古来より城攻めとは、城壁をはさんで攻防することを指した。城壁という存在が勝敗を決するうえで非常に重要で、攻め手は城壁を突破すること、守り手は城壁を決して越えさせないことが、それだけで勝ち負けの判断を下せるものだったからだ。
だから攻め手にしてみると、城壁を越えたという段階で相手方を全滅させるまでもなく、すでに勝利を収めているといっても過言ではなかった。
いま、外加奈の城の北山衆は、敗北した。戦闘行為はなお激しく続いているが、まず大勢にケリはついたと考えていいだろう。城壁を崩されてはもはや守りようもない。はじめから兵力でも劣っているのだから、仕方のないことではあるが。
城内突入を許した時点で北山衆の士気など、掃かれた木の葉が舞い散らかされるも同然となって、武将は統率を失い兵が四方へと砕かれていった。防衛の圧力は底を打ち、踏みとどまる者等も居はしなかった。
西側が崩れたと知った北側の戦線も、崩壊するのにさしたる手間もなかった。このとき尾戸はまだ志野たちが城壁を越えたことを知らない。しかし異変を感じ取れるほど、北山の慌てようは甚だ尋常なものではなかった。
何にしても好機である。時間もかけすぎた。九峪の身が案じられてならない。尾戸もまた全隊に総攻撃を指示した。
すると面白いように、尾戸の予想をはるかに上回るほどの脆さで、北側の守備隊は手応えを失っていた。当然だ。彼らの心ははやくも白旗を挙げていたのだから。動揺は動揺を呼び、助長させ、本来発揮できてであろう能力の半分ほども出せないまま、尾戸隊の容赦ない攻撃の前についぞ壊滅した。
唯一まともに戦線を維持していられたのが、海に展開した水軍であった。海戦は北山衆がもっとも得意とする分野だ。それに水軍は城壁を越えられたことなど、知る由もない。
だが天は、水軍にも情けをかけなかった。
原因は北山の切り札とも呼べる水軍を指揮していた武将にあった。その男は教来石に代わって北山水軍という組織そのものを任されたのだが、悲しいかな北山国のありし日からこちら、水軍の長とは将軍職のことでもあった。
男は将校ではあっても、将軍と呼べる階級にはなかった。だから大軍の指揮も執った事などなかった。教来石に取って代わった充実感だけが先走り、身の丈に遭わない役目を担わされた男には十杜臣の相手が務まりはしなかった。
よく戦った方だろう。だが中山水軍の相手ではなかった。形成はつねに圧され続けた戦いで、多くの戦死者を出してしまった。
最初から目に見えていた結果ではあったのだが——三方すべての戦線を破られた北山に、巻き返しの目はありえない。
地方都市の引き起こした歴史的な小反乱は、もうすぐ鎮圧されようとしていた。
政庁は大混乱に陥っている。正門などというものはとっくの昔に突破を許し、七十数人は二手に分かれて、一方が政庁宮殿の入り口、もう一方が宿舎の入り口を一所懸命に守り抜こうとしていた。
このときはまだ、政庁を攻めている北山衆の部隊も、あくまで九峪たち反乱者を召し捕るために戦っているようなものだ。集められた住民をどうこうしようとは思っていなかった。
九峪たち六十数人、北山ら二百十数人、そして音羽の四百十数人、それらが市街地のど真ん中で斬り合い圧し合いしている。
建物の中に居る住民たちには、外で九峪たちが何と戦っているのかは、よくわかっていない。人のものとも思えない凄惨な断末魔を聞くたび、子供たちは身を丸めて震えるしかなかった。大人でさえも、それは同じことだ。
槍を乗り回していた音羽は、とにかく九峪を探していた。間違いなく渦中には九峪が居るはずなのだ。おそらく清瑞も居るだろう。馬上で戦うことよりも、とにかく九峪だけでも見つけ出さねばならない。
しかし六百人そこらが手にした武器を振り回して、入り乱れては、見つけようにも簡単なことではない。
