千三百、藤那は三千三百、あわせて五千六百のこれまた大軍で
挑む。
天都城から四里離れた姫御前岳に藤那軍、八唐山に香蘭軍が着陣したのが、四月八日であった。過ぎ去ろうとする冬の寒気に西からきた暖気がぶつかり
、九洲は雨模様の日々が続いている。
連絡は密に取り合い、夜、眼前には尾戸軍の焚く篝火の赤々が、雨のカーテンごしに映えて見える。
雨よけに天幕を張り、警護の兵を配置し、藤那と香蘭は諸将を連れて軍議を開いた。場所は藤那軍の本営である。
この軍議には紅玉の姿がない。なぜ紅玉が随行していないのか、それは藤那も疑問に思ったが、理由を聞けば納得できた。
鹿児島城を発進した薩摩軍は、二千三百。残りの二千は、加奈港を占拠した宗像海人衆を警戒する為に、紅玉指揮下で国分城へ入城している。
「そうか。紅玉殿は国分城に」
酒盃を床机の上において、一人ごちる。
此度のいくさは、いくら火魅子方有利といえ、それで楽な戦いになるわけではない。藤那と香蘭は、今回の大いくさで天都城攻めを行うが、如何せん戦
力差に大きな隔たりはない。もしも尾戸が篭城策に出た場合、攻略は難しくなる。
難戦になると、やはり紅玉の存在感はひとしおに増す。九洲六将の筆頭であり、ともすれば『闘神』とまで呼ばれることさえある紅玉が指揮を執ると、
猛将として知られる香蘭、勇猛果敢な『駒木衆』三百騎の大将である藤那でさえ、その武を霞ませてしまうほどだ。
手柄取りとなると紅玉の不在はありがたいが、心のどこかで、紅玉を頼もしく思っているのも事実である。
野戦に持ち込めれば、勝機十分なのだ。香蘭率いる精強薩摩軍団に、藤那率いる駒木衆三百騎が、所狭し、当たるを幸いに、切り込み、薙ぎ倒し、散々
に蹴散らしてくれる。
そのいくさ模様をどのように演出するか。
軍議のさなか火後の若き知将、閑谷は、地図に目線を落として、いくさ模様を思い描いた。
ときに閑谷、二十五歳。
雨ふる初春の夜であった。
唐突だが、このまま物語を進める前に、天都城について触れておきたい。
九洲北四州(火前、筑前、筑後、豊前)が天目の支配下に置かれていた時代、すなわち耶麻臺国時代の建造である『天都』が前身とされる。
天都は、耶麻臺国の首都として計画された大城郭であり、収容兵数三千という古代九洲、戦略史上空前の一大拠点となる。九洲の大城郭といえば、収容
兵数二千八百の耶牟原城があったが、天都はそれすら凌駕した。
荒い地形が多いという特徴のある倭国だが、案埜津の指揮下で壮大な台地を築き、その上に城壁都市が建設された。当初は、荘厳で煌びやかな都市とな
るはずであった。
しかし、凄乃皇の出現によって事情が急変。彩花紫率いる狗根国遠征軍が突如、急反転して山都へと引き返してしまい、両国も相次いで国主を失ったた
め、九洲には曖昧な空気が漂い始めた。
両国は同盟で結ばれているが、それは狗根国という共通の敵を持った、呉越同船の末であることは周知のとおりだが、いつまでもぬるま湯の関係が続く
わけがない。
火後と筑後を中心に関係は張り詰めていき、危機感を抱いた虎桃が天都建設の方針を転換し、都市としての華美さは排除し、無骨な山城として完成させ
た。これが、現在の天都城の形となった。
以後、両国は藤那の筑後侵攻に端を発して、事実上の戦争状態へ突入。天都攻略を目論む藤那・亜衣の両人は、天都を目前としながら『大和の戦い』で
虎桃に土をつけられた。特に藤那などは、虎桃の策によって殺されかけたために、生涯、忘れることはないだろう。
天都城は、藤那にとって、因縁深い城であった。
台地の麓に堀、城へ上る大通り、城壁の内側にさらに堀という堅牢さに加え、支城が三つも付属する。間道も開かれ、攻守の妙に精通している城となっ
ている。
『攻めるに難く、守るに易し』という言葉を体現したような構えを前に、さしもの藤那、香蘭でさえ攻めあぐねているのが現状だ。
