56話 ヴァルムロートとタバサ、それぞれの決闘
ゴタゴタがあった入学式の翌日の昼前、俺達はまた学院長室の前に来ていた。
先頭を歩いていたキュルケがノックも無しにいきなり扉を開けて、そのまま挨拶もせずにずいずいと中に入っていった。
キュルケの行動に俺やカトレアさん、ルイズは顔を見合わせ、申し訳程度に挨拶をしてキュルケに続くように部屋に入った。
キュルケはいきなりの訪問で驚いている学院長の前まで歩いて行き、座っているオスマンを睨みつけるように机の前で立ち止まった。
「んっ!?な、なんじゃね?貴族の子女が挨拶も無、し・・・に・・・」
キュルケの突然入室に対し注意をした学院長だったが、ずんずんと近づいてくるキュルケの迫力に押されて声が尻すぼんでいった。
俺達がキュルケの後ろに行くのとほぼ同時にキュルケはダンッといきなり机に両手を付いた。
このとき普段だったらブラウスのボタンを大胆に開けているキュルケの豊満な胸に学院長の目は釘付けになっていただろうが、その魅力を消し去るくらいにキュルケの目から殺気に似た感情が溢れていることに学院長も気付いているようでごくりと息を呑んでいた。
「学院長!あれはどういうことですか!?」
キュルケの声が部屋の中に響く。
「“あれ”とはなんじゃ?もしかして昨日のミスタ・ツェルプストーの件のことか?あれは」
「そのことではありません!」
学院長がキュルケが怒っている理由が昨日のことだと思ったようで弁明しようする言葉をすぐさまキュルケは遮っていた。
そして続けざまに怒っていることを言い放った。
「私たちのクラス分けのことについてお聞きしたいのです!」
「クラス分け?何か問題でもあったかの?」
学院長は右手で蓄えた髭を触りながらとぼけるように答えた。
「大有りですわ!どうして私たちがダーリンと別々のクラスなんですか!」
キュルケは詰め寄るように上半身を前につき出した。
ゲルマニアからの留学生は俺とキュルケの2人だけ、しかも婚約者でもあるので、まさかその2人を分けるようなことはしないだろうとキュルケは思っていたようだが、その思いは今朝無残にも打ち砕かれたのだった。
俺自身も同じクラスになると思っていたのでそのことに驚きはしたが、別のクラスになって少し残念だな程度の感想しかなかった。
しかしキュルケの残念だと思う気持ちは俺よりも数倍、数十倍強かったようだ。
「はて、そうじゃったかなの?」
キュルケはかなり怒っているようだが、すでに学院長は普通に対応し始めていた。
もしかしたら毎年こうやって直接文句を言いに来る生徒は1人や2人ではないのかもしれない、と学院長の慣れた態度を見て俺はそう感じた。
因みに今キュルケが怒っているクラス分けは次のようなものだ。
1つの学年はソーン、イル、シゲルという伝説の聖者からとった3つのクラスにそれぞれ約30人ずつ分かれている。
そして問題のクラス分けの内容はキュルケがソーン、ルイズとカトレアさんがイル、そして俺はシゲルだ・・・俺はシゲルだ、って日本人の自己紹介みたいだよな。
キュルケはこの編成に大いに不満があったようでなんとか最初のホームルームに参加させたものの「婚約者は同じクラスにするべきよ!」と言って俺達を連れてここに来た、という訳だ。
一通りキュルケの文句を聞いた学院長がげんなりとしていた。
「分かった、分かった。ミス・グナイゼナウが今のクラス編成に不満を持っていることは十分理解したぞい。」
「それなら!」
学院長の言葉にいままで怒りの感情しか無かったキュルケの声に喜びの色が混じった。
「しかし!ミスタ・ツェルプストーの婚約者はもう1人おるだろう?・・・カトレア嬢はこのことをどう思っているのじゃ?」
学院長がそのことを指摘するとキュルケは顔色を少し悪くして1歩退いて、バツが悪そうにカトレアさんの方を見ていた。
当のカトレアさんはあらあらと手を頬に当てて、そ~ねぇと少し考えるような仕草をした。
「私も少し寂しいわね。どうせなら皆同じクラスだったらよかったのにとは思いますけどね。」
カトレアさんの同意を得たキュルケはほらね!と言わんばかりに学院長の方に向き直り、学院長は少し難しい顔をした。
——この時オスマンの頭の中では、このクラス分けの事をただ無下に反対するようなら来年からの寄付金に何かしらの影響するかもしれないという考えがあった。
公爵家であるヴァリエール家は学院に多大な寄付をしているし、わざわざ留学をしてきたツェルプストー家とグナイゼナウ家もゲルマニアでそれなりに高い位を持ち、そしてこちらもまたヴァリエール家と比べても遜色ないほどの寄付をしていた。
この3家からの寄付が来年以降減っても基本的に学院の運用に問題はないのだが、貰える寄付は多いに越したことはない。
