海がやや荒れ始めてきた二十八日、豊後国咲にて出港準備を終えた伊万里の軍勢が、予定通りに満を持して出航していった。五日の船旅をこえて泗国は伊依の佐田岬半島へと上陸し、同地に築かれている天目方の飛石拠点である砦を重然水軍の援護を受けて一息に粉砕、占領した。
半島には三つの砦があった。堅城というほどのものではないにしろ、攻め上る伊万里の采配は激烈なものがあった。ついに九峪と結ばれることの出来なかった無念が、過激なまでの攻撃衝動へと昇華されたのかもしれない。
どこかもの哀しい勝利である。
まさか佐田岬へと直接乗り上げてくるなどと夢にも思っていなかった敵部隊も、突かれるやあまりに脆く崩れ去り、いまだ泗国勢の勢力圏である南伊依を圧迫し続けてきた佐田岬半島を奪取したことで、全体の士気は上がった。
出だしは上々、といったところか。ほどよい滑り出しであろう。これで宇和海と豊依海峡の制海権を握ることに成功した。その他、別働隊は斗佐側から上陸し、順次、北進してくる。ただし、斗佐の峰々は急峻この上なく、悪路、険路の連続であり、斗佐の外へ出るだけでも難事であった。
ともあれ、泗国戦略は本格的な行動に移され、まさに時代はますます激動されていく。
しかし天目も黙ってみているわけではない。
事実上の開戦である。
なにしろ大出雲の領域であった佐田岬を攻撃し、占領したのだから、それは紛れもない領土奪取だ。
泗国の問題は伊雅が一任されている。このとき伊雅はすでに齢を五十七も数える老境に達し、普通ならば隠居を考えても何らおかしくない年齢となっている。しかし、ついに九峪のもとで全国を舞台に戦えることへの戦士的な情緒があってか、戦意盛んであった。身体もまだまだ萎れる様子がなく、しかし押し寄せる年波を顔中に刻み込んでいる。やや色素の薄かった頭髪には、白髪が目立つようになった。
伊雅は渡海前、九峪や亜衣などの国家最高幹部を前に、この泗国戦略が生涯最後のいくさになるだろうと、酒気で頬を赤くさせながらこぼしていた。
伊雅にとっては生涯ではじめて、そして唯一最後となる国外戦なのだった。
さて、この歴史の今後の主軸を成すであろう泗国の様子は、いましばし置いておきたい。
九洲本土のことも記さねばならない。
九峪は耶牟原城に在る。あらゆる指示を耶牟原城から放つものと、ほとんどの者はそう考えていた。しかし九峪はあろうことか那津城内に自らの屋敷をかまえ、そちらへと居を移した。
那津城が戦場になる可能性は高い。
天目は九洲への警戒感を強め、壱岐・對馬の水軍を強化している。狙いは北九洲域での戦闘に際した後方かく乱にあることは明白であろう。おそらく天目は、那津城が主戦闘部隊の後方支援を目的にしている事を察していて、そのための対抗手段として水軍を差し向ける算段かもしれない。
どちらの思慮が先に立ったのかはわからない。鶏か卵かと思うほど、思策が錯綜している。
重臣らは九峪の行動を諌めた。なにも危険な前線に九峪自らが出張る必要などないのだし、現地のことは現地の将軍らに任せていればいいという。たしかに彼らの言い分ももっともだ。
遠く復興軍の時代とは違う。全ての戦いに全身全霊、乾坤一擲の意気込みで挑まずとも、不味くなれば退いてもいいし、いまは人材も豊富にそろっている。
だが、だからこそ九峪は、那津城へと行かねばならない。その理由を九峪はこう述べている。
「那津城は重要な拠点であり、同時に釣り餌にできる」
つまり九峪は、自ら那津城へと赴くことによって、天目軍が九峪の命を狙わんとして大挙して押し寄せるだろうというのだ。それが狙いだとも言うのだ。
重臣はこぞって仰け反ったことだろう。戦うには何より、敵の領内で戦うことがもっとも望ましいとされている。戦闘になればとうぜんその土地は荒れ、田畑は崩され、生産力を劇的に落とされてしまうからだ。
