40話 実験の日々
強烈な体験から一晩が過ぎた。
窓から見える空には二つの月に代わり、太陽が見えている。
「・・・結局眠れんかったな。」
俺は体を起こすと気合を入れ直す為の行為として、パン!パン!とほっぺたを両手で叩いた。
少し思い切りが良すぎたのか頬がジンジンするが、これくらいが丁度いいと思うことにした。
「良し・・・。気持ちを切り替えていくぞ!」
部屋着から着替えて、朝食に向かおうとするとするタイミングでメイドさんが起こしにやって来た。
そのメイドさんは俺の顔を見るなり目を見開いて、俺にここにいるように言ってから大慌てでどこかへ行ってしまった。
しばらくすると先程のメイドさんが水の入った洗面器やタオルを持って、ミス・ネートと一緒に戻ってきた。
そしてミス・ネートにただの赤くなっているだけと診断され、軽く『ヒーリング』をかけてくれた後に、しばらくメイドさんが水で濡らしたタオルで頬を冷やしてくれた。
頬が赤かった理由を尋ねられたので素直に答えると、ミス・ネートやメイドさんに「ご自愛して下さい」とやんわりと怒られた。
部屋から出ていくミス・ネートの後ろ姿といまだに頬を冷やしてくれているメイドさんの姿を見て、要らぬ世話と心配をさせてしまったなと申し訳なく思った。
少し遅めの朝食を食べた後、早速施設へと向かった。
会議室では他の人はすでに来ていたので、すぐに今日の実験の話を始めることとなった。
「ヴァルムロートさん、今日は何を行いますか?」
「今日は昨日の“手術中に『スリープクラウド』が切れてしまう可能性がある”ということが話に上がったので、『スリープクラウド』がどの位の間効いているのか調べたいと思います。」
「それでは今日は被験者には眠ってもらうだけですか、私達は楽できますね。」
「そうですね。今回の実験には体格の異なる男女数名を被験者にして行います。魔法をかけるのは同じ人が良いと思うので・・・ミス・ネートお願いできますか?」
俺は『スリープクラウド』の魔法を使う人にミス・ネートを選んだ。
理由は単純で、魔法の威力や継続時間はメイジのランクに比例して強くなったり、長くなったりするのでこの中で一番水系統のランクが高いミス・ネートにお願いしたというわけだ。
「はい。私はいいですよ。被験者は部屋の中のままでいいのですか?」
「そうですね、そのままでいいと思います。・・・それでは被験者を選びましょう。」
そして実験の為に適当な七人の被験者を選び出した。
①男、2十代、背は16十サント位、体格は普通、平民
②男、1十代、背は18十サント位、体格は普通、平民
③男、三十代、背は18十サント位、体格は肥満、平民
④男、三十代、背は17十サント位、体格は普通、メイジ
⑤女、2十代、背は15十サント位、体格はやせ形、ぺたん、平民
⑥女、2十代、背は15十サント位、体格は肥満、ボイン?、平民
⑦女、2十代、背は17十サント位、体格は普通、普通、平民
女性のメイジはいなかったのは残念だと思う一方で、話には聞いていたが実際に盗賊に身を落としているメイジがいるんだなとメイジの被験者を見ながら思った。
『スリープクラウド』が効きやすいように被験者の部屋を一番下の地下二階の部屋に一時的に移した。
この時は魔法を使わずに衛兵に拘束してもらって移動した。
その理由として、下手にこの時に魔法を使ったり、その解除のために秘薬を使ったことによる影響がある可能性がある考えたからだ。
ただ地下1階の人を地下2階に移動したり、部屋数が足りなくて地下2階の人を地下1階に移動させたりと、以外に時間がかかった。
「では、ミス・ネート。お願いします。」
「分かりました。・・・『スリープクラウド』」
「・・・では、時間を量り始めますね。」
「はい。お願いします。」
『スリープクラウド』という魔法が効果を発揮するには一定以上の濃度(魔法の密度?)のものを吸いこまないといけないが、それはほぼ一瞬でいいらしい。
通常この魔法を扱うときは室内や洞窟などの風がない場所なのだが、仮に野外で範囲的に使う時は高位のメイジ——ただ、一人では魔法の範囲が限られるが——か、数人のメイジが同時にやれば十分可能らしい。
まあ、一回効いちゃうとヤバいんだけどな。
これ、これなかなかのチート性能の魔法じゃね?と思ったが、ミス・ネートの話が続いた。
・展開速度が遅い(魔法の中でもっとも遅いらしい)
・発動者自身にも効果がある(風とかで戻ってきたら自滅するかも。実際に睡眠導入魔法として不眠に悩むメイジが使用しているとか)
・効果を発揮するのに一定以上の濃度が必要(この魔法は周囲に拡散していくため意外とすぐに濃度が一定以下になる)
という欠点があるそうだ。
しかしこれを聞いて、風のメイジと協力すれば全部解決じゃね?と思ったが口には出さないでいた。
口は災いの元だしな・・・自重!自重!
これまでの経験や教わったこと、後は本を読んだ知識などから、ハルケギニアのメイジは他の系統のメイジと協力するという発想が無いように思える。
やっぱり「自分の系統が最強!」とか思ってるからか?