「音羽ですッ、音羽が参りましたッ! 九峪様、返事を——聞こえているならばお返事をッ!!」
しかし返って来る声はない。足下から突き上げてくる北山兵の煩わしさに、下馬した音羽が槍の刃とも柄とも関係なしに殴打し、ごった返しの戦場を一人さがすために駆けずり回った。
九峪と思わしき背丈の者が居れば顔を見て、歯向かうようなら切り捨てる。困ったことに、清瑞は『教来石の兵と九峪は行動をともにしている』と言っていた。しかし音羽には、教来石の兵も北山の兵も、みな同じ武装をしていて、見分けがまったくつかない。
九峪が言うには『反乱を起こした者だけを斬れ』とのことなので、よもや教来石の兵を斬ることは拙いだろう——という程度の判断は音羽の頭でもはじき出せる結論だ。
向かってくる者だけを斬って九峪を探す——。なかなか骨の折れる戦いだ。
音羽の呼ぶ声が戦場の騒音にかき消される。九峪の耳に届いてはいなかった。それでも味方が城壁を越えて救援に来てくれたということは、すぐに九峪にもわかった。戦場の様相が一変、混沌としだしたからだ。
九峪はすでに左腕と左わき腹に傷を負っていた。深くはないのだが、出血量がやや多い。顔面も薄黒く汚れている。
手にした七支剣だけが、輝きを失っていない。
味方も相当数が骸と化して地べたに転がっている。九峪は政庁宮殿を守っていて、九峪や清瑞たち乱波を含めても、わずか十数人しか生き残っていないようだった。
さすがにと言うべきか、清瑞の戦いぶりが際立っていた。九峪たちが斬り倒した北山兵のうち、二割ほどが清瑞一人の働きによっている。清瑞は徹底して九峪の側を離れず、ホタルもまた九峪の周囲で戦っていた。
彼女たちがいなければ、いとも容易く九峪の首は胴から離れていたに違いない。
「はぁ、はぁ・・・・・・ゆ、ゆるくなったな」
戦場の混乱が、九峪たちへかかってくる重圧を軽くしている。一方的にこちらへ向かってきていた北山軍が、注意を散漫にしているのがよくわかった。
「志野か、衣緒か、音羽か」
「九峪様ッ、今のうちに止血を!」
「いや、その暇も、なさそうだ——ッ」
飛び掛ってきた北山兵に刃を振るう。足を斬り付けた。すかさず清瑞が右腕を断ち切る。抵抗できなくなったところで首筋に蹴りをくらわして、頚椎を完全にへし折った。白目を剥いて泡を吹いた北山兵は地面に倒れ、魚のように痙攣を起こしている。
「くッ——! やつら混乱して、近くにいるものなら誰彼かまわずに斬ってくる!」
「ああ。味方同士で潰しあってくれるのが一番だけど、分別だってついてない! 今なら錯乱して住民だって殺しに来るぞッ! むしろここからだ、城壁の連中が無理心中するために、こっちにこないとも限らないんだからな!! そうなったら、こんなものじゃなくなる!」
九峪は、それらが現実に起こりうるという最悪な前例を、現代の世界で学習している。日本に生まれたものならば、老若男女を問わずして、『バンザイクリフ』や『ひめゆり学徒隊』の悲劇は知るところだ。『神風特攻隊』なども、追い詰められながらも降るを善しとしない誇りの成した狂気の沙汰という意味では、本質はまったく同じことだ。他人を巻き込んで心中するかしないかの違いしかない。
昭和の終りに生を受けた九峪が、太平洋戦争の真実をその目にしてきたわけがない。しかし何十年も語り継がれてきた遠い昔の悲劇が、その本質を同じくする狂気が、目の前で繰り広げられるかもしれないのだ。その可能性に気づいてしまったのだ。
平気でいられるものか。
左半身のおのれの流す血で真っ赤にしながら、九峪はただひたすらに剣を振るった。振るう中で、身体から徐々に体温が失われていくのがわかった。普通、戦えば戦うほど体温は上昇していくが、まったくその逆の現象が九峪の身におこっていた。
血を流しすぎているのだ。そばにいる清瑞など気が気でない。
