結構難儀しました、刹那の心境が特に……。
突っ込まないで頂けると嬉しいです。
前半は榛名視点、後半は刹那視点でお送りいたします。
第肆拾玖話 カレと剣士娘の休日
『別荘』内の空間の中で、刹那が最も入り浸っている空間。
それが、“雪”だ。
常雪が降り積もる山脈が雄大な空間で、その山の中腹にある小さな
ちなみに、この山脈の高さは最高峰が約四〇〇〇メートル。アフリカのアトラス山脈とほぼ同じくらいだ。
山を下りれば、日本の冬と言った感じの、
此のコテージは、例の日本家屋よりもずっと小さい。精々、六人くらいしか入れないだろう。そして、そんなコンパクトさが刹那の好きなポイントらしい。かくいう僕も、同じ理由で好きなんだけどね。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
そのコテージのキッチンに、刹那は立っていた。
望むモノが望むだけでてくる此の『別荘』だけど、当然、こういう風に自分で料理することだってできる。食材も調理器具も揃っているから、まぁ当たり前と言えば当たり前だ。
僕の視線の先には、鼻唄を唄いながらオーブンを見つめている刹那がいた。
電子音と同時に、中のモノが焼き上がる。其れを取り出し、刹那はテーブルへ……僕の目の前へと持ってきた。
「ふぅ、完成……っと。……あ、お父様! 一緒に食べましょう!」
「あぁ、ありがとう」
こんがりと焼き上がったミートパイが湯気をあげていて、思わず笑みが零れた。
エプロンを脱いだ刹那は真正面に座り、そんな僕を満面の笑みで見つめている。
普段の凛とした雰囲気とは似ても似つかない、柔らかな笑み。
それは、小さい時からの彼女の笑み、そのものだった。
切り分けられたパイにナイフとフォークを入れる。
「……うん、美味しい」
「其れは重畳です。とても嬉しいです!」
さらに笑顔を咲かせる刹那に微笑み返しながら、僕は食事を楽しんだ。当然、刹那との会話も。
「刹那」
「はい、お父様」
「刹那は本当に、良い子に育ってくれたよなぁ。明日菜もだけど、さ」
「お父様とハク様の教育の賜物ですよ。こんな私でも、ちゃんとした家事ができるように育ててくれましたから」
正直言って、刹那はとても
白烏であること、実の両親から僕に親権が移ったこと。其れだけで、思春期の少女にどれ程苦悩を与えるか、情けないことに僕には想像することしかできない。
もっとも、ハクはそうそうに刹那に自身の異常性や僕と刹那の関係について教え込んでいたそうだから、刹那にとって僕は、最初から“実の両親”ではない。
彼女を引き取った当初、僕は不安に
実の家族ではないと分かった時、彼女は僕を拒絶するんじゃないか、自分と他人との違いに絶望するんじゃないか。そんなことを考えては、子育ての本とかを読み
でも、結果的に言えば、僕の心配は杞憂に終わった。
刹那は誰よりも僕に懐き、寧ろ実の両親に何の興味も持っていないように見受けられた。
白烏であることも、僕の前で翼を隠そうともしなかったし、僕が羽をブラッシングすると、とても喜んでくれた。
それが、彼女自身の天性の結果なのか、それとも僕の苦悩を見たハクが、其れを取り除くよう彼女を教育した結果なのかは分からないし、然程重要ではないと思う。
大切なのは、彼女が幸せになることだから。
でも、時折、彼女は不意に自虐めいた言動をすることもある。
まぁ、それはハクの厳しい教育の成果だろうと刹那本人も自己完結していたから、問題だと思わなかったけどさ。
「お父様?」
「ん?」
「私は……とても、幸せですよ。此の世界の誰よりも」
「そっか」
其れが本心であることは、直ぐわかった。紅い瞳に淡い光を宿しながら、刹那はにっこりと微笑んでいる。彼女の背中には、普段は隠しているけどとても大きくて立派な、真っ白な翼があった。
空想上の天使そのもの。どうして、此れが“禁忌”と呼ばれるのかはイマイチわからない。僕的には、黒い翼の方がずっと禁忌っぽい。まぁ、色の問題じゃなくて、潜在能力的な話なんだけどさ。
トプトプと音を立てて、紅茶がティーカップに注がれる。
カップが目の前に置かれ、僕は礼を言った。
そんな小さな御礼にすら、刹那は丁寧に返してくれる。心の底から歓喜するような、柔らかな笑みを見せてくれる。
真正面にいた刹那は、食器の片付けついでに僕の横に座り直した。
「私は、お父様に救われました」
「そうかな」
「そうです。お父様と出逢っていなかったらと思うと、今でも震えそうになります」