相性の問題とかもあるのかも・・・火と水とか。
・・・あ、そういえば王家には合体魔法とかあったっけ?まあ、あれは例外中の例外だろう。
それからが暇だった。
なにせ眠っている被験者をただ見ているだけなのだから。
「・・・暇ですね。」
「そうね。メイドにでも任せればよかったかしら?」
「でも、これもカトレア様の為の大切な実験なのだからメイドに任せるわけにもいかないでしょう。」
「・・・そうね。」
「・・・しりとりでもしますか?」
「しりとりですか、子供の頃以来ですね。」
「私、しりとり強いんですよ!」
「いい時間つぶしになりそうですね。」
「それで誰から始めますか?」
「では提案した僕から、しりとりのりで、・・・リュティス。」
・・・2時間経過・・・
「・・・る、る、ルイズ。」
「ず、す・・・スクウェアスペル。」
「また、る!?る、る・・・」
「・・・ん!?あ、ヴァルムロートさん!被験者が目を覚ましましたよ!」
「る・・・え!?誰がですか?」
「えーと、三番の被験者です。」
「三番・・・一番体格がいい男の人ですね。」
「あ、こちらにも目を覚ました人がいるようですよ。」
それから多少の時間差はあるが次々に目を覚ましていった。
男女・体格差があるかと思ったが、特に差は無いようだ。
さらにメイジが一番最初に起きると考えていたがそんなこともなく、今回の件だけでは一概には言えないがそれでも平民と魔法の効果に差がないことにはちょっと驚いた。
メイジには魔法耐性みたいなものがあって平民よりも早く起きると考えていたのだが、その考えは覆されたように思えた。
・・・メイジに魔法耐性とかないのかな?
「前後五、六分の差はありますがおおよそ二時間ですね。この時間の間に手術を終えることが出来るでしょうか?」
「どうかしら?まだ手術の練習もしていないのだから分からないわね。」
二時間、それは長いようで短い時間だ。
前世のことになるが仕事や勉強している間の二時間は長いが、ゲームや映画を見ている二時間は短い・・・そんな時間だ。
「・・・ミス・ネート、『スリープクラウド』の重ね掛けって出来ないでしょうか?」
俺はそう提案した。
魔法の効果が切れる直前で効果を重ね掛け出来るのならば二時間が四時間、六時間にもなる。
「『スリープクラウド』が切れる前にもう一度『スリープクラウド』をかけるのですか?やったことが無いので分かりませんね。」
「そうですか・・・では、昼食を食べて昼からは『スリープクラウド』の重ね掛けが出来るかどうかを調べてみましょう。」
「分かりました。他の方はよろしいですか?」
「ええ、いいですわ。・・・でも、しりとりもやり尽くした感がありますし、別の時間つぶしが必要ですね。」
「昼食に戻った時に御屋敷から本でも借りて来ましょうか。」
「それいいですわね。」
「お姉様、私お腹すきました。早く戻りましょう!」
「そうね。では一旦御屋敷に戻りましょう。」
ちょっと遅い昼食を屋敷で食べて、少し休憩してから施設に戻った。
先程と同じ被験者で『スリープクラウド』の重ね掛けが出来るかどうかを試した。
・・・結果から言うと、出来なかった。
1回の『スリープクラウド』では2時間で起きたので、今度は1回目の『スリープクラウド』で眠らせてから1時間経った時点で2回目の『スリープクラウド』をかけてもらった。
重ね掛けが出来るのならば、理論的に1回目に『スリープクラウド』をかけてから三時間経ったら起きるというものだった。
しかし、実際には2時間で起きてしまった。
この結果より『スリープクラウド』の重ね掛けは出来ないと結論付けることとなった。
因みに起きたばかりでも『スリープクラウド』をかければ効くことは昨日の時点で分かっていたが、再度確認を行い、起きた直後でも効くことを確認した。
二時間で手術時間が足りない場合、重ね掛けできないので『スリープクラウド』が切れた直後に再度かけるしかなさそうだ。
そうなると一瞬だけ、すごい激痛が走るだろう。
・・・なんとか二時間以内に出来るようにしないといけない!と決意を固めた。
次の日、新たに風のメイジが加わった。
「はじめまして、ツェルプストー様。公爵様よりカトレア様の手術に協力することを仰せつかりました、ローラ・ギャロスです。よろしくお願いします!」
「ヴァルムロートでいいですよ。よろしくお願いします、ローラさん。」
風のメイジが来たことで胸を開いた時の呼吸の問題はほぼ解決したと言えるだろう・・・まあ、要練習かもしれないが。
「では今日は肺に穴が開いた場合どうなるのかと、出来ればその対処法を調べたいと思います。これはカトレアさんの治療を行った際に肺に穴が開いたまま終わった時を想定しています。」
「被験者はどうしましょうか?」
「そうですね・・・肺に開ける穴も大、中、小と考えているので、体格が似た男女三人ずつにしましょう。」
「分かりました。ではこちらで良さそうな人を挙げておきますね。」
「お願いします。」
俺のその言葉を聞いて、ミス・ネートたちは今日の被験者を選びに下に降りていった。
「では、ローラさん、いきなりこんな所に来て分からないことがあると思うので僕から説明しますね。」
「お願いします!」
俺はなるべく分かりやすく、カトレアさんの病気とその治療の為の手術を行おうとしていることと、その為に今人体実験とこれから手術の練習をすることを説明した。
「・・・と、いうことですね。」
「なるほど、そんなことになっているのですね。」
ローラさんがこの人体実験について大体理解したところで部屋にミス・ネートたちが戻ってきた。
「ヴァルムロートさん、被験者を選び終わりました。早速行いますか?」
「そうですね。まず男性で行って、なにか問題があれば女性の時に解決出来るようにしましょう。」
そう言った直後に自分が男性の被験者を使い捨てのように考えていることに——変に思えるかもしれないが——少なからず驚いていた。
被験者の数として男性の方が多いのは確かだがそれでも、何かを試す際には“ストック”の多い男性から試す、と瞬時にそして冷静に考えた自分に嫌悪感のようなものを覚えた。
