昌香が加奈港の偵察任務より帰還した。二十日のことだ。
首尾は隆々で進み九峪の予想を違わない結果であった。加奈港および外加奈の城は、すでに宗像海人衆により占拠されている。さらに、錦江港沿岸の漁村なども大方が彼らの勢力圏に収められている様子だったらしい。
錦江港は大隈半島と薩摩半島に挟まれ、楕円形の水域である。その領域は広大だ。これをいざ外海より攻め入るとなると、容易ならざることだ。湾の入り口こそ細いが船舶同士の接触事故を防ぐために交通整理の杭が幾本も打ち込まれており侵入には手間がかかる。そこを抜けてもその奥は緩やかにふくらみ、大艦隊を編成して待ち受けることも出来る。また、両半島に拠点があるために、挟撃も可能であろう。
拠点がある分、どうしても宗像海人衆が有利だ。
「石川島も捨て置けないな」
九峪にしても、そこがもう一つの懸念である。海人衆の大部分は加奈港——錦江港に集結している。しかし、石川島にも多少の戦力が残されているとの事。そこが彼らの浅ましさだ。折角手に入れた石川島を手放したくないというのだろう。もしくは、今こそ切り捨てたようなものだが、戦後に石川島を手放したわけではないということを主張するためかもしれない。
「海人衆の戦力はどれだけなんだ?」
九峪が昌香に尋ねた。九峪軍は数の上でこそ五千人と大軍だが、武装状態などを考えると実質的に二千人しか戦えないのが実情だ。
「単純戦力で三千ほど」
流石は九洲一等級の水軍だ。復興軍の時分には四百人そこそこだった。双璧をなしていた石川島海人衆も六百人ほどで、双方ともに随分と勢力を拡大したものだ。
「そうか」
報告を受けてからすぐに軍議を開いた。軍議に出席できるものは限られている。
総司令官の九峪はもちろんとして、現在のところ九峪の補佐役にある教来石と昌香、北山衆を取りまとめる廉思、ホタルを率いる清瑞、音羽、遠州、上乃などの将軍階級、そして主だった部隊長である。
二十日の軍議では、作戦立案よりもまず各部署が情報を正しく共有するため、主に昌香からの現状説明のみが行われた。事情を知る知らないで、各指揮官たちの考え方も違ってくる。
味方の状態、敵方の状態。それを省みるに皆の顔色は暗い。
こちらは満身創痍で二千人。向うはかすり傷ひとつ負っていない三千人。しかも、連中にとって得意の海戦という土俵で戦うのだ。
重苦しい雰囲気の中、それでも九洲勢を中心として、この圧倒的不利を打破するために頭を捻らせている。
その様子を眺める九峪の脳裏には、すでにある一つの策があった。
微妙な均衡でもって左右に揺れていた戦局が、ついに崩れた。
二十三日、伊万里軍が耶牟原城を出発し、後を追うように志野軍も足を際川へ向けた。
藤那・香蘭軍が最初に口火を切ってから、すでに十九日が経過している。耶牟原城を攻略した伊万里・志野軍は途中の駐留戦力を交えつつ西進、迎え撃ってきた小久慈軍を二度にわたる戦闘で壊滅させると、二十六日の夜七時ごろに蔚海本陣より東三里のあたりに布陣を敷いた。
西北に火魅子軍、東に伊万里・志野軍。際川には無数の篝火が焚かれ、その熱に逃げ出したかのごとく雨はあがった。蔚海軍は東西から挟まれるという絶望的状況に陥ったことになる。
伊万里の裏切り、耶牟原城の陥落、人質の解放。立て続けに起こった悪報をまえに、それでも勇み発つものなど、結束の崩れ去った蔚海軍にいるはずもなかった。
自ら指揮した戦いで大敗した蔚海もまた、戦意を失った哀れな敗北者へと成り果てている。人質が助けられたと知った武将たちは次々に寝返り、火魅子方へと我先に駆け出す始末だ。
伊万里の寝返りなども、亜衣や伊雅の耳に入ったことだろう。
蔚海軍は、音を立てて崩壊しだした。
「ふん。これも亜衣の思い通りか?」
幾人目になるかわからない使者から受け取った書状を閑谷にまわす。藤那は面白くなさそうに、憮然としている。
文面をおい、事の起こりを頭の中に叩き込んだ閑谷の目が僅かに見開かれた。ちいさく「さすが」と呟くのを、藤那は聞き逃さなかった。ますます不貞腐れたように目を細める。
