——那津城陥落から数ヶ月の時間が流れ、元星十年の尾山はまた新雪のころを迎えていた。麓のにぎやかさを凛然と見下ろすように、今年も尾山はかわらぬ雪化粧で飾っている。
早朝の湯浴みで暖めた体を冷まさぬようにと肩から一重衣をかけ、かるく前帯を結ぶ。中央でわけられた前髪は髪留めで整えるのが最近の亜衣のこだわりだ。襟に入り込んでいる後ろ髪を、やさしく引き上げる。数ヶ月前から伸ばし始めた後ろ髪も、いまでは首の裏をすっかり隠してしまうほどに伸びている。
いくら部屋に暖をとっていても、指先が寒さにかじかんでくる。今年の冬は奇妙なくらいに冷え込む日が多い。遠眼鏡のふちのひんやりとした感触に、亜衣はぶるりと身震いした。
「ここは本当に九洲なのか・・・・・・」
気鬱な表情で亜衣の口からはため息がこぼれる。むかし、麓にまで雪が降ったことはあるけれど、ここまで寒くはならなかった。空気だけがひたすら冷やされていく。
装飾品の収められた小箱のふたを開け、藤弦のひもを通した紅玉と黒曜であしらった勾玉の首飾りを取り出すと、慣れた手つきで首にかけた。この首飾りは紐の両端をフックで留める仕組みになっており、慣れれば結ぶよりもずっと手軽で素早く身支度できる工夫がなされたものだ。余談だが九峪の考案によるものである。もとは九峪が自らの装身具用として衣緒に作らせたのがその始まりとされている。
化粧のしめは唇に薄紅をひいて終わる。よく磨かれた銅鏡に、いつもと変わらない自分の顔が映っている。亜衣は、二度だけ瞬きをする。衣緒や羽江のぱっちり開かれた丸い瞳とは似ても似つかない、細く切れ長な眉とまぶたが鋭利な印象を引き出している。
亜衣とて女だ。野良犬のような生活を送った時期もあったが、身だしなみには気を遣うほうだ。階級者として下々にみっともない姿を見せられないという事情と、綺麗に美しくありたいと願う欲求からきている。そして亜衣は客観的に自分を見つめても、決して悪くはないとさえ自負していた。
しかし、どうしても目だけは損をしていると思ってしまう。柔和な女性が好まれやすいためだろうが、亜衣は異性からそういう目で見られたことがまったくない。美人ではあるものの女性的な魅力に欠けているのが原因だった。いくら顔が整っているといっても眼光するどく、そのうえ胸も小さいとなれば、なかなか男はより伝は来なかった。
おそらく唯一、九峪だけが亜衣の魅力に惹かれた男であるだろう。その意味で九峪の感性も当時の人々とは異なっている。
そして亜衣自身も長いこと男性に興味を抱いてこなかった。だから恋愛感情などというものも、成長することがなく、九峪が初恋の男といっても間違いにはならない。
亜衣にとっての九峪とは、最初にして最後になるだろう、ただ一人の男性なのだった。
ため息をひとつつき、亜衣が腰を上げた。壁にかけられた防寒用の外套を羽織、温もった部屋の戸をあけた。
今日も亜衣にはたくさんの仕事がある。第一に民衆の不満を最小限に抑えるための政治が、亜衣の双肩にゆだねられた使命である。
それを疎かにするつもりはない。やらねばならないことだ。
だが亜衣はここ最近になって、妙に昔を懐かしむようになっていた。それはかつて、まだ小所帯の集団でしかなかった時代を、九峪とともに駆けていた過去の若かった自分を、三十路を越えたいまの自分が遠く眺めている、郷愁にも似た感覚である。
「——あ、宰相様」
ふいに声をかけられる。亜衣は現実を見た。若い巫女が三人、通路の向こうから歩いてくるのが見える。
亜衣の護衛役である。巫女装束を着込んでいるが、内二人は戦士である。
「出仕の時間が近づいてまいりましたので、お迎えに・・・・・・」
「わかっている。——いくぞ」
亜衣はいうなり身を進める。後ろから巫女たちも追ってくる。
——そういえば、昔は護衛なんてものをつけることもなかったな。
耶牟原宮殿へ向かう道すがら、亜衣の脳裏はまたぼんやりと、過去への旅路に出るのであった。
北九洲も冬を迎えると、幾分だが静かな日を送れるようになってきた。もちろん、雪らしい雪の降ることがない九洲で、降雪のために進軍ができないなどという事態が起きることはない。ただ単純に、両軍ともに攻め手の好機を伺いあっているだけに過ぎず、さらに言い換えれば、お互いに攻め手の好機を見出せないまま数ヶ月もの間対陣していることになるのだ。
