一体全体、意味がわからない——裏その参
—絡繰茶々丸side—
「お兄様は、お兄様ですが」
「そ、そうではなくてですね……」
「……?
何か、おかしいでしょうか?」
「お、おかしくはないんだけど、どういう成り行きでというか……!
……ねえ、刹那さん」
「は、はい、そうです!
どうして、そのような呼び方を……?」
「成り行き、ですか。
そう呼称しても構わないと、お兄様が認めてくれましたので」
「そ、そうなんですか」
「そ、そうなんだ」
ロビーの床に落ちた陽射しが、幾何学模様の陰を創り上げています。
大きな硝子窓の向こうには、規則的に並び立つ木々の青葉を、微風が揺らしていました。
眼前には、神楽坂さんと桜咲さんのお二方が並んでいます。怪訝ともどかしさが混ざり合ったかのような表情で、目を瞬かせています。
私は、正直に理解に苦しんでいました。
なぜならば、至極、当然であるはずの回答を迫られていたからです。
彼女達の質問をまとめますと、こういう事なのでしょう。
私が、どうしてここ、京都にいるのか。
お兄様という呼称は、一体、何なのか、と。
失礼かとは思いますが、率直に言わせて貰えるのならば、現状として、そのような事柄を説明している状況ではないのですから。
ですが、お兄様の傍に立つ者として、礼を逸してはなりません。
前者については、私がお兄様をお守りするのは使命のようなものであるから、と。
後者については、お兄様はお兄様なのですから、私のお兄様だとしか説明はできません、と返答しました。
お二方の真偽を問うような視線が、お兄様へと向かいます。
お兄様は当然ではないかと言わないばかりに、即座に微笑む事での肯定をしました。
まるで、涼しき春風を彷彿とさせる、爽やかな仕草。地球上の生物であるならば、見惚れてしまうのを拒否など出来るはずもない。
そんな事を考えていると、次の瞬間には、私は深い思考の渦に囚われていました。
それは、あの幻と消えた口付け、ではありません。
早朝から、最早、それなりの時は経っています。エラー処理も滞りなく完了し、私は気を取り直していたのですから。
そもそも、夢か現かさえ、区別はついてないのです。その上、現実であるのならば、お兄様には誠に不敬を働いてしまったのではないかと不安になります。
体温さえも、感じ取れるほどの隣接。突如として開かれた、珠玉の宝石のように透き通る瞳。
今でも脳裏に、鮮明に映し出されます。
身体中が熱を帯びる所か、強制的にシャットダウンさせられてしまいそうにもなります。
ですが、私の身体の異常になど、構ってはいられないのです。
お兄様には、不釣り合いな趣向。
それは所謂、同性愛、と呼ばれる禁忌、でした。
ああ、お兄様はどうして、そのような偏った趣向を……。
思考回路はまるで、暗雲が所狭しと群集い、光は閉ざされてしまっていました。
解答は、得られません。
きっかけ、でさえ掴めないのです。
私は、困り果てていました。
そのような現状を、ある声が覚醒させました。
どこか、恥ずかしそうに曇った声色。視界には、神楽坂さん達のドギマギとした顔が映り込んでいました。
「ち、茶々丸さん、ちょっと良いかな?」
「す、少しだけ、お話がありまして」
知らず知らずの内に、お兄様のお姿を探します。ソファーに座り、ネギ先生と談笑しているようでした。
私は深く安堵してから、お二人に小首を傾げて口を開きます。
「はい。
良いですが、どうかしましたか?」
それからは、大変でした。
それを機に、まるで、機関銃のように問いが連射されていくのですから。
状況の確認や、そのように至った成り行きなど、私とお兄様との細かな部分がおもでした。
私はというと、少々、余りの熾烈なまでの攻勢に驚きました。
ですが、意図について、理解は出来ませんでしたが、私は簡潔に答え続けました。
ようやく、銃弾は切れたようです。
三者三様に、無言。そして、神楽坂さん達に張り付く乾いた笑み。
お兄様達の会話の声、だけが音となり反響するロビー。
話しは、終わったのでしょうか。
それならば私はお兄様の傍に、そう、思えた時でした。
神楽坂さんが、あっと驚きの声を漏らしたのです。
圧力を感じるまでの、乾ききった笑みでこちらを見つめました。
「ち、茶々丸さん。
あのー……、そのー……。
な、なんていうか。
ま、まさかとは思うんだけど、泊まる部屋は違うんでしょ?」
意図は皆目といって掴めずに、再度、小首を傾げます。
桜咲さんも、同様の思いなのでしょう。
困惑と、目を細めています。すると、神楽坂さんはそっと耳打ちしました。
一瞬の後、でした。
突然、桜咲さんが大声を上げたのです。
「え、ええ! え、ええっ!
