九峪と火魅子の暗殺騒動から数日があけた。この頃に、豊後から斗佐との同盟交渉に関する報告が舞い込んできた。
お互いの利害条件を刷り合わせるのに随分と時間がかかってしまったが、それにしても同盟に対して斗佐は前向きであった。というのも、斗佐もまた天目・彩花紫の両雄から身を守るために、九洲の力を借りたいと思っていたからだ。かつては狗根国との抗争に勝利したという事実だけでも実力は十分に信頼できるものがあるし、なにより天目らと並び証された九峪の存在も同盟を意識するに大きな存在となっていた。
当初は窓口として不安を抱いていた伊万里も、いざ交渉に臨めば以外にもとんとん拍子で話は進んでいった。交易の取り決めなどの問題は、伊万里の独断で裁可することを許されていたから、とくに中央で話し合う必要もなかった。
この間、九洲は主に武器を斗佐へと輸出している。刀剣類、矢玉のほかに、飛空挺に搭載されている弩も、斗佐にとっては貴重なものとされた。
それらの武器は、つぎに阿分や伊依へと搬送され、最前線へと配備されていった。
いまなお九洲では新兵器の開発・生産が行われている。九峪の目指すところの最終目標は『鉄砲』の開発にある。まだまだ何十年も時間はかかりそうだが、火薬の開発にさえ成功してしまえば、あとはどうとでもなるはずである
九洲にとって泗国への兵器提供は、新開発された兵器の性能実験をも兼ねており、九峪にしてはなかなか狡賢い手口であろう。ただし、そこは泗国側も暗黙のうちに了解しているところだ。まさか義憤にばかり駆られて同盟するわけでもない。ある程度の利害を考慮しつつ、同盟交渉は進められた。
そして同盟の本筋を取りまとめるために、斗佐側は九洲の女王火魅子との拝謁を願い出てきた。斗佐からの使者はその趣旨を記した新書とともに、豊後を訪れたのであった。
九年九月のことになる。
斗佐国の将軍、劫曲升(ごうましょう)はひとまず、豊後高田城へと留めおかれている。
手応えを十分に感じられた。それが九峪の偽らざる感想であり、そのために彼は一昨日より知恵を絞り続けている。
つい三日前に斗佐側の応答を報告という形で受けた。暗殺事件はそのさらに二日前の出来事になる。耶牟原城は亜衣の命令で厳戒態勢をしかれ、そんな中での使節来訪であった。
使者である劫曲升が豊後高田城へと留められているのは、ひとつに警戒感の強まっている耶牟原城の空気に当てられて、第一印象を損ねたくない考えからだ。手段としては——出来るならとりたくはないが——耶牟原城以外の場所まで火魅子に足労願い、同地にて拝謁を行う必要も生じてくるかもしれなかった。
そう考えると、九峪が王族となったことには、大きな政治的意義があると言えた。やはりいつまでも宰相である亜衣だけが火魅子の代行を務めることには無理があった。その点、九峪ならば、その問題を可決できる地位にある。
火魅子は国主であるが、その神秘性を損なわせないためにも出来る限り外交の場に出したくないという、九峪や亜衣の考えがある。これは考えというよりも、必然性から生まれた方針とも呼べた。
火魅子は国主である。便宜上の地位は最上位にあるが、その足場は非常に複雑な構造をしている。火魅子はその性質上を考えると、他国の使者と会うことすらあってはならない。古来、火魅子に会うということは、神に遭うことと同意とされてきた。それが長く続いた常識だった。今大の火魅子は異例の異例を繰り返している。九峪の影響を受けていることは間違いなかった。余人と顔を合わせる事を躊躇わない、ということこそがその最たる特色であろう。