九峪の言い分をまとめてしまうと、九峪は、九洲の土地を戦場にしようとしている。兵法上それはもはや問題外でさえある。
それらの観点から推して、将軍らはむしろ、泗国への派兵にあわせて長戸へも進撃すべしと主張さえしてきた。度重なる戦乱で民心も荒れ、そのような状態で戦うこと事態が難しいと考える者も少なくない。
これも理にはかなっている考えであろうが、このあたり、九峪との考えは見事に食い違っていた。
おそらく九峪がなにを気にしているのか、気づいていたのは亜衣を含めてもごく僅かであったかもしれない。結局、九峪は那津城へはいった。
それからいくらかの日が過ぎて三月になると、天目方から、泗国同盟の是非を問いただす使者が関門海峡を通ってやってきた。使者はそのまま那津城から北東にある砦で九洲方の対応を受けたが、翌日には早々に帰国の途についている。
あくまでも、自分たちは『裏切られた』という姿勢をみせることで、将兵の戦意を煽る目的で行った芝居であろう。また事実上の最後通告でもあった。
三月中旬にはいると次第に気候は穏やかとなり、気温もあたたかくなり始めてきた。ついに天目は九洲耶麻台共和国との戦争を決断、武官らに下知して動員せしめた戦力は一万八千にものぼり、壇ノ浦の水軍を瞬滅したかと思わせるや、わずか三日で企救半島を制圧してしまった。
同時に、壱岐からも三十艘を超える大船団が那の津めがけて押し寄せてくる。同地の那津水軍で迎え撃たせるが、こちらも早々と敗走している。那の津もまたたくまに占領された。
わずか数日の短期間で楔を二つも打ち込まれる事態に、しかし九峪は慌てもしなければ、浮き足立った様子さえ微塵もさらさず、やはり那津城から動く気配すらなかった。
「これでいい」
慌てふためき、一刻も早く九峪を避難させようとする重臣らに、九峪はただそれのみを応えた。
すると、国内から不思議な反応が沸き起こるようになったのだ。
民心はこれ以上の負担を望まず、厭戦気分が立ち込めていた。泗国出兵にも反対するものがいただろう。しかし、天目の軍勢が北九洲を切り崩し、大湊の那の津さえ落とされ、一転して抗戦意欲がわいてきたのだ。
なぜ、と官僚たちは驚くばかりだった。この期になぜ、民衆は立ち上がる気になったのか。彼らは気づいていない。これこそが九峪の狙いであったとは。
九峪はただ、民心を操ったに過ぎない。というのも、要はである。土地に踏み込まれたなら、追い出さないといけない。田畑を守るためには戦わなくてはならない。それは厭戦とは関係ない死活問題であるし、またその『侵略』に対する憤りもあり、何よりも彼らを突き動かした最大の要因は、『トラウマ』と『アレルギー』であった。
狗根国の侵略、支配、圧政——などなどは、九洲人の心に多大な傷跡を深々と残し、いまなお癒えきっているとはいえない。九峪は、あえて土地を差し出すように奪わせることで、民心の古傷をえぐり、民衆の『戦意』を引き出した。ただそれだけだ。
おあつらえ向きに、占領後に九洲を実効支配していたのは天目であった。九洲人にとっては『天目』がイコール『狗根国』と同義であり、その天目の軍勢が再び攻めてきたことへのアレルギー反応は、強烈なものであった。耶麻臺国が置かれていた九洲以北ですら、である。
厭戦などといっている場合ではない。二度と支配されてたまるか。という感情が国防意識の源となり、それが大衆化されれば、戦争へ反対する者はいなくなる。
九峪お得意の人心掌握術である。復興軍時代、『民をその気にさせる』ことで東火向を数ヶ月で平定させたとき同様、あくまでも『民をその気にさせる』必要があった。だからそうした。
