最後の一人称に関して、調べ回ったところ、私は可能ではないかと判断させて頂きました。
ですが、もし私の調べが足りず不可能でしたら、申し訳ないのですが、あらすじにも書いていますが、この作品だけのオリ要素として許容して下さると幸いです。
正に、驚天動地と言えよう——裏その肆
—エヴァンジェリンside—
「ええい、茶々丸からの連絡はまだか!」
静まり返ったリビングに、私の声が虚しくも響き渡る。
腕を組んだ姿勢のままで、そこらを右往左往と歩き回る私は、文字通り、上の空だと言えた。
この私が滑稽にも願い、待ち望む吉報は、未だに訪れていない。
茶々丸が麻帆良を発ってから、早いものだ。如何ともし難い時が、流れていた。
視界に映り込む窓の奥には、雲に体の半分を隠された月が張り付いて、夜の帳が辺りに広がっていた。
私は、徐にソファーに腰掛けた。そして、目を閉じて思う。
今日、一日、茶々丸不在に置ける日常の弊害は、予測を遥かに越えた形で、多々あった。
この私が日常生活、所謂、料理などに困る。確かに、そんな由々しき事態は我慢ならない。
今まで私であるならば、なんと面倒ばかりの一日なのかと、怒髪天を衝いていたはずだと断言出来る。
だが、しかしだ。
今日という一日は、過去より増して、ある感情を再認識させられる結果となっていた。
それはあの、愚者を地で行って見せるアイツへの、私の想いは真実であり、まやかしなどではなかったのだ、という感情を。
そして、少々、不思議に思えていた。
なぜならば私には、微細で矮小な憤りさえ、その劣悪な色を映し出す事はなかったのだから。
だが、その答えは案外、簡単に見つかった。
私は心の底から、こう思っていたのだろう。いや、こう思えるように変化させられていたのだろう。
私が我慢をする事で、愛すべき馬鹿者の負担を少しでも減らせる起因となるのならば、私はそれを許容しようではないか、と。
その想いは、見える何もかもを、見慣れた景色でさえも、容易く一変させた。
その心境は、私の心に蔓延っていた憤りなどという陳腐な感情を、いとも簡単に消し去って見せたのだ。
だが反面、そのポッカリと空いた隙間に、傍若無人にも侵入してきた感情が生まれていた。
それはある種、踊り惑うような思考のざわめき。
私は確かに、認めている。
ヒサキの異才を放つまでの実力のほどを。
この私に土をつけて見せた手腕。未来を予知したかのような、偶然さえも策に組み込む戦略眼を。
茶々丸がヒサキの手足となりフォローするのならば、その道の一流に属する者ともいえど、勝利できなくとも対応しうるだろう。
そもそも、関西呪術協会の一部如きに、私クラスの強者がいるとも思えん。
だが、何事にも絶対はない。絶対はないのだ。
どれだけ用意周到に準備を行い、迎え撃ったとしてもだ。万に一、さながら、夏に降る雪のような運命の悪戯が発生してしまう可能性はあるのだ。
何も知らない他人は、考え過ぎだと嘲笑するかも知れない。
これまでの私も、その部類だったのかも知れない。
だが、今は違う。違ってきてしまったのだ。
相手があの、小林氷咲という、本当の意味で私を雁字搦めにして見せた男が、絡んでくるのならば。
私は、ある事を知り、地に足がついてしまったのだ。卑下していたはずの、臆病者に成り下がってしまったのだ。
ふと、目を閉じるだけだ。
たった一瞬、目を閉じるだけで、あいつの危機が鮮明に浮かび上がってくる。そして、居ても立ってもいられなくなるのだ。
独りでに自嘲めいた笑みが、口許に形作られた。
心の中で、小さく呟いた。
……だが、それも悪くない、のかも知れない。
アイツを失うくらいならば、例え他人に臆病者と罵られようが構わん……。
そう、素直に思う。
思ってしまう自分がいる。
そしてそれを、手放しで許容しろと囃す、もう一人の自分がいた。
再度、苦笑が漏れ出た。
変化、か。
知らず知らずの内に私は、他人だったはずの者を、自らの命よりも重要な位置に据えていたのか。
全く、なんという男だ。
六百年という気が遠くなるほどの時間で培ってきた思考を、たった一瞬ほどの短過ぎる時間の中で、変化させて見せるとは、な。
感慨深い。
そう、頷いた時だった。
待ち望んでいた電子音が、鼓膜を震わせたのだ。
私は目を見開き、唖然とした。
だが、周囲に響き渡る音で覚醒すると、大急ぎで受話器を取り上げた。
勢いそのままに、叫んだ。
「おい! 茶々丸遅いぞ!」
一拍の後、聞き慣れた抑揚のない声色が届けられた。
焦り狂う反面、酷く安堵している自分がいた。
「マスター、すみません。色々とありまして。
お変わりは」
「そんな事はどうでも良い!