亜衣は自身の執政樹立当初、その事実そのものを特に深く考えてこなかったが、いまは斗佐の劫曲升将軍を火魅子に拝謁させるべきかどうか、思い悩んでいる。九峪もまたそのことを懸念しており、両者は伊雅を交えて協議し、結果として九峪を火魅子の代行として、曲升との拝謁を執り行うことと決定した。決議の翌日、亜衣が火魅子へ上奏、火魅子はこれを受け入れた。
蛇足だが、国主の代わりということで、九峪はしばしば『代王(かわりきみ)』と市井で呼ばれるようになった。あるいは、先に制定した太師とあわせて、『王太師』とも尊称された。
拝謁の場に九峪が選んだのは豊前の安心院城(あじむじょう)。谷間に造られた小さな城であるものの、南北を急峻な断崖で囲み、山手からは渓流が補給路の役割をもち、攻めに難く守るに易い堅牢なことで知られている。
菱刈から大量の黄金・純銀を運び込み、耶牟原宮殿の宝物庫からは数種類の宝石を運び込ませ、外装も内装もこれ煌びやかに纏わせた。火後の藤那の元へは急使を送り最上の美酒を取り寄せ、薩摩の香蘭へは上質の中華服を、火向からは一流の芸人を呼び寄せ、火前の平陽へも土産物として青芋などを運ばせた。
すべてはきたる将軍の度肝を抜き、外交における絶対優位を確保するためであった。
準備が万端整い、早速に書状を持たせた使者を、豊後高田城へと走らせた。水先案内は伊万里自らが進み出た。
安心院城の門下へと足を踏み入れた劫曲升の目前には、これでもかと黄金の装飾が眩く巨大な建造物が威光を放ち聳えていた。
言葉も失った。斗佐は貧相な国である。劫曲升は、黄金どころか銀すらも見たことがなかった。それだけに、かように光り輝く城というものは、想像を遥かに超えて、視界に映るものの理解の域を超えたものだった。
——これが城か!?
と、目を見開くばかりである。
実は伊万里も驚いていた。前もって九峪から、城を華美に彩るとの話を聞いていたものの、目に痛いほどの黄金や銀を使うとは聞いていなかった。
ここまでしてでも、斗佐との同盟は必須なのだ。あらためて伊万里の中で意思が固まって行った。九峪の本気が見て取れた。
やるならば徹底して行うべきだ。そう考えた九峪だからこそ、異常なまでに飾ったのだ。ただ九峪自身、すべてが自分の内から出でた発想ではなく、織田信長や豊臣秀吉の先例に倣った部分もある。想像力というよりは知識から生まれた計略である。
すでに劫曲升の心は奪われていた。
城内の様子も、往時の姿からは程遠くかけ離れたものだった。小人にいたるまで着飾り、宝石が光を反射し、典雅である。
「九峪様、劫曲升将軍がお着きになられました」
留主の間で城主と詰めの打ち合わせをしていた九峪に将軍来訪の報が届けられた。九峪の装いは、ブレザー風の衣装に、紅の外套を纏った姿で、彼が戦場で指揮を振るう際の装束である。
九峪は城主と頷きあった。
「御身の安全はお任せくださりませ」
城主は平伏した。万が一の事態を考えて城主は、九峪の身辺警護を任されている。いざとなれば笛を鳴らし、奥で息を潜める兵士たちが飛び出してくる算段だ。
「王太師の、おなぁりぃ!」
謁見の間に衛兵の音声が響き——九峪の面が戸口より出でた。九峪は、努めて正面だけを向き、劫曲升の顔を見ようとはしない。気さくな九峪もここばかりは演出を心がけている。
だが仕草だけは普段どおりで、さほど静かな歩みではなく、さりとて音を立てるほどでもない、余人がいたって何気なく踏む足音を弾ませながら九峪が腰を椅子に落ち着かせた。
劫曲升は無言のまま、頭をたれている。この場この時の主は、主催者であり身分者の九峪であり、主権も九峪にあった。そもそもすでに劫曲升は、安心院城の威容を九峪の威光と照らし合わせ、心胆冷め、屈してしまっている。
上段、そのことを九峪は察した。ふっと伊万里へと微かに首を巡らし、微笑んで微かに唇を動かした。
——どうよ?