おこる戦いといえば小競り合いの域を出ることもない。だが九洲勢のほうは冬の間に決戦したかった。季節は冬である。海を隔てた出面軍がこの場合不利となる。
それになりより、破駄瘰砦を抑えている間は、敵とてどうすることも出来ない。破駄瘰砦をこちらが握っているかぎり那津城もまた身動きの取れない要塞であるからだ。
「深入りしすぎた結果」
と遠州は考えていた。敵の兵站が伸びかけているいま、遠州としてもここはなんとかして、那津城攻略を急ぎたいところである。
ところが事態は、遠州の期待を簡単に裏切る方向へと転がってくれた。年明けももう間近に迫りつつある十一月二十九日のことだが、真那満の電撃的な攻撃によってまたもや破駄瘰砦は奪い返される事態となった。しょせん急造の砦である。戦いが起こるたびに防御能力が低下することは当然のことである。
すぐに遠州は衣緒に三千の兵をつけて破駄瘰砦を攻めさせたが、野戦で痛み分けに終わり、さらに砦の修築によって攻略自体が難しくなってしまった。真那満は周辺にも小砦を短期間の間に多数築かせ、十二月が近づいたころには、衣緒から奪った宗像城、破駄瘰砦、那津城へとつづく道も整備された。
「やつら・・・・・・いよいよ仕掛けてくるつもりか」
軍議で敵の情報をまとめる最中、地図に視線を落としたままの姿で藤那が言い放った。言った後に酒の注がれた杯を傾けている。
すでに、度重なる戦闘や過剰なまでの兵員移動などによって崩れていた街道も整えられ、これで真那満は大軍を那津城へと向かわせることが出来るようになった。無論向かわせる兵力は、耶牟原上攻撃のためのものであることは言うに及ばない。
耶牟原城の陥落、そして火魅子や九峪、亜衣を殺害できれば、この時点で耶麻台共和国滅亡は決定的となる。よしんば火魅子らが無事に逃げおおせたとしても、王都陥落が将士・民草にあたえる失望や絶望は想像力をどれだけ働かせても到底追いつけるものではないし、いくら九峪でもそこから簡単に捲土重来とはいかない。
いや、不可能だ。それだけの決定的打撃を与えるために、真那満は着々と準備を進めている。
「敵の準備が万端整ってしまう前に、那津城を早急に攻略したほうがよろしいのでは?」
朱柄の鎧を身に着けた写楽が、諸将に向けて進言する。
「もはや敵の出鼻をくじく以外に、術はないと思いますが」
「だが城攻めには相応の兵力を投入せねばならないのだぞ。奴らの戦力は、少なく見積もっても五千、六千はくだらないと言うしな」
もっともらしく藤那が反論する。敵の出鼻をくじくのもたしかに重要だろうが、そもそも城攻めとして成立させるだけの戦力を傾けられるかが問題である。
「我らが投入できる戦力は、大きく見積もっても一万そこそこ・・・・・・。とても城攻めなどは出来かねます」
「返り討ちにあってお終いだな」
ふんっと藤那は鼻で笑い、不味いものを押し流すように酒をあおった。不謹慎な藤那の態度だが、誰も文句は言わない。格が違うと言うのもあるが、そんなことにいちいち目くじらを立てていられるほどの心理的余裕もなかった。
乃小野は調略をまったく寄せ付けない剛直者。司令官の真那満も靡くくらいならば死を賜ると叫びかねないほど、天目に入信している。そもそも彼女たちは海を越えて攻めてきた侵略者だから、靡いたところで得のない人間ばかりだ。政治的な接触点が皆無である以上、戦って幸先の扉を開くしか方法はない。
「城攻めが無理ならば、野戦に持ち込むしかあるまい。人数では我らのほうが優っているんだ」
豪胆に言い放つと、藤那は地図上の駒をすすっと動かす。
「部隊を三手にわけて、鶴翼の陣形で敵を包囲する。前衛に弓を配し、二手に槍を備え、中央の三番手は私の騎兵隊が受け持つ。あとは雑兵どもが一気に襲い掛かれば、二刻か三刻ほどで撃滅できるはずだ」
「野戦、でございますか・・・・・・」
遠州の家臣のひとりが、渋い声をもらす。あまり乗り気ではなさそうな声音に、藤那がキッと瞳を細める。藤那には、この武将の弱気が手に取るように察することができた。
弱気になっている人間は、何もこの家臣だけではない。半数以上の武将は、藤那の野戦と言う言葉を聴いただけで及び腰になっている。写楽ですら難しげな表情を浮かべているほどだ。
なんと情けない様だ・・・・・・ッ!