アイツはどうだ!? 無事か!?
というか、傍にはいないな!?」
気づいた時には、まくし立てていた。
無様にも揺れる内情が、必然的にその行動をとらせていた。
「はい。お兄様には傷一つありません。
それとお兄様は、ネギ先生に会われに行きました」
傷一つない、その言葉を聞いて、ホッと安堵の息を漏らした。
焦り狂っていた心が、徐々に、安息へと傾いていく。
その安らぎを感じながらも、私はある事を尋ねた。
「……それでヒサキは、私の思惑に感づいていた様子はあったか?」
そう、この件だけが心残りだったのだ。
要約するならば、強い決意と共に、私はヒサキにこう言われていた。
ただ俺を信じて、待っていて欲しい、と。
男らしい言葉だ。私はそれを、頼もしく感じていた。
だが、それなのに関わらず私は、その想いを裏切るような行為をした。
茶々丸を送るなどという、ヒサキのプライドをへし折る行為をしてしまっていたのだ。
これはヒサキに取って見れば、暗に、お前一人では心許ないと言われていると思われても仕方のない事。
だが、致し方ないではないか。
私には、これ以外の手段、方法が思い浮かばなかったのだ。
私は、悩んだ。
どうすれば。
どうすれば、ヒサキの決意と折り合いをつけながらも、支援する事が出来るか、と。
悩んだ末に、光明が見えた。
だからこそ私は、じじいに貸してあった借りを回収してまで、裏工作を行ったのだ。
確かに、嘘をついている事は、後ろめたい。心苦しくもあった。
だが、これはヒサキのためなのだ。
アイツの無事を願うのならば、致し方のない事なのだ。
だが、しかし、ヒサキを侮ってはならない。
アイツの頭脳は、異常だ。はっきり言って、まともではない。
いとも簡単にだ。私の思惑など、刹那的に読み切ってしまう可能性は極めて高かった。
それを私は、酷く危惧していたのだ。
ヒサキの怒りが私に向けられるなど、考えるだけでも絶対に許容出来ない。
過去に、一度だけ私に、ヒサキは怒りの視線を向けた事がある。
それは、先日の夜。じじいの魔手から助けてやったのだと、滑稽にも勘違いしていた夜の事だ。
あの表情は、思い出したくもない。
確かにヒサキの瞳には、敵視の炎が揺らめいていた。
もう、あの非難するような瞳を向けられるなど、考えたくもない。
私は恐々と、言葉を待った。
そして、届けられた声音は、少しだけ揺れているように感じられた。
「……それは、わかりません。
お兄様は、長い時間、どうして私がここにいるのかを聞いてきましたので。
ですが、怒ってはいなかったように思われます」
心を、鷲掴みにでもされたような気がした。
長い時間、核心に触れようとするヒサキの姿が、脳裏に浮かび上がった。
それだけで私の心は、夜風に踊らされる木々の葉のように揺れた。
だが、しかしだ。
怒ってはいないという言葉に、希望的観測が首をもたげた。
安堵の息が漏れはしないものの、茶々丸の手前、気丈を振る舞って言った。
「そ、そうか。や、やはり気づいている可能性が高いか。
だ、だが、こちら側が首を縦に振らなければ、まやかしも真実となる。
茶々丸も心苦しいかも知れないが、これはヒサキの身を思っての事なんだ。
我慢してくれ」
「……はい」
そのどこか弱々しい言葉に、茶々丸の心境が窺い知れた。
変な、居心地の悪い雰囲気が、辺りに漂い始めた。
どこからともなく、沈黙がやってきて、私達の間を闊歩しているような気がした。
私はその雰囲気を打破すべく、言った。何か言わなければならないという、義務感に駆られていたからだった。
「そ、そうか。……まあ、この話しは終わりだ。
あいつの事だからな。やはりヒサキは、いつも私の事ばかり話しているんだろ?