得意げであった。狙い通りにことが運んでおかしかった。伊万里も笑っていた。
「遠路、疲れただろう」
応えず、ただ頭をさらに深く沈める。
成功だと、九峪の気持ちが持ち上がった。
「俺が九峪雅比古だ。お前の名前は?」
知っているが、礼儀として九峪は尋ねた。
「斗佐の将、劫曲升にございまする。此度は拝謁の義、賜りまして、恐悦に至極と存じ奉——」
「わかった」
唐突、九峪は声を上げて劫曲升の口上を遮った。思わず顔を上げた劫曲升の目が九峪の視線をぶつかり、慌てて顔を下げた。その拍子に、額が床にぶつかった。
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。それよりも、一刻を争う話し合いがあるはずだ」
「は・・・・・・はっ」
「大方の事情は、そこの伊万里と通しているから知っているな」
「御意」
「まず聞くぞ。泗国は明日にでも落ちるか」
口早な問いに劫曲升が顔を上げた。
「畏れながら申し上げます。我ら泗国勢、たしかに中國芹畿、東海北陸の大国より攻め上られ、その大物量に押されております。されど、阿分の陣にて狗根の先鋒、月影(雲母)をよく抑え、伊依の陣にて出面の先鋒、韓嶺(からみね)を迎え撃ち、一両日に敗走するものに非しませぬ」
語気が荒かった。侮られた、とでも思ったのだろうか。
戦士としての誇りや自尊心、そして愛国心が、怒涛のように劫曲升の口から発せられた。
しかし、いくら気勢が強くとも、時勢を得ているわけではなかった。なるほど士気の高さはあるだろう。だが士気だけではどうにもならないのが、戦争というものである。
九峪は特に、時間を気にしていた。
「では、重ねて聞くけど、どれほどまで持ちこたえられる。一年か? 十年か?」
前のめりに九峪が言葉を重ねてきた。
咄嗟に劫曲升は応えることが出来ず、しばし思案した。
泗国の情勢は劫曲升が口角を広げて豪語するほど、決して優勢なものではない。むしろ日に日に悪化の一途を辿り、伊依はともかくとしても、阿分にいたっては陥落も時間の問題といえる状態にまで追い込まれていた。
——やはり、兵の差よ。
と、誰も彼もが痛感している。人数はもちろん、将は賢く、武具は真新しく、狗根国は飛行船をもって空からもやってくる。あらゆる面において劣勢は明らかだった。
伊依、阿分の陥落はすなわち讃其の孤立となり、それが泗国勢粉砕の引き金となる。いやさすでに讃其も戦場になっている。
その時期の見極めは、まだ難しいものがあった。
——思った以上に、泗国の戦況は芳しくないみたいだな。
「・・・・・・八ヶ月、持たせられるか」
「八ヶ月、でござりまするか」
「そうだ」
九峪は期限を定めた。
「こちらはすでに出兵の用意を進めている。そちらがすぐにでも九洲と同盟を結んでくれるなら、兵は送れずとも、当面、物資をいままで以上に送ろう。最新の武器・兵器はもちろん、糧食もだ」
「ま、まことでございまするか」
劫曲升は目の輝きを変えた。
九峪は頷いた。
「そして八ヶ月持ちこたえられるなら、兵を泗国へ渡らせる」
最上級の釣り餌であった。釣り針も大きい。これに食いつかないわけがない。
案の定といわんばかりに、泗国の情勢をよく知っている劫曲升は顔色を一転二転させ、動揺している風も顕であった。
ここでは九峪自らが明言することこそが重要である。もはや同盟は決定事項の域にあり、折衝だけが残る問題。そこを九洲方——九峪から歩み寄れば、主導権は九峪が握ったも同然となれるのだ。
——この男は、陥ちた。