被験者の命の有無を左右する決断を行う覚悟を決めたが、それでも一朝一夕でスパッと割り切れるものでもなかった。
「分かりました。では最初に男の被験者を連れてきますね。」
「・・・お願いします。」
『スリープクラウド』で眠らされた被験者が一階の手術室に『レビテーション』で運ばれて来て、そのまま台の上に寝かされ、手足を革のベルトと鎖で固定された。
まずは被験者の初めの状態を知っておく為に『ディテクトマジック』で体の様子を観察した。
始めの状態を知らないと後でどれくらい変化したか比較出来ないからな。
「イネスさんは心臓の動きも診ておいて下さい。」
「はい!分かりました!」
カトレアさんの肺に異常があるのは右肺なので、被験者の右側の肺だけに穴を開けるつもりだ。
「では、まず・・・」
ここで俺が事前に運び込んでもらっていた消毒用アルコール——樽で持ってきたが、この部屋にあるのは小瓶に分けたもの——を綺麗な布に軽くしみ込ませて、今から切る脇腹のところにさっさっと塗った。
「ヴァルムロートさん、それは何ですか?」
「これですか?名付けて、消毒用アルコールです。そのまま切ったのでは皮膚についている病気の元が体の中に入ってしまします。それで病気になると実験に支障をきたすので、この民間療法からヒントを得た消毒用アルコールでなるべく病気になるのを防いでいるのですよ。」
「「「「「はあ~、そうなんですか。」」」」」
ミス・ネートたちはいまいち納得していない顔をしていた。
病気を引き起こすのに皮膚の常在細菌が関係していることもあるのだが、知らないのも無理はない。
この世界はいまだに小さな羽虫がいつのまにか保管していた食べ物についているのを自然発生説のように言ったり、物が腐るのを精霊なんかの性にしているくらいなので目に見えない細菌やウイスルがこの世界に存在しているとは露ほども思っていないのだろう。
被験者の肺に穴を開ける方法は胸の肋骨の間から『ブレイド』の刃を入れて、右肺に小さな穴を開けて『ヒーリング』で胸に開いた穴だけを治す、というものだ。
俺はその考え通りに『ディテクトマジック』で体の中の様子を確認しながら、『ブレイド』で被験者の肋骨の隙間の皮膚を貫通させ、その皮膚の向こうにある肺に最初なので『ブレイド』の切っ先で触る程度の小さな穴を開けた。
そして『ブレイド』を引き抜き、肺の穴はそのままに『ヒーリング』によって横腹に空いた穴だけを塞いでもらった。
「これでこの被験者の肺には十.1サント位の穴が開いています。『ディテクトマジック』で診てください。」
皆一斉に『ディテクトマジック』をかける。
「・・・確かに肺に小さな穴が開いているようですね。しかし、肺自体に変化は見られないですね。」
「確かに先ほどと同じように見えますね。小さな穴を除いて。」
「・・・では、被験者を起こして反応を見てみましょう。お願いします。」
「はい。分かりました。」
被験者を起こすと、何事も無いかのように目を覚ました。
「・・・なんだよ、貴族様か。飯の時間かと思ったぜ。」
「つい先ほど貴方にある処置を行いました。今なにか感じますか?」
「はぁ!?処置って・・・ん?別に何ともねえな、残念だったな!」
「痛みとかもないですか?」
「はっ!ないものはないぜ!」
「・・・なるほど。では、次は“運動”をしてもらいましょうか。」
また『スリープクラウド』をかけて被験者を眠らし、台の固定から外して『レビテーション』で外に連れ出した。
そして“運動”をしてもらった。
最初は元気よく走っていたが、そのうち呼吸に咳が混じり始め、そして走るのを止めて、胸を抑えて倒れこんだ。
近づいてみるとちゃんと呼吸が出来ていないようだった。
『ディテクトマジック』で被験者の肺の様子を診ると、最初より少し肺が縮んでいるように見える。
「これは・・・ローラさん、出番です!先ほど説明した時に教えたことをこの被験者に行って下さい!」
「わ、分かりました!風の魔法で外の空気と肺の空気を息を吸う速度で循環させる、でしたね・・・。やってみます!」
「お願いします!では、この被験者を中に運びましょう!ローラさんはそのまま魔法を行っていて下さい!」
被験者を『レビテーション』で運びつつ、ローラさんに呼吸の補助を行ってもらいながら、実験室に運び込んで再び台に固定した。
この時点で呼吸の方はすでに落ち着いているようで、今回のことでローラさんには呼吸器の代わりを任せることが出来ると確信した。
「・・・う、ううん・・・はっ!・・・なんだ、またここかよ!」
「起きましか、今体の状態はどうですか?体に痛みとかありますか?息はしにくいですか?」
「はあ?なんでそんなこと?・・・そういや、さっき俺になんかしたとか言ってたな!何しやがった!」
喚き散らすだけで俺の質問にいつまでも答えようとしない被験者に対し、埒が明かないと感じた俺は一つ芝居をすることにした。
・・・決して、被験者の態度にむかついたからではない。
俺は素早く30サント位の『ブレイド』を発動させ、
「・・・質問に答えろ、この場で殺すぞ。」
と、俺は普段よりも少しトーンを落とした声を作ってそう言いいながら『ブレイド』をわざとらしい位にゆっくりと首に向かって下ろしていき、首の髭が切れた位置で止めた。
俺の変貌に被験者だけでなく、ミス・ネート達も息をのんだ。
「くっ・・・分かったよ。胸の所がなんかいてぇ、息はいまは大丈夫だ。・・・これでいいか?」
「“運動”している時はどうでした?」
「・・・走り出したときは普通だったが、少ししたら息が苦しくなった。そのまま走ったが、ダメだと思った後は何も覚えてねぇよ。」
「なるほど・・・。もういいですよ。ミス・ネート、お願いします。」
「もういいのですか?」
「はい。」
「分かりました。・・・『スリープクラウド』」
「おい!結局俺に、な、に・・・し・・・」
