外加奈の城の騒音が波及したわけでもないが、遠く耶牟原城でも一際に賑わう事件が起きた。
負け大将の蔚海が豊前の英彦山から、街道引き回しされつつ筑前へ入県を果たしたのである。道々の沿道には田植えの段取りのために代掻きに勤しんでいた百姓たちが群れて、哀れ縄目に縛られ馬上の人となっている蔚海へ、無遠慮な視線を投げかけている。
ひそやかな会話は、蔚海の耳にも届いていた。民百姓の間で蔚海の執政はすこぶる評判が悪かった。囁き声ももっぱら蔚海への誹りばかりであった。
鞍さえ置かれず、裸背に直接座らされているせいで蔚海の腰やら尻は不具合に悲鳴を上げている。馬が一歩を進ませ、蹄の音がなると蔚海のうめき声を上げた。ボロの布切れだけを身に纏い、すでに権力者の雰囲気はどこにもなかった。
道中、振動に苦悶の声を漏らす以外、疲労困憊のあまりに蔚海の口から言葉が出ることはなかったという。
三日間も罪人の扱いをうけ、耶牟原城の城門を潜ってからは、石飛礫を投げつけられ額に傷を負うなど、その辛辣な歓迎にさえ言葉はなかった。
写楽の指示でひとまず耶牟原城の牢屋——際川の戦いのとき、人質たちを押し込めていた場所に、今度はそれを指示した蔚海自らが身を放り込まれることになった。食事は一日一食、野草と粟の水雑炊のみが、蔚海の空腹をなぐさめてくれる。
終末までの数日を、蔚海は廃人のように呆然と過ごした。
傷の癒えるのさえまたず、九峪は耶牟原城へと戻ることになった。
九峪がそうしたいと言い出したわけではなかった。まだまだ外加奈の城に留まっていないと心配な事柄が多すぎて、とても耶牟原城どころではなかった。
音羽たちのこともそうだが、何よりも北山が気がかりの種だ。慣れない異国の土地、気候風土異なれば、風俗だって常識内とは言い切れまい。年少ならば馴染めもするが、いい加減に歳をとっているものは、それこそ伊雅がいまだ椅子の上で足を組むのと同じ状態になってしまう。
そういった理由から、九峪はしばし外加奈の城の運営を自分が行うことを考えていたのだ。九峪は、いっそのこと外加奈の城を北山たちの都市にすることさえ思案していた。海運・海上貿易には船が必要である。ならば造船から操舵技術まで手馴れた北山人たちは有効に利用できるはずなのだ。
しかし現状はそれとは別に、戦後処理という名目で多忙になりつつある。信賞必罰は最優先事項だ。それらを伊雅と共に担当することになっている亜衣は、九峪との再会の余韻に浸る暇さえ与えられない情況に陥っている。
そして、九峪の耶牟原城帰還を早急に仕切りだしたのも、実のところ亜衣の思いが絡んでいたのだ。賞罰の問題を片付ける、と同時に亜衣としては文官と武官の諍いに決着をつけるつもりでいる。
そのためには、文官に担ぎ上げられてしまった火魅子と、同じく武官が信奉してやまない神の遣いが揃い、文官の筆頭である宰相の亜衣、武官の筆頭である大将軍の伊雅がそれぞれ裁決を降す必要があるのだ。
亜衣は強く九峪に訴えかけてきた。そこに私心が混ざっていないという保証はないが、少なくとも正論であった。九峪も耶牟原城へは、いつか戻らねばならないし戻ろうとも考えていた。しかしまだそのときじゃないとも思っていた。
——でも、ものは考えようだよな。
と、九峪は耶牟原城へ戻ることの重要性も、文武官云々以外に見出している。北山のこれからをどう融通させるか、それらを国家の大会議で話し合わねばならないからだ。
面倒ごとは早めに片付けて吉だ。亜衣の求めに応える形で、北山らの事を遠州や教来石らに任せた九峪は音羽と清瑞を供にして五十人で耶牟原城への上都を果たした。