そしてクラスの編成程度のことで寄付金の減少というリスクが回避出来るのであればそれに越したことはない。
そう考えたオスマンはやれやれと思いながら軽くふうと息を吐いた——
「仕方あるまい・・・」
「じゃあ!」
自分の意見が通ったと確信したキュルケの声が先程よりもさらに明るくなった。
「諸君ら4人が来年から同じクラスになるようにしよう。」
「ええっ!?今年からじゃないのですか!?」
学院長の“来年から”という言葉にキュルケは落胆した声を挙げる。
「今年はもう始まっているからのう。すでに最初のホームルームも終わっておるからのう。今からクラスを再編成したとあっては学院全体に混乱を及ぼす可能性があるかもしれん。」
「そんなぁ・・・」
がっくりと肩を落とすキュルケにカトレアさんが近づいていった。
「キュルケさん、確かに今年は残念だけどほんの少し我慢すれば1年なんてあっという間よ。一緒に頑張りましょう!」
カトレアさんの励ましによりキュルケも納得したのか学院長の提案を受け入れることにしたようだ。
話に決着が着いた俺達は一応学院長にお礼を言って部屋から出た。
「あーあ、1年もダーリンと違うクラスなんてねえ・・・。」
キュルケは愚痴を言いながらフォークでケーキを一口サイズに切り、それを口に運んだ。
俺達はそれに同意したり、諌めたりしながら紅茶を飲んだりケーキに舌鼓を打ったりしていた。
昼食を食べた後、午後から授業が無く天気も良かったのでアウストリの広場でお茶とケーキを貰うことにしたのだった。
というか基本的に午後に授業のない日の方が多いくらいの授業編成に対し、週休2日とかのレベルじゃない程のゆとり教育で大丈夫なのか?と俺は少し学院の教育方針に不安を抱いた。
しかし周りの生徒はそんなことを少しも危惧していないように優雅に午後のティータイムを楽しんでいるようだ。
まったりと午後のティータイムを楽しんでいたが、その平穏を壊す輩が現れた。
「ヴァリエール家次女カトレア嬢と一緒にいるということは・・・貴様がミスタ・ツェルプストーか?」
1人の生徒が近づいてきたかと思うと俺に向かってそう言った。
羽織っているマントの色は茶色、つまりこの男子生徒が上級生の3年生であることだけは分かった。
「そうですが、あなたは?」
因みになぜ俺が男子生徒の学年が分かったかというと、この学院はマントの色で学年が分かるようになっていて俺達1年が黒、2年が紫、3年が茶色だ。
しかもアニメではルイズたち2年が黒、3年が紫で1年が茶色だったことからこのマントの色はローテーションしているようことが予想出来た。
「私の名前はラスティ・ド・マッケンジー!貴様にカトレア嬢との婚約をかけて決闘を申し込む!」
昨日の今日という早さ、しかも別の学年のやつが来たことに少し驚いたが俺はその申し出を二つ返事で受けた。
すると俺が決闘の申し出を受けたことがすぐに学院中に広がっていった。
「今から3年と1年が決闘やるみたいだぜ!」
「1年はあのゲルマニアからの留学生だってよ!」
「決闘を申し込んだのは3年のラスティらしいよ。」
「眩炎のラスティか、あいつこの間トライアングルになったんだろ?」
「噂では1年も火のメイジだってさ!」
「それだったら1年ただじゃ済まないな!」
「でも噂ではあの“烈風カリン”に魔法を教えてもらってたらしいぜ!」
「そんなの噂だろ?どうせゲルマニアのでっち上げさ!」
「それもそうだな!」
「それでどこでやるんだ?」
「ヴェストリの広場だってさ!」
——コルベールは本塔の長い階段を息を切らしながら必死に駆け上がっていた。
彼はメイジなのだから『フライ』で飛んだ方が早いのだが、そんな簡単なことも考えられないくらいに焦っていた。
そして最上階の扉をノックもなしに開けた。
「お、オールド・オスマン!」
「どうしたのかね?ツルッパゲール君。ノックも無しにとは・・・。」
「け、けけ・・・」
「け?それは確かにツルッパゲール君の頭には毛が無いがそれは今更驚くようなことかね?それとも・・・まさか!?とうとう結婚するのかね!?」
慌てて舌が上手く回らないコルベールとは対照にオスマンは相手を茶化す余裕があるほどに落ち着いている。
「違います!決闘ですよ、決闘!あと私の名前はコルベールです!」
「なんじゃ、そのことか。君も昨日の話は聞いていたじゃろう。ツェルプストーのところの決闘は問題ないはずじゃが?」
「それはそうですが・・・しかし!3年のミスタ・マッケンジー、つい最近なったばかりといえトライアングルですぞ!さすがに止めさせた方がいいのではないでしょうか?」
「しかしのう・・・。本人同士はすでにやる気みたいじゃぞ。ほれ。」