「では、この被験者を部屋に戻して下さい。運動をしなければ問題ないみたいですし、このまま肺に開けた穴が時間経過によって塞がるのか、塞がらないのかを調べたいのでこのまま生活してもらいましょう。」
このくらいの小さな穴が肺に開くことは健康な成人でもよくあることだったと前世の記憶を掘り返し、それが本当だったのかを確かめることをこの被験者にやってもらうことにした。
「分かりました。」
「昼食は挟んで、午後からは女性で同じことを行ってみましょう。」
昼から女性で同様の処置を行った。
先に行った男性との違いは処置を行ったすぐ後に胸に違和感があったと言っていたことくらいだった。
次の日は肺に開ける穴をもう少し大きい1サント位にして行った。
この時は処置した後すぐに呼吸が乱れて、ちゃんと息が出来ないようになっていた。
すぐに被験者の肺の様子を『ディテクトマジック』で診ると、肺が昨日行った被験者のものよりも縮んでいた。
ローラさんに空気を肺に送ってもらって安定したようだが、呼吸自体はいつまでも安定しなかったので結局胸を開いて、肺に開けた穴の端を合わせて『ヒーリング』を行って塞ぐことでようやく元のように呼吸できるようになった。
「・・・これでいいかな?じゃあ、この被験者も経過観察を行うので部屋に戻して下さい。」
「分かりました。」
「・・・あら?」
「どうかしましたか?ローラさん?」
ローラさんが何か気付いたことがあるような素振りを見せたのでどうしたのかと尋ねると、おずおずとした様子でローラさんは答えた。
それは興味深く、そしてカトレアさんの治療について考えないといけないと思われる話だった。
その話を聞いて、今日の午後からの実験を一時中断することにした。
昼食を食べた後、会議室に皆を集めてローラさんが気付いた問題に対する解決策やそのヒントになりそうなものを探るために話し合いの場を設けた。
「先ほどの人ですか?肺の穴を塞いで終わったのではないですか?」
「はい。私もそう思っていたのですが、呼吸を担当しているローラさんによると肺の穴を塞いでも呼吸がまだ正常ではないのでは、と言われました。」
ローラさんにどういうことに気が付いたのかを話してもらった。
ローラさんが言うには、見た目の呼吸はほぼ元通りに見えるが、僅かな肺の動きの違いや呼吸の時の空気の流れが最初とは少し異なっているということだった。
風のメイジは空気の流れに敏感なので呼吸の時の空気の量——肺活量というやつだろうか——の違いにいち早く気が付くことが出来たということも言っていた。
「そうなのですか?ローラさん?」
「は、はい!生活するのはおそらく問題無いと思われる程度のことですが、これがカトレア様だと考えた時にそれはいけないのではないかと思いまして・・・」
「確かに今は被験者で実験を行っているから死なないのなら問題ないと思っていたけれど、カトレア様として考えたら良くは無いわね。」
「ええ、僕もそのことを失念していました。そこでこの被験者をどうすれば元の呼吸に戻せるのかを皆さんで考えたいと思います。」
「そうですわね!・・・でも、どうすればいいのかしら?」
ミス・ネートがそう言ったのを境に黙りこくってしまった。
会話がないまま、しばらく時間が経ったが皆なかなかいい考えが思い浮かばないようで全く意見が出ない。
そういう俺も今行っている実験が気胸を人工的に作って行っているものだとは分かって行っているが、気胸は肺に穴が開いた状態としか知らない。
その認識なので、穴が開いているのならその穴を塞げば問題無いと思っていたのがそれが今回のことで間違いだったと知り、どうすればいいのかと頭を悩ませていた。
沈黙を破って、ロザミーさんが独り言のようにつぶやいていた。
「・・・呼吸が元に戻らないのはどうしてかしら?」
確かに今はどうして穴を塞いだのに呼吸が戻らないか、その原因が分かっていない。
原因が分からなければその原因についての対策も立てられないので、まずは原因を探ろうというのはいい考え方だと思った。
「そうね・・・『ディテクトマジック』で診たところ、穴を塞いでも肺の大きさが縮んだままなのが問題じゃないの?」
「・・・風で空気を送って肺を膨らませてみたらどうかしら?」
「それ・・・間違って肺が破裂したりしないかしら?私はそれはちょっと怖いわ。」
セシールさんの「空気を送って肺を膨らませる」という言葉を聞いた俺の脳裏に風船に空気をいれるイメージがよぎった。
肺が萎んでいるのだから空気を入れて肺を膨らませるというのは悪くない考えのように思えるがローラさんが心配するように失敗したときの影響が計り知れない・・・まあ、肺がそんなに簡単に破裂するか分からないが。
それに風船に入れた空気は風船の口を縛らないとすぐに空気が抜けて、再び萎んでしまうのと同じように一回肺を膨らましただけではすぐに萎むことが予想出来た。
呼吸が元通りになるまでの間、常に呼吸と同時に不足している分の空気を送らないといけないのでそれはいくら魔法がある世界と言っても現実的な考えではない。
もっと別の方法を考えなければと思う一方で、前世で風船で遊んだ幼少期が随分遠く、そう思うことに懐かしような、少し寂しような、そんな何とも言えない心持になってしまった。
そんな風に前世の記憶を懐かしんでいる時に、不意に風船の膨らむ方を口に咥えてた時のことを思い出し、その後に起こった現象で俺はハッとした。
「・・・あっ!?」
「どうしました?ヴァルムロートさん?」
「風の系統魔法を使って肺を膨らませるのにいい方法を思いつきましたよ!」
「やっぱり風を送って膨らませるのですか?」
「セシールさん、それは危ないのでとさっきから言っているでしょう!」
「確かに風を送って肺を膨らませるのは危険かもしれないので行いません。でも、セシールさんが言ったことがヒントになりましたよ。」
「それは良かったですが、なんだか複雑な気持ちですね。・・・それでどうするのですか?風を使うのに肺に空気を入れずに膨らませる方法なんて・・・」
「それはですね・・・」
「「「「「それは?」」」」」
「空気を抜くことで肺を膨らませます!」