すでに耶牟原城を出でて隠居のみとなってから、早々と三、四年の月日が流れていた。九峪は齢を二十七としたことになる。
城門までは記憶に収まっている姿と何ら変わる所はなかった。民家がひしめく西の町から入城し、馬上に揺られるにつれ、人々が湧き上がるように集まってきて、口々に九峪の帰還を喜び称えた。
それは九峪がいままで体験してきたどの凱旋よりも、熱狂的で狂乱したものだった。人々の気持ちはかつてないほどに舞い上がっていた。狗根国に支配されていた十五年を破壊したのが九峪ならば、蔚海の圧政に最後の鉄槌を下したのもまた九峪だったからだ。
彩花紫や天目と並び証されている九峪には、彼女たちと異なるある経歴がある。それは戦いに一度として敗れたことがないことだ。経験した戦いの回数そのものこそ後れをとっているが、九峪は二人にたいしてそれぞれ一勝をあげ、まさしく常勝であった。
沿道から九峪の名を称える人々の様子に、勝ち戦を終えてきた九峪は顔だけで笑みを向けた。すくなくとも自分の威光はまだまだ衰えていないようだ。
だが笑顔の裏では、忙しなく動くだろう今後のことに考えが働いている。
宮殿までの道のりは案外と長い。耶牟原城そのものがずいぶんと大きな城郭であるから、街の橋から端まで行くとなるとそれだけで結構なことである。宮殿を目指す途中、九峪一行は途中にある兵士たちの番所で休息をとった。
茶を飲みたいところだが、生憎と番所に常備されるほど安価なものではない。かわりに白湯で喉を湿らせる。
建物の外ではまだ住民が騒いでいるのがわかる。番所の兵士たちが大慌てになって外へと飛び出していったから、騒ぎはまだまだ落ち着くことなく続くだろう。
「すごい歓声ですね」
音羽が、苦笑いを浮かべた。道中、音羽は兵士らと供に民衆を波から九峪を守るので精一杯だった。勝利のよいんだとか、帰京の嬉しさを感じる暇さえなかった。
「疲れたか?」
疲れて当然だと九峪は思う。九峪は馬上だったが、我と押し寄せてくる民衆から九峪を守る防波堤として、ずっと壁となっていたのが音羽だったのだ。傷ついた身体でここまで、よくも徒歩でこれたものだ。
さすがに見ていて辛いものがあった。それに音羽も指揮官であったから、馬に乗るよう勧めているのだが、この民衆の中に九峪の命を脅かす輩が紛れていないとも限らないと、音羽はこれを固辞していた。するとその部下五十人も馬に乗るわけにはいかず、身体に鞭打って凱旋を行っていた。
「いま清瑞をやった。そのうち迎えが来るだろうから、それまではゆっくりしてくれ」
「迎え、ですか?」
「伊雅のところに走らせた。二百人くらいほしいっていったから、それくらいは来るだろうさ。ついでに馬も引いてくるよう頼んだから、音羽はそれに乗ってくれ」
「はぁ」
そういわれてしまうと、音羽には逆らうつもりもない。実際、疲れも頂点に達しようかとしているところだった。九峪を守らねばという使命感からたち続けてきたが、ついにどっと腰から力が抜けきった。
腰を深く沈めて差し出された白湯をいっきに飲み干した。大きく吐き出した吐息が音羽の疲れをあらわしていた。それでも四肢を投げ出さないあたり、武辺者の音羽にも女性らしさがある。
兵が来るまでにはしばし時間がかかる。西の町は民家が入り組んでいるため、番所へ至る道のりも面倒である。音羽の頭が船を漕ぎ出した。九峪の身辺警護の観点から言えば問題だが、音羽の体中に巻きつけられた戦いの痕跡をみると、九峪はどうしても起こす気になれず、そっと寝かせておいた。