憤りすら藤那の感情には芽生えた。これが、いまの藤那とともにくつわを並べる連中であり、藤那が良し悪しもなく頼りとせねばならない輩なのだ。
「なんだ、そんなに乃小野とかいう小娘が怖いのか?」
語気も荒々しく藤那は声大きく言い放った。周囲を睨めつける瞳には、侮蔑の色すら薄くにじんでいる。
武将らは乃小野の武威に恐れ戦いている。とくに写楽は、乃小野との遭遇戦でこてんぱんに打ちのめされているだけに、無理だとわかっていながら城攻めを訴えて出たのだ。
彼らには野戦で乃小野に挑んでも、到底勝てる気がしていないのだろう。たしかに恐怖を植えつけてくれるほど、呆れるほどに乃小野は強い。
だが藤那に言わせれば、それはただ強いだけでしかない、ということになるのだ。恐ろしくはないのだ。
人の上に立つ者としての実力が一同の中で抜きん出ている藤那の感ずるところに言わせると、九峪や天目、亜衣などのほうがよっぽど強いし恐ろしい。もちろん藤那とて負けているつもりはないにしろ、いや近しい高みにいるからこそ彼らの実力を恐ろしいと思え、自分たちにおよばない乃小野程度に畏怖することなどないのだ。
そういった意味では、九洲で最強の武将と誉れ高い紅玉にすら、恐怖感を抱いたこともなかった。紅玉の素質も、本質的には自分たちとは別物であるからだろう。もっとも恐怖感を感じないからと言って、紅玉ほど武の達人になると絶対に敵にしたいとも思わないが。
弱腰の諸将から視線をはずし、藤那の顔は遠州へと向けられる。この軍議の席に、人物と呼べるものは自分を除けば遠州しかいない。そう藤那は考えている。
これでもし遠州までもが、その細面に恐怖をわずかでも浮かべているのなら・・・・・・出来るならばとりたくない手段を講じるしかなくなる。
——私を失望させてくれるなよ。
そう念じる藤那の瞳に遠州の姿は、武勇轟かせた白勇公の異名を裏切らない、凛然とした佇まいだった。安心した藤那は薄く微笑む。
恐れを感じていない武将は、他に音羽がいる。衣緒はこの軍議の席にはいない。耶牟原城と那津城を結んでいる街道を封鎖しているためだ。
だが、いくら自分や遠州が戦意をたぎらせようとも、各部署の武将らが士気を上げないかぎり、勝てる戦いも取りこぼしかねない。士気の優劣はときに戦術をも凌駕してしまう。それだけが藤那を恐れさせている。
どうにかして闘志を燃やさねば・・・・・・そう藤那が考え込んでいるとき、どこからか、ある一言が吹き上がった。
——九峪様にご足労を賜るのは、いかがでしょうか。
小さな一言だ。おそらく誰ぞの家臣が、主人に耳打ちでもしたのだろう。
運悪く、それを藤那の耳が拾い上げてしまった。酒が一気に全身を回ったときと同じ感覚がした。激情を抑えられずに、火山の噴火の如く藤那は立ち上がると、喉の持ちえる能力の限りに叫び声を上げていた。
「誰だッ! 誰がいま九峪様のお名前を口にしたッ!!」
虎の咆哮を思わせるほど剥き出しの激しさが、口角を押し広げて軍議の席の騒音をまたたくまにかき消した。一切の音が消えた中、肩を怒らせる藤那がひとり立っている。
額に青筋さえ浮かべ、鬼気迫る藤那の様子に武将らは言葉を失った。ただ先ほどまで埒もない議論ばかりを繰り返していた半数以上の顔が、一様に自分を見上げている。
その面の間抜けさが、ことに藤那の逆鱗を逆撫でした。
「九峪様にお越しいただくなど・・・・・・よくも恥知らずなことを言える! 小娘一人に怯えて戦えませんなんて御前で言うつもりか。貴様は己の無能を奏上申すべく呼び出すのかッ!!」
