今月と来月、共に更新する余裕が殆どなさそうです……申し訳ありません。
今回は子日編です。前半は榛名視点、後半は子日視点でお送りします。
第伍拾話 カレと妹の休日
「ううん……ちょうどイイ涼しさですね」
曇り空の広がる庭に立ちながら、子日は大きく伸びをした……無表情で。
兄として彼女を見慣れている身としては、それほど珍しい光景でもないんだけど。
「そうだね……うん、暑いよりこっちの方がイイな」
僕たちが生まれ育った
そんな僕らにとって、この『曇』はちょうどいい空間だった。
此の空間は、他の空間と比べるとかなり小さい。あるのは庭付きのログハウスと湖、少しの草原だけだ。
空は永遠に曇っているため、湖が蒼くなることもない。常に灰色のような白いような湖だ。
僕の家は村の中では結構格式高く、所謂“資産家”だった。何でも、遠い遠い祖先が皇族らしい。だからこそ、そこそこ厳しいところもあったんだけど、ウチはどちらかというと男より女の方が所作とか厳しかった。子日も、其れこそジーンズもはけないくらい厳しいルールに縛られていた。
露土音には、綺羅川以外にも大きい家が二つあって、綺羅川と並んで“御三家”と言われていた。まぁ、この御時世では、別に偉いとかそういうのではなく、“家がデカいランキングベスト3”のような感じだ。
でも、今の僕らにはそんな制約もない。地図で見たところ、此の世界には綺羅川どころか露土音村そのものがなかった。確かにド田舎だったけど、何も地図に載っていないわけじゃあない。
まぁ、下手すれば“綺羅川 榛名”が二人いるような事態にならないよう、神様が調整してくれたのかもしれないし、最初から、世界によって日本の地理がバラバラなのかもしれない。
「懐かしいなー……」
前世の時の友人の顔、両親の顔が浮かぶ。何度も何度も思い出しているし、思い出せる。もう、泣くことはなくなったけどね。
子日は、いつの間にか振り向いて、地味に黄昏ている僕をジッと見つめていた。
小さい時からずっと一緒にいる妹だけど、彼女は感情の起伏がない。少なくとも、表には出さない。怒るようなこともなくようなことも、彼女は「そうですか」の一言で済ませていた。
だからと言って冷酷というわけじゃないし、人望もある。気の合う友人はあまりいなかったみたいだけど、いざという時にはクラスを纏めたりしていた。お嬢様だし、所謂“高嶺の花”という奴だったのだろう。兄である僕としては、何時も僕の傍にいた妹という感じしかしなかったけどね。
「子日、サンドイッチがあるけど……」
「はい、頂きます」
事前に二人で作っておいたサンドイッチを、庭に置いてある丸いテーブルに置く。
僕たちの家は、両親が共働きだったから、二人だけの食事というのもよくあった。
「兄さんと一緒にいると……前世を思い出しますね」
「此処で“昔”だったら僕ら普通の人間なんだけどねぇ」
そんな掛け合いをしながら、交代交代でカップに紅茶を注ぎ、支度を整える。
「「頂きます」」
手を合わせて、食事を摂る。
うん、懐かしい。色々と。
「兄さん」
「ん?」
「素敵ですね」
子日の言葉に、僕は少し眉をあげた。
「……そうだね」
それは、別に不愉快だったとかじゃなく、純粋に驚いただけだ。
子日は、こういう表現を会話に用いることはあまりない。兎に角、彼女自身か感嘆とか感動とかを表に出さないからだ。
……或いは、彼女はそういうキャラクタをつくっているだけなのかもしれない。
僕は、よく「つかみどころがない」とか言われがちだけど、子日の場合は「真意が分からない」といったところだろう。
何にせよ、案外似た者兄弟だ。実際、仲が悪いわけじゃあないし。
「此処に来て、私は僥倖だと思っています。
「うん」
「
其れは、人々が『現実とは何か』という問いの回答を模索した時に現れるだけのものではないでしょうか」
「虚像、幻想ということかな?」
「そうでしょう? 私たちが生きていく中で、現実など必要ですか?
