分量が長くなってしまったため、その弐として更新しました。
学園長からの依頼——裏その弐
—ネギside—
京都に向かう新幹線。楽しいはずの車両内には、叫びにも似た悲鳴がこだましていました。
点呼をしていた時です。突如として、大きな蛙達が大量発生したんです。
僕は口をあんぐりと開けて、放心してしまいましたが、これはいけないと行動を起こしました。
何が何やらわかりませんが、僕は教師なんです。生徒達の危機は、僕が救わなければならないと思ったからです。
一人だけでは力が足りず、親切な皆さんと協力して、大急ぎで蛙達を袋へと詰め込みました。
それだけならば、何の問題もなかったんです。
ですが、徐々に悲鳴も止み、安堵の息を漏らした時でした。
予想外の事態が巻き起こったんです。
アスナさんにこう言われました。密書は大丈夫なのか、と。
途端に不安になり、奪われていないかを確認しました。
懐に手を伸ばし、確かに密書の手触りを感じました。
良かった。
心の中で呟きました。
アスナさんが心配した面持ちだったので、安心させてあげようと密書を見せたんです。
ですがそれこそが、致命的な間違いでした。
唐突にも、背後から風切り音を響きました。そして、何者かが書状を掠め取ってしまったんです。
唖然と目を見開く他ありませんでした。
その何かは鳥のように見えました。次第に速度を上げて、遠くへと去って行きます。
「ね、ネギ!」
未だに唖然と固まっていましたが、これはいけないと再起動を果たしました。
ですがもはや、逃げて行った方向にはドアがあるだけでした。
姿なき鳥を、懸命に追走しました。
いくつもの車両内を疾走しましたが、鳥の姿は、影も形もありません。
お客さん達が唖然とこちらを見つめていましたが、気にしている暇などはありませんでした。
自然と、顔がしかめられていきました。
確かに聞いてはいました。
関西呪術協会には、不穏分子がいる、と。
ですがそれは一部だけで、関西呪術協会の大半は、東西の友好に協力的だと聞いていたんです。
甘く見ていたと言わざるを得ませんでした。
その時脳裏に、僕が尊敬して止まないヒサキさんの言葉が呼び返されました。
「京都か……ネギくん、気をつけるんだよ」
深く、頷けました。
ヒサキさんは暗に言っていたんでしょう。
「東と西は一枚岩ではない。妨害工作には、気をつけるんだよ」
畏怖を覚えずには、いられませんでした。
その情報能力の高さにです。
夕闇迫る河川敷にてヒサキさんは、僕が京都に行く事を初めて知ったはずなんです。
それと同時に思いました。
何て優しい人なんだ、と。
自分とは直接の関係がないのにも関わらず、僕を心配してくれていたなんて。
次第に相反する感情が、せめぎ合って行きました。
多大な昂揚感と、多大な羞恥心。ヒントをくれていたというのに、僕は。
無我夢中で鳥の姿を探しました。依然としてその影も見つかりませんが、諦める気は毛頭ありませんでした。
これは僕の失態なんです。僕が片付けなければならない事柄なんですから。
ですが、一つのドアを開いた時でした。
予想外にもこの騒動は、終わりを告げました。
そこにはある少女の、後ろ姿が在りました。
麻帆良学園中等部の制服を着ていました。特徴的な髪型は、ハッキリと見覚えがありました。
恥ずかしながら名前がわからず悩みましたが、記憶を辿っていくと思い出しました。
僕の生徒である、桜咲刹那さんだったんです。
不思議に思いました。
僕達にあてがわれた車両からは、少しだけ、離れていましたから。
ですが、その手に握られた密書を視認した時に、疑問は氷解しました。
桜咲さんが振り返り、僕を見据えました。
凛とした佇まいに、竹刀袋。それはとても印象的に映りました。
