耶牟原城の城門を目の前にしたとき、供のものが、入城は深夜にするべきだと教来石に進言した。真夜中であれば住民はみな寝静まっている。人目につかなくて済むのだという。
後ろめたい気持ちが、そのような言葉を吐かせるのだ。そう教来石は言い切り、
「我らにやましいところはない。ここで背を低くするのは、かえって北山の行く末に良くない。堂々と行く」
と、整然として真昼間に城門を抜け、人々の視線にさらされる中を、教来石たちは粛々と大路を進んだ。
その様子を眺めていた武官の一人が、後に語る。
『敗者の哀れを省みず、許しを乞う様も見せず、小憎らしいほど彼(教来石)は清々としていた』
馬の一歩は、死刑台へと続く一歩であるはずだった。怯えなど微塵も感じさせない教来石には、ただ北山安泰を願う決意のみがすべてとなっていた。
北山衆は低い身分であったため、耶牟原城に屋敷を構えていない。当面の宿として寺社の宿坊に身を寄せることとなっていた。その寺社は、大陸の神々なども祭っており、いずれ北山の神も、ここに祭られることとなる。
教来石は下馬すると、神官の老人に深々と頭を下げた。
「御坊、しばし宿を貸してくださること、まことにかたじけない」
髭をたっぷりに蓄えた老人はかっかと声を上げて笑った。
「北山の鬼とやらがどんなものかと思うとったら、なんと礼儀正しい」
「鬼?」
目を丸くさせる教来石に、老人は頷いて見せた。
「いや、気分を害したなら許せ。なにせ反乱を起こした連中じゃ、さぞ鬼魂鬼相の輩どもと思うとったのよ」
「それではご期待に添えなんだな」
「そうでもないわい。お主には国士の相がある。鬼といわずとも、鬼のような強さがあるのであろう。・・・・・・ふむ、北山の教来石殿じゃな」
老人は伺い見るように、教来石の相貌をじっと観察した。二十代の若さに、利発さが良く見て取れる。
「よい顔じゃ。よい瞳じゃ。死を恐れておらぬ」
「わしも北山の戦士であり将帥じゃ。死を恐れたりはせぬ」
「ほっほっ。それもそうじゃわ」
声を上げて笑うと、老人は手をかざして教来石を招いた。
「さて、ではご案内いたそう。お主が今生の最期を過ごし、冥府へと旅立つ準備をする宿へとのう」
不吉な物言いに教来石の部下たちが眉間にしわを寄せた。教来石は平然と頭を下げて、「よろしく頼み申す」と、応えるだけだった。
簡単には怒らない、そんな歳に似合わない物腰のくそ落ち着きが、どうにも奇妙なほど老人には面白いらしかった。道すがら、老人はずっと笑みを浮かべていた。
「惜しいかな、教来石殿。ここで死ぬのが」
「それも必要な定めであれば」
「これも乱世の常・・・・・・能力のある者が、長生きできるとは限らぬ。いやむしろ、力があればこそ早世することもある。時代の求める死というものかもしれぬ」
歴史を動かすために、時代は能力者の血を生贄として欲する。そう老人は語った。それはこの時代の倭国に広がっている、戦士たちの死生観であった。戦って死ぬことを恐れないための教えである。
時代に求められた証。時代に認められた証。見捨てられたのではなく、求められて死ぬのだ。そう信じきることを、半世紀以上続いた争いの中で戦士たちが生み出した、戦う意味と死の意味であった。
時代に、世界に求められたゆえの死に様が、いまの自分なのか——。そう思えば、自然と教来石は口元に弧を描いていた。
「ならばなおさら、卑屈になることはない」
——誇りを持って死んでやろう。
顔を上げて胸を張って、高らかに教来石は天に言った。まるで「さっさと殺せ」と言わんばかりの剛毅さに、老人も愉快気な声を上げた。
——刑執行の数日前、教来石は耶牟原城の私邸で療養の身にある九峪のもとへ、最後の別れをするために尋ねた。