なんと言っていた?」
独りでに、笑みがこぼれた。
ヒサキの私への想いは、それはそれは、果てないものだ。
ヒサキが私を、褒め称えているのは容易に想像出来た。
そう思うだけで、先ほどまでの心の揺らめきが、静まっていくのを感じた。
だがまた、どこからともなく、呼んでもいないというのに沈黙がやってきた。
一瞬の後、茶々丸が言った。それは余りに予想外、想定外な言葉だった。
「いえ、マスターについては何も」
一瞬、ポカンと口を開けてしまった。
私は、弾かれるように口を開いた。
「な、なに!
なにかあるだろ! いや、なにかあったはずだ!」
またしても憎たらしい沈黙が、私の周囲を、我が物顔で闊歩していく。
茶々丸が、小さく言った。
「いえ、マスターのマの字も、言っていませんでした」
「な、なんだと……」
色々な思考が、脳内を駆け巡る。
というかマの字じゃなく、エの字だろと心で突っ込みながらも、頭は白けていた。
そして、再起動を果たした私は、ある考察に行きついた。
それは、ヒサキは全てを知っていて、怒っているのではないかという考察だった。
考えて見れば見るほど、無情にも、その考察が正しいのではないかと思えてくる。
ヒサキは怒っている。だからこそ遠回しに、私に知らせると共に、正に絶望というこんな仕打ちを与えているのではないか。
そうとしか、考えられなかった。
なんという、サディスト。
私の強き想いを知っているからこそ出来うる、魅力が突き抜けている者にしか出来ない、罪深き仕打ち。
な、なんという事だ。
私が恐怖に戦いているというのに、茶々丸から声が届けられた。
「マスター?」
「ち、茶々丸、すまないが、茶々丸の口から、私が謝って、い、いや、なんでもない」
「マスター、どうかなされたのですか?」
その言葉に、私は強がって言った。
「い、いや、なんでもないんだ。
そ、そんな事より、なんでこんなに連絡が遅かったんだ?」
「マスターの命令が、お兄様の傍を片時も離れるな、というものでしたので。
現状は、お兄様がネギ先生の様子を見にいかれたため、連絡する事が出来ました」
「そ、そう言えば、そうだったな」
四度目の沈黙が現れる中、私は何とか話しを切り上げようと言った。
「ち、茶々丸! ヒサキを一人にするのは危険だ!
一人にしたら、アイツは何を仕出かすかわからんぞ!」
茶々丸の息を呑む声が、聞こえてきた。
「わかりました。
お兄様の位置は把握していますので、大至急向かいます。
そのご意志に反しても、止めさせて頂きます」
「あ、ああ、頼んだぞ」
茶々丸の決意に満ちた肯定の声で、電話は切られた。
フラフラとした足取りで、ソファーまでたどり着くと、そのまま倒れ込んだ。
知らず知らずの内に、脳裏には、ヒサキの怒気を孕んだ顔が浮かび上がってくる。
私は心の中で、嘆くように呟いた。
……ああ、ヒサキすまない。
私はお前を思って……だな。
その内情を吐露する呟きは、あろう事か、陽が昇るまで続く事になった。
−絡繰茶々丸side−
ホテル内の廊下を歩いていました。
清潔で冷たい空気が、私にまとわりついていました。
観光地とは言え夜、だからでしょうか。楽しげな喧騒はなりを潜め、音のない時が周囲に満ちていました。
ふと、マスターの言葉が思い返されました。その危惧は、ごもっともだと私も思います。
お兄様はとても勇敢な方であり、常人の思い及ばない発想を持つ方、なのですから。
私の考え及ばない事を実行し、その身に危険を抱え込もうとするという可能性も捨て切れません。
現状として、位置を把握してはいますから、そこまでの危機はないでしょう。
ないでしょうか、今後私は、考えを改めて、気を引き締め直さなければならないと決意していました。
お兄様は、慈愛に溢れたお方。
その強きご意志に反してでも止めさせて頂くには、マスターに言われた通りにするしかないのです。
確かに、心苦しくはあります。
確かに、嫌われてしまうかもという恐怖は、私の身動きが止まるほどに怖くはあります。
ですが、結果的に、お兄様をお守りする事さえ出来るのであるならば、私は嘘も厭わない。
そう言った決意が、不可欠なのだと思い知らされたのです。
やはり、お兄様に劣らず、マスターも博識であり強い方。自らも心苦しくあるのでしょうが、不可欠な事と割り切って見せる強さ。