「予想通り・・・・・・とでも言いたげだな」
「まぁ、ね」
竹簡を巻きなした閑谷は苦笑した。藤那がその実、こうなることを予想していたということを、彼はとっくに知っている。わかってはいるけど、心のどこかで違う結果を期待していたのだろう。
閑谷が実質的に藤那の補佐役として活躍を始めたのが『火後の乱』からである。軍事・国政はもちろん、取次ぎや折衝役などの外交にも携わってきた。当時、閑谷はまだ少年で右も左もわからなかったが、だからこそ遮二無二なって立ち働いて実践の中で学び、めきめきと頭角を現してきた。
その過程で見てきた藤那の姿がある。
一国の主となった藤那には、知事とはまた違う役割——大王としての有り方が求められたことは、当然のことであった。すでに藤那の上に立つ者はなく、閑谷がいる以上、官僚(当時は駒木衆)を直接どうこうすることもなかった。求められたことは、国家としての精神的支柱と、大筋の意思決定だ。
その上でいえば、藤那もまた叩き上げだった。右はわかっていても左をどうすればいいかも迷ったことだろう。藤那は知事の頃から、九峪を手本としていた。そのために九峪の人柄なども独自に研究していき、結果として九峪という男の事を深く知ることともなった。
藤那の中にあった対抗心は、いつも手本であった九峪に向けられていたのだ。九峪を超える事がひいては国主として優劣を分かつとも考えていたのかもしれないが、最期は夢から覚めたように九峪に膝を屈した。
それから九峪より『お咎め無し』という誰もが耳を疑った裁きを受け、藤那は完全に帰順した。帰順してからは当然、知事としての職務に服したわけだが、一度でも国主の場に立った実としては自然、九峪や火魅子に代わって実質的に指導していた亜衣の実力に目が惹かれていくのも、仕方がないことだった。
九峪と並び立つことが出来ない藤那は、せめて亜衣と同等の実力がほしかった。その対抗心が『大和の戦い』で藤那を窮地に陥れたが、ようは亜衣の事をライバル視しているのだ。
いや——して、いたいのだろう。
ことさらに指摘するほど野暮ではないが、ならば影に日向に支えてやるのが、閑谷の使命である。
「これで尾戸は裏切るね」
「裏切るな。・・・・・・裏切るか」
浮かない顔で、藤那がいう。
「また天都を落とせず終いとはな・・・・・・」
九年前は、天都を目前としながら大和で敗北した。今回は天都を視界にいれ、攻撃をしたにも拘らず、やはり落とせなかった。
「あれは、手に入れられぬものの象徴だ。九峪様と並び立った天目の牙城。・・・・・・決して、手にはいらない」
悔しそうに、残念そうに、深々とため息をこぼした。それはどこか、失恋にも似た趣きのため息だった。
藤那は立ち上がり、戸口にたった。空はまだ曇っている。まるで自分の気持ちと同じだと、やりきれない情けなさがこみ上げてきた。
そんな藤那の背中を、閑谷は黙って見上げていた。
「閑谷」
背中が閑谷の名を呼んだ。
「仕上げにかかるぞ。尾戸に和睦の使者を送って寝返りをうながせ。向うは混乱に混乱を呼んで、尾戸ですらもうどうにも出来まい。一気に畳み掛けろ」
「香蘭様にはなんて?」
「正直に伝えておけ。どのみち尾戸との合戦はもうないんだ。隠し立てする必要もない。尾戸を落とし次第、すぐに際川へ軍を進めるぞ」
「了解」
閑谷が一礼した。
天都城へは孔菜代が閑谷の名代としておもむき、耶牟原城の仕儀を申し上げた上で寝返りを要請。尾戸はこれを受け入れた。彼にしたって、この期に及んで蔚海を援ける義理などない。
二十六日。天都城は呆気なく開放され、中央の戦線はさしたる大戦闘も行われずに終結した。
形だけとはいえ一応は敵同士であったし、攻防を繰り広げもした。幾ばくかの犠牲も出した。ゆえに今後、この戦いにおける禍根を互いに残さないことの証として、藤那、香蘭、尾戸の三人は天都城の大櫓で杯を傾け、文字通り全てを酒に混ぜて胃に流し、跡形もなく消化した。
この時、際川の蔚海は写楽の裏切りと、それに連動した火魅子軍によって、ついに際川を捨てた。