では、現実とは常に私たちの目の前に在るのでしょうか? 違いますよね。普段生きていて、『此れは現実だ』などと常に思っている人間になんていませんよ。人が意識していないということは、存在していないと同義です」
何時も通りの無表情に、少しの笑みを混ぜながら、子日は両肘をテーブルに置いて此方を見つめてきた。
「今じゃあ、子日はリアリストが嫌悪するファンタジックなものの筆頭になってしまったからね」
「ええ、皮肉なものです」
大袈裟に肩をすくめ、子日は考え事をするように目を伏せる。前世の時から引き継いでいるのか、その所作は優雅さを残したままだ。
「ですけど、私がリアリストなところは変わっていません。自画自賛するようですが、私は自身の身の丈を理解していますから。
魔法なんて、一つの
「ツール、ねぇ」
「戦前の日本では、自動車の運転技術が一種の特殊技能と認識されていました。今では、成人以上の日本人にとってはマジョリティとなった運転技術が、です。
魔法も似たようなものですよ。魔法使いは、ちょっと技術を持った人間なんです。魔法が広まれば、唯の一手段になる。いえ、今もそうかもしれません」
「ふむ」
「その力を世界のために使う。成程、其れは理にかなっているでしょう。少なくとも、兵器開発とか戦争に利用されるより億倍マシです。
……ですが、私はそもそも、魔法とは日常に使うべきものと考えます。
こんな風に」
そう言って、子日は軽く指を振るう。空中に水の塊が
「だから私は、自身の戦闘力に酔い、賞金稼ぎとかそういうのになることもありませんでした。此処に来る前は、修行と勉強に大半を費やしていましたよ。魔法薬・魔具・魔法理論・術式体系……魔法使いは、何も戦闘員とイコールではありませんから」
「本質的には、寧ろ研究員に近い」
「錬金術師のような感じですね」
「……ところで、急にどうしたんだい?」
「いえ、昔の私はどう思うのか、と思いまして」
其処まで言って、子日は紅茶で喉を潤した。彼女が長広舌になることは、それほど珍しくはない。何て言うか、彼女は無言の時と怒涛のラッシュの様に喋くる時の波の様なものがある。
「昔の私が、『未来の貴女は、神様にあって魔法を使えるようになって別の存在に憑依しますよ』なんて言われたら、何て思うかな、と」
「珍しいね、子日がそんなこと考えるなんて」
「たまには、過去の自分を思え返すのも悪くはないと思いますよ。非生産的ですけど」
僕にだけわかる、苦笑している表情。表向き無表情だけど、今の彼女は間違いなく、内心苦笑しているだろう。前世の時の艶やかな黒髪とは真逆となった白髪を掻きながら、子日は曇り空を見上げた。
「多分昔の私は『良いですね、何処でも皿洗いができますよ』とか答えると思いますけど、兄さん、如何ですか?」
真顔でそう答える(前世の姿の)子日がありありと想像できて、危うく紅茶を噴き出しそうになった。
「……まぁ、
「ん? 何か言った?」
「いえ、何も」
子日の吐いたため息は、紅茶の湯気と混ざって消えていった。
……フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ、遂に来ましたね……!!!
本当、本ッ当に久しぶりですよ、兄さんとのんびりまったり暮らせるのは……。
嗚呼、心の中では小さい私が狂喜乱舞していることでしょう。
私は、自分で言うのも何ですけど、歪な人間です。
アトリエに引き籠りがちなインドア派の癖に、兄さんのためなら幾らでも戦える気がします。
魔法を日常に用いることを勧める癖に、兄さんのために一応訓練しています。
昔から私は兄さんのために、普段の私の行動理念とは矛盾する行動をとってきました。
その上で、表向きは無表情・無感動を貫き通し、兄にたまに小言を言うお節介な妹を演じています。
その理由も、実のところよくわかっていません。
そもそも、何故私は実の兄に、此れほどまでの好意を寄せているのでしょう?
客観的に見て、兄さんは魅力的な異性とは言えません。いえ、言えるのですが、普通より少し上くらい……兄さん以上に魅力的な異性など、探せば幾らでも出てくるでしょう。
それでも、私は兄さん以外の異性に魅力を感じたことなど一度もないですし、理想的な男性像は兄さん以外にあり得ない。
物語に在るような、命を救われたからとかそんな劇的な理由もなく、唯気が付いたら好きでした。
もっとも、此の思いを兄さんに伝える気も、今のところはありません。私は兄さんの妹として、あの人の傍にいられれば良いのですから。
ついでに、あの従者が死んでくれれば最高ですけど。
以外と独占欲強いんだなぁ、私。そんな自分を再発見しました。自分の心理分析など、好き好んでやる人はいないでしょう。
「兄さん」
「んー?」
「デザート、欲しいですね」
「ん、うん」
私は立ち上がり、一旦家に戻ります。そして冷蔵庫を開けて、予め焼いておいたアップルパイを取り出しました。ザクザクと斬って、さらに分けます……ウォーターカッターで。
使い慣れると、本当に便利なんですよね。上手く調整すれば、濡れることもありませんし。
魔法学校では、まだ一桁の子供に『
そうすれば、日常生活の中で細かな調整とか秘匿とかの練習になるでしょうし。
まぁ、どうでもいいですけど。
此の力を、戦争に使おうとする者がいる。
其れは何時か、
そうなれば……兄さんのために、兄さんに手を出す莫迦共を八つ裂きにしてやるのも、吝かではありませんね。
でも、今は兎も角……美味しいデザートの作り方でも、勉強しておきましょうか。
兄さんのお口に合う様に……今日はどんな感想をくれるんでしょうか?
多分、「美味しい」で終了ですけどね。
涼しげな風が、私の頬を撫でていきました。
ある意味、明日菜や刹那より中学生らしい“妹”の子日。
彼女は前世が平和に暮らす一般人だったこともあり、明日菜や刹那のように凄惨な過去や辛い自己嫌悪に苦しみ、其れをバネに強くなるようなことにはなっていません。精神構造も、ちょっと大人びていますけど民間人の範囲です。でも、例によって榛名至上主義者(←例によってって何だよ)ですので、榛名以外の人間にはあまり興味がありません。
彼女は戦うのを嫌ってはいませんが、非生産的と捉え、好んでもいません。
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