そう言って、潤んだ瞳で見つめてきながら、刹那は肩を摺り寄せてきた。
僕も彼女の頭に手を置き、ハクにも負けない程白い髪を撫でていく。
「……でも、刹那ってよく無茶してたよなぁ」
「……う」
僕が小さく呟くと、刹那は恥ずかしくなったのかやるせなくなったのか、苦々しそうに顔を歪めて俯いた。
そう、彼女は小さい時、一時期やたらと力を渇望していた時期がある。いや、どちらかというと、単に背伸びをしていた、というべきだろう。
家事をしたいとか、戦闘訓練をしたいとか、僕の力になりたいとか。
そんなことを言っては、僕を苦笑させていた。
……そして、その時に「背伸びして、可愛いなぁ」としか思わなかったのが、僕のミスだ。
そのミスが、刹那を怪我させてしまった。ふと気付いた時は、包丁で自身の指を切ってしまった刹那が其処にいた。
あの時は本当に焦ったし、本気で刹那を叱った。彼女の前で泣きそうになったのも、本気で怒鳴ったのも、呆然としていた彼女をビンタしたのも、あの時が最初で最後だ。
……そして、自分の見通しの甘さに辟易した。まったく、何処まで行っても、僕は親失格だ。
「……あの時は、愚かでした。叶うのなら、あの時の私を殴りたいです」
「……まぁ、その御蔭で刃物の危険さを学べたんだから……ホントの“怪我の功名”ってやつだね、笑えないけど」
やっぱり、親というのは難しい。人間にとって、一番難しい仕事なんじゃないかと思う。本当、尊敬するよ。
大人になって初めて分かる、親心……というヤツか。
きっと僕は、我ながら乾いた笑みを浮かべているだろう。ポーカー・フェイスは得意なくせに、作り笑いは本当に下手だ。
結局、刹那も明日菜もハクから戦闘訓練を受けることになったけど、その辺りはハクに一任した。まぁ、家事とか勉強とかの教育も、基本的に殆どハクが担当していたから、碌に口出せる身分じゃなかったし、出す気もなかったんだけどさ。
「私は、ずっとお父様の御役に立ちたかった」
「刹那?」
突然話し出した刹那の方を見る。彼女は自嘲するような、感慨にひたるような表情で僕を見上げていた。
「いえ、世間知らずな馬鹿娘の戯言ですよ」
最近板についてきた笑み————自身を小馬鹿にするような笑みをフッと浮かべながら、刹那はますます僕に寄り添ってくる。
僕は、そんな彼女の肩をポンポンと叩いた。
「若気の至りって、よくあるよねぇ」
「お父様もおありですか?」
「煙草を吸う、とか」
ポケットに突っこんでいたマイセン(マイルドセブン)を取り出して、箱を振る。
刹那たちの前では、極力吸わないようにしているけどね。
「未成年で喫煙ですか?」
「二〇歳も十分若いさ」
冗談っぽく言う刹那に微笑み返しながら、箱を仕舞う。流石に成年前に吸っていはいないさ。
しゅんしゅんと、ストーブの音だけが響く。雪は音を吸収する。雪の世界というのは、つまり静寂の世界だ。
雪、白。そう考えると、ハクと刹那と子日の白髪が頭に浮かぶ。今更ながら、白髪率の高い家族だ。
以前、刹那と子日が、どちらの髪が綺麗かと言い合いになっていたのを思い出す。
どちらも綺麗だと思うけどなぁ。“ドングリの背比べ”というヤツ。
そして、ハクも刹那も子日も明日菜も、ウチの家族は全員冷静というか静かというか、クールな人間ばかりだ。僕も、クールかどうかは置いておいて、一応静かな方だとは思う。
そう思うと、綺羅川家と雪って結構似通っているのかもしれない。そんな他愛もないことに気付いて、勝手に可笑しくなった。
と、刹那がスッと立ち上がった。
「お菓子、持ってきますね」
「手伝おうか?」
「いえ」
スタスタ歩く刹那は一瞬だけ笑顔で振り返って、また食料倉庫に向け歩き出した。
「……ふぅ」
コテージの地下にある食料倉庫の前に立ち、扉を開けた私は、キョロキョロと周囲を確認します。
……誰もいませんね。いや、いるはずもないのですが、念のためです。
扉を閉じ、ロックをかけます。本当に食料倉庫かどうか疑わしい、銀行の金庫かと言いたくなるほど重厚な扉が、決して音を外に漏らしません。
ハク様が、やりすぎだと思う程セキュリティを強化した結果です。結界を抜けて家に侵入し、さらに厳重に保管されている『別荘』のセキュリティを突破するなんて、例え魔法世界の全軍が襲いかかったところで不可能でしょう。
ですからやりすぎだとは思うんですが……ハク様の手にかかれば、
……と、そんなことは置いておきまして。
私は、その場で大きく此の身を震わせました。