先ずは第一の支城に攻撃してみたが、向うも守備する支城のみで迎撃するだけにとどまり、本隊を簡単には出撃させてこない。伊万里の家臣だっという
山人知事の尾戸だが、以外や以外、駆け引きを心得ているらしい。
「とりあえず、小手調べに支城を攻めてみたわけだが」
姫御前岳から支城を見下ろしてみると、この支城でさえ中々の造りをしていると思わされる。とくに堅牢ではないにしろ、すぐにどうこう出来る代物で
もない。
腕組して見下ろす藤那の格好は、如何なく堂々たる風情がしている。戦場でさえ手放そうとしない酒瓢箪が腰からぶら下がっている。同じように、剣も
ぶら下がっている。戦場で必須の剣と同等の扱いをうける酒瓢箪というのも珍しいだろう。
とはいえ、藤那の愛剣を戦闘で使うとすると、怪我の元である。藤那の剣の使用目的は、軍配と同じで、采配を振るう時の指揮道具でしかない。あとは
精々、護身用として振るうのが関の山だ。装飾は立派だが、強度・切れ味ともに、『鈍ら以上名刀以下』とは藤那自身が口にしている言葉だ。
「結構堅いな」
堅いとは攻めてみたときの手応えの感想であるが、別方向から攻撃した香蘭も、思っていたより守勢がしっかりしていたのには、彼女らしからぬ程度に
驚いていた。
「東側の砦、ちょと急ね。のぼるの大変よ」
「薩摩兵でもきびしいか」
「岩とか丸太がゴロゴロころがてきて、ハチャメチャが押し寄せてくるよ」
「まぁ、こちらも似たようなものだが」
篭城戦では常套手段とされる『落石』や『丸太落し』の威力は単純ながらに侮れない。攻城側の最大にして唯一の目標は城壁を越える事にあり、そのた
めには、何が何でも城壁にしがみついていなければならない。篭城戦・攻城戦の妙は、それを如何にして妨害するか、掻い潜るかにかかっているといっ
ても過言ではない。
尾戸は、なるほど、軽々しく支城の救援に兵を出さない。香蘭と藤那を相手に、野戦がどれほど危険かということをよく弁えているのだ。
——だがそれだけだと、藤那は気持ち半分、がっかりしている。
野戦を挑まなければ勝てるなど、随分と嘗められたものだ。
「やつでは、険阻要害の天都城を使いこなせない」
そこが尾戸の限界だと断ずるに十分だ。尾戸の戦術では、克城を含む三つの支城が五割の機能も発揮できない。せっかく案埜津と虎桃という、二人の名
将が築いた天下有数の大要塞も、尾戸にかかってはただの城でしかない。
「東側の砦が堅いらしい」
軍議の席、閑谷が即席で作った克城周辺の地図に墨で描かれた東砦を、扇子で指し示した。雨音がまだ続いている。
「薩摩兵でも抜けれない砦、ということは、矢玉やら材木やらの蓄えが豊富だということです」
「さもありなん。あそこは九洲で一番大きな城の支城だからな。以前、後学のために視察してみたが、倉庫の多いこと多いこと」
思い出しても素晴らしい城だったと、傲岸不遜な藤那でさえ、天都城の総構えには感嘆の吐息を漏らすばかりだった。さらに凄まじいことに、筑後知事
の尾戸が接収してからこのかた、一度も増改築をしていないという。
それほどの完成度を誇っていた。この天都は、九洲において案埜津と虎桃の二人の名を否が応にも高めた。
「しかし、将が残念だ」
藤那の言葉に、閑谷が頷いた。
「克城の城主は文官上がりだと聞きます。おそらく、尾戸から篭城に徹するよう、指示を出されているのでしょう」
「言われたことしか出来ない文官が、武官の真似事か」
「故に、戦い方があります」
閑谷は一計を考じた。
「東砦は捨てましょう」
「攻めない、いうことか?」
「はい。見たところ、東砦が一番大きい、つまり、倉庫も多い。岩も、丸太も、矢玉もあります。そんなところを攻めてみたところで、いたずらに兵を
損なうだけです」
それよりは、と二の砦を示すと、藤那と香蘭が扇子の先を凝視した。二の砦は、東砦から西方へ二町ほど離れた砦である。
二の砦の兵員は、だいたい三百人。東砦は五百人であり、東砦からさらに東へまた二町の距離を開けて、一番本城に近い一の砦があり、兵員は三百であ