目に見えて九峪の動きも鈍くなってきている。焦点が定まっていない、と判断した清瑞は、有無を言わさずに傳助に命じた。
「これ以上は無理だ! 九峪様の手当てをしろッ!」
「き、清瑞・・・・・・ッ」
「あなたの分も私が戦います、ですからッ!」
「くッ・・・・・・」
悔しいが、限界は限界である。手足が動かなくなっていることくらいは、九峪にもわかる。自分の身体なのだから。
本当はまだ立っていたかった。戦わねばならないからだ。責任が九峪にはある。そこから飛び降りてしまうのは嫌だった。
しかし自分が引き下がることで清瑞が、何も心配せずに戦えるのなら、その方がいいという考えもある。
老いた身の上の傳助が九峪の肩を担いだ。
「悪い・・・・・・引退したお前たちに、また無理をさせちまって」
「何を仰いますか。わしのことなら気にせんでください。狗根国から逃げ惑って山奥に隠れてたわしらに、もう一度日の目を見させてくれた九峪様への、これが最期のご奉公になると思えば、老骨もみなぎります」
髭面をくしゃりと歪ませた傳助は、味方の乱波に守られながら政庁宮殿へと入ろうとする。戦力が二人減った瞬間——そのときに、悪いことは重なる。
「ぎゃあッ」
悲鳴を上げたのは伝助とおなじく引退した老乱波の侘吉であった。左の肩から胸にかけてばっさりと切り裂かれていた。心臓から肩、首へと伸びている大きな血管が寸断され、おびただしい深紅の血液が噴水のように天上へと吹き上がっていた。
空から降り注ぐ血の雨を抜けて、北山兵が九峪と侘吉のもとへ駆けてくる、手には槍が握られている。迎え撃とうと傳助が動く。しかし九峪を担いでいるのだ、反応が大きく制限されていた。
だが、一人なら——と思った。間違いだった、男の視線は九峪に向けられている。狙われているのは九峪だった。兵士は九洲王、九峪の獲物に選んでいた。
察知したら、そこは老いても乱波だ、素早く取るべき手段を理解した。そして迷いもなかった。
九峪の身体と自分の身体の立ち居地を瞬時に入れ替えた。傳助と兵士の間に九峪が挟まれていた状況から——九峪と兵士の間に、傳助が挟まれる形となった。
自らの身体を盾にして、兵士の凶刃を妨げる。最良の選択だ——すくなくとも傳助が考える分には。
敵兵士に背を向ける形となった。いくら乱波でも清瑞ほどの達者でなければ、背面での防御は難しい。それでもやるしかなかった。刀で槍を防ごうとする。出来るはずもなかった。
兵士は腕に覚えがあったようだ。穂先は傳助の心臓を性格に突き去していた。
傳助の口が嘔吐物を吐き出すくらいに吐血する。血液が全身で逆流し、眼球が真っ赤になった、一瞬で。
ヒューッ——・・・・・・と、蚊の飛ぶ音よりもなお小さい掠れた呼吸音が、九峪の耳元にかすかに触れた。
「傳助ェッ!」
兵士が槍を引き抜く。ビクンッと伝助の身体が海老反りに折れ曲がる。咄嗟に九峪は伝助を支えようとした。だがむなしく伝助の身体は地面に伏した。
槍の切っ先が九峪へと向けられる。邪魔者は消えたとでも言わんばかりだ。明らかに九峪が九洲の大君であると認識している攻撃だ。
風を切る一突きは九峪の肩口を掠めた。動脈を外している。眩暈に襲われた九峪が不規則に身体を揺らしているから、動きが掴み難いのかもしれない。一方で九峪は力いっぱい踏ん張ると、下から剣を振り上げた。男の突き出した両腕が、槍の長柄ごと断たれた。
敵兵は無力化した。だが九峪もいよいよ意識が遠のきはじめた。自分が繰り返している呼吸音だけが、聞こえるばかりだ。
——ハァッ
——ハァッ
——ハァッ
「九峪さまァァッ!!」
——清瑞と、音羽の声・・・・・・
首を右へ巡らした。大口を開けた清瑞が、刀を振り上げながら走ってきていた。色を失った表情だ。