そう言うとオスマンは部屋にあった鏡に向かってスペルを唱えた。
するとそこにはヴェストリの広場の様子がリアルタイムで写し出されていた。
「こうしてはいられない!早く止めに行かなければ!」
「まあまあ、待つんじゃコルベール君。」
部屋から出ていこうとするコルベールをオスマンは引き止めた。
「ミスタ・ツェルプストーはあの“烈風カリン”に師事していたことは知っておるかね?」
「ええ、生徒が噂していたことは耳に入りましたが・・・。しかし“烈風カリン”自身の武勇伝は昔数多く聞きましたし強いと言われていることは知っていますが、それとミスタ・ツェルプストーが強いことには関係ないのでは?」
「やはりコルベール君は情報に疎いのう。烈風カリンが衛士隊隊長となっていた間の訓練は歴代でもっとも厳しいものだと言われておったんじゃぞ。歳をくったとはいえ、その“烈風カリン”と2年間みっちり魔法の訓練をしておるんじゃぞ。弱いわけがないじゃろう。まあ、今回のことは彼の実力を測るにちょうどいいのでは無いかね?もし危ないようなら途中で止めにいけばいいんじゃよ。」
「・・・そうですね。オールド・オスマンの考えに従います。」
「そうそう。あと、受け持った生徒ではないからといって生徒の情報を把握していないのは感心せんぞコルベール君。」
「はあ・・・。何というか、すみません。」
「ミスタ・マッケンジーがトライアングルということで騒いどったが、ミスタ・ツェルプストーはスクウェアじゃぞ?」
オスマンの言葉にコルベールは目を丸くし、驚きの声を漏らした。
そうしている間にも鏡の向こうの映像では2人のメイジが距離を取り、今にも決闘が始まりそうな雰囲気だ。
コルベールはオスマンの「彼の実力を測る」と言った言葉を思い出し、驚いている気持ちを切り替えて冷静な目で今回の決闘を見守ることにした——
決闘の場所であるヴェストリの広場にいる俺とラスティはたくさんの生徒に囲まれている中である程度の距離をもって対峙していた。
周りの生徒は学年は別々だが皆決闘が始まるのを今か今かと待っていた。
その生徒達の先頭にキュルケ、カトレアさん、ルイズが普段と変わらない様子で俺を応援していた。
いつまでも対峙しているだけでは始まらないので俺の方から行動に出ることにした。
決闘の礼儀として一番最初に行うことは“名を名乗る”ことだ。
「僕の名はヴァルムロート・シュテルン・フリードリヒ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。火のスクウェアメイジです。二つ名は炎剣。」
俺がスクウェアメイジと言ったことで周りの生徒達だけでなく相手のラスティも驚いた顔をした。
そんな周りの反応をよそに、俺は杖を斬艦刀にはめ込み、腰に差している鞘からゆっくり引き抜いていくのと同時に刀身に『発火』の魔法で炎を纏わせた。
この姿を見た生徒達から俺の二つ名の“炎剣”がなんのひねりも無いものだという声が聞こえた。
この斬艦刀に炎を纏わせるのを考えたのは俺ではなくお義母さんで、理由は『発火』の魔法を発動している状態を保つことで常に精神力を消費させることで精神力を鍛えることと、『発火』とあともう1つの魔法しか使えない、実質1つしか魔法を使えない状態にすることの2つらしい。
まあ要するに決闘中でも訓練は怠るなよ!ということだろう。
訓練というなら斬艦刀に纏わせる炎は魔力消費が目的なら『発火』なんて初期魔法ではなく、もっと消費の大きい魔法にした方がいいのではとも考えたが、『フランベルグ』などの他の魔法では逆に強くなりすぎてデメリットがなくなる可能性があり、結局だた火を灯させるだけのほとんど攻撃力のない『発火』が一番いいという結論に至った。
俺としては本来の名前の由来である『フランベルグ』の隠れ蓑になっていいかな、と思っている。
「ぶ、武器を使うとは・・・やはりゲルマニアは野蛮だな!この眩炎のラスティ・ド・マッケンジーが本物の貴族がどういうものかを教えてやる!」
そう言ってマッケンジーはさっと俺の方に杖を向けた。
ラスティはスペルの単語単語をしっかりとした声量とはっきりとした発音でまるで教科書を読んでいるかのように魔法を唱え始めた。
それを見た俺は一瞬ラスティがふざけているのかと疑ってしまう。
唱えているのはトライアングルスペルだ。
確かに威力は高いがそれに比例して詠唱時間も長く、一対一の決闘でその選択は一番してはいけないものなのだ。
それに対し俺は素早くドットスペルを唱える。
決闘も含めた戦闘において“早さ”はもっとも重要な要素だ。
情熱思想理想思考気品優雅さ勤勉さ!そして何より・・・速さが足りない!!