まくし立てると、それでも怒りの収まらない藤那は、ついに酒盃さえも地面に叩きつけて粉々にしてしまった。
藤那の怒りは膨れ上がるばかりだ。何より許せないのが、彼らの中にいるはずの復興軍時代からの古参までもが、弱弱しい気概しか見せてこないことだった。
「それでも歴戦の勇士といえるのか。九峪様の下で戦ってきたことへの誇りはないのかッ。——信頼されて我らにこの戦場を任された九峪様に、申し訳ないとは思えんのかァッ!!」
言葉は雷鳴となって諸将の頭上を打ち抜いてゆく。この場の誰もが、これほどまでに激昂した藤那を見たことがない。それだけに衝撃的過ぎる光景であった。
このような場合になると必ず閑谷が割ってはいるものだが、今回はその抑止力が傍にいないことも災いしてしまっている。
だが、こうまで厳しい言葉を浴びせかけられると、中にはさすがに戦士としての自尊心を傷つけられるものもいる。
無謀にも、一人の男が顔を赤くして叫んだ。
「そういう貴公とて、かつては九峪様に弓引いた謀反人ではござらぬかッ!」
末席から飛んできた暴言に諸将が過剰に反応する。藤那に向けられていた視線が反抗的な色合いを帯びていく。
「己がしたことを棚に上げて、それこそよく言えたものでござろう」
核心を突いた一言に、さすがの藤那もくっと言葉を詰まらせた。謀反の話は藤那の急所である。これを引き合いに出されてしまうと藤那は弱ってしまうのだ。
だが、ここで引き下がるような人間でもないのが、藤那の藤那らしさというものだ。藤那は下腹に力を込めた。ここで勢いを失っては、兵を動かすことなどできない。
「だからこそだ。私に恩赦をあたえてくだされた九峪様に、無様な姿をさらすわけにはいかん。たとえ敵が百万の大軍を持って攻めかかってこようとも、私は意地を見せるぞ。不退転の意地だ。謀反人と罵られてきた私がここまで言っているんだ。貴様らはどうするつもりだ?」
反論の余地さえあたえない勢いで一気にまくし立てる。言葉の一言一句、その隅々端々にまでも気合がみなぎり、聞き手の武将たちをこれでもかと圧倒した。ひりひりと焼けたのどを酒で冷まし、潤わせ、それでも藤那の瞳の奥をぎらつかせる凄みは衰えない。衰えるどころかますます燃え盛る濠火のようでさえあった。
今この場で、藤那を蛇とたとえるならば、睨まれた蛙のように武将らは縮こまった。とくに乃小野に恐れを抱いていた武将らなどは、その恐怖心さえ忘れてしまいそうなほどだ。
藤那は態度の緩めることなく、なお侮蔑的な言葉を続ける。
「逃げたければ逃げればいい。だが、兵と武具と兵糧だけは置いていってもらおうか。・・・・・・お前たちには必要あるまい」
最後にそう言いきり、藤那の唇から吐息がこぼれた。胎のものをすべて吐き出したような、ささやかな爽快感が藤那のはらわたを通り抜けていく。しかしすっきりとした表情とは麗原に、不釣合いなまでに鋭くとがった瞳はいまだ凄んでいる。
本音ばかりを言い連ねたから、もうこれ以上、藤那に言葉はなくなっていた。これで奮起しないのであれば、この軍団は烏合の衆以外の何にもなれない。そんな輩と轡を並べる気になどどうしてもなれない。
それならばいっそいなくなってくれればいい。寧ろ軽くなったほうがより動きやすいというものだ。有機的で微細な戦術行動は取りづらくなるだろうが、ずっとマシというものだ。
藤那はぐるりを見回す。呆気にとられた表情の中に、藤那への敵愾心をちらりとのぞかせている者が、唇を浅く噛んでいるのに気づいた。ふんっと藤那が鼻で笑うと、よけい悔しそうにしている。
「——藤那様、気は済みましたか?」