正に、脱帽といった感を禁じ得ませんでした。
ネギ先生の自室が、遠目に視認出来ました。微かに、お兄様の優しげな魔力の波動を感知しました。
それだけの事だというのにも関わらず、私は酷く安堵していました。
ふと、知らず知らずの内に、歩調が速くなっているのに気づきました。
お兄様に会いたいという感情が、そうさせたのかもわかりません。
その時、背後の方向から、誰かが駆けてくる足音が響いて来ました。
ふと見ると、それは朝倉さんのようでした。
何か、慌てる事でもあったのでしょうか。
肩口にはオコジョ妖精が乗り、双方共に、必死の形相が印象に残りました。
私にも気づかないほどの慌て振りのままに、一目散と、傍を通り抜けて行きます。
そして、ネギ先生の部屋のドアを開け放つと、勢い良く飛び込んで行きました。
「こ、小林の旦那ぁー! 訳を説明させてくだせぇー!!」
「ご、ごめんなさーい!」
お兄様に、何か良くない事でもしたのでしょうか。
そうならば、それは由々しき事、です。
謝罪の言葉を不思議に思いながらも、遠巻きに部屋内を覗き込みました。
そして、私は目撃してしまったのです。
その部屋で行われていた、想定外であり、理解不能な行為を。
部屋には、お兄様とネギ先生がいました。
ですが、その体勢がおかしかったのです。
二人はまるで、恋人同士のように、抱き合い床に寝ていました。
その上、信じられない事に、双方の唇が、深く合わさっていたのです。
エラー、エラー。エラーが、爆発的な速読で多発して行きました。
二人は、一体、何を。
確かに、知識では、知っていました。
男女が愛を確認し合うために用いる、手段。口付けと呼ばれる、神聖な行為。
頭が、混迷と貸しました。理解が、出来ませんでした。
なぜならば、お兄様とネギ先生は、男性同士、なのですから。
胸の奥の回路に、不具合が発生しました。
モヤモヤとした何かが、騒ぎました。情報伝達を、抑制しているような感覚、でした。
程なくして、私は、私に生まれ続ける感情の正体を突き止めました。
それは、憤りと似た感情、のように思えました。
不思議に、思いました。
私は、怒ってでもいるの、でしょうか。
その感情の出所も意味も、理解さえも出来ないというのにも関わらず、ネギ先生に対して。
お兄様が音もなく、静かに立ち上がりました。
困惑する私へと、淀みのない瞳で見つめました。
どうしてか、朝倉さんが走り去っていきましたが、私には何も感じられませんでした。
ただ、出来る事は、お兄様の瞳を見つめ続ける事、だけでした。
朝の暖かな日差しが、ベッドで休まれているお兄様の全身に色を付けていました。
まるで、私は何かにとり憑かれているかのように、夜通し、見つめ続けていました。
昨夜の騒動が、夢のように思えました。
意識が戻った頃には、私は自室に、気を失っているお兄様と共にいたからです。
色々な思考が、浮かび上がりました。色々な感情が、騒ぎ立て続けていました。
現状に置いても、あの行為が鮮明に蘇り、私の感情は小さな憤りに支配されていました。
男性と、男性の関係。私はこう、思うのです。
それは、適切な関係とは言えない、と。
世の中には、そういった愛の形が、往々にして存在するのかも知れません。
ですが、お兄様に限って、私はこう思う。思ってしまうのです。
お兄様には、相応しくない、と。
ふと、ある夢物語が描かれました。
お兄様の伴侶には、マスターのような女性こそが相応しい、と。
それが、実現出来るのならば、どんなに良い事でしょうか。
染み入るような羞恥を抱きながらも、内心で小さく呟きました。
……そして、私をお側に置いて欲しい。
マスターや姉さん、お兄様、そして、私が、微笑みあいながら過ごす未来が、来て欲しいのです。
私がそんな未来を夢想するなど、おこがましい事、とは思いました。
ですが、それはお兄様の罪、なのです。
私に感情を与えてしまった、お兄様の。
独りでに視線が、お兄様の唇へと向かって行きました。
確かに現状として、お兄様は、女性に興味がないのかも知れない。
ですが、その悲しき現実を、私の手で変えたい。いえ、変えて見せたいのです。
私は、ガイノイドであり、女性ではありません。