・・・と、そこまでは求めないけど、最初は相手の出方を伺う為に早い魔法でどう対応してくるかを見たほうがいいと考えている。
確かに威力の高い魔法は確かに必要不可欠だ。
しかしそれは決定的なチャンスがある時か相手も大きな攻撃を繰り出す準備をしているときに行うべきではないだろうか。
「・・・『ファイアーボール』」
斬艦刀の先から火の玉がラスティに向かって発射したのは、ラスティが唱えているスペル全体のまだ半分に差し掛かった時だった。
自分が先にスペルを唱え始めたのに俺が先に魔法を発動したことにラスティは明らかに焦っていた。
発射された『ファイアーボール』は1秒足らずでラスティのすぐ目の前まで飛んでいき、それを避けようとしたラスティはよほど慌てていたのか足を絡ませて後ろに転んでしまう。
転んで尻もちを突いたラスティだったが、そのことが功を奏したのか『ファイアーボール』を避けることが出来ていた。
ホッと胸を撫で下ろすラスティだったが、その一連の様子を見ていた周りの生徒からはドッと笑いが起こっていた。
「わ、笑うな!失礼だぞ!」
ラスティが尻餅をついたまま笑っている周りの生徒のカトレアさん達のいない左側に向かって声を荒げるとピタッと笑い声が止んだ。
ラスティは生徒達の方に向いていた顔を正面に戻してさっきまでそこにいた俺の姿を見ようとしていたが、すでにそこには俺の姿は無い。
すでにラスティの背後に回っていた俺は炎が燃え盛る斬艦刀をすっと後ろから突き出した。
「なっ!?」
斬艦刀の纏っている火の熱さか、それとも冷や汗かは分からないが汗をかき始めたラスティが恐る恐るといった様子でゆっくりと振り返って俺を見た。
「降参しますか?」
俺は後ろから問答無用で『エア・ハンマー』を当てて吹っ飛ばすことも出来た——実際、ヴァリエール家での模擬戦のときにお義母さんにやられたこともある——が、あくまでこれは紳士的な決闘なので言葉をかけることにした。
しかしラスティはそれに対し“無言”という返答を返してきた。
これは恐らく、ラスティとしては「貴族の誇りにかけてこんな惨めな負け方を認めるわけにはいかない」ということなのだろう。
「降参しないのですか?」
俺はそう言いながら徐々に斬艦刀をラスティの方へと近づけていく。
それでも黙っているラスティだったが、いまの状況に対し身体が硬直しているのか全く逃げる気配もみせない。
そして斬艦刀を纏っている火が彼の髪に触れてるとジジッとその先を焦がして嫌な臭いを出した。
このことがラスティの身体の硬直を解いたようで、何かに弾かれたように斬艦刀から距離を取った。
俺は逃げたラスティの方に斬艦刀を向けた。
「降参しますか、それとも・・・」
「わ、分かった。お、俺の降参でいい・・・。だから早くその剣を引いてくれ!」
その言葉を聞いた俺は『発火』の魔法を解き、シャーカチンッと音をたてて斬艦刀を腰の鞘に収めた。
折角の決闘だというのにあっけない幕切れをしたことに周りの生徒はそれぞれ不満を口にしながら散っていった。
——その様子を本塔の最上階、学院長室の鏡で見ていた2人の内、オスマンがまず感想を漏らした。
「なんじゃ?これだけか。これではミスタ・ツェルプストーの実力がちいぃっとも分からんではないか!そして相手の生徒は3年でありながらあの体たらく・・・鍛え直しが必要じゃないかのう?・・・なあ、コルベール君?」
オスマンはもっと派手な魔法の応酬があると期待していたようで、たった1発、しかもドットスペルの魔法しか出なかったことに不満を抱いていた。
「いえ・・・彼はすごいかもしれないですよ、オールド・オスマン。」
オスマンと同じく鏡で決闘を見ていたコルベールは別の感想を持った。
決闘前はヴァルムロートのことを偏見ではあるが“過大広告的な発言をする一般的なゲルマニアの貴族”だと思っていた。
しかし決闘を見た後はスクウェアでありながら最初した魔法の選択、従来のメイジ同士の決闘でよくある魔法合戦を逸脱し対戦相手が視線を逸した一瞬の隙に相手との距離を詰めるその身のこなしと速度、などから彼がただのメイジでないことが分かった。
しかし普通の貴族、特にトリステインのような歴史ある国の貴族にはコルベールと同じような感想を持つものは極僅かだろう。