尾戸の立て篭もっている天都城を目指して南下を開始した直後のも、天都城開放の直後だ。だがしかし、際川の本陣を払いわずかな者達とともに南下している蔚海は、尾戸が裏切ったことを知らない。
閑谷には一計があった。
北西と東、そして南。すべての街道は封鎖され、もはや逃げ道はなくなった。小久慈を除く全ての知事が、すなわち南軍本来の戦力が、このとき蟻一匹通さない『包囲網』を完成させた。
亜衣が火魅子の託宣に従って日を待った結果で、待ち望んだ形でもあった。
西北と東から追いかけられる蔚海軍は、このときわずか二千人にまでその人数を減らしていた。蔚海が天都城の目前までたどり着いたのが、二十八日のことであった。
尾戸は蔚海を援けると偽りの意思を示し、逃げてくる蔚海の油断を誘う。そして周囲を山に囲まれた天都城入り口付近で、突如迎え撃つ。これが閑谷の作戦であった。窮鼠猫を噛むかも知れないが、油断しておれば鼠もしょせん鼠でしかない。
助かった——と、蔚海はそう思ったことだろう。気が緩んだ瞬間、藤那と香蘭と尾戸の大軍が、蔚海軍の喉元に喰らいついた。
それは戦いとも呼べず、ほとんど一方的虐殺であった。ほどなくして火魅子の軍勢が、さらに暫くして伊万里と志野の軍も到着。
午後四時ごろ、蔚海軍は完膚なきまでに叩き潰され、壊走した。場所は現在の広川町あたりになる。
蔚海の行方は知れなかった。あの状況でなお落ちたらしい。
四月八日に筑後ではじまった戦いは、四月二十七日から二十九日まで行われた掃討戦を経て、ここ筑後に終結した。
一年にも満たなかった蔚海政権は、こうして崩壊することとなった。
天都城付近で本戦の決着がつくより、やや時を遡って二十日。種芽島。
暖かい春風が種芽島に訪れた。死者の島と化しつつあった種芽島に、この春風は命の息吹である。風は鳥を呼び、虫を起こし、花粉を風に乗せてくれる。
命の芽吹く季節であった。いちどに一万人もの人間を受け入れ、土足で踏み荒らされ固くなった地面は土色をむき出している。ぺんぺん草一本も生えそうにないが、でもこの土の下にはちゃんと種があって、春の訪れをじっと待っていた。
種芽島の文化的歴史は古く、九峪によって九洲が再統一されるおよそ二百八十年前まで、種芽島や硫黄島は九洲の支配外にあった。独立した一国であった。
硫黄島はその名とともに『火の島』とも呼ばれるほど、可燃物資源である硫黄が豊富に採掘できた。当時、硫黄は金属の精錬に用いるため非常に重宝され、貴重な資源でもあった。倭国はもちろん、大陸にも沢山の硫黄が輸出され、莫大な利益を上げた。
種芽島はもっぱら琉球と九洲を結ぶ海上交易拠点として繁栄し、そのために九洲からたびたび侵略を受けた。種芽島城も起源を辿れば九洲へ対抗するために築城されたものだったが、ついに種芽島は硫黄島ともども九洲耶麻台国に敗北し、占領された。
そういった歴史があった。九峪が今現在の仮住いとしている城主の館——かつての国王が暮らした宮殿であるが、そこには当時をしのぶ、とある石碑がある。
小山の一枚岩を転がしてきて安置したらしいその石碑には、海上交易をもって自らを海の覇者としてきた種芽島人たちに誇りと矜持が詩として綴られている。残念ながら、長年にわたり手入れされず放置されていたため文字が部分的に消えているが、ある一節を九峪はひどく気に入っていた。
潮枯れぬ内に舟漕げや
という文句だ。この舘に腰を落としたとき、捨てられたように地面に埋まっていた碑文が目を離させてくれなかった。
意味はよくわからない。残念ながらこういった抽象的な表現を解する精神がまだまだ成熟しきっていないが、彼なりに考えた。
『出来るうちに出来る事をやれ』という意味にも捉えられるし、『期を逸する前に動け』と戒められているような気もする。戦時中の心意気を説いたものだろうか。
どちらにしろ、碑文の一節は九峪という男に感銘をあたえた。いま九峪がおかれた現状を、この碑文はまるで理解しているかのように、掠れた古い文体で回訓しているからだ。