満足したようすの藤那に、遠州が静かに問いかけた。藤那は視線だけでうなづく。遠州に言葉は要らないと思っている。
藤那が椅子に腰を下ろすのを確認すると、遠州はかるく咳払いをし、ふたたび軍議の軌道を修正する。
「皆さんにも各々の意見や思案があるとは思いますが、いまは内輪で揉めている場合ではないということを、あらためて皆さんには確認していただきたいと思います。敵が手強いということなど、嫌というほどにわかっていることではありませんか。ですが我々は戦わねばならないのです」
よく通る声は淀みなく、言葉もしごく丁寧である。荒れていた場の空気も、遠州が語りだすとしぜん、落ち着きを取り戻す。温和な人柄の遠州のもちえる人徳の業だ。ただ、これで武将らの気が萎えるというわけではない。落ち着かせることと萎えさせることは、似て非なるものである。
遠州はいまいちど戦う指針を明確に言い表すことで、武将らを纏め上げようとした。藤那によって奮い立たせられた気概が、遠州にはこの上ない武器になる予感があった。
——藤那様には、損な役回りをさせてしまった。
切々と説く心のなかで遠州は藤那にふかく陳謝する。それと同時に感謝もしていた。武将に反論されたとき、ただ激昂しただけならば、諸将の和は乱れるだけであっただろう。藤那が激情にまかされるだけでなく、ちゃんとした理性でもって必死に感情を操作し、武将らを挑発してくれなければ、遠州とてこうも上手く事態を収めることなど出来なかったに違いない。
ましてや藤那の性格ならば、ある意味で自虐的な自らの発言を、内心でどう思い感じているかなど容易に想像できるし、またそのことに対しても遠州は必ずみなを纏め上げなくてはという使命感を感じずに入られない。
おそらく軍議の席にある武将の半数は、いまだ藤那のことを信用していないと思われる。藤那自身も自信家なだけあって堂々とした発言を省みることなく、それが九峪の後に取って代わる意思があるのではと、周囲に誤解させる要因にもなっていた。
藤那の傲岸不遜のきわみともとれる言動は、もはやそれが藤那を藤那たらしめる性格から生まれるものなので矯正の仕様もない。それに藤那の高い統率力を演出するためには、多少言動も過激にならざるを得ない面もある。
それに遠州が考えるところだと、一度は背きながら恩赦をあたえてくれた九峪に、藤那も彼女なりの気持ちで応えようとしている。だから藤那がふたたび九峪に弓を向けることはないと確信もしていた。
そういった部分でも遠州は藤那を信頼することができるのだ。
武将らの面目もたてつつ、今後の方針として、遠州自身も野戦に臨むべきだという意見を提示する。言い分は藤那と同様のものだ。やはり城攻めよりは、野戦に持ち込んだほうが勝機は高くなるはずだと思っている。
一部の武将はそれでも否定的な意見を言い募っていたが、先ほどまで藤那に敵愾心をむけていた輩も、一転して主戦論をたたき出してきた。戦士としての矜持が乃小野へ対する畏怖を凌駕していた。
雰囲気が一定方向を向いたなら、あとは作戦の立案という重大な作業工程が断崖のように目の前を遮ってくる。乃小野の凄まじいまでの采配を向こうにして、どのような陣形、駆け引きを行うべきか。
この点で藤那の右に出る者はいないといっていい。伊雅や紅玉でもこと純粋な野戦では藤那ほど煌びやかには戦えない。藤那の野戦戦術には一種の華があると、かつて九峪に評されたほどのものだ。
しかし、である。いくら藤那が野戦に関しては秀でて優秀であるとしても、事実として乃小野も遅れをとっているわけではない。真正面からぶつかれば、相当の犠牲者が出るだろうことを覚悟しなくてはならない。