なぜなら普通の貴族はコルベールが過去に経験したようなことを一切経験しないのだから。
しかしこの学院にコルベールと同じ感想を抱く者がいた。
それはガリアからの留学生のタバサだった。
タバサは決闘にはそれほど興味無かったが、この学院の生徒のレベルを見るのにちょうどいいと思い、人ごみの後ろの方からそっと決闘の様子を覗いていた。
そして決闘が終わり、他の生徒に紛れてその場を離れた。
そして誰にも聞こえないような声でつぶやいた。
「ミスタ・ツェルプストー。彼に近づきたい。でも、彼は・・・危険。」
彼女も普通の貴族では経験しないことを14という歳で数多く経験していた。
そして彼女はある目的からヴァルムロート自身に興味を持っていた——
次の日から決闘の様子を見て、俺がスクウェアメイジであってもメイジの実力的には大したことはないと思った多くの生徒が授業の無い時に大勢押し寄せ、俺はその対応に四苦八苦することとなった。
そんな俺をタバサが影から覗いていることには気配でなんとなく分かっていたが特に接触してくることもないので、タバサはそのまま放っておくという生活が1週間続いた。
「ふう・・・。」
俺は決闘を挑んできた相手から「降参」の言葉を聞き出した後、斬艦刀を鞘に収めながら息を吐いた。
1戦を終えた俺はキュルケ達と広場のカフェエリアへ休憩しに行った。
そこで空いているところを見つけると、そのテーブルを4人で囲んだ。
席に座ると間もなくメイドさんがオーダーを聞きに来たので皆は紅茶やケーキを頼んでいた。
「僕はなにか疲れが取れそうな紅茶と本日のおすすめデザートで。・・・あ!紅茶に砂糖は少し多めで。」
疲れたときには甘いものと思い、それをメイドさんに伝えた。
全員のオーダーを聞き終えるとメイドさんは一礼して離れていった。
俺はふうと息を吐いて椅子の背に寄りかかるとぎしっと小さく音が鳴った。
「ダーリン、なんだか疲れてるみたいね。」
隣に座ったキュルケが心配そうに俺の顔を覗きこむ。
「そうね。やっぱり連日の決闘は良くないのではないかしら?皆さんにお願いしてせめて1日1回にしてもらったらどうかしら?」
多い日には4、5回決闘を申し込まれることもあった俺をカトレアさんは心配してくれている。
「お義兄様・・・本当に大丈夫ですか?」
ルイズも心配そうにテーブルの上に少し身を乗り出すようにこちらを伺っていた。
「ああ。ごめんごめん。心配かけっちゃってるね。でも実際に疲れるのではなくて・・・疲労感?みたいなものが溜まっている感じかな。」
皆は俺に疲れが出ていることに心配してくれているがお義母さんと1回模擬戦を行うほうが心身共に遥かに疲れることを思えば、ここの生徒相手に1日5回決闘を行なっても俺は疲れるということはなかった。
では、なぜ俺がお義母さんとの模擬戦では感じたことの無かった疲労感というものをたった1週間でこんなにも溜めているのかというと、自身が鍛えられている、相手から何かを学んでいるということが一切なく、ただ数だけこなしているという感覚に陥っている為だ。
こう言ってしまうと失礼だが「弱い」のだ。
確かに上級生にはトライアングルクラスもいるにはいるが・・・まあ所詮学生か、と言った感じだ。
今の決闘がどんなものか例を挙げるならば、ランダムエンカウントのRPGで終盤まで進めた高レベルの状態で最初のダンジョンに行かなくてはいけなくて、そこでの戦闘が逃走不可で戦っても経験値や金は雀の涙なのに比べて戦闘に入る事にいちいちロードが発生して「戦闘よりロード時間の方が長いんだよ!」というときの戦闘だ。
はっきり言えば「面倒くさい」の1言につきる。
辞めれるものなら辞めたいが、この決闘はカトレアさんの婚約権を懸けたものであるのは言うまでもないが、その裏に俺の修行という意味合いも込められているので俺に拒否権はない。
ゲームのレベル上げのときもそうだが基本的にレベルを上げる対象の相手には同レベルがそれ以上のものが効率がいいし、これはこの決闘という名の修行にも言えることだと思う。
その点、お義母さんは俺よりも強いから修行相手には最適だったんだなと思った。
そんな俺にとって無意味なことの繰り返しにも似た今の状況を修行まで昇華させるにはどうすればいいかを戦いながら考えることも俺に疲労感を溜まらせる原因の1つだった。