あ、アスナさん、それはさすがにないと思いますが……」
「そ、それは私も思うけど!
ね、念には念をというか……ねぇ?」
「は、はい。確かにそうですが」
二度のええっに、私はまた驚いてしまいます。
そのようなまでに、驚く事がどこにあったのか、と。
お二方の熱のこもった視線が、こちらを捉えます。静寂の後、意を決したように神楽坂さんは口を開きました。
「い、いや、そのね……。
さ、さすがに小林先輩と茶々丸さんは、部屋、別々なんでしょ?」
私は、内心で頷いていました。
得心が入ったという、心境。小さく頷きます。
どうして、でしょうか。
お二人は未だに、せわしなく目を右往左往と動かしています。意図は掴めませんが、言いました。
「はい。
お兄様の失礼ではと思っていますが、同部屋で過ごさせて貰っています」
お二方の目が、点となっていきます。
数秒ほどでしょうか。制止するように固まった後、叫びにも似た声を上げました。
全くの、同様な言葉。その声色は、驚愕に彩られていました。
「え、ええーっ!」
置いてけぼりとなっている私をよそに、慌てたふためく神楽坂さんは言いました。
「ほ、本気で言ってるの?」
「……?
はい。私の命は、お兄様の傍を片時も離れるなというものですので」
「か、片時もなんて、なんと羨ま……。
そ、そうではなくてですね!
さすがにそれはまずいのでは、ないかと……」
「そ、そうよ!
な、なにか問題が起こってからじゃ遅いじゃない!」
「……?
問題、でしょうか。
ですから、お兄様の身に問題が起こらないように、私が」
「そ、そういう事ではなく、ですね」
「そ、そういう問題じゃないのよ。茶々丸さん」
全く持って、意図が掴めません。
私は問題が起こらぬようにと、京都まで来たのですから。
独りでに、小首を傾げていました。
神楽坂さん達はというと、赤面したままあたふたとしています。
程なくして、うーと唸る仕草の後、力なく頭を垂れました。
防音設備も、しっかりと機能しているようです。
ホテルの最上階に位置する、スイートルーム。広々とした部屋内には、アンティーク時計の規則的な音色反響していました。
時刻は、夜。鳥達も、朝を囀るために休息しているのでしょう。
その無音の世界は静かで、瞬いているだろう、鮮やかな星空が脳裏に写し出されました。
使用人の方が、清掃を行ってくれていたのでしょう。
部屋には塵一つさえもなく、清潔そのものです。ですが、お兄様のために何か出来ないかと考え、私はより一層の清潔感を求めて清掃を行っていました。
お兄様は、お優しい方です。
食後の食器を洗っていると、手伝いを申し出てくれたのですから。
現在は何かあるのか、大型のプラズマテレビの前に座っています。
私は見慣れた大理石のテーブルを拭き掃除しながら、その様を眺めていました。
ここ数日でわかりましたが、お兄様は高級なものが苦手なようです。
今も、高級ソファーには目もくれず、絨毯の上にクッションを起きあぐらをかいているのですから。
何かを、待ち望んでいるのでしょう。
その背中には、喜色満面といった雰囲気が滲んでいるように見受けられました。
自然と、少々の違和を感じてしまいます。
何と、表現すれば良いでしょうか。
お兄様に高級なものが似合わない、という事ではありません。
そうではなく失礼かとは思いますが、可愛らしいという感情を覚えていました。
メモリーに最重要なものとされている早朝の寝癖、もそうです。
ですが、こういった無防備さも、魅力なのでしょう。
初期とは違い、私は暗に信頼していると示されているように思えるのですから。
俺が無防備でいられるのも、茶々丸さんがいてくれているからだよ、と。
そう、言われているようで。
身体中に、熱が帯びていくのを捉えられます。
使命感。そういったものが、新たな火種と融合し、特大の炎となり燃え上がっていくように感じていました。
ふと、含み笑いを漏らします。
胸の内で、今日も少々の難はありましたが、総合して楽しき日だったと呟きました。
色々な、事が起こりました。
手始めと言わせて貰えるのならば、早朝、でしょう。
神楽坂さんと桜咲さんが、お兄様に、兄と呼称しても良いかと尋ねた時です。
私はある感情からか、酷く怖くなりました。
それはまるで、胸部の回路を蹂躙されているかのような感覚、でした。
理解は、出来ませんでした。
ですが、今ならば、その感情の持つ意味がわかっています。
私は、嫉妬、していたのでしょう。
お兄様、という呼称。私だけの呼び名を、奪われてしまうかのような感慨が湧いて。
ですが、それは杞憂と終わりました。
なぜならば、なんとお兄様は、その頼みを拒否したのですから。
どうしてだろうか、との疑問は浮かび上がりました。
次の瞬間には至極、当然な事です。
どうして私だけに置いて、許されるのだろうか、との疑問も浮かび上がりました。
ですが、こう思えたのです。
氷咲お兄様、という呼称は、私だけが用いる事の出来る、特別なものなのだ、と。
私の身体中に、勇気という感情をまとわせていました。
その事実は、私という個体を認めて貰えているように思えて。
次の出来事は、お兄様との京都観光と、喜び勇んでいる折に起こりました。
今でも、鮮明に思い出す事が出来ます。 私はその暴挙を諫め、危機から距離を置こうと半ば、必死でした。
ホテルの、正門での事でした。
行き先は任せますと言うと、お兄様は微笑みのままにこう言い放ったのです。
「そうか。俺に任せてくれるんだね。
責任重大だな。……よし、じゃあ、そうだな。うん、太奏シネマ村。
茶々丸さん。太奏シネマ村はどうだろうか?