そのために土地を多少は踏み荒らされてしまうが、そこは必要悪と割り切るしかないだろう。最終的に勝つことが出来れば、また土地を整備すればいいだけの話だ。民百姓にはいささか迷惑な論理かもしれないが、負けて全てを奪われるよりはまだしも、といったところだろうか。
九峪は、わざと攻めさせることで、民衆間に戦う理由を生み出させたわけである。だからこそ那津城という絶好の刺激要素をつくり、自らを餌とまでしなくてはならなかった。危険だが相応の配当は得た。ただ九峪がこれらの思惑を内に秘めていると感づいていた天目だからこそ、すぐには兵を出してこなかったのだ。九峪の予想ではもっとはやく天目は兵を差し向けるだろうと考えていた。
やはり天目を相手にまわして、すべての策がすべからく順調に進むわけではないらしい。
九洲方面軍の総司令官には、かつて長湯城の攻防戦で伊万里に土をつけたことで勇名を馳せた、元親衛隊副隊長の真那満が任官されているらしい、という報告が那津城の九峪の元へと届けられた。
真那満の年齢は二十七歳になるはずだと九峪は記憶している。九峪とほぼ同年齢であるだろう。艶やかな長髪と整った顔立ち、やや勝気な釣り目が印象的な少女だった。はたしてどれほどの武将に成長したのか、九峪は楽しみに思えた。
大出雲軍の侵攻から数日たち、北は早くも苛烈な戦線を構築しつつある。九峪自らが指揮を執っているということもあり、士気は高い。おもに宗像城・福智城・若宮沢城を最前線拠点に戦われている。
だがここでまたしても、九峪の行動は不可解なことこの上なく、あろうことか那津城を離れ耶牟原城へと戻ってしまったのだ。
戦場を投げ出すのかと思われかねない行動である。九峪に限ってそんなことはないと、歴戦にわたって九峪のもとで戦ってきた武将たちであったが、それに対して九峪は、
「自分のまずやるべき事は終わっている。そもそも、那津城にいては危ないといっていただろう」
といい、それが理由だとしている。たしかに最前線へわざわざ出張って、何ヶ月も居座る総大将など古今東西、聞いたこともない。天目も彩花紫もそんなことはしない。意味がないからだ。これが、寡兵を鼓舞するために一番駆けをするというのならまた話は違ってくるのだが、これはそのような戦いではない。
こういわれてしまうと、自分たちもそう進言していたこともあり強くは言えず、九峪は三月の終旬には耶牟原城へと帰城している。日付では二十九日ごろである。
九峪が那津城からもどってきたと聞いた亜衣は、その知らせを受けた二日後に、九峪亭に亭主を尋ねた。
まさに戦争が始まったところで、このように言うのは不謹慎かもしれないが、亜衣と九峪にとっては一瞬の暇である。すぐに忙しくなるだろうと亜衣は疑いもしていない。物資の取扱は亜衣が担当すべき問題であり、補給とはすなわち戦闘支援の根幹でもあるからだ。補給を怠って勝利した例など、過去にも未来にもありはしない。
北九洲域では、南海道では、激しい戦いが起きていることだろう。遠州や写楽たちはまだいい。目が届く。しかし伊雅ら泗国派兵組にいたっては、まさしく異国の戦いであるのだ。心配は尽きない。
二人が落ち着いて語り合う時間も、これから先にどれほど訪れるかわからない。向かい合わせに軽い談笑をかわす今の一時も、今だけかもしれないという思いがあった。
火魅子との婚姻があってから、亜衣は初めて九峪の元を尋ねてきた。九峪も心にわずかばかりの後ろめたさがあって、亜衣を避けていたところがある。
小鳥のさえずりも聞こえるような陽気が室内を暖めてくれている。
ふと亜衣の視線が、壁にかけられた倭国の地図へと注がれる。どこか感慨深い視線に気づいた九峪も視線を転じた。
「・・・・・・思えば不思議なものなのです」
茶碗を床に下ろす。