だが、複雑な気分でもあった。九峪がなさねばらないこととは、つまり共和国建国に多大な貢献をした宗像海人衆を滅ぼすことだからだ。
阿智の死からさほどの刻を経ずして、この元星八年、北九洲に興り隆盛を極めた一大勢力が地上から消える。
「人生幾ばく、例えれば朝露の如し。——曹操も上手いこと詠ったよな。まるで今の海人衆だ。・・・・・・あるいは、俺のことかもしれないけど」
石碑の文を指でなぞる。二十年近くも野ざらしだったのだ。触れただけで崩れてしまいそうだ。
しかし、これから何十年何百年と、この一枚岩はここにあるのだ。字が消え人々を説くことがなくなろうとも。
「阿智の死が運の切れ目だったか」
大きな存在だったと、今さらながらに思い知る。阿智さえ生きていたならば、今日の騒乱が起きることはなかった。北山が滅びようとも、阿智ほどの人格者であれば亜衣をよく援けてくれただろうし、重然も兵を起こすことなく済んだかもしれない。
そうでなくとも、せめて蔚海に同等の器量があれば・・・・・・。そう思えてならないのだ。
九峪は石碑から指をはなした。いくら考えても詮無いことだった。過ぎたこと、起きたことをあれこれと悔やむことはしたくない。
「九峪様。よろしいですか?」
石碑のそばに立つ九峪の背に声がかけられた。振り返るとそこに清瑞がいる。すこし緊張した表情だ。
「どうかしたか」
「その・・・・・・教来石が」
清瑞が首を後ろにめぐらす。ちょうど九峪からみて、清瑞を挟むように教来石が隠れていた。教来石はかるく頭を下げた。
珍しい客——でもない。いま、教来石と昌香のふたりが九峪の参謀的存在を担っている。軍師とも呼べるだろう。北山人で唯一、九峪の舘を訪ねるのも教来石だ。
「どうした?」
九峪が質すと、教来石が一歩ほど近づこうとした。
すると、両者の間ではさまれていた清瑞の体が飛び上がった。まるで猫のようにしなやかで勢いのある飛び方だ。
おどろいた教来石が足を止めた。九峪を背にする清瑞の表情が穏やかでない。腰を低くし、右手は腰の短刀に添えられている。どこをどうしても、臨戦態勢にしか映らない。
清瑞の気持ちで言うと、単純に九峪に危害が及ばないよう警戒しているだけなのだ。が、いまや教来石とて九峪の一配下であり、また参謀でもある。どう扱えばいいのかわからず、過剰な反応をとってしまっただけであった。
ただ、その様子はどこか、餌をとられまいと必死に抵抗する猫にも似ている。とうの九峪といえば呆れて苦笑するばかりだ。
「い、いや、清瑞殿。べつに取って食おうというわけではないのだから」
教来石としても、万事がこの調子の清瑞に困るばかりだ。素晴らしい忠誠心だが、清瑞ほど腕の立つ乱波が相手となると、嫌な汗が流れるだけだ。なにかの拍子に首をかかれてしまってもおかしくない。
「とりあえず、刀から手を離してくださらんか?」
「・・・・・・」
清瑞は応えない。どころか微動だにしない。ただ眼光だけが鋭くて、これほどの目力をしている清瑞から放たれる重圧に、教来石の腰は砕けんばかりだ。
もしも本当に清瑞が猫だったら、尻尾をせいだいに膨らませているかもな・・・・・・。
などと考えても、この状況が改善されるわけでもない。
「もう味方なんだし、許してやれよ」
さすがに教来石が気の毒になってきた。彼だって幾度も戦場に出ているだろうし、殺気にも慣れているはずだ。しかしやはり清瑞のもつ鋭利な雰囲気を恐ろしく感じる者もいるのだろう。
九峪の指示とあれば清瑞も従わねばならない。渋々、ほんとうに渋々と刀から手を離した。が、どうしても険しい目つきだけはどうにもできなかった。
——油断などできるものか。
教来石の激昂を目の当たりにした清瑞が警戒しても致し方ないが、度々にこうでは堪らない。やはり異心なきことを証明する手柄が必要だと教来石は痛感した。
「ところで、北山人の様子はどうかな? 戦ってくれそうか」
家屋に足を向け、訪ねる。教来石とて暇ではない。今回の戦いは北山人の全面的な協力が欠かせず、足並みをそろえるために教来石は同僚の廉思とともに奔走している。