「「「「「???」」」」」
俺の言った言葉が理解不能ということが皆の顔の表情として表れていた。
具体的に言えば「空気が足りないから萎んでいるのに、そこからさらに空気を抜くことでどうして膨らませることが出来るのか」と言った表情だ。
頭の上にはてなマークを浮かべている皆に俺の言った言葉の真意を簡単に説明して、なんとか納得してもらったところで——まだ半信半疑だったようだが——少し遅れたが次の被験者で俺の言ったことを試す実験を行うこととなった。
被験者の肺に1サント位の穴を開けてその様子を観察したが、やはり朝と同じ様に苦しそうに呼吸を始めたで、朝と同じように胸を開けて肺に開けた穴を塞いだ。
しかし、まだ胸に開いた穴を閉じてはいない。
「ここからですね。ローラさん、先ほど説明したことを行ってみて下さい。」
「え、ええ。肺と胸の間の空気を抜いていけばいいんですよね?」
「はい。僕が『ディテクトマジック』で肺の大きさを診ていますから元の大きさになったら教えるので空気を抜くのを止めて下さい。そしてその状態で胸の開けた穴から空気が入らないようにローラさんが空気の流入を防いでいるうちに『ヒーリング』で胸の穴を塞いで下さい。」
「ヴァルムロートさんが合図した時に胸の傷を治せばいいのですね。分かりました。」
「・・・では、いきます!」
ローラさんが空気をゆっくり抜いているのを俺は『ディテクトマジック』で注意深く観察し、被験者の肺が元の大きさになるのを待った。
元々そこまで肺が萎んでいるわけではないので、ゆっくり空気を抜いていてもすぐに元の大きさに近づいて行った。
「はい!ここです!止めて下さい!」
「・・・はい!」
そしてローラさんが空気が逆流しないようにしてくれている間に『ヒーリング』で胸に開けた穴を塞いでもらった。
「どうですか?」
ローラさんは『ディテクトマジック』や風メイジの特性を使い、肺の大きさや呼吸時の空気の量を慎重に調べていった。
それらを調べ終えたローラさんがいい顔をして報告してくれた。
「・・・ええ、被験者の肺は最初と同じ大きさになっています!呼吸も異常は見られません!」
「ふう、成功したみたですね。」
「でも、こんな方法で肺を膨らませることが出来るなんて驚きました!すごいですね!」
「ヴァルムロートさんはどうしてこんなことを思い付いたのですか?」
「ええ、なんか、こう、ピキーンと来たんですよ。」
「「「「「そ、そうなんですか。」」」」」
俺の言いように納得がいかないようだったが、詮索はされなかった。
もしかしたらヴァリエール公爵に俺が突然突拍子の無いことを言ったり、行ったりするということを聞いていたのかもしれない。
今回のことに関して詳しく理由を尋ねられたら答えられなかったので、突っ込んで聞かれなくて心底ホッとしていた。
今回のことに関するヒントは幼少時に風船の膨らむ方をくわえて息を吸いこむと口の中で風船が膨らんだことを思い出したことだ。
そして肺と肋骨の間の空間——たしか胸腔っていったかな——は陰圧、つまり通常の空気よりも気圧が低いということが呼吸するうえで重要であるというどこかで聞いた言葉と風船の思い出が結びついたことで一つの考えを導き出した。
つまり、肺に穴が空けばそこから空気が胸腔に入り、その結果として胸腔が陰圧が弱くなる、もしくは陰圧でなくなってしまうことが今回の呼吸がうまく出来ていない問題となっていたのだろう、と。
そう考えた俺は「ならば、入った空気を抜いて再び陰圧にしてやればいい」ということに至ったわけだが、前世の記憶や知識が前提としてあるので詳しく理由を説明できるはずがないのだ。
次の日はさらに大きな穴を肺に開けてみた。
いままでよりも大きな穴を肺に開けるのでかなりの出血があると考えて『ヒーリング』をかけつつ、穴を開けた。
穴を開けた肺はみるみるうちに縮んでいき、さらに穴を開けていない方の肺も影響を受けてか少し縮んだようだった。
「ヴァルムロートさん!被験者の心臓の様子が!」
「え!?」
そう言われて心臓の様子を診ると、なにかおかしい。
いままでも心臓の鼓動が早くなることはあったが、こんな風になったことは無かった。
詳しく診ようと思い集中してみると、本来血液を送り出している心臓がその働きを行っていなかった。
というよりも、心臓に血液が入ってきていないように思えた。
「確かにおかしいですね。とりあえず肺を元に戻してみましょう!」
心臓のおかしな動きに不安があったが、胸に穴を開けて肺の穴を塞ぎ、ローラさんに肺を元の大きさに戻した。
「ヴァルムロートさん!心臓の動きが元に戻りました!」
「そ、そうなんですか!?分かりました!」
心臓の動きが元に戻ったと聞いて、心の中で「良かった~」と安心した自分がいた。
被験者に人体実験を行うことに慣れ始めていることを薄々感じてきてはいるが、命を奪うことには覚悟はしているがそれでもやはり抵抗があることは確かだ。
「ヴァルムロートさん、この被験者どうしましょうか?」
「そうですね・・・とりあえず、このことの影響があるか見たいので部屋に戻して、経過をみて下さい。」
「分かりました。」
午後からも女性の被験者で同様の処置を行い、やはり同様に心臓に異変が起こった。
「今日の実験で1つ分かったことがあります。」
「それはなんですか?」
「イネスさん、今日行った2人の被験者で2人とも心臓がおかしな動きをしたことを診ていましたよね。」
「ええ、鼓動が早くなることとは違い、なんだかおかしなものでした。」
「それがどうしたのですか?」
「心臓は人の体で一番大事なものですよ。それがおかしな動きをしたとなると・・・」
「ええ、皆さんお分かりだと思いますが、あの状態が長く続いた場合死ぬ可能性が高い、というか死ぬと思います。」
「やはりそう考えますか。私もそう思っていました。」
「ですから、手術中にあのような状態になった時は何をおいてもあの状態を回避することを優先します。皆さんもそれでいいでよろしいですか?」
「はい。構いません。」