九峪も肩に傷を負っているのだが、それ以上に音羽の傷は大きく、多く、生々しい。
今ぐらいは休ませてやろう——。
と、九峪は心の中だけで呟いた。できるならずっと音羽を戦場に出さないようにしてやりたいが、この倭国はまだまだきな臭い匂いに満ちている。
音羽も、そして九峪自身がすべての武器を捨てられる日が来るのは、はたしていつになることか。
すこしだけ静けさを取り戻した番所の片隅に視線を向ける。そこには九洲の地図がかけられている。
「蔚海は捕らえた。火魅子や亜衣に逆らう連中もこれで粛清される。あとは俺と北山の落しどころだな。それさえどうにかできれば——九洲の完全統一が達成できる」
落しどころ——それが難しい。文官と武官の問題は亜衣がどうにかしてくれるだろう。九峪の思うところは北山のことだけだ。助けると約束した以上は何が何でも助けなくてはならない。
戦いが終わってから、そのことだけを九峪は考えてきた。北山を耶麻台共和国の一部に組み込み、自分自身の立場を改めて設けること。すでに考えはある。かつて犯した過ちを反省し、教訓と戒めとして、今後どのようなあり方を求められるかを導き出した。
それをこれから、亜衣や伊雅、諸侯たちに話し、意見を聞いてよりよいものとする。大会議に挑む九峪の心意気は高く、九峪は拳を握り締めた。
「九峪様、お迎えの部隊が到着しました」
兵士が駆け込み九峪の前に跪いた。武官が二人、きっかり二百人をつれて下向してきたのだ。
了解の意を伝えた九峪は音羽を起こし、一路を再び耶牟原宮殿へむけて歩みだした。
——元星八年五月十七日。
この日を蔚海の処刑執行日と決めた。耶牟原城内を流れる陶川(すえかわ)の広々とした川原で、大太刀をもって首を切り落とすのだ。
蔚海の処刑には各県知事、有力太守、水守らが列席することになっており、その日にあわせて各地から諸侯が参上してくることになっている。
最初に耶牟原城へ上都してきたのが火後の藤那で、三百人の行列だった。順に、火前の切邪絽が二百人、豊後の伊万里が二百人、筑後の尾戸が一百人、薩摩の香蘭が紅玉と供に四百人、そして火向の志野が三百人である。
それから九峪の招きに応じて、特別に教来石が死刑執行の立会いを許された。北山を此度の戦いに功あるものであり、耶麻台共和国に降った事を内外に印象付ける狙いがあった。
刑執行までの数日を蔚海がどう過ごしたのか。語ることもそう多くはない。
蔚海の略歴を考えると扱い方も相応の物になるはずだが、しかし先の乱を引き起こした罪は限りなく重いものだ。前宰相の亜衣の暗殺を決行し、国家権力の外に置かれているはずの、いわば不可侵領域である火魅子の『奥の殿』までもを焼き討ちしたことは、天下の大罪と呼んでも差し障りないほどだ。
耶牟原城の不衛生な地下牢に拘束されている蔚海の身体は、一日にわずか一度だけ与えられる水雑炊のみに命をたくし、胴も四肢もすっかりやせ細ってしまった。
昼夜の感覚を失い、会話も儘ならずにただ沈黙する日々。次第に言葉と供に感情を忘れてしまったかのように、呆然として宙を地を見つめるだけである。
その胸中に何か思うことはあるのだろうか。
宗像海人衆にあって阿智と並ぶ勢力を誇り、星華の元に馳せ参じて武行をあげたのが、もう十年も昔である。星華が火魅子に奉じられてからは宗像の誼をもって阿智が宗像海人衆の権勢を高め、玄界灘の実質的な監督者となった。蔚海は、その影で数年を過ごした。相克の果てに阿智を謀殺したのが、はて、いつだったか。