九峪の見るところ、人心掌握はまずまずといったところだ。九峪自身が足繁く通っていたのも大きな要因だろう。『神の遣い』は着々と刷り込めている。しかし、まだ完全に心を掴んだとは言い切れないのが、残念といえば残念であった。これ以上は待てない。そろそろ動かなければ、完全に出遅れてしまう。
舟を漕ぐ前に潮が枯れてはどうしようもない。
板敷きにあがり、庭を望める一室に三人は腰を下ろした。女中が茶を運んできた。茶、というが僅かに自生している薬草を蒸した薬湯で、とても苦い。
「廉思は理解を示してくれました。廉思の言葉とあれば、みなも異は唱えますまい」
「お前の言葉ではみんな頷かないのか?」
「まさか」
心外だと、教来石が頭を振った。これでも副王である恵源の片腕だった軍師だ。
「ただわしは、琉球の退き戦に加わっておりませぬゆえ、その面から言って廉思のほうが適役だというだけです」
「ははっ。わかってるさ、そうムキになるなよ。教来石は軍略は得意そうだが、どうも政治の駆け引きが苦手そうだ」
と、笑う九峪も駆け引きは苦手な男だ。それでも教来石よりは上手く事を運べる自信がある。仮にも一国の主であったのだ。亜衣だけでなく、九峪自信がそういう立場で立ち働くこともあった。
「で、今日はどうした?」
九峪が質した。
「策をお伺いしたく」
真面目然として、教来石が今後の動向を問いただしてきた。いくさに疎い女中も、聞き耳を立てている。
家屋の廃材を転用してつくった地図をかりの戦略図として、北側には南九洲、中央あたりに種芽島や硫黄島が描かれている。
錦江港の入り江に集中しているのが宗像海人衆。東へ上って火向灘に面して石川島にも海人衆はいる。
合計すると二千五百人超となる。
対して、九峪軍が戦力として投入できる人数はわずかに二千人。
「加奈港を攻めるのは不可能だ」
と、教来石は見解を述べた。加奈港占領時に周辺地理を調べたからこそわかる理由があった。
宗像海人衆は錦江港周辺を勢力圏に収めている。もしも加奈港を攻めるとなると、まず入り江を突破せねばならず、これが容易ではない。入り江の奥は急激に幅がひろくなり、迎え撃つ側に優位である。
さらに桜島という好立地の拠点もあるため、いよいよ加奈港攻略は至難の業だ。
数の上でも不利なのに、さらに地の利も向うが握っているとあっては、ことは簡単に運ぶまい。
「どうやって加奈港を落とすか」
「まぁ・・・・・・こいつを見た限りじゃあ、落とせないんだよな」
「まったく素晴らしいところですな、加奈港とは。戦術的にはこの上ないが、今となっては厄介そのもの。この港を造った方がいったいどのような人物なのやら」
「・・・・・・すまん」
しょんぼりと九峪が頭を下げた。
「それ、俺が造ったんだ」
「・・・・・・」
教来石は言葉を失った。
「やっぱ国を大きくするには商売だと思ったから、大きな湊町を造ったんだ。造船所とかもほしくて・・・・・・。おかげで結構な利益を上げて、それから・・・・・・」
「いや、もうよろしいです。わかりましたから」
まさか新たに主と仰ぐものを非難するわけにもいかないし、そもそも非難するのも筋違いだから、教来石も慌ててしまった。皮肉を大事にしても意味がない。
なおも言い訳がましく言い募る九峪には後悔もあったのだ。加奈港を建造したこと自体を間違いだとは思わないが、その結果として面倒なことになってしまった。造っておいてなんだが、やはり口惜しくもあった。
それにしてもと思うのは、まさか商業目的で計画開発した加奈港が、ここまでの要害に発展するなど考えてもいなかったことだ。当時、九峪の敵対勢力構想に琉球は含まれていなかった。琉球が武官の間で危険視され始めたのが、普請完了の直後であった。
武官たちが琉球を意識しだしたとき、おりよく加奈港が完成した。彼らは巨大な湊町をみて、
「やはり九峪様は、我らよりも先に琉球を注意しておられたのだ。これこそ対琉球戦略の拠点に違いない」
と勘違いし、いよいよ九峪を信奉するようになっていった。このときから文武騒乱の火種が燻り始めた。