すこし視線を左へ戻すと、音羽も槍を腋にしめて、走ってきている。距離はまだありそうだった。なのに不思議と音羽の眼が大きくみえて、百錬の鏡にも思えた。
さらに視線を左下へ移す。
槍が、刺さっている、わき腹に。若い男が鼻を歪めしわを引き伸ばして、憎しみだけを何百回も込めた瞳で、九峪を睨み付けていた。
「死ねェ——死んでしまえッ」
男が槍を捻じ込んでくる。九峪がかつて味わったどの激痛よりもはるかに上回る熱が、神経という神経を駆け抜けていった。痛覚が脳に到達する、到達した痛覚の情報は、脳が処理しきれる範疇をゆうに超えていた。
目の中で光が弾けた。シナプスがすべて焼ききれそうだ。それだけの苦痛を、槍を捻じ込むというただそれだけの単純な動作だけで、九峪の全身に送り込んでいた。
叫び声も上げられなかった。
若い男は抜けなくなった槍から手を離し、腰の刀を抜き放った。真っ赤に染まった左半身、そのわき腹から不恰好に伸びる細長い棒——うつろな瞳が揺れている。
清瑞が叫んだ。何を言っているのかはわからない。言葉ではなかったかもしれない。あるいは音羽も、似たようなものだった。音羽は槍を逆手に持った。急停止する。右足に全体重をかけ、左足が宙に浮く。投槍の姿勢だ。
大隈の海では、この技が九峪の危機を救った。同じことは二度起こる。しかしもしも、あのとき九峪を助けることが出来たのが奇跡であったとしたら——奇跡は、二度も起きない。
男は、九峪しか見ていない。差し迫る清瑞の刃も、今まさに放たれようとしている音羽の槍にも、一切の注意を払ってなどいなかった。
ゆえに、止められない。
「やめろおおぉぉぉッ!!」
それを誰が言ったのか、それすらもがわからない。九峪にも男にも。
男が刀を薙いだ。九峪の身体が左へ向いて回った。胸から盛大に血が噴いていた。
一拍の間もあけずに音羽の朱槍が男の背から胸へと貫通し、振り下ろされた清瑞の刃は、男の首を綺麗に斬断した。
九峪が倒れるのと、男の首が地面を跳ねたのは、まったくの同時だった。倒れた衝撃でわき腹に突き刺さっていた槍が、刃のかませ口近くから折れた。
刀を投げ捨てて清瑞は九峪の側へ跪いた。九峪の身体を抱き上げる。半開きの瞳には生気が感じられず、口の中には血が溜まっている。
顔面が蒼白になる。九峪もそうだが、清瑞もである。九峪の胸元を見やる。出血は激しいが、噴出す様子はない。心臓も大きな血管も無事なようだが、肺を切られたかもしれない。
「九峪様、しっかりして! い、いま、手当てをしますからッ!!」
周りではまだ敵味方が入り乱れている。それでもお構いなしに清瑞は九峪を担ぎ上げて、傳助がそうしたように政庁宮殿へと向かった。その周囲を、韋駄、茶吉尼、一杵、佐助、魔斑の五人が抜かりなく守りについた。
そこに音羽も駆けつけてきた。音羽は自分の連れてきた部下や家臣たちに、政庁宮殿をなんとしても死守するよう言明し、倒れ伏す男の背中から、朱槍を引き抜くと、まさしく赤鬼となって混沌の戦場に立った。
「よ、よくも九峪様を——ッ! 赦しはしないぞッ、北山の小魚どもがァッ!!」
額に青筋を浮かべた音羽の怒号を背に清瑞は政庁の戸をあけた。住民たちが血まみれになった清瑞たちをみて、ぎょっと目を見張った。
清瑞は九峪を引きずって人々へと近づく。「だれか・・・・・・ッ」と、震える声で。
怯える北山の住人たち——その中から、子供が一人だけ飛び出してきた。
「神様・・・・・・」
「なんでもいい——布を、何でもいいからッ!」
「——うんッ」
勇気ある子供だ。素直であるがゆえに、友達を救うために余計なことを考えもしない。
子供が一人動いた。それで、大人たちも一人また一人、九峪の側に近寄ってきた。老人が一人、自分の服の裾を裂いて、切られた腕の傷に巻きつける。
「身体の傷口は大きすぎるわい・・・・・・。もっと大きい布でなけりゃあ」