そして時流の上を巧みに乗って亜衣を下し、新たに宰相とされた蘇羽哉を傀儡とした政権を牛耳るようになったのも、思い返せばつい先年のことであった。
わずか一年に足るか足らぬかの栄華であった。夢幻のように短い期間に、天下の大勢力となった宗像海人衆も随分と横暴を繰り返し、方々から恨みを買った。それも蔚海政権倒壊の要因であったのだから、どうにせよ蔚海とそれを援ける徒党は滅びる運命にあったのだろう。
生涯に一度だけでも栄華を極めた。それを誇りと思うか、それとも失った事を無様と嘲るかは、獄中の蔚海にとってもはやどうでもいいことでしかなかった。
ただし、無為に過ごしているはずの蔚海に、たった一度だけ、変化があった。
「・・・・・・あち」
虚空を見つめながら、そう呟いた。そこに何を見ているのだろうか。見張りの兵士は気味悪がったが、それ以上の言葉はなかったという。
貪欲なまでに富と権力を追い求めた男は、かつて宗像海人衆が躍進する地盤を築いた男のなを呟いただけで、命乞いも後悔も恨みの言葉さえも一言さえ残さなかった。
陶川をそって広がる川原を死刑の場に選んだ理由は簡単である。この当時、川は公共の場であり、その所有権は誰にもなかった。逆を言えば誰もが利用できた。そこから人々は個人で所有する水路に水を引き入れ、農業用水にするも生活用水にするも自由にしていた。
とくに陶川は耶牟原城を北東から南にかけて大きく裂くように流れている。この一帯は商人が多く住んでいる、市場地帯とでも呼ぶべき一角だ。人が多く集まるからこそ、蔚海の処刑を知らしめるにはもってこいの場所であった。民が共同している川原で蔚海を死刑することで、蔚海政権の終焉を民衆に実感させる狙いがあった。
また川原ということで水が豊富にあり、後始末もやりやすい。
執行場所は、幅を十間、長さを一町と広大にとり、柵が設けられた。人々は柵越しに刑の模様を傍観することができるのだ。
いま、準備が着々と進んでいる。火魅子が座るための主席、その斜め隣に九峪の席、そして宰相と大将軍の席があり、放射状に大諸侯、大臣、太守に水守と配置される。
——夜中のことであった。死刑執行の十七日、その二日前である。
蔚海は眠ることなく、かすかに囁く蛙の鳴声に耳を澄ましていた。長い冬をこえて地中より這い出してきた蛙が、いま、子孫を残そうとつがいを探して泣き喚いている。通気孔から通って流れてくるその音色が、不思議と我を失っていた蔚海の心をゆらゆら動かしていた。
それは不幸なことであった。蛙の鳴声などに気づかなければ、硬い階段を静かに降りてくる足音にも気づくことなくすんだのに。
上げた瞳には人間の影が映っている。暗くて判別できない。
「・・・・・・」
——だれだ?
という言葉は出てこなかった。ただ、それは蔚海が久々に自らの理性で言おうとした言葉であった。
「無様だな」
人影はそう言い捨てた。刹那、目の周りが光った。
「我の強すぎることも哀れなことだ。壊れてしまえば、貴様のように呆気ないものだからな」
「・・・・・・」
「『性、相近し。習い、相遠し』という言葉を知っているか? むかし、大陸の魯という国にいた賢人の言葉だ。人は生まれたときこそ皆同じようなものだが、その後の生い立ちで人間性を千差万別に変えていく——という意味だ」
聞いた事のない言葉だ。ゆえに蔚海には返事の仕様もなかった。ただし、いまこの言葉を聴き、その意味を解して、蔚海の脳裏に浮かんだのはかつて野心のために謀殺したともがらが、最後に浮かべた苦悶の表情であった。
——わしも、貴様も、もとは同じであったのか?