教来石でさえ舌を巻く好条件を満たした地形を、九峪が検分に検分を重ねて選びぬいたのだ。勘違いされても仕方がなく、ゆえに要塞化すれば堅牢であった。
「だけど、こんなつもりで造ったんじゃないのになぁ」
要塞化したのは紅玉と亜衣、そして教来石だ。
「城にならない街はないってことを証明したもんだな」
「海人衆は小さな漁村にも手を伸ばしているとか。やはり加奈港、一筋縄では落ちぬ」
教来石が自軍の駒を入り江に動かす。九峪が各地の知事に命じて作成させた『九洲全図』という公式地図では、錦江港の入り江を『山迫(やまはさま)』と呼ぶ。現地民がそう呼んでいたものを公式なものとした。佐多岬を入り口として指宿、西大隈あたりをそう公称した。
「まず第一の難所です。しかしここを突破しようにも・・・・・・」
難しい顔で教来石がいう。入り江が問題であった。ここは海上の関所でもあり、当然のこととして強行侵入に難い設備を有している。土で埋めて海底を盛り上げ、交通整理のために細長い杉の杭も打たれている。これが攻め手には邪魔であった。
「入り江は抜こうと思えば抜けるさ。俺が海人衆を指揮するなら、山迫は通してやる」
「左様。某もそう思います」
教来石が頷いた。
「山迫で戦うだけならば条件は五分。それよりは内湾に引き入れ、包囲殲滅したほうがずっと得策と心得ます」
「だろうな。だからこそ厄介だ。ただでさえ数の上で劣っているのに、相手の武装状態は万全ときてる。包囲されちゃひとたまりもない。鼠が虎に挑むようなもんだ」
「窮鼠猫は噛めても、虎が相手では無理ですな」
「食われるのがオチだ」
自分で言って笑えない。
「そこで、九峪殿のご存念をお伺いしたいのですが」
「どうやって山迫を突破するか、についてか?」
「それと加奈港をいかにして落とすのかを」
まっすぐ見つめてくる教来石の様子がおかしかったのか、いきなり九峪が笑い出した。
いちどは噛みつかんばかりに食って掛かってきた男が、いちど恭順してしまうと色々な相談を持ちかけてくる。それも気兼ねなくだ。
頭が切れるわりには素直な男だと思った。この男も生来、謀略などは苦手としているかもしれない。軍略と謀略は違う。昌香が軍略を不得手として謀略を得意とするように、教来石という男はその逆なのだろう。むしろ謀才は彼の旧主であった恵源などがすぐれていた。
九峪も根が正直者だから、そういった面でも教来石とは馬があった。しかし九峪は、謀略家としての才も開花させつつある。
だが、まだまだ教来石は着眼点という一点において九峪に追いついていないようだ。そしてそれは海人衆にもいえたことだ。
「加奈港、加奈港というけど」
笑いながら九峪が清瑞を見た。
「加奈港を落とすにはどうすればいいと思う?」
「へ? ええっと・・・・・・」
急に話を振られた清瑞の困惑は甚だしかった。いくら将軍階級にあろうとも乱波である。乱波は自ら考えない。いわれた事をただ成し遂げるだけだ。
が、求められたならば考える。ましてや相手が九峪で、失望もさせたくなかった。清瑞は必死になって地図を見つめ考えた。
——しかし、やはり彼女にも良案は思い浮かばない。がっくりと肩を落として「わかりません」と消え入りそうなほどか細く応えた。
「わかんないかな?」
「うぅ・・・・・・」
泣きたくなった。むかし子供のころ、伊雅を怒らせたときに似た哀しさが蘇ってきた。
「九峪様にわかんないのが、私にわかるわけないじゃないですか・・・・・・」
恨みがましく反論すると、ニヤニヤと九峪が笑んでいる。いじめっこの様な笑みだ。清瑞も三十歳ちかいが、まだまだ初しさが残っている。
惚れたという気持ちもあるが、綺麗な顔立ちの美人に上目遣いで睨まれると、いろいろと意地悪い気がしてくる。こういうとき、九峪はじぶんの男を感じてしまう。
ただ——清瑞の顔が、一瞬だけ、亜衣と重なった。亜衣に見つめられている気がした。
おどろいて目を閉じると、もう亜衣はいない。笑みを浮かべる余裕も失われた。
——おれ、浮気性があるのかな?