「ぬ、ぬの!」
さきほどの子供が、背丈よりも大きな服を両手に抱えてきた。その後ろから巨漢の女性が、人ごみを掻き分けてくる。
「ちょっと、私に見せなさい」
ふてぶてしい態度で女性は九峪のとなりを陣取り、九峪の様子を一瞥すると、大音声で辺りに指示を飛ばす。それは非常に的確で、みなも素直に従っている。
誰かはわからない——しかし手際のよさが、どことなく忌瀬に似ている。
運ばせた水で傷口周りの汚れを洗い流し、やさしく拭き取る、鋭い目つきがさらに細くなった。
「マズイわね、これ・・・・・・傷口が深すぎるわ」
刃は清瑞が思っていたとおり、肺にまで到達していた。刃の振るわれ方は横薙ぎだった。縦に斬られていたら、まだ肋骨が防いでくれたかもしれない。しかし横薙ぎは肋骨の間を通る剣術だ。
「血も流しすぎ。わき腹のも厄介。・・・・・・酷いものね」
「ひ、人事みたいに言わないでくれ! 助かるのか!?」
狼狽する清瑞に冷静な視線をむける巨漢の女性には重い迫力がある。
「ここまで酷けりゃ、やれる事も限られてるわよ。しかもこれは最悪よ。急所もやられてる」
女性の言う急所とは、槍の刺さっているわき腹のことを指している。触診でわかったらしい。胆臓が弾けているという。
清瑞とて乱波だ、急所の位置はすべて知り尽くしている。胆臓は時として『必殺の急所』と呼ばれるほど、破損した場合の危険度がすさまじい場所だ。一流の乱波である清瑞もあえて胆臓を狙って戦うことがあるほどだ。
胆臓を傷つけて助かった人間の話を、清瑞は聞いたことがない。
清瑞の腰から力が抜ける。
「九峪さま・・・・・・」
「まぁ、やるだけのことはやってみるわ。私も医者だからね。死に掛けた人間が目の前にいて、助からないかもとわかっていても、見捨てるわけにもいかないでしょ」
九峪の胸の傷口に何かしらの薬を塗る女性が、ちらりと清瑞を見て、すぐに視線を元に戻す。
ぽつりと、呟くように、
「あんた、この男に惚れてるでしょ」
「——ッ」
茫然自失となっていた清瑞の瞳に輝きがわずかに戻った。女性はふんっと鼻を鳴らした。
「あんたみたいな女は腐るほど見てきたわ。傷ついたてめぇの男をそんな目で見てた。ちょうど今のあんたと同じようにね。自分に何も出来ないことをもどかしく感じてる。目も開けない男に、そういう女は何をすると思う?」
問われて、清瑞は考えた。だが思考の麻痺した脳は答えを見つけ出せない。女性の言うとおりだ。何も出来ないもどかしさだけ、胸を支配されていく。
答えが返ってこない。そんなことは折込済みで問いかけた女性は、ごく簡単なことだと言う。
「祈ってやりな。私は神様じゃないから、絶対なんて言えない。この男を助けてくださいって、あんたの神様にでもお願いするんだね。しょせん、あんたにはそれくらいしか出来ないんだから」
「祈る・・・・・・」
泣き出しそうな瞳を閉じる。いつしか集まった子供たち——九峪と一時をすごした子供たちも、清瑞の周りに集まって、同じようにして瞳を閉じ、祈った。
九峪が助かるのを。その光景を見ていたいつかの老婆も、瞳を閉じた。子供たちの未来を救える男が、無事に現世へ戻ってこれるように。
一心に願う。清瑞は、ただ願うしか出来ないけれど、だからこそ精一杯に願う。
——お願いです。九峪様を殺さないでください。私から・・・・・・九峪様を、奪わないで。
哀切な願いの外で、戦いは、まだ続いている。
願う。願って、願って——清瑞は立ち上がった。女性が見上げて、清瑞が女性を見下ろす。
「行くのかい」
「九峪様をお守りするのが私の役目だ。——九峪様を頼む」
「ふん・・・・・・。さっさと行きな」
仏頂面に見送られた清瑞が、短剣を構えて戸を開ける。戦場へと戻っていった。
清瑞がいなくなって、子供たちへ視線を向ける。
「あの女の分も、祈り続けてあげな」
