その22 激苦〜THE END OF THE WORLD〜
Side ハイディ・E・S・イングヴァルト
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
いつもの訓練場所に向かう途中のことだ。
もっとも、今日は訓練でもなんでもない、純然たる「決闘」なのだけど。
俯いて、私は繰り返し自問する。
今日はとても楽しかったはずなのに。嬉しいことばかりだったはずなのに。
私の一言からすべては台無しになった。
レーヴェさんがあそこまで私に怒ったのは初めてだった。
彼は私の血を知っていた。私の願いを、存在理由を知っていた。
でも彼は知っていた上で認めなかった。
私のやり方の他に覇王流の強さを証明する方法はないはずなのに。
何故だろう?
私は自答する。
きっとその聖王のクローンのことが大事だからだ、と。
たぶん、私よりも。
彼はその子のことを語るとき穏やかな、幸せそうな表情をしていた。
怪我のタイミングから察するに、「事情があって同年代の友達がいない子」というのはその子のことで間違いないのだろう。
彼は大怪我をしてでもその子を守ろうとしたのだろう。
それを思うたびに私の中で感情がざわめく。
その子にとって友達は彼一人かもしれない。
でも私にとっても彼は唯一の、世界で一番大事な友達なのだ。
このままでは、覇王流の最強を証明できないだけではない。
彼を、その子にとられてしまう。
しかもその子のせいで彼がまた大怪我をして……今度は死んでしまうかもしれない。
だから私は、決闘を提案した。
覇王流のためだけじゃない。
私を見てほしくて。
彼を倒して、彼を独占して、彼のそばにずっといたいから。
その子が彼のそばからいなくなれば、彼は私のことだけを見てくれると信じているから。
その子が彼のそばからいなくなれば、彼が私の知らないところで大怪我することもないから。
彼のそばにいていいのは私だけ。
彼が微笑みかけていいのは私だけ。
彼が手をつないでいいのは私だけ。
彼には私以外必要ない。私にも彼以外誰も必要ないから。
他の人が、私よりもそばにいるのはいやだった。
だからこの決闘は私とクラウス、両方の望みをかなえる、一石二鳥の戦いのはずだ。
でも。
『ただの独りよがりか、妄執でしかない』
脳裏に悲しげに発せられた彼のさっきの言葉がよみがえって、私は頭を振り、瞬間的に奥歯を強くかみ締める。
そんなことはない。
これがクラウスの後悔を拭うための唯一の方法なんだ。
そう、自分に言い聞かせて、顔を上げる。
決闘の場所は、目の前だった。
……このあと私は、自覚すらできていなかった「初恋」を失い、
気づかぬままに、覇王流を証明する以外にもあった存在理由……「女」としての存在理由すらもなくしてしまうことになる。
Side end
いつもの訓練場。
そこは、緑の常緑樹に囲まれた人気のない小さな広場だった。
お互い目立つのを嫌うから、いつも訓練にはちょうどよかったのだ。
おれはそのまま、アインハルトは俺が先ほど取ったぬいぐるみの入った透明な袋を広場の隅にあるベンチに置いてから、いつものように準備をする。といってもデバイスの調子、体の具合を確かめ、軽く柔軟をする程度だ。
表面上は普段と変わらない状態を装いつつも、空気はすでにピリピリと緊張していた。
そして。
「………武装形態」
「セットアップ」
お互い戦うための格好となって向かい合う。
俺のほうは無手だ。ハンデ、ではない。相手がデバイスを一切使わないのに、こっちが使いまくったら公正な決闘と呼べないからだ。
相手までの距離はおよそ十メートル。
覚悟さえしておけば、覇王流特有の
構える。とりあえずは柔軟に足を動かせるように。
「…よろしいですか」
「…ああ」
アインハルトが掛けてきた声に静かに答える。
「では」
彼女は拳を構えて、
「参ります」
大地を強く蹴り、声とともに突っ込んできた。
Side ハイディ・E・S・イングヴァルト
私の最初の突撃にレーヴェさんは分かっていたかのように反応した。いや、実際分かっていたのだろう。
私には距離を詰め、強力な一撃を見舞う以外の戦い方はないということを彼は知っているから。
カウンターが来る可能性は高いが、それならそのカウンターごと潰す。それだけだ。
彼は距離をとろうとバックステップするが、それよりも私は早く彼に追いつき最初の打撃を……
放とうとした瞬間、みぞおち辺りに鈍い衝撃を受けた。
彼の右ひざが、深くめり込んでいた。カウンターだ。
「ぐ、ぅっ……!」
最初の打撃を入れられたのは私のほうだった。
(でも、いったい今何が起きたの?)