「分かりました!」
「治療も大事ですが、命の方が大事ですからね。」
「ええ、分かりましたわ。」
「はい!分かりました!」
肺に穴を開けた被験者は一日一回肺の様子を『ディテクトマジック』で観察を行った。
その結果、肺に開いた小さな穴は自然治癒して塞がれることが分かったし、多少縮んでした肺も十日位で元に戻ることも分かった。胸腔の空気を抜くことで早急な回復も見込めるのだけどね。
処置から十日後、身体能力を測定するとほとんど以前測ったものと同じで、再び穴が開くこともなさそうだった。
この十日間は完全に暇だったので、俺だけで観察を行い、他の人は本来の仕事に一時的に戻ってもらった。
俺自身も観察だけということで暇を持て余したので、ここに来てさぼりがちになっていた剣の訓練を1人でやっていた。
暇な十日間が終わり、久しぶりに施設の会議室に六人が揃った。
俺は真剣な表情こう言った。
「今日からはさらに手術の元になる実験をしたいと思います!」
その言葉に皆の顔が引き締まった・・・というわけでもなく、ここに来たときから皆緊張した面持ちだった。
これまで人体実験の為の前実験が終わり、今日からようやく本格的な人体実験が開始されるということが分かっていたからだろう。
「では、肺の切除を行います!」
今回の人体実験の概要は右肺の切除——カトレアさんの右肺に異常がある為——を行い、それがどのように影響するかを調べることだ。
しかし被験者の数も限られているので小さな区画毎では出来そうもない。
よって、ここは大きく三つに分けることにした・・・ちょうど右肺は大きく三つに分かれているしな。
男女それぞれ三人選び、右肺の三つから一つ切除、二つ切除、三つ切除——三つ切除とは右肺を全て排除するということ——で実験を行い、その時間経過と身体能力への影響を観察することにした。
胸の横の肋骨に刃を入れて、大き目に切れ目を入れる。
最初こそ、血が出ることに驚いていたが俺も他の皆も直に慣れていった。
脇腹の切れ目を『念力』でぐぐっと開くように固定してもらって、肺を『レーザー』で切り易いように『念力』で動かしてもらった。
大きな血管や気管などは一旦切断——血管は『念力』で挟んで一時的に止血——して、切れ口の丸を一文字になるように摘まんで『ヒーリング』を行うことで閉じた。
そうして切除した肺を胸の開けた穴から出し、ある程度胸の傷が小さくなるまで治してから切除した部分以外の肺を元の大きさに戻し、最後にきちんと胸の傷を塞いだ。
これだけで言うと簡単に出来たように見えるが、慣れていないせいもあってか実際にはかなり大変だった。
いろいろあるが、特に肺を『レーザー』で切る時にロザミーさんに『念力』で動かしてもらったんだけど、これがなかなか意思疎通が難しく、あまり思うようにはいかなかった。
そしてなにより最初の一人目の時に途中で——
「・・・じゃあ次は少し右に移動させて下さい。」
「こ、こうですか?」
「あ、それではちょっと行きすぎです、もう少し左へ。」
「・・・こうですか?」
「はい。そこでお願いします。」
「・・・ん?ヴァルムロートさん!」
「なんですか?あ、勝手に動かさないで下さい!」
「え!?私動かしていませんよ?」
「!!!・・・!!!・・・!!!」
「ヴ、ヴァルムロートさん!魔法が切れています!」
「なんだってー!」
「ど、ど、どうしましょう!?」
「私はどうしたら!?」
「ローラさんはそのままで!えーと・・・
「『スリープクラウド』」
「あ、ミス・ネート、ありがとうございます!」
「いえ、それより処置中に魔法が切れることをある程度は予想していましたが、本当に起きるものなんですね。」
「・・・処置に時間をかけすぎなのかもしれないですけど、こればかりはどうしようもないですね。経験不足ですね。」
「ええ、そのための実験ですよ。これから頑張りましょう!」
「はい!」
「ヴァルムロートさん!早く終わらせちゃいましょう!」
「そうですね!」
——と、『スリープクラウド』が切れちゃって皆大慌だった・・・俺もそうなんだけど。
被験者はじたばたして違う所切りそうになるし、この実験は失敗か?とも思ったが、ミス・ネートがすぐにまた『スリープクラウド』をかけてくれたおかげでなんとかなった。
二人目からも時間がかかって魔法が途中で切れたのだけど、二回目で心の準備が出来ていたのか皆比較的冷静に対応出来ていた。
これを全員分終わらせるのに三日かかり、それから三十日間経過観察することにした。
経過観察といっても前の肺に穴を開けて自然治癒するまでの経過を見るのとは違い、こちらは外傷的なものは安物とはいえ秘薬を使った『ヒーリング』で治療しているので少なくなった肺の機能に体を馴染ませるための期間といった方が近いだろう。
三十日経つまで特にすることも無かったが、手術時間の短縮のために福笑い的なことをして意思疎通の向上を行ったり、ミス・ネートに水メイジとしての経験をいろいろ聞いたりして基礎的な技術とメイジとしての治療知識の向上に努めた。
そして三十日目に体の観察と体力測定を行った。
まず肺の三つの区画うちの一つを切除した被験者は身体的には特に変化は無かったし、身体能力もそれほど落ちてはいなかった。
三つのうちの二つを切除した被験者も身体的には変化はほとんど無かった。ただ身体能力の方が一つ切除した被験者よりも落ちていたが、日常生活にはなんら問題は無い程度だと考えられた。
三つのうちの三つを切除、つまり右肺を全て切除した被験者の体には心臓がほんの少し大きくなるという変化があった。身体能力的にもすぐに息切れを起こすということがあった。
さらに別の人は左の肺の位置がずれ、そのせいで気管が狭くなり、それによるもとと考えられる呼吸苦が見られた。これは気管を元のように拡張すれば改善させることが分かった。
また左肺の位置がずれるということに対し、俺は「癒着させれば動かなくなるんじゃね?」という考えた。