「昔はここまで大事になるような未来が待ち受けているなんて、ひとひらほどの思案もありませんでした」
眼鏡の奥の瞳が、過去を見つめて細くなる。視線がつつっと、かつて九洲で戦場となったあちらこちらを、経緯順にすべる。
——伊尾木ヶ原、当麻、美禰、刈田、川辺、響灘、枇杷島・・・・・・。
わずか一、二年での復興戦争であろうか。それぐらいになるだろう。歴々の激戦を休む間もなく駆け抜け、全ての戦いに全身全霊で挑みかかり、狗根国を撃破したのが十二年前。
大和の大敗、長湯城の敗走と逆襲も、思い返せばこれらすら早く九年も昔の話になっている。
初めて戦場に出た十七歳から数えて、先の反乱まで、亜衣が戦場を生きた年月も十七年が過ぎようとしていた。
夢が叶ったのかと問われれば、間違いなく亜衣が擁き続けてきた積年の大願は成就された。それも、この上なく完璧な形で。
だが戦乱の時代はまだ続くようだ。壁掛けの地図のそこかしこは戦塵のくすんだ煙を立ち昇らせている。
「九洲を取り戻しただけで平和になるなどと思っていた私も、まだ青かったのですね」
——いや、平和の意味を問うならば、私にとって今こそが平和なのかもしれない。
平和とは心の安寧を意味している。広義では世界の安寧と安定を意味している。世上の忙しなさはともかくとして、亜衣は安らぎを感じている。九峪がいるからだ。
いちど心を決めてしまうと、あとは楽なものだった。火魅子との政略結婚には随分と苦しみもしたし迷走もしたが、己の原点を見つめなおせば、立ち位置も明確になった。
慕う気持ちは変わらず。しかし亜衣は、自分にしか出来ない、自分だけの九峪とのあり方を思い出した。
文字通り私にしか九峪様の片腕は務まらない——と。妥協とも違う、一段高い梯子を上った気分だった。胸のうちに燻る残り火もいつかは消え去るはずだ。
「何かおかしいか?」
九峪がいきなり尋ねてきた。亜衣ははっと顔を九峪へと向ける。
「なぜでしょうか?」
「いや、なんか笑ってるから」
きょとんと亜衣は目を丸くさせる。まったく自覚していなかった。その様子こそがおかしかったのか、九峪が苦笑する。
どうやら一人で感慨にふけり、和んでいたらしい。頬にさっと朱がさす。照れ隠しに亜衣は眼鏡を直す仕草で頬の赤みを誤魔化そうとした。
それすらも九峪にはお見通しだろうが。
茶を一含みし、九峪がまた顔を地図へ向ける。
「こうして笑ってられるのも、今のうちかな」
静かに呟くが、透き通って聞こえる。
「俺たちが生きているうちにこの戦いは終わるかな」
浮ついた熱が急速に引いていくのがわかる。すでに亜衣の表情は宰相の顔となっている。
亜衣は脳裏に言葉を捜した。
「どうでしょう。少なくとも天目と彩花紫の二人をいくさで滅ぼすのは、かなり難しいかと思います。また両国は版図も広く、人材は溢れ、一両日に平らげれるものでもないでしょう」
亜衣は人の一生を一両日という表現で現した。おそらく今代で大乱を終わらせることは、きわめて困難であるとの見解を示したことになる。
そもそも戦って滅ぼせばそれで終りというものでもない。戦争とは極論してしまえば政治の一部であり、外交問題における解決策のひとつでしかない。
平定するには政の妙が必要不可欠であった。
「それに、孫子にも政で屈服させ、戦わずにして勝つことが重要だとあります。戦闘はなるべく避け、城攻めは最後手段にせよと説いています。この場合は、まず周囲を屈服させていくべきであり、核心に触れるまでの足場固めが大事でしょう。しかしこれには・・・・・・」
「時間がかかるな。それも膨大な時間だ。天目と彩花紫を相手にするなら、外堀を埋めるだけで、俺の寿命は尽きるかもしれないってことか」
——それまで生きていられるかもわからないけどな。