「ネギ先生。
くれぐれも気をつけて下さい」
そう言って僕に、密書を手渡しました。
コクコクと頷きました。
どうしてかはわかりません。ですが桜咲さんは、怒っているように感じられたからです。
声音は低く、鋭い目付きが僕に向かっていました。
「は、はい。
あ、ありがとうございます」
「それでは」
桜咲さんが会釈をして、僕の傍を通り過ぎて行きます。
その時に僕の口は、反射的に開きました。
「さ、桜咲さんが取り返してくれたんですか?」
桜咲さんの歩みが止まり、ゆっくりと振り返りました。
唖然としました。
先程とは打って変わり、その表情には穏やかな笑みがあったからです。
良くわかりませんが、こちらまで暖かい気持ちにさせてくれる微笑みでした。
「いえ、私ではありません」
「では、誰が?」
桜咲さんが、クスリと笑いました。
その声音は優しく、さながら、一輪の花のような美しさが漂っていました。
「小林さん、いや、小林氷咲さんです」
「え、ええー!」
僕の口が、自然と開きました。
桜咲さんがまた、クスリと笑いました。
信じられませんでした。
鳥から密書を奪い返してくれたのは、ヒサキさんだと言うのですから。
有り得ないんです。
ヒサキさんは学生の身。京都行きの新幹線に乗車する必要性が、皆無と言っても過言ではないんですから。
ですが、桜咲さんが嘘をつくとは、到底、思えませんでした。
それならばどうして、ヒサキさんは。
尋ねようとすると、桜咲さんが遮るように言いました。
「小林さんが、この京都行きの新幹線に存在する事は、変えられない事実です。
そして私の目の前で、神業と呼んで差し支えない戦いを見せてくれました。
式紙は抵抗さえも許されず、無様にも消え行きました。
ネギ先生が持っている書状。それこそが確たる証拠です」
僕は唖然と、密書を見遣りました。
ヒサキさんがここにいる。
そして、式紙の鳥からこの密書を奪い返してくれた。
その事実はさながら、心を晴れ渡る空のように変えて行きました。
モヤモヤとした不安な気持ちは、霧がはれるかのように消えて行きました。
勇気がみなぎるとは、この事でしょうか。
自然と、口が開きました。
誠心誠意の、お礼を言いたかったんです。
ここまで僕に優しくしてくれて、ここまで僕を見守ってくれているヒサキさんに。
「ヒサキさんは、どこにいるんですか?
お礼を言いたいんです」
すると、桜咲さんの表情が一変しました。
その瞳は真剣そのもので、静かに口が開いていきました。
「小林さんは言いました。
微力ながら、俺に手伝える事があったら言ってほしい、と」
その言葉に、心は盛大に騒ぎ立てられました。
騒がしいほどの昂揚に、身を任せました。
もう心に、不安などがその姿を現す事はないでしょう。
なぜならば、ヒサキさんが手伝ってくれると言うのですから。
自然と、笑みが浮かび上がりました。
ですが次の瞬間、僕は愕然と口を開きました。
桜咲さんが、こう言ったんです。
「ですが、私は断りました」
「え、ええー!
どうしてですか!?」
揺れる車両内に、叫び声がこだましていきました。
「私達は一様に、小林さんから、多大なる恩恵を受けた。
違いますか?」
「い、いえ、違いませんが」
大停電の日の決闘。
心を動かされ、騒ぎ立てられた記憶が明確に、映像となり蘇りました。
桜咲さんが逡巡の後に、言いました。
「ならば、一つ聞きます。
ネギ先生は小林さんに、一つでも何かを返しましたか?
恥ずかしながら私は、何も返せてはいない」
言葉に、詰まりました。
考えても無意味な事、でした。
なぜならば僕は、ヒサキさんに何も返せてなどいない。
「だからこそ私は、その有り難い申し出を丁重に断りました。
ネギ先生、思いませんか。思えませんか?