この頃の九峪は、北山の反乱で負った傷があまりにも深すぎたためか、昼と夜となく体調不良に悩まされていた。症状は貧血に近いが、それにしても眩暈の頻度や程度がはなはだ宜しくない。薬剤もいっさい受け付けないため、忌瀬であってもお手上げ状態だった。
教来石の訪問に番兵たちが猛然と追い返そうとした。だが慌てることなく、教来石は着ている服の全てをその場で脱ぎ去って、下帯一枚だけの姿となり、武器を隠し持っていないことを主張した。このまま御前に出てもいいとまで言い出したのにはさすがの番兵たちも呆れかえるばかりで、供をつけず一人だけでという条件のもと、面会を許された。
九峪の屋敷は、不気味なほどに静まり返っている。建築されてからこちら、屋敷の騒がしかった日などほとんどない。主である九峪は度々、眩暈や発作を煩っていたし、火魅子と結婚してからは奥の殿ですごす事も多くなったからだ。
この場を尋ねに来たのは、これが三度目になるだろうか。一番初めが、たしか泗国出兵に関する事柄を話し合うためだった。二度目はつい最近、北山衆継承を告げられたとき。思えば、初めて尋ねてから、まだ一年と経っていない。
世情のめぐり合わせは、なんとも目まぐるしい。
女中に導かれた教来石は、途中で亜衣とすれ違った。亜衣は瞳のまわりを赤く腫れさせて、いかにも泣きはらしたようだ。
教来石に気づいた亜衣が、はっと顔を伏せると、足早に横を通り過ぎていった。
はてと、教来石は首を傾げた。切れ長な亜衣の目元が赤く腫れていたのが、どうにも目に焼きついた。
何があったのか事態が掴めないままやってきた教来石を、同じように目を腫らして床に伏した九峪が弱々しく苦笑し、手元に招いた。
「今日は来客の多い日だ」
「なにか、お話し合いでも——?」
という雰囲気ではなかったような気がした。少なくとも亜衣の様子から察するとであるが。
困ったように九峪がため息をついた。
「いやぁ・・・・・・なんつうかな。・・・・・・泣かれた」
「泣いた? 亜衣宰相が?」
教来石が目を丸くした。それほど付き合いの長いわけでもない教来石が亜衣に抱く印象は、怜悧、冷静、冷徹の三文字から組み合わされているようなものだったから、涙を流す亜衣の姿をまったく想像できなかった。
なぜ、と聞いていいものかどうか、教来石は迷った。気にはなったが、これから死ぬ人間が聞いてどうする、という思いもあった。
だが、九峪は勝手に話し出した。九峪としても胸につかえて、誰かに聞いてもらいたいのかもしれない。
「まだ死んではだめだって言われたよ」
「・・・・・・お命を」
「ああ、助かるまいよ」
自嘲気な九峪の言葉に、息を飲んだ。たしかに九峪は瀕死の重傷を負った。致命傷をも負った。しかし教来石には、根拠のないことだが、それらの危機をも九峪は乗り越えるのではないかとも思えた。北山の窮地を、崖っぷちのところで救ってくれたことに感謝する気持ちからも、そう思えてしまうだけかもしれないが。
「弱気になられておりましょうか」
「・・・・・・亜衣に言われたのと同じ事を、火魅子や清瑞にも言われている。もちろん忌瀬からもな。だったら弱気なんだろう」
少しだけ恥ずかしそうに九峪がはにかんだ。弱気になっているという自覚が、本人にはあまりないのかもしれない。あるいは気づけないほど疲れてしまったのか。
言葉を捜す教来石は、何もいえなかった。そうだと言われれば教来石にも弱気に見えてきた。眉のところが下がっている気がした。ただそれだけだった。
しばし、沈黙が降りた。それを九峪が静かに打ち破った。
「死刑を望んだそうだな」
「・・・・・・はっ」
「その報告に来たのか?」