「うんッ!」
子供たちがうなづいた。
巨漢の女性は繊細に、九峪の傷口に薬を塗り続けた。北山の住民が、九峪を助けようとしていた。
最悪なことに、九峪の予想していた危惧が、現実のものとなってしまった。
志野、尾戸、衣緒に突入された北山衆には戦う力など残ってはいなかった。逃げ惑うものと、それを追いかけるものだけが、城内に溢れていた。
逃げる北山衆の戦う動機は、彼らが掲げた『北山の誇り』という名文によっている。敗れた北山たちは、最後に、この誇りの行き着く先へと逃れなくてはならない。
追い詰められた彼らの誇りある最期——それは、民族としての最期である。誇りのために戦い、誇りのために死ぬ。民族として生き、民族として死ぬ。北山人として積み上げてきたものを、北山人としてすべて終わらせる。
強烈な民族意識に根ざした誇りが彼らのアイデンティティであるのならば、それらは誇りという名の呪縛でしかない。北山は呪縛に捕らわれ、そして逃れられなかったのだ。
逃げ惑う一人が、政庁へ向かった。その行動が切欠となったのかは不明だ。しかし討伐軍に追いまくられる北山の足は、一様にして政庁へと向かうのだ。
それもまた、北山の血がそうさせているのかもしれない。あるいは呪縛がそうさせているのか。この問いにもはや是非もなかろう。
政庁へと向かっていく北山衆は、およそ七百人ほどになる。頭の中には、民族として屈しない、誇りある死に様しか思い描かれていない。
狂気に駆られている。九峪が恐れていた狂気に。
これを志野たちも当然追いかける。外加奈の城を何千もの大軍が町々に広がっていく。
「逃がしてはだめ! 投降しないなら斬りなさい!」
猟犬の狩猟を思わせるほど執拗に北山衆を追いまくる志野も、自ら兵を率いて市の中心部へ進んだ。道々に屍が転がり、政庁へ近づくほどに累々となっていく。
政庁周辺に九洲兵の姿が疎らにある。装備の様子からして音羽隊であると気づき、この居館に九峪が立てこもっているのだと志野も理解した。
そこへ北山衆は吸い寄せられていくようだ。戦闘はなお激しい。だが何故だろう、敵と味方の区別が曖昧に感じられる。
戦いにはかならず相手がいる。相手と見定めて戦うのが普通の戦闘だ。志野の感じる違和感の正体は、北山が何と戦っているのかが、何一つ読みきれないことにあった。
もはや戦ってすらいないのだ。北山は敵を見失い、味方を見失い、自滅している。方向性の皆無となった武力はただの暴力に成り下がり、彼らは兵ではなく暴徒と化した。暴徒としか言いようがなかった。
誇りのために戦って死ぬはずの戦士たちが、ただ意地のために滅びようとしている。北山の吼えていた誇りはそんな立派なものではなかったのだと物語っているようだった、剥がれ落ちた鍍金の欠片を踏みつけて北山は闇雲に武器を振るっている。
——落ちるところまで落ちた。素直にそう志野は思った。
大軍に包囲された北山たちは混乱の中で次々と打ち倒され、討伐軍に蹂躙されるがままに、人数を確実に減らしていく。
守備隊と討伐軍が渾然となって政庁の戦いに乱入してきたことは、音羽の肌が敏感に感じ取っていた。戦場の様相がまたもや激変していた。乱戦から一方的な流れと変わり、北山兵よりも九洲兵の姿が圧倒的に多く膨れ上がっていた。
気の触れ暴れ狂っていた北山は脅威ではなくなっていた。あと半刻もあれば、そこには夥しい死体の野が出来上がっていることだろう。
戦いが終わるのだ。だが、それにしても——
「遅すぎた・・・・・・もっと早く、来てくれれば・・・・・・」
近くで呟かれた清瑞の言葉が、音羽の耳にこびりつく。この戦いにおいて最優先されるべき事項を、果たしきることが出来なかった。
悔やまれる、悔やまれてならない勝利を、建国後十年を経た今はじめて耶麻台共和国は、痛いほど味わわされた。