言葉にしないものの九峪には不安がある。大隈海戦の直前に受けた託宣が不気味である。もしあのときのお告げが真実ならば、間違いなく九峪は乱の終りを見届けることなく、あの世へと旅立つことになろう。
だがそのようなことに今から気を揉んでいても仕方がないことだ。急がば回れの信条で挑まねばなるまい。
わかりきっていたことだ。九峪だってそんな簡単にこの乱世が終結するなんて思っていない。それでも誰かに問い、否定の言葉を受け止めたことで、ようやく腹が据わった。
「いいさ、望むところだ」
虚勢でも九峪は意気込むしかなかった。
四月ごろの季節は尾山の頂を白く染めていた雪がとけだし、養分を多く含んだ栄養満点な雪解け水が、川を透き通らせて九洲の隅々にまで行き届きはじめる。大地は肥沃になり、春の訪れを感じ取った百姓たちが、農作業の段取りを始める。
短い冬の終りを春告のそよ風がささやいている。
この月、産後の療養についていた藤那が、はじめて耶牟原城へとのぼってきた。九峪や火魅子の元へ復帰の挨拶のため上ったのだ。
母体に優しいゆったりとした衣服から一変して、法衣に軽装具足を見につけ、さらにその上から薄藤葵染めの外套を羽織り、後頭部に結わった髪には金櫛を一差ししている。外套には大きく藤那の紋章である『丸藤紋』が威風堂々となびいている。
普段ならば藤那の付き人としてついてくるのは、閑谷か孔菜代であることが多い。だが二人はいま戦場に出ており、代わりに留守居役の彩菜が随行している。あとは家臣三十人ばかりか。
「お待たせいたしました」
九峪たちを前にして、いきなり藤那がそんな言葉を口にした。
武将として自信に満ち々々た一言である。誰もが自分の実力を必要としていると、まさに信じて疑わない。過信、自惚れのようであるが、違わぬ能力を併せ持っていることもまた確かだ。
藤那の長所であり欠点であるだろう。将はつねに自信を溢れさせていなくてはならないが、藤那の場合、それがやや過ぎるところがある。それによる失敗も過去にはあった。
傲岸不遜の極みだが、溌剌とした様子に九峪らも苦笑するばかりだ。不敵な笑みを藤那は崩さない。
「体調はよさそうだな。安心したぜ」
こけた頬もいまは肉付きがよいし血色も悪くない。出産の疲労はどこにも見て取れない。それどころか、疾風迅雷いくさ場へと駆け出したい気持ちが、抑えきれないかのようである。癒しの床で耳に入る戦報に随分とやきもきしていたようだ。
下知がくだれば、泗国だろうが北九洲だろうが駆けつけるだろう。いやさ長戸や栖防への進撃を試みるかもしれない。それだけの勢いが藤那の全身から迸っている。
戦いたいものを遊ばせる理由もない。藤那にもそんなつもりは毛頭なく、すぐにでも出陣できる用意がある。
「天目へ槍を突ける日が待ち遠しく思えます。下知をいただければ、神速をもって泗国へまいります」
藤那の瞳がおそろしいまでに煌いている。らしくないほど浮ついた話し方だ。気が逸りすぎている。
「藤那様、そのご出陣の話なのですが・・・・・・」
亜衣が視線を九峪へ向け、また藤那へと戻す。
「いま現在、火後の戦力はいかほどなのでしょうか」
「騎兵八十、歩兵一千二百。武器・兵糧は問題ない。船もすでに用意してある」
「一千二百ですか・・・・・・」
「動員するか? 二千までは膨らむはずだ」
亜衣に向けて藤那は尋ねた。九洲ではとくに、火後と薩摩の兵農分離が顕著に進んでいる。兵員には多少の融通を利かすことが出来る。
「いいや、それで十分だよ」
九峪が合いの手を入れる。
「その一千二百に、衣緒の部隊をつけよう。それで一千七百だ。あとは中魔城の音羽を交代させて下がらせる。これで二千余りとなるはずだ」
「衣緒と音羽を藤那様の旗下におく、ということですね」