九峪はそう直感した。あとは劫曲升が九洲で感じたこと、九峪という男を、泗国連合の幹部に話してくれればいい。九峪という男の姿かたちは妄想を持って膨らんでいくことだろう。
安心院城での謁見は、始終にわたって九峪が圧倒した。
安心院城での謁見を最後に、同盟締結の流れは最終段階へ向けて加速度的に進むこととなる。
九峪はしばし豊後にあった。
この頃、九洲内での大きな出来事として、十一月、藤那がついに女児を出産した。藤那の一族は男女問わず、代々に『藤』の一字を継承してきた。その慣例に倣い、父親である閑谷の一字を取って、
——藤谷(ふじや)
と命名された。『谷』という字はまた『峪』、九峪の一字である。神の遣いの如き奇跡を起こす仔という願いを込められた、験担ぎの意味もあった。検分の結果、火魅子の素質を有していることも判明しており、これで藤那の一族は、傍流第一等としての揺ぎ無い地位を確立した。
後に藤谷は、母の藤那に似た豪胆さと、父の閑谷に似た聡明さをもって知られるようになり、火後県二代目知事として県政を支え、駒木衆千二百騎を率いる猛将として三世紀の終盤、倭国大乱が最後の断末魔を上げ始める戦乱後期を戦うこととなる。
上記は余談。
藤谷の生誕をうけて、休養中の藤那は阿蘇城から、火奈久城へと再び居を移した。
「そろそろ、県政に取り掛からねばならない」
と言い、産後間もない身体を引きずって政務に戻った。
そうせざるを得ない事情があった。
悪報である。幾たびも繰り広げられた摂通争奪戦、その戦いについに終止符が打たれてしまったのだ。十月も終わろうかという頃、天目領であった篠山城を彩花紫自らが指揮し攻撃。天目が急ぎ救援に駆けつけるもとき間に合わず陥落してしまい、ここから狗根国の摂通蹂躪が始まった。
十一月の初め頃、彩花紫は摂通のほぼ全てを手中に収め、讃其への橋頭堡を確保するに至った。
摂通方面軍の最高司令官の虎桃も善戦したが、彩花紫の化け物染みた戦術と、続出する地元豪族の離反を前にしては抗しきれなかった。篠山を奪われてからは戦線を徐々に後退させ、局地では勝利を収めつつも戦況は覆せそうになく、最後は西摂通を放棄し全軍総撤退を決意した天目の意向によって、播磨まで後退した。
大出面国にとってこの一ヶ月あまりの出来事は、敗北は、百戦全敗の衝撃に等しかった。それだけ政局的な影響は計りしれなかった。
そして問題は、遠く鎮西にも波及してくる。摂通の陥落は、その後に時間をかけていくと、讃其の陥落に結びかねない重大事だ。
九峪の戦略構想上、阿分と伊依は失っても構わないが、なにが何でも讃其だけは手放すことも諦めることもしてはならない。すでに阿分の過半を彩花紫が、伊依にいたっては三分の二が天目の手に落ちている。
猶予はすでになくなりつつあった。
藤那は、とにかく火後の戦力が自由に動き回れるようにしておかねばならないと考え、そこへ自身の問題が重く圧し掛かってきた事をずっと思い悩んできた。
出産さえしてしまえば、すぐにでも戦場へと馳せ参じるつもりだったのだろう。しかし産後の身体は疲弊しきっており、とても戦えるような状態ではなかった。
藤那は決断した。
「閑谷に、泗国へと渡る火後勢の指揮権を委ねる」
というものであった。つまり、藤那に代わって閑谷が、火後軍の総大将を務めるということであった。
全軍統括権の証とされる『藤那の鳳凰符』を閑谷は授けられた。十一月十七日のことであった。
そして、摂通にいる彩花紫が、讃其攻略のための準備に取り掛かっている、十一月二十一日。昼刻。