答えはない。
「またこういう言葉もある。『苗にして秀でざる者あるかな。秀でて実らざる者あるかな』。芽を出すことすら出来ない者もあれば、穂を出しても実らない者もいる、という意味の言葉だな。いまの貴様は、この二つの言葉そのままだ。阿智の昔馴染みでともに育ちながらも性酷薄となり、僅かばかりの謀才を過信して自ら滅びの道を歩んだ」
——その通りよ。
手足の自由を奪われた身におちて、ようやく蔚海は自分の哀しさを自覚しだしていた。この二、三年は怒涛のように流れた。玄界灘の荒波にさえ似たほどの時代の急流に巧みな船乗りの自分を見出していたが、きっと蔚海が思っていた以上に波浪激しく、己を次第に見失って行ったのかもしれない。
あの頃の自分はどうかしていたのだ。阿智の影に隠れている自分を惨めに感じていたのは、自分と阿智の器の大きさが違うということを、実のところ誰よりも蔚海が一番しっていたからだ。昔馴染み——否、幼なじみであった筈の男はついには海人衆の棟梁となり、その片腕として蔚海はその才覚を磨いていった。そこに留まれば、そこで止まっていれば、理想的な主従関係も築けたかもしれなかった。
いつからなのだろうか。阿智への劣等感を次第に膨らませたのは。
おそらくその瞬間とは、件の『石川島事件』での大失態であったに違いなかった。早計にはしり事をかき混ぜてしまった蔚海と、その後の的確な事後対応で重然と仮初の和睦を成した阿智。器量の違いを九洲津々浦々に知らしめたようなもので、あのときほど蔚海は恥辱にまみれたこともなかった。
そして狂気にかられた宗像神社での事変。血飛沫をあげつつ崩れ落ちる阿智の、この世の全てを信じられないといった驚愕の表情を見たとき、はじめて蔚海の中で極上の達成感が爆発した。
——わしも、愚かよな。
嘲笑が口の端から漏れる。しかしそれもくぐもった呻き声にしかならなかった。
「く、うぅ・・・・・・」
「だが私は貴様を許さんぞ。生い立ちも、境遇も・・・・・・私には関係ない。故に同情もしない。貴様はな、私の大事なものを傷つけたんだ。わかるか?」
「ふぅ、ぅぅ」
「・・・・・・言葉さえ無くしたか。もっと、後悔と恐怖に染まった顔が見たかったが」
人影は冷たく言い放ち、身体を反転させた。その僅かな角度と灯りが合わさり、蔚海はようやく相手が誰であるかを確認できた。
「もしもまだ己を残しているならば、これまで行ってきた事の馬鹿さ加減をよく省み、悔やめ。そして冥におわす火鏡の裁きを受けるがいい」
甲高い足音を立て、人影は牢獄を後にした。残された蔚海は、やはり無言であった。
翌十七日。
完成された川原の処刑場のもっと広域に、刑の執行を見届けるための立会人たちが勢ぞろいしたのが、中天より傾き始めた午後二時ごろである。この時間は日の沈み行く時間とされ、使者が冥土に旅立つ刻限とされてきた。九洲の宗教では、午後から明朝までが、死と裁きを司る火鏡の仕事時間とされ、葬儀なども大体午後以降に執り行われることが多かった。
火魅子が上座の高台に備えられた椅子に腰掛け、九峪、亜衣、伊雅がさらに腰を下ろしていく。知事が続き、太守らが最後である。
動員された兵士、二百人。列席を許された陪臣の人数が五十八人。
九洲のみならず、倭国で古今に類を見ないほどの大掛かりな『公開処刑』の舞台が整えられた。見せしめのためとはいえ、これは異常なことであった。蔚海の政権が終わったことは誰もが知っている。ことさら強調する必要はないし、むしろこれでは人々に無駄な記憶を残すだけであるが、ここにも亜衣の思惑が絡んでいる。