だが逆にこの一戦で勝利をつかんだら、形成を定める主導権——時勢の流れ——を掴んだも同然とすることもできる。それだけに真那満も満々たる決意をたぎらせて挑んでくることは確実であろう。
兵馬の駆け引きだけでは駄目だ。敵の意表をつける、絡めての策が必要となる。
あらためて藤那は、いつも傍らにいて補佐をしてくれた閑谷の存在を思わずにはいられなかった。
耶牟原城攻めを目的として真那満が兵力を那津城に集約しているといっても、それですぐに戦いを起こせるわけではない。戦う直前へと時がいたるまでは、互いにとっては必争点の奪い合いという、水面下における攻防が繰り広げられる。必争点とは、たとえば予定戦場において自軍がもっとも有利にことを進められる地点の確保や、逆に敵にとって有利と思われる場所を先に占領してしまう、水の手の確保など多岐にわたる。そのためまず斥候や大物見を繰り出すのが常道である。
その間はちょっとした小康状態となる。
立場的に防衛的な要素をふくんでいる藤那たちには、これが猶予となる。敵部隊が那津城を打って出てくるまでが、作戦を練られる貴重な時間である。
藤那らはそれこそ連日のように顔をつき合わせては、野戦で敵を打ち破るための算段を話し合った。部署決めはもちろんだが、最大の焦点は、激戦となるだろう予想を俄かに崩せる一手を、どのようなものにするか、ということだ。
野戦で重要となるのが、何をおいても陣形である。この当時の陣形といえば諸々あり、まとまった体系というものがない。戦国時代では『武田八陣』と呼ばれるような三国志の英雄の諸葛亮が考案によるという『八陣』などを主流の戦術とされているか、孔明出生以前(すなわち三国鼎立以前の時代)には数多くの陣形があった。倭国で用いられることのある陣形とは、例外なければそれらの古い陣形が主流である。なぜならばまだ『孔明八陣』が倭国に伝わるまで、それなりの時代を待たねばならないからだ。
だが先ほども書いたように、例外なければという前置きを付属させなくてはならない。例外とは九峪のことをさす。
『武田八陣』ならぬ『九峪八陣』は、当節の用兵陣形と比較してもまさに画期的な陣形であると言えるだろう。ただ惜しむらくは、その陣形を持ち込んだ九峪が、その理論を完全に熟知しているわけではないということにあった。おかげで未完成状態の八陣は、各々の武将の手によって戦術理論を独自に解釈されるにいたり、原型とは必ずしも同型とは呼べなくなってしまった。
唯一の幸いであったのは、勤勉な紅玉がまだ大陸で生活していたころに、辛うじて八陣を習得していたことだ。紅玉の扱う八陣を正統とするならば、藤那らの使う八陣は自流ということになる。
だから、使うものにとってはまったくの役に立たないものとなり、しかしこれを効果的に運用できる指揮官は、絶大な戦果を上げた。
ちなみに、藤那や遠州は傍流派、紅玉や亜衣などは正統派の使い手とされている。どちらにしてもこの陣形のおかげで、九洲の兵は弱いながらに出面兵や狗根兵などとも渡り合ってこれたというのも過言にはならないはずだ。
勝敗を左右する要素のひとつに陣形を組み入れるならば、藤那でなくとも兵力で優るだろう自分たちが敵を包囲するよう、部隊を展開させたほうがいい。そのためには鶴翼の陣形がもっとも適しているという意見に否やの声はなかった。
那津城から耶牟原城へと向かうには、座間の道とよばれている街道を通らなくてはならない。西に脊振山、東に三郡山地の山々がそびえ、その両山に挟まれる形で座間の道はとおっている。ちょうど細長い窪地か平地といった具合の土地で、駒木馬を使うにも問題はない。