「それと、お別れを」
「考え直す気はない——ないな、その顔は」
仕方のなさそうに九峪は嘆息するしかなかった。もはや教来石は耶牟原城へ到着したその瞬間から、すでに死んだつもりでいた。ここへは言わば、死者の霊が別れを告げに来たようなものだった。
教来石の眼にはつよい決意が宿っていた。何を言われようとも引き下がらない強固な意志には、さしもの九峪も深くは何も言えなかった。
きっと、死ぬという人間を思いとどまらせていたのが、以前までの九峪だった。だがこうとまで心を決められては、どうしようもない。
本当に素直な男だと思う。守るべきもののためならば死をも恐れはしない。それは誰もが持ちえる素質と感情ながら、ここまで率直に体現する人間もそうざらにはいない。
死なせるには惜しいとも思うが——これもやはり、運命なのだろうか。
「言いたいことはわかる。命を差し出す代わりに、これ以上の無体を強いるのだけは勘弁して欲しい、だろ」
「左様に」
「評定衆には約束させる。俺も、そう長くはないかもしれないけど・・・・・・」
北山との、教来石と交わした約定だけは、かならず果たす——その言葉だけでも教来石にとっては十分なものだ。死に甲斐があるというものだ。
教来石は、地を低くした。精一杯の感謝を込めて頭を下げた。
「わしも安心いたしました。これで心置きなく、冥府へ旅立てもうす」
「お前にとっては志半ばだ。いや、俺にしてもか」
教来石は北山復興の道半ばで死ぬことになる。
では、倭国統一に志を抱いた自分は、どうだ——?
「お前、歳はいくつだ」
唐突な質問に面食らった教来石が、「二十五になります」と応えた。
二十五歳——九峪よりも、わずか三歳年下なだけだ。
言うほど九峪も老いてはいないが、それにしても若い。二十五の若き命が、いま、散ろうとしている。そのあまりな儚さと、いま朽ち行く己の身の儚さと、どれだけ大差があろうか。
「お互い、悔いは残るかな」
「残したくはないのですが・・・・・・。やらねばならぬことが山積みで、それが口惜しくはありますな」
「俺もだ。むかしは何でもできる気がしていたよ。長湯城で天目に勝って、俺に敵はいない気がしていた。九洲の統一を成し遂げ、王国復古の号令をかけたのが、もう十年以上も昔になるんだな」
「そしていま、舞台は倭国全土へ広がり、統一へと向かって争われておりまする」
「倭国三傑か・・・・・・。いつ、誰が、そう呼んだのかはわからない、けど。・・・・・・俺が、最初の脱落者に、なるなんてッ・・・・・・ッ」
うめき九峪の身体がくの字に折れ曲がる。傷が痛んだ。慌てた教来石を九峪は落ち着かせた。こんなものは、いずれ治まると。事実、しばしして、九峪は荒い呼吸を吐き出した。落ち着いたらしい。
九峪を死へと誘う、深い傷——
ぐったりと横たわる九峪が、悔しさを口元に浮かべた。
「教来石。・・・・・・北山人がどうとか、そういう感情は抜きにして聞かせてほしい。俺を愚かだと思うか? もしもお前たちを見捨てていれば、俺は死ななかっただろう。死ななければ天下をかけて、天目や彩花紫と、まだ戦えたはずだ。目先の道義に捕らわれた。——俺は甘いか? 俺は愚かか?」
天の火矛の言葉が、脳裏から離れない。離れてくれない。
言葉に困った。九峪がどのような答えを期待しているのか、さっぱりわからなかった。ただ罵って欲しいだけなのか、そうすれば楽になれるのか、それともそうではないのか。
ただ、一つだけ言えることは——