なんと言っても蔚海へ向けられている人々の恨みは底なし沼のようで、よくもここまで嫌われることが出来たものだと、かえって呆れてしまいそうなものだ。この処刑は、見せしめのためというのもそうだが、やはり人々の恨みを晴らさせ、不満の種を穿り出してしまおうという考えのもと、衆人観衆の大々的な催し物にまで仕立て上げたのだ。
言い換えれば、いわゆる古代ローマの『パンとサーカス』のようなものであった。蔚海とその与党を、劇的に大々的な演出で持って血祭りにあげることでしか、どうしても不満を根っこより刈り取ることは難しかった。それは、より残虐な死刑方法や、拷問にかけて悔やませつつ殺すよりも、やはり場所を用意して皆の前にひきたてすっぱり殺してしまうことのほうが効果があった。へたに残忍な処刑をしてしまうと、それは人々の心のなかにも、残忍な何かを残してしまう恐れがあった。
そしてもう一つ。亜衣個人のことであるが、やはりこれは、羽江を不幸にされたことへの、復讐の集大成であった。亜衣の一人よがりな思いを言えば、蔚海には是非とも最高の苦痛を与えて殺してやりたい。この世に生きる者の所業とも思えないような、残忍で冷酷な処刑方法を、今ならば誰よりも多く思いつけそうな気がしていたが、ただし亜衣は宰相に返り咲かなければならない。あまり処刑のための残忍な演出は避けなければならないし、あまりに惨すぎては人心を失いかけない。また、後悔処刑を認めた九峪であったが、そこまでやると九峪の心を害してしまいそうでもあった。
この処刑を傍観できる『観客』の人数は、五百人を超えている。土手や堤にまで人が群がっているからだ。また、橋のかけられている場所でもあるから、まるで人が浮かんでいるかのように錯覚してしまうほど、人の群れが橋を埋め尽くしていた。
耶牟原城中の住民がこの川原に集まってきている。ある者は川に飛び込んでまで、蔚海の最後をこの目にしようとしている。
「恐ろしいものですね・・・・・・」
がやがやと騒ぎ立てる民衆を眺めながら、知事席の志野は顔を曇らせた。
「恐ろしい、とは?」
藤那が志野に問いただした。藤那には何も感じるところはない。
志野の視線は、ずっと民衆にだけ向けられている。
「彼らが、ですよ。人の死を見たさに、こうして集まってきている」
「当たり前だろう、志野。それだけのことを蔚海はやったのだからな。この場にいるもので、蔚海を好いているものなど一人もいないぞ」
「それでも・・・・・・藤那様、それでも私は、人の死ぬ瞬間を見たいがために、こうして人が集まってくるのが、恐ろしく感じるんです」
「お前は、他人に対しては排他的な所があるくせに、こういうのを殊更に嫌う女だな」
さもおかしそうに藤那が笑った。
排他的という自覚は志野にないが、しかし思うところはあった。出会いと別れを繰り返す旅芸人としての性分が抜け切らないためだろう、個人に対してどうにも執着しきれないものが、志野の内面にはあった。志野が個人として執着しているものは、珠洲や織部などの一座仲間、そして自身の生き方を変えた九峪くらいなもので、他にも仲間と思う者はあっても、その重要といするところは一座や九峪に及ぶものではない。伊万里相手だって、本気で殺そうとした瞬間もあったのだから。
が、個人に執着しない代わりに、集団というものをひどく意識してしまうのだ。それは、つねに集団の中で芸を見せたり、社会性というものを尊重してきた故であった。だから志野は、彼らが個人々々に蔚海を嫌っている事をわかっていながら、その憎悪がこうして禍々しく渦巻いているのを見ていると、ひどく不安な気持ちになってしまうのだ。