九峪は代王として火振島へと渡海した。八隻の船に三百人の兵を引き連れ、斗佐国からは斗佐の大王が、やはり火振島に渡ってきた。
火振島は今でこそ斗佐の領土となっているが、もとは九洲の属島であった。狗根国の侵攻にともない孤立した火振島の豪族は、斗佐の軍門に降る事を条件に庇護をもとめた。
以後、火振島は斗佐の領土となったのだ。いわば火振島は、九洲と斗佐の間の島であり、両国が友好を築く第一歩の場としてまさに打ってつけであった。
荒潮の寒風が吹き荒ぶ頃である。波も大きく、豊後水道はその航路に容赦なく牙を剥いてきた。とても海に出るような日ではない、嵐の日だ。
この日時を選んだのは九峪であった。嵐が多くなるこの時期を見計らうことで、天目の監視の目を逃れるためだ。九洲の不穏な空気に気づかない天目ではない。命がけで海を渡りでもしないかぎり、事を運ばせることなど不可能に近い。
木々が飛んでしまいそうなほど、葉を擦らせている。音も激しい。
会見の場に火振島にある唯一の城、火振城が選ばれたのは当然のことであった。城主の女は、まだ幼い時分に祖国を失ってしまったがために、九洲をよく知らない。かつて耶麻台国に仕えていた父親はすでに他界している。
湊に降立ってすぐ、にわかに雨脚が強まり、九峪たち一行は急ぎ城への道を登った。
火振島に詳しい兵士が駆け寄ってきた。
「九峪様、あれに見えまするが火振のお城にございます」
「あれか」
薄らぼやける雨模様の向うで霞む城が見えた。道中、九峪は馬の手綱を緩めて、ゆるゆると進ませた。
雨はまだ降っている。
「急ぎませんと、ますます荒れますよ」
後ろをついてくる音羽が声をかけてきた。鎧縅の上に雨具をかぶった姿である。
九峪は、空を仰ぎ見た。
「なぁ、音羽。俺はあえてこの天気の日を選んだ。だけどこの荒れようだ・・・・・・不吉だと感じるか?」
「はっ? はぁ、そうですね・・・・・・でも、雨天は奇襲を行うのに格好の天気ですし」
「奇襲?」
「なんといいますか、私たち武人にとっては、雨はむしろ相手の不意をつく天気ということで、雨を信奉する者もおります。さほど不吉なものとは思いませんけど」
「奇襲か・・・・・・なるほど、なるほど」
にやりと、九峪は唇を歪めた。
「天目にとっては奇襲になりえる。この会見が、俺たちにとっての桶狭間か厳島というわけだ」
「はぁ・・・・・・イツクシマ、ですか?」
要領を得ていない音羽の様子に、九峪は口元をふっとゆるめた。
城に到着して、一日をおいた。会見は翌日に執り行う。
いま火振の城では、斗佐の王と九洲耶麻台政権の王が、同時に存在していることになる。
初めの予定では、斗佐王のほかにも、伊依王、阿分王、讃其王も列席する予定で話しは進められていたが、摂通陥落の事変によって讃其王は防備の強化のために、阿分と伊依の王もそれぞれ身動きが取れなくなってしまった。
そのため、会見には泗国連合を代表して、斗佐王が臨むことになったのだ。
邸内に植えられている松の木々の騒がしさが、一際強くなってきた。気温もぐっと下がったように九峪は体感した。
蜀の灯りだけが部屋を照らす頼りだ。
その夜、宴のたぐいは催されなかった。会見が初の顔合わせだと、そう九峪は意気込んでいたからだ。面白いことに、斗佐王も同じ事を考え、また提案してきた。
——泗国計略は、容易に進みそうにない。
斗佐王は聡明な人物かもしれないと感じた。わずか一つの考えが似通っていただけでそう思うのは、あるいは自分自身へ対する驕りかもしれない。斗佐王を聡明と感じた裏側の理由が、自分と似ているというだけで、まるで自分自身をも聡明だといわんばかりだ。