このとき、衣緒は宗像を拠点にし、音羽も中魔城を拠点に戦っている。これを下がらせるということは、北九洲の戦線にはいささかの重荷になることが予想された。
ちなみ中魔城は、先の乱で蔚海方の武将が入り、重然によって攻略された際川の中洲に築かれた城である。現在は音羽の指揮下にある。
衣緒と音羽が旗下に入るときいた藤那は内心で拳を握りこんだ。屈強の者である二人を旗下に入れるということは、それだけ戦いやすくなるということであるし、武将としても十二分に認められていることの証でもあった。
藤那へ下された命令は、藤那の予想を外すものだった。豊後の戦力の大半は泗国へ出兵しているのだから、その大元締めとも呼べる自分も瞬時に駆けつけて、これを指揮するものだとばかり思っていた。
藤那にはまったく別の下知がくだされたのだった。
「火前の灘を外回りに迂回して、そのまま壱岐を攻撃してほしい」
九峪の言葉を藤那は意外そうに聞きとめた。そして合点がいった。
九洲方の不審な動性に感づいた天目が那津城攻撃のために準備した拠点が壱岐である。その背後には對馬が控え、これを効率的に運用することで九洲西部へと側面攻撃することが可能となっている。
天目軍は四千の大軍で那の津を即時攻略し、舟運の利権を耶麻台共和国から強奪している。予想以上に強い構成を前にして寄せ集めの那津水軍は早くも瓦解寸前にまで追い込まれていた。敵は領域を徐々に南へと進め、那津城を射程圏内へと収めつつあるほどの勢いを見せているのだ。
凄まじいのは、敵が調略や懐柔と言った手段を殆ど用いず、武力で快進撃を続けているところにある。司令官は真那満の部下であるらしいのだが、名前以下の詳細な情報は今のところなく、しかし戦闘力は真那満に勝るとも劣らない。
いや、ここまで痛快に攻められてしまうと、戦闘力というより破壊力と呼んだほうがしっくりきてしまう。
那津城を抑えられてしまうと、敵はそのまま耶牟原城へと弓矢を向けかねない危険性があり、ここは何としても死守せねばならない。このうえ増援を送られては敵わない。
そこで九峪は、壱岐への直接攻撃を決意したのだった。背後の拠点を落とすことで、敵の補給戦を寸断してしまい、敵部隊の孤立ができれば、あとは煮るなり焼くなり好きなように出来る。
——なかなか戦い甲斐があるではないか。
戦意がこみ上げてくるのがわかった。本音を言えば、いま那津平野(福岡平野)のあたりで暴れている敵将と一戦に及んでみたいところだが、その闘志を推し通してまで指令に逆らうつもりはない。
藤那は下知に従い、耶牟原城をあとにし火後片野城へと帰城するや、諸将に軍令を出し四月十日に横島湊を出航し島原半島などを経由して児神島へと至ったのが十五日の日暮れ頃だ。
児神島から壱岐までもはや島は存在しない。ここから直接攻め込む算段が藤那の作戦である。一泊した藤那軍は、昼間に島中の薪を集め、芝を刈り取り、船に積み込んだ。昼間のうちに腹いっぱいに飯を喰らい、わずかな火だけを灯して夜を待った。
「風はちょうどよさそうだな。夜襲をしたいが、出航できるな」
軍議で藤那は水軍の棟梁格に確認をとった。海のことに関して藤那はずぶの素人である。上陸するまでは水軍頭の意見を尊重する方針を定めていた。
水軍頭は暗闇の空をじっと見つめている。諸将は固唾を呑んで頭をみつめる。身分は低い男だが、この作戦の是非を握っているだけに、誰も邪険にあつかわない。
さほど時間をかけずに頭は顔を藤那へむけると、大きく頷いた。この男は生来無口であるらしいが、その代わりつねに身振り手振りで意思表示をすることが多く、またその動作も気分が大きければ大きいほど大げさなものとなるらしい。
水軍頭も絶好の渡海状況と判断したということだ。風は程よく吹いている。冬と春の境目のこの時期、荒れ模様から徐々に落ち着いた風は帆船を進ませるのにうってつけであった。