腑に落ちない点がある。どうして下がっている途中なのに体勢を崩すことなく膝蹴りを入れることができたのか、だ。
普通であれば体勢を崩し後ろに倒れるようになるはずなのに。
疑問を感じつつも体勢と呼吸を整えるために後ろに下がろうとするが、今度は彼がそれを許さない。
そのまま連続で来る掌打、さらにそこからもぐりこむようにして突き込まれる肘を必死で逸らし、反撃のために右回し蹴りを見舞う。
即座に彼はバックステップ。
その時理解した。
彼がやったのは単純だ。バックステップとダッシュのずらしと切り返し。
どんなスポーツでも似たようなものは存在するが、基本的には相手を抜くためにサイドステップ…左右の移動で行うものだ。
しかし彼は前後移動でそれをやってのけた。体重移動も足の動かし方も生半な訓練では身につかない。走ってる途中に急に足を止めるということすら慣性が強く邪魔をする。前への移動からいきなり後ろへの移動というのは余計に難しいはずだ。
同時に思い知らされた。
彼は、完全にこっちを叩き潰すつもりだと。
(そんなに、その子のことが大事ですか)
強い反発感に痛みが鈍り、私はまた彼の元へ駆け出す。
Side end
(ほんの二回でだいたい理解してしまったようだな)
左右で異なる色をした少女の瞳に理解の光が宿ったのを見て、とあるライトノベルの戦い方から『砂漠の逃げ水』と命名した歩法を見破られたことを理解し、俺は苦い思いを抱いた。
もちろんこの歩法は未完成で、完璧ではない。それにこれは本来は銃と剣の二種の形態を持つデバイスを使用したときにこそ真価を発揮するものだ。
しかし、少なくとも今、深追いは危険と判断した彼女はもう水の誘いには乗らないだろう。
(……でも)
なんとしても、彼女を止めなければならない。間違える前に。誰かを傷つけて後悔する前に。
それが友達としての責任だと、少女の強烈な打撃を必死でさばきながら思う。
スバルさんの姉、ギンガさんに教えてもらったストームトゥース……打ち下ろしと打ち上げの二連撃を叩き込むが、彼女は腕をクロスさせてガードした。
彼女が腕のクロスをとく前に俺は懐に飛び込み、零距離でバインド。
「くっ……」
アインハルトは抜け出そうともがく。
俺は一度距離をとり、魔力を圧縮、拳を強化。
もがくのをやめ、覚悟を決めたような目をアインハルトがすると同時に、打撃を叩き込もうとして、
「……え?」
それはフェイント。
アインハルトの間の抜けた声と、予想通り存在したカウンターバインドが敵を見失ってさまようのを置き去りに、俺は後ろに回り込む。
彼女の狙う
そしてその行為をここで狙う場合の方法はすでに理解していた。原作だけでなく「自分の経験」からもだ。
そして彼女は狙い通りカウンターバインドを使用した。
そのまま圧縮魔力を炎熱変換。
「紫電、一閃」
振り返ろうとする彼女のわき腹に痛烈な打撃を与える。少女の体は衝撃で数メートル吹き飛んだ。
「う、ぐっ……!」
無理やり息を吐き出すことになったアインハルトは体をくの字に曲げ、そのまま起き上がるとはなかった。
「勝負あり、だな」
俺は腰に手を当て、静かに少女にそう告げた。
アインハルトのところで屈みこむ。
「ほら、怪我、見せ」
乾いた音が、響いた。俺が差し伸べた手をアインハルトの繊手が払ったのだ。
「まだ、終わって、ません」
覇王を継ぐ少女は、膝をがくがくさせながらも必死で立ち上がろうとしていた。
それはきっと、どこかで見た光景で……。
(……ああ、そうか)
俺がルーテシアとガリューに挑んだときと同じなんだ。
だとすれば。
(彼女は、瀕死にでもならない限り立ち上がる)
「私は、負けるわけには、いかないのです……!」
体はもう限界のはずなのに、体の内側から悲鳴が上がっているはずなのに。
それを必死で押し殺そうとしている少女の姿はどこか、怖かった。
殺気というよりもむしろ鬼気とでも言うべき何かが彼女から湧き出ているように見えたから。
「クラウスの、悲願、を、かなえる、ために……!」