「わしは、その甘さや、愚かさに、一個人としての信頼を感じております。けっして見捨てはしなかった、その仁徳、寛容さ——包容力に、わしは北山の未来を委ねたいと思っていました。たしかに支配者としては問題があるかもしれませんが。しかし貴殿は、その甘さや愚かさを、何も恥じてはいない。それらを失ったとき、九峪殿が九峪殿である所以が、失われましょう。わしは・・・・・・九峪殿のそういうところが、好きでございます」
偽りのない赤心を教来石は包み隠さず吐露した。超然としたところもあれば、妙に人間くさくもある。大いなる身の上にありながら、ひどく気さくである。それら九峪らしさに、多くの人々は惹き付けられてきた。自分もそうだ。
思うに、その根底にある包容力に包み込まれたものは、なかなか脱することが出来なのだ。それだけ居心地がいい。それはきっと、天目や彩花紫ともまた違った、大きな器のありようなのだ。
そして、それを九峪はよくわかっている、ゆえに今思い悩んでいるのだ。
「遣り残したことが多すぎて、それを皆に押し付けたまま死ぬのが、こんなに怖いなんてな」
「九峪殿」
「俺も、志半ばだッ」
——一筋の雫が、九峪の目じりから零れ落ちた。本当に、本当に、ただただ悔しかった。
天下への望みも、愛しい者たちとの別れも、何もかもが。
九峪の気持ちが痛いほどよくわかる。張り裂けそうな痛みに、いっそ心を八つ裂きにしてしまえたなら、こんなにも苦しまなくて済んだろうにと。
——お互い、これ以上、心を見せ合うこともあるまい。
ほんの少しでも理解しあえた、最後の最後で。それが冥土の土産になるかはわからないが、死出の手荷物に加えてもいいような気分がしていた。
教来石は、再び頭を下げた。きっとこれが最期だ。
「短い間ではありましたが、貴殿の元で働けたこと、誇りに思っております。拙者は一足先に参りますゆえ、どうぞ急がず、ゆるりと」
目元に筋を残す九峪が、淡い笑みを浮かべた。
「——なんでかな。もっと早くお前と出会えていたらと思うよ」
「——わしは、今だけで、十分満足しております」
「そうか・・・・・・ご苦労さん、大儀だった。・・・・・・ありがとう」
「はっ」
——こうして、九峪と教来石の、決して長くはない、刹那のような最期の会話は、終わった。
この三日後、元星十年十月十日深夜、逢魔の刻限に耶牟原城の密やかな一室にて、教来石の生命もまた終わりを告げた。死するに至って動揺はなく、命乞いもせず、淡々とした最期だった。
刑執行から後、九峪の名文で北山への不当な風当たりを禁ずるとともに、今後の対外勢力への接し方なども、『寛容と仁徳』を基本にして相対すべきと、耶麻台共和国の理念を改めて説く声明が、亜衣の口より布告された。
北山の反乱は皮肉にも、九峪の思想を改めて九洲へ広げる結果となった。こうして『寛容と仁徳』の精神は耶麻台共和国の基本理念となっていった。
これらもまた、九峪の強運が、そうさせたのか——
この物語における北山の挿話はここで幕を下ろす。北山のその後を、簡単に記したい。
教来石亡き後の北山衆棟梁は、彼の右腕だった赤峻が正式に継承することとなる。赤峻の生んだ長男が四代目、その弟が五代目を継いだとき、九洲は二代目宰相、宗像の雨嬉の治世を向かえる。
宗像の雨嬉は軍備の再編成に取り掛かり、水軍強化を目的に、得宗家直轄としての宗像海人衆の再結成を行う。
この頃の北山は小さな城郭を築くようになり、水軍力も多少は培われていた。長い時間の間、少しずつ九洲人との蟠りも解されていき、民族的な同化も進んでいた。九洲政権の公式記録では『北山族』と呼ばれるようになっていくのがこうした時期だ。
北山衆は五代目棟梁の時代に、宗像海人衆傘下の水軍組織として、再び歴史の表舞台へ船を漕ぎ出すこととなる。
ただしまだ、数十年後の、未来の話である。それまでは茨の道が続いていく。
それもまた宿命だからだ。