る。
「僕が思うに、おそらく克城の仕組みは、中央の東砦を主軸とし、左右の砦と巧みに連携させて運用するのだと考えられます。背後の克城は、その戦況
に応じて兵を送り出すのでしょう。それこそが、東砦が頑強な最たる所以」
ということは、一の砦・二の砦を落とさない限り、東砦を突破することは難しいということになる。
「一の砦と二の砦に、波状攻撃を仕掛けましょう。一昼夜、それぞれの砦へ攻撃を交互に仕掛け、兵を惑わし、機を見計らい東砦へもにわかに攻め上り
、また退き、そして攻め、兵を休ませません」
「いそがしい戦いだな。一箇所を猛攻して攻め落とすのでは駄目か?」
藤那としては、一点突破が望ましいらしい。生来、強気な気質をもつ藤那は、さっさと克城を突破して天都城へ向かいたい。
だが、しかし、急いてはいけないと閑谷は思う。力攻めに攻めれば突破することは容易だ。ほかの支城も撃破できよう。それでも、油断はいけない。
それに、天都城攻めとなると、どうにも藤那は危うくなる。危うくなるとは、落ち着かなくなる、ということだ。『大和の戦い』を思い出すのだろう。
「それはいいけど」
ふと、香蘭が呟いた。
「一と二の砦せめるとき、東砦から兵でてきたら、どするか?」
「それこそ重畳。その機を逃さず一気に叩き、勢いに乗って東砦を攻略します」
作戦は決まった。
姫御前岳の藤那軍は二の砦、八唐山の香蘭軍は一の砦を交互に攻め、そのたびに克城の兵士たちは対応に追われ、克城の機能は次第に麻痺していった。
その間、東砦の兵が出撃するかと思い、閑谷はそれを期待していたが、これは中々さそいだせなかった。閑谷にはいささか拍子抜けの感とともに残念で
あったが、唐突に東砦へも攻勢をかけたことで、ついに東砦は陥落。
克城の守将には、過ぎたる城だったのだ。二日間の攻防で、克城は落城した。守将は斬首とした。
四月十日のことであり、その翌日、藤那・香蘭軍は克城を発進、天都城へ接近した。
志野軍本隊が川辺城を発進したのが、四月九日。『克城の戦い』さなかのことである。
すでに、美禰城や刈田城からも兵団が合流し、道々の豪族たちも加わり、東火向街道を北進、翌日に延岡城にはいり一泊し、さらに二日の行軍で可愛岳
を越え、豊後県内へ侵入したのは四月十二日、日中であった。
伊万里軍はこのとき、早くから波羅稲澄城を発進、宇佐神宮で安全祈願をしたのち、豊後高田城などからも軍団を合流させ、同じく四月十二日には、豊
後大野城へ入城をすませていた。
どちらも大軍であり、さっそく志野軍が宇目城を攻撃、わずか一日で陥落せしめるとそこを拠点とし、豊後大野城に対峙した。
じつは、この段階で、志野は機先を制されていた。
さすが山岳戦では無頼の大将である伊万里だ。伊万里が豊後大野城へ入城したという報に、身体の強張る思いが、志野をして押し寄せてきた。
宇目城を攻めていた僅か一日。
伊万里相手に一日では、時間をかけすぎた。
「やはり伊万里様は、豊後大野城に本陣を置いたのね」
予想はしていた。しかし、いざ現実にそのとおりの事態になると、緊張する。
勝率は、五分。いえわずかに、我がほう不利。
志野は即座に判断を下した。志野と伊万里の軍勢が睨み合う、その目の前には、
——九洲山地
から突き出る連山が横たわっている。陸高二百から六百メートルの山々である。
水を得た魚、という言葉があるように、山を得た伊万里は鬼神である。武将としても統治者としても、火魅子候補の中でもっとも影の薄い伊万里だが、
山岳戦で負けたことは殆どない。おそらく苦い記憶となった『伊尾木ヶ原の戦い』のみではなかろうか、部隊を壊滅させてしまったのは。
伊万里は、とにかく乱戦が得意であった。とくに山岳では、山々の起伏に兵を隠し、罠を仕掛け、敵をかく乱し、散々に追いまわし、乱戦といえど一方
的に戦い、その戦いぶりには九峪でさえ開いた口が塞がらなくなるほどだった。その巧みさを九峪に絶賛されたことは、伊万里にとって火魅子に選ばれ