俺は、どうすればこの子の暴走を止められるのだろう。
頭の中を占めているのはそれだけだった。
いっそヴィヴィオにぶつけてみるという手もあるが、このような精神状態では、アインハルトは出会いがしらにろくに張れもしないヴィヴィオのバリアを思い切りぶち抜いて覇王断空拳を打ち込んで大怪我をさせるとか、双方にとって最悪な結果に終わるなんてことにもなりかねない。
いったん落ち着かせるというのも無理だ。様子を見るに、ある程度押さえ込めても俺からヴィヴィオのことを聞き出すまでずっとこのままだろう。
そしてそうなればまたこの決闘の繰り返しだ。
……一つだけ、彼女を止める方法が思い浮かんでいる。正確には、彼女に楔を打ち込む方法、だろうけど。
けどそれはおそらく最悪の答えだ。それを選択した途端にすべてが終わる。
だから俺は必死に、マルチタスクをフル活用して答えを探す。
なのにすべての思考が「それ」以外の答えは存在しないと残酷に告げる。
……くそ、こんなことならもっと友達作る努力して、こういうときの解決法を探しておくべきだった。「友達と意見がぶつかって、しかもいくら喧嘩しても和解の道が存在するようには見えないときどうすればいいのか」っていう問題の解決法を!
ふらふらになりながら立ち上がった少女は足取りもおぼつかない状態で構えて、つんのめりそうになりながらもこっちへ向かってくる。
それがあまりにも痛々しくて……。
でも俺にはもう止める手段が一つしか存在しなくて。
だから俺は、
「もう、いいよ」
最悪の手段を使った。
「……何が、ですか?」
「勝手にすればいい。でも俺は一切手を貸さない。あいつのことを教えもしない。君が何しようと知ったことじゃない。もしあいつを倒そうっていうなら叩き潰す。もう君とは口も利こうとは思わない。それだけさ」
「何を、言って……」
「『
友情という名の絆を取引に用いる、最悪の手段。
いうなれば究極の選択。大事な友達と祖先の悲願を天秤に掛けさせる。
もし前者の側に傾いたとしたら、彼女は俺に行かないでと泣きつこうとするだろう。そうすれば俺は彼女に別のやり方を一緒に探そうともう一度提案ができる。彼女は俺を失いたくないがためにその案に頷くしかない。もちろんそれは彼女を俺の操り人形にするに等しい最悪の行為だというのは分かっている。だからその提案から先はもう彼女のやり方に介入しない。それ以降は絶対にこのやり方は使うつもりはない。というかもともと使いたくもない。
たとえ後者の側に傾いたとしても、彼女の心の中には棘が残る。もし悲願をかなえようとしたならば、かつてその悲願のために失った友達を敵として倒さなければならないのだという、躊躇いを生ませる棘を。それはおそらく彼女がヴィヴィオと戦うときの枷にもなりうる。もし3年後に原作の通りに事が起こったとして、そのときに少なくとも彼女がヴィヴィオを全力で潰すということはなくなるだろう。その後はノーヴェやヴィヴィオ達がうまく説得できるだろうと思うし、俺がした事が露見したなら俺一人が泥をかぶれば済むだけの話だ。
つまり倫理的、心情的な面を考慮しなければこの手段に損は一切ないはずだ。……まさにその面こそが重要なのだけど。
かちかち、という小さな、硬い音が正面から聞こえてきた。
アインハルトが震えている。今の音は歯の根がかみ合わなくなり鳴っているのだろう。
俺の言葉の意味を理解したらしい。がたがたと震える彼女に心が痛むが、それをさせているのは自分なのだ。
本当に、最悪だ……。
「じゃあな、アインハルト・ストラトス」
おれはそのまま振り返ることなく、静かにその場を歩き去った。
……声も、足音も、後ろからは聞こえなかった。
……後者、か。
……そして俺は、この日から一切アインハルトとは口を利かなくなった。たとえ、学院で視線が合おうともすぐに逸らした。
もう俺には、その資格がないから。自分で放棄したから。
……彼女と”再会”を果たすのは3年後の春になる。