今こそ私達は、その恩恵に報いり、応え、返すべきなのではないか、と」
その言葉が心の奥底に、さながら、浸透するかのように入り込みました。
強い決意を持って、深く頷きました。
そうだ。
ヒサキさんの善意を、当たり前だなんて思ってはいけない。
ヒサキさんが、例え見返りを求めなくとも。
ヒサキさんの、多大な優しさに応えるためにも。
ヒサキさんに、認めて貰えるようになるためにも。
休んでいて貰うんだ。
僕が、僕達が、やり遂げて見せるんだ。
「はい。そうですね。
ヒサキさんは僕のために、その尊い命を掛けてくれました。
だからこそ僕も、ヒサキさんのために命を掛けます。
報いるためにも。応えるためにも」
桜咲さんが、穏やかな笑みを浮かべました。
「小林さんは、最後にこう言っていました。
嬉しそうに微笑んだ後です。
優しげな声で、見守っているからね、と。
その暖かい後押しに応えるためにも、やり遂げて見せましょう」
僕は、深呼吸をしました。
虚空を見つめて、何処かで見守ってくれているヒサキさんに呟きました。
それは、決意表明。
「はい。
ヒサキさん、どうか見守っていて下さい。
僕は、やり遂げて見せますから!」
自然と、二人して笑い合いました。
窓の外に、見知らぬ町並みが映りました。
京都は、もう近い。
新たな決意と共に、強く頷きました。
ふと、ある事に気づきました。
カモくんが静かなんです。
不思議に思い懐を見遣ると、先程と変わらず、身を守るように丸まっていました。
その身体は小刻みに震えていました。
—神楽坂明日菜side—
先程までこの場、車両内にいたネギの姿は消えていた。
大事な密書とかいうものを、鳥に奪われ、その背を追いかけて行ったからだ。
走って行ったドアを見て、苦笑を漏らした。
「忙しいやつね、まったく」
突如蛙が大量発生した時は、私も唖然としてしまったけれども。
「まあ、ただの鳥だし、大丈夫でしょ」
そう呟いて、先程まで悲鳴が上がっていた車両内を見遣った。
騒動が嘘だったかのように、今は楽しげな喧騒が広がっていた。
自分の座席に座り、窓からの風景を眺めた。
寂れた町並みから、少しだけ発展した町並みへと移り変わっていた。
空は青く、雲一つない。揺れる車両内が何処か心地好かった。
ふと、昨日の人生最大と言えるほどの失態が思い返された。
テンションが上がり過ぎていたというか、なんというか。
口が軽いカモに、ある様子を目撃された事だ。
正しく、一生の不覚と言えた。
まさか、見られていたとは思わなかった。
確認した時は確かに眠っていた。それなのにカモは、警察犬のような嗅覚で探し当てたんだ。
アイツのあの能力を、もっとより良いものに役立てなさいよ、と心の中で毒づいた。
未だにあの失態は、思い出すだけで身体中が熱くなっていく。
秘密を漏らさないよう、脅した効果は出ているようだからまだ良いけれど。
それにしてもアイツは失礼な奴だ。
少し脅しただけなのに、気絶してしまうなんて。
私を鬼かなにかと、勘違いしているんじゃないか。
思い出したら、また腹が立ってきた。
カモがいるだろう方角を、睨みつけた。
妙な動きをしたら、覚えておくと良い。
「本当に、口を、糸で、縫い付けてやろう」
程なくして、何をやってるんだ私はと苦笑が漏れた。
胸元に隠された首飾りへと、独りでに人差し指をはわした。
固形の感触が、多大な昂揚感を生んでいく。
私のために用意してくれた、誕生日プレゼント。
その事実は、余りに嬉し過ぎた。
ふと、思えた。
今頃、小林先輩はどうしているだろうか、と。
真面目だから、授業でも受けているんだろう。
自然に、笑みが浮かんだ。
同時に、小林先輩の穏やかな微笑みも浮かび上がった。
急速に、体温が上昇していく感覚を捉えた。
だが、恥ずかしくはなかった。
この感覚は、なんなのだろうか。
高畑先生に向ける感情と、同一のもののように思えた。
暖かくて穏やかな、さながら、日光浴をしているような感覚。
ふと、脳に何かがひっかかるような感覚を捉えて目を細めた。