る以上の喜びであった。
志野は何としても、伊万里が到着するまえに豊後大野城を攻略しておきたかった。そうすれば、この戦い、志野は勝利を確信できただろう。
しかし伊万里は豊後大野城にはいってしまった。戦場は、山である。伊万里に鬼神が憑いた。
今となっては詮無いことだが、こうなると、織部の不在が響いてくる。乱戦に強いといえば、火向の一番槍である織部も、乱戦では妙な粘りをみせる武
将だ。
「無闇に攻撃を仕掛けないこと。これだけを守ってください」
軍議の席で、志野は、それだけを諸将に注意した。とにかく乱戦だけはいけないし、起伏の激しい山岳で、どこから伊万里軍が出没するかわからないと
いう恐怖もあった。
出来る限り平坦な地形を進み、つねに警戒を怠らない。ともすれば、空から兵が降ってくる位のつもりを武将たちは肝に銘じていた。
それだけ、伊万里は恐ろしい武将だったのだ。さらに悪いことに、戦わねば人質とされた義父たちの命がないとあり、もはや自棄の心象でもあり、伊万
里は本気で戦わねばならなかった。
「鬼無里(きなさ)様、御討ち死ッ!!」
兵士が叫んだ。武将が一人、討たれた。
「鬼無里様、御討ち死ッ!!」
最後に叫んで、兵士も倒れて、息を引き取った。別働隊を率いていた鬼無里隊は発進から一日とたたずに、蜘蛛の子を散らして瓦解した。
どこで斃されたのか。宇目城を出発してまだ半日だ。
どうやら伊万里軍はかなり近くまで迫っているようだ。
——進軍速度が違いすぎる。
本隊は四番手である。鬼無里は二番手であったが、攻め崩された。亀の歩みの志野軍と違い、強力な山人衆を率いる伊万里軍はそこかしこで勇躍してい
た。
緒戦、志野は出遅れた。伊万里はすでに、乱撃戦の姿勢を固めている。
今回の戦いでは軍議をあまり開かないように心がけている志野だが、宇目城を出発して一日目の夜、はやくも軍議を開かなくてはならなかった。警備は
厳戒に厳戒を重ね、陣を方円に展開している。
報告は続々と陣屋にもたらされ、鬼無里隊壊滅の真相も、生き残ったものたちから問いただした。
二番手、鬼無里隊を粉々に打ち砕いたのは、伊万里軍の先鋒、仁清隊三百であった。鬼無里の隊は五百であったが、戦いは仁清の一方的なものだったら
しい。
仁清といえば、上乃と並んで伊万里の両翼として知られていた。とくに斥候・大物見を担当することが多く、つねに軍団の先鋒を任される栄誉と責任を
一身している。
仁清のことを詳しく知らないが、志野の見たところ仁清は訥言敏行の人で、有能そうだという印象はあった。
その仁清に、出鼻を挫かれた。それは同時に、伊万里軍の恐ろしさを垣間見た瞬間でもあった。
地図がある。地図を囲んで、本隊に詰めている諸将が難しい唸り声を上げている。
「豊後大野へ抜けられる街道は・・・・・・」
「東山街道しかない」
東山街道は、現代でいえば、国道三二六号線辺りだろう。ここが唯一、大軍の移動できる道である。
それ以外を進むと——最悪、鬼無里と同じ目にあうだろう。鬼無里を襲った悲劇は、いくら戦場のならいといえ、火向の戦士たちを底冷えさせるに十分
な効力を発揮した事件だった。
それでも、進まねばならない。豊後大野城を落とさない限り、この戦場は、伊万里の独壇場である。
「伊万里様には、我らの動きは筒抜けなのだろうか」
さすがの火向武将も、不安を隠しきれない。彼らは初めて、伊万里という武将の恐ろしさを噛み締めている。
「わしには、この山など隠れる場所にことかかず先も見えぬ。事実、伊万里様の兵士などみつけられん」
「でも、向うからは見えるのでしょう。そこが山人の恐ろしいところですね」
「いったいこの調子で、いつになったら豊後大野城に辿り着けるのか・・・・・・。志野様、このままでは際川の本戦に間に合いませぬぞ」
「ええ・・・・・・」
