その50.25 女子初等科生の日常(特殊例)
ミッドチルダの辺境、とある深い森。
そこで断続的に鈍い音が響く。
人っ子一人いないはずのそこには、一人の少女がいた。
目の前に歩きには無数の打撃痕がある。
鈍い音は彼女の木への打撃音だったのだ。
ただひたすらに木へと拳足を振るうその様はある種の狂気さえ感じさせるものであった。
そして。
一通り方の練習を終えたらしき少女は、木へと向けてゆっくりと構えをとり、
「覇王、断空
全身の力を収束した掌打を叩き付けた。
……しばらくして、木から軋むような音が響く。数秒後、木はゆっくりと根元から少女とは逆方向に倒れていった。
「………」
それを見つめる少女の冥い瞳には何の感慨も無く。
ただ、予想通りの結果が出たという程度の確認だけして、その森を去った。
森から数時間かけて辺りが暗くなる頃に自宅へと帰り着いた少女……アインハルト・ストラトスは、夕食後にシャワーを浴びて、タオルで髪を拭きながらリビングで水を飲んでいた。
タオルを拭く手を止めてリモコンを掴み、何となくディスプレイの電源をつける。
映っていたのは、アクション映画だった。まるで
「……あ」
つい、コップを取り落とす。プラスチック製だったのが幸いして、何かが入ったプラスチックの独特の鈍い音とともに水が飛び散るだけですんだ。だが、アインハルトはそれどころではない。
頭の中を占めるのは、たった一つの思い出。
(あの日、あの人と一緒に見に行った映画だ)
もう、2年になるのだ。映画が普通に映し出されるのも無理の無い話。
だがそう自分に言い聞かせても、感情が止まらなかった。
「レーヴェ、さん」
あの日笑顔を見せてくれた。この映画の時には少し恥ずかしそうな顔をしていた。私も恥ずかしがっていた。
ご飯を一緒に食べて、ゲームセンターでは可愛らしいぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
あの人に、会いたい。笑顔が見たい。手を握ってほしい。
もう二年も経つのに、自分は未だにそのための実力を手に入れていないのだ。
「…………」
知らぬ間に、暗く澱んでいたアインハルトの目から止めどなく涙が溢れ、頬を伝っていた。
………結局、映画を呆然と終幕まで見た後。
ほとんど乾き切っていた、こぼれた水を拭き取り、洗ったコップに再度水を入れて飲み干し、部屋に戻る。
部屋はあの日からほとんど何一つ変わっていない。教科書の入れ替えがあったが、それだけだ。掃除はきちんとして埃などもついていないが、それすらも変化の無さを強調する一要素となってしまっている。
まるで、あの日から時が動かないまま、止まってしまったかのようだった。
一人の少年の姿が映された写真も。
あの日彼に貰ってから、ずっと抱き枕代わりになっているぬいぐるみも。
写真を眺め、明日の修練の予定の確認だけを済ませてパジャマに着替える。
そのままアインハルトはまっすぐベッドへと向かい、いつものようにぬいぐるみを抱きかかえて泥のような眠りについた。
夢の中で、彼……レオンハルト・ブランデンブルクに会えるという幸せを期待して。