だが九峪にも自負心はあった。そういう強い感情がなければ、ここまで生き抜くことも、戦いきることもできなかったであろう。
寝床の上で九峪は腕を組み考えた。
同盟締結に向けて作成される条約の草案に盛り込まれる両国の条件は、これまでも折衝でだいたい纏め上げられた。
九峪がすべきことは唯一つ、斗佐の王を見定めることのみと極論してよかった。
——こちらの思惑を、見透かされるかもしれない。
と、九峪の脳裏には何度もそのような不安要素が浮かんでは、いやらしく粘ついて離れてくれないのだ。この言いようも言い知れもない不安を取り除くには、この男がこれまでの生涯で培ってきた人間観察眼を凝らして見極める以外に方法はない。
何にしてもすべては明日である。夜にものを考えるのは、物の怪を呼ぶとも言われている。迷信であると信じる九峪だが、今宵は考える事をやめて眠ることとした。
夜が明けて、歴史的瞬間を演出せしめるための舞台が、いよいよその時を迎えんと飾り立てられていった。
といっても大方の装飾に変更などなく、せいぜい誓紙などの細々としたものが、下人たちによって運び込まれる程度のことだ。
しかし着実に会見の場に相応しい装いとなっていった。
会見は、昼前に行われる。両者のほかに、護衛が数人、官僚が数人、同席する。九峪の護衛隊三十人を率いるのは音羽であり、斗佐王の護衛隊五十人を率いているのは、過日に九洲を訪れた劫曲升であった。
城そのものがさほど大きくないため、会見の場もやや狭めの部屋である。一応は謁見の間として用いられるのだが、とにかく十間あるかどうかの部屋へと続く廊下を歩いていた九峪の視界に、斗佐の兵隊が隊列を組んでいるのが見えた。
「あれが・・・・・・」
斗佐の兵隊かと、言葉が出掛かった。最後まで言い切れなかったのはその兵装が統一性をあまりにも欠いているためで、驚いたのだ。
あるものは、随分と立派な鎧を纏っている。かと思えば山賊かと見まがうばかりの者や、あるいは、文明を一時代下ったかのような装備の者までいた。
斗佐の装備といえば、有名なのはやはり、戦国史の長宗我部武士団の一両具足であろう。中央のそれと比べられたとき、京の人々は斗佐の武士を指差し、
——あれは山賊か。
と袖口に囁いたという。もともと斗佐は険しい山岳に囲まれ、日本のどの国からも隔絶されがちであった。自然、文化が遅れるのも仕方がないのだが、それにしてもこれで軍隊と呼ぶのは難しかろう。
だが、みなみな精悍な顔つきで、全体的に小柄なわりには、研ぎ澄まされた戦意のようなものを体のそこかしこから放っているようだった。また褐色の肌も異様なものである。
「音羽」
九峪は背後を突いてくる音羽を呼んだ。
「あの兵士、どうかな。強いかな」
ついと音羽が顔を斗佐兵たちへ向けた。
「随分と小さいんですね」
「そうだな」
「強そうには見えませんが・・・・・・手合わせしないことにはなんとも」
「そうか」
それもそうだと九峪は頷き、ふたたび足を動かす。
ぞろぞろと九洲の兵らも、斗佐の部隊とは反対側の広間に集結した。九洲兵三十人、斗佐兵五十人が、部屋一つを挟んで対峙した。
九峪が部屋に入ったところ、すでに斗佐の王は座についていた。九峪は足を止めた。王は、かすかに首と瞳を上げ、九峪を見上げた。
ぐっと九峪の喉がなる。
「ささ、王よ、こちらへ」
火振の城主が九峪を座に誘った。長く椅子になれた九峪には、公式の場での久しい茣蓙である。
外套をはらい、腰を下ろした。九峪の背後の戸は開け放たれ、兵らが控え、斗佐の王もまた同じであった。二人は、互いに正面きって目と目を見据えた。