「・・・いっそ目隠ししてやってみる、か?」
そんな考えに至った頃に先程オーダーした紅茶やケーキなどのデザートが運ばれてきた。
俺が頼んだ今日のおすすめのプリンをつつきながら1つ疑問に思ったことを口に出した。
「今日決闘挑んできた人の中に同じ1年の生徒で婚約の相手がカトレアさんじゃなくてキュルケの人がいたんだけど・・・キュルケ、クラスでなにかしたのか?」
「いいえ。何も?同じクラスの男性には挨拶しかしたことないけど?」
「そうなんだ?なんでだろうね。・・・あ、そうそう。今日の授業でギトーっていう教師が・・・」
俺は朝の授業でギトーが俺を狼狽えさせるためにしてきた「最強の魔法系統とはなんだ?」という質問に「風です!」と即答したことで逆にギトーが狼狽えた話をした。
その日以降もカトレアさん目当てに混じってキュルケ目当てに決闘を挑んでくる生徒が少数ながらいた。
あるの授業のとき、ふと窓の外をみると黒いマントを羽織った生徒が広場に集まっていた。
その中にすぐにキュルケと分かる赤い髪の女の子がいた。
どうやら広場で実技があるようなのでその様子を見ておきたかったが、今俺の授業をしている先生の気配が不快を含んだものへと変わりそうなのに気付き、俺はよそ見を止めて前を向くことにした。
——キュルケがいるソーンクラスの今日の授業は風メイジのギトーによる『フライ』の実技授業だった。
このギトーという教師は風メイジでありながら風の爽やかなイメージとは正反対の粘着質な性格と風魔法至上主義で学院のほとんどの生徒から嫌われている。
そしていつものように授業の初めに風が如何に他の系統よりも優位な存在かという話をして生徒がうんざりしてきた頃にちゃんと授業が始まった。
『フライ』の実技授業なので塔から出てすぐのスズリの広場に適当に散らばった。
「今日行うのは風の基本中の基本である『フライ』の魔法だ。この魔法は・・・まあ、説明しなくても誰でも知っているだろう。では誰かに手本を見せてもらおうか。しかし・・・このクラスはドットやラインばかりで今年の1年は不作だな!まあ別のクラスのスクウェアを名乗る輩も本当にスクウェアか怪しいな!」
これを聞いたキュルケは頭に来たが事前にヴァルムロートに「ギトーが何か言って腹が立っても無視すること」と釘を刺されていたのでぐっと我慢した。
ギトーは『フライ』の見本を行わせるために集まっている生徒をぐるりと見渡した。
こんな嫌味を言う教師の授業で誰が進んで見本を見せたがるものですか!とキュルケは煮えくり返りそうな気持ちを抑えながらそう思った。
しかし現実はそうでなかった。
「私が!」
集まっている生徒の最前列にいる生徒が杖を掲げた。
「む!?ミスタ、名は?」
「ヴィリエ・ド・ロレーヌです。以後お見知りおきを。」
「ほう、あの風の名門と言われるロレーヌ家か。他にはおらんのか?」
ギトーは生徒を見回したが他には誰も立候補しなかった。
「ではミスタ・ロレーヌ、他の生徒に『フライ』がどういうものか手本を見せてやりなさい。」
「では皆さん、このヴィリエ・ド・ロレーヌの華麗な飛翔を御覧下さい。」
ヴィリエは1歩前に出ると生徒の方を向き、まるで舞台男優のようにマントを翻しながら言った。
ヴィリエが『フライ』のスペルを唱えると地面から5メイル位までのところにゆっくりと浮かび、同じ速度で地面まで降りてきた。
降りてきたヴィリエにギトーがメイジとしてのランクを聞くと、ヴィリエは待ってましたと言わんばかりに、
「風のラインメイジです!」
と答えたがそれに対してギトーの反応はいまひとつだったがヴィリエはそんなことに気づいていないようだった。
それから集まった生徒はお互いにある程度間隔を開けてそれぞれ『フライ』を練習し始めた。
ヴィリエはその間も自慢するように他のものよりも高くそして速く移動出来ることを表すように『フライ』で上下に飛んでいた。
そんなヴィリエとは対照的にあまり積極的でない生徒が2名いた。
1人はキュルケで地面から50サント位までしか飛ばず、その動きもゆったりしたものだった。
そんな風に不真面目に授業を行なっていると当然のようにギトーに目を付けられた。