進軍速度はきわめて遅い。東山街道は峻険な道でないにも関わらず、難行軍となっている。いや、それもいまだけで、いずれ行き詰ることは明白である
。
「この山を越えても、豊後大野城攻め。そこからはさらに北進し、耶牟原城攻め。先が思いやられますな」
答えるのも億劫だ。志野のため息が、重く吐き出された。
軍議でも有効的な打開策は提示されず、とにかくも進軍しなければならない。
明朝、志野軍進発。
アラレのように激しい乱撃の嵐に晒され、なかなか前に進めない。一日の間に十五回以上も戦闘が発生するという、まさに大激戦となった。
九洲中原で藤那・香蘭軍の攻勢がより激しくなり、この時、すでに天都城を目前とする勢いであった。
功名にそれほどの関心をもたない志野であるが、家臣たちのことを考えると、ある程度の手柄はほしい。こういった縛りが、志野は嫌いであった。さら
に、である。敵対する伊万里は、もともと火魅子方勢力であり、人質を取られたために寝返らざるを得なかった事情がある。
いわばこれは、同士討ちの戦いなのだ。自棄になって戦う伊万里軍と違い、志野自信の戦意が伸び悩み、これが戦況を思わしくないものとしていた。
志野軍は山麓の窪地に釘付け状態となった。鬼無里隊壊滅から三日、すでに撤退もおぼつかない。
四面楚歌であった。
もはや幾度目の戦いか。四月十六日。前日から降り続いた雨が、知らず止んでいる。
鬨の声があった。志野軍本隊千二百が宿営している半窪(なかばくぼ)にむかって、丘から、林から、兵士たちが駆け込んできた。
伊万里軍の夜襲だ。夜襲部隊の指揮は、伊万里自身が執っていた。松明のにわかな灯りに、たしかに、伊万里の姿が幽霊のように浮かんでいる。
天幕で作った陣屋から志野が飛び出すと、本陣が襲撃を受けている真っ最中で、乱戦の模様を呈している。
兵士が駆け寄ってきた。
「し、志野様ッ。敵勢です!」
「・・・・・・そんなの、見ればわかるわよ」
将兵たちの陣屋が、燃えている。それを眩しそうに見つめる瞳が、細い。
「志野」
珠洲も陣屋からでてきた。軽装である。
「やられたの?」
「ええ、見事にね。さすが伊万里様・・・・・・夜襲をしかけるほどに、追い詰められているようね」
志野の陣屋はやや高い丘の上にある。見下ろした先に——伊万里がいる。刀を振りかざし、駆けている様は、まちがいなく伊万里であった。
ほどなくして、別方向から、遠く合戦の音が聞こえている。あの方向には三番手の陣がある。仁清隊と戦っているのだ。
——伊万里様、勝負に出たのね。
なんとなく、なんとなくだけど、伊万里の悲痛な叫びが聞こえた気がした。戦場を圧倒しているのは伊万里のはずなのに、いまにも崩壊しそうなほど、
奇襲部隊が脆く見えたような気がした。
吐息を吐いて、指示を飛ばす。だからといって、死んでやるいわれはない。
「救援は期待できないわね。自力で半窪を脱出します。伝令を放ち伝えなさい。各々、己の采配で番匠川流域まで生き延びよ、と。一番手、三番手、後
詰にも」
「はッ」
「珠洲、私たちも行くわ」
「うん」
志野と珠洲が、数名の兵士を連れて丘を駆け下った。すでに馬はどこかへと逃げてしまい、徒歩で戦場を疾駆した。
この夜の戦いは、激戦という言葉すら生温く感じるほど、凄まじい光景となっていた。伊万里軍の猛攻に、志野軍も良く堪えた。
士卒の骸おびただしく、遠くの麓の村落にすむ百姓たちが、吹き上がる炎の紅と、浮かび上がる黒煙の多さに、
「御山が噴火した」
と、騒ぎ出すほどだった。
「これでは負け戦ね」
豊後兵を切り捨てながら、志野が呟いた。今夜の戦い、志野軍は負けるだろう。この勢いならば、自分が討ち取られてもおかしくはない。
『背水の陣』なのだ、伊万里は。退くも進むも崖っぷちなのだ。ほとんど錯乱しているといってもいいだろう。
このような兵を相手に、いまいちやる気の出ない自分が戦ったところで、勝てるわけがない。
そもそも、当初の志野が考えでは、伊万里は敵ではなかった。すぐさま北進し、伊万里とともに耶牟原城を陥落し、蔚海の背後を突くはずだった。