人の上に立つものとしてはどうかとも思われるが、実はこのような思いがあればこそ、志野の統治は火向人たちに好評判となっている。
それに——なんとなく、志都呂のことを思い出してしまう。
「蔚海はここで死ぬべきだし、それを民衆は見届けるべきだ。そうしてはじめて、この乱は終わる」
上座の伊雅が、志野の不安を払拭するような言葉を言った。それは志野だけでなく、彼女と同じような表情をしている伊万里にも向けられた言葉であった。
「蔚海のしてきたことはそれだけ罪大きこと。そのようなものには、相応しい裁かれ方がある」
「伊雅様・・・・・・」
「——ということですな、九峪様?」
「そうだけど、いきなり話を振らないでくれ。ちょっとびっくりしたぞ」
「す、すみませぬ! つい、嬉しさのあまり」
恥ずかしげに伊雅がはにかんだ。こうして九峪とともにいられることが嬉しいのは、何も亜衣だけではない。忠義に厚い伊雅もまた、九峪の復活を心より喜んでいる一人なのだ。
九峪も、正直な思いを言うと、この空気が好きではない。志野や伊万里と同じように、人の狂気がむき出しにされているようでひどく怖いものがある。
戦場とはまた違うのだ。あそこでは死に抗う、生気に満ちて意思がある。しかしこの処刑場に満ちているものは、ただ純粋な殺意や害意ばかりで、それが九峪や伊万里たちの心を重くさせているのだ。
とはいえ九峪の立場を言えば、ここでそのような素振りを見せるわけには行かない。民衆への不安が、そうではなく蔚海たちへの同情であると受け止められるわけにはいかない。
「みんな」
九峪の言葉に、諸侯が視線を合わせてきた。
「良く見ておくんだ。いまから裁かれる連中も、柵の向うで騒いでいる民衆も・・・・・・俺たちがそうさせているも同じことだ。蔚海を民の前で裁く。そうすることの意味も、ちゃんと考えてくれ。そして・・・・・・この場にある政を、しっかりと胸に刻み込め」
思う以上に大きな声で言い放つ。九峪が拳をきつく握り締めた。今の言葉は、同時に自分へ向けた言葉でもあったからだ。
——すべてを見届けろ。
九峪の瞳は強い光を放っていた。その光に勇気付けられたのか、志野と伊万里は小さく頷いた。一瞬たりとも、これからの光景を見逃すまいと心に誓った。
「火魅子」
やや斜め後ろにいる火魅子へ、九峪は顔を向けた。火魅子は神聖であるためこういった処刑事に立ち会うことはないのだが、どうしてもと九峪が推して、火魅子はこの場にいる。
まだどこかにあどけなさの残る火魅子も、少しだけ不安そうにしていた者の一人であった。
「火魅子にも、ちゃんと見届けてほしいんだ。あの戦いは、元をただせば武官と文官の諍いを調停することに失敗して、俺と火魅子が担ぎ上げられて勝手に対立させられたことにあった。神の遣いと火魅子・・・・・・すべてとはいわないけど、原因の大きくを俺たちが関わっているといっても、まぁ間違いじゃないはずだ」
「それは・・・・・・そうです」
九峪の言っていることを火魅子は考えざるを得ない。そう、この争いの源は自分たちだが、そこの段階で本質は捻じ曲がっていった。
武官が九峪を奉じるのはわかる。復興軍時代、そして火魅子の擁立以前は、大将軍の職務を九峪が担っているようなものだった。政治は亜衣に任せ、戦争はもっぱら九峪が指導していた。だから文官に崇められても、なんら不自然なことにはならなかった。
問題は火魅子であった。火魅子とは、本来権力の枠外に存在している。国政、軍事に直接関わる事はないが、じかし火魅子の意見は尊重されてきた。それは、火魅子の『予言』が的確であったがためで、いうなれば宰相は『政事』、大将軍は『軍事』、そして火魅子は『祭事』を司だっていることになり、組織の一部という見方も出来たのだ。ここで言う祭事とは儀式全般の事を指し、つまり火魅子は宗教における最高責任者である。