「そこのミス!そう!そこの貴様だ!・・・ん?貴様は確かゲルマニアの留学生か。」
「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・グナイゼナウよ、ミスター・ギトー。」
「ミス・グナイゼナウは火の系統のメイジだったな。それで風系統の『フライ』がその程度しか出来ないのかね?」
昔にヴァルムロートと散々行なったことなので勿論キュルケが普通に『フライ』を行えば先程のヴィリエよりもより高くより速く『フライ』を制御することも出来るのだが、それ故にこの授業をまともに行おうとは考えていなかった。
しかしどうにかしないとギトーが今以上に絡んでくることは目に見えていたのでキュルケは一計を案じることにした。
「確かに今よりも高く飛ぶことは出来ますわ。しかし女子生徒の制服のスカートは思いの外短くこれ以上高く飛ぶと中が見えてしまいますわ。それとも・・・ミスター・ギトーは私のものが見たいのかしら?」
そう言ってキュルケはスカートの裾を指で摘むと少しめくり上げた。
おお!と周りの男子生徒が色めき立ち、女子生徒は逆にスカートを抑えて少しの高さしか飛ばなくなった。
「なっ!?・・・と、とにかく真面目に授業を受けなさい!」
キュルケのこの行動にギトーは顔を赤くして文句を言いながらキュルケから離れていった。
そんなギトーの姿を見てキュルケはしてやったりと小さく笑った。
そしてもう1人はタバサだった。
タバサに至っては授業の間まだ1度も『フライ』を使う様子を見せなかった。
「おい!そこのお前はさっきから少しも動いていないじゃないか!貴様もさっきのゲルマニア貴族のように言うのでは無いだろうな?」
キュルケから離れたギトーがいいようにあしらわれたというイライラをぶつけるようにタバサに少し怒鳴るような声で言った。
タバサは声のした方を向き、そしてふるふると首を横に降った。
「それだったら今から『フライ』をやってみせなさい!ミス・・・え~と?」
「タバサ。」
「ではミス・タバサ、やってみなさい。」
タバサは素早く『フライ』のスペルを唱えるとここの生徒の誰よりも高くそして速く飛んでみせた。
そしてその間スカートの中はスカートとマントによって完全にガードされていた。
「う、うむ。やれば出来るではないか。他の者もこの小さなドットメイジに負けていいのか?負けたくなかったらもっと精進しろよ!」
とギトーは生徒の競争心を煽るような言葉をかけた。
ギトーがタバサをドットメイジと言ったのはギトーが生徒の情報をよく知らなかった為であった。
ほとんどの生徒はそのことに特になんとも思っていなかったが、1人だけ激しく反応した生徒がいた。
それは『フライ』の見本を見せたヴィリエだった。
ヴィリエはドットという格下が自分よりも上手く風を操り、わざわざ『フライ』の見本をみせた自分を嘲笑っていると勝手に感じプライドを傷つけられたと感じていた。
そして彼はある行動を起こすことを決断する。
その日の午後は例によって例のごとく授業が無かった。
そしてヴァルムロートはいつものようにヴェストリの広場で決闘を申し込まれていた。
ほとんどの生徒と教師がヴェストリの広場で行われる決闘に注意がいっており、ノルズリの広場で行われるもう1つの決闘に気がつくものはいなかった。
「どうしてこんな事するの?決闘は学院の決まりとしてやってはいけないことになっているはずなのに。」
決闘に呼び出されたタバサは相手がどうしてこのようなことをするのか検討がつかなかった。
ヴァルムロートの決闘は単純にカトレアという公爵家の婚約者を得るため、もしくはキュルケという自分とは正反対のスタイルをもつ女性を得るための決闘と分かりやすが自分にはそのようなものはないと分かっているタバサは首を傾げた。
「学院の決まりなんてどうでもいい!タバサ、お前が悪いんだ!お前が俺をバカにするから!」
決闘を申し込んだヴィリエはそう言ったがタバサにはヴィリエをバカにした覚えは無かったのでまた首を傾げた。
そのタバサの行動がまた自分をバカにしたものだと思ったヴィリエはタバサに決闘をするのかしないのかを迫った。
タバサは初めは首を横に振って拒否を表していたがヴィリエが諦める様子が無ったくないようなので仕方なくこの決闘を行うことに同意した。