蔚海の人質作戦で、全ての計算が狂わされた。
「——ッ!」
戦場を駆ける。駆けるに駆けて——志野のまえに、返り血に染まった伊万里が、立ち塞がった。
「伊万里様!」
「志野」
両軍の総大将が、対峙する。伊万里が刀を構え、志野も構えた。すかさず珠洲が二人の間に割ってはいる。
「珠洲、どきなさい」
「志野ッ!? でも・・・・・・」
「いいから、どきなさい」
珠洲を手で制し、退かせ、一歩踏み出す。それでも強情に前を譲らないが、豊後兵が襲い掛かってきて、しぜんと志野にかまっている場合ではなくなっ
てしまった。
このような場所でも、志野はまるで踊り子と変わらない服装をしているが、対する伊万里の装いは、しっかりと具足を着込んでいる。ただ、伊万里は兜
を被るのを嫌い、いつもを額に巻いている。
伊万里は、苦みばしった顔をしている。返り血が、まるで伊万里の身体から流れる伊万里自身の血のようで、途方もなく傷ついているようにしか見えな
い。
「そこを通してください・・・・・・と、いっても、無駄なんでしょうね」
「すまない。・・・・・・でも、許してくれとは言わないよ。こっちは何としても、志野の首を持ってかなきゃならないんだ」
「それが、蔚海から出された要求ですか?」
ぐっと、伊万里が息を飲んだ。
「——そうだッ」
叫んで、伊万里が飛び出し、上段からビュオッと鋭く刀を振り落とした。とっさに剣で受け止め、逆に反撃する。
総大将同士の一騎打ちが、はじまった。
伊万里の剣撃は激しく、たしかに一角の戦士である事をうかがわせる。しかし哀しいかな、一個人としての武は、志野に及ばない。巧みな剣さばきに、
伊万里は次第に翻弄されていった。
——やはり、強いッ!
わかりきっていたことだ。武将としても戦士としても、伊万里の素質は志野よりも一歩、後れをとっていた。
クルクルと回転するように上体を回し、足は軽やかに移ろい、四刃が縦横の間断なく伊万里を襲った。戦いを見ているのか、それとも自身も舞台の上で
ただ舞っているだけなのか、伊万里も定かでなくなっていく。
それほど、志野の武は典雅の一言であった。
雑兵どもは珠洲のために近寄ることも出来ず、伊万里は焦れだした。戦況は有利、だが志野の首は遠い。
「——うッ!」
志野の双龍剣が、軽装を破って伊万里のわき腹を掠めた。鎧がなければ、伊万里ははらわたを切り裂かれていただろう。鎧の下が血で滲んだ。
鎧の厚さを念頭に入れ、絶妙の力加減で切っ先をかすませた志野の力量、推して知るべしものがある。
怯んだ伊万里を、素早い動作で蹴飛ばす。後ろ向きに倒され、視界が動転した。伊万里が立ち上がろうと刀を地面に突き刺したとき、どっと勢いのよい
音が響いた。
乱戦の志野軍本陣に、別の部隊が突っ込んできた。後方でゆいいつ難を逃れた後詰隊五百が、番匠川へ向かわず、本陣の救援に駆けつけてきたのだ。後
詰隊の指揮官は、元一座の人間である。
脱出が遅れたのが幸いした。少しずつ戦況は覆り始めている。本陣に詰める一座衆も、志野を見つけて駆け寄ってきている。
「伊万里様、兵を退いてくださいッ!」
志野が叫んだ。これ以上、戦ったところで意味はなかった。
「伊万里様ッ!」
「クッ——」
伊万里が、悔しそうに——それでいてどこか安堵したように、うめき声を漏らした。それから間をおかず「撤退だーッ!!」と叫び、兵とともに引き上
げた。
志野は、追わなかった。朝明け、半窪は、墓穴と化していた。伊万里軍の死傷者は七百人と夥しいが、迎え撃った志野軍の死傷者は、なんとも千人を超
えていた。
本陣はズタズタに引き裂かれ、他部隊も手痛い損害を被った。六将にして兵力が一万を超えている志野軍に対し、山岳戦の名手たる伊万里の武を見せ付
けた戦いとして、この『半窪の戦い』は人々に記憶された。
九洲中原と違い東方戦線はまさかの、火魅子方南軍、不利であった。