斗佐の王は見た目の齢を四、五十としたところであろうか。髪を全て剃りあげ、眉は濃く、無骨で、口の周りには硬めの髭が無造作にのばされている。頑屈な顔は、どこか伊雅よりも彫り深く感じられた。
雰囲気だけでわかる。この王は強い。きっと戦争だけでなく、政治も上手いかもしれない。斗佐という隔絶された世界に生まれ、狗根国侵略でほか三国と同盟を結び、世に出てきた男である。
泗国の英傑なのだ。
城主は手を振って余計な人間をみな追い出した。
九峪も斗佐の王も、瞳を絡め、けっして逸らせない。逸らす意思もなく、また逸らせてもらえなくもあった。また、逸らしてはいけない、逸らせば負けだと同じ気持ちでいた。
口火を切ったのは、斗佐の王であった。
「余が、斗佐国の王、叶(かなえ)である。お目にかかれて光栄だ」
見た目にもふさわしい、低く太い声だ。どっしりと構える大山が、地振いを引き起こしたようだ。
こればかりは、歳の甲というもので、まだまだ人生の者として若輩な九峪には出せそうにない。しかし、臆することだけは出来なかった。
「耶麻台共和国の王太師、九峪雅比古だ。俺のほうこそ、会えて嬉しい」
礼には礼をとばかり、九峪も自己の口上を述べた。重みを演出できない分、九峪は、若々しい勢いを見せ付けた。そこには強烈な発展性があった。
斗佐の王、叶はにこりともせず、無骨な顔をさしむけるばかりだ。ただし、名を明かしあうことで、どこか緊張が和らいだ。斗佐人の気性とも言うべきか、国人性とも言うべきか、彼らにはある種の清々しい人間性がある。それらは、スポーツマンシップに近いものであろう。
長くそのような性格は斗佐に根付くこととなる。叶もその気性を持っているのだろう。単純とも素直ともとれる。やはり土地柄、閉鎖されてきたことも所以にある。
元来が、同じように単純で素直なところのある九峪とも、このような点では通ずるものがあった。だからだろうか、口上を述べたあと、九峪もどこか安堵した様子を浮かべた。
「同盟の義・・・・・・」と、叶が口を開いた。
「長々と考えてきた。しかし信ずるに足るか、わからなかった」
「俺たちが、か?」
「そうだ」
なかなか素直な物言いだ。受け取るものによれば、無礼とも感じられるだろうが、当の本人は真面目くさった顔をしている。
九峪は驚き半分、おかしさ半分で頷いた。
「しかたがない。俺たちは今、天目と同盟を結んでいるんだからな。・・・・・・あんたらの敵が、俺たちの味方だ」
「だが、貴公らはわが斗佐・・・・・・いや、泗国との同盟を結ぶために、ここへ来た。いまや泗国と刃を交えていないのは、九洲だけだ」
「そうだな」
九峪は頷く。
「ならばそれは、貴公らが、天目と手を切る覚悟である・・・・・・とのことと見受ける」
視線が九峪を射抜いた。それ以外の言葉は必要としない、そのことを強く求めてくる視線だ。
強い意志力だ。
九峪は、真摯に受け止めた。
「・・・・・・もちろんだ。天目と大出面は強い。だがあんたらと手を組むと決めた以上、天目とは敵同士になるんだ。当たり前だな」
「当たり前か」
と呟き、はじめて叶が微笑んだ。叶も素直な男ならば、九峪もまた素直な男だと映ったのだろう。
叶は、微笑を下げた。
「天目は伊依を攻めておる。阿分には彩花紫が剣先を突きつけ、讃其への楔も打たれてしもうた」
「摂通」
即座に九峪は答えた。
「知っておったか」
「泗国が落ちれば、九州も危険に晒される。天下の情勢にはことのほか目を向けるようにしているんでな」