——教来石の死から数ヶ月が経ち、季節は冬を迎えた。
九洲ではさしたる大事件は起きていない。強いて挙げるならば、北九洲の奪還任務についていた藤那が農閑期を迎えたことで討伐作戦を苛烈にし、大出面軍の残党勢力をとうとう駆逐してしまったことくらいだ。
いくらかはすでに関門海峡を越えて本国へと帰還してしまい逃したが、とにかく半年近くも大出面国の占領下におかれていた北九洲域が、これでようやく開放されたことになる。
外加奈の城では再建がすでに始められている。蔚海の乱を切欠に九洲大手の知名度と富を手にした、火前の豪族渡辺の平陽が資金面で多大な援助を行っていた。
復興した外加奈の城は、北山入植以前のように、琉球や大陸との交易を担う都市としての期待が求められている。
蔚海が残した爪あとも徐々に薄らいでいき、治安も回復しつつある。国内で一番の不安要素が消えたことは、やはり国民の精神衛生上かなり良い効果をもたらしているようだ。
九洲は、落ち着きを取り戻しつつある。
問題は泗国だ。泗国計略だ。
泗国の情勢は大きく動いていた。
西伊依の命運が決したのである。大出面軍の大軍に数で劣る伊万里を総司令官とした連合軍は、亜衣が考案した作戦通りに、敵の油断を突いて正面突破を敢行した。
五千の側面には仁清が少数で立ちふさがり、本隊の背後を、文字通り死をも厭わず守った。決死の覚悟で挑む連合軍の勢いはすさまじく、前衛を突き崩し敵本陣に殺到した。戦いは激戦だった。奇襲をしかけた連合軍側からも相当な死傷者を出したが、最前線で戦う上乃の突撃振りに大出面軍の本陣は壊滅した。
これで連合軍は、また全力を挙げて反転し、仁清の救援に向かう。——はずだった。
救援には向かった。しかし接近しつつあった嵐が雷雨を呼び込み、一帯を土砂降りがみまったのだ。このために本陣を襲っていた連合軍は足元を取られ、救援に駆けつける足並みも重くなってしまった。
伊万里は、とにかく急いだ。膝から折れ曲がってもいいというくらい、とにかく急いだ。だが・・・・・・間に合わなかった。伊万里軍は側面の敵部隊五千とぶつかり合い、動揺していた大出面軍を完全に壊走させた。
戦いは連合軍の勝利に終わった。しかし戦場跡から——多数の切り傷をその身に受けて、凄絶な最期を遂げた仁清の骸が、兵士たちの手によって伊万里と上乃の元へと運び込まれた。
復興軍へ参加した当時から、唯一縁者以外のもので付き従ってくれた最古参の重臣にして親友を、永久に失った。伊万里の悲しみは、嘆きは、怒りは、台風の荒々しさにも劣るものではなかった。
決戦が終わって間もなく、伊万里はすぐさま進撃を開始した。諸将は体制の立て直しを求めたが、頑として伊万里は聞き入れなかった。尽きない悲しみと怒りが、伊万里を突き動かした。そして同時に思ったのは、仁清の死を決して無駄にはしないことだった。
伊万里は、四国を離れる直前に亜衣が言い残していた言葉を、忘れてはいなかった。
「この戦いに集められた大出面軍の戦力は、西伊依からかき集めたものでしょう。つまりここで叩き潰してしまえば、西伊依における大出面の影響力を大きく削ぐことが出来ます。つまり、奪い返しやすくなるはずです。このたびの勝敗如何によって、戦況をいかようにでも転がすことが出来ます」
亜衣が言い残して言ったこの言葉を、伊万里は勝利の暁には電光石火攻め上るべきとの助言だと受け止めた。
大出面軍があらたに兵をよこしてくる前に、奪い返せるだけの土地を奪い返すことは、決戦前から伊万里が腹に決めていたことでもあったのだ。
亜衣や伊万里の考えどおり、手傷を負った西伊依方面の連合軍は、無人の野を行くがごとく、西伊依の半分を奪い返してしまった。佐多岬半島も三度連合側の手に落ち、制海権も回復。二転三転した西伊依の状況は、ここにようやく連合軍優勢で定まりつつあった。