わかりやすく言えば、ローマの法王とおなじだ。法王は政事にも軍事にも関わる権限を持っていないが、皇帝は法王に逆らうことが出来なかった。それは、宗教の最高責任者は『国家』という枠組みを超越した存在で、その存在意義は国家と人々のあり方に問うものであるからだ。人々を結束させるためには宗教が必要でもあった。
その火魅子を、役人の信奉する対象とすること事態が、そもそもおかしいことだった。『いくさ』でつながった武官と神の遣いと違い、火魅子と文官との繋がりはほぼまったくない。祭事を担当するのは、火魅子の袖の下で働く巫女たちが中心で、文官のなかでも神官を兼任しているものだけがその仕事を任されてきた。それだけ文官と火魅子の繋がりは薄い。
ここから物事は捩れ、神の遣いと火魅子という、本来ならばどうしたっていがみ合う要素のない二つが、あずかり知らないところで対立してしまうことになった。ようは、ただどちらも大義名分がほしいだけだったのだ。
九峪にとっても火魅子にとっても、迷惑なだけの話だ。
この処刑は、同時に、そういったしがらみをも断ち切る意味があった。そのために、火魅子をこの血塗れる場所に座らせたのだ。
「ここで、一旦すべてを終わらせる。そして再出発だ」
「・・・・・・こんどは、よりよい国にできるでしょうか?」
まだ不安げな火魅子に、九峪は微笑んで見せた。
「それを視るのが、火魅子じゃないか。そしてそれを皆で実現するための『共和国』だろ。俺の世界にな、『失敗は成功の元』っていう諺があるんだ。大丈夫さ。同じ失敗を繰り返さないよう、みんなで頑張っていけば、必ずいい国になる」
「——はい!」
頷いて、火魅子も視線を前に向けた。蔚海たち囚人たちが、柵の内側へ、縄につながれた姿ではいってきた。
蔚海とその家族一族、蔚海を擁護していた大臣、そして幾人かの高級官僚、海人衆の主だった頭領たち。
しめて三十七人の死刑囚たちが、川原に並べられた。
亜衣が、九峪に目配せをする。九峪は頷いた。
「藤那様」
「うむ」
藤那が閑谷に命じ、屈強な男が大きな箱を恭しく抱えてきた。紐を解き、蓋を開け、藤那が箱の中身から、黄金に輝く鉞を持ち上げた。
——鳳凰鉞。『正義』を象徴する神器である。
太陽の輝きを受けて、鳳凰鉞の刃が、まるでそれこそが太陽であるようなほどの光を放った。人々は目を眩ませた。
「正義の神器『鳳凰鉞』よ! いま、この日この時この場にて、子(火魅子)と人(民)を傷つけし大罪人を裁かんとす。この刑は鳳凰鉞の輝きによって、国家の正義の元に執行されるものである!」
藤那の宣誓が天高く響き渡る。三つの銅鑼が激しく打ち鳴らされ、貝の音が吹かれ、死刑の儀式が始まる。
亜衣が一人ずつの名前と罪状を読み上げ、順に囚人が前に引き出されていく。膝をおられ屈し、首の裏筋に刃が当てられる。
この時代に、辞世の句とか、最後の一言といった概念はない。命乞いをするものは数多いたが、彼らは首を地に落とし、砂利に血を吸い込まれていった。
その様子に、人々は狂喜の声を上げた。志野や伊万里でなくても、それは恐ろしく感じる光景だったことだろう。九峪も、背筋が冷たくなった。
それでも、そういった人々へも、視線をそらせなかった。
——こんなことに、負けるものか!
そう強く願ったとき。
蔚海の首が、刎ねられた。
元星八年五月十七日。
ここに昌香を除く蔚海の一族と大半の文官勢力、そして宗像海人衆がまったく滅んだ。