戦うならばこの座間の道しかない。防衛側にしたら、すでに衣緒が山々を押さえている状態から、座間の道で槍をつけたほうがいいに決まっている。
「敵の退路をふさぐためにも、ある程度引き付けておく方がよかろう。真那満とて馬鹿か阿呆の類ではないだろうし、かならず後詰や遊撃隊を残すはずだ。主戦力を壊滅させたいならば、まず、主戦力と後方部隊の連絡線を断つべきだ」
いうや藤那が地図上で、脊振山と三郡山に布陣された部隊を、敵主力の後方へ向けて下山させる。一本道であることを利用して、後方との連絡を断絶する作戦である。
「こうしておけば、敵主力を包囲殲滅できる。その後ならば、後方を攻めるもよし、逃げるならば追撃して勢いに乗じそのまま疾風のように駆け上り、怒涛となって押し入り、那津城を奪い返してしまえ。さすれば安心だ」
大きな胸をそらせて藤那が策を披露する。かぎりなく藤那らしい作戦だ。
「しかしそうなっては、主力と後詰に挟まれてしまうのではないですか? それならばいっそ、後詰を襲ったほうがよろしいと存ずるが」
「いえ、それでは主力部隊の何割かが救援に駆けつけてくる可能性があります。両山に兵を配するとなると、中央の部隊はちょうど敵主力と同数くらいになるでしょう。戦いは長引くはずです。救援に駆けつけて数が減ったとしても、そうやすやすと決着がつくかはわかりません。つまり——」
「戦いは泥沼化してしまうということだ。そう言いたいのだろう、遠州」
「はい。たしかに、我らにはまだ援軍の望みがあります。対して敵の戦力にはかぎりがある。だからといって犠牲を増やすことはありません。すべての兵が入り乱れる戦いよりは、多少つらかろうとも主力を撃滅することに全戦力を傾けるべきだと思います」
「そうだ。主力を失った連中ならばもはや恐れるほどのものではない。ついでに乃小野の首でもとってしまえば、お前たちも今後は戦いやすかろう」
冗談めかしていったが、本心半分といったところだ。乃小野などしょせんは真那満の配下で立ち働く将軍の一人でしかない。階級もそれほど高位にあるわけでなし、せいぜい衣緒と同等かそれ以下だ。
虎桃を相手にして殺されそうになった藤那には、「乃小野がどうした」という思いのほうがはるかに強く働くのだ。大和の戦いを思い出すたびに藤那は激しい殺意と悔しさに悶えてきた。だがそこで腐らず、雪辱に燃えたことが藤那と乃小野に怯える武将らの違いである。彼らは心のどこかで屈服しようとしている。
だから、九峪に指揮を執ってもらおうなどという、ふざけきった考えまでが飛び出るのだ。それが藤那には腹立たしく失意の種となっていた。
だが・・・・・・たしかに乃小野は強い。呆れるほどに強い。よく、戦う前に勝敗を決せよというが、今回ばかりは戦ってみないと結果はわからない。
偉そうにふんぞり返っている藤那も、はたしてこの作戦で勝てるかどうかは、確証がもてずにいる。だから藤那はあと一手をどうしても欲していた。
しかしそれが沸いてこない。相手の予想だにしない手などと贅沢は言わない。堅実でもいいから、確実に勝利できるための一手がほしかった。
——その願いは天に届いた。翌日、藤那らが相変わらず顔を付き合わせる軍議の場に、兵士がひとり駆け込んできたのだ。
「宰相様がお越しにございます」
どういうことか、藤那は知らない。ただわかることは、復興軍時代に九峪の軍師として活躍した亜衣が、座間の陣屋を訪ねてきたということだけであった。