長年に渡り伊万里の帷幄に在って支えてくれた仁清を失うもことにはなったものの、伊万里は泗国計略にあたって第一の功績を挙げることが出来た。
仁清の骸は当地で火葬された。死を覚悟していた仁清は遺書を残しており、遺骨を阿蘇の山に葬ってほしいとあったので、伊万里はそのようにした。
「お前は敵を見つけることに長けていたから、もしも私の身に危険が迫っているときは、どうか守ってくれ」
火葬する前、伊万里は仁清の遺髪を切り取り、生涯のお守りとした。
——他方、阿分陣。
こちらも大きく動いていた。
一計を案じた紅玉は、調略を用いて狗根国の将軍鋼雷を、大出面軍の司令官である虎桃にけしかけることに成功したのだ。いくら武将としての資質に優れていても、機略の乏しい鋼雷はまんまと紅玉に乗せられ、この事態をある程度読んでいた虎桃も、紅玉の策を逆に利用して、鋼雷を叩き潰す腹積もりだった。
見方を変えれば、紅玉と虎桃は、何の盟約も成さないままに連携を取ったようなものだった。実際、虎桃に戦いを挑んだ鋼雷の背後を、紅玉・香蘭親子は襲撃し、挟み撃ちしてしまったのだ。
これにはたまらなく鋼雷も敗走せざるを得なかった。前後進退窮まり血相変えて逃げ出そうとした鋼雷は、しかし虎桃によってむなしく捕えられてしまった。
鋼雷捕縛の報を聞いた天目は、尋常ではない喜びようであったという。かつて己と同じく四天王と呼ばれた男を捕まえたのだから、無理もなかったかもしれない。しかしそれにしても、普段から冷静な天目の異様なまでの喜び具合には、近臣たちも驚くばかりだった。
不思議なのは、そんな様子だけではなかった。すぐに処刑を命じるだろうと周囲が考えていたのに反して、なんと天目は鋼雷を大出面の本国まで連行するよう虎桃に命じたのだ。
虎桃としても首を傾げるような命令だったが、これによって鋼雷は大出面国の都へ、市中を引き回されるように連れて行かれ、天目自ら槍を突き刺して処刑した。
出面国の正当な王女——いまは女王——であった天目には、出面王家を、家族を皆殺しにされた恨みがあった。三十年近い月日を越えて、ここに天目は幼年の仇をとったのである。
鋼雷亡き後の阿分は、連合軍と大出面軍の戦いとなるかと思われた。しかしここでは狗根国軍が統率を失うことがなく、大出面軍と連合軍が示し合わせたかのように狗根国軍へ攻撃を集中させ、それを防ぐという構図が成り立った。
その間に、彩花紫はすかさず新たな将軍を派遣してきた。その迅速な動きを見るに、どうも彩花紫はいずれ鋼雷が敗死するものと予見していたようだ。むしろ、彩花紫は鋼雷を毛嫌いしていたから、謀殺の意味があった可能性も否定は出来ない。
西伊依では戦局が逆転し、連合軍側に追い風が吹き始めている。阿分方面はまだこう着状態が続くだろう。かねがね連合軍側に優勢な流れとなっているように、一見すると見える。
だが、すべてが順調に進めば、世の中苦労はなにもない。忘れてはならない、伊雅と閑谷が戦う讃其戦線。
事態は深刻なものとなった。泗国で一番大きな事件が起きたのだ。
讃其国の都、満納城。野戦で思わぬ大敗を喫した伊雅たちは、ついに都に篭城して戦うことを余儀なくされていた。満納城の戦力は三千人、大出面軍は一万の軍勢で包囲し、七日七晩、昼も夜もなく攻撃を繰り返した。
閑谷は知略の限りを捻り出して防戦に徹し、機を見ては伊雅や讃其の武将たちが、城より出て一撃を加えるなどして、死力を振り絞った戦いが続いた。