「貴公ほどの者がおって、九洲は内乱に落ちたか」
先におこった蔚海の乱を斗佐は口にした。この事件があって、泗国は一度、九洲との同盟を見直したほどだった。
さいわい、戦いは即座に終息へと向かっていき、天目や彩花紫と並び称される九峪の名を再び聞けるようになって、同盟論がにわかに再燃した。
九峪が隠居されていた事実までは、斗佐は知らない。
九峪は、苦笑するしかなかった。
「だが有能そうだ」
と、叶がいった。
「貴公らとの同盟なくして、わが泗国はもはや立ち行かぬ。認めたくないが、やつらは強い。兵では負けているとは思わぬ。しかし馬が、武器がちがう。貴公らが送ってくれる武具も、みな優れたものばかり。我がほうにないのは、ものと技術、そして糧食」
「いまでこそ俺たちも、天目の目を気にしながらでしか、物資を送れない。しかし正式に同盟国となれれば、面と向かって支援できる」
「それこそが泗国にとっての益。また九洲には人物が多いと聞く」
「もちろん、援軍だって出す」
「だが、貴公らの利益が見えない」
訝しげな表情で叶は九峪を見た。
「強大な天目を敵に回してまで、泗国と結ぶのはなぜか」
叶にしてみれば、そこがどうしても謎であった。その気になれば、天目と連動して斗佐を攻めてもいいのだ。むしろ、そうしてこなかったことのほうが不思議でならなかった。
だが、しかし、理由は明快であった。
「簡単さ。俺と天目は仲が悪い。天目は泗国を平らげたあとに、九洲をも余勢をかって攻め上ってくる。その未来が見え透いていたから、天目とはこれいじょう歩めないと確信した」
「出面との同盟とは、実のない殻か」
「殻もない」
すっぱり、言い切った。
「あれを」
九峪が後ろに声をかけた。兵士がひとり頷くと、控えていた何人かが前に進み出てきた。
手には、貢物があった。
目の前に置かれたそれらの貢物を、九峪は叶に差し出した。
「これは?」
しげしげと叶は眺める。赤い布に覆われており、なにかはわからない。
「これらはすべて、九洲から中國へと輸出されていたものさ。同盟を結んだ暁には、こいつらが天目のところじゃなくて、泗国へと流される」
「ほう・・・・・・」
布を取り払い、一つの小箱を手にした。
かすかに香りがしてきた。
「これは・・・・・・なんだ?」
叶が持った箱には、枯れ草のようなものが敷き詰められていた。独特の香りが鼻先をかすめ、しかし厭なにおいではなかった。
このように香高い植物を知らない叶には、まさしく珍品であったろう。
箱の中身は茶である。亜衣の荘園で栽培・収穫されている九洲の特産品だ。この当時、北九洲が倭国最大の茶葉産地であり、またほぼにして倭国唯一といってよかった。
しかし、叶はそれほど茶への興味を示さなかった。火急の用件ではなかった。それよりも、兵力や物資の問題のほうがより重大事なのだ。
九峪もそのつもりで、貢物はあくまでも『親愛』の証でしかなく、さっさと奥へ下がらせた。
「何はともあれ、だ」
振り上げられた叶の腕を合図に、斗佐の兵士らが二杯をもってきた。
ひとつを叶が、ひとつを九峪が、それぞれを手にする。酒盃である。
代わって九峪の用意した誓紙が両者の丁度中間におかれた。
「長い付き合いになるやもしれぬ」
「俺もそう思う」
ふたりは杯をかわして、誓紙に同盟の誓いを立てた。
元星九年十一月二十二日。
九洲耶麻台共和国は泗国連合と同盟を結び、『九洲・泗国連合』が成立。
同時にそれは、中國大出雲国との同盟破棄にして、宣戦布告と同意義でもあった。
倭国の情勢は、ますます激化の一途を辿ろうとしていた。