「……腹立たしい……」
思い出すのは、あの忌まわしい記憶。小娘の分際で、無知で莫迦で間抜けで、お父様に涙を流させてしまった過去の自分。
思わず膝をつき、小さく唸る。どれ程謝罪の言葉を並べても、許されない。
いや、優しいお父様は許してくれる。現に、そうでした。
ですが、私は違います。
私は、私を一生許さない。
「全く、腹立たしい」
小さい時から、私は自分の異常性を知っていました。自身の特異性を自認する程度には、常識が持てるよう育てられましたから。
でも、お父様は私を本当の娘のように……いや、それ以上の愛情を注いでくれました。
白い髪も、紅い瞳も、真っ白な翼も、全て褒めてくれました。
勿論、其れは私がお父様を愛するようになった理由の一端にすぎません。ですが、本当に嬉しかったことも事実です。そして、お父様のために尽くしたいと、心から思うようになりました。
だから、私がお父様のために力を求めても、それは当然のことです。
禁忌の存在である自分を、世間が良い目で見ないことくらい想像できましたし、それ以上に、お父様を御護りしたかったのです。だって、何処かの世界はお父様の首に賞金をかける程、莫迦でしたから。どんな手を使ってお父様を汚そうとしてくるか、想像するだけでグツグツと怒りが沸きます。
そして、何よりも。
「お父様……」
もう、あんな過ちは二度と犯さない。お父様を悲しませるなど、もう絶対にしてはなりません。あの時、何度自分を殺そうと考えたことか。
私は、私が大嫌いです。でも、だからこそ、私は一振りの“剣”として、お父様を護れます。
だって、自分が嫌いな人に、自己愛なんてないでしょう? 勿論、そう簡単に死ぬ気はありませんけど。死んで、お父様を悲しませるのはもっと嫌ですから。……ええ、最近、そう思うようになりました。
自分が大嫌いな私に、プライドなどありません。唯、お父様のために。そのためなら、幾らでも貪欲になれます。願わくば、ハク様だって越えたい……なんて、もうとっくの昔に諦めてますけど。
お父様のためなら、ハク様の駒にだって何だってなりますよ。
……あぁ、憂鬱です。ずっとずっと憂鬱です。
我ながら世の中の底辺を這っている私ですけど、お父様を冒涜する世界はもっと最低です。
そんな世界。
そんな世の中。
それでも。
「ありがとうございます、お父様……」
両手を胸に当て、目を閉じ、私は祈ります。別に、小さい時から自然とやっていることです。
私は、お父様に出逢えて、本当に幸せです。
こんな世界でも、私の幸せは確かにあります。
お目当てのお菓子を盆に盛って、テーブルに置きました。
「あ、ありがとう」
「いえいえ、あ、お茶も淹れますね?」
「あぁ」
お茶を注ぐ音に、立ち昇る湯気。
私は、お父様の隣に腰掛け、そっと此の身を預けます。
「雪、止まないな。当然だけど」
お父様につられ、窓の外を見つめます。降り続ける雪を見て、私は小さく首肯しました。
雪って、私はとても素敵だと思います。
特に、地に堕ちた雪が最高です。
空から落ちてくる雪。
しかし、地面に落ちると、土や泥に塗れ、人に踏まれ、最後には、泥水と変わらぬモノになってしまいます。
それが、まるで此の汚い世界を象徴していくようで。そんな汚い世界に擦られ、濁ってしまうお父様を連想させるようなもので。
見る度に、お父様を汚れさせてなるものかと、代わりに汚れていく私を見るようで。
嬉しいような悲しいような吐き気を催すような、そんな不思議なものだと思います、雪って。
「お父様」
「え?」
「ハク様だけじゃないのですよ?」
「……そっか」
お父様に分かって頂けたのだろうかと思った後、直ぐに、如何でもいいかと思い直します。
そう、お父様のためなら何でもできる人は、ハク様だけじゃない。
私は————
「大好きですよ、お父様」
唯、此の方のために在りたいから。
そう思って、思い切り抱きつきました。
そんな私の肩を叩いてくれる温かい手に、思わず融けてしまいそうになります。
……あぁ、雪も融けるのでしたね。
そんなところも、似ているようです。
刹那、文句無しで榛名至上主義(←またかい)。
彼女は榛名に徹底的に尽くします。何度か描写しているのですが、実は彼女はハクにとてもよく似ている心理構造で、しかもハクの様に歪んでいます。
どこまでも榛名に尽くすキャラ、という感じです。
次回は子日編です。レポートの都合上間が空くと思いますが……。
御意見御感想宜しくお願いします。