そこで一度胸を開いて肺を元の位置に戻し、胸の内側をわざと傷つけて肺を密着させ『ヒーリング』を行い、肺を人工的に癒着させることで左肺がずれるのを防ぐことが出来るということが分かった・・・まあ、肺が動かなくなっただけですぐに息切れはするんだけどな。
次の日は俺とミス・ネートでカトレアさんの診察を行った。
この診察により、カトレアさんの右肺のどこの部分にどれだけ異常があるかをこれまでの人体実験に基づいた経験から具体的に調べることが出来た。
因みに皆でぞろぞろいっても仕方ないので、他の人はお休みを取ってもらっていた。
その次の日、カトレアさんの具体的な病状を話すために実験施設の会議室に集まってもらった。
そして同時にこれで実験を終了し、カトレアさんの為の手術手順を確定させ、残りの被験者を用いてその技術をただひたすらに向上させるということを意味している。
「昨日カトレアさんの診察をして肺のどこに異常があるのか分かったので、今日からは実験ではなく実際に行う手術の練習を始めたいと思います!」
「「「「「はい!」」」」」
「・・・それでカトレア様の肺のどこの部分に異常があったのですか?」
「はい、それはですね。右肺の上から三つ目の部分にありました。」
「他の場所には無かったのですか?」
「はい。幸いその部分だけでした。さらに詳しく診たところその中で外側にある二つの区画を切除するだけで良さそうです!」
「おお!すごいですね!」
「これでやっと手術の練習できますね!」
「はい!手術の練習の目標は『スリープクラウド』が効いている二時間以内に終わらすことです!」
「2時間ですか!?」
「出来るでしょうか?」
「確かにいままで2時間で終わらせたことはありませんが、そこは要練習だと思います!頑張りましょう!」
「「「「「はい!」」」」」
この人体実験の最後に数人の被験者に本番同様の手術を施して一年間経過観察を行うことを考えると、手術の練習が出来るのは十三人位だ。
十三人で満足できるほど上達が出来るだろうか?と不安はあったが、やってみなければ分からないということもあり手術の練習を始めることとなった。
最初はやっぱり二時間で終わらすことは出来なかった。
手術の練習をやっていた時は午前は手術の練習を行って、午後は午前の手術の反省会と問題やうまくいかなかったことへの対策を話し合った。
その結果、手術の効率が上がってきたり、皆の意思疎通が上手くいくようになったことから次第に時間が短くなり十人目の時にとうとう二時間を切ることが出来た。
それからはさらに時間を短縮するのど同時に技術を向上させることを目指していった。
その結果、十三人目の手術を終わらせた時には手術時間や手術自体の完成度が俺自身満足いくようなものになっていた。
・・・まあ、俺がここまで行えるのもミス・ネート達のサポートや魔法という前世では非現実的なもののおかげなのは言うまでもないが。
「今日から最後の仕上げを行いたいと思います!」
「とうとうですね!」
「被験者もあと残すところ4人ですからね。」
「なにを行うのですか?」
「今日からの残り4人はカトレアさんに行うことをそのまま行います。」
「カトレア様に行うことそのまま、ということはどういうことですか?」
手術で行うこと自体は十三人目と同じなのでロザミーさんはわざわざ俺がカトレアさんと同じようにやると言ったことに首を傾げた。
「そうですね。まずは部屋の綺麗にして、消毒用アルコールを部屋全体に撒いて、私達も手洗い、消毒を今まで以上に念入りに行います。あ、内装もヴァリエール公爵様に頼んで実際に行うであろう場所と同じにしてあります。そうですよね、ミス・ネート。」
「はい。すでに内装の準備は出来ていると聞きました。」
「ありがとうございます。」
「そこに被験者を入れて、後は練習と同じですか?」
「はい、そうです。そして手術後は一年位経過観察を行いたいと思います。」
「一年ですか?かなり長いですね。」
「ええ、でもこれは手術を行った後の体への影響が長期的にみてどうなのかと肺を切除したことで他の病気にならないかどうかを調べる意味があります。」
「そうですか。それでその間ヴァルムロートさんはこちらにいらっしゃるのですか?」
「それなのですが、状態が不安定な最初の三十日間はこちらに留まって様子をみようと思いますが、その後は皆さんに任せて僕は一旦家に帰ろうと思います。このことはすでにヴァリエール公爵様に言って、承諾をもらっています。」
一旦家に戻ろうと思ったのは前の十日間ですらほぼすることが無く、魔法の練習や剣の稽古も自主錬しかできないことに限界を感じていたからだ。
特に剣の稽古の方は誰か他の人と組手を行った方が、永遠と素振りしているより遥かに質のいい稽古になっていたことをひしひしと感じていた。
そういうわけでミス・ネートさん達には悪いと思ったが経過観察をお任せすることにした。
それに経過観察は施設に来て、被験者の様子を『ディテクトマジック』で観察するだけの簡単なお仕事だし、所要時間としては移動時間を入れても二、三時間程度で済むはずなので通常業務の間でも出来るはずだ。
「・・・そうですか。確かに経過観察位なら私達だけでも出来ますし。」
「ええ、僕がゲルマニアに戻ってから最初の五か月は週に一回程度、後の半年は問題が無ければ月に一回程度に報告の手紙を頂ければいいので。・・・その間になにか問題があればすぐ連絡を下さい。龍に乗って大急ぎで来ますから!」
「分かりました。・・・でも一年も間が開くと今回培った手術のことを忘れないでしょうか?」
ミス・ネートの言葉はもっともな話だ。
一応、家に戻った後でも厨房に協力してもらって『レーザー』の練習は怠らないつもりだが、手術自体の練習は出来ないからその部分ではどうしようもない。
「完全に忘れるということはないと思うけど、技術は少し落ちそうね。」
しかし、この時間経過により手術の技術が低下するかもしれないことについてはすでに手を打ってあるのだ。
「僕もそれを危惧したので、半年後のカトレアさんの誕生会に参加すると思うのでその時に一回行い、一年後のカトレア様の手術を行う前に何人か練習出来るように数人の被験者確保をヴァリエール公爵様に頼んでおきました。」