よしと藤那は立ち上がり、ただちに下知する。
船団はしずかに漆黒の海に躍り出た。敵方に察知されないように火は焚かず、かわりに定期的に松明を振らせた。それで逸れないようにした。
さいわい、壱岐との距離差は大したものではなく、四半刻の風に揺られれば、壱岐城の篝火がぽつぽつと目視できるようになる。あとはその灯りを目印に進むだけである。
——火が多いところは、港です。
と海人の者から助言されているので、藤那軍はとくに光る場所を目指した。
と、そのとき、にわかに雨が降り出した。すると急激に波が荒れだし、風は唸り声を上げ、一瞬にして時化た。
「な、なんだ! どうした!」
突然のことに藤那は叫んだ。近くの柱にしがみ付く。樽をひっくり返したようなざぁざぁ振りであった。
——春の嵐
と、この近辺を縄張りにしている漁師は、この時期に急変して牙をむく悪天候をこう呼んでいた。季節の節目で不安定になっているために起こる現象が、運悪く藤那の作戦に直撃してしまったのだ。
急な雨に視界は遮られ、目印の松明も灯りを消してしまっている。完全に海の上で右も左もわからなくなってしまった。
家臣がひとり、波に踊らされながら駆け寄ってきた。
「ふ、藤那様、これはとても戦いどころではありませんッ! このままでは船同士がぶつかっッ——」
ぐらっと大きく船体が傾いだ。
「くッ——くそ、ォ!」
咄嗟に藤那は腕に力をこめて身体を支えたが、家臣は断末魔のような声を上げて海に放り出されてしまった。海の藻屑となった。
あっという間に全身を濡れ鼠にしながら、どうしようもないほどの暴風雨に藤那は悔しげに歯軋りする。あと少し先に敵がいるのだ。敵が見えているのに攻めれない状況が藤那は大嫌いだった。
だがこの状況でどうすれば・・・・・・。
天に見放されたか、と諦観に取り付かれかけたとき、藤那の足元にかすかに火をのこした松明が転がってきた。
連絡用に用いていた松明である。炎はちろちろと燃え——やがて雨によって消失した。
「あたかもこの残り火か・・・・・・。この燃え盛っていた松明を敵陣に放り投げることも出来ずに、それどころかかき消して、引き下がらねばならないのかッ!」
そんなことをしては、藤那の名は地に落ちてしまう。必死になって取り戻した信頼も失う。
キッと空を睨みつける。顔面を雨が打ちつけるのも、この憤りを前には豆鉄砲でしかなかった。
「敵は目の前にいるんだぞッ!」
藤那の咆哮がしぼみかけていた闘志を再び燃え盛らせた。戦意を失いかけている船員に向かって、藤那は嵐に負けないほどの大声を上げて呼びかけた。
「藁と薪と油をもってこい——いますぐだッ!」
だが恐慌に足がすくんでいる兵士たちは簡単に動けない。無理もないだろう。
藤那はもう一度叫ぶが、役に立たないと思うや舌打ちし、自ら踊り狂う船上を這うように、ときには飛ぶように移動して船内をめざした。藤那らしくない、大将らしくない、まるで小間使いのような姿であったが、そんなことを気にもかけないほどにこの苦境を乗り越えねばならないという使命感だけが、藤那を突き動かす原動力になっていた。
危うく海に投げ出されそうになりながら、ようやくの思いで船内に飛び込むと、梯子を転がり落ちるように降りていき、壁伝いに倉庫へと進む。倉庫には児神島で積んだ燃料のほかに、予め詰め込んだ藁なども満載されている。
藤那は手近な箱の中身をあけると、そこに藁を敷き詰め、油をぶっかけた。さらに藁を一束つかみ、甲板へと取って返す。
外の様子はさほどの変化も見せず、亜衣も変わらず荒れ狂っている。船ももう何席か沈んでいても何らおかしくないだろう。
「ふざけるなよォ・・・・・・この藤那の行く手を遮りたいならば、魔人の十匹でもつれてくるんだなァッ!!」