何か、思い出せそうな気がしたんだ。
底の底にて、忘れ去られてしまった記憶が。
光り輝くような、失われた過去の記憶が。
「私と……小林先輩は……昔……」
「アスナ、なにやってるん?」
その優しげな声音で、意識が覚醒していった。
木乃香の首が傾げられて、こちらを覗き込んでいた。綺麗な黒色のロングヘアーが、パラパラと揺れていた。
どうしてか、途端に恥ずかしくなった。
取り繕うように、慌てて声を返した。
「ななな、なんでもないわよ!」
「ふーん。そうなん。
それに、さっきから胸元ばっか触ってどうしたん?」
「そそそ、それこそなんでもないわよ!」
叫び声は、車両内の騒音にかき消された。
木乃香の声で、気づいた。
未だに、首飾りに触れ続けていた事に。
羞恥心が騒ぎ立て、居ても立ってもいられなくなった。
私は何とかごまかそうと、必死に言った。
蘇りかけた記憶が、また、底の底に向かい沈んでいった。
—ある夜の幼女吸血鬼さん—
寝室。ベッドに仰向けで寝そべっていた。
私は悶々と唸っていた。
室内は薄暗かった。開け放たれた窓から月光が差していた。煌めいて見える夜風がカーテンを揺らした。
先日、朝倉和美から譲り受けた写真を手に眺める。
そこにはある少年が写っていた。口をぽかんと開けた、間抜けな写真だった。
だが、普段とはまるで違う少年の出で立ちが、痛く気に入っていたのだ。
普段ならば、それを手に笑っていたはずだ。
だが今日の私は、笑う気にはなれなかった。
なぜならば、今、私は、焦っていたからだ。
その写真の少年は、小林氷咲に他ならない。私の心を騒がして止まない、ただ一人の男。
京都の地。持ち前の美し過ぎる善意故に、危険な目に遭ってなどいないだろうか。
朝に、自身の並々ならぬ愛情を知った。
ヒサキの並々ならぬ決意を知った。
だからこそ私は、あいつが笑えるようにと快く送り出した。
幸福の絶頂だと、満足げに笑っていたはずだった。
ヒサキの実力ならば、並大抵の相手では歯牙にもかけない事は理解している。
だが、夜になり感情の色は変わってしまったのだ。
この問題に限り、それとこれは別なのだと気づかされたのだ。
焦燥心に駆られた。
さながら、心配という名の焦燥心は、時を経て増殖していった。
出来る事ならば、私も京都に向かいたかった。
だが、それは不可能なのだ。
登校地獄。
その呪縛は重く響いた。麻帆良を出れない事実は、焦燥心に拍車をかけた。
自らの人生を悔やんだ。
どうして私は、負けたのか。
あまつさえ、登校地獄などという、たわけた呪いをかけられてしまったのか。
さながら、自らに対する憤りが身を焦がすようだった。
正に、八方塞がりと言えた。
電話をかける事さえ、出来ないのだ。
なぜならば私は、ヒサキにあんな大口を叩いたのだぞ。
それにヒサキは、こう言っていた。
「直ぐに帰れる。
帰ったら沢山話しを聞くから、待っていてくれると嬉しい」
私が電話をかけたら、ヒサキの男気、プライドをへし折る行為と同等なのだ。
そんな事は、したくなかった。
ならば、どうすれば良いというのだ。
今にもヒサキは、尊き善意故に命を掛けているかも知れない。
誰か、あいつを止めてくれ。
愛すべき愚か者を、誰か。
この私が、切に願う。願うのだ。
むくりと、起き上がった。
窓辺に立ち、大きな月を見上げた。森林は霧が漂い、それらが光りを反射していた。
夜空には星が浮かび、私は呆けたまま見つめ続けた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
霧に包まれていた脳内が、心なしか晴れたような気がした。
一筋の流れ星が、瞬いて、燃え尽きた。
そして、その瞬間だった。
脳髄にさながら、雷が落ちたかと錯覚するほどの衝撃が走り抜けた。
笑みを浮かべる時間も、もったいなかった。
その光明を胸に、私は叫び声を上げた。
そうだ。
私は行けない。行けないが。
「ち、茶々丸ー!
頼む!頼みがあるんだー!!」
慌てふためいたまま、半ば転がるように部屋を後にした。