清瑞に対してか、それとも亜衣に対してかはわからないが。この時代では不思議でもない感情でも、現代の価値観が抜けきらない九峪には、二股という背徳行為に抵抗がある。
まぶたを上げると、怪訝そうにこちらを見つめている清瑞の顔があった。亜衣ではなかった。
ほっと安堵の息を吐いた。まさか自分を見て他の女を思い浮かべていたなんて清瑞に知られては、命がない。清瑞はけっこう嫉妬深い女なのだ。
「おれは」
気を取り直して、地図に視線を落とした。
「いつ、加奈港を攻めるといった?」
「は?」
聞き返したのは、教来石と清瑞と——ついでに女中だ。
「えっと、どういうことですか?」
おずおずと清瑞が真意を問いただした。九峪の言葉が理解できなかった。
いつもなにも、加奈港を攻めないことにはどうにもならない。音羽や遠州もそう考えていたし、事実そうするつもりであったのだ。
だが加奈港を落とすことは難しい。だからこそ九峪の智謀に望みをかけているのではないか。
そのために、話し合ってきたのではないか。
「宗像海人衆は加奈港にいるんですよ?」
「ああ、いるな」
「いるなって・・・・・・」
あっさり返されると返す言葉がない。
「加奈港を攻めない・・・・・・といいますが、では何を攻めるつもりか? 宗像海人衆は錦江港を押さえ、これを撃破しない限りは手柄にならぬ。手柄をたてれないなら、我らが強力することも到底できぬ」
油断ない気配は教来石だ。彼も九峪のことがよくわからなくなった。語気の荒らしさに清瑞が過敏に反応するが、それを九峪の手が制した。
九峪は教来石の瞳をじっと見つめ、
「まだ視野が狭いな。もっと頭をほぐさないと駄目だぜ」
自らの頭をつついて嘆息した。侮辱しているようにも聞こえる言葉に、対面の教来石が眉をしかめたが、抗議してこない。ここで逆らっても話は進まないと思い、ぐっと堪えた。
しかし、こうとまで言われたからには、納得の行く説明を是非にも聞きたい。いま、教来石は初めて九峪という英傑の力量を知るのだ。以前から知りたいと思っていたところ、この機会はちょうどよくもあった。
喉の奥からこみ上げてくる文句を気合で飲み込み、ちぢれたひげを指先で擦って心臓を落ち着ける。ふーっと息を吐き出した。
「・・・・・・これでも結構、頭を捻ったのですがな」
「捻るところが違うぜ?」
くっくっ・・・・・・九峪が哄笑した。そうとうおかしいらしい。それだけ教来石が見当違いの事を考えていたのだろう。
ますますどのような策を思いついたのか気になってくる。内容によってはこの場で切り殺してやる、と思って腰に手をやってはっとした。武器は予め女中に預けていたのを思い出した。敵意ないことの証として、北山人は女中に武器を預けて九峪と面会するのだ。といっても、尋ねる北山人など教来石しかいないから、これを行っているのも教来石だけだ。
とはいえ、気持ちがしぼんだわけではない。それだけの意気込みをもっている。
九峪の動かす駒を、教来石と清瑞が真剣な眼差しで追う。女中も伺う様にこちらを見やっている。
「まずは九洲本土に上陸するところから考えた。だから加奈港を攻めるつもりはない。加奈港なんて厄介なところよりも、ずっと攻めやすい場所があるだろ」
「と、いいますと?」
教来石の問いに対して、言葉の代わりに駒を動かして説明する。
種芽島におかれている九峪軍をあらわす小石を、すーっと北へ向けて移動させてゆく。駒は、佐多岬を無視して東へ航路を取り、大隈海峡をわたり、さらに北東へ。
そして、止まった。九峪が小石を指から離した。そこはすでに火向の海域である。
「これは・・・・・・」
指先でつまみ上げられるような小石に、それを見下ろす清瑞は一瞬だが返答に詰まった。教来石も同じだった。
だが、たしかにこれならば攻めやすいとも考え直すと、目から鱗が落ちる思いがした。なるほどこれは盲点だった。
たしかにここも、宗像海人衆の勢力圏であることに変わりはない。
「俺たちは、火向石川島を攻める」
小石は、火向灘に面している石川島に、大きな存在感をもって鎮座した。