「そうですか!それは安心しました。」
「じゃあ、最後の仕上げを行いましょう!」
「「「「「はい!」」」」」
話が終わり、人体実験の最後の詰めを行う為に実験室へと足を運ぶと、そこには昨日とは全く違う様子の実験室が広がっていたので皆驚きのあまり声を失っていた。
部屋全体をレースの付いた綺麗な絹のカーテンが覆い、手術台は天蓋の付いた大きなベットになっていた。床には一面に高級そうなカーペットが敷いてあった。
「・・・」
俺は公爵には質素な感じの部屋にして欲しいと言ったと思ったんだが、これが貴族にとって、いや公爵の位を持つヴァリエール家にとっての質素なんだろうな。
掃除はすでに行き届いていたようなので、消毒用アルコールを水メイジであるミス・ネートに均等に散布してもらった。
そして白衣を着て、口に布を付けて、いつも以上に念入りに手を洗い、消毒した。
そこへミス・ネートが『スリープクラウド』で眠らせた被験者を『レビテーション』で運んできた。
ミス・ネートが手を洗い終わるのを待ってから本番さながらの手術を開始した。
手術内容自体はこれまで練習でやってきたことなので問題無く終わった。
最後に全体に病原菌が入っていても発症しないように俺が免疫が活性化するイメージで『ヒーリング』をかけておいた。
これを一日一人、全部で四人に行った。
因みに四人目の手術には唯一人のメイジに手術を行うことになった。
体のことなのでメイジと平民に違いが出るとは思えないが「折角メイジがいるのだから最後にやらないとな!」と思い、最後までとっておいたのだ。
四人の術後の経過は良好だった。
あっという間に三十日という日数が過ぎ去り、その時点での身体能力の測定では特に問題を見つけることは出来なかった。
あとは一年後にどうなっているかという問題はあるが、恐らく何も問題はないだろうと楽観的に思った。
「・・・では今後のこと、お願いします!なにかあれば手紙を下さい。」
「はい。分かっています。そろそろお時間です。玄関の方へ、ヴァリエール公爵様やカリーヌ様、カトレア様、ルイズ様がお待ちになっていますよ。」
「そうですね。それでは半年後のカトレア様の誕生日にお会いしましょう。」
「ええ、それでは。それまでお元気で。」
「ヴァルムロート、ちぃ姉さまの主治医の人と仲よさそうに話していたけど、あれはどういうことなの?」
「え!?あれは仕事の話だよ。」
「ふーん、まあ、いいけどね!・・・」
ルイズはふいっと顔を背けると少し俯いて、なにやらぶつぶつと呟いていた。
ルイズやカトレアさんに今日帰るのを話したのが四日前だったので急に感じているのかもしれない。
なにやらルイズの言葉にカトレアさんという言葉が微かに聞こえるのでカトレアさんはにこにこと見送ってくれているが何かしら思うところがあって、ルイズにそれを話していたのかもしれないと俺は勝手に想像していた。
「・・・ごめんな、ルイズ。帰ることをもっと早い段階で話しておけばよかったかもな。」
「べ、別にそれはいいのだけど・・・」
ルイズの言葉でルイズの不機嫌な原因が俺の思っていたものと違うことが何となく分かったが、それでもなぜ不機嫌なのかは分からなかったので俺は首を傾げることとなった。
「あらあら、しょうがないわね、ルイズは。」
「え?」
カトレアさんにはルイズの不機嫌な原因が分かっているようだったので俺の首の角度は地面と水平に近づいて行った。
・・・カトレアさんはかなり勘が鋭いから分かるのは仕方ないと思うことにした。
自分が鈍いのでは?と少し思ったが、鈍いと言っても恋愛漫画の難聴主人公に劣ることはない・・・はずだ。
「うふふ、なんでもないのよ。・・・元気でね、ヴァルムロートさん。」
「ええ、カトレアさんもお元気で。カトレアさんのことだから無茶とかはしないと思いますけど、しないで下さいね。」
「ええ、分かっているわ。」
「ヴァルムロート君、予定滞在期間よりも短かったのだが・・・いいのかね?」
「ええ、あれは幾分余裕を持たせた目安のようなものでしたから。公爵様が集めて下さったメイジが皆さん優秀でしたので思ったより早く終わりました。」
「それで例の件は上手くいったのかね?」
「はい。上手くいっています。公爵様も例の件をよろしくお願いしますね。」
「ああ、大切な娘のことだからな!任せておきなさい!」
「ヴァルムロートさん、ありがとうね。カトレアの病気が治ったら私が直々に稽古を付けてあげてもよろしくてよ?」
「あははっ!そうしてもらいなさい!あの“烈風カリン”に手ほどきを受けられる者などそうは居らんぞ!」
烈風カリンの二つ名は歴代のメイジの中でも最強に近い強さを持つという話を聞くし、騎士団時代は相当厳しかったということも耳に入っていたのでヴァリエール公爵の言葉で「居らん」ではなく「稽古に耐えられない」の間違いじゃないのかと思ってしまう。。
「あはは・・・そうですね。考えておきます。」
俺は空笑をしながらそっとカリーヌさんから目を背けていた。
「それでは半年後のカトレアさんの誕生会でまたお会いしましょう!」
こうして俺の実験の日々は終わりを告げた。
俺はヴァリエール公爵が用意してくれた馬車に乗って、家へと向かった。
俺が家から離れていた間に家では俺を驚かせるための秘密裏にある計画が進められていたとは知らずに・・・
<次回予告>
それは俺がゼロの使い魔の世界へと転生した歪みなのか。
それともこれまで魔法についてあまり自重していなかった報いなのか。
はたまた、積み重ねてきた業なのか。
婚約、それは結婚の約束を行うこと・・・つまり、今すぐ結婚するわけではないと自分に言い聞かせる。
その思考は無駄な抵抗のように思えるが、やはり無駄な抵抗なのだろう。
第41話『仕組まれた婚約式』
自分で課した更新日を大幅に超えてしまい、すみません。そしてゲームもそんなに進んでないorz
次は5/29頃の更新を目指して頑張ります。