二人はだれも観客がいない中でお互いに距離を取った。
「どちらが風を上手く操れるかを教えてやる!」
ヴィリエが早速スペルを唱え始めたがタバサはその様子を見ているだけだった。
ヴィリエがタバサに向かって杖を降ると不可視の空気の塊である『エア・ハンマー』を繰り出した。
向かってくる『エア・ハンマー』にタバサは素早くスペルを唱えるとスタッフと呼ばれる長い杖を軽く降った。
タバサは自分に向かって飛んで来ていた『エア・ハンマー』の軌道を風を操ることでその進行方向を反転させた。
進行方向が逆になったということはそれは『エア・ハンマー』が発動者であるヴィリエに向かって飛んでいくということで、タバサへと放った魔法が当たるのを今か今かと無防備に待っていたヴィリエに直撃した。
予期せぬ衝撃にヴィリエはそのまま吹っ飛ぶとさらに地面を塔の壁のところまで転がった。
そんなヴィリエにタバサは先程とは別のスペルを唱えて氷で出来たつららのような矢をいくつも飛ばした。
なんとか壁を支えにして立ち上がったヴィリエがタバサの方を見るとすでに目の前に氷の矢が迫って来ていた。
ヴィリエは咄嗟にそこから移動しようとしたが時すでに遅く氷の矢はヴィリエの服やマントに突き刺さり、ヴィリエを壁に貼付けにした。
そして最後の1本がヴィリエの顔のすぐ横に突き刺さったときはヴィリエは生きた心地がしなかった。
貼り付けにされたヴィリエには分からないことだらけだった。
どうして一歩も動いていないタバサに魔法が当たらず、逆に自分に何かの魔法の攻撃が当たったのか。
なぜ自分がドットメイジでは唱えることのできないはずの『ウィンディ・アイシクル』の氷の矢で壁に貼り付けにされたのか。
そもそも目の前の少女は本当にドットクラスのメイジなのか。
そしてヴィリエは得体のしれないものを見る目でタバサを見た。
「な、何なんだよ!お前は・・・。」
そうヴィリエが叫ぶと、タバサがヴィリエに向かって歩き出した。
その様子をみたヴィリエは血のけが引いていくのを実感した。
もしタバサがこの決闘を本来の意味での“決闘”と捉えていたら自分は殺されるかもしれない、今まさにタバサがこちらに歩いてきているのは止めを指しに来ているのではないかとヴィリエは思った。
タバサの真意を少しでも知る為にヴィリエはタバサの表情を見たが、そこにはいつもと同じ全てに興味がないといった無表情であり、そのことがさらにヴィリエを怯えさせた。
タバサが1歩近づく毎に自身が殺させのでは?という気持ちが大きくなり、そのうちにとうとう命乞いをみっともなく始めていた。
ザッと足音がするとすでにお互いに手の届くところまでタバサはヴィリエに近づいていた。
「ひいいい!俺が悪かった!許してくれ!なんでもするから命だけは!」
タバサが動き、ヴィリエの死の恐怖が最高潮に達した時、ヴィリエを貼付けにしていた氷の矢が全て水になって溶けた。
自由の身となり呆然としているヴィリエにタバサが何かを差し出した。
「杖、落としてた。」
タバサが差し出したのは最初の衝撃でヴィリエが手放した杖だった。
ヴィリエはこの時初めて自分が杖を持っていないことに気付いた。
「あ、ああ・・・あり、がとう。」
ヴィリエがその杖を受け取るとタバサが口を開いた。
「この決闘は私の勝ち。ミスタ・ロレーヌはなんでもするって言った。だから私の勝ち。」
「あ、ああ・・・俺の負けでいい・・・」
さっきまで死ぬかもしれないと思っていたヴィリエはなんだか拍子抜けしてしまった。
ヴィリエに勝ちを認めさせたタバサはすでに決闘が終わったヴェストリの広場の方に向かって歩き出した。
「・・・くそっ!」
そんなタバサの後ろ姿を見ながらヴィリエは負けは負けだと思いながら遣り切れない気持ちを抱いた。
その様子を女子寮である火の塔の部屋から見ている女子生徒がいたことがヴィリエにとってこの学院生活で最大の不幸だったかもしれない——
<次回予告>
入学してから約1ヶ月が経ち、新入生を歓迎するためのパーティが開かれようとしていた。
しかし、このパーティでとある人たちの思惑がうごめいていた。
果たして、ヴァルムロートの運命はいかに!?
第57話『いたずらの果てに』
次は2/17頃の更新を目指して頑張ります。