この『王都満納城の戦い』は、泗国で起こった城郭攻防戦のすべてを通して、最大の激戦となった。大出面軍はこの戦いで二千人以上の戦死者を出した。それほど連合軍の守りは固いものだった。
しかし、墨守していた満納城も、ついに力尽きるときが来た。城壁を越えられて市街戦となって、それでも伊雅たちは大出面軍を追い返した、八日目の朝。
これ以上の戦いには耐えられまい——そう判断した讃其王は、自らの命と王都満納城を開城する条件で、城兵や住民たちが白雉城まで逃げるのを見逃すよう、閑谷を使者に立たせて大出面軍の司令官と交渉に当たらせた。
これに同意した大出面軍は、攻撃の手を止めた。かくして満納城と周辺に住む人々は、白雉城へ向かって逃避を開始した。大勢の人々を、連合軍を指揮する伊雅や閑谷、讃其の武将たちが守った。彼らの胸には、やりきれない無念が渦巻いている。
とくにこれで王を失うことになった、讃其の人々にとっては——
事態は急転直下する。大出面軍が約束を反故にし讃其王を捕らえた直後、なんと逃げ行く満納城の住民たちを追撃したのだ。
突然のことだった。まったく、誰もが——閑谷ですら、予想していなかった。
ここで住民たちを一斉に捕まえることが出来たら、それらをすべからく、大出面国の奴隷とすることが出来る。大出面軍にとって、これを見逃す手はないのだ。
大出面が追撃に投入してきた戦力は三千。対する連合軍の残党たちは、わずか一千余にすぎなかった。たちまち混乱を来たした。
あまりな仕打ちだった。伊雅のみならず、閑谷もまた、かつてないほどの憎悪を滾らせた。しかしそれ以上に、鬼の形相となった讃其の武将たちが、狼藉の限りを働く大出面軍に向かって雄叫びを上げたのだった。
「おのれェ! 大出面の腐れた外道どもがッ!!」
「王を捕まえ騙まし討ちし、民を虐るなど・・・・・・赦さんぞォ!!」
これに、伊雅も気勢を上げて剣を振るった。
「これではまるで耶麻台国が滅びし日の際限——ッ! 敗れ逃げ行く我らに対して、約定を破り捨てるとは・・・・・・この伊雅の命ある限り、その所業を見逃しはせんわァッ!!」
「伊雅様——ッ」
「閑谷ァ! 彼奴らを赦すなああッ!!」
「承知ィィッ!」
「うおおおおッ!!」
伊雅と閑谷が、馬の腹を蹴って、大出面軍の大軍に凄絶な切り込みを仕掛けた。彼らはもはや悪鬼となって、雪崩か鉄砲水のように、形振り構わず大出面軍に真正面から突っ込んでいった。
怒りが質量を帯びている。そう形容したくなるほど、連合軍はそれそのものが巨大な鉄槌となって、ただ、ただ、己を押し込んでいった。
それは死に人の戦い方だった。すでに怒りと憎しみだけで戦っていた。理性は欠片も残っておらず、止まることもなく、数に怯えることもなかった。
予想外の反撃だった。大出面軍は思いもよらない大打撃を蒙った。だがそれ以上に、よく訓練された狗根国の兵士たちが、あまりの恐怖に蜘蛛の子を散らして、逃走したのだ。手負いの鼠が、獅子の鼻に歯を立て、量目を潰したようなものだった。
それは相手の意表をついた謀らない奇襲となって、満納城の住民たちが逃げ切るまでの時間を稼いだ。
戦場を離脱した連合軍の戦力は、わずか三百人に減っていた。閑谷と伊雅の姿があった。
一矢報いた伊雅たちは、なんとか白雉城まで逃げ延びることが出来た。しかし手傷を負ってしまった伊雅は、これ以降に戦場へ出ることが難しくなってしまった。
大出面軍に捕らえられた讃其王は悲憤をあげて処刑され、都は焼き払われた。ここに泗国連合の一角として、長年にわたり狗根国と大出面国の侵略を阻んできた讃其国は滅亡し、連合軍はその一角を失った。
九峪の言うとおり、天下は、大きく動こうとしている。九峪に死が近づくほど、動きはより大きく、激しく、加速していくように。