観光の名所でもあるし、俺は今、ヒシヒシと感じているんだよ。
今日しか見れないような……そう! 時代劇の決闘のような演劇が繰り広げられているんじゃないかってね」
「……いえ、お兄様の楽しめるものはないと断言出来ます」
「そ、そうかな。
何やら、時代劇のコスプレが出来るって聞いたものだからね。
茶々丸さんは当然、驚愕するほどに似合うだろうし、俺は幼少の頃から忍者に憧れ……」
「お兄様、申し訳ありませんが、他にしましょう」
「そ、そうか。わかったよ。
じゃあ、気ままに歩きながら、京都散策に出かけるというのはどうだろうか?」
「はい。それが良いと思います。
……ですがお兄様、そちらの方角はだめです」
「え?
そ、そうか。
俺はこちらの方角に、何かが起こりそうな予感がしたんだけどね」
「……お兄様」
「あ、ああ、本当にそうだ。
ち、茶々丸さんが言うんだったら間違いないだろう。
じゃあ、正反対の方角へと散策しようか」
お兄様には、困ったものです。
お優しいのはわかりきっていましたが、マスターの言葉を借りるならば、過保護なまでに優し過ぎるのです。
任せると決心して貰えたのでしょうが、やはりネギ先生達が心配なようです。
よりにも、関西呪術協会の総本山が位置する方角に向かおうとしたのですから。
サポートしないまでも、肉眼で見守りたい。そういった意志が、極端に見えました。
それこそが、その在り方こそが、人心を惹きつけて止まない、お兄様の魅力、なのかも知れません。
私も確かに、誇りに思っています。
ですが、私は心を鬼にして、断じて許しませんでした。
私に取って、現状、最優先な事柄は、お兄様の身を危機から遠ざける事なのですから。
茶店にて昼の休憩をしている時にも、騒動は起こりました。
突如として現れた、クウネルさんという魔法使いと邂逅する事になったのです。
マスターの古き友、などと自称してはいます。
ですが私は、出現時から嫌な予感が首をもたげていました。
なぜならば、こう、思えたのです。
ネギ先生の実像から鑑みるに、お兄様の趣向は外国の人なのではないか、と。
そして、美形と呼ばれるようでいて、清潔感のある爽やかな男性なのではないか、と。
予断を、許してはならない。
私はお兄様の傍に立ち、クウネルさんの一挙手一投足を注視していました。
やはり、警戒を怠っては、ならない。
そう思える要因は、クウネルさんの口許に浮かぶ微笑み、でした。
防衛、本能。危機を感知するセンサーが、けたたましくサイレンを鳴らしています。
なぜならば、まるで、値踏みするかのような、露骨な視線。獲物を前にして、舌なめずりしているような邪悪な笑みに見えたからです。
お兄様の貞操は、私が護って見せる。
ですが、衝動的には動けません。
なぜならば、お兄様自身が、目前の邪悪な魔法使いを気に入っているようだったからです。
ああ、お兄様。悪辣な毒牙に……。
そして、クウネルさんは膠着状態を打破しよう動き始めます。
私を一瞥してから、お兄様へと悪魔的な微笑みを向けてこう切り出したのです。
「申し訳ありませんが、ここは男同士、二人だけで話すというのはどうでしょうか?」
内心で、呟きました。
やられました、と。
ですが、それを認める訳にはいきません。
即座に立ち上がると、声を上げました。
「お兄様、いけません。
早急に、この場を撤退する事を進言します」
ですが、私の思惑は実りませんでした。
度重なる説得にも、お兄様は首を縦には振ってくれなかったのです。
結果として、私は退席しました。
致し方、なかったのです。
お兄様にあそこまで懇願されては、拒否など出来なかったのです。
渋々、退席していく最中、私は目撃しました。
クウネルさんの口許に、してやったりの笑みが張り付いているのを。
彼は敵なのだと判断するのに一秒たりともかからない、説得力のある笑みでした。
それからの光景は、余り思い出したくは、ありません。
騒がしい事に気づいた私は、早足で駆けつけました。
そして、私は目撃して、しまったのです。