船の中心までくると、腰の剣を抜き甲板に突き刺した。衣服の帯をほどいて自分の身体を剣にがっちり縛り付けて、両足で踏ん張る。たとえ何があっても屈しない決意、船が転覆したら運命を共にするほどの覚悟で、藤那は再度剣を地面に押し込んだ。
油を十分に染み込ませた藁へ方術の火を散らせ、瞬く間に炎が燃え上がった。下手を打てば衣服に引火するかもしれないほど、炎と藤那は近い。だがそれでも、それすら構わず、抱えてきた藁束を炎へと叩き付けた。
「あつまれー! あつまれー!」
炎に映し出された藤那の姿に勇気を得たのか、あるいは藤那が燃えていると勘違いしたのか、兵士たちがわらわらと集まってきた。互いに飛ばされないように手を繋ぎ、藤那と炎の周囲を囲んだ。
藤那はもういちど、兵士たちに燃料をもってくるように命じる。すると、ここでようやく兵士たちは行動を起こした。大将である藤那が自ら進んで行ったことで、恐怖から脱することができたからだ。
次々に船のそこら中から火の手が上がり、まるで船そのものから出火して火事になっているかのようだった。だが吹き上がる火柱は他の船からも確認できるほどであった。
その炎のなかで、藤那はもっとも危険な物見塔に兵士を登らせ、そこで旗を大きく振らせた。
船は荒波の中でも進んだ。藤那が進ませた。揉みに揉まれる船団の中で、藤那の旗艦だけが確実に壱岐へ向けて漕ぎ出した。
「進め! この雨ならば敵も遠くからは気づけまい! あわやこの火柱に気づいたとしても、その時すでに遅しッ! いまが奇襲を成功させる絶好の機会だッ!! 一兵でも多く敵中に殴りこめ、松明を放り投げ火矢を放ち陣を壊乱させろッ!」
燃える船が一隻突出する。すると七難八苦していた船たちも統率を取り戻し、藤那の旗艦を導として必死に嵐の中をすすんだ。
繰り返し前進を下知し、喉を裂けそうなほどに痛めつけてもなお、藤那は剣を支えに立ち続けた。
——ふと、風の勢いが弱まった。
「藤那様、嵐の谷間でさぁッ!」
無口な水軍頭の声がきこえた。すぐ隣に頭の船があるようだった。このまま行けという意味で、叫んだのだろう。
——天の時を得た!
ここが正念場だと、藤那がさらにがらがらに荒れた声を張り上げた。
緩んだ波を押しのけ、藤那軍はとうとう雨のむこうに輝く壱岐の港を視界に収めた。この視界不良でようやく見えたということは——すでに相当の距離にまで近づいているということだ。
ここまでくれば敵も気づいているはずだ。だが突風に隊伍は乱れ、陣も解れているはずである。満身創痍はお互い様だ。ならば後は士気と戦術が勝敗を分けるだけだ。
藤那の旗艦もいずれ燃え崩れる。このまま船ごと突っ込ませることにした。
「戦闘用意だッ!」
兵士たちが槍を構える。
船が敵の軍船に突っ込む。激しく揺れ、悲鳴があがった。だが殆どは敵兵の悲鳴である。覚悟をきめた藤具兵は動揺することなく、互いに身体を寄せ合って、互いを支えあい、互いを守った。
わぁっと兵士らが駆け出す。雨の中で藤那も身体を縛る帯をほどき、濡れて重くなった外套を引きずって戦場に出た。側近がすぐに藤那の周囲を固める。
奇襲は成功した。対応の遅れた壱岐湊の駐留部隊は突然の攻撃にもろく、すぐに崩れだした。乱戦の最中に敵は隊を乱して逃げ出し、多くが壱岐城へと逃亡した。討ち取った功名首は八人にのぼった。
渡海の経験がある音羽や海人出身の衣緒なども大いに活躍し、むしろ彼女たちのおかげもあって、この勝利を得ることが出来た。夜明けとともに湊の姿が露になると、そこには藤那の軍勢しかいなかった。
藤那は勝鬨を上げさせる。兵力を失った壱岐城は翌日に周囲を包囲され、藤那の勧告に屈し、降伏した。こうして藤那は危なげながらに奇襲作戦を用いて、壱岐を即日に陥落させた。