ですが、私は、お兄様のご意志に反してでも止めると決意していたのですから。
方法は、雲を掴むかのようにわかりません。
わかりませんが、私が、私の手で、お兄様を変化させたい。
お兄様の整った容姿、優しげな顔立ちに、日が差していました。
どれほどの、時間が経ったでしょうか。
意を決して自分の顔を、お兄様の顔へと、ゆっくりと近づけて行きました。
私では、力不足かも知れません。ですが、一縷の望みでした。
私がそうする事によって、お兄様が女性を感じられるようになれたら。
徐々に、大きくなっていく、お兄様の顔。
まるで、スロー再生のフィルムのように、時までもが遅くなっているように感じられました。
エラーは、多発していました。
羞恥といった感情が、騒ぎ立て、加速度的に増殖しているかのような感を受けました。
お兄様との、口付け。
見知らぬ土地。見知らぬ部屋。もう少しで、私は、お兄様と。
唇が触れ合うか、触れ合わないかという、その時でした。
突然として、お兄様の瞳が開かれたのです。
一瞬、私は呆けて、固まりました。
ですが、直ぐに再起動すると、咄嗟に飛び退きました。
一斉に、思考回路が冷やされていく感覚が、身体中に巡りました。
ああ、失礼にも、私はなんという事を。
背後の方向から、お兄様の穏やかな声が響いて来ました。
「おはよう。
掃除なら俺も手伝うよ」
私の身動きは、制止しました。
自らの行いが恥ずかしく、かつ、いたたまれなくて。
ですが、これ以上の失礼を重ねてはならないと、強く思いました。
罪悪感から、顔を見る事は出来ませんでした。
ですが、精一杯の想いで声を返しました。
「……おはよう、ございます」
お兄様、一つお聞きしたい事があります。
……私とお兄様は、口付けを交わした、のでしょうか。
−全ての真実を知る美形な魔法使い−
京都の、雑踏。路地裏には。日本人特有の風情が、至る所に、点在していました。
人々の品のある語り口調に、古き良き建築物。騒がしい、観光客の喧騒。
この土地は、変わる事はない。それにしても、昔を思い出してしまいます。
悪戯な風が、私の前髪を攫うように揺らしました。
満足いくまで景色を堪能した私は、小さく呟きました。
「では、目的の場所に向かいましょうか。
彼は茶店で、お昼休憩のようですね」
私は人気のない場所を見つけると、目を閉じて集中しました。
そして、次の瞬間には、彼の背後へと転移しました。
彼は、私に気づいていないようです。 椅子に座り、品良くお団子を堪能していました。
対角線上に座るこの少女は、エヴァの従者でしょうか。
おっと、いけませんね。
事を荒立てるつもりはなかったのですが。
転移する場所を、少々、考えるべきだったようです。
少女が、即座に立ち上がりました。そして、こちらに向けて言いました。
「お兄様、下がって下さい。
相手は、相当の実力者だと思われます」
素早く私の前に立つと、彼を守るように戦闘態勢を整えています。
一拍の後、私は微笑んで口を開きました。
「いえ、その必要はありません。
私は闇の福音の友、そして、あなたと同様に、学園長に派遣されたしがない男です」
少女は、まだ疑っているのでしょう。
未だに警戒を解かず、鋭利な視線が私に突き刺さっていました。
おやおや、これは困りました。
微笑んで事を待っていると、やはりここで真打ちの登場、なのでしょう。
彼が立ち上がると、少女に微笑みました。
私にも、その柔和な微笑みを向けて、言いました。
「学園長の、ですか。
僕の名前は、小林氷咲と言います。
失礼ですが、お名前をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」
私は虚空を見つめてから、口を開きました。
「これはこれは、丁寧に。ありがとうございます。
私の名前、ですか。そうですね。
クウネル・サンダース。クウネルとでもお呼び下さい」
小林氷咲くん、いえ今更、改まる必要もないでしょう。
ヒサキくんが、愛嬌のある笑みを、口許に浮かべました。
私は内心で、そっと、呟きました。
拝見させて、頂きに来ました。
貴方を中心に、予測不可能でいて、奇跡にも近い、どのような勘違いが繰り広げられているのかを。
独りでに口許が、久々に本当の意味での、微笑みの形へと変化させられていました。