おおよそ、何らかの儀式、なのでしょう。
クウネルさんの口から、勢い良く放たれる飴色の水飛沫。無防備にも、顔面を濡らすお兄様。
恍惚といった微笑みで、クウネルさんを熱く見つめるお兄様。
そこには、摩訶不思議な出来事が存在していました。
ゆっくりと、現実へと戻って行きます。
独りでに視線は、お兄様へと移っていました。
未だに、CMに釘付けとなっている所を鑑みるに、番組などを見たいのかも知れません。
心の中で、並々ならぬ決意を呟きました。
お兄様は事実として、男色の気があるのでしょう。
外国の方が、好みなのでしょう。
それは今も尚、変える事の出来ない事実であり、真実なのです。
ですが、私は諦めません。
遠くない、未来。必然的に、それを変えて見せますから。
それがお兄様に取っての、幸せの道筋。そして、私の幸せへの軌跡だと、信じているのですから。
強き意志を胸に秘めて、ゆっくりとお兄様に近づきました。
「お兄様、楽しそうですが、どうかしましたか?」
お兄様は真摯な微笑みで、こちらを見つめました。
ですが、すぐさま、うーんと唸ってしまいます。どこか、揺れたような瞳で口を開きました。
「茶々丸さん、本当に申し訳ないんだけど、少々、テレビを見させて貰っても良いかな?」
「はい。それは構いませんが」
二つ返事で、快諾します。
それを受けて、お兄様は嬉しそうに笑いました。
ですが、ある危惧が浮かび上がりました。
どういった番組を見るのでしょうか、と。
男色というものに関わっているのならば、命に代えてでも阻止しなければならないからです。
「今から見たいのは、ある人気ドラマの再放送でね。
一部に熱狂的な信者がいて、その熱に煽られたのか、また流すみたいなんだよ。
初回は見たんだけど、これはある詐欺師の生涯を追った物語りなんだ。
俺は、原作小説からの大ファンでね。
しかも、今日の放送には、好きなシーンがあるんだ」
問題はなさそうに思えますが、油断をしてはなりません。
「そうなのですか。
それはどういった、内容なのでしょうか?」
「ネタバレになってしまうから、余り内容には触れられないんだけど。
そうだな。まず、世界設定なんだけど、日本と言えば日本なんだけど、俺達の住んでいる日本ではないんだ。
未だに平等のない世界、奴隷制度が色濃く残る日本の物語りだね」
その後、お兄様は嬉々として、わかりやすく説明をしてくれました。
私は、深く安堵しました。
そういった趣向の番組ではないと、容易に推測出来たからです。
お兄様に取って、その小説やドラマはお気に入りのものなのでしょう。
ふいに、立ち上がります。
身振り手振りを交えて、熱の籠もった視線をこちらに向けました。
「今日のシーンは、危機の回でね。
政府内部で暗躍している時に、同じく国を憂う仲間が出来ていた。
だけど、仲間の裏切りにあい、友を殺されてしまう。
その友は、最愛の恋人だったんだ。
仲間達が弔い合戦だと息巻く中で、主人公は一人、こう言い放つんだ」
ああ、なんて勇ましいのでしょうか。
惚けてしまうのを、隠す事は誰にも出来ないと断言出来ました。
やはり、お兄様には偏った趣向は似合いません。
お兄様は正常、であるべきなのです。
内心で呟きを漏らしていると、お兄様は唐突にも背を向けました。
そして、その瞬間の事、でした。
突如として、想定外の現象が起こったのです。
何と、説明すれば、良いのでしょうか。
なんとお兄様の身体が、徐々に、半透明に変化していっているのです。
私は酷く困惑し、身動きを取れません。
ですが、防衛本能、でしょうか。独りでに、身体が動き出していました。
「お兄様……!」
背中を掴もうとした指先は、無情にも、空を切りました。
なぜならば触れ合う瞬間に、お兄様の背中は、完全な透明になり変わってしまったのですから。
まるで、水分が蒸発して、気化するかのように。
訳が、わかりません。
部屋内に、置き時計の規則的な音色が反響して、胸のざわめきを増幅させていきます。
私は長らく、そこに在ったはずの背中を、見つめ続けていました。